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悲しい正月・・
皆さん、明けましておめでとうございます。
少しごぶさたしましたが、またボチボチ書いて行きたいと思います。
どうぞよろしくお願い致します。
さて、楽しいこともないわけではなかったものの...
いろいろとショッキングなことが次々と起こる年末年始でありました。
まあ、いきなり寒空の中、解雇された数万の非正規労働者の皆さんも身も心も凍える日々を過ごしておられます。自宅で家族と正月を迎えられた私は幸せなのだとつくづく思います。
それにしても....
天皇陛下が一般参賀で述べられたお言葉..
「厳しい経済情勢の中にあって、苦労多く新年を迎えている人々が多いのではないかと案じていますが、この年が国民にとり少しでもよい年になるよう願っています」
これがこの正月に聞いた最も温かい言葉だったかもしれません。政治的発言を禁じられている天皇のお言葉が、皮肉にも腐った政治家どもには発すことの出来ない慈愛を表現した、ということでしょう。
篤姫に魅了された国民は、雪崩を打って永田町に押し寄せ、『江戸城(国会議事堂か?、自民党本部か?)を明け渡せ!』『天皇の元に結集し、新しい国家を作るのだ!』『今こそ平成の大政奉還だ!』と叫び出すのではないか? と思ってしまうほどでした。
逆に言えば、それだけ、今の政治空白が国民に危機意識を植え付けているのでしょうね。あほう太郎はといえば、1/6の本会議でも、『矜持(きょうじ)』を振り回していたのですね。ま、あのひと、難しい言葉は『矜持(きょうじ)』しか知らんのでしょう。
(あ、私は天皇制復活論者ではありませんから。念のため。でも、陛下も美智子様もハンパではない平和主義者だと思っています。恐らく、日本の労働者だけでなく、ブラジル移民100周年を祝った直後、ほとんど企業のご都合で強引にブラジルの2世、3世を日本に呼んで働かせておきながら、大量に首を斬る大企業の仕打ちに心を痛めておられるのは間違いないでしょう。)
さて、私の周りで起こった悲しい出来事...。
月に1〜2回ご一緒するテニスメンバーの中で、私よりちょっと若いおばさんプレーヤーがいました。ヒザが悪くて思うように走れないけど、明るく一生懸命ボールを追っておられましたが...。年末のある日、突然、胸が苦しいと倒れ、救急病院へ搬送されたものの、頭から足までの超広範な解離性大動脈瘤だったそうで...、今も意識不明の重体だそうです。脳の障害がどれだけ重いのか私には情報がありませんが、とても悲しい..。
また、あるテニス好きの若夫婦がいました。どちらも現役のドクターです。どちらもとても腕のいいプレーヤーでした。ところが...
どうやら年末に離婚していたんですね..。周囲には、かなり前からおかしいと感じていたメンバーもいたようでしたが...、鈍感な私はわからなかった..。
(あ、今のところ、ウチは大丈夫です。開業のおかげでもうしばらくは生活に余裕なく、女房には辛い思いをさせましたが、何とかついて来てくれているようです...)
そして、さらに悲惨なのは...『とまと』さんが亡くなりました。1/4でした。
2007年12月頃、突然女房が数千万円と主な家財道具とともに消え、東京の一等地の高級マンショんにひとり取り残されました。国立有名大学に通っている2人の娘とも全く連絡がとれず、彼は途方に暮れていました。
超一流会社のエリートサラリーマンであった彼は、海外事業を展開していたときは年収3000万くらいはあった、日本に帰ってだいぶ減ったけど..と言っていましたが..。
その彼が2007年12月末に大病に掛かりました。私のところにも、「痛い、苦しい、どうしたらいい?」と連絡がありました。とにかく年末なので、救急病院に飛び込むしか仕方がない、と返事しました。そして、彼は年末に緊急入院し、手術を受けました。
そして闘病生活が始まりました。家族が誰もいない。彼は思い余って、知り合いの女性に懇願しました。この女性Aさんは、慈愛に満ちた女性で、『とまと』さんを見るに見かねて生活を助ける決断をしました。愛人とか彼女とかそんなものではなく、まさしく慈愛であったろうと思います。それから、彼女は1年近く彼の身の回りの世話をしました。
はっきり言って、『とまと』さんは、結構マイペースでわがままなところがあります。そのペースに疲れながら、自らも時に精神的に不安定になりながらも、それでも出来る範囲でお手伝いを続けていました。
その間、弁護士を通じて、離婚調停や財産分与の話が進んでいたということです。
で、悲劇は2008年の12月にやってきました。某大学病院で大きな治療を受け、その次の治療を考えているところへ、なんと、逃げた妻が戻って来たのです。妻は恐らく財産を心配したのでしょうね。Aさんに食って掛かり、『とまと』さんから徹底的に離す作戦に出たのです。そして、妻は元のマンションに戻って陣取り、『とまと』さんは自宅に戻ることも出来なくなったのです。せめて妻が『とまと』さんの世話をするなら、仕方ないといえないこともないのですが、実際には、『とまと』さんが望む介護はほとんどしなかったようです。
あまり書くと、妻側の弁護士から訴えられかねないので多くは語りませんが、12月8日頃民間病院へ移った『とまと』さんは、絶望と困惑の中から、どうしていいかわからない(なにせ、痛みなどで、自分で動くことがほとんどできないくらい弱っていたのは確かです。でも、大学病院では治療を続ければあと1年や2年は問題なく生きられる、と言われていたのですが。そして、『とまと』さんは、「きちんと知慮を受けて、年が明けたら、是非また支援してくれるみんなで顔を合わせメシでも食いましょう!」と言い続けていたのですが...)
民間病院へ移ってたった1週間で、彼からケータイ電話もメールも来なくなりました。心配はしていましたが、私もそう簡単に東京まで出掛けられる状況ではありません。で、ここからは推測ですが、どうやら『とまと』さんは、痛い痛いと騒ぐので、奥さんからの強い要望でモルヒネかなにかで鎮静させられたようです。モルヒネは徐々に増やされ、こんこんと眠り続け、死の前日に急変し、1/4に亡くなったようです。
彼はすぐ『痛い痛い!』と騒ぎます。でも、Aさんによれば、どんなに痛くても、一生懸命さすってあげればガマンをする人だったそうです。でも、ついぞ家族がつきっきりで看病することは全くなく、眠ったまま逝ってしまったそうです。
Aさんは、病院でもマンションでも奥さんに徹底的に排除されましたが、それでもあまりにかわいそうなので、お通夜に出掛けることにしました。ところが、奥さんがどう言いくるめたのか知りませんが、近所の奥様たちが、あなたにはお線香を上げてほしくないそうです、と門前払いをくらわしました。うわさによれば、『Aさんは悪い宗教に夫を勧誘しようとした悪い女よ』と言いふらした、ということですが、真偽はわかりません。
でも、一流企業戦士の通夜は、斎場の中でも最も狭くて安い12万円くらいの部屋でした。訪れた友人たちが驚いていたそうです。
何としても治療を続けて生き抜きたい、その本人の意思を踏みにじったのは誰なのか?
私には予想がつきますが、証拠がありません。これ以上言えないのが辛いです。
でも、きっと遺産の配分で、骨肉の争いが続くのではないか、そして、ヘタをすれば、善意の支持者Aさんに災難が降り掛かることはないのか? 『とまと』さんの弁護士が頑張ってくれることを願うのみです。
もしかしたら、今年、一緒にまた食事ができたかもしれませんね。昨秋京都へ来られた時、腰の痛みでタダ座っているだけでも脂汗を流し、それでも料理屋のコースを完食したくいしんぼの『とまと』さん、私は遠くにいて、何も出来ませんでした。こんなに早いお別れがくるなんて、誰も想像していませんでした。私はあなたの限られた余命の中で計画していた人生の楽しみをことごとく奪い取ったヤツが心から憎い!
おまえは人間じゃねえ。保険金さえもらえばよかったんだな。そういやおまえの実父の死も不審死だとして身内で争っているそうだな。まあ、カネのことはいいさ。でも、人生を奪うのは人として許せねえ! 最後の楽しみを奪うなんて許せねえ!
みなさんはどう思う?
『最後になりましたが、幾多のコメントをM3comのブログに贈ってくださったとまとさん、女房に逃げられた後のマンションに、2度も泊めてくれたとまとさん、夜遅くまで、「ボクはそんなに家族に悪いことをしたのかな? 不倫したわけでもないのに。まして一生懸命働いて、このマンションを買って、娘たちは一流大学に入れて、やるべきことはやったのに」なんて、ず〜っとぼやきながら、それでも社会情勢の分析などいっぱい教えてくれたとまとさん、あなたに出会えて良かったですよ。遠く京都より、冥福をお祈り致します。』
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コメント
コメント一覧
私も、ささやかながら彼の思い出があります。しばらくコメントを見ないなとは思っていたのですが、きっと私生活ではお元気にされているのだろうと信じておりました。
とまとさんのお話と近いことを、随分昔ですが聞いたことがあります。同じ会社の人だったんですけど、別れたその人の奥さんが、会社にも『どこの病院に入院しているんですか』などと、尋ねてくるようになったのです。
ありがちな話といえばそうなのかもしれません。こういうところで、人間の本質が出るんだろうな、と思ったりもします。
とまとさん、心よりご冥福をお祈りいたします。
「とまと」様のご冥福をお祈りいたします。
小生の知人は、故人が会社をつがせたご子息が通夜葬式になぜか出席されなかったそうです。
人知れぬ家庭の事情はあるのでしょうが......
それがなくなるのはとても寂しいことです。
ただ、手を合わせて御冥福を祈るばかりです。
医療に対する誤った世論が少なくない中で、この分野に深い関心と理解を頂いた御一人と思っていました・・・。
同氏独特の親近感あるコメントの復活を期待していたのは恐らく私だけではないでしょう・・・。
御友人を失ったTakechan先生様、御苦労様でした。先生の御尽力は故人のかけがえのない思い出となられたと信じます。とまと様が先生の千の風となられることを信じている私・・・。
PCの前で黙祷しているkamapapa
私の知る限り、彼は12月11日頃までは知人に元気な声で電話をしていたのです。それが14日か15日頃から鎮静剤を投与されるほどせん妄、興奮、耐えられない痛みが出たとは???
そして、鎮静剤を投与するかどうかは、戻って来た家族と主治医との相談で決まったことであって、本人の意思ではなかったはずです。
それが、いつまでも納得できない理由です。
もし、妻ではなく、この1年彼を支えた女性がそばにいたなら、絶対に鎮静剤で眠らせることはなかったでしょう。
やりきれない思いです。
私の方は、正月、レセチェックに年賀状のチェック、親族への挨拶、恒例の友人宅訪問、臨時の往診など、いろいろとありまして...冷静に考える余裕がありませんでした。
でも、考えるときっともっとハラがたってしまうでしょうね...。
とまとさんのコメントは独特でしたね。ただの酔っぱらいか食いしんぼがからんできたのか?、と思うようなコメントから、突然、専門家でないと知り得ない政治経済の動きの解説が出て来たり、世界情勢への深い洞察であったり、...。やはり何度も世界に出て勝負した企業戦士には違いなかったと思います。
でも、晩年はさびしい時間が多かったから..
Jさんのブログにはほんとに癒されたのだと思います。
ありがとうございます。
確かに複雑な家庭状況ってのが、あちこちにあるのは間違いがありません。
とまとさんも、財産を巡っては弁護士に一任していたと聞いていますが..
骨肉の争いが起こらないことを願うばかりです。
正月早々、ブログに立ち寄られた皆様をブルーにさせたら申し訳ないとは思いつつ....、変なこと書いたらあとで裁判にならへんか? などと心配されつつ...、それでも書かずにはおれなかった私でございます。
どうぞお許し下さいませ。
今は、とまと様から頂いた意見に対する、私の大変失礼なコメントのお返事とか、ああ、はぁ、はぁぁと言葉にならないことばかりなのですが。
お悔やみ申し上げます。
遊佐奈子
せんせいのところには、勝手に土足で走り回るような状況で、大変申し訳なく....と思いつつ、いい場所を提供して頂き、深く感謝する次第であります。
また、とまとさんの何とも言えないコメントに、先生がどう対応しようか困りながら書かれていた(でしょ?)こと、楽しかったです。
今は何を言っても『手遅れ』で、残念でなりません。
私も、ただご冥福を祈るばかりです。
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