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自分の前職場が新たな船出ということで、応援したいと思います。
志のある医師たちへ、皆様も応援お願いいたします:)
ーーーーー(以下引用)
北海道家庭医療学センター(北海道室蘭市) 医療法人を設立し独立へ 町村への「提案型」で提携進める
記事:Japan Medicine
提供:じほう【2007年12月26日】
地域医療の第一線で活躍する「家庭医」を養成している北海道家庭医療学センター(草場鉄周所長)が、医療法人母恋(ぼこい。勝木良雄理事長、北海道室蘭 市)から独立して、来年4月から医療法人北海道家庭医療学センター(仮)としてスタートする。13日の同法人理事会で了承された。これまで同センターは、 母恋の1部門として、道内の更別(さらべつ)村、寿都(すっつ)町の診療所に医師などを派遣し地域医療に貢献してきたが、1医療法人の1部門としての活動 には限界があるとして、独立に踏み切った。理事長就任が予定されている草場氏は、町村の医療政策などにも踏み込んで「自治体と一体になるような業務提携が できる、『提案型の提携』を進めていきたい」と抱負を語っている。
(略)
また、これまで教育・研修施設は母恋の系列病院などが中心だったが、他法人との提携も進めることにしている。「更別については、拠点となる本輪西と同じ位 置付けにして、教育機能を高めていきたい。(更別村のある道東地域の)公立芽室病院や帯広協会病院、北斗病院などとも連携して教育機能を高める」とした。 また、町立松前病院(松前町)と勤医協(札幌市)などとも連携することにしており、病棟研修を行うための施設確保を進めている。
これまで同センターは、本州にも提携施設を設けるなど、全国版的な家庭医養成を目指していたイメージがあった。しかし、草場氏は新組織移行後は北海道を重 点に活動を進めていくとしている。独立後の課題にもなっていた、病棟研修施設の確保もできて、「これら施設とのネットワークが組めることになった」と説 明。「全道をカバーするネットワークができたと実感している」と述べ、今後の活動に期待を膨らませている。
ーーーーー(引用終わり)
政策分析の分野でも、組織や所属に関係なくcore beliefで結ばれたcoalitionがひとつの政策実施の鍵となることが提唱されています(Sabatier)。今回の変化が北海道家庭医療学センターの進む道をより明確にし、所属に関係なくcore beliefで結ばれた連帯が形成され、新たな連携で地域への貢献へさらに歩みを進め、更なる成果に向かっていくことと期待しています。応援!
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「優れた指導医が優れた指導医を育てる、という正の連鎖」
「自信を失いがちな若い指導医が『自分も一緒に勉強すればいい』と肩の力を抜けるよう」な指導医教育
医師不足が注目され、その充足のみに目を奪われると、それは危険だと感じていた。 良医を育てる。どう医師が医師を教育していくか。どうよりよい医師を育てていくか。ー 今までは、先輩医師の背中をみて育ち、座学の「教育法」や「カリキュラム作成」研修で武装した”指導医”による教育が主流だった印象がある。 本当にこの方法でよい医師が育っていくのだろうか…、と自分が医師となり指導する立場になり直面した疑問でした。
そのひとつの回答が読売新聞に紹介されていました。(以下、引用と抜粋)
ーーーーー
(略) 今月上旬の週末、京都大学医学部の地下会議室で行われた指導医研修(FD)のプログラム「HANDS(ハンズ)」の合宿。亀田ファミリークリニック館山(千葉県館山市)の岡田唯男院長(37)が主催する。 指導医は、研修医を指導する立場にある。HANDSは米国で家庭医とFDの専門教育を受けた岡田さんに2003年、若手医師が教育法を学びたいと求 めたのが始まり。試行期間を経て05年からは半年間で4回、計9日間の合宿形式にした。2年間で19人が修了し、今年は13人が参加する。
◎
HANDSの特徴は、単発ではない上、プログラムがユニークなこと。教育の手法だけでなく、IT活用や時間管理、経営管理、人材活用法まで、ビジ ネス理論も積極的に取り入れる。病院内で研修会を開くための交渉や医局のチーム作りなど、組織の中で働く医師に求められるのは教育だけではないとの考えか らだ。
研修して終わりではなく、成果を現場に生かすことを重視する。活用がすぐできるよう研修医への指導場面をビデオ撮影して評価しあう。参加者は、職場の上司が研修に理解があるかを確認し、より成果を反映できそうな組織から戦略的に招待する。
合宿の時間は討論に使うため、大量の「宿題」が出る。課題図書のリポートなどの個人の課題に加え、模擬授業や、病院の医師採用試験のモデル作りな ど共同作業も多い。多忙な仕事の合間を縫い、全国の仲間とメールやインターネット電話で打ち合わせを重ね、チームワークも学ぶ。
ーーーーー(引用終了)
指導医同士が育てあい、自分もよりよい医師になっていく「正の連鎖」。こんな指導医研修があったのか!というのが、自分も3年前このプログラムに参加した印象だった。連鎖反応はリニアではなく幾何級数的に振る舞うもの。この動きは必ずや大きな広がりをもって、皆でよりよい医師になる・育てる・育てあううねりになることを期待しています。
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1971年にJulian Tudor HartがThe Lancetに発表した"The Inverse Care Law"は当時の英国医療界に大きなインパクトを与えましたが、これは現在でも生きているようです。
GP(英国家庭医)であり疫学を学んだDr Tudor Hart(私が通っている大学院の大先輩でもあり)は「ヘルスケアを最も必要としている人たちが最もケアを利用できていない」という事実を発表。一方で専門職や経営者など社会的地位や高い収入がある人たち、またその人の住む地域はよりよい医療を受けやすく、病院へ紹介されても技術を必要としない労働をしている人たちよりもうまく希望する治療やケアを受けることができることを明らかにし、英国の目指す医療を問い直しました。
さて、現代ですが。 スコットランドはヨーロッパの中でも、心疾患の罹患率が高く平均寿命も短いことで知られていますが、そのスコットランドで「 the inverse care lawは今も生きているか?」を調査した人たちがいます。 ーーーーー
Stewart W. Mercer and Graham C. M. Watt
The Inverse Care Law: Clinical Primary Care Encounters in Deprived and Affluent Areas of Scotland Ann Fam Med 2007 5: 503-510.
RESULTS Compared with patients in least deprived areas, patients in the most deprived areas had a greater number of psychological problems, more long-term illness, more multimorbidity, and more chronic health problems. Access to care generally took longer, and satisfaction with access was significantly lower in the most deprived areas. Patients in the most deprived areas had more problems to discuss (especially psychosocial), yet clinical encounter length was generally shorter. GP stress was higher and patient enablement was lower in encounters dealing with psychosocial problems in the most deprived areas. Variation in patient enablement between GPs was related to both GP empathy and severity of deprivation.
ーーーーー
この結果を見ると、最も恵まれない(deprived)地域の住民はより多くの健康問題を持ち、精神心理的な問題をもつ傾向にあり、より多く医師に訴えがある事実と、その地域で医師(家庭医)はより多くの訴えを扱い、心理社会的な問題への対応も行う一方で診療時間は短くなるし医師側のストレスも大きく(3人に一人の患者が心理的問題相談を希望し、3人に2人は2つ以上の問題を相談したい状況は結構大変)、患者との共感が少なくなってくるという。the inverse care lawは今も健在、という訳だ。
先のDr Tudor Hartがこの法則を発表した背景は、住民の安全を守る医療を”市場”や”自然”まかせにすると、社会経済的な格差拡大、社会的な不安を被る結果となることへの警鐘だった(彼はマルキシストです)。
さて、病気をしたことがない、病気のことはあまり知らない、どうして病気になってしまうかも知らない(これは難しいですが)、病気をしたらどうなってしまうかも知らない、どう人生が変わってしまうかも知らない(それが良くても悪くても)、生活に問題の無い、恵まれている人たちが努力し、deprivedな部分に配慮し政策をつくっていくのはかなり困難なことと想像できる。その困難にどう立ち向かっているか、向かっていないか。しばらく確認項目にしてみよう。
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学期が終わり、クリスマスも終わって、新年に向かいながら今年のことを振り返っています。
臨床医としての職務・規範から距離を置いて、ヘルスポリシーの入り口に立つ。 ヘルスポリシーの今日的将来的話題から、それにまつわる学問分野の知識を理解し、その実際的運用を学ぶ…という大きな流れに流されながら、はた、考える。 臨床医として直接、患者さん・家族のために自分の医師としての能力を精一杯ストレッチしてより良い医療を提供することに一段落をつけて、より多くの人の健康に役に立てるようにと考えてここまできたが、さあて、医療政策のなんとなくの権力的な姿勢というのか、健康への関わり方にすこし戸惑っているようだな、と。
対象となる人口が大きくなればなるほど、政策的決定はelitismなtop-downなアプローチをとって、みんなからお金を集めて(税金)、規制やインセンティブで誘導し、ある政策の実現を目指す…とfinancingやhealth economics、policy analysisなど細分化された学習をしていると、ビッグピクチャーとしてはこう感じる。一方で、医療政策、医療政策といっているが、政策・政治が人々に健康をもたらすかは幻想で、政策で病気が治る訳ではないし、亡くなった方が帰ってくる訳でもないー...個々の生物学的病的状態は影響を受けない。とも感じる。(その中でも、予防は政策が権力を持って人々の健康に介入できる点で魅力的なのかもしれない。メタボ対策等) このあたりは、クラスでディスカッションしていて感じる違和感だった。医療政策が人々の健康を害することはあるが、健康に貢献することは少ないのではないか?では、どの辺りに価値を置くかー...特に医学のバックグラウンドを持たないクラスメートに、効率や効果について議論するたびに不安に感じたことだった。どのくらい個々の人々の健康への責任に対して当事者意識をもっているのかなあ、と。(追記:この辺りマクロでのアプローチに対する自分の’感覚的’納得感が不足しているのと、マクロだけの教育を受けている場合の危うさに対する危機感、だと思います)
医療政策で特に重要なのは、個々人の健康被害にまつわるリスク(特に経済的な)・不利益を社会でシェア出来るようにすること、健康被害のどの範囲をどの様にカバーするか決めること、人々がより健康によい生活ができるよう環境を作ること、医療者がよりよい医療を提供できるよう環境をつくること…と考えながら、自分の腑に落ちるところまでには至っていない。
あと今年も残りすこしですが、この辺りの問いを抱えながら過ごしたいと思います。
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エッセイの提出がようやく終わり、すっきりしています。
膨大なリーディングの海を泳ぎながら、最後にエッセイをまとめると、各理論の主張や根拠、議論が明確になって本当にすっきり。 自分の文章を読むと「なんて分かりやすいんだ」(自分のアタマの構造と一緒)となってしまうことに気を付けながら、読者(教授)を説得したり、適切に問いを分析し答え議論(argument)する意識を最後まで持続できるかが、エッセイの質を決める…って、社会学的論文の書き方に親しんできています。
いくつかあると考えられる「英国GP(General Practitoner:家庭医)に関する誤解」について今日はすこし。
それこそご近所のうわさ話のレベルで批判したり、蔑んでみたり、哀れんだりしている方がいらっしゃって(盲目的に、英国は医療崩壊先進国!みたいな)どおかなあ、と思っていたので。 端で聞いていると、「ネッシーを見た!(古い…)」「首が長いらしい」「時速300キロで泳ぐらしい」ぐらいのこともあり、ハラハラします。 (そういいながらも私に誤解のあったときは、ご指摘ください!私の根拠はGP研修を1ヶ月弱し、GPの友人たちと話した内容に加え、『NHS A GUIDE』ほかを読み(成書はその程度です)、授業で触れた事項と細かい事項に関する数編のリーディング(たとえばNSFやQOF、The New GMS Contract)程度によるものです。あしからず。)
誤解その1「英国GPは公務員であり、診療も官僚的で一生懸命働かない」
回答その1「英国GPは有名な受診時無料の国民医療サービス開始(NHS 1948年)時から、診療的にも経営的にも独立した地位(independent contractor)を確保しており、地域行政機関(PCT)と契約を結ぶことで収入を確保している。90%以上のGPがグループ診療(1つのクリニックに複数の医師が勤務)をしており、そのなかでもパートナーと言われる経営権(?)を共有する医師たちが利益から収入を分配し得ている。他のGPは月給制である。ほかにパートタイムやローカムといわれる期間雇用の形態があるが、いずれも公務員ではない(注:公設のクリニックで勤務する場合は”公務員”と言えるのかもしれませんが、一般的ではありません)。よって、bureaucraticというよりも、small business ownerの観が強い。これは日本の開業医とよく似ていると感じます(個人的に)。多くのクリニックにはプラクティスマネジャーという、日本でいう事務長職がいて、経営管理を行っている。診療に関してはほとんどのGPが英国家庭医療学会(RCGP)認定のトレーニングを受け、その能力を評価され、専門医認定を受けた上で診療しているので、質の標準化が図られている。また現在は年に1回、その1年間の臨床活動ほかについて、PCTに委任された他のクリニックの家庭医(GP appraiser)による形成的評価(appraisal:訳語は適切でないかもしれませんが意味はこれです)を受けることが義務づけられており、診療内容・質の密室性は少ない。以前はGPでさえ予約が取れない状況があったが、政治的な介入もあり数値上は90%程度は48時間以内に家庭医受診ができるようになっている(10年前は風邪の受診に1週間かかるという悪評だったが…。まあこんなサイトもあるが…)。これは個人的な経験だが、友人のクリニックでは毎年10%程度が登録を移動するため、新規の患者を引きつけることが経営上も重要であり、患者に対する質のよい診療・クリニックとしてのサービス(予約、時間外対応、適切な紹介、検査結果の連絡等)と近隣医療機関・病院・福祉との良好な関係はとても重視され、維持に対して努力しているということだった。」 …、ということで、プライマリケア専門医としての質と診療・経営の自律性をもっています。
ほかの誤解については、そのうちまた回答したいと思います。
参考資料:New GMS Contract
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人生の3割弱を整理整頓に費やしている…、そんな気になる今日。
この学期の資料と自分のノート、PC上の資料や映像・音声などをどう整理するかで奮闘中。 全部電子媒体だったらもう整理せず、グーグル任せなのに…。
気になるセミナーがあります。(以下、引用)
■プログラム 【第一部】「臨床+α」の道(各20分) (五十音順)
◎江副聡 MD/MPH/MPA(ハーバード大学ケネディ行政大学院・ハーバード公衆衛生大学院卒業、「臨床+α」ボランティア・アドバイザー)
◎加藤良太朗 MD/JD (ワシントン大学ロースクール卒業、ワシントン大学医学部内科・セントルイスVA病院勤務)
◎田端実 MD/MPH (ハーバード公衆衛生大学院卒業、コロンビア大学メディカルセンター勤務)
◎山本雄士 MD/MBA(ハーバードビジネススクール卒業、独立行政法人科学技術振興機構研究開発戦略センター・株式会社ヘルスケアコミッティー勤務)
【第二部】上記4名によるパネルディスカッションと質疑応答(40分程度)
(引用終わり) 医師として教育を受けた上で、更に学び、より多くの人に健康を、またよりよい社会に貢献しようという「臨床+α」なキャリアを形成する4人による講演+パネル。私たちの時代の雰囲気かなあと感じています。目的志向型で開かれた自律的なキャリア形成をしているが、その手段には柔軟な感じ。でもちょっとメンバーが立派すぎるかなあ。 今後の「臨床+α」活動も楽しみです。
関連サイト:「臨床+α」←クリックしますとサイトに繋がります
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選択の自由は素晴らしい。
(つい、○○選択の自由、と聞けばアハハンとつぶやきたくなるくらい。憲法22条の歌。古い)と自分は刷り込まれていますが、すこし戸惑っています。
今日はTony Blairのhealth adviserだったProfessor Julian Le Grandの最終授業。やはり時折挟むDowning Streetの話しが面白い。学生もソコを突っ込みたい。
でも、私の関心事は「自由な選択」の不公平性でした。 自由な選択があると、より教育のある、またより収入のある、仕事を持っているひとがよりよい選択ができる事実がある、と。 より主張が上手で、より情報があり、より支払い能力があるひとが、自由な選択の中からよりよい選択ができるのだ、と。
まあ、ここまで聞いて、選択がない場合の方が、より先にあげた条件が影響して、不公平が広がることは感覚的に明らかでしょう。なぜって、選択の狭め方は、より声の大きい、より主張が上手で、社会的に影響力のあるひとの影響を受けやすいでしょうし。
そこでJulianは問います。「じゃあ、選択があるのと、よりよいケアが受けられるのと、どっちがいいか?」
日本の医療のアクセスを念頭に置いて、グッとくる。でも、それは間違った質問。だって私たちはよりよいケアを求めているのであって、選択はそれを獲得する方法なのだから。選択と良質との曖昧な関係と、人々が求めるものの本質の話しが、私の選択観を改めさせる。
「さあ、よりよい医療の質の追求に注力しようじゃないか。」
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ヘルスエコノミクスの中間試験が終わって、すこし気が緩んでいます。
久しぶりにひとが作り出す物語が読みたくて、こういうときに読むレイモン・カーヴァーの短編をすこし。ここ最近購入していて、読んでいなかった和書にもすこし手を伸ばしています。
すみません、今日はすこし気が緩んでいます。
と、読んでいるとそこで医師が職場を”放棄”して、よりよい職環境や開業を目指すことが増えていることが述べられている。離職に抗議のニュアンスが付加されている。
なんだ「脱サラブーム」と呼ばれる状況みたいだなあと感じる。
会社(病院)を辞めて独立し、自分の資格や特技・経験を活かせる事業を始めて、一国一城の主になる。個人事業主になるということで、そこでは当然さまざまな責任に直面する。資金繰りや事務員・看護師等の人事、集患のための宣伝戦略やクリニックの運営戦略、地域との関係や同業者との関係などなど。勤務医であれば今まで経験したこともない、私たち医師がよく言う「雑用」が多いんですよね、本当は。ここを楽しめるかが成功の分かれ目でしょうか。愚痴のひとつも言いたくなるかもしれません。そんなとき権力や医療制度などは格好のテーマです。
背景に医師の雇用流動性の向上があると感じます(直感ですが)。
臨床研修必修化を契機に、医局制度の弱体化が起こり、医局を通さない雇用の需要が増大。そういう状況であると勤務医も気軽に転職しやすくなります。日本の景気の回復も伴って(90年代はじーっと我慢だったのかもしれません)、資金繰りも容易になり、開業環境も改善。そこのマーケットができると、不慣れな勤務医を対象にする開業コンサルタント業なども出現し、さらに開業しやすくなる…という循環(のシナリオ)。
別にモラルの問題ではなく、環境が整い、医師たちが自分の資質を活かし、効用を最大化しようとした結果ではないか。”抗議”や”逃避”だけで、一生分の借金ができるものではない。医師たちも決して転職や開業をしていい加減になる訳ではなく、新天地で精一杯の診療をしていらっしゃるはず。 (まあ、この間の日経一面に掲載されていた新しい仕事観のように、上昇志向なくまたーりしている方もいらっしゃるでしょうが)
このあたり、かなり世代によって感じ方が違うかもしれません。
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授業で何を聞いても、自分の患者さんのことが思い出される。
先週の授業は「患者による医療の選択」についてで、広く患者の医療への選択肢を増やすことは、患者にとって良い医療をより容易に得られる(効果・効率)ことや公平性を増やすことになるのか?について扱うものだった。
「選択」は一般に患者に好まれ(政治家にも。その選択を広げます!という政治家の行動が、得票に繋がる)ているが、さて医学的にも経済的にも適切な医療を選択することが可能か?もしできれば、いかにして可能か?もし不可能ならなぜ不可能か?を検討していた。そう、選択の結果が「満足」や「質の高い医療」にたどり着くかは疑問で、「後悔」や「短期的な結果」につながることや、効率の低い医療システムを推進する結果ともなるのである。この負担を患者・国民が負い、利を得るのは誰か。
さまざまな根拠で論陣を張ったクラスディスカッションの途中で考えていた。どう考えても、医療関係者や政府、患者・家族・国民が手を取って判断しないと、よりよい、また効率的(医学的にも経済的にも)な医療が提供できないことは明らかだ。その時の最新最適な医療は医療関係者が理解しているであろうし、より広く国・地域の、また医療機関の情報を集めたり分析するには政府の果たす役割もあるだろう。そしてその判断は患者・家族・国民にゆだねられるが、先にあげた医療関係者や政府の協力あってこそ賢明な判断が可能なのだ。
自分の患者さんたちは、迷った末に自分を選んだ。自分が適切な医療を提供していたかは、自分の判断の中にあった。
それが最適だったのか?
覚え書き:Essential readings
Rice, T. (2001). Should consumer choice be encouraged in health care? The social economics of health care.
J. B. Davis. London, Routledge Hanoch Y and T Rice (2006), Can limiting choice increase social welfare? The elderly and health insurance, Milbank Quarterly 84(1): 37-73
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