日本ハムファイターズが優勝した。
ソフトバンクホークスファンの私であるが、パリーグの代表としてのファイターズを応援していた。そして、ファイターズはドラゴンズに勝った。
新庄選手は8回から涙・・・。
思わずもらい泣きしてしまった。
ヒルマン監督にインタビューをしているアナウンサーも涙声。きっと北海道の地元テレビ局の人なんだろう。
今年はホークスはファイターズに勝てなかったけど、日本全国で野球が盛り上がってうれしかった。
来年はホークスが日本一だ!
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今日、外科の最新の教科書を読む機会があった。いまさらながら、医学がここ10年で非常に進歩しているということを実感した。病気の治療法はさることながら、外科の処置ひとつにして大きく変わっている。
私が思う「この10年で外科に関することで大きく変わったこと」。
1)手術前の手洗いにブラシを使わなくなった。滅菌水を使わなくなった。
2)術後にガーゼ交換をせず、創保護材を張ったままにするようになった。
3)ドレーンが開放でなく、閉鎖式になった。
外科医の日常で煩雑だなあと思っていたこれらのことに最近時間がとられなくなってきた。朝の包交回診なんてチラッと創を見るだけであっという間に終わってしまう。ドレーンも閉鎖式であり、ガーゼを変える必要はない。
私が研修医だったころは、ガーゼ交換は研修医の大イベントで、汚い膿(らしきもの)がガーゼに付着していたら、ガーゼをくんくんとにおってみたりしたのものだ。「いまはそういうこともない。
その分外科が楽になったのかなな?と思ってもみたが、訴訟社会になったせいか、カルテの記載や承諾書などの類が増えていて、ちょうど減った時間分は仕事をしなくてはならないようにできている。
医学が進歩しても、医者の仕事が減るわけではないんだなあ。
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たまたま、NHKの番組のことを調べていたら、このページに行き当たった。
http://www3.nhk.or.jp/pr/keiei/shiryou/soukyoku/2006/09/003.pdf
NHKの秋のテーマが「地域医療の今」だったのだ。皆さんはすでにご存知だったかもしれないが、私は「なるほど。それで医療のことが多く取り上げられていたんだ」と思った。
ということは、冬になったらまた別のテーマが始まるということ。それまでに医療問題の現実をたくさん報道してほしいと思う。
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同じ思いをした人がある人数に増えると、臨界点に達してその思いがあっという間に広まるという。
いま、医師たちの間では同じ思いがあるのではないか。100匹目の猿になるように、思い続けていくことが大切だと思う。
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最近の医師たたきは医師に対するイメージが悪いことにひとつの原因があると思う。医療関係者以外は「医師はお金持ちの特権階級」と思っている。テレビに出てくる僻地医療にかかわる医師や救急病棟の医師はあくまで珍しいタイプの医師と思われているようだ。
医師の仕事は労働条件や報酬を考えるとボランティア活動に近くなっている。しかし、多くの人にとっては医師の仕事はあくまで「仕事」であって、お金を儲ける手段と考えている。医師の仕事に対して特別良いイメージはない。医師会も利権団体、圧力団体というネガティブイメージとして捉えられているし、学会となると医師以外にはまったく何をしているのかわからないところ、という感じだ。
はやいところ医師という仕事にポジティブなイメージをもってもらわなくてはならない。そのひとつの方法に医師会や学会などの医師団体が主導になって、社会奉仕活動を行うのはどうだろうか?
いままで医師たちは個人個人で医療ボランティア活動を行いそれなりに評価はされてきたが、社会的に大きな影響を与えるほどはなかった。医師会や学会が大きな社会貢献活動を行うことで、医師という職業が福祉やボランティアの意識が高い専門職であというイメージが定着してくるのではないかと思う。日本医師会が災害地に医師を派遣したり、日本癌学会が癌で親を亡くした子供をサポートする、などである。また、日本外科学会や内科学会が医師を志す若者に奨学金を出すなどもいいと思う。会員の任意の寄付で新たな基金を作っても良い。医師会や学会は医師である会員のためだけでなく、医療全体を良くする団体であるというアピールをするのである。
私は医師会会員ではないので、もしかしたら医師会はすでにそういう活動をしているのかももしれない。しかし、医師の私でも知らない活動では本当は意味がない。もっともっと世の中に知られる活動をする必要があると思う。
さすがお医者さんは違うね、という反応が帰ってくるようなそういう世の中だといいな、と思う。
(理想が大きすぎますかねえ・・・)
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医者と患者の関係が少し前は医者>>患者であったところが、最近は患者>医者となっているような気がする。
患者は病院のお客様と考える人が多くなったからだと思う。お客様なら丁重に扱われるべきだし、要求を通してもらうのが筋であろう。しかし、本来は医者と患者は対等にあるべきでお客様ではないと思う。どうしてか。あくまで医師は病気を治すのが仕事であるからだ。病気は要求をかなえて治るものではない。医師が厳しい態度にならなくてはならないときもある。
こういう仕事上の関係ってほかになにがあるかな、と考えてみた。教師と生徒の関係はそれに近いと思う。しかし私が一番近いと感じたのは、登山者とシェルパの関係のような気がした。
シェルパが医師、登山者は患者。登山者が登山をあきらめそうになるときは励まし、こちらの道を行きたいといわれても間違えであれば諭し、そうして二人で山を登る。シェルパを雇っているのが登山者でも山では上下関係はない。対等の関係である。
そういう関係が理想の医者、患者関係ではないかと思う。もしかしたら、登山はあきらめねばならないときもあるかもしれない。それでも一緒に登ってよかった、と思える関係を築いていくことが大切だと思う。
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先ほどまでこの番組を見ていた。
医師側からすると、まあまあ(完璧ではないけど)納得できる内容だった。
特に番組の終わり方が良かった。夕張市が病院問題の検討をまたしても「先送り」したことをコンサルタントが電話で聞き、驚いている顔を番組の最後に写した。この顔が印象的で、地方の医療がうまくいかない理由を的確にあらわすことに成功したと思う。
番組内で医師が金ではなく、情熱で動くことを表現してくれたこと、ある病院の副院長が厚生省などの医療行政が悪いのだ、と声を震わせていたところを放送したところ、住民が医療を考えなくては地域医療は成り立たないという問題提起がされていたことも良かったと思う。
番組自体はやや冗長な気がしたが、(もう少し掘り下げてほしいところもあったが)おおむね医療の問題点をわかりやすく解説してあった。
本来、自治体の長はその自治体の健康状態をキープする医師のような役割だと思う。健康状態を把握し、悪いところは治療し、良いところを伸ばし体力をつける。そういう役割をもっている。しかし、多くの自治体の長たちは破綻するまですべてを先延ばしにしてきた。そのような人に医師の考えはわからないのではないか?それが自治体病院が破綻する原因なのではないか、そういう感想をもった。
逆に、きちんとした健康管理ができる自治体の長は医療にも理解があるのかもしれない、と感じた。
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今日、昼食時に病院の喫茶室で雑誌を読んでいた。その中の記事に「昔はコックピットにお客様が入ることができて・・・」というフレーズがでてきた。そういうことができた時代もあったなあ・・・。
***
10年とすこし前のことだろうか?奮発してスーパーシートに乗っていた私にフライトアテンダントが声をかけてきた。
「もし興味がおありなら、コックピット入られませんか?」
そのとき、スーパーシートに乗っていたのは私だけであった。気流が非常に安定していたためか、機長が気を利かせて招待してくれたのだ。
こんな機会はめったにないと、私は喜んで入っていった。コックピットは思ったより明るくて、当たり前だが、前方はすべて窓。そして青空と雲。「きれいでしょう?」機長が私に言った。同じ飛行機の中にいても客席からみるのとはまったく違う光景で、自分が空を飛んでいるんだという実感があった。
それからしばらくたって、全日空機のハイジャック事件がおき、それを機会に乗客がコックピットに入ることができなくなった。
***
そういえばそのころ、医者がサービス業であるという認識はほとんどなかった。医者はすこしばかり偉そうにしていたほうがいいのだ、と先輩から聞かされていたし、患者さんも医師はそういうものだと思っていた。医者であることが誇らしく、人のために仕事をがんばるんだという意気込みがあった。
それがここ10年くらいで大きく変わった。医師は患者を患者様とよび、医師にも愛想が求められるようになった。医療過誤が大きく報道され、その結果、患者側は医療者への不信感を募らせた。なにかあると訴訟されるかも、とおびえつつ仕事を行うようになった。医者であることの誇りは急速に消えていった。
たった10年。しかし、この10年で日本は大きく変化したようだ。雑誌の記事を読み、隔世の感とはこういうことを言うのかな、と思いつつ昼食を食べた。
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教育改革が行われようとしている。
私は残念ながら子供を持っていないし、仕事で子供にも接することもほとんどない。しかし、日本、いや世界の今後を考えるとき、子供の教育は非常に大切なので子供たちの教育にはとても興味を持っている。
先日、英語教育に対する教師たちの意見がテレビで放送されていた。英語教育を小学校から行うべきなのか、小学校では国語を充実させるべきなのか、という内容であった。現実に小学校から英語教育を行っている公立校もあるらしい。
英語教育賛成派は、外国語は小さなときからやるほど身につくから小学校からはじめたほうが良いという。反対派は小学校のころから外国語を教えるより、日本語をきちんと教えるべきだ、という。
この意見は堂々巡りである。どちらの意見も自分の体験から得た感想を述べているだけで、客観的な根拠がないのもその理由であると思われる。
医学を含めて理系の学問では、比較検討は物事の効果を検討する必要最低限のものである。その方法は厳密でなくてはならない。私の経験ではこの薬は効いたからこの薬は良い、ということではだめなのだ(もちろん、医学の進歩はそういう事例の積み重ねではあったのだが)。
だから、小学校から英語を始めた群と国語を重点的に教えた群で成人になってどのくらい国語と英語の学力が違っていたか、ということを検証し、どちらが小学生にとって良いのか、そういうことから教育は決めるべきであると思う。大人の信条だけで小学生の将来を決めるのはどうだろうか?
私自身は幼稚園から英語を習っていた。だからといって、国語の能力が低かったとは思えない。それより、英語を学んだことによって外国に対する興味がわき、それで日本という国の良さも認識することができたと思う。
日本という国を認識したことで、日本語もしっかり勉強するきっかけになったし、歴史を知ることの必要性を知った。小さなころからのそういう感覚は無駄ではなかったと思っている。
小学生の時期は物を覚えることに対してはとても大きなキャパシティーを持っている。大人になってはできないことができる。日本語も外国語も同時に覚えることなど容易いことではないか?ヨーロッパなど多国語を小さなころから覚える国の人が自分の国の言葉を覚える能力が弱いという話は聞かない。
とはいえ、これはあくまで私見である。英語教育に関して教育者がすべきことは、2つの意見を対立させることではなく、客観的な評価をするということだ。英語を教えることで国語がだめになる、という客観的事実があるのなら、それは小学生に英語を教えない理由に十分になりうる。
そのような論点で子供の将来をきちんと考えてほしい。
(もしかしたら、私があまり教育の現場をしらないからこのような意見が言えるのかもしれない。もしご意見があればコメントに記入してもらいたい)
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