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最近はとても便利になって、英語の論文も抄録和訳サービスがあるので、簡単に最新の概要がわかる。ネットの医療系ホームページにも論文紹介がある。しかし、これは両刃の剣でもある。つまり、出版バイアスをどれだけ意識しているのか?という点である。
論文とは基本的にnegative dataでは出版されない(され難い)。よってpositive dataが(異様に)誇張される(ことがある)。本当の臨床医は、論文で紹介されたことも話半分で評価するもんである。真に受けるとバカを見るのは世の常識。 そして逆もある。negative dataが過大に強調される場合もある。本来その病態に必要とされる薬剤が、多少の副作用で適切に使われないなど。医療とはデメリットに優るメリットがあれば、多少のデメリットを覚悟するプラグマティズムが原則で、どっかの裁判のような絶対安全を狙うものではない。
出版バイアスの弊害は、かなり深刻でもあります。医学においては想像以上の不効率を引き起こすのです。ある治療法について関連する複数の試験結果を統合して解析することがある(メタアナリシスなど)。このような統合的解析の対象となる試験は、公表されたものが当然多くなる。ネガティブな結果は公表されているものが少ないから、ネガティブな結果が公正に解析に統合されず、その治療法の有効性が過大評価されてしまう。
ここで、研究者がポジティブな結果だけを意図的に公表すると(薬剤メーカーのスポンサー付き研究などで)、研究者にとって都合のよい結論が誘導できてしまうことになる。また、無効な治療法が公表されないために、実施する意義のない(無効な薬剤や術式の)試験が繰り返されることは、研究資源の浪費とも言えます。
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