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2010.01.18 06:59 |  閑話休題  |  回顧録  |  グリーヒル  | 推薦数 : 0

父の閉院

父は2009年12月に、43年続いたクリニックを閉じました。43年といえば、約半世紀となります。私にもさまざまな思い出があり、そして私を育ててもらった場所でもあります。

となれば、父と母の思いは、一晩で語りつくせる様なものではありませんが、そうした話をちょっとする機会が先日ありました。

開業までの人事の話、さまざまな患者様との出会い、開業してからのスタッフ苦労話、趣味の話、・・・・と。

私自身のことに関する苦労話は、伺えませんでしたが、私もそれなりに面倒をかけたことであろうと思っています。

父の話の中で印象的であったのは、43年間病気で休んだことがない、というものでした。無事これ名馬なり、というわけではないでしょうが、診療を続けるということは、鉄人の体が必要であろうと、改めて感じました。

スポーツ観戦とお酒と焼き肉を愛し、市内で開かれる学会に喜んで参加し、愛犬(昔は私の息子の愛犬でしたが、諸事情により里子ならぬ里犬となりました)を助手席に乗せて運転する、そうした日々を続ける父の健康がいつまでの続くことを切に願っています。

写真は、雪の日の午後となります。もうすっかり雪も解けましたが、寒い日が続きます。

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2009.11.25 06:22 |  回顧録  |  クリニック現況  |  グリーヒル  | 推薦数 : 0

引きこもってしまった

最近、本当に必要時以外遠出をすることがなくなりました。街に出ること自体も、余程理由がないと億劫です。

先日、久しぶりに気分転換に町中に、と向かったのですが、車の込み具合で嫌気がさして、途中で引き返しました。

また、とある日、友人と町中で会食の予定でした。しかし、お産の方が2名入院となり、キャンセルの連絡をしました。その日は、さらに1名の入院もあり、とてもいけるような状況ではありませんでした。

連休、ちょっと阿蘇でもいってみようかな、と思っていました。しかし、帝王切開1例、分娩1例、そして工事の確認と、結局出かけることも無く過ごす形となりました。

まあ、その分、事務手続きができたので(給与明細の発行、診断書の記入、クリニックの会計処理などなど)少し楽に放ったとはいえ、これはまたすぐたまる仕事でもあります。

本当に引きこもってしまった、というか、様々な関係でどこにも出られないような状況に自分自身を追い込んでしまった、というのが正解かもしれません。

そしてこの生活を続けざるを得ないのであれば、あとはそれを少しでも楽しむことでしょうから、”住めば都”化をすすめなくては、と。

23日天気の良い日にちょっとそとにでて、と。雲ひとつないいい天気でした。空の青と、建物の白の映える私の好きな構図です。

もう1枚は、11月27日openと掲示のある、近所のパン屋さん。どのようなパンができるのか、と少し楽しみにしています。

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2009.06.30 06:28 |  回顧録  |  クリニック現況  |  グリーヒル  | 推薦数 : 0

グリーンヒルにおいて

雨も降り続く6月最後の日となりました。いよいよ7月か、と。6月には6月の思いが、そして7月にはまたいろいろと、と。

さて、それはそれとして、グリーンヒルにおいてこれは良かった、これは悪かった、という点を私なりに整理していこうという自画自賛シリーズの始まり、始まりです。

なお、最近カメラが壊れたことと、この天候のせいで、新しい写真がありません。以前の写真を引っ張り出してつかおうかな、と思っていますので、ご了承ください。

 

家は3軒つくると、いいものになると聞いたような気がします。

私の場合は、1軒目は、とあるクリニック。立地から、基本的な設計、調度まで、紆余曲折ありながら、それなりものになったと思っています。これに費やした期間が、構想2年、建築8か月であったような。事情がありそこを離れることとなりました。私が離れたことで、くびきがとれ、さらにその施設はより一層繁盛し、新たな手が加わり、より魅力的な施設へと変貌したようです。

さて、それから私はとある地へと移りました。この地での経験は、それまでの経験と価値観を一転させるものでした。いろいろなクリニックを内部からみて、体験する機会でした。

このような使い方があり、これはすごい、あるいは、これはもったいない、と。まさか、その時点では再び開業する様な心境ではなかったので、純粋に私自身の興味によるものでした。

そしてその後の事情の変化により、再度開業を意識することとなり、再度その施設を検証し、また外部の施設を見て回ることとなりました。こうした構想の時期が2年と建築の時期が8か月となりました。

こうした経験が、すべていい方向に反映されているわけではないと思いますが、しかしこうして悩み、考えた季節は、今となっては貴重な経験でもあります。(同じ失敗をくりかえしていないかな、という一抹いや二抹以上の危惧はありますが・・・)

物は考えようといいますか・・・。回り道といえば回り道であり、その間に私の年齢が過ぎました。しかし、その間の経験が、この施設ではきっと役に立っている、と思っています。

もう不可能なことですが、もし3件目があるなら、と考えないわけではありません。当然私一人の力ではできませんが・・・。

ということで、3軒目は、現在の私の力だけで可能な、専用の犬小屋がほしいな、と思っています。これは子どもとの約束でもあるので・・・・。でも、どこに犬小屋を造るか、が問題となります。

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2008.02.09 07:52 |  閑話休題  |  回顧録  |  グリーヒル  | 推薦数 : 0

祝1000例

祝1000例といっても、これはグリーンヒルではなくては、以前私が勤めていた施設での話です。

私がその病院に勤めたころ、その病院で私なりにということで、内視鏡手術を数十例ほど行いました。私がその病院を離れ、後任の先生に腹腔鏡を託し、そしてその後任の先生の努力の結晶が1000例という数字になりました。

私は、本当にその端っこで、ささやかなものなのであり、その成果は基本的には、その先生の偉業です。おめでとうございます、A先生。

昨日は、その1000例達成の祝賀会があると、聞きちょっと参加してきました。病院の裏にある、居酒屋ということでしたが、手術室と、病棟のスタッフが参加し、貸しきり状態でした。

私にとって、懐かしい顔もありますが、どちらかというと新しい顔ばかりです。私がその病院に所属したのは、もう6-7年ほど前のことであり、私にとっては古きよき時代かな・・・。

手術は懐かしく楽しく、そして時に苦いものがあり、そしてそれ以外の面でも同様で、懐かしく、楽しく、そして苦いもののある、日赤時代でした。

帰り際に、私にまで花束をいただきました。私なんて本当に端っこで、いただく様なものでは、と思いましたが、皆様のお気持ちということで、いただきました。

どうもありがとうございました。

そして、これからも、熊本赤十字病院の手術室と産婦人科スタッフの皆様に幸多からんことを、さらに精進を重ねられて、2000例、3000例と積み重ねられことを願います。

また、その中心を担うA先生、その先生を支えられる部長のN・F先生やT先生他の皆様のご健勝を強く願っております。

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今日は台風接近中。雨風が強くなる中、建設していただいた小竹組の方が。てっきり、雨風対策の指導かと思ったら、樹木への指導でした。

実はクリニックに植栽された、樹木は移し変えられたのが3月で、まだ十分に根を張っている状態とは言いがたい。そうした状態に、散水が不十分で、葉先に勢いの無い、木が数本見受けられます。

またそうした木の根っこが露出されていることもあり、気になっていたので、植栽を担当した会社に確認をとお願いしていました。

診ていただき、土の追加は不要である。秋になれば、新しい芽がきっとでます、と説明?慰められた。

さらに芝生の手入れや、下草の手入れを薦められた。そのためには、肥料の混ざった土を頻回に薄く撒く必要がある、、撒いてください、と。

台風が過ぎれば、きっと枝がいくつかおれ、落ち葉が産卵していることでしょう。そうした清掃に加えて、散水、剪定、そして土まきが新たに加わりました。

上段の写真が元気がなくなってきた状態であり、下段が植栽直後の状態です。

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2007.07.12 08:25 |  閑話休題  |  回顧録  |  グリーヒル  | 推薦数 : 0

ファックスが届きました

以前私の勤務していた病院から、一通のファックスが届きました。とある方のその後の経過を伝えるものでした。

 

産婦人科は、人の誕生から旅立ちのときまでを看取る、貴重な診療科です。ただ、個人開業医では、終末医療を看板としない限り、看取る機会は少ないものです。

以前大きな病院に勤務していた時代には、癌の患者さんを受け持つこともあり、そうした機会もいくつかありました。しかし、そうした病院を退いてからは、そうした機会もなく、もっぱら誕生の場ばかりでした。

以前勤務していた施設は、病院であり、その関連施設に外科を含めた病院があり、そこにとある方がお見えになったので、約1年前でした。

終末医療機関を探して、来院され、いろいろな経緯があって、私が看ることになりました。話していると元気な方で、病気の存在を忘れてしまうくらいです。

病院側の協力もあり、訪問看護という形で3月まで看させて頂きました。私の退任にともなり、どのような形で今後看ていくかを本人と家族の方、そして病院側の医療スタッフと相談し、より終末医療で高名な施設を紹介することになりました。

私が熊本に来て、その方とも疎遠となり、どうされているかな、と思っていました。

先日もとの病院よりファックスが届きました。訃報の連絡でした。

その方を看取ることが出来なかったことは心残りです。しかし、渡した訪問した際には、家族と楽しそうに穏やかに過ごされていました。

その方の冥福をお祈りして。そして連絡を頂いた、元の施設のスタッフに感謝して。

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2007.02.02 13:25 |  回顧録  |  グリーヒル  | 推薦数 : 0

きっと私は・・・

昨日は現場会議でした。比較的スムーズに終わりましたが、それでも約2時間かかりました。

かかった理由の一つは、やはり私です。外部の世界を見て、現場と比較して、あれが気になる、これが気になる、と松山先生に連絡します。

そうすると、松山先生がそうした悩みに対して正直に検討して、いただく。一部はそのために変更になりました。

そうこうすることで時間がかかり、お金もかかります。なるべく余計なお金がかからないように、と思っています。しかし長い目で見たとき。どちらがお金がかからないのか、という議論になった時が大変です。

こうした議論で、建物への理解が深まり、愛着も深まると思うのですが、口うるさい私は、きっと敬遠されるているだろうな~、と。

でも、現実に建物ができ、そしてそのために背負った借金がすでに結構な額発生しています。その返済を考慮したとき、その返済が少しでも速くできるように、そして今後余計な出費がかからないようにと思うのは、当然のことかもしれません。

このクリニックを存続させ、借金をきちんと返済するためには、それなりの選択と努力が必要です。いろいろな選択は、本当に大変なことだと思っています。

中には苦渋の選択もあります。でもどちらかを選ばなければなりません。どうせ選ぶなら、賢明な選択をしたいものですが・・・。

写真を撮り忘れました。内部は、上段のような広々とした空間はもうありません。内部は下段のような軽量鉄骨による仕切りとボードが配置され、区画化されています。

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2006.10.04 21:58 |  回顧録  |  グリーヒル  | 推薦数 : 0

声の大きな先生の話 その3

私がこの先生に惹かれたのは、同じ高校の先輩で、学生時代からお世話になったということもあるかもしれません。

また、学年が近いこともあって、友人のような気安さでお酒を飲みに行ったことも多かったようです。

いまでも、その頃のことが話題にのぼります。同じ時代を生きたことであり、こちらの封印したいことを知られている、あるいは逆に知っていることでもあります。

秘密を共有する楽しみでしょうか。

 

大学に戻り、この先生の後で研究をしようかな、と悩みましたが、神の配剤で方向が異なりました。

そのおかげでいろいろな新たな先生とも出会えたし、この先生の厳しい直接の指導からのがれることもできました。

でも、それで回り道をしたのかもしれません。

私の場合この先生を恩師というよりも、よき助言を頂いた先輩という感覚ですが、本当に感謝しております。

きっと今日も、明日も、元気に後進のものを厳しく大きな声で指導されていることでしょう。

夜もふけた頃、医局で論文を書くと称して、いつの間にやら、数人でビールを飲んでいた頃が懐かしいな~。

 

写真は、電車が通り過ぎたあとの初秋の駅です。

 

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この先生からはいろいろなことを教えていただきました。

産婦人科的なこと、人との基本的なおつきあいのことや、外の病院に出て困った時によく相談してました。先輩として、友人として、同じ医師として、男性として、いろいろな面からご助言いただき、感謝しております。

さて、最近そうしたなかで、ちょっと感じることがありました。

 

私が産婦人科になった頃に学会場で、よく登場するのが、”私は元○○で、その当時こんな事があった”、と昔話をされるご高名な先生でした。確かにその先生が一生懸命されたから今日があるのは理解できます。

しかしそうやって昔ながらの経験談を話をされても、その場にふさわしくなかったり、ちょっと古い知識でいまでは別な考えになっていたり・・・。

こうしたことに本人が気づかないのは、悲しいことです。ましてこうした先生を、名医と慕って患者さんが受診していることを考えると・・・。

私もそのご高名な先生の年代となりした。以前の公立病院にいるつもりで、がんの精密検査で、声の大きな先生に相談したら、一言のもとに、専門施設に送るべきである、といわれました。

そのときはショックでしたが、考えてみればその通りです。クリニックを開業する、ということはそこで患者さんと接して、そこで話をして。最後まできちんと対応できるのであれば、ともかく、最初から異常に気づきながらそのまま診て、悪くなってから送る、というのでは開業医のあるべき姿とは異なるのでは、と思います。

開業医の技量は、そこですべてなんでも最後まで仕上げることではなくて、その見極めをして、適切な時期に、適切なところにおくること、ではなかろうか、と思います。

資格があって、そのトレーニングをきちんと行なっているのであれば、その資格に見合った対応をするべきである。単に資格があるだけで、なんでもしていいということはない、と強く感じました。

 

写真はピンクリボン運動協賛でピンク色の福岡タワーです。10月1日から10月7日まで、期間限定。

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2006.10.02 12:57 |  回顧録  |  グリーヒル  | 推薦数 : 0

声の大きな先生の話 その1

私は声が大きいと、患者さんから指摘されたことがあります。しかしこれは私に限らず、私の敬愛するとある先生も声が大きいといわれています。なかなかかっこいい先生で、声もいい響きです。

現在私の親戚が、この先生に診てもらっているのですが、先日診察時に私の話題が出た、とお聞きしました。そのときも、私の話題のせいか、声が大きかった、と。

この先生とのお付き合いも、大学以来ですから、かれこれ20年近く、いろいろとご指導いただきました。きっと今も、大きな声で厳しく指導されていることと、思います。

この先生の思い出は、一緒に酒飲んだ話もあれば、つらかった時に話を聞いていただいたことも、そして若干の苦い思いでも、あります。でもやはり、この先生に指導してもらってよかった、そしてメールでいろいろと相談できて、本当にいい先生に出会えてよかった、と思っています。

こうした先生は、他にも数名いらっしゃいますが、まずはこの先生をお話しましょう。

さて、写真は通勤途上にあるガソリン屋の看板です。この界隈は、激戦区のようであり、お互いの協定もあるようで、看板に表示されるガソリンのお値段は不思議なことにほぼ同一です。しかし、内部に入ると、微妙に値引きされていて、お値段が違います。

医療も同じかな、とふと感じました。ただ、ガソリンなら同じものと思いますが、医療の質と量は評価に困ります。単純に比較できませんが・・・。

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