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インフォームドコンセントとは、日本語でどう訳すのか知らない。これは西洋の概念で、日本人の固有の概念ではない。まあ、西洋かぶれの概念である。とは言っても、もう日本の医療でもインフォームドコンセントは常識だ。
インフォームドコンセントで、もっとも難しいのは(おそらく日本人にとって)、真実を受け入れること。これが患者には難しいことが多い。
よくあるパターンは、私は良くなる為に医者にかかっている。医者に行って難しく、しかも悪い話しは聞きたくない。「任せなさい、絶対にあなたを治してあげます」と言ってもらいたい。あるいは「心配ありませんよ」と言われたい。
インフォームドコンセントの基本は、自分の病状を正確に知る事。これを曖昧にして、患者様の選択の通りに治療すること、などというのがインフォームドコンセントではない。
インフォームドコンセントは、患者にとっては過酷な選択でもある。曖昧な日本の私である日本人が、自分の病状の真実を唐突に知ることになるわけだ。(なんの疑問もなく)人様と同じように生活していれば良かった日本人が、突然として「あなたは病気です。あなたは一人でその事実と対峙しなければなりません(なんせあなたの病気なんです、他人は関係ありません)。治療方法はあなたが最終的に判断して決めるのです。」と言われるわけで、曖昧な日本の私にとって、初めて自我を明確に意識する。
インフォームドコンセントは医療者側の問題というよりも、インフォームドコンセントされる患者側の問題の方がはるかに大きい。
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