学術集会の抄録集は、日本エイズ学会誌の第4号として日本エイズ学会が発行します。従って、抄録集に掲載された半ページほどの抄録も、一種の文献として個人の業績集に加えることができます。このように最近は発表抄録も学会誌に載ることになっているのです。では学術集会特集号とも言える抄録集ができあがるまでの手順を説明しましょう。
抄録集のデータは私たち学術集会事務局が持っています。つまりコンベンション運営企画会社(私たちの場合はコングレさん)を含む私たちが版下という、印刷できる直前のデータまで作るのです。数人の目で原稿チェック、レイアウトのチェック、目次の作成など。従来のものを踏襲しながら、できるだけ使いやすいものにしたいと考えています。
完成したら日本エイズ学会誌を製作している(財)学会誌刊行センターに送ります。ここからさらに印刷所に送られ、刷り上がった抄録集が、本番1ヶ月前ぐらいに全国の会員に届けられます。印刷費や郵送費は学会員の年会費のうちであり、収支は日本エイズ学会になります。
学術集会当日に学会員でない人が参加をされた場合、会場受け付けの横で抄録集を買い求められます。だいたい6000円程度です。この売り上げは学会本体に入り、私たちではありません。ついでながら抄録集の中にコマーシャルが入ったりしますが、この収入も学会本体です。
学会誌刊行センターの担当者は「早く版下が届かないかなぁ」と待ちくたびれているでしょうね。
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第21回日本エイズ学会学術集会の後援は次の団体・機関からいただきました。お役所と財団とあとはローカルな団体に、まず認知をいただくということで。
厚生労働省・文部科学省・(財)エイズ予防財団・広島県・広島市・(社)広島県医師会・(社)広島市医師会・(社)広島県歯科医師会・(社)広島市歯科医師会・(社)広島県看護協会・(社)広島県薬剤師会・広島県病院薬剤師会・広島県臨床心理士会・広島県医療社会事業協会。
私の名前で角印押して後援依頼を出したら、書類のやり取りがあって「後援として名義の使用を許可する」という職印つきの書類が送られてきました。「・・・・省」ともなると局長まで上がるみたいです。
ところで後援って何でしょ? Goo辞書によりますと「後ろ盾となって、うまく事が運ぶよう手助けすること」なんだそうです。手助けですからお金を頂けるところも、声だけのところもあります。エイズってまず健康の問題なんだから、厚生労働省が応援するのは当たり前ですよね。
じゃ、文部科学省はどうなの? 研究とか教育というと文科省でしょう? 例えば学校で保健室や養護の先生が、「エイズ学会に行ってみたい」と思って、校長先生に頼むとしますね。そのとき「ほう、文部科学省が応援してるんだね。じゃぁ許可しましょう。」と言いやすいというような意味があるんでしょうね。実は、文科省は日本エイズ学会学術集会の後援団体に名前を連ねるのはこれが初めてだったのです。へぇ~~。
あと58日になってしまった。
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1985年頃。当時の文献検索は、図書館に行って医学中央雑誌やIndex Medicsを手で調べることでしたが、エイズについてはKey Wordがついてなかったりで徒労に終わりました。コンピュータを使った検索が始まった頃で、DIALOGというシステムからアメリカ国立医学図書館のデータベース「MEDLINE」を検索できることがわかりました。製薬会社の人にお願いして「AIDS」でリストを作ってもらうと、1000件以上あることがわかり「アメリカにはこんなに情報がある!」と驚いたものです。
オンラインの医学文献検索がないかと調べたら、通産省の外郭団体でJICSTというシステム(現在はJST)が始まっていました。結局は値段が高く加入しませんでした。1987年に始まったばかりのパソコン通信NiftyServe(現在は@Nifty)に入会しました。自宅から電話でNiftyServeにつなぎ、さらにCompuServeに接続したらPaperChase(Massachusetts General Hospitalが開発)を利用することができました。PaperChaseはMEDLINEの検索ソフトでした。
1990年に、MEDLINEで「AIDS & Fever & Abdominal Pain」で検索したら30あまりの論文がヒットして「MAC」が載っていました。私が診ていた患者さんの病名を教えて貰ったと感じました。データベースは一定の形式をとったデータの固まりですが、その中から目的のものを探し出したり、並び替えたりする管理システムが必要です。情報は力に変わるのだと実感しました。
情報を馬鹿にすると情報に馬鹿にされます。昨日の常識は今日の非常識になるかもしれません。昨日の成功や失敗を今日・明日の患者さんのケアに役立てるのが情報なのだと感じています。今やインターネットにはPubMedがあるし、Google Scholarもありますね。
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25年あまり前、私は30才すぎの駆け出し血液内科医でした。血友病の患者さんの診療を担当しエイズと遭遇しました。最初は目の前のできごとが何であるのか、何をどうすればよいのか、まったくわからない状態で患者さんたちの病状は悪化していきました。知識は英語の文献コピイだけで、日本語で書かれた役に立つ教科書や参考書はありません。「情報が欲しい!」切実な思いでした。
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ある学会の会場の書籍販売コーナーで、初めてG. Wormserの教科書「AIDS and Other Manifestations of HIV Infection」を買って読んだときはびっくりしました。初版は1987年刊行ですが厚さは8センチぐらいあり、知らないことがたくさん系統立てて書かれていました。

駒込病院の味澤 篤先生にamfAR(American foundation of AIDS reseach:アメリカ エイズ研究財団)のTreatment Directoryを教えて貰いました。「頼んだら只で送ってくれますよ。」
いや、これにも驚きました。病態や診断についての記述は最小限。しかし治療については最新のレビューが治験の結果とともに述べられていました。今で言うEBM(証拠に基づく治療)の考え方でした。さらに現在募集されている治験のリスト、新薬の情報、アメリカの優先審査や拡大治験という仕組みが載っていました。満載されていました。患者さんの治療に役立てることができました。
その後、インターネットの時代になって、毎年世界中に届けられたTreatment Directoryは役割を終えました。
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いまさらですが、本会のメインテーマは「Step up! 情報と教育」としました。自分がいる所から一段上に登ろうという気持ちと、やっぱり正確な情報が欲しい、それを伝達していくのが大切だという思いを表現したものです。私が大学でエイズに関与するのは、やはり医療系の学生や医療者への教育=卒前卒後教育が仕事だと思っているからですね。
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エイズは個人の健康や生活の問題ばかりではなく、人間社会全体の歴史や文化に大きな影響を与えています。
日本のエイズ研究者の会合は1987年に京都でエイズ研究会として発足しました。京都会館で2会場だけでしたが、テレビカメラが沢山入りマスコミの注目も浴びました。臨床セッションの会場の中央最前列に血友病患者の石田吉明さんが陣取り、「もっと患者の僕らにわかりやすく説明してくれませんか」と発言され、大変驚きました。最新の情報が欲しいという切実な思いが伝わりました。
毎年、研究会を重ね、やがて研究会から学会に昇格しようとしたとき、「日本エイズ医学会」という名称が有力視されていました。ところが総会の場で「エイズは医学だけでは理解も制御もできない」という意見があがり、「医」を削除しました。研究会を立ち上げて引っぱって来たのは、基礎のウイルス学者たちでしたが、柔軟に受け入れて下さいました。
以後、日本エイズ学会は基礎的な生物科学や臨床医学にとどまらず、心理・社会的な関心を持った人たちもともに集う学際的な場として歩んでいます。年に1回の学術集会は、各分野の努力の成果が発表されます。同時にロビイや、休憩所や、会場周辺のあちこちで、他の地域の人たちとの情報交換や交流の輪ができます。初めて参加されたひと、遠慮せずに友だち作りをしてください。
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