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規制の話しに引き続き、パフォーマンス評価にまつわる授業が始まっている。
ミクロからマクロまで様々なレベルで、医療のパフォーマンスを測定・開示することを求められることが多くなっているのは、医療だけの話題ではなくどこでも見られるトレンド。場所によっては個々の医師の診療結果(NYの心臓外科医は今も開示を求められているのでしょうか?そして近隣のニュージャージーはやはり求められていない?)を公開することを求めている。ときにパフォーマンスを表す指標は適切な処方や検査などのプロセスであったり、入院日数や死亡率などの結果であったりし、それを測定する目的とその目的にかなった適切なインセンティブを内包してより高い診療の質やその差の軽減、その情報を元にした患者による医療選択の推進や、医療機関間の競争促進を行う。評価一つとってもそれくらいパワフルなものなのだ。
同時に、これもどこの業種でも同じことで、評価されるのはやっぱり億劫で、その指標はいつでも不正操作される。よってより厳格な情報の収集が求められる。会計やビジネスの世界でも、いかに会計が粉飾・改ざん可能でそれを行うことが如何なる罪なのかを叩き込まれると聞く。よく分かっているこちら側にとってはそんな薄氷なのだ。かたやナイチンゲールの時代から、情報の公開を求められながらも抵抗し続けている医療界で、情報の申請を意識的・無意識的に良く見せてしまうのは明白かもしれない。ひとり聖人として振る舞っていても、それはひとり損を被る結果を甘んじて受け入れる’尊い’振る舞い。そう、医師たちは、医療従事者はよくやっている、しかしこの指標がいけない、自分たちの成果を正確に反映していない、だからそれらしくなるように、この患者はそうそうにあの病院へ転送、この患者はリスクが高いので手術実施不可、など正直な努力が’評価とインセンティブ’に煽られて間違った方向へ行ってしまう。
昔、女子が男子を選ぶ基準が「三高(高身長、高学歴、高収入)」なんてまことしやかに囁かれていた時期が合った(また古くてすいません)。
既に低身長が約束されていた私はそれを聞いてイヤーな気分になりながらも、いかにそれをもみ消して「三高」っぽく感じてもらうか、なんてできる?と思ったりしたけど、一方で「三高」でしょうもないヤツをたくさん知っていた(もちろんいいヤツもたくさん)ので、そんな基準で選ぶ女の子がいれば(いるのか?)ちょっと毒づいたりしてみた。「わかっちゃいない」。
でもその子にモテる為に大切なことは違う。その子の基準に沿って話し行動すること、できれば特に少なくとも一つの基準で飛び抜けた、できれば予想外のパフォーマンスを達成すること、総合点も意識すること、だったりする。
この辺り英語ではgamingと表現して、一部の基準で全体を評価する難しさと不可避な不正の話しと合わせて、授業でも忘れてはならないポイントだった。
医療機関なら、同じモテるなら行政・保険者ではなくて、患者さんにモテたい。そんなパフォーマンス評価なら受け入れられる。
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新学期の第1週目。
前学期の基礎や問題意識を踏まえたモジュールが多く、より実践的になる。「先進国の医療システムと政策」の授業は前学期にひき続き、Elias Mossialos。初回のテーマは、私が最近興味をもっている”規制”だった。規制を含めた英国医療の状況について、総説を執筆していることもあって、リーディングのノートも慎重に作成する。
「なぜ規制をするのか」という問いを冒頭に投げかけ、医療の構造的分析を市場・市場の失敗・市場外での失敗・医療提供者と患者関係の構造から読み解き、政府が国民への責任として規制をさまざまな形で行使することを、「果たして政府が適切な規制主体なのか?」と問いながら、政策的視点や医療経済的視点より解説していく。
よく分かるが…、哀しくなる。自分が規制する主体となって医療を見ることは、惚れ込んだ彼女の身辺調査を始めるような、そんな現実の負の側面を直視するつらい通過点なのだ。恋は盲目、でずっといられたらどれだけ幸せだったか。
自分の医療原風景。まだ幼稚園の頃、父が学校のスケート場整備中に事故で大腿骨骨折し入院(室蘭は校庭にスケート場がありました)。毎日お見舞い。
そうなると病院が遊び場となる。そこにいた医師や看護師さんは、めっぽうあったかくやさしかった。 かっこよかった。病院に行くのが楽しみだった。
後にその病院で初期臨床研修することになる。 そこで改めて見る、オペ場での外科医のかっこよさ(イギリス英語ではオペ場をTheatre:劇場っていうんですよ!)、NICUで慎重で献身的に小さい子を救う小児科医のかっこよさ、ERで迅速適切な判断・手技を行う救急医のかっこよさ。地域に根付き安心を提供する家庭医のかっこよさ。
少し離れてみて、医師・医療職にまつわる報道や情報を見てみると…、圧倒的に「かっこよさ」が足りない。 アートディレクターの佐藤可士和氏の奥さんが、アートディレクターという職業と佐藤氏そのものをブランディングして、「アートディレクターを憧れの職業のひとつにして、憧れの職業としてなりたい人が増えればその業界は活性化し、クオリティーも高くなっていくのだ。」『SAMURAI佐藤可士和のつくり方』と書いていた。
そうだ、医師・医療職にも「かっこよさ」や「憧れ」が足りない。本当に頭脳・人柄の素晴らしい人たちが、高度な専門知識と技術を駆使し、勉強や修行を怠らず、結果を出し続けている(常に10割を求められる環境で!無茶ですが。ベースボールなら3割前後な訳ですし。比較しちゃダメですが)にもかかわらず! そこで先の佐藤氏関連から。「この著者の想いはサムライを運営する中で一貫した姿勢として表れている。取材はデザインに対する考えを何らかの形で発信できるようなものでなければ受けない。TV取材を受けると決めたからにはあえて人間性が垣間見える自宅の一部を公開することもある。「アートディレクター」という肩書きを選び常に徹底して使用する。(日経IT+PLUS)」
医師・医療職からの意志をもった一貫したメッセージの発信が鍵、でしょうか。カッコよく。
できれば、不満をぐずぐず言う中間管理職、みたいなのは最小限にしたい。
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久しぶりに、BBCより。 患者の医師に対する暴力の多さがまた報告されています。
Doctors 'face assaults epidemic' Thursday, 10 January 2008, 00:44 GMT: BBC24
One in three doctors were assaulted, either physically or verbally, in the last year, research suggests - but most did not report it. One in ten of the 591 doctors who responded to a British Medical Association said they had been physically attacked. Of these, 5% were seriously injured, and a third suffered minor injuries. However, the BMA said many did not report the incidents - suggesting an increasing acceptance of violence. ------------
患者による暴力対策に年間1億ポンド(約230億円)費やしているとの報告もありました。
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Violent and abusive patients are costing the NHS more than £100m a year, according to a Panorama investigation. An estimated 75,000 staff were attacked last year, costing the NHS in extra security, absenteeism, training of staff and legal bills, it reports. ------------ ![]()
医療だけを見て英国の’医療現場’は暴力が多いと即断するのは、BBCの日常のニュースよりAnti-social behaviorやナイフや銃を使った犯罪の多さ(統計的に比較・評価した訳ではありませんが…)を推測すると社会全体として暴力の蔓延を見ている可能性もあり、早計かもしれませんが、それにしても多い(数もかかるコストも)。
日本でも医療者に対する暴力が多く報告されている。
医療の根本には、医師患者間の信頼が横たわっているのですが、最近の言説では”信頼を損なう文脈”として医師・医療関係者の診療の内容・質や対応のまずさのみに注目しすぎ、一方的だと感じることがある。だって、医師も患者をおおいに信頼して、使い方によっては害になる薬ー例えば、麻薬や今話題の犯罪に関わるようような抗精神病薬を症状の軽減や病状の回復を意図して”正しく使ってくれると信頼して”処方する訳だし、話し(病歴など)をよく聴く為に、なかば丸腰になって対応してる訳(そうじゃなきゃホントのこと、話したくないですよね)だし、そこにつけ込んで濫用や暴力が増加するのならば、患者が一方的な依頼者・弱者とは言い切れず、医師・医療者の患者に対する信頼の低下も当然の結果、様々な医療問題の底に流れることになっているのだ。
互いの信頼を失った先にあるのは、疑いか哀しみか無気力・無関心か。あー、なんだか信頼について自ら語り始めることほどうさんくさいものはないですね。
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新春からちょっと抜けています。というのか、月曜から始まる新学期に備えて、すこしでも肩の力を抜こうとしています。
最近ヘルスポリシーの学習のなかで感じているのは、政治の一回性と実証研究の限界、でしょうか。
言い換えると、いままでこう言った政策があり施行され、その分析でこういう結果がでている。それは非常に参考になるし、同じ間違いを繰り返さない為には重要もしくは同様の状況であれば同様の政策・過程が有効な可能性もあり、必ず踏まえなければならないことではある。
しかし、箱の中から99回赤い玉がでてきたからといって、100個目が赤いとは限らない、じゃないか。政治に関わる人・組織、環境・状況(特に直前の経過や決定)、そこまでの歴史などがひとつも同じとは言えない世界に、どれだけ実証研究が説得力をもっているのか。
私が興味があるのは、さあ100個目も赤い玉を出してみよう。もしくは白い鳩を飛ばしてみようじゃないか、という感じ。
というのは実証研究ではないですが、ある日本の医療政策形成過程に関する研究を実施したいと考えて、先行研究の例として介護保険政策に関する文献を漁っていたら、ほとんどが審議会や厚労省資料などの分析に紙面を費やし、それが当然であると言った感じだったからだ。そこで出てきた、方法論や前提に関する不信感。私の研究方法に関する学習がまだ途上で、理解していないだけかもしれませんが。その辺りの不信感からもやもやしてきて、今までの学習すべてに至り、先の感覚にたどり着きました。まだお子様レベルのナイーブな思考だとは理解してます(統計解析とテキスト分析混ぜてますし)。この辺りの納得も今年の目標のひとつです。
そこで思い出すのは、名郷先生がまだ作手村にいて、天才博士!なんてやっていらっしゃった時に研修に行った時のこと。丁度LancetにPROGRESSが掲載されて、外来で”3分で読める医学論文”なんて話しをしてもらっていた時、もう私のアタマがもう血圧正常脳卒中既往患者に降圧しまくりますなのを見透かしたように
ーでもねえ、tarogo君。患者を目の前にして思うのだよ。
「エビデンスはこうだ、でもどうでもいい。」ー
いままでエビ固めを何人も経験している指導医の一聞トリッキーな、はっと目を覚ますひと言。 もちろんEBMのStep 4の話しなのですが、今改めてその時のことを思い出します。
さあ、今年も自分の信じる道に邁進します。早く皆さんのお役に立てるように。
覚え書き: 今エッセイを書いている医療貯蓄口座(Medical Saving Accounts: MSAs)は被保険者のモラルハザードを抑制することによって医療費削減を意図して導入されたけれども、Singapore, USでも医療費増・格差増の結果となり、先進国が現状の保険 を見直して導入するほどの魅力は無い。
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