今年の3月で10年を終える介護認定審査委員を、きっぱり辞める気になった。
1年目は行政も委員も手探り状態で、「何かオカシイ」を思案して2年目に論文にした。
現場に対する一次判定ソフトのバグを修正するのが、委員会の仕事と思っていた。
そういう委員が多かったのか、我が市では一次判定を覆す割合が高かったようだ。
それも軽くなるより重く判定することが多かったのは、私の論文でも考案に加えた。
一次判定のロジックが公開されていたから、多くの問題点が指摘された。
一次判定の元になった論文を読むと、その時点で既に多くの問題点が示されていた。
各方面から修正が求められたが、しばらく無視されて使われていた。
一次判定が重い方に覆される頻度が高いのを止めさせたいのは、役人の考えること。
なだめすかすのではなく力で押さえつけるように、躍起になって開く講習会は無駄作業。
増え続ける介護費用を賄うために、上げ続ける介護保険料も限界がある。
判定を軽くさせるしかないと取った作戦は、一次判定をいじくるのだが。
ロジックを公開すると企みがばれるため、非公開にし政府のやりたい放題になった。
あくまでも個人的な意見だが、ロジックは触っていない様な気がする。
全てを一からやり直したのではないことは、実際にやってみると明らかで。
想定介護時間と一次判定や変更指標の%に、以前にも増してずれが生じたことでも分かる。
少しマシになってきた医師の意見書とも、ギャップが大きくなったことでそれが伺える。
修正したバグのバグを取り繕うために、覆される一次判定をどうにかしたいようだ。
その一環として、我が市でモデル事業が行われた(嫌みたらしいと思ったのは私だけ?)。
この結果を基に作戦を練っているようだが、ここまで来ると委員の思いは同じ。
国民の介護判定に対する文句を押し返すために、この委員会があるんじゃないッ!
この国を作ってきたお年寄りに、感謝と労いをするための介護保険じゃなかったのか?
確かに介護保険を悪用する家族もいるが、本質を見失ってはいけないゾ!
恥も外聞もない政府のやり口に呆れ、節目の10年を口実にして委員を辞めよう。
我がグループ4人の委員だけかも知れないが、来年度は全員が委員を辞するようだ。
誰とも無く口から出たのは、「こんなんだったら、介護認定審査委員は要らん」。
この現実を、桝添さんは何処まで知っているのだろうか?
固定リンク
|
コメント (0)
|
トラックバック (0)
「センセ。あたしの歳がワカランようになったんじゃけど、幾つじゃったかノ?」
「89才みたいやね、カルテじゃ。んで、何でやのん?」
「年末に友達から電話があってな。あんた生きとるか?って聞くから、言うてやったんよ。
この電話に出てるあたしゃ幽霊か?それとも、どっちも死んどるんかって」
「突っ込みが上手くなったやないの、そしたら?」
「んで年は幾つになったか?って聞くから、89じゃって」
「それでエエやん」
「それじゃのに。とうとう呆けたか、あたしと同じ90じゃッ!と来たワケ」
「まだ半年もあるわな。でも年齢の90と89は、大した差が無いやろ?」
「そら気持ちの問題じゃけど、違うんよ。この歳で半年は大きいで」」
「そうかなー」
「半年あったら、友達が3人は逝くで」
「そうかなー。まあTさんの歳なら、そうかも知れんなー」
「それより、その人。Rさんて言うんじゃけど、孫と喧嘩して喘息になったらしい」
「仲直りしたら治るかもオ」
「喧嘩してから10年、喘息が治らんらしい」
「そうかなー。そんなん、いま読んでる教科書には書いてないで」
「安いのを買ったんやろ」
「そうかなー。奮発したんやけど、後の方に書いてあるんやろか?」
「まあ、勉強が足らんちゅーこと」
「そうかなー、悩むなー」
「しっかりお悩みなさんせ」
外来から姿が消えた5分後、
「センセ。あたし、今日ナニしに来たんじゃろ?」
「診察と薬やろ?」
「とうとう来たかも知れんなー」
「そうかも知れんなー」
「そういう時は、お世辞でもエエから。イヤそんなことは無いって、言うもんじゃ」
「そうかなー。Tさんじゃったら、ぼつぼつ来てもエエやろ」
やたら「そうかなー」を連発した、今年の仕事始め外来じゃった。
固定リンク
|
コメント (0)
|
トラックバック (0)
平均年齢が70才代後半の受け持ち患者さんの中には、複数の病気を併せ持つことが多く。
紹介医の指示がこちらの疾患じゃ禁忌な治療で、問い合わせれば「他にはありません」。
こうなるともの言えない患者さんは、治療方針を自然に家族と話し合うことになる。
2つの疾患の治療が相反していて、特にそれが禁忌同士だと大いに悩む。
しかもお互いに代替えの治療が無く、専門外だから紹介した相手の指示を動かし難い。
医者が判断に悩むのだから、病状説明をされた家族が悩まないはずもなく。
可能性と重症度もほぼ同等となれば、最後は見た目というか外に現れる症状。
その見た目についての判断は、時に家族と大きく違うことがあり。
一旦治療方針が決定すれば、最も心落ち着かないのが日々回診する主治医で。
その点で接触時間の長い主治医は、家族や紹介医の狭間で落ち着かない日々を送る。
いくらお気楽で適当な私でも、こう言う時はネガティブ思考になることが多く。
回診を終えて翌日の回診まで、胸騒ぎで風呂上がりのほろ酔いが冷めてしまうこともある。
やくざな生活を30年も続けると、人間の死は何とあっけないものかと思うことしばしば。
生きている内が花で、医者の価値観や人生観はそっちのけで良いんじゃないかと。
今を心静かに生き、自分に正直にコツコツ時を刻んで行くのが一番。
そう思うと、「禁忌」と決めたのも人間だし間違いの多いのも人間だから。
禁忌はそれなりに意識をするが「禁忌」VS「禁忌」なら、最後の決定は1に本人2に家族。
3,4が無くて5に主治医かも知れないが、日々戦々恐々は主治医であるのは間違いない。
固定リンク
|
コメント (0)
|
トラックバック (0)
届いた賀状を見ると合っているのは名字だけで、名前が違っている。
そう言う人は住所の番地も怪しいし、漢字の変換もヘンのおまけ付きだったり。
毎年の事なのはチェックと更新作業が行われていないからで、大いに反省するのだが。
このところ市町村の合併で、「転居しました」とか「住居表示が変わりました」がある。
それではと、住所一覧を作って書き出してみて驚いた。
出した住所の郵便番号の間違いが10を越えていて、番地もあらら?みたいな。
250枚を超す届いた賀状を「あいうえお順」に重ねて、一覧表と付き合わせる。
今年のリセット事始めは、既に正月当直で内科書読破100ページを超えて順調。
当直明けに行ったリセット第二弾が、この住所録更新となった次第。
パソコンゲームなら、負けがこんだり救いようのない不利な状態に陥ればリセットだが。
人間が生きて行く上ではこの手は使えないから、リセットする前に反省して修正が常。
福沢諭吉や大村益次郎の師匠であり、一生を通して怒る事がなかった緒方洪庵センセ。
彼を見習って反省が多かった行動にリセットをかけ、ゼッタイにキレないMIHIセンセに?
だが養生訓ではないが、「モノ言わぬは腹膨るることなり」も気になるところで。
結局は信条の「適当・お気楽」が一番と、リセットしてないじゃん!と言う事に?
3が日を終えてリセットの難しさに悩むのは、今に始まった事ではない。
こういう性格だけはリセットできないかも知れないと、既に反省と修正を始めた新年。
固定リンク
|
コメント (0)
|
トラックバック (0)
「な、ナニい。ヘソから出るってエ」
「ハイ、色んなモンが」
「ポッポが言えないハトとか、レッドスネークカモンみたいな」
「私は、マジシャンじゃありませんッ!」
「じゃあ、胃袋とか・・・。ま、まさか。脳みそじゃ?」
「んなバカな。じゃあ私の頭蓋骨の中には、ナニが入ってると思ってんですかッ!」
「炊き込みご飯とか・・・」
「私の体はイカですかッ!テテテ・・・、力んだら腹が痛いんです」
「もしかして、出刃包丁でも刺さってんちゃうか?」
「3枚におろして、みりん干し・・・じゃないッ!」
「んだから、ナニをコーフンしてんの?痛いんでしょ、腹が」
「あ、そうじゃった。腹と言うより、おへそから出るんですよ」
「そらTVに出られるで、確かにヘソから虎とかライオンを出したら。凄いで。
カンガルー以上、ドラえもん以下やね。真ん中取って、カンガえもんみたいな」
「なんか、お勧め出来ませんみたいな響きが気に入りませんねー」
「しゃあないやっちゃデ。ヘソの穴から、屁をプリプリ出すんで手を打っちゃうゾと」
「センセ。そう言うのって、やっぱ臭いがあるんですか?」
「ヘソと言えば横行結腸の辺りじゃから、相当来るやろなー。さぞかし目にしみるやろ」
「んじゃなくて、汁みたいなクリームみたいなモンが。んで、痛くて」
「君イ。一体どんな遊びしてんの、ヘソで豚汁作ったりみたいな」
「ヘソでなんか、遊んでませんッ!」
「じゃあ、手入れが悪いんだ。ごまは、オリーブオイルでふやかしてから綿棒で。
お風呂に入ったたら、お湯をかけるんやね。初めチョロチョロ、中ぱっぱでな」
「かなりテクを要しますねエー」
「さんしち39年間、修行を重ねたワシでさえ時々失敗するから」
「センセ、計算が合ってませんけど」
「細かいことを言うと、出世出来んよ。んで今日は消毒、明日は反省ッ!」
この介護士Wのストーリーは、某病院お正月当直医のから聞いた話である。
(ゼッタイウソですから、ゼッタイ信じないで下さいね。イヤー、W君には・・・)。
固定リンク
|
コメント (0)
|
トラックバック (0)
半世紀前のお正月は、少なくとも3が日は殆どのお店が休みで街は至って静かだった。
賑わうのは神社くらいのモノで、初詣を済ませれば年賀状を待つだけと決まっていた。
広場では、凧あげ、こま回し、ベーゴマ、メンコで上がる歓声がお正月らしさを感じさせ。
10大付録付き!等と数で競う子供雑誌正月号は、普段の3倍厚みでいつもの10倍の興奮度。
パラパラマンガ、折りたたんだ紙を弾にする輪ゴムピストル、ヒーロー福笑い、紙風船まで。
厚紙とアルミニウムのピンに輪ゴムがセットになった、ロボットや戦車や車など。
ちょっと勢いよく引っ張ると千切れる部品に、切れないはさみと格闘し。
赤と青のセロファンを貼り付けた紙製メガネは、ヒーロー達を立体的に見せ。
それも飽きたら月光仮面ごっこだから、お正月は近所中に赤青サングラスの月光仮面だらけ。
日光を使って感光する手札サイズ用紙の上に、人気者が描かれたセロファン。
ちゃちなカメラが描かれた紙ケースに重ねて押し込み、日の当たるところにしばらく置く。
透明に抜かれた模様の部分が強く感光して黒くなり、黒い部分がグレーになって引き立て役。
大抵は3枚しかない感光紙だから、2枚だけ使ってしまい込み忘れ去られて。
思い出した頃には自然感光で使いようもなく、だからといって捨てられもせず引き出しの隅。
ヒマを持て余し、お気に入りヒーローのメンコの手入れが始まる。
用意するモノは、小皿に少々の天ぷら油と停電に備えてある蝋燭1本。
匙で万遍なくメンコに油を塗り広げ天日に乾かすと、丁寧に乾いた泥を擦り込む。
泥をはたき落として、最後の仕上げは蝋燭を中心から外へ向かって均一に塗る作業。
これで出来上がりなのだが、勿体なくて本番で活躍することは先ず有り得ず。
メンコ入れの箱の底深くにしまい込まれて、引っ越しの時にゴミと一緒の運命を辿る。
風が強いと凧は良い調子で上がり続け、凧ヒモが尽きると買いに走らされるヤツが居る。
強い風に煽られて引っ張られた凧ヒモが切れ、情け無い姿で何処かの屋根の上。
辿り寄せる凧ヒモをため息つきつつ巻き付け終わる頃、おせち料理も食べ飽きた3日目の夕食。
最近あまり人気がないおせち料理は、1日で食べ終わる程度にしか作らないようになり。
ファミレスは子供連れの家族で溢れているらしいが、この歳になるとファミレスはもう結構。
新年の3日目は我が家は大抵すき焼きにして、正月の3が日を終えるのは変わらない。
景気が良くないからか、元旦から商売繁盛!と言うことで店が開き。
これじゃいつもと変わらぬ休日状態?で、縁起モンの飾り付けと琴のBGMで正月と気づく。
かつて自分用の福袋は1度買って縁がないのに、バーゲンセール並みの福袋売り場。
「要らんモン買って、バザーに出すのがオチやろ」ブツブツ言うのは私です。
固定リンク
|
コメント (0)
|
トラックバック (0)

年が改まっても、変わらないモノは多く。
適当・お気楽精神に加え、ますます磨きがかかった自画自賛。
「おろ?これって日本一・・・んー、もしかして世界一イ」の臨床研究ウ。
「あらら、プロ並みイ?困っちゃう、感性とタイミングを逃さない腕エ」の写真道。
「んーと、ビルのこの旋律はエエんじゃけど。そうそう、そこは甘いね」のジャズ道オ。
「君ら、こんなことも出来ないんじゃ。患者さんを触る資格がないッ!」
眠気覚ましにキレる演技の「医学概論」の講義は、5ヶ年計画に押しやられ辞退の予定。
強いて変わったと言えば、今という足元を大切にしていたこれまでだったのが。
結構先のことまで考えるようになったのは、ジジイ予備軍になったからか?
せいぜいその程度のもので、あとは「地道コツコツ」は相も変わらず。
今も変わらない私の主食の肉、中でも牛だけは地位不動のダントツ一位。
その他の肉がオカズの地位でしかありえないのは、年男で共食いだから?
結婚が決まり先輩からお祝いで、「好きなだけ肉を食べてエエぞ」に舞い上がった25年前。
350gのステーキを3枚いただいて、「デザートにざるそばでも?」で顰蹙をかった。
このビア樽体型を維持するには、それなりの覚悟と地道な努力が必要なのだ。
メタボ撲滅攻撃に晒されて、そうも言えなくなった昨今。
だけどだけど、デブ大国のアメリカじゃメタボなんて話題になっていないのは何故?
とは言っても太くちょいと長く生きるには、それ相当の緊張感が必要と思う新年。
気持ちだけでもスリムに若返って、先ずは「不良オヤジ」を目標に。
いつかはなりたい「粋なジジイ」、こいつを目指そう。
力の限り趣味を沢山持って、何にでも挑戦する色気を持ちたい。
ジジイの色気を磨きたく、「モーッと頑張るぞ!」と啼いた朝。
丑年の私は48才ではありませんゾ。念のため。あ、分かってる!
固定リンク
|
コメント (0)
|
トラックバック (0)
大掃除は既に済んでいるのだが、一カ所だけ残していた机周り。
こんな時の定番BGMは、’60年の流行歌(はやりうた)と決めている。
去年は百恵ちゃんのベストアルバム、今年は中村雅俊の同じくベストアルバム。
曲数に差があっても1枚分が小一時間で、最後の雑巾すすぎが終わる時。
全身でリズムを取りながら独りカラオケ状態だから、合わせる高めのテナーに声が枯れ。
「そうそう。この曲が流行った頃は、あんなことやこんなこと・・・」想い出が過ぎり。
綺麗になった確認で指でなぞれば、滑りの良い所ばかりで顔がほころぶ。
次に回すCDを用意する必要がないから、メロディーを刻まなくなってもしばし静止。
いつまでも掲げるのも気恥ずかしくなった表彰の盾を、箱に収めて本棚の奥へ。
今年の我が業界は、車業界よりはまだマシだったのか?と思いつつ。
朝令暮改とますます昏迷を極める政治家達の改悪は、どんな嵐をもたらすのやら。
信条である「お気楽・適当・ちょっと先を見る」の3つ目が、なかなか難しくなった。
さて今年も残すところ1日を切って、酔っぱらう前にカメラのチェック。
三脚の手入れとセルフタイマー操作確認をすれば、ビールと泡盛古酒と仲良くしようか!
我が家と同様、皆様にとっても良き年であります様に祈りつつアルコール濃度は上昇。
固定リンク
|
コメント (0)
|
トラックバック (0)
「Rちゃんは大きくなったら何になるの?」
「あたしねえ、お花屋さんになるの」
行列が出来るラーメン屋、テーブルを3つ隔てて座っている3人家族。
聞くともなく届く会話に、ビールをエンジョイしつつ待つMIHIセンセ夫妻の顔が緩む。
ふと思った自分の子供時代、将来の夢は彼女ほどはっきりと形になっていなくて。
中学校高学年になった頃、将来なりたいモノは節操が無いほどいろいろあった。
ダムを設計する技術者はオヤジの仕事に関連していて、更に弁護士・公認会計士。
最後が医者だったのは、開業医のおじさんとまだ医学生だった従兄弟2人の影響。
三男坊だったオヤジの一番上のアニキが、医学生時代に攻撃された船と共に沈んだ事。
誰でも良いからオヤジ兄弟の息子を医者に、そんな意識が今3人の現役医者を産んだ。
本好きだった私が、小学生の頃に買って貰ったのは圧倒的に伝記。
当然だがオヤジの作戦通り、シュバイツアーから始まって、野口英世、北里柴三郎。
みえみえの人選であったが、確かに子供心に感動した。
医者になって、「あらら、ずいぶん違うやん」は野口英世だった。
中学生の時のに学旅行で訪れた福島県の生家で、胸が熱くなったのは私くらいだったのに。
還暦を迎える年になると、双六なら「あがり」かも知れないと思う時がある。
「もしも医者になっていなかったら、どんな人生を歩んだのか?」
弁護士や設計技師や公認会計士の人生に思いを馳せて、師走のコタツの中で過ごす。
医者を30年もやってきて、人生リセットシミュレーションも無いものだが。
ビール1本で非現実的世界で遊ぶのも、楽しいモノだと思った師走の午後。
固定リンク
|
コメント (0)
|
トラックバック (0)
高校生になった頃から、各種の色のマーカーが手軽に手にはいるようになり。
新しもの好きの私はたちまち赤鉛筆に取って代わって、赤鉛筆が机の上から消えた。
その前から黒鉛筆は、削らなくても良いシャープペンに変わっていて。
それを使い分けるのは芯の濃さで、HBと2Bの2種類を用意していた記憶がある。
鉛筆型をしたシャープペンがお気に入りで、理由は覚えていないが5種類持っていた。
その点でマーカーは、赤・青・緑・黄色と最低4色。時に茶と紫の2色が仲間入り。
おかげで参考書もノートもカラフルになりすぎて、ワケワカラン状態となった。
最近、分厚い内科書を読み始めた時にマーカーを使わないことに決めた。
赤鉛筆を3本用意し、電気削り機を使わずにナイフで丁寧に削った。
昔の切り出しナイフに比べて、今のカッターナイフは切れ味抜群だ。
棟梁のカンナが薄皮を剥ぐように削る作業は、武士の刀の手入れを想起させ。
お勉強という戦いに対峙して、心穏やかにさせる意味があるのかも知れないが。
あたかも作戦を練る武蔵が櫓を削った風が、密かに気に入った。
3本の赤鉛筆が、高さ10cmばかりのボトルに立つまでに30分を要したほどだ。
電気削り機を使った1本もあるが、自分で削ったのは比べものにならないほど愛着が湧く。
年末にこの赤鉛筆が仕事納めをしたのは、投稿した論文2編の校正だった。
雑誌の編集者の風を感じさせる赤鉛筆を入れる作業は、今年最後にワクワクさせてくれた。
赤鉛筆に感謝しつつ校正を終え、ヤツらは小さなボトルに収まって静かに年を越える。
固定リンク
|
コメント (0)
|
トラックバック (0)