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権丈語録より
私の記事ではよく権丈先生の発言を引き合いに出している。といっても、全部理解できている訳ではない。いや、全然理解は足らないのだと思うし、どうも意見が合わないと思うことも多い。しかし、先生の話には、あまたの御用学者とは全く違う独自の視点があると思えるし、聞き逃してはならないと思うのだ。
いよいよ、あのノーテンキ総理とおさらば出来る日も近づいたようだ。一気に政界再編とはいかないだろうと思っているのだが、近々あるはずの総選挙は、その第一歩となるはずである。私は、医師としてはもちろんのこと、一国民として、いくら何でももう少し弱者に陽が当たり、将来不安の少ない国づくりを為政者が成し遂げてくれることを願ってる。だから、きっと私たちの将来に役立つと思うことを取り上げていくつもりだ。
さあ、また、権丈語録より...。
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わたくしがやりたいことは、保育・教育、介護・医療のための資源を社会から優先的に 確保し、かつこれら対人サービスの平等消費が実現でき、さらに就業形態がたとえ非正規であったとしても賃金率(時間あたりの賃金)や社会保険の適用面で不利にならないという就業形態選択の自由が保障される社会をこの国が目指すように有権者を説得すること、そしてこうした社会を実現するために増税や社会保険料の引き上げをしても政治家がかわいそうな目に遭わない日本を政治家に準備することである。
そうした日本を、現在の与党、野党のいずれが利用してくれようとも、わたくしにとってはどっちでも良いと言えばどっ ちでも良く、ともに喜ばしいことである。わたくしの論に共鳴してくれる政治家を、ブリ ストルでのエドモンド・バークのような憂き目に遭わせては、彼らにとってもわたくしに とっても元も子もない。彼らが選挙で勝つことのできる政治環境の整備を、有権者の方を 向いて時間をかけてでも行うことが、おそらくわたくしの研究面における仕事なのであろ う。
「事件は現場で起きてるんだ!」
そしてここでひとつ付け加えておきたいことは、保育・教育、介護・医療に従事する有資格専門職者には、現場で起こっているできごとを、ひろく国民に伝える努力を、今よりも意識的にはかってほしいということである。言葉の定義上、素人には分からないことをやっているのが専門家であり、専門家が直面している問題は、素人にはなかなかみえない。
最近は、医療面では、小松秀樹氏の『医療崩壊--立ち去り型サボタージュとは何か?』のような、医師が現場で直面している問題を記した良質の本が世に出てもいる。長年、医療に関心をもってきたわたくしでさえも把握できていなかった諸問題が、この本には実に的確に描写されている。もっとも、<国民>と言っても、大衆層(mass public)が、こうい うハードカバーのしっかりした本を読まないことは分かっている。しかしながら、民主主義的意思決定で重要な役割をはたす関心層(attentive public)--わたくし流に表現すれば、 情報を司る職業に就く一票の重み以上のウェイトをもつ人たち--は、いくら他の先進国と比べたこの国のattentive publicのレベルの低さが言われているとしても、これくらいの難易度の本は理解できるだろう。
医療関係者と話をしていると、ここ数年の引上げのため先進国ではトップの水準となっている医療費自己負担額3に、他のさまざまな社会経済要因がからまった結果、この国ではすでに皆保険制度は崩壊しはじめ、医療を受けるも金次第の状況が広まりつつあるという実感をもっている人が大勢いるのに驚かされる。わたくしは学生に、ひろく政策、特に対人サービスにかかわる政策を研究をするのであれば3分の1ほどの努力はルポルタージュ的な視点に費やすようにと長年話してきているのであるが、学者も地から足が離れたお遊戯、現場を知らないままの空論にもとづく--余りにも当人には無意識のうちに多くの犠牲者を輩出してしまう--政策論議はほどほどにして、保育・教育、介護・医療などの有資格専門職者たちと協働のもと、彼らの現場でいったい何が起こっているのか、それはなぜなのか、彼らが現場で直面している状況は俯瞰的視野からながめればどのように位置づけられるのか、彼らの言い分に現場のエゴが働いていないかなどを思索と理論によって濾過した公平な論を作り、ひろく国民にそれを示すくらいの、少しは世の中のお役に立つような仕事をしようではないか。
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勿凝学問202
日本は小さすぎる福祉国家、低福祉国家であり中福祉国家ではない
社会保障国民会議での最後の発言
2008年11月27日
慶應義塾大学 商学部
教授 権丈善一
11月4日17時からの会議の場で、社会保障国民会議は最終報告書を提出して、その任務を終えた。この仕事を引き受けたとき、「教育再生会議のようになったりしてねっ(笑)」と言っては、かなりウケていたのであるが、まぁ、年金、医療・介護のシミュレーションも出すことができ、少なくともプロにはそのインパクトの大きさが理解される役割をはたしたようで、今の政治状況の中にあっては、この国民会議はそこそこの仕事はやったのではないかと思えなくはない。といっても、世の中にはこうした会議が存在していたことも知らなかった人の方が圧倒的に多いだろうし、まぁ、世の中、だいたいいつもそんなものだとも思うし、そういう環境の中で民主主義は動いている??というのが僕の基本的な認識でもある。先日の、全国医師会勤務医部会でまず話したことは、「投票者の合理的無知」と「資本主義的民主主義」であった。「投票者の合理的無知」については、再分配政策の政治経済学Ⅰ巻32頁の脚注10をご参照あれ。「資本主義的民主主義」については、いつかその気になったときにでもこの場で説明しましょう。
ところで今日、社会保障国民会議最終日の議事録がアップされていた・・・ので、僕が官邸で話をした生涯最後の発言(?)を紹介しておこうと思う。
10月30日の18時にはまった総理記者会見--18時10分にさしかかった頃、「わたしの目指す日本は、中福祉・中負担です。福祉に関して。中福祉でありながら低負担を続けることはできません・・・」と話をしていた麻生さんを前にしての発言を、どうぞ。
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●吉川座長 それでは、だんだん時間が迫っているんですが、権丈委員、それから竹中委員、いかがでしょうか。
●権丈委員 今、高木委員のほうから低負担・中福祉という話がされまして、皆さんも、よく低負担・中福祉とおっしゃっているんですけれども、この国は中福祉まで行っていません。負担の側面で言いますと、3週間くらい前の10月15日にOECDが2006年の租税社会保障負担のGDPに占める割合を報告したんですね。普通は、分母が国民所得の場合に国民負担率と呼んでいるのですが、分母がGDPでも国民負担率と考えていいです。この日本の国民負担率が2006年にはアメリカよりも低くなってまい、OECD30カ国で日本より負担率が小さな国は、韓国、トルコ、メキシコの3カ国だけになってしまいました。要するに、日本は極端に低い負担で、世界一の高齢化水準にある今の日本の社会保障を支えているわけです。あるべき医療・介護、あるべき少子化対策ということを考えながら、給付を増やしていかないと、まともな中福祉国家にはなりません。今後、社会保障の機能強化を図って中福祉になるためには、純粋に増えていく部分があるんですね。だから、今の状況を低負担・中福祉と言って、これを中負担・中福祉にしましょうということになると、赤字国債の部分を減らすためだけに負担を増やしていくと誤解される、つまり負担は増えてもネットでの社会保障でのリターンがないのかと受けとめられる可能性もありますので、非常にもったいないと思います。
北欧を高福祉、フランス、ドイツなど中欧あたりを中福祉とすると、この国は中福祉まで遠く及んでいません。と同時に、先ほど樋口委員がおっしゃったように、国民の高齢化率という社会保障のニーズを示す指標を考えますと、日本の高齢化水準は現在世界で一番なのに、日本よりもかなり若い国であるフランス、ドイツなどよりもはるかに低い福祉の水準でしかない。ゆえに、日本は小さすぎる福祉国家、低負担・低福祉国家と呼んで良いと思います。だから、医療も介護も崩壊しているのだし、少子化対策は手つかずのまま何十年も放置されてきたのです。この低負担・低福祉国家を中負担・中福祉国家にするということは、負担が増えるのみならず、しっかりとした社会保障の確立も国民に約束できる話になります。そのあたりをアピールしないのは実にもったいないということを、最後に述べさせていただきます。
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崩壊寸前、いや、部分的にはすでに崩壊している医療・介護、かけ声ばかりで何十年間も予算を付けないままの少子化対策の今日を、間違って「低負担・中福祉」と呼んでしまえば、今後「中福祉・中負担」を目指すと言っても、負担が増えるだけとしか受け止められず、誰も夢を抱かないだろう。そうではなく、この国は、これから先ず「低負担・低福祉」から「中負担・中福祉」国家を目指すのである。そこでは今よりも社会保障は確実に充実し、みんなの生活は必ず楽になる。
実は中負担を目指す日本が、現状を中福祉とみなすか低福祉とみなすかということは、今後の負担増分を、社会保障の機能強化に使うのか、それとも財政再建に使うのかという選択を、違った形で表現をしているに過ぎない。同床異夢の社会保障重視派と財政再建派は負担増を説くという同じ床に就くことができるが、まったく違った夢を見ている。いずれ社会保障重視派と財政再建派は袂を分かつ間柄なのである。麻生さんをはじめとした当日ご列席の閣僚の方々は、そのあたりきっと分かってくれたよね、I hope。。。
以上
参考資料
経済財政諮問会議(2008年11月20日開催) 安定財源の充当についての考え方
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さて、いまだ私の頭の中は、理解できたような出来てないような混沌に陥っているのだが....。
せっかく、権丈先生が日本の将来にとって良い道しるべを示してくれていると思うのに....、社会保障会議としての方向は、ちょっと違うみたいだね。
ま、座長が御用学者だから当然と言えば当然か...。
2025年度の医療・介護は?
団塊の医療・介護 充実へ改革案
政府の社会保障国民会議が先月、団塊の世代が75歳以上になる2025年度を見据えた社会保障制度の改革案をまとめました。社会保障の機能を強化し、あるべき将来像を実現した場合、国民の負担がどの程度になるかを試算しました。医療、介護についても、興味深い将来像が描かれています。
まず、現状の医療、介護について、不十分で非効率なサービス提供体制だと位置付けています。現在は、急性期、回復期の患者が同じ一般病床に混在しています。救急医療の人員が手薄で、患者のたらい回しが発生。医師の疲弊も問題になっています。十分なリハビリができず、在院日数も長期化しています。
介護でも、住み慣れた地域で暮らすための訪問介護や訪問看護が手薄で、グループホームや有料老人ホームなど介護付き住宅も不足しています。
「穏やか」「大胆」「さらに進んだ」と3通り示された改革案では、いずれも、医療の重点化と効率化を進め、介護との連携を強化する、としています。
このうち「大胆」な改革案によると、一般病床を急性期病床と回復期病床に分け、急性期の医師らを倍増させ、回復期ではリハビリスタッフらを3割増やします。脳卒中の患者らを発症早期から手厚く治療し、リハビリも充実させることで、退院を早めます。病床の利用効率が高まるため、現状維持の場合より少ない病床で高い効果を上げるとしています。
介護でも、24時間対応の在宅介護、在宅看護を増やし、医療が必要な高齢者でも在宅生活を送りやすくし、介護付き住宅も現在の3倍に増やします。こうした改革で、現状維持で25年度をむかえた場合に比べ、急性期の場合、平均在院日数が半減するとしています。
課題もあります。改革をした場合に必要な医療、介護スタッフは現状維持の場合と比べ100万人以上多い660万〜680万人。人員確保のためさらなる対策が求められます。
改革した場合に必要な公費や保険料などの合計は91兆円。公費分の39兆円を賄うには、消費税換算で4%分の財源が新たに必要になります。負担をどう分かち合うのか、試算をふまえ、議論を深めていくべきでしょう。(小山孝)
(2008年12月4日 読売新聞)
(さて、読売が書くからおかしいのか、社会保障会議そのものが歪んでいるのか、それはさておき、どうもこの最後の記事を読むと、方向性が歪められてるぞ...
これ以上、効率化を目指すと、いよいよ患者はモノとして扱われることになる。
介護付き住宅など、高いばっかりで、宮内のエサじゃないか?
権丈先生の意図は、さまざまなプラン作りである程度達成されたが、それを読み取る方が勝手な方向へ導こうとしているみたいだな...)
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コメント
コメント一覧
とりあえず官僚もさまざまな民間人登用会議も、東大法学部出身者の割合は1割以下に抑える、ということでもやらないとなんにも変わらないような気がします。
>>保育・教育、介護・医療に従事する有資格専門職者には、現場で起こっているできごとを、ひろく国民に伝える努力を、今よりも意識的にはかってほしいということである。言葉の定義上、素人には分からないことをやっているのが専門家であり、専門家が直面している問題は、素人にはなかなかみえない。
色んな絡みがあり、なかなかつたえられないんです。ひとつ間違えば「訴訟」という言葉がでてきます。それなら、、、自分で面倒を最後まで看てさしあげたら?と、言いたくなる気持ちをこらえながら、、、の状況です。身寄りがないとかならわかるのですけどね。 ハンド変えましたのでm(__)m
『変』な年、『変』な会議と、『変』な国
これ以上、国民いじめて国民疲弊させて、そんなに嬉しいんでしょうかね?
彩音さま、ありがとうございます。
で、彩音は何と読むのでしょうね?
あ、それはさておき、世の中には、家族に棄てられ、
1人で闘病するハメになってるのに、
善意の協力者を信じきれない人もいるようですね..
現実をしっかり見つめてほしいと感じていますけどね。
ご本人の意思がぐらついているようでは..周囲はどうしていいかわかりませんね...。難しい...
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