猛暑が続く8月の始め、僕の定期往診の日の朝にPHSが鳴った。
70歳後半の在宅の患者が、朝から食事をあまり摂らないが、インスリンをどうしたらよいかという相談だった。1年少し前から2週間に1回の訪問診察をしている。糖尿病があり、左足を太ももから切断していて、日中はいつも車いすに乗っている。狭いアパート住まいなので、朝、定位置に車いすを置いたら、寝る時まで、同じ場所だ。週何回かは、デイケアのサービスを受けている。
主な介護人は奥さんだ。糖尿病の治療のために毎日、インスリンの注射が必要だ。インスリンを自分で注射するのを自己注射といって、今は、便利ないろんな注射器具が開発されている。でも、奥さんは少し認知症があって、これらの新しい注射器具を操作できない。ということで、看護師が昔ながらにインスリンの瓶から注射器に必要量を入れてセットしておいて、それを、奥さんがご主人に注射している。一度、ご主人が食事をとっていないのにインスリンを注射して、低血糖になって救急車で搬送されたことがある。そんなこともあって、奥さんが病院の方に電話してきた。
午後、このお宅を訪問すると、ご主人がいつもの定位置で、車いすの上でぐったりしている。やはり、朝からほとんど何も食べないという。部屋の中が異常に暑い。温度計をみると34℃となっている。「水分は」って聞くと、「できるだけ飲ますようにはしているが」と答えるが、「どのくらい」って、聞いても、はっきりしない。典型的な脱水症だ。僕は、点滴を始めるが、いつもは特別痛がりの患者さんも、針を刺しても反応がない。
奥さんに、「クーラーは」って聞いてみた。「クーラーはあるけど、主人が嫌いなもので」という返事。窓は開いているが、窓からは熱風が入ってくるだけで、風の通りも良くない。それにしても暑いと思って周りをみると、部屋の中にあるガスコンロでお湯を沸かしている。暑いはずだ。「クーラーをつけなきゃ」っていうと、しばらくして、申し訳なさそうに「実は、クーラーが壊れていて」という。
僕が、他の患者の往診をしている間に、ちょっと心配になり、電話を入れてみる。少し元気になって、ヨーグルトを食べたという。2時間ほどして、点滴の針を抜きに寄った時には、ずいぶん元気になっていたので一安心。
この時の往診件数は11軒。その内、クーラーが入っていなかった家は、この家を入れて3軒だった。残りの2軒はいずれも生活保護の家で、1軒はクーラーすらない。80歳前後の認知症の女性が、「暑い、暑い」と言って、扇風機の前に座っていた。このお宅の気温も34℃。もう1軒も80歳前後の慢性呼吸不全の生活保護の家。この家には、クーラーがあったが使用しておらす、窓を全開にして室内の気温は32℃。
それにしても、今年の夏の暑さは異常だ。多くの患者が救急車で搬送され、熱中症で死亡している。炎天下の重労働やスポーツは熱中症のリスクであるが、高齢者の世帯も熱中症のリスクである。加えて、認知機能が衰えると、暑さの感覚がなくなってくる。東京都の発表によると「東京都の7月17日から8月6日の死亡者は96人」で、「年齢別では65歳以上の高齢者が90・6%で、男女別では女性が61・5%だった。また、家族構成別では独居者が74%、発生場所は室内が95・8%と大半を占めていた。」という。都は「こまめな水分補給と冷房による室内の気温調節が重要。地域や親族の気配りで独居者の熱中症を予防できる」というが。
「冷房による室内の気温調節が重要」といっても、クーラーがない家はどうすればよい。そんなことが気になって、僕が外来で管理している生活保護の患者に、どうしているか聞いてみた。クーラーがあるのは約半分。クーラーがあっても、電気代がもったいないといって、使っていない家もある。「どうしてクーラーを使わないの」って聞いてみる。「クーラーが好きじゃなくて」。その返事が鬼門だ。電気代もばかにならない。
そして、「地域や親族の気配り」。これも、地域には、100歳を超える姿のない高齢者が住んでいる時代だ。経済的な厳しさが「いのち」を狙っている。もう自己責任ではすまされない問題だ。政治の力が問われている。
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どうも僕には永田町で使われている日本語が理解できない。 1月27日の衆議院予算委員会で長妻厚生労働大臣が「基本的に(介護保険適応の)病床を廃止というような方向性は変わりません」と答弁したという。僕は耳を疑った。 療養病床の削減に関しては、2006年の小泉内閣の時代に、医療「構造改革」の一環として、2011年度末までに医療療養病床を25万床から15万床に減らし、介護療養病床を13万床からゼロにするという方針を決定した。その後、国民や医療団体などの反対を受けて、医療療養病床を22万床程度残すという方針転換を行ったが、介護療養病床をなくするという方針は変わらなかった。 2009年の衆議院選挙の時、自公政権の社会保障費削減が争点となり、民主党は、選挙前の政策集に「療養病床を削減する介護療養病床再編計画を中止する」と明記し、マニフェストにも「療養病床削減計画を凍結」と書いた。当然、僕は、選挙での民主党の勝利によって、この政策が実行されるものと思っていた。いつ解凍されるか不安もあったが。 しかし、2010年1月14日開催された厚生労働省の全国厚生労働関係部局長会議では、「療養病床の再編成についての今後の対応」について、「療養病床の削減計画の凍結とは、介護療養病床を廃止するという方針を凍結することではなく、療養病床を22万床に機械的に削減しないことである」と説明があったという。 僕の日本語の知識では、「凍結」ということは、計画を一時行わないということである。ちょっと自信がないので、「大辞林」という辞書を開いてみた。「凍結」とは、「物事の解決・処理を一時的に保留の状態にすること」とあり、僕の理解と一致していた。そうであれば、「凍結」という表現を用いることは間違いで、「見直し」という表現になるのではないか。 療養病床とは、一般の人々には耳慣れない言葉であるが、急性期の治療を終えた入院患者が療養する慢性期の病床のことである。先の医療「構造改革」では、療養病床が社会的入院の温床になっており、これが日本の医療費の増加の一つの要因だとして、その削減を決めた。国の資料によれば、この療養病床の削減の方針が出された2006年当時75歳以上の高齢者は1200万人で、2030年には2200万人まで増加すると予想していた。高齢者の人口が増加するにもかかわらず、慢性期の患者が入院する療養病床を削減するということは、なんという愚策であろうか。 国は、そういう慢性期の患者は、介護施設や老人ホームなどの施設を含めた在宅に行けばよいという。しかし、特別養護老人ホームは待機者でいっぱい、老人保健施設は人出が足りなくて、医療依存のある患者や重度の介護の患者の入所を制限する。それでは、在宅での療養といっても、そこには、年老いた家族が披露困憊の状態で、介護心中、介護殺人という悲劇も発生している。療養病床の削減によって、行き場がなくなる患者が大勢生み出されることは明らかだ。 それにしても、「言葉」を大事にしてほしいと思う。財政的な理由により、約束した「療養病床の削減の凍結」ができないということであれば、そのように説明すればよいのではないか。「凍結」とは「機械的な削減はしない」ということ、と説明することは詭弁以外のなにものでもない。僕は永田町の日本語に怒っている。
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還暦というのは、干支が一巡し起算点となった干支に戻ることを意味し、自分がそのような歳になろうとは想像もつかないが、そろそろ停年という区切りに近づいていることには間違いない。人生の計というと、以前小学校の担任だった恩師が、私がその頃から医者になりたいと言っていたというから、私の人生の計は50年ということもできる。また、医学部に入学しどのような医者になるかと考え、「無差別平等の医療」に共感し、民医連の病院で仕事するということを決めて35年が経過するので、この期間を人生の計とすることもできる。人生においても計があるように、国家においても計があるべきである。「国家百年の計」と言われるように、国家の将来は長く、この程度の長期的なスパンで国の将来設計をしなければならないという意味であろう。百年というスパンは世の中の動きが早い現代においては無理かもしれないが、少なくとも、数十年の将来において、日本の国をどのようにしていくのかという計は必要である。「非常識」なある総理が、国民に給付金をばらまくという目先のことだけを考えて政治がおこなわれている現状は嘆かわしいばかりである。さて、医療においても計があるべきと考える。今日の医師不足に象徴されるような医療崩壊の危機は、まさに、この計の失敗から来ているといって過言ではない。1973年に1県1医科大設置を推進したが、その直後から「医師の増加は医療費の増加を招く」ということで医師数抑制の閣議決定を行った。そのために、現在OECDの中でも最低クラスという人口当たりの医師数になったのである。国民からの批判に対して、国は2009年の医学部入学定員を693人増やし8486人とした。従来の医師数を抑制するという方針から増員するという方針転換は歓迎するが、しかし、来年入学する医師が医師として働くことができる時期までは少なくとも10年を要する。10年後まで日本の医療は維持できるであろうか。70歳を過ぎる私たちにまで、現役でフルに働けといわれても身体がもたない。果たしてどの程度の医師数が必要なのだろうか。人口の高齢化とともに医療の需要が高まることには異論がない。現在75歳以上の「後期高齢者」は1200万人と言われている。国の予想によれば、20年後の2030年には2300万人に増加するという。その分、若年者の人口は減少するが、そのことを考慮しても1.5倍程度の医療の需要が増すことが予想される。ということは、1.5倍の医師を増加させても現状と変わらないということになる。超スピードで高齢化社会に突き進んだ日本が医師数を抑制している間、OECD各国は、これらの需要予測によって医師数を増加させてきた。それでも、現状の医療に十分な医師を確保していないという。国家百年の計、少なくとも近い将来の日本の医療を担うにふさわしい医師の養成を願いたいものである。
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先日、医師会から新年号に来年の干支にあたる会員が一言書くように指示され原稿を送った。そのテーマを「百年の計」とした。
政治は、将来を見越して政策を立てるべきであるという内容である。
全く、今の政権与党の右往左往ぶりには呆れてものが言えない。
つい1年前に言ってきたことが、舌の根も乾かないうちにころころ変わってしまう。
昨日、来年度の予算作成の基本が確立されたという。
2006年の小泉の「構造改革」の時に、日本の財政赤字を解消するために2012年までにプライマリーバランスを改善するとした。それによって、社会保障費を毎年2200億円削減し、公共事業を毎年3%削減することを決めた。
社会保障を毎年2200億円削減によって、日本の国の医療や福祉は崩壊寸前という状況になっている。日本の医療を救うためには、この社会保障費の削減をやめ、安心して医療や介護、福祉を受けることができるために、大幅な社会保障費を増額すべきであると考えている。来年は介護保険の改定の時期である。3%程度の引き上げが報じられているが、3%では焼け石に水である。少なくとも、この間2回にわたって、介護保険の報酬を引き下げてきたのを解消するレベルまで回復させる必要があると考えている。
その一方で、公共事業3%の削減の凍結も検討されているという。日本の公共事業は、削減されてきた現在においてもOECD各国のレベルよりかなり高くなっている。道路計画では、これから毎年6兆円の道路予算を使って、道路の整備を行うことが決まっている。こんな無駄使いはない。これに、さらに公共事業を上乗せするというのはもってのほかである。
国の経済状況が厳しい時だからこそ、きちっとした将来計画にのっとった政治が行われなければならない。財政の保障なしには、国の歳出はありえない。負担能力のあるところろが負担をし、きちっとした財政を確立しなければならない。一律2兆円ものお金を国民にばらまくのではなく、本当に必要なところに手をあてることが必要である。
どさくさにまぎれて、味噌もくそも一緒にする論議には賛成できない。
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昨日、88歳の母親から以下のようなメールが届きました。
「10月からの今後の年金天引きは無いとのことです。おまけに払いすぎだとして200円返還されるとか、どこの金融機関に返金すればよいか知らせるように通知がきました。何度こうした通知が来る事でしょう。この事務費も結構なものだろうと思います。」
本当に、後期高齢者医療制度をめぐる混乱は異常です。この制度を創設したために、国や自治体は、どれほどの事務費を使い、通信費を使っているのでしょうか。私の母親のように、年金の天引きが中止になった人も多いはずです。それまでの過不足を、またまた調整しなければなりません。母親のように、200円返還するために、いくらの手数料が必要なのでしょうか。本当に呆れてしまいます。
そして、先日、舛添厚労大臣は、後期高齢者医療制度に代わる新しい保険制度を考えるということを発表しました。後期高齢者保険制度については、06年に国会で強行採決される以前から、その制度設計そのものに大きな問題があると主張してきました。国や厚労省は、まったく「聞く耳」を持たずの態度で、「ちゃくちゃく」と準備してきたのです。国は、政策決定にあたっては、最近、各種の審議会や委員会を開催したり、公聴会、パブリックコメントを募集して、国民の意見を取り入れるようなポーズを示しています。でも、審議会のメンバーは、「御用委員」が中心で、国民各層の意見が入る余地はありません。公聴会も、以前明らかになったように、あらかじめ意見を調整した公聴会となっています。また、パブリックコメントも、先に結論ありきのプロセスでしかありません。
国の「国民無視」「世論無視」の姿勢が、このような事態を招いています。
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最近、医師不足に対して「臨床研修制度がその元凶である」という論調がとても強いように思います。確かに、臨床研修制度はその「引き金」の一つになったのかもしれませんが、その根本的な要因は、厚労省の「医師養成の抑制」であることは明らかです。OECD平均と比較して、人口1000人あたりの医師数は、2人とその平均3人を大きく下回っています。医師の養成は少なくとも10年を要するものであり、医師数は少なくとも10年後の日本の医療の現状を踏まえて、検討されるべきです。厚労省の予測でも、2030年には、日本の75歳以上の人口は、2200万人と予測しており、現状より1000万人増えるわけです。その医療を担うために医師がどれだけ必要か、医療内容がどのように変化するのか、などの視点です。高齢者の人口の増大は医療の需要を喚起し、かつ、その密度もとても高いものになります。当面、厚労省は医学部定員を600人ほど増やす方針を決定したそうですが、この程度の増員では、焼け石に水といった感じではないでしょうか。
もともと、この新臨床研修制度は、それまでの大学を中心としたストレート研修の矛盾を改善するために行われた制度です。それまでは、主として各科の医局に入局し、ある部分のみたけている専門医を養成する制度でした。それが、縦割り型の医療の弊害を生み、common diseaseにも対応できないという医師を養成してきました。これらを改善するために、新診療研修制度が発足したわけです。
この制度は、プログラム主義に偏ったきらいはありますが、医師の研修の場をいっきに変えることになります。総合的な臨床能力を養成するためには、大学病院が、もっとも「ふさわしくない」と、研修医から烙印をおされたわけです。それによって、大学に残る研修医は激減しました。
もう一度、ストレート研修的な研修プログラムを認めよう、大学病院に回帰させようというのは、全く、新臨床研修制度を準備してきたプロセスを踏みにじるものです。
この間、「臨床研修制度が医師不足の元凶である」という論議が多いわりには、どのような医師を養成してきたのかという中身の論議がほとんどみあたりません。私が勤務する病院も、研修医を受け入れていますが、ある部分に長けている研修医の養成には時間がかかるが、総合的という点では、私たちの時代と違って、立派な医師に成長しています。
現時点で必要なのは、どのような医師を養成してきたのかという中身の評価ではないでしょうか。この評価は、そう短時間に評価できるものではありませんが、臨床研修医を多く受け入れている臨研病院の責務と考えます。
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24日の朝日新聞に、後期高齢者医療制度の負担割合が明らかにされている。
制度「改正」なし 後期高齢者医療制度
税金 6兆5300億円 5兆9100億円 △6200億円
75歳未満の保険料負担分 3兆4400億円 3兆5500億円 +1100億円
75歳以上の保険料負担分 8800億円 8100億円 -700億円
本人の窓口負担 1兆200億円 1兆1000億円 +800億円
なんと、税金の投入だけが減って、後期高齢者、現役世代の支援が増えることになっている。
そして、これは06年に厚労省が試算したものだという。
私も厚労省の資料は、まめに見ている方だが、この資料は初めてである。
税金をもう少し細かくみていくと、現在の国保料の国庫負担は38.5%で、後期高齢者の国庫負担は3分の一で33.3%となる。これを金額に置き換えると、国庫負担が、4兆5700億円から3兆9400億円になる計算となる。なんと国の支出が6300億円減となり、税金の投入減6200億円を上回るではないか。
ということは、国の支出のみが大幅に減り、自治体も現役世代も後期高齢者も負担が増えるということになる。
朝日新聞によると、「今度は高齢者に集中的に税金を投入していこうと決めた」と福田首相が述べているという。もう少し、正確なデータで国民に説明しないと、国民は正しい判断ができない。
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後期高齢者医療制度に対する高齢者の怒りが高まっている。
保険料の負担増など、主として年金で生活する高齢者の生活やいのちを脅かすということが最大の要因であるが、この制度がもつ理念的な制度設計そのものにも要因があるのではないか。
75歳になると、すべての高齢者がそれぞれ被保険者となり、保険料を納付しなければならない。
日本の文化の中で、これまで、家族という単位が大切にされてきた。
諸外国においては、夫婦別姓ということが当たり前になっている時代にもかかわらず、日本の社会では受け入れられない。むしろ、前の首相が言ったように「美しき日本」の象徴のように、考えられている。私は、この考え方に同調するものではないが、一方では夫婦別姓などを認めず、家族という単位を重視する立場を堅持しながら、今回の後期高齢者保険制度は、75歳になると家族という単位から強制的に引き離してしまった。
公的な社会保障を削減し子どもが親を扶養することを奨励しておきながら、75歳になると子どもの扶養家族から強制的に切り離してしまった。
日本は、いつの間に、個人を尊重する社会に変貌してしまったのだろうか。
このような基本理念のちぐはぐさが、大きな混乱を招いているのではないだろうか。
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4月から後期高齢者医療制度が導入されて、大きな混乱を招いている。
政府は、ネーミングが悪いといって、「長寿医療制度」と呼び名を変え、見直しの作業を開始している。自民党では、堀内光雄・元総務会長が制度の凍結を求める論文を10日発売の文芸春秋6月号に寄稿したという。ハイリスクの高齢者だけの保健制度というのは、世界に類をみないもので、根本的な制度設計が間違っている。
そのような制度の問題点は別にして、4月以降、私の外来にこられている高齢者の表情が暗い。私は、後期高齢者医療制度が与えた最大の罪は、高齢者に「長生きすることはいけないことだ」というメッセージを与えたことではないかと思う。生産性が極めて低かった大昔は別かもしれないが、人類の歴史は「長寿を祝う」文化であった。日本でも、還暦、傘寿、米寿、白寿などの、節目節目のお祝いがあるのも、そのあらわれだろう。それが、「長生きは悪」というメッセージを与えてしまった。
先日、山形市で「孝行息子」と評判の高かった団塊世代の長男が、87歳の母親を絞殺し、自らもいのちを断ったという痛ましい事件が報道された。その長男は「ばっちゃも年金から天引きされる。なおさら生活が大変になる」といっていたという。
後期高齢者医療制度を見直したとしても、高齢者に与えたメッセージは消えることはない。このことが、トラウマとして高齢者の生きる力を奪い取ってしまわないか心配である。
このメッセージを払拭するためには、明確なメッセージを発しなければならない。
見直しではなく、中止・撤回が最低条件である。
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少し前に、日本の保険会社が十分説明せずに、保険金の支払いを拒否するという事件がありました。
国は、保険会社を厳しく指導し、保険会社もその指導にそって、保険金の支払いに応じましたね。
この4月から始まる後期高齢者保険制度は、まさに、そういう制度か十分説明しないで、強制的に実施するという、まさに国が行う「保険詐欺」のようなものです。
75歳以上の後期高齢者保険の対象者には、保険料がどうなるのか、まだ十分に知らされていません。
65歳から74歳までの障害をもつ前期高齢者も、基本は、この保険に入ることになります。石川県では、3月いっぱいまでに、どちらの保険に入るのか返事しろという通知を出しています。
数日前、この通知がきた2人の障害者の方から相談を受けました。
「どちらが得なのですか?」という相談です。
説明書を読んでもよくわかりません。はっきりしていることは、後期高齢者保険に入ると、今まで通り「障害者の補助を受けられる」、国保に残ったままだと「障害者の補助を受けられない場合がある」というおどし文句です。
実は、石川県では、1割の補助しかしないことを決めています。65歳から69歳の障害者は、3割負担になりますので、これは大変です。そこで、金沢市などの8つの自治体は、残りの2割の補助をして、今まで通り、負担なしでいくことを決めたそうです。
このような説明が全くないのです。
一体、保険料がどうなるのか、医療費の一部負担がどのようになるのか、全く、説明なしに、制度だけが開始するって、これは、「保険詐欺」ではないですか?。
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