| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | |||
| 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
| 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
| 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
| 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
白い廃墟
医療に携わる者として、どうしても気にしなければならないことのひとつに、大学病院の今後、という問題がある。医療費削減の影響のみならず、教育システムの改悪にも大きな影響を受け、今や破たん寸前と言っても過言ではない。
この、日本の政府は、厚労省は、文部科学省は、..本気で医療や教育を良くしようという気持ちが少しでもあるのだろうか..??
そして、ついに国立大学の学長までが、毅然として政府に異論を唱える状況になった。
がんの専門家でもある黒木登志夫岐阜大学学長が、日経に寄稿した記事には、国立大学附属病院の危機的状況が明確に述べられている。
以下、その記事の概要を提示する。
===============
国立大学附属病院は深刻な病におかされている。病名は「経営危機」、病因は医療と教育の重要性を考えない一律の「財政改革」。余命数年という深刻な状況である。
財政改革を象徴する主なキーナンバーは経営改善係数の2%で、これは過酷な制度である。病院の債務返還分を含めて交付金が配分されると、経営改善係数により病院収入の2%、岐阜大学の場合は2.1億円ずつ交付金が毎年減額され、その分収入増をはかる必要がある。実質的な返済額(元利合計)は、05年度7.5億円、06年度9.6億円、07年度11.7億円、09年度には15.8億円に達する。2%というが医療材料費などを含めると、実際には3.3%収入が増えないとノルマを達成できない。その上、医師、看護師など医療スタッフは、労働強化を強いられる。
それらの危機は、あらゆる所に及んでいる。臨床研究の論文は減少しているし、高度医療も機器の更新も困難になった。何より深刻なのは、これから病院を再開発しようにも不可能に近いことである。このまま放っておけば、結局は国民が不利益を被ることになる。教育と医療の重要性を考慮しない財政改革は、日本の将来に大きな影響を残すことは明らかである。
かつて「白い巨塔」と呼ばれた大学病院は、最も良心的な医療機関の一つに生まれ変わった。しかし、このままでは国立大学附属病院は「白い廃墟」となるであろう。
===============
さて、こちらは、たかが開業医ふぜい...、大学病院のことなどあれこれ言う立場ではないかもしれぬ。しかし、国立ではなくとも、医者はみんな医学部に入り、大学病院の医師の指導を受ける。開業医の中には、かつて大学病院で大活躍した人材もいる。
大学病院に嫌な思いをさせられた、いや、人生変えさせられた、などと恨みつらみを持つ医者もいることは先刻ご承知だが...それでも、大学病院はわれわれ医師のルーツみたいなもの。そして、大学病院が機能しなければ、いい医者を育てるのも難しい。
問題は...いろんな問題を抱えながらも、それでも重要であることは間違いのない大学病院....その存在は、コイズミ−安倍改革がこのまま進行する限りは、「白い廃墟」に近づいてゆく、ということだろう。
構造改革、という改革の皮をかぶった暴走列車を一刻も速く停止させ、国民が安心できる新線へと路線の移動をさせるか、さもなくば、暴走列車をぶちこわし、国民と並走できる列車に乗り換えるか....いずれにしても、今のまま進んでも、先には破壊,崩壊しか見えて来ない。この学長先生の思い切った発言は、大学だけでなく、多くの医療関係者にとっても他人事ではない。そうだ、日医もせめてこれくらいの発言はしてくれよ。
固定リンク | コメント (3) | トラックバック (0)
猛暑の中、友人との雑談会
気温37.7℃を記録した京都市。ちょっと外出するだけで、くらくらしそうだ。でも、夕方、古い友人たちと久しぶりに雑談。友人の娘さんがバイトしてるという近所の居酒屋へ。
<登場人物>
M教師(高校社会科教諭)
I教師(高校理科教諭)
S社長(中小企業社長)
H社員(一部上場企業社員)
そして、私、DrTakechan
今回は、主に友人たちの会話・・・・
M教師「H社員どうや、50過ぎて子育てするんは?」
H社員「毎日大変や。夜泣きするし、ボクは夜型やし。寝てすぐ起こされてだっこして、やっと寝さしたら、もうあんまり寝られへん・・・。腕も痛いし。肩も腰もパンパンや。」
DrTakechan「そら、作ったら責任持たなしゃ〜ないな。」
I教師「DrTakechanとこもまだ子供中学やないか。ワシらからみたら一世代遅いねん。」
S社長「うちはもうすぐ子供大学出て、手が離れるんや。おたくらこれから大変やね。もう、この年で赤ん坊の世話なんかできひん。」
M教師「そうや、ええ方法教えよか。テレビを空いたチャンネルに変えて、シャーっちゅう音させるんや。赤ん坊は、その音にものすごう注目するで。シャーを聞かせてたらおとなしゅうなるし、すぐ寝るで。何でも胎内で聞く音に似てるらしいな。」
DrTakechan「そら、ええで。きっと楽になるで。ついでに仕事で使うパソコン画面、水平よりちょっと下に見下ろす位置にしたら楽になるで。それでまた肩も腰もパンパンやったら、ウチで治療するで。」
M教師「それがええ、俺も今やDrTakechanの患者や。」
H社員「僕もや。S社長も通院してるんちゃうんか?」
S社長「いやあ、今、薬代もったいないし、自分で摂生してるんや。年金問題の影響大きいで。あれから注文ガタッと減ってるねん。」
M教師「お前んとこの会社まで影響受けてるんか。ありゃひどい話や。」
H社員「やっぱり年金、医療とかは、国が守らなあかんのや。」
DrTakechan「へ〜。やっぱり大企業社員もそう思うか?」
S社長「そらそうやろ。ところで一番メタボのI教師、お前DrTakechanとこ行ってへんのか?」
I教師「ああ、そのうち行くわ。それでも今、プール行って運動してるんや。ちょっとだけ血圧下がったで。」
==============
次の話はM教師、I教師、H社員の想い出...。私とS社長には縁がなかった..
M教師「ところで、高3のとき高浜行ったな。あれ、ひどかったな。」
I教師「あんとき、一人5000円だけ持って出かけたんや。Hが借りてきたボート、救命ボートみたいなゴムのやつ、あれメチャメチャ重かったのに俺一人で死にそうになりながら担いで列車乗って...ほんで海へ着いてふくらませたら、穴開いてたやんけ。Hのやつ、あかん、使えへん!、やて。ええかげんにせ〜!っちゅうねん。」
H社員「あのとき、着いたらテントたてられる場所なかったやんけ。」
M教師「ああ、あれは、俺が地図見て、ここがええ!、って言うたんや。」
I教師「そやから傾斜地にテント立てて寝たんや。そしたら、寝てる間に上からちょっとずつ転がってきやがって、俺一番下で、目が覚めたらみんなで俺を下に押し付けてたんや。」
M教師「ほんで、ホエブスで湯を沸かしてソーメン作ろ〜としたらホエブス壊れてて火イ着かんかったんや。あの頃カネなかったからカレーライスとライス注文して、400円と100円や。あれで空腹満たしたんや。」
I教師「あんとき、タバコ覚えてしもたから出費が重なったんや。ハイライト70円やった。」
H社員「女子大生と結構意気投合したな。」
I教師「あのころ、ヒゲはやして、俺ら、たばこスパスパ吸うて、女子大生が、明日は?とか聞くから、明日は京都へ帰って補修です。俺ら、高校3年生で〜す!、て言うたら、女子大生、え”〜〜!!?、って叫んでたよな。」
M教師「そらびっくりやろ。ど〜見ても高校生の態度ちゃうで。」
H社員「そやけど、あの頃、同級生の女の子もよ〜ついてきたな。」
M教師「ああ、LとUとKなあ。そういえば、あのとき、Lはビキニ着てたんや。そんで、ビキニ干したら盗まれたんや。」
I教師「よ〜覚えてんな。ホンマに盗まれたんかいな?」
M教師「ほんまや。でもな〜、あの頃、親は俺らが海行くの、ようOKしたなあ。危険と思わんかったんやろか?」
H社員「ケータイもない時代やで、言うたところとちがうところでテント張ったりして...。カネも大して持たんと。親はよう許したと思うで。」
DrTakechan「ま〜、Hするようなメンツではないが、親も心配やったやろな。そやけど、ウチの子みたいに、ゲーム、ネット、テレビに一日中夢中でいたらかえって心配やで。外へ出ていく方がまだ健康的やな。」
S社長「でも、タバコはいかんやろ。高3やしな。」
M教師「俺らの時代は、ショージキやったんや。カネがなかったら、ないように行動するし、他人に悪いことはせんかったし、それなりに責任もってたつもりやで。」
============
想い出話は尽きません。私の知らない話題はちとサビシイが...でも、昔の友人はありがたい。みんな、順番に?ウチの患者にもなってくれるようだし...、まあ、気兼ねなくホンネでしゃべれるのがうれしいですね。先日、上七軒のビアガーデンを紹介してくれた友人は、この会には参加してませんが、昔話のネタにはなってくれました。
とりとめのない話はこのくらいで....
固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
炎天下のテニス
テニスってのは、灼熱の太陽のもと、炎天下でやるスポーツだ!
これは、学生時代の話。
たしかに、学生時代の一大イベントは、夏に行われる西医体(西日本医学部総合体育大会...だったかな??)。
真夏の炎天下でテニスができなけりゃ、勝利はありえなかった...。
そして、そのための夏合宿は...きついものだった。
最も過酷だったのは...私が3回生くらいだったかな?
丹波自然運動公園で7日くらいの合宿があり、朝から晩まで練習。
でも、その年は、一度もまともな雨が降らず...テニスコートには、木陰というものがほとんどなく、ほぼ一日中炎天下で過ごす....
たしか、30名ほどの部員のうち、5名くらいが体調不良となり、帰宅した...。
===========
あれはもう30年も前の話になってしまったのか...
勤務医生活が続いていた時、それでも1か月か2か月に1回はテニスをしていたが..
年々体力は落ち、ほとんどナイター専門...
炎天下でテニス!?・・・そ、そんなムチャな!
と言うくらいの変ぼうを遂げた。
まあ、考えてみりゃ、学生時代63kgくらいだった体重は77kgくらいに増えてたし..
ふだんの運動が足りないので、ムチャはできない状態だった。
============
でも、3年前、学生時代からのテニス仲間の勧めで、思いきって某テニスクラブの会員になった。
毎週、日曜の午後にメンバーが集まってくる。さすがに毎週参加はできない状況だが...それでも月に2回ぐらいは、真っ昼間にテニスをすることとなった。
メンバーが集まれば、すぐにダブルス。3〜4時間で、4〜5セットの試合。
オーナー夫婦が言う。
「3年前、先生が来たときは、足元ヨレヨレやったなあ。クラブに入って、すぐ夏やったやろ。もうボロボロやったで。それに比べて、今は見違えるわ。よう動けるようになったなあ。」
そう、決して上手でもないが、体は動くようになった。
京都は昨日37.7℃!、そして、今日も35℃台の気温を記録した。
この炎天下で、とりあえず、ダブルス3セットをこなした。
約束があったので、それでやめたが、体力的には、あと2セットくらい、何とか対応できそうだった。
無理はよくないが、それでも、真夏の炎天下でテニスができる...
それは、何となく懐かしく、憧れていたものに近付けたような、そんな満足感を与えてくれるものだった。
私の体重は、勤務医時代から3〜4kgは減った。まだ、学生時代とは10kgの差があるが、あの、うっとうしいメタボ検診に引っかからないよう、気持ちと体を引き締めたいと思う。(なにせ、クラブ じゃ、還暦過ぎたメンバーが、私より元気に駆けずり回ってるから....まだもう少し出来るはずだ...そう信じたい)
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)