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先日期待を込めてヒラリー・クリントンにエールを送ったが、今日のペンシルベニア州の結果を受けて、僕もヒラリーも元気を取り戻しつつある。
55%の得票率、オバマ候補に10%の差を付けた。圧勝には程遠いが、オバマを狼狽させるほどの威力はあろうと思う。
選挙結果分析はアメリカの各メディアが既に詳細に出してきているし、今後も次の5月6日のインディアナとノースカロライナ州選挙に向けて多くの予想も出てくるであろうが、とりあえずヒラリーの大統領選挙戦は継続されそうだ。
大きかったのは、「白人票」と「女性票」、「低所得者票」の多くがオバマを嫌ったことだと思う。オバマが民主候補となれば、ヒラリー以上に共和党に鞍替えする人々が増えそうだ。
ペンシルベニア州の白人は80%、全米の65%より遥かに多い。オバマは黒人票の90%を獲得するが、これが逆に今後の問題点となると僕は思う。
ブームに乗ってオバマが快進撃を続けてきたが、大統領選挙の共和党との本選ではまず通用しないと予測する。多くの政治評論家が小泉ブーム風のオバマ有利とコメントを出しているが、本選ではオバマは恐らく勝てない。アメリカ人の、特に白人の心理や合衆国の歴史を考えてみれば容易に分かりそうなものだが、何故日本の評論家達はオバマを推すのであろうか?
ペンシルベニア州に三年以上も居住すれば今回の選挙結果を予想するのは難しくなかったが、オバマの底の浅さ・・・これはアメリカの危機、ひいては世界の不安定化要素となりかねないので他人の家の話とは言っておれないので去年から何度も書いてきている・・・が、賛同者は多くは無い。
民主党が確実に勝ちを狙うとすれば、クリントン大統領・オバマ副大統領のコンビしかないと思う。逆はありえないし、オバマは経験を積むべきだ。世界政治はケネディーやビル・クリントン時代の様に単純な構造の時代ではない。
立花隆氏推薦のオバマ著「合衆国再生」なる全米ベストセラーを途中まで読んだが、いまの感想は・・・『彼はアメリカ大統領職を簡単に考えすぎ・・』と云う事だ。オバマ大統領はアメリカ、そして世界を危うくする。そのことにアメリカの有権者は早く冷静に気付いてほしいと僕はずっと思っているが、今のところ異端の意見と思われているようだ。
マケイン大統領候補が副大統領候補にライスを選んで、クリントン・オバマ陣営と本選を熱く戦ってこそ、アメリカ合衆国再生の道だろうと思う。
とりあえず、ヒラリーがペンシルベニア州で勝って良かったヨカッタ・・・
読んでくれてどうもありがとう
今日も非常に忙しかったが、診療所の玄関脇に咲き出した紅白のハナミズキを眺めると少しだけ気持ちが落ち着く。官僚の愚策や政府の無策など、しばらく忘れ去ってしまいたい・・・
昨日、Philadelphia 郊外のBryn Mawr のことを書いたが、今日は僕の住んでいたApartment のことを書こうと思う。そこは、田中真紀子女史が高校生の時に留学していたGermantown に隣接する場所にあった。
そこには、Dogwood (ハナミズキ)の古木が並んでいて、(昨年も書いたが)この季節には硬い印象の花を永く咲かせていた。日本のひ弱なハナミズキとは違う清廉な輝きを振りまいていたが、それでもハナミズキが咲く季節には三年余りを過ごした懐かしき住まいを毎日の様に思い出す。
これも現実逃避に違いないが、厚労省や国土交通省や歴代首相の馬鹿さ加減には逃げ出したくもなるもの・・ オバマでもヒラリーでもマケインでも構わないので亡命でもしたくなる。ただ、ブッシュJr だけは遠慮したいが・・・
さて、このApartment・・・歴史は1928年に遡る。豪華な邸宅を意味するManor という愛称があるくらいなので写真の様に立派な煉瓦造りの建物であるが、38エーカーの広大な敷地には森がある。
アパートの名前は、Alden Park というが、Alden というのは英国系の人名なので、恐らくはPirgrim Farthers の一人、John Alden から採られたのではないか?
マサチューセッツにはOld Alden House という当時の家が再現され、イギリスや東海岸にはAlden Park の名前が幾つも冠されているようだ。しかし、このPhiladelphia のAlden Park Manor が最も歴史的に意義ある建物のようだ。下は1920年代の写真だが、僕らも当時と同じ玄関から出入りしていた。

1980代以降にリノベーションを繰り返し、歴史的建造物が快適なアパートに生まれ変わった。
僕らの住まいも内装が変わったばかりで、古風ながらも夢のような住まいだった。今ではなくなったが、かつては9ホールのゴルフコースまであったそうだ。
でも、敷地内には今でも二面のテニスコートがあり、天井が開閉する豪華な温水プールがあり、近代的なスポーツジムもある。しかも全てが無料・・・アパート代に含まれる。それでいて、僕が住んでいた最安の部屋代は10万円もしない。(企業からの派遣組は高そうな部屋で非常に羨ましかった・・と白状する)
研究が上手く行かない悩ましい時期には庭を散歩し、プールやジムで我を忘れる。サマータイムの夕暮れは、新婚の僕らには至福の時間だった。
日本には帰ってきたくなかったのが当時の偽らざる心境。僕の帰国した1994年と今では日本の医療環境は激変しており、今なら絶対に帰ってきて(返せる目処も立たないような)巨額の借金をしてまで開業医などをしなかったと思う。銀行と財務省のために身を削って働き続けるなんて・・・全く馬鹿な選択をしたもんだ。
それでも美しい花を見て心躍らせる余裕くらいはまだ持っている。患者さんも玄関脇のハナミズキを眺めて僕の所に沢山やってきてくれるから幸せなのであろう。
人生は一度きり・・・ツマラナイ研究業績しかあげられなかった僕だが、選んだ住まいだけは満点だったと思う。とにかく、今でも僕の人生を感情豊かにしてくれているから・・・
読んでくれてどうもありがとう
4月22日のPAでの民主党党員選挙がクリントンとオバマの勝敗を決定付ける事実上の最後の戦いになるのであろうか?
昨日行われたPhiladelphia のTV討論会で両者の激しい議論の応酬が繰り広げられたようだ。先頃のオバマの失言、『労働者は生活苦ゆえに銃や宗教にたよる・・』という趣旨の発言の影響は大きいと思う。
かねてより、黒人を武器にしつつも「エリート臭」がプンプンするオバマ候補、たとえクリントンに競り勝っても大統領にはなれないと思う。いや、ならないほうが良いとさえ思う。
とにかく内容が希薄なオバマ・・小泉人気と同じ構図だ。対するクリントンは、落ち目の田中真紀子の様な感じだが、ここは是非、「初の女性大統領」を誕生させて頂きたい。
オバマはエリートというより、マイノリティーであることを武器にした「成り上り」だと僕は思うが、『神輿に担ぐのにちょうど良い・・・』と取り巻きに思われていそうな気がする。ブッシュJRと同程度に軽いキャラであることがいずれ露見しそうだと心配している。非黒人層には奥さんの人気が高まるとは思えないし、色々な意味で「イスラムの影響」も皆無とは言えまい。
ヒラリーもエリートであることは間違いないが、Wellesley College 時代(1970年頃)の彼女の写真を見ると、憎めないキャラだ。美しいとはいえないけど、何かをやり遂げてくれそうな気配を漂わせている。
以前から何度も書いてきたが、僕はHillaryが好きだ。多分、留学時代にFirst Lady だったからだろう。

僕の妻が短期聴講生として学んでいたPhiladelphia郊外のBryn Mawr College に彼女が来た時のことも僕らは忘れられない。

マサチューセッツのWellesley と フィラデルフィアのBryn Mawr はSeven Sisters と呼ばれた東海岸の名門女子大同士だったが、とってもいい場所にあった。キャサリン ヘップバーンも卒業生だが、津田梅子女史もBryn Mawr の卒業生の一人である。
現時点で、PAではクリントンが差を広げつつあり反撃開始の様相だが、大勝しない限り党大会での指名獲得は難しいそうだ。
しかし、オバマに大統領は無理だと僕は思う。ロシアや中国やイランなどを相手に危ない場面に幾度もアメリカは直面し、オバマ自身もリスクを背負うであろうと思う。ブームでは小泉現象を招くだけ・・・祭りの後が本当の危機となるであろう。
ガンバレ、僕らのHillary Clinton ・・・である。
読んでくれてどうもありがとう。
今日から三回に渡って(個人的な目的で)僕の「旅立ちの記憶」を書き残しておきたい。いずれも、大きく「場所」も「立場」も「環境」も変わり、将来への不安を抱きつつ 自分で選んだ「旅立ち」だったし、僕の人生における大きな転機だった。勿論、そこに至るには数年間の助走期間があるのではあるが、思い切って足を強くけりださないとボールは前に飛ばないのである・・・・
過去に遡ることにして、まず最初は1991年の1月の話から・・・

僕は正月明けの成田空港から ワシントンDCに向けて一人飛び立った。「留学」と言うにはあまりにも準備不足な無謀な冒険だったかもしれない。1年間の留学許可ビザ、多分2年間にはなろうと思っていたが 結果的には3年を過ぎた。途中で大学も研究内容も変わったし、結婚して子供まで生まれた。
不安はあまりにも多かった。医師になって6年目で 臨床を離れる不安、研究内容や成果への不安、英語や生活への不安、経済的な不安、健康への不安・・・正直なところ、不安で不安で 準備や考える事が苦痛に思えたこともあった。でも、「留学する事」そのものが医者になって以来の僕の夢だったので、最後は「エイヤ!」っと飛び立った気がする。
先輩が引いてくれたレールでもなかったし、自らの研究成果で獲得したステップアップや箔付けのための留学でもなく、云わば新規開拓に近い先の不透明な「留学」だった。我が医局からの留学はそれまで「引継ぎ留学」が多かっただけに、当時の主任教授も内心気にしてくれていたようだ。優しい眼差しの中に「ほんとに君は大丈夫なのかね?」という表情が読み取れた。
さらに僕は、直前に婚約した女性を日本に残して旅立った。生活を整えて いずれ留学先で二人で暮らすことになるだろう。もしも研究が上手く行かず精神的に落ち込めば、結婚生活自体も不幸なスタートとなるかもしれない・・・・それは避けたいことだった。

そんな事などをツラツラ考えながら、ANA便はワシントンのダレス空港に到着した。海外には何度も行ってはいたものの、アメリカには実は初めてだった。他の大学から数ヶ月前に同じ大学の別の研究室に留学していたT先生と手紙のやり取りをしていたが、今と違ってPCもメールも携帯電話も無くて、FAXと手紙でのやり取りは大変ではあった。
ダレス空港は雪だった。モバイル・ラウンジという運搬車両に早速カルチャーショックを受けて 僕は初めてアメリカの地を踏んだ。フィラデルフィアまでの飛行機は DCのナショナル空港からのシャトル便だったが、そこへのバス移動にまず戸惑った。沢山の手荷物を両手に持って、なまった英語に困惑しつつ やっとの思いでナショナル空港へ移動したが、予定の便は何故か欠航だった。いきなりのトラブルで、二時間後に迎えに来てもらう予定のT先生のラボに電話する必要が出来てしまった。
初めての公衆電話、しかも長距離・・・ 25セント硬貨が沢山必要らしいが 到着したばかりで小銭もなく、売店で両替を頼んでも小さな日本人には少ししかしてくれない。次は何時の便が出て、僕がのれるか乗れないかも判らず、電話も数回かける羽目になってしまった。あの時ほどアメリカの公衆電話を恨んだことは無い。今でも公衆電話は苦手だ。
やっと2時間遅れで飛び立った時には 時差ぼけと疲れで、動き出して飛び上がるまでのアッという間に眠ってしまったほどだった。起きた時には既にフィラに到着しており プロペラがゆっくりになりだしていた。
フィラの空港にはニコニコと笑う T先生がアメリカ人を連れて待っていてくれた。初対面のT先生は 二時間も予定が遅れたのに、笑顔で歓迎してくれた。その後もT先生は笑顔を絶やさなかった優しい人だった。
T先生家族は僕のアパートが決まるまで部屋に居候させてくれたが、初対面ながら二週間ほどもお世話になって深く感謝している。
到着の翌日には僕の所属するラボや大学案内をしてくれたが、買い物先や床屋や電車駅や銀行などなど・・まるで自分の医局の後輩の様に世話してくれて、時差ぼけでグッタリしつつもあり難く感じていた。
アメリカの大学のラボなどは最初の歓迎自体は日本よりも温かいような気がする。ただし、英語は通じないと悟ってしまった。
こうして僕はアメリカに旅立った・・・ その後の 3年数ヶ月間の全ての出来事に 僕は深く感謝している。
読んでくれてどうもありがとう。
(10月19日のラストに向けて 勝手にカウントダウン)
我が家の子供達の成長に伴って「狭い家」が益々狭くなってきたので「改装」する事にした。既に築20年、改装ではなく妻子の願いのように新築だとか転居だとかが出来るといいのだが、【斜陽産業従事者】の悲哀で「部分改装」である。それも、「収納庫を増やす」のが主体であり、部屋は残念ながら一個も増えない。
そこで、事前の「自主的お片づけ」である。「納戸」を改修するために「押入れ」の中のものを整理して、ドンドンいらないものを捨てるのである。そのためには妻も娘も全員集合しないと各自の要不要が分からない。
有るは有るは・・・出るは出るは・・・驚くような色んなのが出てきた。留学から帰国して殆ど手付かずで黴臭くなった「想い出の品々」がゴッソリ出てきた。忙しくて整理整頓する暇があまり無かったのでちょうど良かったかもしれない。
妻と『こんなのが出てきたよ・・あ~あの頃が懐かしいね』と話したり、娘に『これお前が生まれて直ぐにパパが留学先から赤ちゃんのお前に書いた手紙だよ』とか、新婚旅行のホテルのパンフレットとか留学先のアパートの契約書とか何か分からない「鍵」だとか、銀行のパーソナルチェックだとか、キャッシュカードだとか・・・・まだ口座はあるのだろうか?
何もかもが実に懐かしい。1991年や92年とか・・「黒表紙の手帳」も沢山出てきて・・・妻や@@チャンへのラブレターも少々出てきて・・・よく読むと、結婚当初に妻と良く喧嘩した時の気持ちまで書かれている。妻が娘に『多分、ママの悪口が沢山かいてるだろうから読んじゃダメよ』と心配してたようだが、もっと僕が心配しなけりゃいけなかったのが後から後からゴッソリ出てきてしまった。
そう、エロい天然色静止画写真を束ねた紙・・・つまりモロエロ雑誌。あと2~3秒で「妻と娘の眼に触れてしまう危機一髪」状態でした。何となく「嫌な危険」を本能的に感じたもので、そのヤバソウな黒塗りビニール袋の中のものが一気に頭に甦ってまいりました。
現代でこそ、ネットで「どんなエグイ動画」も見放題で「なんとも無い」ですが、当時留学すると先輩達から『モロ雑誌を頼むぜ・・』と真剣に頼まれていた時代の「貴重な品々」でした。もしも思春期の娘に見つかったらパパの権威も品格も地獄まで一気に落ちる寸前でした。しかし、捨てるのも工夫が要ります。それで今日は病院の院長室の引き出しの中に一時避難です。
そんな雑誌はご愛嬌でしたが、色んな資料、特に手帳に書かれた【日記風メモ】にはこれからしばらく引き込まれそうです。秘密の暗号風に書いていたり、研究室に初めて行った頃の記事や初めて妻と楽しく@@とか食事とかした話、研究が上手く行かなくて悩んでた話とか研究室のメンバーの話とか車や保険を買う話。ソーシャルセキュリティーナンバーを直ぐにはもらえなかった話などなど・・・今ではスッカリ忘れてしまっている苦労話がビッシリ細かな字で書かれていました。特に「妻の悪口」は普通に読めないくらい細かな字で、しかも鉛筆で書かれてありました。
我ながら・・・笑ってしまいます。
新婚旅行のブログ記事を6~7月に沢山書きましたが、手帳から察すると幾つも違った事を書いていました。幾つもの旅が混同してたり、逆に不足していたり・・・僕の記憶は性欲と一緒でドンドン薄れて行っているようです。
「昔を懐かしく思う」のは歳のせいで仕方ない気が最近はしています。僕はそれでいいとも思います。子供たちにはパパの歩んだ道をキチンと書き残しておきたいと当ブログも想い出風に書いていますが、間違っても「エロい雑誌」などは見つからないように(いつか捨てますが)隠しておきたいと思います。
そういう意味で、昨日は正に【片付け 危機一髪】の日でした。どうやら僕は上手く乗り切ったようですが、まだまだ隠れていそうで怖いです。コッソリ病院に持ってきて職員に見つかっても怖いです。処分に困るのは・・・困るのです。
読んでくれてどうもありがとう。
毎日暑い日が続いていますね。
お隣の県では今日35度を越えたそうです。高齢の患者さんもグッタリしていて、保険に通らないビタミン注射を要求されて「赤字」が膨れ上がっていきます。
庭の蝉も土の中から沢山出てきて、今の庭は穴ポコだらけです。
さて、現在上の中学生の娘が倫敦の夏学校に行っています。Harrow School という古いパブリックスクールです。いかにも典型的な名門の「男子の園」に夏休み期間中だけ女子が侵入できるらしく、Newlands とかいうHaus での生活を楽しんでいるようです。
それにしても今のロンドンは涼しそうですね。最高で22度、最低で13度位が最近の平均のようです。そんな夏学校では毎日プールを開放してるそうですが、風邪引きそうですね、日本人は。
今朝なんか起きたとたんに25度は軽く超えてましたから、僕も涼しいロンドンに逃げ出したいくらいです。
僕はロンドンに2回、合計二週間ほどいたことがありますが涼しかった記憶はありません。僕が行く時は毎日晴れて「暑くて」クーラーが無いのが恨めしかった記憶があります。
最近ではテロの標的としてしか英国も登場しませんが、ロンドンはコソッと楽しい街ですね。一人で滞在した夏は、毎晩ミュージカルか芝居小屋に入り浸り、昼間は有名な場所巡りで楽しかったですね。でも、僕がロンドンで好きだった場所はあんまり観光客が行かない場所ばかりのようでした。
まずは、ダイアナの結婚式の行われた教会のテッペン。螺旋階段をグルグル登り、テレビカメラをつるした天井穴から見下ろす様はスペクタクルでしたが、同時に「汗びっしょり」でした。でもテッペンから外に出て周囲を見渡すとCITYが見渡せますが、中高年は心臓麻痺を起こしますので注意しましょうね。
次に、そのCITYの証券取引所。株取引なんてした事もなかったけど世界の中心、一度は見学しとかなきゃと入りました。そして、その近くには「郵便制度発祥の国」である英国にちなみまして「切手博物館」に行きました。切手ばっかり・・・係りのおじさんが「日本人は滅多に来ない」と驚かれました。
国会議事堂の下院の議会も見学しましたよ。白いカツラの委員長?か議長?さんが素敵でした、冗談ですが・・・
そして、お奨めはハロッズの近くの「科学博物館」の中の「医学史コーナー」ですね。凄いですね、スミソニアンなどのアメリカの博物館には不可能な「医学史」の展示。ほとんどお客さんと出会いませんが、医師の皆さん、ここは凄いですよ。ドイツにはもっと凄いのがあるんでしょうか?一番鮮明に思い出すのは、太古の時代からの数々の「避妊具」の展示・・・まあ、何てこと覚えてるんでしょうね、いけません 勉強熱心で・・・
それにしても外国は凄く近くなりましたね。今や倫敦の夏学校に行ってるのも東京観光に行くのも同じ感じです。ネットで毎日の天候が分かるし、グーグルアースでどの建物で勉強してどの建物で宿泊してどの道を通学してるか簡単に眺められる。それを観ながらメールして携帯電話して「おはよう」とか「おやすみ」とか・・・外国なのか日本なのか【ちょっと簡単すぎるかも】と思う。
長期留学も同じ感覚なんでしょうね。留学の【遥か彼方の旅の空の下・・・】という時間と空間の隔たりなんてスッカリなくなってしまったのでしょうか?
ま、それでも気温も温度も言葉も文化も違うんで外国での夏学校も悪くないかな?と思って昨年も倫敦郊外の夏学校に行かせました。こっちも古いのですが珍しく「男女共学」でした。Haileybury という大学まであるパブリックスクールでしたが、アメリカの郊外の大学のように広大なキャンパスを持っています。
Harrow も Haileybury もトップ20に入るような名門校のようですが、パブリックスクール制度を持つ英国人がちょっと羨ましい気持ちもあります。
昨年の帰国後に、娘に古~い池田潔著【自由と規律】という岩波新書を読ませようとしましたが、中学生の女子には少々難しい表現が多かったようです。多分今年も読んではくれないでしょう・・・
僕は医学部卒業まで一度も海外に出たことは無かったが、子供のうちから外国を見せるのも悪くは無かろうと思う。
昨年はちょうど帰国直前にテロ事件に遭遇もしたし、ことしも未遂事件が発覚した直後だったが、何かを学んでくれるならいいかな?と思う。
読んでくれてどうもありがとう。
僕の診療所の待合室には、この時期になると開院以来ずっと同じ一枚の 『アジサイの版画』 が飾られ続けている。
残念ながら「実物」の写真はお見せできないが、正式には【 Fence & Flowers - 18" x 12" / 18 colors 】というタイトルの版画である。
先程「ネット」で調べてみて初めて【作品名】と【作者名】を確認したのであるが、作者は【Robert Selkowitz】さんで、New Jersey 州の南端、Cape May の「家の庭」を描いた風景だ。【Cape May】 はアメリカで最も古い「シーサイド リゾート」だといわれ、今も古いヴィクトリア様式の歴史的建物が美しい海辺の街を形成している。
僕らは、ちょうどこの時期に 留学先のPhiledelphiaから車を大西洋に向って走らせた。いつもなら「カジノ」の街「Atrantic City」に真っ直ぐに向うはずなのだが、爽やかなこの季節に日帰り出来る「浜辺のリゾート」を目指さないのは健康上よろしくない・・・だろうと思う。
ふらりと入り込んだ画廊には、「Cape May」を描いた作品が幾つも並んでいたが、僕らは「淡いピンクの紫陽花がフェンス越しに描かれた」この作品に魅了された。
僕らはその日の食事代を除いた有り金を叩いて、迷わず版画を購入したなつかしい想い出がある。額入りでも 2万円としない安い作品だったが、ずっと診療所の壁を飾ってくれている。下の写真は彼の作品集だという。他の作品もだが、作品集も手にして見たい。
このSelkowitz さんは、『テラスの芸術家』・・と呼ばれているらしく、庭や海に面した家のテラスの作品を好んで描いているようだ。性格が良さそうな絵の雰囲気である。
今日はジットリと鬱陶しい梅雨空であった。
こんな日は、『紫陽花』も美しいが、急にNew Jersey の浜辺の街に、愛する妻と飛んでいってしまいたくなる・・・
読んでくれてどうもありがとう。
【僕の音楽武者修行】という本を、今日たった今読み終わって、感激してスグにブログに書きたくなった。時間外診療を一人こなして少々遅れたが、早く書きたくて仕方がない。昭和37年4月の初版なので、ブログ読者の方の多くが既に読まれたことがあろうかと思う。でも、恥ずかしながら僕は知らなかった、この本の存在を。2ヶ月程前にリンク先の【京都三条ボンズカフェ】の中で紹介されていたので読んでみようかと思ったのである。
「単一カテゴリー厳守」主義の僕としては、「読書」・「旅行」・「音楽」などどこが適当か悩んだが、「海外留学」が最も相応しいカテゴリーだと感じられた。これは、当時26歳だった小沢征爾が1961年に書いた【初の海外武者修行留学】の「自叙伝」なのである。
スクーターを唯一の財産として神戸から貨物船に乗り込み、マルセイユからパリまでたどりつき、フランス国内、アメリカ、ドイツ、そしてふたたびアメリカへと回って、いよいよ二年半ぶりになつかしい日本へ帰ることになった。
そういう内容の本なのであるが、文体が非常に素晴らしい。僕は今の小沢さんを知っているから余計に面白いのかも知れないが、【留学する気持ち】が素直に表現されていて涙が出る。本の終わりの26歳での凱旋帰国当時、まだNYフィルの副指揮者になったばかりであった小沢征爾の【武者修行】がみずみずしく描かれている。こんな本を書くこと自体が普通の若者とは桁違いであるし、内容がとにかく興味深い。
確かに最初の国際コンクールで優勝しなかったら完璧な凱旋帰国へとは繋がらずに、今の【SEIJI OZAWA】も居なかったかもしれない。でも彼は世界の小沢征爾になるべくしてなったのであると初めて感じる事ができた。僕が生まれる前に小沢征爾が成し遂げた【武者修行】に心からの敬意を表したい。次に小沢さんの音楽に触れる時に何か違って聞こえてしまうのかな?と今からたのしみである。
話は変わるが、僕は医師にとっても【留学】は貴重な体験だと信じている。経験の無い人には素直に認めてはもらえない価値観かも知れないが、経験のある人で異論がある人は少ないのではないか? もちろん音楽家である小沢征爾のようなわけには医学留学の場合には行くはずはないが、「医学研究」の場合にはかなり類似した興奮するエピソードを持つ人が案外ゴロゴロしているかもしれない。
残念ながら僕は目ぼしい成果を挙げられなかったが、素晴らしい成果を挙げて国内外の医学研究機関で活躍している日本人医師は少なからずいると思う。芸術家やスポーツ選手の様な華々しい登場が準備されてないだけのように思われる。もっと、「医学スター」が出ればいいのに・・と思う。ただ、評価の分かれやすいマスコミ御用達の臨床的な「神の手」ではなく、もっと地味な研究面の「世界的スター」が大学病院で大活躍をし易い環境であって欲しいと思う。
しかし最近の医局制度崩壊と新臨床研究制度によって、残念ながら「世界的医学スター」の誕生は遥か彼方に遠退いたように思われる。非常に悲しいことだと僕は秘かに嘆き悲しんでいる。世界に羽ばたける環境は今後も拡げていって欲しい。
ま、そんな医師の留学の話は今日はやめとくが、この若き小沢征爾の素晴らしい本を読むと何故かジーンと来て自然と涙が出る・・・くらい羨ましい。古い本だから既に読んだ人も多いだろうが、さっそく僕も子供達に読ませたいと思う。小沢征爾ファンでなくても興奮するに違いない。興奮させついでに、妻にも読ませようかと思っている。
読んでくれてどうもありがとう。
【ドクターコール】の論議が盛んですね。日経メディカルの特集のせいでしょうか?僕は経営が厳しく、経費で落ちる「日経メディカル」の定期購読を昨年やめちゃいましたが、いまだに無料でしつこく郵送されてきますのでチラッと眺めました。
ドクターコールに応じるひとが34%というのは推測より多いと感じました。僕も数回応じた経験がありますが、応じる意思があっても実際に応じた経験の無い「m3ブロガー医師」さんも多いようですね。単に僕より若いからでしょうか?
僕の基本姿勢は、「飛行機内なら応じる」です。
厳密に表現しますと、『スグに停車できず、他から呼び出ししたり病院に緊急搬送できない場所や環境では応じる』という事です。ですから、電車やバスや旅館や地上では「少し診て早く救急車を呼べ・・それまで診よう」っていう感じになりますかね。
実際に機内で応じた事は、多分3~4回あります。全部開業前です。開業したら飛行機とは非常に無縁になりますから。チャンと覚えているのは一度だけです。忘れかかっているケースは全て「患者は初老~高齢の軽症で呼ばなくても良さそうなケース」でスグ忘却の彼方に去ってしまいました。
一例だけハッキリ覚えています。想い出の一こまとして当ブログに書き残しておきます。それは、留学中のことでした。一時帰国途中のノースウエスト航空(今もありますか?)の機内です。あと2時間くらいで日本到着でした。英語と日本語でのドクターコールでした。日本人のスッチーも1~2人乗務してました。最初のコールでは誰も出ませんでした。僕は遠慮がちな性格なので他に名乗り出る人がいれば出ない性質です。このときは、2回目のコールとなりスッチー達が廊下を声をかけながら探して歩き回っていました。
最初に「動き」があったのは、前列の女性でした。『私、看護婦です。どうしましたか?』 僕は偉いなと感じました。最初は偉いです。そしたら、隣の隣の男性がモゾモゾしだしました。トイレ?と思いましたが、『私、脳外科医です。どんな患者さんですか?』と少し緊張してスッチーに尋ねていました。お二人に説明するスッチーの言葉は当然僕にも聞こえます。
『臍周囲の痛みの女性です。ヒドイというほどではありませんが、到着時の対応にも関係しますので診て頂きたいのです。』
看護婦さんも脳外科医も腹痛と聞いて悩んでいましたが、今にも立ち上がって行きそうな感じでした。そこで、僕が遅まきながら名乗り出ました。『お腹なら内科医の僕が診ましょうね。連れて行ってください』
皆さん僕を「なんで早く言わないの?」という眼で眺めつつも内心ほっとした印象でした。立ち上がってスッチーと前方に移動しますが、ジャンボ機のなかで「スポットライトを浴びる芸能人」のような歩き方だったかもしれません。途中、スッチーが追加説明をしてくれました。
『実は仲間のスッチーなんです、患者は。少し前からだいぶ痛がっていましたが、今はベッドにねかせてます』 なんと、スッチーを診察できる・・と若きドクターは自分が循環器内科医であることをそっちのけでドキドキしてしまいました。専門外でドキドキしたわけではありません。その頃は訴訟などは頭に全く浮かびもしませんでした。「スッチーのお腹を診察するなんて二度とない僥倖」との興奮を隠しつつ、二階席にあった仮眠ベッド室に案内され患者と二人っきりにされました。
横たわっていたのは確かにスッチーの制服を着た女性でしたが、少し中年といえそうなソバカスだらけのアメリカ人でした。一応ブロンドヘアーで英語も綺麗でしたので気を取り直して【問診】開始です。
「女性を見たら妊娠と思え」という鉄則からスタートです。セクハラの概念も完全に頭から消失してましたね。一時、頭の中は産婦人科医と消化器内科医を行ったり来たり・・・英語の都合で長く問診したり腹部診察をしているうちに幸いにも症状は軽くなり、緊急ではなさそうだと判断して『よくわからんけど、@@が**して&&なんじゃないか?緊急着陸も海の上で出来ないし、ついたらもう一度空港診療所で診せてね・・』ということになりました。
美人スッチー数人に丁寧にお礼を言われ、看護師さんと脳外科医の羨望の眼差しを一身に受けながら僕はエコノミー席からビジネスクラスにお引越ししました。その直後、その二人も「おこぼれ頂戴」でビジネスクラスへお引越し。大層感謝されました。
高給ワインをプレゼントされ他にも何かを貰ってスッチーの暖かい笑顔に包まれて僕らはまどろみました。幸せ、医者冥利に尽きるひと時で、僕は一生忘れません。連絡先を書いてくれ・・と可愛いブロンドスッチーに言われるままに書いて渡しましたが、会社からの礼状しか来ませんでした。そうですよね、スッチーが手紙くれるはず無いですよね・・・
ま、いまでも洋上を飛ぶ機内のように逃げ場が無くて他に誰もいないなら、相手がたとえヘンテコなオバハンでも名乗り出るでしょう。あの「スッチーの訴えるような眼差し」は断れません、僕は・・・・。
ということで、時代も違い性格もちがっていますから参考にはならなかったと思いますが、僕の「ドクターコール」の想い出です。
読んでくれてどうもありがとう。
今日の回診中には、『先生も大変ですね~』と何人もの患者さんに言われてしまった。慰めは要らない。どうせ雨空なので悔しくもなんとも無いし、世俗の混雑は嫌いなので、院内で朝から晩まで今日の36人の患者のためにへばり付く退屈なる待機人生を満喫した。
一応、今日は本当に満喫中である。なぜかというと、既に今朝から新刊本を半分読んで、映画を2本観たからだ。でもNET映画、つまりYAHOO動画の無料名作シリーズというやつです。昔チラチラ見たはずなのに完璧には覚えておらずちょうど良かった。ジックリ「回診中には一時停止しながら」観れたのでとりあえず満足じゃ~。
今日の映画は『シャレード』と『シェーン』です。
1963年のヘップバーンのシャレードは、ケーリー グラントの映画という雰囲気ですね。ヘップバーンは盛りを過ぎてしまった艶消しイメージで、大人し過ぎで小悪魔的魅力が薄い作品です。でも、許しちゃうわよ~だ。
1952年のアラン ラッドのシェーンは全部を通しで観たのは多分初めて。僕はむかし馬術部だったので乗馬シーンは気になるが、アランラッドは脚が短くて乗馬は下手みたいですね。最後のシーンしか記憶に無いのが正直なところ。そんなに名作かな~?って思うんだけど、Grand Tetonの風景があるから許しちゃうわよ~だ。
でも、Grand Teton National Park は素晴らしいですね。少しはなれたYellow Stone より格段に気品があって拡がりがあって厳しさがあって・・・ かつて、留学中にDenver からレンタカーでWyoming州内をアチコチ駆け回った事がありますが、あの州は色んな味わいが楽しめて素晴らしい。勿論、冬場は厳しいんでしょうが、夏はまさに地上の天国です。多分、あの夏に1500km程当てども無くWyoming Colorado 両州をFord車でモーテル宿泊しながら妻と楽しみましたが、子供とまた行きたい場所です。
だ~か~ら~ 時間が欲しい、休みが欲しい・・・と叶わぬ夢を、狭い診療所の中心で映画を観ながら患者に聞こえない様に叫んでみる。
読んでくれてどうもありがとう。