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至急、入院できる病院を!
一般的に言って、病院はヒトを病気から救うために存在します。無論、病気にならないために存在する面もありますが...。
救命センターがいつも頼りになるか、といえば、全く頼りにならない時もありますしね。政府の医療政策が最大の原因であることは確かですが、医療人として、今の制度がどうにも納得できない場面が多々あります。こんな医療を国民が望んでいるのでしょうか?
それとも、経済財政諮問会議の利己主義者たちが言うように、さらなる効率化をめざすのでしょうか? それで命が助かるならまだいいのですが...
今日は、3つの実話を紹介しましょう。
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1)救命センターに救急受診したが入院させてもらえなかった。
これは、前にブログに書いた症例です。
慢性膿胸を持つ老人男性。片肺はほとんど機能していませんでした。以前の主治医は、神経質すぎるくらい感染症に注意し、しょっちゅう検査をしていました。ちょっとのことで重症化する恐れがあるからです。
私のところに来るようになって数ヶ月後、発熱があり、当院で抗生剤治療を始めたのですがちょっと息苦しさを感じて某救命センターを受診しました。いわゆる大きな総合病院です。でも、これくらいなら、と自宅へ帰されました。
その二日後、高熱が出て、また某救命センターを受診しましたが、検査と治療を受けたものの、入院するほどでない、と自宅へ帰されました。しかし、まもなく40℃近く発熱し、呼吸困難が徐々に出てきました。不安に思った家族が私に連絡してきました。
私は3日ほど前の状態しか知りません。しかし、状況から容易に想像されることは、「ほっとけば絶対重症になる!」ということでした。すぐに、某救命センターよりは小さいですがほぼ総合病院となっている中規模の病院に電話をしました。入院が必要な状態だと思うと言いました。土曜日の夕方でした。
「お部屋がありますのですぐ来て下さい。」と当直医から返事がありましたので、すぐご家族に電話し、急いでその病院へ行くように伝えました。そして私も病院へ駆けつけ、当直の先生に経過を説明しました。ご家族も非常に感謝しておられました。
しかし、残念ながらその患者さんはわずか3日後に呼吸不全で亡くなられました。
ご遺族は、入院させてくれた中規模病院と私には心から感謝していると言って下さいました。また、高熱が出たら危ない病状であるにもかかわらず、2回も救急車で受診してもなお入院させてくれない某救命センターがなんと冷たいことか、と嘆いておられました。 また、私も、この患者さんが高熱を出したら危険だということが予測できないような医者を置いている救命センターに心底失望したのでした。
私の心の中には、救命センターは敷居が高い、よっぽどでないと入院させてくれない、中規模の病院の方がずっと親切だ、という現実が刻まれました。
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2)救命センターに門前払いされた認知症患者
90歳代の男性患者。認知症があり、自宅で昼夜逆転がひどく、家族が疲弊している状況でした。やむをえず、セレネースなどメジャートランキライザーを軸に睡眠が取れるようにと処方をあれこれお工夫していました。しかし、あるときから徐々に食欲がなくなり、元気もなくなってきました。鎮静剤による過鎮静になったらまずいな...と思う一方、ご家族からは、まだ夜全然寝ない日があって、対応に疲れ果てている、と伺い、悩みながら処方しました。また、食欲がなくなると水分も摂取しにくくなるのではないか、脱水にならないか、などいろいろと気になり、ご家族には、様子がおかしいと思ったらすぐ連絡するようお願いしました。
その5日後です。ご家族から電話が入り、昨日寝込んでから、全然起きて来ない、とのことです。あわてて往診に出掛けました。やはり、皮膚や口腔内は感想。微熱があり、呼びかけても全く起きません。痛みには反応しません。とりあえず抗生剤など点滴を始め、ご家族には、入院が必要だろうとお話をしました。ご家族も、このままでは心配だから入院させてほしいとおっしゃいました。土曜日の午後でした。
で、まずは、ご家族が希望された某救命センターへ連絡しました。ただし,ご家族には「救命センターは、認知症があって超高齢で、となると入院は厳しいかもしれませんよ。」と言っておきました。
で、電話で救急担当の医師に、病状を話し、超高齢でもあり、すでに食事水分が十分に入らない状態が何日か続いており、自宅で週明けまで放置するのは非常に危険だと、説明しました。しかし、返事は予想通りのものでした。「ご存知のように、この救命センターは、非常に危険な一刻を争う状態の患者さんを受入れるのが精一杯で、お話の範囲では、その患者様は、入院の対象にはなりません。大変申し訳ありませんが、他の病院をあたって頂けませんか。」
ま、予想通りでしたので、さっそく中規模の総合病院へ連絡をすると..
「お部屋がありましたので、すぐ来て下さい。」でした。
これは現在進行中の話しですので、今後どうなるかわかりませんが、ただの過鎮静ではなく、皮膚が少し黄色いみたいで...何かよからぬことが起こっているみたいです。
この症例により、感じたこと...。
やはり、でっかい救命センターなんて、あてにならん...。
今すぐ死にそうな患者が来た時はそれなりだが、数日の猶予がありそうだと、急に敷居が高くなる。まして、超高齢者や認知症となると、よほど死にかけるほど悪くなるまで入院させてもらえる可能性はないに等しい...。
(日本で一番人口当たり医師数の多い京都の、それも市内であっても...)
まあ、そう考えてため息をついて...
でも、さらに考えると、これこそ政府の目指す医療なんですよね...。
老人は長引くからむやみに入院させない。
認知症もやっかいだから入院させない。
救命センターは、今にも死にかかっている超重症だけみればいい。
それ以上の医師もベッドも不要。
医療費を無駄に使うな。患者の都合より効率だけを考えよ。
今後、さらに医師を救命センターに集約して、他の病院では救急を見られないようにすればいい。
東大吉川とか、国際基督教大学八代(もと通産官僚)とか、考えそうなこってす。
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3)これまた全く個人的な話ですが..
大切な友人が,困っています..。(東京人です。現役の会社員。)
大腸がんの手術をしましたが、肝転移があり、ときどき入院して化学療法をしています。
ところがこんどは腰痛です。腰椎がもともと悪いからだと本人は言っていましたが、今日になって骨転移がみつかりました...。
見つけてくれた大病院は...部屋がなくて当分入院不可だとか...。
●化学療法ができて
●放射線療法ができて、
●ペイン・クリニックというか疼痛緩和療法もできる..
そして、早急に入院措置がとれるような病院があれば...是非教えて下さい。
無論、東京都内かその周辺でないと無理ですが...
と、相談がありました...。
京都の私にまで相談してくるくらいだから、よほど切羽詰まっているんでしょうね。
とにかく友人知人を通じて、あちこちの大学の先生に連絡を取って必死に治療できる場所を探しているみたいです....。
大学病院などはたいてい部屋がいっぱいですよね...。
本人は、自宅でひとり寝たまま動けないほど痛みきっています。
痛みがちょっとやわらぐと、何とか短距離は歩けますが..
痛い時はひたすらうなっているようです...。
家族は離れてしまって...知人と兄弟の世話になってるみたいですが...
考えただけでも悲惨です...。
それでも、すぐには入院できない。適切な治療が出来ない。
これも大都会、東京の現実です...。
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あほう総理とバカ殿様..
我が家のソプラノ奥様は、夫(つまり私)が勤務医のときは、それなりにふつうの奥様であった。しかし、夫が開業したため毎月の経費支払い、生活費捻出に奔走する毎日となり、しだいに追いつめられるようになった。仕方なく神社仏閣に足を運び、しばし瞑想することが増えたという。すると、あ〜ら不思議、目をつむるといろんなものが浮かんでは消えることが多くなったという。あるときは聖徳太子、あるときは大黒様、またあるときはきつね様が浮かぶ、など、互いに関連のなさそうなものがいろいろと浮かぶんだって。
そこで自宅に戻ってネットでいろいろと調べていると、その日のテレビで放映する内容だったり、翌日の新聞に特集があったり...まあ、関連妄想的というか..予言者的というか...?、次第に予知夢的な状況になりつつあるという..。
ま、世間的には鈍感な夫に敏感な妻..かな?
あるいは、無心論者的な夫と信心深い妻..?
てなわけで、まるで話の噛み合ないこともしばしば(というか、奥様が目をキラキラさせて、目に浮かんだものを説明してくれても、私にはまるで????という感じ..)なのだが、今回は、彼女の話に私はぴくんと感じてしまった。
彼女は、突然、何の脈絡もなくこう言い放った。
「○○神社で拝んでたら、志村けんのバカ殿が出てきたんよ。そんで調べてみたら、バカ殿のモデルは徳川家重なんやて。でな、家重は増税して一揆がいっぱい起こったんやて。
消費税増税なんて、3年後でも絶対したらあかんわ。国民生活が3年でよくなるはずないし。やっぱり総理は『バカ殿様』やね♪〜」
は..? 『バカ殿様』? そ、そら、オレもそうやと思ってはいるが..なぜ、ウチの奥様はブロガーみたいな口を聞くねん??
すると、奥様はWikipediaのコピーを見せて、自慢げに次のような説明をしてくれた。
『志村けんのバカ殿様』のモデルは徳川 家重(江戸幕府の第九代将軍)。
家重は、病気もあったけど、幼少から大奥に籠りがちで酒色にふけって健康を害し、将軍には不適格だと言われていたが、長男ということで将軍にはなった。しかし、父の吉宗が推進した享保の改革のという負の遺産があった。家重の時代、幾つかの独自の経済政策を行ったが、負の遺産である享保の改革による増税策により一揆が続発し(直接には宝暦5年(1755年)の凶作がきっかけであるが、本質的には増税が原因である)、社会不安が増していった。
結局、家重は、非常に優秀な側近のおかげで実質的に統治を続けられたが、自分では何も出来なかったということ。
つまり、あほう総理とおんなじやね。負の遺産と増税で社会不安は増すばかりなんや。
う〜む。政治に疎い奥様だと思っていたけど、ポイントはついているぞ。あなどってはいかん...。
あほう総理様、今は、サイバー奥様が全国にいて、日々刻々と政治情勢も観察してるぞ。そればかりか、ウチの霊感奥様?みたいに、政治に無関心と思えた層まで、ネット調べて情報を得ている。コイズミの負の遺産の反省をしないうちにバラマキ政策したところで、3年後の消費税増税につながっている以上、国民はダマされませんよ。って〜か、追加経済対策とやらで、現在困っている人達はまるっきり救われないではありませんか?
そこそこカネのある人だけ救ったところで、社会不安が解消されるはずはないですよね? あなたが居座っている間、ず〜〜っと政治空白が続くだけなんですよ。
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<参考資料:Wikipediaより抜粋>
『志村けんのバカ殿様』(しむらけんのばかとのさま)は、フジテレビ系列で放送されているバラエティ番組である。単発の特別番組として年3回、特に1月、4月、10月頃に放送される。2006年4月12日の放送で20周年を迎え長寿番組となった。通称「バカ殿」。元々はTBS系の番組『8時だョ!全員集合』のコントの1つであった。本稿では特に断り書きの無い限りフジテレビ系列の独立した番組のことを記述する。志村藩の殿であるバカ殿を中心に、城内・城下で起こるさまざまな出来事を一連のコントとして番組化している。
殿(志村けん)
本名:志村 けんのすけ(しむら けんのすけ)、通称「バカ殿」。名前通りバカな殿。あまりのバカぶりに爺から「こんなバカは珍しい
珍バカだ!!」「バカのオリンピックに出たら金メダルが取れる」と評されるほどである。服は殿様らしいが顔は真っ白で口紅を塗っており、ちょんまげをしている。羽織る羽織の色は、初期は銀色系のものであったが、『8時だョ!全員集合』末期の頃から朱色系のものになった。下ネタとセクハラと悪戯が大好きで、城内にもからくりをたくさんしかけている。また、超オンチでもあり、宴会で吉幾三の「雪國」を歌ったところ、宴会場が半壊したこともあった。こんな殿様でも家来は沢山おり、誰もが忠臣ばかり。父親である先代の殿が名君だったためであり、いつも家老からはそのことを絡めて小言を言われている。親藩であり(その証拠に「丸に三つ葵」の徳川家の家紋が城内に見られる)、モデルは江戸幕府第9代将軍徳川家重である。幼名は「竹千代」。志村城の城主、志村藩12万石の領主(初期は50万石)。奥方はおらず、爺や家来からしばしば「いつ結婚するんだ」「早く結婚しろ」などと言われている。
徳川家重
徳川 家重(とくがわ いえしげ)は、日本の武士・江戸幕府の第九代将軍。
将軍になるまで
正徳元年12月21日(1712年1月28日)、御三家紀州藩の第5代藩主(後に第8代将軍)・徳川吉宗の長男として江戸赤坂の紀州藩邸で生まれる。母は側室・大久保氏(お須磨の方・深徳院)。幼名は長福丸(ながとみまる)。父・吉宗に正室との間の子がいなかったため世子とされた。
父・吉宗が将軍に就任すると同時に江戸城に入り、享保10年(1725年)に元服する。家重は生来虚弱の上、脳性麻痺とも推測されている障害により言語が不明瞭であった(『徳川実紀』には「御多病にて、御言葉さはやかならざりし故、近侍の臣といへども聞き取り奉る事難し」とある。)ため、幼少から大奥に籠りがちで酒色にふけって健康を害した。享保16年12月(1731年)、比宮増子と結婚した。
言語不明瞭に加え、猿楽(能)を好んで文武を怠ったため、文武に長けた次弟・徳川宗武と比べて将軍の継嗣として不適格と見られることも多く(一条兼香の日記『兼香公記』では「武道は修めるも文道に及ばず、酒色遊芸にふけり狩猟を好まず」とある。)、父・吉宗や幕閣を散々悩ましたとされる。このため、一時は老中・松平乗邑によって廃嫡されかけられたこともあった。しかし長子相続ということで、延享2年11月2日(1745年11月24日)に吉宗は隠居して大御所となり、家重は将軍職を譲られて第9代将軍に就任した。しかし宝暦元年(1751年)までは吉宗が大御所として実権を握り続けた。家重への将軍職継承は家重の長男・徳川家治が非常に聡明であったことも背景にあったと言われている。
将軍として
家重の時代は吉宗の推進した享保の改革の遺産があり、綱吉が創設した勘定吟味役を充実させ、現在の会計検査院に近い制度を確立する等、幾つかの独自の経済政策を行った。しかしながら負の遺産も背負うこととなり、享保の改革による増税策により一揆が続発し(直接には宝暦5年(1755年)の凶作がきっかけであるが、本質的には増税が原因である)、社会不安が増していった。
また、健康を害した後の家重はますます言語不明瞭が進み、側近の大岡忠光のみが聞き分けることが出来たため忠光を重用し、側用人制度を復活させた。田沼意次が大名に取り立てられたのも家重の時代である。(家重、大岡、田沼にあたるのが、自民党が誇るNASA(中川昭一、甘利、菅、麻生)ではね..、ご利益NASAげです...)
あ、補足でげすが...家重は、いろんな病気もあって、肖像画では常にひょっとこみたいな顔で描かれているそうです。そういえば、誰かさんも...(まあ、身体の特徴をあまりあげつらうことは...ですが..、でも、似てるって言えば似てるかな...)
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