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「仕分け人」という人々は科学をどう考えているのであろう? 証券会社の守銭奴からすれば科学より銭が大切だということなのか? 地道に学問するより他人の金を巻き上げて喜んでる方が正しい方法なのか?
今日も呆れ果てて書かざるを得ない心境だ・・・ 昼間に100人も診察してクタクタだが、このまま日本が沈没して行くのを次世代のために黙って見ているわけにはいかない。中国共産党の「文化大革命」を賛美し目指そうとする仙石大臣を認める訳にはいかない。
残念ながら最近の医者は大学を離れ研究をしなくなって科研費など興味も無くして無縁かもしれないが、科学研究費の乏しい日本から更に科研費を削ったら・・・恐らく二度と立ち直れない。既に中国に抜かれつつあり二流に転落しそうなのに、科学において停滞は敗北を意味すると僕は思う。時にはしばしの沈思黙考が名案を生むこともあるが、競争の激しい科学分野では間違いなく敗北だ。多くの場合、二番手は無意味に近い・・・世界一に、世界最初に価値がある場合は少なくない。
今日の仕分け作業での驚きは、スーパーコンピューター開発資金の件で、「日本が今、世界一のスパコンを開発する必要はない」と断定した蓮呆なる議員と文系仕分け人が居たことかな?
子供手当に5兆円も使うより、世界一のスパコン開発とか3000億しかない科研費を大幅増額した方がうんとマシだ。子供手当のお金は、パチンコや風俗や宴会に興じる親ではなく、ぜひとも学校教育や保育や高等教育や科学研究費などに回してほしい。
中国への援助にいまだに多くをつぎ込んでいいのか?
公務員と民間の格差は異常ではないか?
裁判員制度にどんだけ無駄な金が投入されているのか?
生活保護費にどんだけ多額がつぎ込まれているのか?
「選挙が仕事」で仕分け作業も出来ない国会議員は無駄だ。
新型インフルの輸入ワクチンも・・・今となっては無駄。
証券会社の市川みたいなアナリストも全く当たらないので無駄・・・。
何か無駄じゃないのがあるのか?
あの手法じゃ、全部が無駄だと断定できそうだ。
そう、きっと全部が無駄だ・・・
もう、嫌になった、自民党よりヒドイ。
鳩山総理は東大工学部出身なので科研費の増額が必要だと考えてると信じてたが、ポケットマネーで数億円だして研究してたのなら科研費なんて無駄だと思っているのであろう。もしかして研究も秘書に命じて金で買ったのか?
競争力のない無駄人間だらけの無駄な国に恐らく日本はマッシグラだ・・・・馬鹿野郎、仕分け人ども。
読んでくれてどうもありがとう
日曜劇場 「仁:Jin」 、面白いというか実に感動しますね。昨日の梅毒退治の第三話、生で泣いて録画で泣いて・・・視聴率が20%になったらしいですが、なんとも素晴らしいですね。
タイトルとした『十八番、薬効あり・・』というのは、南方仁先生が1862年に青カビからペニシリンを精製した瞬間の蘭方医たちの感嘆の言葉ですが、なにやら多くの医学研究の真髄を思わせるようで、僕も彼ら劇中の医師たちと一緒に飛び跳ねました。
梅毒に侵され終末期を迎えていた吉原の遊女「夕霧」の化膿巣からブドウ球菌を採取し寒天培地に生やして抽出したペニシリン溶液のパッチにより薬効評価するという1920年代の技術を目の当たりにした文久時代の医師たちの驚きと感動は決して遠い出来ごとではなく、我々医師たちの身近に存在する「研究の喜び」と実に近しい感覚だと思えた。
確かに時代は変わり、今では遺伝子工学を駆使した研究が主流とはなったが、例えば遺伝子組み換えが期待通り出来て目的のベクターが出来たり、病気の原因となる遺伝子の配列を検出し道程出来た時の喜びとすごく近い感覚と思う。
そして最近では有名な山中教授の「iPS」細胞の例のように、数種の遺伝子を組み込んで誰もが待ち望んだ特殊機能を持つ細胞を生みだしていく・・・これも仁先生が行った「仮説から試行錯誤して新たな役立つものを生み出す・・」という地味な作業と何ら変わるものではない。ただ、南方仁先生が2009年から1862年にタイムトラベルして「仮説」を知っていたという(大きな)違いが存在はするのだが・・・
僕の様な平凡な研究者、そして多くの研究する医師たちのほとんどがそうだろうが、その「仮説」が大したことなかったり間違っていたりして画期的な業績が残せないのでもあるが・・・
この番組を観ていて感じるのは、若い医師の皆さんには多忙な診療に忙殺されて日々を過ごし歳取ってしまう前に是非とも些細でもいいから「医学の進歩」に寄与しそうな研究に携わって欲しい…ということだ。
最近では奴隷のようにこき使われボロボロになっている勤務医の話ばかりがクローズアップされているが、残念ながら開業医にはもう出来そうもない研究生活が勤務医の皆さんには出来る自由があるのだし、先輩方も「研究の面白さ、素晴らしさ」を是非とも後輩たちに教えてほしいと思う。
新研修制度で破壊された医局制度は医師の研究生活へのチャンスも大幅にせまくしてしまったと感じるが、基礎研究の成果が臨床を大きく進ませる時の喜びほど大きな喜びはないのではなかろうか? 残念ながら平凡な僕には近づくことも出来なかった喜びだったのだが・・・
あと、ペニシリンの効果も末期の梅毒までもは救い得ず美しい遊女は死んで行くのだが、力及ばず『おさらばへ』と言い残しこの世を去る患者の姿を見守る南方仁先生もちょっと感動モノでした。もちろん、綾瀬はるかチャンも可愛い・・・
読んでくれてどうもありがとう
つい数日前にNASAの無人火星探査機「フェニックス」が火星に着陸し、火星表面の探査を開始したニュースが流れた。快挙には違いないが、僕の知らない凄い事実が1970年にあったようだ。
僕の好きな番組の一つにNHK教育の水曜19時から【地球ドラマチック】というのがある。NHKが番組を海外から高値で買い付けて放送しているだけだが、営利主義の民放各社には出来ぬ仕事ゆえ時間が許せば時々拝見している。まさか「フェニックス」火星到着に合わせたとは思えないが、昨夜の放送はフランス製作の「ソ連月面探査ロボット ルノホート計画」というものだった。
今では1969年のアポロ11号の月面着陸が捏造だ~と、アポロ計画自体をキューブリック監督のスタジオ製作映画と主張する若者が増えたらしいが、当時をリアルタイムで知る僕としては、以前【人類月に立つ】という記事で書いたようにアポロ計画は信用している。
もっとも、僕もピラミッドは先史時代の作品だと信じているが・・・
アポロ計画は信用しているが、ソ連の「ルノホート計画」のことは恥ずかしながら昨夜番組を観るまでは全く知らなかった。m3読者の多くも知らないのではなかろうか?
今、日本はロボット技術先進国とかなんとかいいながら、あいも変わらずホンダのアシモ君に頼っているが、1970年11月にソ連が「ルノホート1号」を月面に送り、遠隔操作で11ヶ月間に渡り11kmもの月面探査を行ったとは非常に凄いことだと思う。
確かに1969年のアポロ11号には一年の遅れをとったが、本来はアポロより半年前に到達予定だったようだ。しかし、月の石が話題になった日本の万博終了後でもあり、世界や日本で話題には全くならなかった。これはフルシチョフが隠したせいだというが、2年後には改良した「ルノホーク2号」を月面に送り込んでいる。こちらは4ヶ月で実に35kmもの月面探査を行い、凄い量の情報を地球に送ってきている。
地球からの遠隔操作といっても、手動の操縦桿を操作するのに30秒のタイムラグがあり、操縦者は静止画を元に先を予測して慎重に操作したようだ。
摂氏160度(昼)~マイナス130度(夜)の世界、内部の温度確保の目的で放射性物質が利用され、電力確保目的で太陽電池が搭載された。アシモ君も真っ青の数々の最先端技術がソ連の戦車開発者達によって極秘裏に注ぎ込まれアメリカとの宇宙開発競争が繰り広げられていたようだ。ソ連の技術者達はヘマをやらかして強制収用所送りになることを恐れていたというから必死さが伝わってくる。
ルノホート計画が世界に長い間隠されていた真の理由は分からないが、皮肉なことにソ連崩壊とともに、アレクサンダー・ケマルジャンらの科学的偉業が西側に伝わった。実際にはフランスが協力していたようで、今回の番組がフランス製作なのはそんな事情のようだ。
番組では冷戦終結後に、ケマルジャンがアメリカで火星探査機の試作品をアメリカ人技術者と共同研究してる姿も映されたが、今回のフェニックスとは違った雰囲気のようだった。
確かに1970年にあれほどの技術を注ぎ込んで月面探査を行えたというのは「捏造か?」などと疑いたくもなる凄い極秘事項だったと思うが、そう考えると人類は本当に進歩してるのか?疑いたくもなるもんだ。
日本をロボット技術先進国などと本当に呼んでもいいのだろうか?
読んでくれてどうもありがとう
昨日書いたAlden Park Apartment の完成が1928年だったが、その年に野口英世はアフリカのガーナ、アクラ(accra)で、研究していた黄熱病に罹患して死去した。昭和3年5月のことである。
この写真には1925年と記されている。既に彼の「過ち」が度々指摘されだしたころで、穏やかそうな表情だが悩みも少なくなかっただろう。
野口には蛇毒血清の研究や、梅毒スピロヘータの培養や脳内での検出などの偉大な業績があるが、後半の大きな仕事であった黄熱病の研究は、彼が共同研究者を持たずに一人で研究を重ねてきた性格が災いしたようだ。
黄熱病が光学顕微鏡で観察できない原因物質(ウイルス)で感染することは1901年にリードが発表していたようだが、野口は知らなかったのか、さらには稲田が発見していたワイル病(出血性黄疸レプトスピラ)の原因のスピロヘータを黄熱病の原因と誤認していたようだ。稲田は野口から確認を求められたが、既に偉大過ぎた野口に対して『これはワイル病と同じです・・』という言葉を発することが出来なかったようだ。
上が梅毒で、下がワイル病のスピロヘータであるが・・・得意分野が仇になったのか?

ワイル病と黄熱病は原因が全く違うにもかかわらず臨床像が酷似していて、野口が間違ったのも無理はない。いや、間違ったのは血清採取した人だったのだが、野口の精力的な仕事が間違いを訂正するスピードを上回っていたためだと思う。
当時の野口は現代の我々が想像出来ないほどの医学研究界の巨人だったようだ。上はエクアドルへ乗り込んだ時、下はガーナのアクラへ最後の研究の旅に赴いた時の写真だ。まさに人類のために戦う研究者の姿であろう。現代の留学生とは全く異質なプロフェッショナルの雰囲気が漂っている。
世界中が野口を招聘したがり、野口もまた伝染病あるところは何処へでも赴いて精力的に研究した。だからこそ、間違いが訂正されにくかった悲劇が生まれたようだ。
1914年、15年、20年に野口はノーベル賞候補になっているが、受賞出来なかったことが良かったのか悪かったのか・・・ 少なくとも、現代のノーベル賞受賞者よりも遥かに濃密な研究人生を送ってきたようだ。
先日も書いたように、「遠き落日」は時間を置いての再読なのだが、医学部の学生の頃には分からなかったことが色々と感じられるようになった。伝記なのか小説なのか・・・伝記小説としては「まるで見てきたかのような想像逞しい記述の連続」に僕は喝采を送りたい。野口の人生に喝采を、渡辺の筆力に喝采を・・・
53歳という年齢は、それほど僕にとって遠いものではなくなってしまったが、人生の意味とは何か・・・まだまだ良く分からない。医者になって良かったのか? 他の人生を選択すべきだったのか? どのような人生の最期を僕は迎えるのであろうか?

アクラで死去する直前に野口は自らの黄熱病の研究の「失敗」を自覚していた模様であるが、それでもなお前に進もうと必死だったようだ。それと共に、早くNYに戻りたがっていた様子だ。
ウイルスが電子顕微鏡で観察できるようになったのは、野口の死後30年近く経過してからだが、野口の「失敗」が果した役割は決して小さくはないと思う。梅毒研究の偉大さが「スピロヘータ」を野口の頭から離さなかったのであろう。皮肉なものである。
医学生、研究者を目指す若者達に「遠き落日」を是非お奨めしたい。
読んでくれてどうもありがとう
京都大学のiPS細胞の時はどうだったか覚えていませんが、昨夜のNHK7時のニュースのトップを飾ったのは大阪大学の澤教授のグループの話題でした。医学系の喜ばしい話題が夜のニュースのトップを飾る事は稀(悪い話は多い)ですから久々に嬉しかったですね。
澤先生は風貌がまだ失礼ながら教授っぽくないですね。特に髪型なんて昔から変わってませんし、お若いままです。
さて、医師不足や医療破壊の原因の一つであろう新臨床研修制度は今後どうなっていくんでしょう? 都市から地方へと無理やり研修医を誘導しようとしていますが、僕は悪名高き昔ながらの「医局制度」が好きでした。これは前も書きましたね・・・
医局制度や教授に対する感想はその医師の所属した医局の雰囲気や教授の性格によって大きく変わるのではないでしょうか? 僕は卒業大学と異なる大学の医局に入局しましたが、今も「良かった~」と思っています。少なくとも僕のコレまでの人生と現在の生活や医療活動の全てに大学の医局が深く(良い意味で)関係していますから・・・
開業退局して10年になりますが、深い感謝の思いをこめて未だに盆暮れの中元・歳暮も続けてますし、時おり送られてくる情報誌も楽しみです。講演会や研究会での多くの同窓医師との交流も兄弟の雰囲気ですし、ご家族の訃報の連絡も度々送られてきます。戦友の雰囲気でしょうか?
当然ながら博士号指導のお礼もしましたし、結婚式の仲人もお願いしましたし、留学の際のお世話に対しても心より感謝しています。これらは教授だけでなく、多くの先輩方に対しても同様の感謝の気持を持ち続けていますし、研究面で活躍された先輩方や歴代教授にも尊敬の気持を抱いています。信じられないかもしれませんが、他の医局の教授や他の大学の教授に対しても同様に尊敬の気持を抱く事が少なくありません。
先程の澤教授とは僕は別の大学ですが、先生が研究室で研究される姿を見たことがあります。もう15年ほど同路線の研究を続けてあるようですが、今回の成果は非常に素晴らしいのではないでしょうか? 僕なりに先生の地道な研究活動を尊敬しています。(これを読まれて無いでしょうが・・)
先生と最後にご一緒したのは、僕が開業する二年前のAHA(ニューオーリンズ)からの帰途でした。3泊4日の強行軍でAHAからとんぼ返りした僕でしたが、発表が終わって深夜までフレンチクオーターのトップレスバーに、各地の(今は教授になられた)数名の先生方とご一緒しました。先生はお忘れでしょうが、朝一番のホテルからニューオーリンズ空港行きのバスで知った顔に出会えて眠たいのにずっと話をしたのを今でも覚えています。
あの頃、講師や助手で活躍していた多くの優秀な研究仲間や知人が今では沢山全国の「教授」になって活躍を続けていますが、「教授になるまでの過程」を知っていれば知っているほど「教授職」を尊敬してしまうのです。
新臨床研修制度のせいで大学で働く医師が激減し、恐らく研究に費やす時間も減っている事でしょう。僕は非常に心配しています。今後、基礎も臨床も立派に指導出来る教授がどれくらい誕生するのか? まだ数年は良いでしょうが、今の卒業生が40代になる頃に医学教育はどうなるんでしょう? 臨床以外はやってる暇が無くて、基礎との両立は多分ダメでしょうね・・・ 残念ですが。
NHKのニュースを見てチョット「教授」というものを考えてしまいました・・・
読んでくれてどうもありがとう。
昨日の記事に【クマゼミの抜け殻】の事を書きました。
今宵も仕事が終わって22:58に自宅に着くと、裏口付近になにやら【怪しい影】が・・・ ナンジャ?
デカイ芋虫か? 蛾の巣か? 暗かったので良く分からないが近付いてジロジロみると・・・何と【クマゼミの羽化】の瞬間でした。
まだ、羽が丸まってて延び切らず美しいエメラルド色。顔はゴツイが特徴的なあの顔・・・・
色んな方のブログを拝見し、確認し、美しい写真を「無断借用」させていただきました(ゴメンなさい)。貴方の写真が最高でした。
田舎に生まれて40数年、生まれてはじめての【クマゼミの羽化】の瞬間でした。80年近く田舎で生きている両親にも見せてあげました。皆の初体験で感動です。
卵を産んで最終的に蝉の姿になるのに7年もかかるらしいです。何の合図があったのか、一斉に天気の良い日の夕方に土の中から這い出してきて、木や壁を登り、夜に静かに【羽化】するそうです。
背中が割れて完全に出てくるまでに50分ほど。最初の羽根は白く不透明ですが、朝方に我々が目にする頃にはいつものあの姿になっているようです。

今夜は感動でした。
人間のお産も実際に見てみると感動ですが、医師も助産師もいなくても・・・自然の中で感動的な出産が昔は普通だったんですよね。死産も少なくはなかったんでしょうが、自然の姿には感動を覚えます。
でも、クマゼミの羽化の瞬間も「危険な瞬間」には違いなく、誕生直後に死んで地面に転がっている姿を僕も時折見かけます。今夜の蝉が明日の朝元気に飛んでって居なくなってるといいんですが・・・フラッシュ炊いて写真取ったのでビックリしてショック死してるかもしれません。ちょっと心配です。
ちなみに、【孵化】と【羽化】の違いも今夜初めて知りました。
読んでくれてどうもありがとう。
今日の森下教授はとっても嬉しいことだろう。なにしろ悲願だった【HGF】の『フェーズ3試験』が成功裏に終了したらしい。他にも黒川先生とアイデアを出し合った「イノベーション25」の最終報告書も提出されたそうだ。今日のブログには久しぶりに森下先生の歓喜の3連発が・・・ まずはお疲れさん、本当におめでとう。良かったね。
さきごろ、あまり悪意は無いと思うけど「公式ブロガー」に対する批評がm3ブログに載った事がある。「なるほど、そう感じても無理はないかな?」と思えなくはないが、僕らみたいな「匿名ブロガー」と違って、彼には国立大学教授(そのほか)の難しい『立場』というものがある。恐らく、その「立場」に立たないとわかりにくいだろう。僕だって『実名で書け』・・ってなったら、明日にでも多分ブログは辞めちゃうと思う。ご承知のように、「公式」っていうのは「頼まれ発起人」みたいなもので、自分の会社の臨床試験も大変な最中に良く書いているな・・と僕は常々関心しているほどだ。実際、僕がブログを始めたのは森下教授に影響されてのものだし、彼に許される立場上の最善の努力をしていることは、遠くからでも僕には充分に理解できる。
さて、話を【HGF】に戻そう。
ある「薬」を世に出すことがどれほど困難な事か・・・多くの方がご存知だろう。臨床試験に携わったことは皆さんあるだろう。だけど、「会社を興し、周囲に認めさせ、資金を調達し、治験をデザインし、会社と臨床試験を運営し、次なるアイデアを繰り出し、未来志向で製品化の努力を継続する・・」といった様々な苦労を乗り越えるのは簡単なことじゃないよね。その多くを彼は中心になってやりぬいた。平凡な「僕ら」に出来ることじゃない。素晴らしい。「医師」がココまでやれたことに感銘を受けた。おめでとう。
思い起こせば、僕も留学中に【遺伝子治療】に夢を抱いていた。PENN大の遺伝子治療研究所で若きウイルソン教授が世界で最初に行った『LDL-R遺伝子導入治療』を僕は現場で見守った。ラボに日本人は僕だけだったけど、スグに世界中で遺伝子治療が始まると感じながら興奮を胸に帰国した。しかし・・・その後の15年近く、まだ満足な遺伝子治療は世界中で行われていないと思う。【遺伝子治療】とは何と深く困難な道のりだったか・・・と今にして思う。
森下教授は世界と戦えるオリジナルな仕事を幾つも編み出して、若手日本人の先頭を荒波を掻き分けつつ永年進んできた。行き詰る時の苦悩は僕らの想像を絶するものだっただろう。強い「使命感」が何とか闇世の中で足を前に進めてくれたのだろうとも思う。「世迷い」というのは本音なんだろうと思う。周囲の仲間達も良く彼を信じて支えていったと思う。
途中で夢破れる形で別の道を歩みだした軟弱野郎の僕には、彼らの苦労は本当にはわからないと思う。でも、少しはわかるんだ、森下先生達の苦労が・・・僕には。
おめでとう。本当の苦難と喜びはまだまだこれからだ。身体に気をつけながら、今後も先頭を進んで欲しい・・・と願っている。
読んでくれてどうもありがとう。
去る5月22日にHSさんが【陰謀論の罠】に関しての記事をブログにアップされていた。立ち読みだった・・との事であるが、不幸な事に僕は買ってしまった。
【陰謀論を論破するオタク】を自称される奥菜さんの書かれた【陰謀論の罠 911テロ自作自演説はこうして捏造された】という本は、光文社からペーパーバックス104巻として刊行された。同じシリーズからは、【陰謀論】の雄「ベンジャミン・フルフォード」さんが数冊の小泉ブッシュ批判本を刊行しており、光文社の公平性にまず感心した?ので買ったのであるが、正直なところチト後悔している。
僕は「911自作自演」説は全然信じてないが、「米政府関与」説あるいは「米政府黙認」説は今でも少々信じている。ただし、「きくちゆみ」なる人が出てくると好きではないのでフルフォードさんの本だけを購読してネットで当る程度である。
【陰謀論】は言わばテロの真実を知ろうとする気持ちが後押しした素人軍団の【掲示板】みたいなものである。アアヤコウヤつべこべ言いながら【公開カルテ】を元に検証するドクター軍団みたいなものかもしれない?あるいは逆に、【入手カルテ】をもとにアレアレなになにと詮索する弁護士マスコミ連合軍の方かも知れない。いずれにせよ、光文社が新聞社と異なるのは両方の主張を公平に刊行していることは素晴らしく、出版ジャーナリズムの鑑かもしれない。
さてさて、著者の奥菜さんは「一万ページに及ぶ検証委員会の公式報告書を読んだ上で陰謀論を主張してるんですか?」と陰謀論者を激しく攻撃している。しかし、誰も読んではいない・・・ことは承知の上だ。1万ページの英文報告書を読んでるうちに白髪が生える。5000万件プラス1260万件の年金番号照合みたいなものだから一年でやれると考える方がおかしい。誰も【オタク】みたいに読んでいないことを知りながら『まず読んでから出直して来い・・』と言われても暇人じゃないからなかなか難しい。これは、『医学部出て臨床を10年くらいはやってから逮捕してくれ、片岡検事さんよ・・』というのと似ているようだが少し違う。警察も検事も出てくる前の検証段階の論争なのである。
そこでこの本には「これを見れば証拠が全部出てるよ・・」と報告書のWEBサイトが幾つも載せてある。そこで暇ではなかったが、僕が最も疑問に感じている「ペンタゴン」について、【ペンタゴンリポート】のサイトと【ムサウイ被告裁判証拠未公開写真集】なるものを当ってみた。他にも幾つかあったが、著者が「最強の証拠」だと強調しているので時間の関係もあって「膨大な資料」に当ってみた。確かに凄く詳細な検証がされていると思う。
しかし多くのアメリカ人がこれを既に読んでても批判していることから分かると思うが、「肝心の痒いところに全然手が届かない」のである。ペンタゴン内部の4人の死体写真まで出てきて、ごく一部の機体破片が写真として出ているが、「それ以上の明らかな証拠写真」が残念ながら無いのである。「証拠写真」は政府側に全てあり、立証能力は政府側にしかないのであるが、何故簡単な証拠写真を1万ページの報告書の中にも出さないのであろうか?ペンタゴン突入直前のアメリカン航空機の写真も一枚も無い。NY事件後のDCなのに・・である。
【ボイスレコーダー、ブラックボックス(フライトレコーダー?)、はたまた「機長を殺めたカッターナイフ」まで発見されていたと書かれている】らしい。前にも書いたが、数箇所のビデオカメラの映像として鮮明な飛行機突入の映像がいくつかのアングルで残されているはずである。現在公開中の動画は全く話しにならない。医者のカルテか看護師のカルテかすら分からない、あるいはメモ紙か?という感じかもしれない。
しかし、どこを探しても「ボイスレコーダーやフライトレコーダーの記録」は一万ページの報告書の中に生データとしては出てこない。ビデオカメラなんて衝突時の火焔しかででこず、機体映像の期待は裏切られてばかりである。「機長を殺めたカッターナイフ」の信憑性など永遠に分からないのでドウでも良いが、【ボイス・フライト・ビデオ】の三点セットを出しさえすれば鬱陶しい陰謀論者の雑音を永遠に葬り去る事が簡単に出来るだろう。
胎盤を剥離したから死んだ・・とか、クーパー使用がダメ・・とか、手術中断して搬送すれば助かった・・だとかを証明するのは検察にとっても(たとえ専門家であっても)至難の業だろうが、ペンタゴン突入が【アメリカン航空77便 ボーイング757型機】であったことの証明は至極簡単なはずである。しかし、奥菜さんの示すサイトを見てもどこにも出てこないのは何故だろうか? カルテを新聞社が入手した経緯を説明すれば一目瞭然なのに肝心なところで隠してしまう・・・というのと似ているかもしれない・・・・と書くと消されてしまうのであろうか? でもそう感じませんか?
まあ、そんなところで、光文社には感心しましたが、この本は購入して損しました。でも、陰謀論にかんして大した反論にはなっていませんでしたね。やはりネット検証というのはパワーがありますね。だから「某掲示板」も昭和16年風に強制措置させられちゃったんでしょうか?
ところで、「F県弁護士会の公式ブログ」に「陰謀論の罠」の読書感想文が紹介されていました。かつて「アポロ捏造論」を信じていた弁護士さん?が簡単に「陰謀論の罠」に心酔しちゃってましたが、証拠検証作業は充分なんでしょうか? 【ボイス・フライト・ビデオの重要証拠三点セット】は既に確認されましたでしょうか?弁護士のブログじゃなくて弁護士会のブログってところがいい。医師会のブログってのはない?
陰謀論者と陰謀論者を殲滅したい論者の戦いは、昨今の医療裁判のネット検証作業をなんか似てますね。どちらがどちら、というわけではないんですが・・・
読んでくれてどうもありがとう。
5月16日の当ブログ記事【別れの朝】で、93歳の叔父の入院の事を書いた。99歳の兄の死の報せを聞き、駆けつけようとした矢先の自らの急性心筋梗塞。かかりつけ医が救急車を呼び急ぎ総合病院に搬送し、家族到着前に自ら「心カテ同意書」にもサインし、側副血行路が出来ていた二枝病変にたいしてPCIを行ってもらった。
その叔父はPCI成功の2日後に急変してしまった。やはり93歳、何が起こるか退院するまで安心できない。詳細は略するが、VTが生じてショックとなり意識レベル低下からDCを施行する状況になったらしい。致死的不整脈合併症にたいしての電気ショック治療である。幸いにVTはSRへ復しバイタルサインも安定したが、暫らく意識混濁の状況が続き、家族の面会にも反応が乏しい数時間があったらしい。VTを繰り返せば93歳だけに非常に危険だと家族が呼ばれ親族でも面会禁止に一時なったようだ。
一昨日、父が兄弟で見舞った際には随分安定してきており、充分に会話が可能であった。自分の死を完全に意識しており、【葬儀場の指定、僧侶と菩提寺の確認、財産整理の段取り、子供達への感謝と注意、趣味仲間や親戚への感謝、@@家の繁栄への期待】などを病床で断片的にしたため、また見舞った兄弟達に話していた。『若い人たちは葬儀のことも良く知らないだろうから教えてやってくれ、兄弟みんなに感謝している。次世で待っているから・・・』などと気分がよかったためか話たくてたまらなかったようだ。
その中で、こんなことを言っていたという。
【あちらの世界を見てきたよ。暗くてきたない場所に一日近く居たら、菩薩が現れて、あなたは戻りなさい・・と言われた。そうしたら凄く綺麗な世界が急に広がっていって、気がついたら病院のベッドにまた寝ていたんだ】
93歳とはいえ、普段はしっかりもので80歳くらいにしか見えない叔父の言う事だからボケ老人の戯言ではないようだ。元気になって退院したら詳しく聞いてみたいが、頼まなくても自分から何度も話してくれそうだ。多分、VTでショックになったときの出来事なのであろう。
僕は完全な心停止から蘇生に成功した人の話を何度か聞いたことがあるが、似たような【彼岸の景色を見て来た】という話をしていた。内容の差異は、その方の死生観により変化するのが当然であるので同一であるはずが無い。勿論、仏教徒とキリスト教徒との間に共通点が大きいはずも無い。
そんな話をするほど元気になったということだと思うが、とりあえず戻って来れてよかった良かった。
読んでくれてどうもありがとう。
勤務医の皆さん、お身体ダイジョウブですか~? 元気に頑張ってますか~? 田舎のシガナイ開業医が、自分の経験を元にご忠告しますョ。
格言 【健康第一 命あってのモノダネ 妻子を泣かすな 親より先に死ぬな】
昔と今との単純比較は出来ませんが、少なくとも【勤務時間】に関しては昔もほぼ同じでしょう。少しばかり、雑用や強制労働が増えたかもしれませんし、常識ハズレの患者さんや幼稚なマスコミやピントハズレの官僚やズレマクリの政治家にイラつくことは増えたかもしれませんね。
今から11年前のちょうど今頃、僕は勤務先の大学病院の特別室に【入院】していました。幼稚園に進んで以来、最初で最期の入院ですし、2日続けて寝込んだ事の無い僕が10日間程の入院をしてしまいました。入院患者さんの担当はなく、外来と研究と教育が主な生活でした。GWも無関係に、循環器系で最も大事な学会AHA(その年はニューオーリンズ)の演題提出期限に向けて連日ほぼ徹夜作業でした。その当時40分位かけて自動車通勤していましたが、週の半分は大学の当直室に泊まり、帰る時も家に4~5時間の滞在でトンボ帰りでしたね。当直バイトは月に5~6回だったかな。診療:研究=5:5くらいで、今流行の多忙な【勤務医】ではありませんでした。ま、普通の【大学勤務医師】でしたね。
ある日、何となく気分が乗らずに、早めに夜の12時頃大学を離れて家に運転して向かいました。ちょうど中間地点で運転しながら度々吐きそうになりました。レストランの駐車場に停めて休んだら気分が改善しましたが、10分も進まないうちに再び吐きそうになります。ひどく疲れていたのは確かですが、ヤットの思いで家にたどり着き玄関に入った途端、眩暈が出てきて座りこんでしまいました。10分ほど座って少し歩けるようになりましたのでスグ寝てしまいました。
あくる朝は眩暈も無くほぼいつもの体調でしたから、大学で外来診療をしてました。数人診たところで何故か冷や汗が出てきます。一人終わる毎に休憩して診察をこなしていましたが、とうとう吐き気が止まらなくなりトイレに向かいました。何度か吐いても改善しませんでしたが、まだ患者さんが残っていましたので無理して診察室に戻る事にしました。
しかし、数歩しか歩かない段階で回転性の眩暈が増強してきました。僕の診察室どころか受付へも到達できず、最寄の暗い心エコー室のベッドに倒れこみました。運悪く誰もその時いなくて、僕は動けずに暫らく「行方不明者」になりました。「外来診療を抜け出してM先生が行方不明」ということで捜索隊が出ましたが、灯台基暗しで誰も心エコー室へは探しに来てくれません。意識はありましたが、ねてても眩暈と吐き気は強烈で、大きな声は出せません。やっと発見されてからもひと騒動でした。前身汗びっしょりで空吐きを繰り返し、眼は虚ろ・・・自分では正確にはわかりませんが、せっかくの美男子が台無しでした。
サボりや嘘つく性格ではないし、外来患者を待たせて寝る医師は居ないでしょうから、周囲では先輩が『ストレッチャーを用意しろ・・ 頭部CT検査押さえろ・・ 特別室空けとけ・・ 点滴確保・・ さあ、運べ・・』などという言葉が飛び交っています。僕は全く座る事も出来ず、メニエールの経験もなくて、『小脳梗塞かな? もうダメかな? これからも医師できるかな? 死にはしないかな?』などと少し心配でした。
CTは「素晴らしい脳」を写し出し、耳鼻科の助教授が呼ばれ、『メニエールというより前庭神経炎のほうかな?ひどいから多分長引くよ・・しばらく入院だね』と診断が下されました。脳梗塞が否定的だったのは良かったのですが、『前庭神経炎は繰り返してまともな医師活動が出来なくなる人がイルゾ』と、アメリカ帰りの教授に脅されました。とりあえずAHAの提出は済んでましたが、座れないのに研究も診療も出来ません。
その後、耳鼻科の先生の予言どうり3~4日は座るのがヤットで、7日間は10mも歩けませんでした。10日ほどで退院しましたが、心配するので両親には報せませんでした。従姉が教授秘書をしてたので退院直前にはばれてしまいましたがね。
でも、その時色々考えました。
研究室の後輩の事も心配でしたし、後遺症の眩暈で自分が医師を続けられるかも心配でした。過労死しても不思議じゃないような無茶苦茶な生活をしていましたので【休む】という事が不思議な事に思われ、非常に辛く情けなくもありました。数日間は点滴に繋がれ寝てばっかり・・
しかし「研究の遅れ」は直に気にならなくなりました。【研究者として上を目指す】という気持ちは入院中にプッツリ切れてしまいました。『生きてノンビリ子供達と暮らして、医師を続けられればそれでいい・・・ 生きてるなら医師が出来なくても構わない・・』という気持ちでしたね。退院後、まだ頭を振ると吐きそうになる状態で近所のリゾートホテルに家族で泊まりに行きました。海岸線を2歳の子供と歩き、0歳の子供のベビーカーを押して歩くだけで幸せでした。研究や出世というものには自分は向かないと判断を下し、2年後をメドに開業する決心をしました。
決断を教授に伝えた時は辛かったですが、入院したことで僕の過労やストレスが極限に達していた事は周囲の皆が知っていましたので、あまり強くは引き止められずにスムーズに開業医への道を歩き始めました。
流行の【逃散】とは少し違うんですね、自分の中では。【出世願望を諦めた】という方が近いでしょうね。開業医を選んだのは、昔からなるなら【大学研究者か開業医】というものしか医師の仕事として考えた事が無かったからでしょうね。『誰かに命令されて組織の一員として滅私奉公する』という勤務医魂が沸かなかったんですね、僕には。サラリーマンの出来る性格じゃないんです。
当時の知人や研究仲間や親戚たちが次々に最近教授になっていますが、大学病院も色々厳しいようで、『教授にはなったものの辛い事ばっかり・・』という声もよく聞く。ドロップアウトした僕と教授になった彼らとどっちが本当に幸せか?まだ、人生終わってみなけりゃ分かりませんね。
そんなわけで、全国の頑張っている勤務医の皆さん、今後は開業医も大変ですが、最も大切なものは【自分の健康】です。絶対に過労死してはいけません。親より先に死んではいけません。妻子を不幸にしてはいけません。苦しくて倒れそうになったら必ず「ペースダウンやギアチェンジ」をしてください。
幼稚なマスコミやピントハズレな官僚のために自分の健康を害してはいけません。絶対に死んではいけません。
田舎のシガナイ開業医の体験談でした。時代も違い、あまり参考にならないでしょうが・・・
呼んでくれてどうもありがとう。