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まだ少々体調が悪いので早朝に眼が覚めたりする。そんな時の僕の友達はAMラジオ。風邪引いて約10日、やっと愚息も朝から元気を取り戻すようになって正直嬉し恥ずかし・・・でもとにかく良かった。
昨日の朝も4時半頃、そろそろ明るくなる頃に眼が覚め、なかなか寝付けなくてNHK第一放送を聴いた。
http://www.rakuten.co.jp/arekore/573984/591957/577612/
なにやらインタビュー放送のようだった。「牛乳」の話。
最後まで聴いて分かったのは、岩手県宮古市で50ヘクタールの完全放牧自然牧場を経営している中洞 正さんのこれまでの変遷と酪農にかける持論だったようだ。東京農業大学非常勤講師をされている中洞さんの話は実に面白く、示唆に富んでいた。
かつては他の酪農家のような手法を取っていた中洞さんに転機が訪れたキッカケは、農協の「脂肪濃度3.5%以上」を推奨する政策だったそうだ。いまでこそ低脂肪が見直されているが、かつての農協では3.5%以下では買い取り価格が半値とされ、農協の販売支給する「配合飼料」で乳牛を飼育しないと難しくなったそうだ。
今のバイオ燃料でも矛盾が指摘されているが、世界の食料危機をもたらしている穀物不足。本来完全に草食の牛に、濃い牛乳を効率よく得るために人間が食べる穀物を沢山食べさせる・・・これに彼は疑問を持ったそうだ。自然放牧では季節変動があり低脂肪で採算が合わない。しかも、農協が買い取る牛乳は高率優先の高温殺菌で、栄養素などの破壊が心配される。
酪農家としては悩んだ末に7千万円もの個人借り入れをして自前の加工工場をつくり、低温長時間殺菌という非効率ながらも品質第一の牛乳を提供するようになった。勿論、山間地を利用した完全放牧、配合飼料は用いず、365日24時間の自然放牧の牛乳は他の3倍近い価格ながらも消費者マインドを捉えたのは当然のことであろう。
狭い日本、しかし有効利用されない山間地が放牧の適地と考えて、植林地の下草刈りを牛の舌で刈らせる「舌草刈り放牧」を全国に広めようとしている。
50年近く研究を重ねて、生産~加工~販売まで・・・従来の農協の方法とは一線を画した自然放牧牛乳・・・美味しそうだ。
「医療崩壊」と並ぶ日本の危機的「農業崩壊」・・・為政者の長期的国家ビジョンを期待したいが、福田じゃね~と諦めムードの狭い落日の日本に輝く光を見つけた思いがした。
時には早起きも良いものだ・・・
読んでくれてどうもありがとう
これが恐らく 僕の「とりあえず最後」の記事になると思う。最終日の明日19日は「今後の願望」を書こうかな・・と思う。
暇があったら読んで欲しいが、今日は 1978年3月の旅立ちの記憶である・・・
その前に、実は カウントダウンの「三回の旅立ちの記憶」を書こうとした後で、どの三回を選ぼうか相当迷ってしまった。最初に進路を自分で決めたのは「どこの中学に進むか」だったし、医学部に進路を定めた後も、「どこの医学部に進むか」も実に大きな決断を要したわけである。それなりにスンナリ決まらずに家族との対立も経験した。でも、僕に最も相応しいだろう・・と、最後の記事は「高校卒業」をテーマに選ぶ事にした。
何度か書いたことがあるが、僕は一年間の予備校生活を送った。別に恥だとも思わないし、実に多くの実りを人生にもたらしてくれた一年間だったと思う。
僕は高校2年の途中まで文系志望だった。最初は政治家、次は外交官、その後は検事か弁護士になりたいと思っていた。今でもそんな仕事が出来るなら してみたい。
そのせいだと言うと言い訳がましいが、僕は理系教科を怠けて仲間に遅れをとって受験に失敗した。旧制高校の名残のある大学医学部の受験が終わった時、「受かりそうだ・・」と感じたがダメだった。人生そんなに甘くは無かった。合格発表に名前を見出せずに、列車にのって家に帰り着くまでの長く苦しく悲しかったこと・・・合格して喜ぶ友人達と顔を合わせるのが辛かった。
進学校だったが、浪人生の多くは校内の「補習科」と称する学内予備校に通うのが普通だったが、僕には耐えられなかった。環境を新しく変えたいと感じたし、進路をもう一度考え直したかった。そして僕は仲間から離れて予備校に行く事にした。
予備校にも難しい受験があった。何たることか 駿台予備校のトップクラスには合格できず、再びショックが襲ってきた。何で予備校まで落第するの? 駿台の2番目のクラスに入ろうとして寮を見に行ったが、紹介された板橋区にあった寮への満員電車に乗ったら 気力が一気に失せていった。ここ板橋では僕は耐えられそうも無い・・・ そして、代わりに京都駿台のクラスを選ぶ事にした。それが僕にとっては良かった事だと今では確信している。
京都の予備校の【東山南寮】の話は以前ここで記事にしたと思う。憧れだった旧制高校の寮生活を髣髴とさせる古都の寮生活だった。
しかし、一度受験に失敗すると色んな事を考えてしまう。「このまま医学部へ進むべきか」 「次回は安全策へランクを下げるのか」 「どこの街で大学生活を送ろうか」 などなど、考える時間は勉強時間を削りさえすればタップリあるようで、京大へ進学した先輩などを訪ねながら 受験勉強そっちのけで思索にばかりふける困った予備校生だった。
実は予備校生も五月病にかかる。僕は「医学部進学コース」に籍は置きはしたものの、かつての文系への想いが再び甦ってしまった。東大文系に進むほうが幸せか? この答えはまだ出ていないが、医学部進学への決意が再び定まった時には既に季節は夏だった。ず~っと悩んでいた僕は、ある日 予備校をすっぽかして、金沢へ列車で向った。そして、一日かけて金沢と内灘を巡った。
志望校の一つであった金沢大学附属病院を見学したが、実は四高で学んだ井上靖の跡を辿りたかったのである。井上は漱石と共に僕が中学高校で最も好きだった作家の一人だった。あんなバンカラな旧制高校の生活に憧れていたわけである。
日本海を見下ろす内灘の丘の上の「井上の碑」を訪れて、僕は不思議と素直な気持ちになった。そして「迷い」が吹き切れた・・・ 「やっぱり医者になろう・・」と想いながら京都へ戻った。
その後、僕は金沢大学を受験はしなかったが、金沢は僕にとって色んな意味で大切な街になった。昨年の夏、僕は医者になって初めて金沢を訪れた。妻を連れての日帰り旅行だったが、僕の心を全て伝えることは簡単じゃない。この記事を妻が将来もしも読む機会があれば、僕の事を今より少しくらい判ってくれるかもしれないが・・・
さて、この一年間 駆け足で過去を振り返ってきたが、本当に楽しかった。僕の人生はこんなだったかな・・と子供たちには伝えたかったし、薄れ行く記憶を定着させるには貴重な作業だった。
小説家・詩人・音楽家・映画製作者などなど 自分の軌跡を鮮やかに残せる仕事の人が羨ましかったが、普通の医者である僕も、今回の一年間のブログ活動が「自分自身の再発見」には繋げられたかと感じている。川の流れをのぼり下って歩いて辿る様に人生を振り返る・・・ 実に楽しい作業だった。
最終回の明日は、今思い描いている「ブログ活動の今後」を書いてみたい。
みなさん 一年間 読んでくれてどうもありがとう。
二回目の今日は1985年5月の記憶である・・・
医師国家試験が終わった四月の初め、僕は旅行会社に行って初めての海外パッケージ旅行を探した。まだ卒業旅行とやらが流行していたわけではなく、とにかく試験が終わって・・という感じだったが、いざ暇になると 5月中旬の合否発表まで国内に居ては落ち着かない気がしてきたのである。
既にどれも締め切りで 選ぶ程ではなかったが、僕は最初で最後のパッケージ旅行のスタートを ギリシャに決めた。言うまでも無く、ヒポクラテスの故郷・・・まだ医師でもない宙ぶらりんの身ではあるが、これからの人生を医師として生きていくうえでギリシャへの旅は相応しいと感じた。実はこれがはじめての外国であった。
ギリシャでは、「ヒポクラテスの誓い」の銅版レプリカを購入した。この写真はそれとは違うが、似たようなものだ。引越しばかりしているうちに所在不明になってしまったが、そのうち探し出そう。

ギリシャからイタリア、オランダ、ベルギーと周り、念願のユーレイル特急でパリの北駅に入った。
その時までに親しくなったKさん、オペラ座のステップで旅行の最後の晩に二人で語り合った事を覚えているだろうか? 隣のル・グランの部屋に戻って・・・僕は旅行の間の事を思い返していたけど、どうしても眠れない一夜だったことを 貴方に後日伝えただろうか?
旅行から帰国した二日後が合否発表の日だった。合格率は高く、まさか落ちるとは考えなかったが、合格した翌日に「医局」へと出向く手はずになっていた。
僕は某国立大学を卒業したが、循環器科で有名だった某私立大学の第@内科に入局を決めていた。卒業直前まで産婦人科志望だったが、帝王切開手術の見学中に「ヒンケツ」という名の迷走神経反射を起してしまって・・・諦めてしまったのである。当時は産科医不足ではなかったので引き止められはしなかった。そして、佐野元春の「HEART BEAT」という曲に引きずられるように僕は志望を循環器科へ変更してしまった。実に安易な人生設計である。
幸いにも国家試験は合格した。そして、翌朝・・・古い建物の薄暗い医局とやらに新入医局員11名が勢ぞろいした。他大学からは僕とY君の二人で、何となく余所者の肩身の狭さを一瞬感じたが、良き仲間に恵まれたと直ぐに判った。国立から私立へ入局したので物好きだと思われたようだった・・・
医局長のS先生は、20年以上もたった今でも公私共に親しくさせていただいているが、僕の大学まで(僕みたいな優秀な学生を)スカウト?に来ていただいて凄く感謝している。S医局長の紹介で皆揃って当時の教授に初めて顔を合わせたが、噂とは違って良い雰囲気の権威を感じて安心したことを覚えている。

医局棟から病棟への長い道のりを 新品の白衣に身を包み 医局の同級生たちと一緒に歩みながら、僕は過去を振り返りつつ今日から始まる医師としての新たな生活に胸躍らせていた。そして、それは確かに素晴らしい医師人生の始まりだった・・・と 今のところ感じている。
教授の恩師の前教授に大学時代に出会い、なんとなく自然な流れで入局が決まったような錯覚さえしたくらい居心地の良い医局生活だった。
たった 27,350円という安い月給を除いては、僕はその医局が大好きだった。「白い巨塔」という「虚像」などクソ喰らえ・・・である。実際の医局生活には、実に温かな息遣いや指導や友情が確かに存在した。今の研修医たちは医局の本当の良さも知らず、悪い面だけを喧伝されて可哀想だと・・・僕は思う。
こうして、僕は医師として旅立った・・・ その医局生活で出合った全ての人々に僕は深く感謝している。
読んでくれてどうもありがとう。
(19日へ向けて 勝手にカウントダウン)
高齢者、しかも糖尿病から腎不全になった患者が増えている。当然、眼科受診をする患者も多い。また、白内障の手術を気軽に外来で透析患者も受けることが出来る良き時代である。
先日、透析患者を回診していた時のことだ・・・
僕、『Mさん、白内障の手術してドウね?見えるね?K眼科は患者さん多い?』
M、『見える、見えすぎで眩しい。患者さんが急に増えてるみたいね。最近はQ市からまで何故か来るみたい。腕がいいのかいな?』
僕、『Sさん、もうスグだよね、白内障?』
S、『それが、わたしQ市のH眼科からK眼科に代わったんですよ。看護婦さんから電話貰って、H先生が倒れて入院してて、たぶん眼科を続けられないとかで・・・』
僕、『あら?いつの話?知らなかったけどホント?H眼科は凄く流行ってて無茶苦茶患者さん多いんでしょ?腕も評判やったもんね』
S、『1週間くらい前、脳卒中みたいで病院は多分もうダメみたいな話でしたよ。評判だったんで、Q市にワザワザ行ってたけど』
【ガ~ン】である。Q市のH先生は地域では評判で、腕も良いが患者が多くて待ち時間も長い。母も数ヶ月前にH先生を数回受診していたが、午前中行っても夕方までかかるのが普通らしくて、そんなに待てないと近くの新しいK眼科に最近は代わったという。
昨夜、夕食時に母にその話をしたら・・・
母、『あらそうね?やっぱりね。あんなに忙しくちゃ身体持たないでしょ。まだ60歳くらいだったのに残念だろうね、家族や職員は・・・ それがね、私その前はZ眼科に行ってた訳、同じQ市の。そしたら、Z先生が突然コロッと死んじゃったのよ。あそこも凄く忙しかったのよ。怖いわね、あんたもゼッタイ死んだらダメよ。流行らなくてもいいから死んだらダメ・・・』
母に言われなくても僕は早死にはしたくない。評判悪くても死にたくない。でも、評判は良いにこしたことはない・・・
「勤務医の過労死自殺」を昨今よく見聞きする。楽を求める目的での開業医への逃散が相次ぐという話もまことしやかに語られる。『開業医は楽すぎる、診療費を抑制せよ・・・』
確かに暇な開業医、楽な開業医が少なくない事は否定はしない。しかし、勤務医以上に過酷な仕事をこなしている開業医は実は沢山いる。評判を勝ち得たマトモな開業医の所には患者がひっきりなしに集まってきて、誠実に「診療をこなす」だけでもイッパイイッパイな場合も少なくない。開業医には経営者・管理者・事業主としての仕事や医師会での地域保健活動なども加わる。流行れば流行るだけ身体を削るような過酷な事態が待っている。
無茶苦茶流行る開業医達は【本能】なのか、押し寄せる患者から決して逃げない。『ここには自分しかいない、休めば終わり・・』という感覚なのか? 殺人的に多忙であっても「看板を背負っている」という自覚が「逃げる事」を決して許さないのかもしれない。僕のところ程度だと全くわからない感覚かもしれない・・・
流行らない開業医の自殺は時折きくが、超多忙の開業医の自殺は僕は聞いたことは無い。しかしながら、超多忙の開業医が45~65歳くらいで急に倒れたり亡くなったりした話は何度も身近に聞いた。ほとんど報道される事は無いが、流行る開業医は短命なのではないか?
【流行る短命な開業医と流行らない健康な開業医・・・】 どっちが結局しあわせなのだろうか?
僕にはまだ良くわからない・・・ でも、忙しすぎて『もう勘弁してくれ・・』と感じる時がある。勤務医の時には何かと理由をつけて短時間の「雲隠れ」も可能だったが、【流行り過ぎた開業医】は雲隠れをする事が躊躇される・・・
読んでくれてどうもありがとう。
我々は医師であるから、「医師の過酷労働」ばかりを気にしがちであるが、医師であるから「医師以外の過酷労働」もそれなりに知っている。
また、開業医は経営者であるから「勤務者の労働環境改善」と「労働者の健康管理」には経団連のお偉いさん以上に気を配っている。グッドウィルの会長などは出鱈目だ。
診療所には「市長、経営者、管理職、消防職員、警察官、教員、船員、運転手、夜の蝶、風俗嬢、ヒモ、事務職、肉体労働者、フリーター、主婦、身体障害者、老人、学生、生活保護者、暴力団員、外国人・・・」などなど、ありとあらゆる職種や人生観の人たちがやって来る。生活の悩みは色々聞かされるし、本音や家庭環境も知る事ができる。家族の知らない患者の悩みは病気だけではない。
【世間知らず】と批判を浴びる開業医でも、そんな様々なことを知りたくなくても知ってしまう。こんな職業は多分少ないだろうから【世間通】が本当だと思うのだが・・・。だから、マスコミや知識人や経団連幹部より色々と知ってる医師も多い・・・といっても信じてくれる人はすくない。
さて、その【過酷労働】であるが、僕の身近にも沢山転がっている。ちなみに当院の職員達は、「完全週休二日、週40時間厳守、有給休暇消費、その他ほぼ完璧な職場環境」なので、誰も辞めなくて顔ぶれが変わらず毎年古くなって皺が増えていくので困る?位である。しかも名医による健康管理はバッチリ・・早期発見・早期治療、病気欠勤者もほとんどいない。唯一の欠点といえば、給料が安い事くらいだ・・・・・?困ったもんだ?
しかし、そんな「当院みたいに良い職場」ばかりではない。コムスンの労働環境を見たら凄い。介護職員を募集すると、コムスンの職員達が「給与が下がってもいいから雇って欲しい・・」と次々にこられる。
職員達はいいのであるが、問題は職員の家族の方だ。過酷な労働条件で体調や精神状態を狂わしてしまっているケースが良くある。今日もある職員の夫が体調不良で来院した。まだ30代で若いのであるが、つらそう・・・TVでもよく取り上げられるが、「長距離トラック運転手」である。
彼は、夕方に出発して4日目の深夜に帰宅する間は、毎日の睡眠時間は2~3時間ほど。深夜に帰宅後は、夕方まで家で静かに過ごして次の4日間の遠征が始まる。家庭滞在は一日も無い。色んな夜勤者のシフトを知っているが、かなりキツイ職種だと思う。このサイクルを特別な理由が無い限り延々と続ける。特別な理由とは「身体を壊した時」くらいのようで、生活の為に倒れるまでやる・・・という運転手がおおいようだ。TVの報道も同じパターンである。欝になったり事故が起こらないのが不思議である。社会保険庁の職員に「くさ~い股の垢」でも煎じて飲ませたい・・・
しかし、倒れるのは何も運転手だけではない。「運送会社」も倒れるのだ。実際、この職員の夫は前の運送会社が倒産して今の会社に移っている。その間は当院で働く妻の扶養家族で保険もカバーになるが、今話題の給与水準の低い介護職なので生活も全然楽ではない。
仕事があっても収入が無い、そんな日本に誰がした?・・・である。
医師にとって辛いのは、「職員の夫」に休め・・といいにくいことである。処方箋は「休養一番」なんであるが、当院のあるような地方田舎にはマトモな仕事が少ない。
体が辛くて休んで、会社に放置されて、生活に困窮して、家庭が荒れて、夫婦喧嘩して、投げやりで離婚していく・・・というケースが如何に多いか・・・・身近に沢山いるし、患者さんにも沢山いる。
ボンボンの安倍ちゃんや世襲議員や都心専従者には判りっこない・・・でありましょう。なんとかしないと危ないでっせ・・・日本、チャチャチャ。
読んでくれてどうもありがとう。
最近の【マスコミによる医師叩き】を反映してか、受験生や子供達の間で好からぬ傾向が出始めているという。成績も良く、医師になりたいという願望もそれなりに持っている子供達が、将来の夢に関して不安定な精神状態にあるようだ。
【医学部に行って卒業して医師免許は取得したいけれど、環境が改善されずに悪化するようであれば臨床医としては働かない】という考えが子供達の間で増えているという。実際に医師が自分の子供達に医師になることを奨めにくい昨今の医療情勢ではあるが、かといって医師であることを誇りと感じていないわけではない。医師になりたての時の希望と喜びとを完全には捨てているわけでもない。しかし、現代社会は「健康な医師」であることを寄ってたかって難しくしているのも確かである。
今日も奈良で医師が患者家族に刺された。「昔の診療への恨み」だというが、先日も尼崎で看護師が指されたばかりである。各地で驚くような医療裁判は幾つも進行中である。これからは地方切捨ての結果で過疎化が進行する僻地派遣が当然のように語られ、24時間体制を開業医にも迫ろうとし、経済的余裕どころか過労死が当然の世界となっている。「患者家族」に刺されかねない環境の中で、守る手段に乏しい開業医にどうしたら24時間医療が可能なのであろうか?死の危険や訴訟の恐怖と常に隣り合わせである。誰が好き好んで危険を引き受けるのか?
さらに危険なのは、これらの「不条理」を若者や子供たちまで実感として既に感じ始めている事である。
成績が優秀な子供達が医学部を目指すのは不思議な事ではなく、僕は当然だとも思う。成績が優秀な子供で心優しき子供達も非常に多い。そして、そのための準備には何年もの努力が必要である。遊んでばかりでは医学部には入れない。しかし志望して実際に働くまでに10年以上のタイムラグがある。今だけを見ては進路は決定できない。
しかし、今後の医療環境は改善する可能性も無くはない。アメリカ型に変貌するかもしれない。生きがいや遣り甲斐を実感できる医師であることが可能にならないとも限らない。だが、就労環境が改善してから医学部入試の準備を始めても遅いかもしれない。文系から理系に変わるのは簡単ではない。だから、子供達は将来に希望を持ちながら受験準備だけはするという。
その子供が医学部を卒業して研修を終了する状況において、医療環境に改善が見られず将来が展望できないようであれば、そんな子供達は【医師免許証】を卒業時には意図的に眠らせ、他の仕事を始める覚悟だという。
特に人気があるのはマスコミと金融のようだ。それはそうだろう。完全に勝ち組職業であろう。司法関係のハードルが低くなったため弁護士志望の医学部生が最近はふえたという。以前、ブログに書いたが、医学部卒業生でマスコミや金融の就職試験を受験する人が少しずつ増えていく事が予想され、現実に流れもみられる。
【医師免許を取得しても日本で臨床医としては働く魅力が無い】、と判断した子供達はクールに異業種へ進み成功するものも現れるだろう。今以上にアメリカに飛び立つかもしれない。大リーグはOKで医師はダメともいえまい。甲子園で優勝しても職業野球に進まない・・というのと似ているかもしれない。
マスコミに代表される大人たちは、そんな成績優秀な子供達が増えつつあるのをご存知だろうか? 医師不足に加えて臨床医回避・・厚労省技官もそんな人たちだから理解してないはずは無いが、医師不足にさらに拍車が掛かりそうで僕はコワイと感じる。
しかし、医師免許を取得しても異業種に魅力が劣り訴訟リスクが高まり、患者に刺し殺される危険性が増えるのであれば、そんな問題点を敏感に感じ取って人生を選択しようとする子供達を、我々大人は簡単にはとがめる事は出来ないはずである。
読んでくれてどうもありがとう。
今日は4名の「業者さん」を不本意ながら「休日勤務」に巻き込んでしまいました。これも患者さんのため・・ですが、当の患者さんは全く知りません。
先日も少し書きましたが、透析患者さんもGW期間中は旅行によく行かれます。その場合、どうしても透析日時の調節が必要ですが、なにぶんこのご時勢では機械の数やスタッフに限りがありますのでご希望には添えない事も無くはないのですが、「なんとか希望に沿う」というのが当院のポリシーであります。
そうしますと、このGWには透析機械が不足しました。でも、「旅行の楽しみ」を患者さんから取り上げてしまうのも申し訳ありません。通常、冠婚葬祭・旅行・機械の故障などを念頭に「2台の予備」を心がけていますが、GWや年末年始にはそれでも不足します。機械が不足するという事は、スタッフも多く必要になったりしますが、GW中に勤務が「増える」のを要請するのは経営者としては辛いですね。スタッフの家族の事が思い浮かびますから・・・
しかし、何事も患者中心にしないと、ぼろ儲け中の銀行への更なる貢献や天下り推進のための高額納税が出来なくなって社会貢献の趣味も諦めなければならなくなりますので、急遽土曜日に透析機械を購入しました。普通の国産自動車ほどの値段がしますが、患者さんのためです。しかし、実際にはもっと必要な事があります。
機械の設置と初回使用時のトラブル防止のために、土曜日と本日の二日間、延べ7名の「透析機械屋さん」に来院して頂きました。内心、GWを二日間も潰されて悲しんでおられるんでしょうが、患者さんのために泣いて頂きました。僕らは毎度毎度で慣れていますが、業者さんは通常GW期間は連休を取られますので非常に申し訳なく思います。患者さんの「旅行や遊び」のために・・・と考えると腹も立つかもしれませんが、「営業成績向上」のためとクールに考えて頂いてる事でしょう。
旅行に行かれる患者さんには、よくお土産を頂きます。本音では、お土産頂くより休みが欲しいのですが、医師会はマゾなんでしょうか?365日24時間を受け入れたがっている医師会幹部が多いらしいですね。偉いですね、唐沢会長さん。医師会長をやりながらの365日深夜往診なんて相当大変でしょうね?メタボ風体型の様ですから、どうぞお体を大切にしてくださいね。
今日は朝から回診の合間にずっとレセプトチェックをやってますが、僕はネットのポッドキャスト放送を聞きながら楽しくやってます。左のリンク先に紹介していますが、『京都三条ボンズカフェ』と『NHK地球ラジオ』ですね。便利な時代ですね。しかし、レセプト提出5月8日締め切り・・・とはイジメみたいですね、全く~。事務さん達も年頃ですから、GWには遊びに行きたいでしょうに・・・
しかし、『全国ヤブ医者マップ』なるものはひどいですね。こんなのは名誉毀損や個人情報保護違反にはならないんでしょうか? もしOKだとすると、そのうち、『全国 危険な患者・弁護士・マスコミ 情報マップ』などの「会員専用の有料裏サイト」が出来ちゃいませんか?
ほんとに社会崩壊・医療崩壊が心配ですね・・・
読んでくれてどうもありがとう。
日本たばこ専売公社(JT)は、企業の論理だけで行動しはったらあきまへんえ。うちらえろう迷惑しとりおすのんや。いい加減、禁煙にしておくれへんと、医療費かて大変な事になりおすえ・・・と祇園の女将が言ったかどうか分かりませんが、タバコは段々減らさないとダメですね。
タミフル被害は浜六郎さんの妄想のようで、実態は高熱による異常行動のようですし、調べれば調べるほどタミフル服用しなくても飛び降り10代は発見されるようですが、タバコの害はほぼ真っ黒でしょう。タミフル処方禁止をするよりもタバコを完全に禁止した方が遥かによろしい。
今日の報道で、JTが「厚生労働省が現在策定作業中のがん対策基本計画に、喫煙率引き下げの数値目標を盛り込むことに反対する意見書を同省など関係省庁に提出した」とある。「数値目標を設定することは個人の嗜好の問題」であり「国家権力が介入して個々人の判断を特定の方向に向くように強制しようとすることにほかならない」としているらしいが、馬鹿かおまいら? 「個人の嗜好」に抑制をかけられないなら、オヤジ狩り嗜好もアナル嗜好も万引き嗜好も麻薬嗜好も盗聴盗撮嗜好も幼女レイプ嗜好も猟奇殺人嗜好も人肉喰嗜好も・・・国家権力は黙ってみてるんかい?とにかく、タバコもあきまへん。
ところで、皆さんの病院や診療所に喫煙者はいますか?当院の職員には現在喫煙者はゼロです。一名だけ半年前まで建物の外でコッソリすっていましたが、ただ今はニコチンパッチ成功で禁煙しましたし、患者さんも灰皿は開院以来院内にはないので誰も少なくとも院内では吸いません。喫煙する際には、駐車場の車の中ですわれているようです。誰にも文句は言われません。
職員採用の際には必ず喫煙者か否かを確かめます。くさい臭いがしますので通常誤魔化しは不可能です。喫煙者と判明した場合には自動的に不採用とします。少し厳しい採用基準でしょうが、個人経営の運命共同体で、しかも診療所ですから当然許されるかと思います。
男癖・女癖・酒癖の悪い人も判明すれば当然採用しません。ただし、こちらの方は簡単には判断できません。今のところ、この手のスキャンダルは生じていないようです。院長自身は例外規定で守られているとかいないとか・・・
容姿・ファッションセンス・髪の毛の色・BMI値・腹囲なども、当院独自の隠された選考基準がありますが、メタボ基準のように公表してはいません。
これらは全て、院長の「偏った嗜好」の問題ですが、あくまでも来院される患者さんに不快感を与えないようにするための最低基準と考えています。
読んでくれてどうもありがとう。
今宵の報道ステーションの「病院崩壊」特集、皆さんどんな気持ちで見ましたか? 僕はその時刻まだ診療所で働いていましたから、残念ながら後半しか見ていませんが、古館氏の最後の締めの言葉には大変悔しい思いがしました。自分達の報道の仕方にも問題があり反省するような言い方をするにもかかわらず、あんなまとめをするとは・・・この人は何にも分かっちゃいないな、と感じました。
『医師の皆さん、完全なる自己犠牲というのは大変かもしれませんが、昔のお医者さんはもっと自己犠牲の精神が多かったような気が私にはしますけど・・・・』と結ぶ古館氏。確かに以前の方が「自己犠牲をし易い」時代背景だったとは思うが、マスコミが後押しするこの殺伐たる訴訟社会で、医師個人の自己犠牲にこれ以上頼るとは・・・誠に無知とは怖い、恐れ入った。
自己犠牲による僻地勤務。僕の場合はドウだっただろうか?実はそれに似た時期を過ごしていたことがないわけではない。想い出話を忘れないうちに、娘達のためにでも書き残しておこう。
医師になって三年目に、僕らは大学病院から離れて3年間の関連病院めぐりをやった。大学病院はほとんど泊まりこみに近いハードなストレート研修で非常にためになったが、月額2万5千円の報酬ではアパート代にもならないので、高額な報酬を頂ける三年目以降の病院めぐりは楽しみであった。といっても、最初の病院は年収130万円で、掃除のオバサンより安かったのではあるが・・・ ただ、派遣先もかなり当たり外れがあって、僕の前の学年までは、離島の公立病院一人内科医長と、陸の孤島の個人病院副院長というのがワースト2(関係者の方、失礼)であった。入局者数の関係や地方国立大学の増加などで、離島のジッツは手放したのだが、反対する意見は当然でなかった。個人病院の方は、教授の友人の経営する病院だったのでその後も長く派遣が続けられたが、みんなに「ハズレくじ」と思われていた。
11人の同学年のうち、一人がハズレくじを引く事になるが、決めるのは医局長と教授であった。「開業医の跡継ぎではない独身の優秀な奴を送れ・・」という秘密の指令があったとかなかったとか・・・ そこには可愛い一人娘がいたのである。真の目的は・・・僻地病院への永久就職だったのかもしれない。
以上の条件に見事当てはまってしまっていた僕は、最初の派遣先の大きな国立病院で「知らせの電話」を受けた。2月に総移動になるので一月中旬には対象者全員に大学の医局長から電話連絡が順次入る。しかし医局長も人の子、知らせやすい良い派遣先に決まった人から先に知らせてしまい、どうしても「ハズレくじ」の派遣先は先延ばしになってしまう。つまり、同級生の中で最後に電話が来るのが「ハズレくじ」なのであり、最後ということは・・・・「ゴネテも変更は有り得ないという最終決定」なのである。意向打診という生易しいものではないのだが、そこは多少の情けもあり、期間を短くしたり、その次の派遣先を選ばせてくれたりもする。
僕の場合も最後だったので判っていた。神妙な声で医局長は、『君に頼むしかない。是非、俺の頼みを聞いてくれ。そのかわり、その後はどこがいい?好きなトコ、言ってくれ』と言って全てが決まってしまった。幸いな事に、陸の孤島は7ヶ月勤務となり、その次も大都市の人気病院が内定した。
車に全ての荷物を積み込み、1月31日に陸の孤島と呼ばれた町に乗り込んだ。4年目で副院長というのは聞こえはいいが、50床の個人病院に外科の院長と内科の副院長だけ。派遣期間中は土日も夜間も常に拘束状態で、年収は500万円だった。最初にあてがわれたボロアパートには暖房器具がなく、夜通し隙間風が吹き込み、寒さで眠れぬ初夜を過ごした。あの寒さと寂しさは今でも決して忘れない・・・震えながら涙が流れて僕は先を案じた。
循環器のストレートで大学でも国立病院でもやって来た僕が、田舎の一人内科。ハッキリ言って、循環器以外は実践経験に乏しい。しかし、現場は全然待ってくれなかった。初日から外科の院長が、胃透視に付き合えという。つまり、一度だけは手本を見せるから明日からは君がやってくれ・・という事のようだ。何かあるたびに、『前任の@@君は何でも良く頑張ってくれた・・』というのが口癖だったが確かめる余裕もなく初めての仕事が回ってくる。手本といっても、院長は決して上手とはいえない。確かにこれなら僕がやったほうが良いかもしれないと思わせる芝居がかった技量は大したものである。翌日には、胃カメラをやるからティーチィングスコープで良くみておきなさい・・・と言われて覗いていると、『おや?白内障かな?ボーットして良く見えんな、君変わってくれないか?』といって、いきなり指導も受けずに胃カメラを持たされた。しかも、そこには・・・・初めて経験する早期胃癌が存在していた。
こんな漫画みたいな世界。先輩達には、「循環器のプロに成りたきゃ、胃カメラとか透視とか絶対に手を出したらいかん。専門がしないと患者に失礼だぞ、癌をもし見落としたら申し訳ないだろ?」と、固く言い聞かせられていたのを思い出したが後の祭り。初めてやった胃カメラで、初めて生検やって検査伝票書いて、それが早期癌だった。僻地では、「するのも怖いが、しないのも怖い」と思い知らされた。電子スコープと違ってフィルム撮影のファイバーは後から見直しが難しい。写真が出来るのは数日後、おかげで病変観察スケッチが循環器の癖に相当上手になった。結局、循環器しかしたことなかった僕が、教科書を何冊も読み漁りながら、半年間に胃カメラを100例以上やって、4例の早期癌を発見した。ついでに、大腸透視までせざるをえなくなり、2例の大腸がんを発見した。
でも、やらずに7ヶ月乗り切れば済んだ事かもしれない。早期癌ではその間には死ぬ事はない。消化器以外も指導してくれる人は居らず、粟粒結核初期やDICや即死に近い交通外傷などもそこで初めて経験した。簡単な手術も手伝わされた。学校検診もやったが、助産婦からの依頼で妊婦の検診までやった。出始めの心エコーで胎児の心奇形を検索しますよ・・・といって田舎の助産師を驚かせて楽しんでもいた。その心エコーは僕へのご褒美で院長が買ってくれた。これでもっとバリバリ頑張れ・・という事だったのかもしれない。
院長は、東京の医大で学ぶ可愛い一人娘が帰省するたび、「心エコーを教えてあげて」とか、「胃カメラを教えてあげて」とか、一緒にいる時間を作りたがっていたようだが、プライベートまで踏み込まれるのはさすがに困った。
その頃には、可愛い娘の将来の新居が完成し、僕は汚いアパートを引き払ってそこに入った。といっても、永久就職を決めたわけではない。さすがに、このまま陸の孤島にうずもれる気にはなれなかった。院長は気の良い豪放磊落な典型的な外科医で僕は嫌いではなかった。
7ヵ月間、いわば住み込みで個人病院勤務をしたわけだが、僕には幸い逃げ場があった。車で40分位のところに以前から非常に親しくしていた産婦人科開業医一家が住んでおられた。携帯電話は当時まだ普及しておらず、僕はポケットベルを持ってしばしばそのK市の産婦人科開業医の所に息抜きに出かけた。それがなければ精神的に辛かったかもしれない。そういう意味で、僕にとっては完全な見知らぬ僻地というわけではなかった。
僕は、その病院で働いた事を全然悔やんではいない。むしろ将来に役立つ良いチャンスを与えて頂いたと思っている。自己犠牲などと当時思ったことはなく、医療ミスとか医療訴訟とか想像したこともなかった。住民は僕を信頼するしかなかったし、実際に僕を大切にしてくれた。職員の皆さんも良い人ばかりで、田舎の生活も苦にはならず、一定の期間であれば僕の様な僻地勤務も有意義と考えられるのではないかと思う。
決してあの病院に永久就職したほうが良かったとは思わない。しかし、今の若い皆さんがことさらに僻地勤務を「研修できない無駄な時期」だと考えていることは、少し違うような気がする。医局制度がなかったら僕もそこには決して行かなかっただろうとはおもうが、マスコミ報道や厚労省のドタバタ劇を見ていると、僕らの時代は良かった・・・と感じてしまう。
僻地に強制派遣させられたが、僕は医局制度には賛成だった。
読んでくれてどうもありがとう。
先日の本の紹介、『高学歴ノーリターン』に関して、僕のブログ記事にしてはコメントを多く頂いた。普段、コメントへの返事を失礼ながら書かないのですが、補足の形で書き記します。
この元厚労省キャリア官僚の著書は、極めて刺激的なタイトルですが、僕も実は内容的にはほとんどの点で賛成なんです。よく読むと、「高級官僚への逃散の奨め」になっていますね。医療崩壊は現在かなり進行していますが、霞ヶ関官僚は、これから「高学歴エリート官僚を虐めるなら、逃散するぞ」と脅しをかけている風にも見えます。昨今の公務員改革への抵抗が組織的戦略の結果だという事が良~く分かります。お坊ちゃま医師会と違って相当激しい抵抗への予防線というか先制攻撃ですね。
しかし、この人は「いい事」も書いているんですね。学歴社会崩壊で「金を稼ぐことがすべて」になると、親の姿を見てほとんどの子供は地道な努力を怠り、社会がギャンブル的風潮になり殺伐たるものに変容する。もっと努力して高学歴を得た人、学問的に努力を持続している人に報いる新たなタイプの学歴尊重社会を構築しないと社会が変になり健全な姿には二度と戻らない。「医療崩壊」も似た構造と考えられるし、ある程度その通りだと僕は思うんですね。もっと勉強した人たちを認める社会になってほしいと。
賛成できない点は、「医師」を「不当な扱いを受ける高学歴エリートの不満の理由」に位置づけている点ですね。元厚労省キャリアは、医師を意識的にか「開業医」と「勤務医」に分けたがらず、「医師」の収入が多すぎと表現している。医師、特に開業医は全然高学歴ではなく、将来の不安を持たなくて済む特権的な世襲の高額所得者層と信じ込んでいるのはシンジラレナ~イことですね。
しかし無意識なんでしょうが、181ページには、「学歴と職業威信と所得」の三つを備えて、学歴にみあうノーマルリターンを獲得して没落をなんとか防いでいる職業は「開業医」だけだと書いています。283ページには珍しく、「勤務医」はかわいそうなくらい恵まれてないとも書いていますよ。しかし直後に、「開業医」がこんなに儲かるのは日本だけで歪んでいるとも書いてます。
この人、唯一の健全な扱いを受けていた開業医を誉めてるのか憧れてるのか馬鹿にしているのか・・・開業医に対する知識が無く、分析する資格がないノータリーン厚労省キャリアという事は確かでしょう。日本の開業医は、「学歴不要」で「世襲」で将来不安もなく「特権的階級」に属していると本気で信じてるんでしょうか? ジャないと、「開業医は不当に儲け過ぎていて歪んでいるのでよろしくない、他の高学歴の方々よ怒れ・・あいつら同様に金儲けに走ろう・・」などという暴論を吐きはスマイ。
現在の勤務医には学歴に見合わない不当な低い評価(リターン)しか与えられず、当然な評価を求めて「開業医」へ転身を図ろうともがく構図が出来上がってしまった。そこに唯一の「学歴と職業威信と所得」を満たす場があるから当然の流れにも思える。僕の場合はお金は無関係な開業決意だったんですが・・・・ そして、勤務医が支える良質な医療は崩壊して・・・「ノーリターン」となりましょう。
読んでくれてどうもありがとう。