少し脱線記事が続き、それはそれで意外にウケてしまって、なかなか元の社会派?ブログに戻れそうもない。いろいろ思案をしているうちに、「ゆるばあちゃん」のモデル、私の祖母のことを少し書いてみようかという気になった。全くプライベートなお話で恐縮だが、脱線ついでにお付き合いをよろしく。================================================
私の祖母はもう10年以上前に他界した。でも97歳まで元気に長生きした。彼女は明治26年に京都の亀岡で生まれ、地元の女学校へ進学した。彼女は小柄だが活発な女性で、当時としては珍しいテニス部に在籍し、袴にたすき姿で遠征試合に出かけ、コートを走り回ったという。やがて地元の小学校の教師となり、子供のために一生懸命働いた。そんな彼女はある日、見合いを勧められた。相手は立命館の教員コータロー。彼女は仕事を辞め、京都市に居を移して家庭に入り、そして母となった。気が付けば長女と5人の男の子の母。忙しくも充実した日々。しかし、波乱もあった。長男は肺結核で1年療養、4男は10歳で肺炎を悪化させ死亡。3男は片目を事故で失明して義眼に。そして戦争による疎開。それでも彼女は持ち前の明るさで生きてきた。いつしか夫は当時難関といわれた高等文官試験に合格。優れた英語力を誇っていたという。そして、立命館大学の常任理事となり、滝川事件で京大を辞職した大物法学者、末川博らを立命館に招聘することに奔走し、法学の立命館を確立するために大きな貢献をした。===========================しかし、彼女に最大の試練がやってきた。夫コータローが体調を崩し、腰痛に悩まされるようになった。そして病状は次第に悪化し、徐々に衰弱してきた。当時、長男(私の父)は歯科医となり、研究のため府立医大整形外科教室に身を置き、来須教授の指導を受けていた。教授はコータローの診察と検査を行い、膵がんであろうと診断した。当時の検査機器と医学レベルでは膵がんに対してはなすすべもなく、コータローは全身黄疸を来し、さらに衰弱して他界した。まだ60歳そこそこでこれからさらに活躍が期待される年だった。======================================それから数年して、私が生まれた。当時は母も開業して忙しかったので、私はいつも祖母と一緒だった。遊ぶのも寝るのも祖母と一緒。私は完璧なおばあちゃん子だった。元教師だったせいもあるのだろう。祖母は教育熱心でいつも笑顔を絶やさず、優しく接してくれた。だが、私が祖母と一緒に寝ている姿を見にきた母が、ひそかに泣いていたことも子供心に覚えていた。その涙の意味を理解したのは数年も後だったけれど。=======================================祖母は掃除が得意だった。学校へ行きはじめた私の机周りは、どんなに散らかしても帰ってきたら整然と整えられていた。「もう、あんまり僕の机の上触らんといて。」とお願いしても、翌日にはきれいになっていた。=======そうだ。印象的なシーンがあった。ある日、祖母はいつもの着物姿でたすきを掛け、私の机の上に乗って、本棚やら窓を掃除していた。「あぶないよ。」と声をかけたら、当時70歳を超えていた祖母は、「ちょっと、そこどいて。」と言った。「え?、何するの?」と聞いたその瞬間、祖母は「えいっ!」と声を出して、机の上から飛んだ!。・・・そう、「おばあちゃんが飛んだ!」。私は呆気にとられて、「あ、」と小さい声を出すのが精いっぱい。一瞬、宙に浮いた祖母をじっと見たまま動けなかった。それはコンマ何秒の世界のはずだが、今でもスローモーションのようにふわりと浮いた祖母の姿がよみがえる。========================でも、実際は、着地でバランスをくずして後ろに倒れ、机の袖で後頭部をゴツンと打った祖母がいたのだが...。「あ痛〜」と言いながら苦笑いする祖母は、いたずらっ子のようだった。=========================================夫を亡くしてから何十年も生き続けた祖母は、死の前日まで台所に立ち、長男夫婦と一緒に暮らした。正月にはいつも親戚が集まって来ていた。私は結婚して別所帯となり、祖母に会うのはせいぜい週1回になった。孫がいない生活はとても寂しかったらしい。でも、90歳過ぎて急にジャイアンツフアンになり、選手の名前を書いて覚えたり、料理番組を見てはメモを取り、早速作ってみたり、あくまでも元気で明るく過ごした。死の3日前、祖母を訪ねた私と妻に、祖母は珍しく言い聞かすように話した。これからも両親と仲良くやっていくように、と。そして、祖母は、生前から繰り返し言っていたように、誰にも迷惑をかけず、入院もせず、ひとりで逝ってしまった。==========親戚も私も不思議に思っていること。祖母の法事の日は必ず晴れる。たとえ朝まで雨が降っていても、昼からは晴れる。誰にも迷惑を掛けたくない、と今でも祖母が言い続けているような気がする。
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