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先週の金曜日にフジTV系で放送されましたが、残念ながらボクは見ることはできませんでした。
『お母さん ぼくが生まれてごめんなさい』
ご覧になった方がいたら、どんな感じだったか、教えてください。
以前の記事で原作となった同じ題名の本を紹介したことがありますが、この本を読んだときは人目もはばからず大泣きしてしまいました。
関連する記事 → 2006-07-01 お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい
【出版社/著者からの内容紹介】 Amazon.co.jp より引用です
新聞・テレビで大反響!時を超えた愛と感動のノンフィクション
「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」
本書は、24年前にサンケイ出版で発刊されていた同書の復刊です。
なぜ、今、そんな昔の本が復刊されるのか?産経新聞の読書欄に載った
一つの投稿が、本書復刊のきっかけでした。石川県の美術館に展示されていた
本書に掲載されている詩に今どきの女子高生が感動して涙した、という内容です。
果たしてどのような詩なのか?という問い合わせ、投書が産経新聞に殺到しました。
それは、このような詩でした。
ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい
ぼくを背負う かあさんの
細いうなじに ぼくはいう
ぼくさえ 生まれなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って歩く 悲しさも
「かたわな子だね」とふりかえる
つめたい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれなかったら
ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが 大切で
悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり
*詩の中に不適切ととられかねない用語がありますが、
障害児本人の作品であり、原文を尊重しました。
産経新聞記者が調べた所、この詩はサンケイ出版で発刊されていた
この『おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい』に掲載されていた
ものということが判りました。
これは養護学校で言葉も十分に話せず手足も不自由な子供たちに言語教育を
していた向野先生が、脳性マヒの「やっちゃん」と一緒に作った詩でした。向野
先生があげる言葉に対し、表現したいことと一致すれば、目をぎゅっとつぶって
イエスのサイン、間違っていれば舌を出してノーのサインを送るという方法で、
詩作はすすめられたといいます。
生まれたときから重度の障害を持ったやっちゃんが、一生懸命、明るく生きた
15年間。そして、その死後、この詩が世間に与えた感動の輪などを余すことなく
描いた愛と感動のノンフィクション。時を経ての復刊です。
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↓続きはHPでの番組紹介です。
森昌子、22年ぶりの主演!
脳性マヒと闘う少年がつづった母への愛と感謝の詩…
金曜プレステージ
『お母さん ぼくが生まれてごめんなさい』
<2007年7月13日(金)21時〜22時52分放送>
今、こういう時代だからこそ観てほしい…
出会いは19歳の時に出演した『小川宏ショー』(昭和53年3月10日放送)。脳性マヒと必死に闘っていた香川康文さんは森昌子の大ファンだった。しかし無情にもこの世を去ってしまった康文さん…。
その後森昌子は康文さんが自分のことをつづった詩の存在を知り、天国にいる康文さんへ届けとばかりに番組で感謝の気持ちを歌にこめた。「康文さんが私の大ファンでよく『先生』を聴いてくれていたそうです。彼が亡くなって2年後に彼が書いたお母さんへの詩が出てきたのがきっかけで遠藤実先生に曲をつけていただき、小川宏ショーで歌わせていただいたんです」と森昌子は当時を振り返る。
そして月日はたち今度はドラマという舞台で康文さんと再会できた。「運命を感じました。長い年月がたってまた出会えたことは神様がそうさせてくれたのかなと…。私も母親になり今あらためてタイトルを見るとジーンと来ますね。当時15才の少年が『お母さん ぼくが生まれてごめんなさい』ということを感じていたことがすごいです。彼は感受性が豊かで感謝の気持ちをずっと持っていたんだなと思います。」
さらに今回は久々の主演ということにも注目が集まる。「最後に主演をやらせていただいたのは四半世紀ぐらい前かな(笑)?! 主演ということで良い意味で意識しますし、緊張もして、とにかく毎日一生懸命です。撮影前に実際に養護学校へ行って生徒さんともふれ合えましたし、そこで彼らからエネルギーをもらいましたし、生きることの素晴らしさなど肌で実感できて、結果自然体で演じさせていただいています。またこのドラマはとにかく今悩んでいる一人でも多くの方に観ていただきたいです。そしてとにかく何事もあきらめないでほしい、生きる希望を持ってほしいと思います。今こういう時代だからこそ観てほしいです」と“運命の作品”に対する想いを語った。
親子の深い愛情に感動を呼んだ『お母さん ぼくが生まれてごめんなさい』、森昌子が“本気”で演じたこの運命の作品、どうぞご注目下さい。
挟間忠行プロデューサーコメント
「今回のドラマで何より感じるのは、ドラマの主人公の少年と森昌子さんとの『運命』ともいえるめぐり合い。29年前、ワイドショーで少年の詩に曲が作られ、森さんが熱唱したのですが、まさか少年の母親役を演じるなどと、その時、森さん自身もまるで想像していなかったことでしょう。今回のドラマ化に当たって、紆余曲折、いろいろあったのですが、結果、森さんに決まったことに正直、私共も不思議なご縁を感じずにはいられません。普通女優は『素の芝居』に挑戦しますが、なかなか難しい。しかし今回彼女は見事に演じきりました。見ていて思わず引き込まれる森さんの魅力は『女優』を超えたといっても過言ではないでしょう。ぜひご覧下さい。」
【概要】
生まれついての脳性麻痺のため、手足のマヒを抱え、言語障害を持った香川康文(渡辺直樹)は、母・亜希子(森昌子)や弟・雄太(田中碧海)らの家族に支えられ明るい学生生活を送っていた。そんな康文の姿を見て、夢を捨てかけて自棄気味だった藤谷瞳(福田沙紀)も再び自分を取り戻していく。
しかし、康文は初恋に破れ、大切な友人を亡くすなど、思うに任せない厳しい現実に直面していくことになる。そんな中で、康文が思ったのは、それでもこんな自分を支えてくれている母に何とかしてこの気持ちを伝えたいという思いだった。
【あらすじ】
その日も康文(渡辺直樹)は、母・亜希子(森昌子)に車椅子を押してもらい、スクールバスの来るバス停へと向かっていた。すれ違う人々の目は、好奇と同情に満ち、亜希子は息子のことを気遣ったが、康文にはそれを困ったように笑い飛ばす強さを持ち合わせていた。
その直後、康文はゲームセンターで言い寄る男子を一蹴する一人の女の子を目撃する。赤い髪に派手なメーク。亜希子には、そんな少女と康文が、知り合いであるなど思いもしなかったが、康文にはその少女に見覚えがあるようだった。
康文の母・亜希子は、夫を亡くした後、仕出し弁当屋を切り盛りしながら、康文と雄太(田中碧海)を女手一つで育ててきた。弁当屋にはたよりになる従業員の大塚圭吾(鶴見辰吾)がいる。
早朝から炊き出しを始め、息子二人を学校へ送り出すまでの亜希子の朝は、まさに戦場だったが、明るい康文と兄思いの雄太のおかげで日々の暮らしは充分にしあわせだった。
康文の通う養護学校は、学習内容について個人指導プログラムが組まれている。虫や鳥の小屋があり、金魚鉢が置かれるなど、自然に囲まれた教室はジャングル教室と呼ばれている。そして、そこにはクラスのリーダー的市村さおり(斉藤舞花)、康文の親友の宇田川修司(十川史也)、知的障害を抱えながらも愛らしく、クラスのアイドル的存在の矢城薫(大森なるみ)がいた。
ある日、担任の向野幾世(伊藤かずえ)は、「家の外に出て友人を作る」という月の目標を掲げた。それぞれに障害を持つ生徒たちには大変なことにも思われたが、みんなはやる気満々でそれを実行に移し、次々と教室以外での友達を作っていった。そんな中、康文だけはいつまでも新しい友達ができたことを報告できずにいた。実は、康文はゲームセンターで出会った少女・藤谷瞳(福田沙紀)に会いに行き、懸命に友達になろうとしていたのだ。
それはちょうど一年前のことだった。康文は車椅子に乗った自分の傍らを颯爽と駆け抜けて行った陸上部の瞳と出会っていた。今ではすっかり外見が変わってしまい、走ることもやめてしまったらしい瞳のことを、康文は友達になって、何とか立ち直らせたいと思った。
夢はマラソン選手という康文にとって、走る瞳は、まぶしいあこがれの存在だったのだ。「かわ・い・そう…」そんな風に自分のことを言った康文に、瞳はたじろいだ。だがその後、二人の関係を知った亜希子が、わざと瞳に車椅子の康文のことを任せてくれたりもして、瞳の気持ちは次第に解きほぐされていくのだった。
そして、ついに康文のキャンプに瞳はボランティアとして参加するまでになった。この日、瞳に康文を託した亜希子は、いつも兄優先で我慢している雄太のためだけに一日を過ごした。
それから数日後。康文にようやくやってきたと思われた青春は、長くは続かなかった。瞳はキャンプに参加していたもう一人のボランティア室井大樹(福山一樹)に思いを寄せていたのだ。はしゃぐ瞳に、「お似・合い・だから…応援・する…」。康文はそういうのが精一杯だった。「頑張れ」と言ってあげられない。亜希子の気持ちも沈んでいた。
だがそれからしばらくして、康文はふたたび赤い髪に派手なメークに戻った瞳と出会った。一体なにがあったのだろう?
そして立て続けに、今度は康文と亜希子のみならず、向野や同じクラスの生徒たちを打ちのめす事件が起こったのだ。それは、薫と母の真由美(石井めぐみ)が心中を図ったというものだった…。
備考) [著者略歴]向野幾世
昭和11(1936)年、香川県生まれ。奈良女子大学文学部卒。国立教護事業職員養成所修了。肢体不自由児施設指導員や奈良県立明日香養護学校教諭、奈良県立障害児教育センター所長、西の京養護学校校長、奈良県立教育研究所障害児教育部長などを歴任。現在、奈良大学講師。一貫して、障害児の教育の機会拡大や、障害者と健常者の共生を目指してボランティアの育成や啓発・教育活動を展開。
98年、文部大臣より教育功労賞受賞。
主著に「いいんですか 車椅子の花嫁でも」(扶桑社)
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コメント
コメント一覧
コメントしたくて、迷いましたが、書きこみをしようと思います。
「ぼくが生まれて、ごめんなさい」。
申し訳ないんですが、私、タイトルがあんまりに衝撃的だったので、ドラマを見る気になりませんでした。
我が子から「生まれてごめんなさい」なんて言われたら、母親として本当に悲しいし、また、我が子を健康に産んであげられなかった自責に駆られてしまいます。
我が子が、たとえ、どんな姿であっても、「生まれてきて、ありがとう」・・・これが、母親の本音だと思います。
しかし、重い障害を持った我が子とともに生きることは、綺麗ごとだけでは済まないこともでしょう。でも、それでも、心の中では「あなたの笑顔が見たいから、支えていきたいんだよ」。・・・そうではないでしょうか・・・??
ドラマの方は、半分くらい見ました。最後まで見なかったのは、やっぱり「タイトルが辛すぎるから」です。
最後に、私が印象に残ったシーンを1つ書いておきます。
お母さんと一緒にお弁当を作りながら、お母さんを1人占めできる嬉しさをかみしめている、康文君の弟の姿です。
一部、弟がいじめに遭うなど、辛い場面も多かったけれど、康文君は本当は「お母さん、ぼくを産んでくれてありがとう」。そういいたかったのではないかと思います。でも、彼のお母さんを思う気持ちが「ごめんなさい」だったのかな、・・・とも思えます。
じつはボクも、イロイロと考え込んでしまいました。
最近、我が子の笑顔を見たのはいつ頃だったのだろうか・・・?
書きっぱなしではイケナイと思いつつ、こんなに時間が過ぎてしまいました (^_^;;
「ごめんなさい」と「ありがとう」は表裏一体なんだろうなぁ、って思っていましたが、それだけではなさそうで・・・。もう一度、本を読み返してみます。
これからも、よろしくお願いしますね。
コメントする記事を間違えて投稿しました。
こちらからは削除できないんですね。
書きたかったほうのコメントにはちゃんと書けました。
お手数かけてごめんなさい。
私は、この孫が人生を十二分に楽しめるように、そして人に引け目を感じないように、少しでも自分のできることをと思っています。
でも、ダウン症との付き合いは始めてですので、戸惑うことばかりです。
ダウン症の専門医のようですが、参考になることがあれば、お教え願います。
しばらくお休みをいただいていたので、お返事が遅くなり、すみませんでした。
小児科医であり、ダウン症児の父親でもある、という環境にようやく慣れてきたところです。これからも、よろしくお願いします。
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