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ホスピスで死ぬこと
GWが終わるとともに、オジがこの世を去った。元気で明るくて、まっすぐで、純朴で自由な人、こよなく山とスキーを愛したオジだった。
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オジとは、私の母の妹の旦那さん。母の妹(オバ)も明るく正直な人。山を愛した二人は結ばれ、子供はいなかったがその分二人の生活を存分に楽しんだように思えた。
ふたりは細々と印刷業を営んでいた。業界の組合に入ると、バカ高い協定料金を守らねばならないが、価格が高すぎる、と組合には入らず、予備校のテキストを作るなど、固定客を掴んで地道に生きていた。私もかつて、大学のクラブの後援会でつくる雑誌などをお願いしたことがあった。
山歩きの得意なオバの案内で、家族で白馬岳に登ったことがあった。
山もスキーも得意なふたりにスキーを指導してもらったことがあった。
ふたりして、スキーの指導員の資格も持っていた。
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あるとき、何を思ったか、オジはひとりでパラオ諸島へ渡り、持ち前の人なつっこさで現地の人々と交流し、海産物を日本へ輸出する仕事を始めた。しかし、間もなく大資本が入ってきて、その仕事をあきらめて日本へ帰ってきた。その間、オバは黙々と印刷業を続け、家計を助けていた。
またあるとき、オジは丹波の山奥に土地と倉庫を買い、マッシュルームの栽培に取り組んだ。試行錯誤しながら栽培に成功し、とても立派なマッシュルームを収穫した。オジは勇んで市場へ運んだ。しかし、市場では、「あんなあ〜、マッシュルームは小振りなのが売れるんや。あんたとこのおばけみたいにデッかいマッシュルームは、気持ち悪うて誰も買わへんよ...。」
あかんわ、大失敗や...とオジは笑っていた。そして、間もなくその計画も頓挫。
つぎにオジが目指したのは、イカの塩辛つくり。大量にイカや麹を買ってビンに詰め、失敗した、といっては全部捨てて...
何度か繰り返して、結局あきらめた。
オバは、「いろいろやってみたいことがあるんやねえ。」と笑っていた。
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あるとき、オバはステンドグラスに興味を持ちはじめ、徐々に作品をたくさん作るようになった。私もその作品のランプをもらったことがある。
そして、数年遅れてオジもステンドグラスの魅力に取り付かれ、ついには、某新聞社の趣味の教室の講師まで務めるようになった。
平和な日々が続いている、そう周囲が信じていたときに異変が起こった。オジは、どうも胃の具合が悪い、というので某大病院を受診した。そして、胃癌、それも遠隔転移を伴う進行癌と診断された。およそ1年前のことだった。いろいろいきさつはあったが、食事が入らないと困る、ということで手術を受けた。胃全摘である。
しかし、術後の化学療法は拒否した。一度は私に相談があり、私から信頼する外科医へ紹介し、セカンドオピニオンを受けた。そして、やっぱり、一切抗ガン剤治療はしない、と決心したようだった。
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余命は早くて2か月、長くて半年、と言われたそうだが、結局、オジはそれから約1年生き延びた。調子を崩して某大病院に短期入院することはあったが、徐々に弱ってゆくからだと戦いながら、生き続けた。約1か月前、主治医に勧められたホスピスに入院した。ふたりで相談して決めたという。自宅では、オバの負担が重すぎることもあったのかもしれない。
体力は落ち、食欲は落ち、むせるようになり、やせ細り、ホスピスでは転倒するようになったと聞いた。それでも2週間ほど前、ふたりで我が家にやってきたときは、「いよいよあかんわ。」と言いながら、それでも何とか歩こうとしていた。
3日前には転倒して左目の周囲が、開眼できないほど内出血で晴れ上がったと聞いた。
昨日、血圧が低下したと聞き、慌ててホスピスを訪れた。酸素吸入を受け、意識もうろう状態のオジは、手を握ると弱々しく振り払う仕草をしたり、ゆっくり顔を回す動きをしたりして、まだ下顎呼吸ではなかった。しかし、左目の周囲は内出血で真っ黒になっていて、痛々しかった。ホスピスの先生が、もう時間の問題だと言っていた、と、オバが言った。自分が思う通りにやってきて、予定以上に生き延びたし、もうこれ以上頑張らなくてもいい、そう話すオバは覚悟しているようだった。
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今朝、未明、オジは息を引き取った。数人の身内と山の友達が集まったという。
朝、連絡を受けたが、私は連休明けの診療ということで、行くことはできなかった。
葬儀はしない、しかし、ホスピス(キリスト教系病院のホスピスである)で、お別れ会を午前中に催すということで、女房と両親が出かけていった。穏やかな顔だったらしい。
お別れ会では、担当ナースや主治医が次々にオジの手を握りお別れの言葉を述べる、という形式だったという。そして、遺体は今日1日、葬儀会社がおあずかりして、明日の午前中には荼毘に付されることになっている。
オジは、ニュージーランドで画家をしている親戚に、海に骨を撒いてくれと頼んでいたという。いかにもオジらしい。それを聞いた父は、「ワシも簡単にしてくれたらええ。骨は海に撒いてくれたらええ。」と、のたもうたが...果たしてどこまで本気だかわからない...。
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勤務医として、かつては在院日数などあまり気にせず、具合が悪かったら入院させてあげる...そんな医療をしていた。食事が入らなかったら点滴しましょう、全然食べられなかったらIVHしましょう...それが当たり前だった。
ホスピスでは、そんな濃厚治療はしない。最低限の治療はするが、大部分は緩和ケアであり、鎮痛・鎮静を目的とする治療だ。
まだ、僕には、ホスピスでは十分な治療をしてあげることができない...そんなふうに感じてしまう。癌末期だったら、ホスピスより一般病棟できちんと医療をしてあげた方がいいのではないか?...(無論、今の医療制度では、ターミナルの患者を簡単に入院させてくれる病院がほとんどないとは思うが...)
僕がホスピスにお見舞いに行くのは気が重い、と感じていたのはそのあたりの事情を自分で納得していないからなんだろうな。でも、患者もいろいろ、考え方もいろいろ、もっと選択肢が多くてもいいのではないか....僕がイイと思う医療は、もうできなくなってしまったんだな..そんな思いが今も残る。僕は間違ってるのかな?...その答え...今はわからない。
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コメント
コメント一覧
ターミナルの患者は退院はさせても入院はさせてもらえませんでしたね。最後まで・・・。
>>まだ、僕には、ホスピスでは十分な治療をしてあげることができない...そんなふうに感じてしまう。癌末期だったら、ホスピスより一般病棟できちんと医療をしてあげた方がいいのではないか?
私の家族も亡くなった妹も本当は一般病棟で診て欲しかった。ホスピスに入ることに抵抗を感じていた(亡くなった妹が一番強く思っていた)だって、生きようと思っていたから。退院した時点で選択肢がなかったんですもの。
ごめんなさい。やっぱり、思い出したら泣けてきちゃった。
800万人以上の人口で数えるほどしかないところがあります。
さらに、病院も追い出され自宅で最期をという(望んでいる人は別ですが)望んでもいないのに、帰されるケースも多々あると聞いています。その場合、末期の状態で、緩和ケアも充分受けられずに亡くなられる方が今後さらにふえるのではと、心から危惧しています。
オジ様の御冥福を心よりお祈り申し上げます。
でも、..オジを見て、ホスピスを見て..やっぱり問題提起しなきゃ、って思ったんでね。許して下さい。
日本の医療は、かつてはいろんな選択肢があったんです。死ぬときも...。
でも、J様がおっしゃるように、ホスピスは足りません(経営的に成り立つかどうかが大きな問題です)。
一方、治療を受けたくても入院できない患者さんが増えています。
たとえカネがあっても...。
政治家や厚労省幹部は...コネでどうにでもなると思ってるんでしょう、自分達だけは....。政治が人命を奪ってるんです。この現実に、ひとりでも多くの人が気付いてほしいと思っています。
yoshika様..元気を取り戻してね。
かかりつけ医が居なかった場合、変死扱い。ひとつ間違えば、病院にも行かせず介護放棄にも見られる。この国の医療に対しての政策が狂ってる。それでいて、個人に自己責任を押し付ける。医療・福祉・介護の政策を決めてるのは国会議員でしょ。国民の意見を無視して勝手に決めておいて、自己責任はないでしょう。半数以下でも反対するものが居れば、国もきちんと責任を問われるべきだと思います。
国会中継を見ていても居眠り・欠席・・・落書き、それでも給与は税金から支払われる。議員だから?公務員だから?何をしても許されると思ったら大間違い。傲慢な態度の人も居る。税金を集めるだけ集めて、無駄遣いして、自分達の予算が減るとなると大事な部分をカットして国民いじめ。
昔の医療はまだマシだった。
合掌
礼拝
オバ様、、、お姉さま(お母様)と仲がお良ろしかった。
大往生でしたね。
オジサマの安息をお祈り致します。
感想は最後まで立派に生きられたんだなぁ、ホスピスに入れた幸運はあったけれども、なくなられるまで人としての尊厳を失わずに逝かれたのだな、と尊敬の念をもって、読ませていただきました。
医者にとってのいい医療が患者の COL にとってはいいとは限らない、それは実は当たり前のことなんですよ、先生。
私も以前から尊厳死については考えています。ただ尊厳死協会の定義の尊厳死はちょっとゴメンです。やはり緩和ケアレベルの医療行為は受けたい。で、人として尊厳を持ったまま逝きたいと思っています。ただ問題もあって、緩和ケアを専門にする、というか緩和ケアで最も重要な麻酔医が不足しているんですよね、現実は。
だから現在では最終的にどこでどういう死に方ができるかは自分では決めることができないと、私は思ってます。それももう覚悟を決めています。
実は私は死んだら葬祭も一切せず、お骨も全て火葬場で処分してもらうように遺言書を書いています。余計なお金を意味のない儀式のために使って欲しくないし、どうせなら遺される人に使って欲しい。
最後に、叔父さんのご安息をお祈り致します。
私は、主に肺癌を診ているものですが、うちの施設は初診からお亡くなりになるまで基本的には診ております。
たくさんの癌末期の人を診ていると、必要最小限な治療がいいと実感するようになります。その人にとって、残された時間は有限で、短いものですそのなかでQOLをいかに落とさないかと言うことを第一に考えるようになります。すると輸液が必要であっても、持続点滴はなるべく避けるようにします。(もちろん、患者さん自身が濃厚な治療を希望されれば行いますが。)
また、個人的にはホスピスと言うのは宗教のニオイがして日本人にはしっくりとなじまないものだと思います。
また、在宅でも緩和医療を行うことは十分可能であると考えています。もちろん、医師、コメディカルの負担は大きいですが。
最近、終末期、在宅、緩和医療に非常に興味を持っております。
しょうもない話もありますが、一度見に来てください。
<a href="http://blog.m3.com/yosshi/">よっしぃの独り言</a>
(トラックバックの使い方がいまいちわからないです。)
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