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「週末は…」、なんて書いた前回の予定もつかの間、すっかり風邪にやられています。 久しぶりの全身倦怠感、節々の痛みとのどの痛み、嗄声・咳、発熱。 起きては寝て起きては寝てですが、深く眠れず、うなされていると家人は言います。いつもクラスメートと話してる夢だからかなあ。
ふたたび、日本でのフリーアクセス擁護について考えてみる。医師側としての。
医師としては、自分の外来にかかってくる患者さんを原則ことわることはない(救急車や受診”依頼”、入院”依頼”などは断ることがあるようですが…)。 自分の診療できる範囲(能力や経験、施設的制約など)で診療し、必要であれば更なる検査や治療のため入院もしくは他施設へ紹介を行う。 どの医師にもてもらうかは、患者さんが自由に選んでくれればいいんだよ。自分は医師としてできるかぎりのことをするし、必要であればケアのコーディネーションを行う。 それがフリーアクセスということで、患者さん自身の選択で、一番良いようにしてもらえればいいです、という考え。 そうすることで、良い質の医療機関が選ばれもするし、質の悪い医療機関には患者は集まらなくなる。また患者もひとつの診療に疑問のあるときは、自由にほかの医師に受診し意見も聞けるし、不必要な医師患者関係の固定もない。人には診療上の関係だけでなく、相性ということもあるし。という風に。
しかしすこしうがった見方をすると、事前に質や相性のわからない医師にかかって、合わなかったら逃げてもいいよ、ほかを探してもいいよ、というのが本音なのかとも感じる。実際、私(患者)に”より”合う医師の存在、はいつまでも不明であるし、その次が、より合う保障もない。医師たちは、「いずれ相性のよい医師に出会えるよ!じゃあ、私はこれにてご免!」と責任を放棄できる。
フリーアクセスというよりはフリーエスケイプ:逃げる権利?(変な英語ですか…)なのかもしれない。お互いに。 質の選択に関しても疑問が残る。実際患者さんは病院選択に関して、全体の3割の人がなにか情報を参考にしてかかる病院を決め、またその8割弱は家族知人友人からの情報であるというデータ(厚労省「受療行動調査」)から考えて、情報を参考にする人の少なさと情報源の医療の質との相関の低(そう)さを見ると、それがどれだけ診療の質と受診行動とに関係しているのか不明だ。実際は家の近くだったとか通勤・通学途中で便利だったなどから決められている可能性が高い。再び、医師の質や相性に関しては情報自体が限られている(フリーではない!)わけですし。
診療所・病院の収入、という点でも医師の視点からはフリーアクセスを擁護したくなる。 現行制度では基本的には診療回数に応じて報酬が支払われるので、全体合計の外来回数が多い方が医師の収入にとってはよい。裏返すと、例えば今話題?後期高齢者に対する「総合医」への登録などにすると、ひとつのクリニックに受診できる患者の数自体がある程度固定されてしまうので、増やせるのは各患者の診療回数のみとなりそれはたかがしれており、収入が減るのは必至であると。(実際はその年齢の患者さんは定期的に同じクリニックにかかってることが多いので、多診療所受診は多くないかもしれない。よって数の制限による医師収入の低下はそれほどではない可能性高。それよりも定額支払い制の方が大きな影響がある。)
こうみると、フリーエスケイプが日本の現状では一番の利点ではないか。 ちょっと冗長、風邪で思考が迂遠しているとご容赦ください。
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