少し遅くなりましたが、先週のJDDW学会の合間を縫って行った須磨の小旅行を載せます。
まずは須磨離宮公園です。

雨のためか園内には人っ子一人おらず、公園も経費節約なのでしょう、この滝などは私がその場所まで行きましたら突然機械の動く音がして、水が流れ始めました。

バラ園では満開のバラが見られました。

須磨寺です。

ここには平敦盛の首塚がありました。
敦盛は源平の一の谷の合戦の際、熊谷直実に討たれた平氏の少年です。

海岸線に沿って歩くと、一の谷の合戦の主戦場となった戦の濱があります。

須磨浦公園にはやはり史跡の敦盛塚がありました。

この旅行はずっと雨の中の散策となりましたので、学会のためのスーツがずぶぬれになってしまいました。
それでもめげずに学会に参加しに戻りました。
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コメント
コメント一覧
日常を離れて、せめてこうした時位は気分転換にリラックスしたいですよね。
でも、自分の興味を引かない演題を無理に聞くよりは、旅行した方が良い気分転換になるし、何よりも自分に残された時間を考えると、少しでも多くのものを見たい、いろんな所へ行ってみたいと思ってしまいます。
別に病気を患っている訳ではありませんが、患者さんとつき合っていると、自分も遠からず同じようになると思います。
一生は思った程長くはないと思います。
ええ?そんなこと考えないで下さい。そのようにイメージングしていると本当に実現してしまいそうで怖いです。
でも、先生方の勤務状況が厳しいのは現実で、本当に何とか改善できないものかと思います。
「医者の不養生」が職業病を表す言葉になってしまいそうです。
ブログに書くような事ではないですよね。
少し前に長野の善光寺に行った時に、あの世へ行く為の装束や草蛙、三途の川の渡し賃の六文銭を買ってきました。
でも明日死んでも大丈夫なように、今日を充実させる事は大事だと思います。
それは同感です。
私も入院して毎日誰かしらが旅立って逝く環境で、「死は必然だ」と実感しました。
死を思うと「如何に生きるか」ということに突き当たります。
私は先生のように誰かを救ってこの世に貢献するという生き方をしていないので、
あの世に行く迄に少しでもマシになって戻らなければと思っています。
日々是精進。
スローガンだけになっている日常が悲しいですが。。。
抹香臭いでしょうかね。w
健康を崩した時、死について実感出来るようになりますよね。
我々の職業は、自分が健康を崩さなくても患者さんを沢山見ていますので、常に死を実感出来る数少ない職業です。
いつかは死ぬという事を実感して生きると、今しなければならない事を真剣に考えるんですよね。
まだよく存じ上げませんが、多分、先生は同じ環境にある先生方ともまた違った生き方をされようとしているのでしょう。
神社仏閣を回ったり、死生観というか、何か独特の世界をお持ちのようです。
ただ、いつの間にやら歳だけ取ってしまったにも関わらず、何も出来ていない自分にあせっているだけです。
時間は永遠には無いということを、今頃自覚しているだけですね。
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