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生活保護費は今や3兆3千億円にも上るという。207万世帯だったか、207万人だったか・・・いずれにせよスゴイ数字である。消費税アップしても恐らく焼け石に水である。「ヤケになった医師に水をくれ・・」となりそうな危険すらある。
まあ、医者と看護師だから連休中の往診であろうが文句は言わない。愛人との安らかな眠りを邪魔されようが、愛犬との散歩を邪魔されようが、病める患者のためなら文句は言わない、ましてやインフルエンザで苦しんでる患者の味方であり続けたいというのが医療者の(教育された)本能である。
しかし、人間として、市民として、納税者としてみれば話は別だ・・・
生活保護関連費や年金などで親子は手取り22万円の収入があり、家賃は無料、医療費は無料、NHKも無料・・・その他様々な恩恵があるという。納税も年金も何もない。これは額面給与が40万円以上の生活水準ではないか? 市営団地も新しく立派な3LDK、職員の誰よりもいい暮らしが出来る環境にあると言える。しかし、その生活の実態は悲惨だった・・・
掃除道具、例えば帚さえない暮らしはなぜ生じてしまうのか? 健康で文化的な最低限度の生活はなぜ親子にもたらされないのか? 市営団地は市の財産、僕らの高額な税金が生みだしたものであるはずだ。しかし、市の生活保護担当者は親子の暮らしの実態を知らないし、知ろうともしていないかのようだ・・・
毎月一回は親子を訪問するという市の担当者は室内に入らず玄関先で訪問を済ますという。この家の玄関付近だけは物が無いだけに比較的マトモなエリアである。それほど汚れも酷くは無い。しかし、一歩室内へ足を踏み入れると・・・足の踏み場もない凄さなのだ。しかし担当者はこれを観ていない。観ようともしていない。お金(生活保護費)を渡して、生きてるか死んでるかを気にしてるだけの様だ。これでいいのであろうか? いいはずが無い・・・
僕と二人の看護師は親子に掃除道具をプレゼントし、約1時間半の間、3LDKの室内掃除に精を出した。トイレも風呂もどうしてここまで汚せるのか?というほどだったが、市の担当者は知らないだろう。
掃除の後はそれなりにキレイになったが、はたして何日ほど維持されるのであろうか? 今日透析に来た際はスッカリ元気になって感染隔離エリアに収容する必要は無さそうなくらいだったが、コンコンと「週に一度位は部屋の掃除をしなさい・・・それが健康維持にも大切だから。今のママじゃ薬がどこにあるかも判らないでしょ? いい? 掃除してよ・・」と説教してみたが、残念ながら無理かもしれない。精神と身体に障害を持つ彼ら親子のあれが限界かもしれない、悔しいことだが・・・
そんな障害を持つ人々には少々プライベートが無くなっても、老人ホームの様な、あるいはグループホームの様なお世話役がいる集団生活の場の提供がやはり相応しいのではないか? 現金給付ではなく、健康で文化的な生活が送れるようお世話するという現物給付がより相応しいのではなかろうか? こんどの往診を通じてそう強く感じた・・・
掃除で一汗かいて、そうして爽やかな美しい青空を眺めながら日曜の昼前の高速道路を愛人の元に戻るべく愛車をすっ飛ばして帰った。あの親子には無い様な充分なお金と財産が僕にはあるものの、あの親子にはあり余る自由な時間が僕には全く無い様なものだ。所得と財産には累進性の極めて高い税金がかかるが、365日24時間自由な時間には一切の税金はかからない。僕の様に自分自身で自由な時間を捨て去ってしまった生活をいったい「幸せ」と呼べるのであろうか?
せめてもの反抗として自由な時間を取り戻すために、その夜は映画のハシゴに出かけ、24時キッカリのシンデレラ帰宅となった。そして翌朝から再び納税生活のため頑張って働いている。
まあ僕には健康で強靭な精神とメタボな肉体と偏った判断力と僅かながらの自由なお金があるので一先ず良しとしよう・・・自由な時間はハッピーリタイアメントの後にとっておこう。それまで健康でいたいものだ・・・
往診に出向いてヨカッタと思う・・・ でも二度とゴメンだ・・・
呼んでくれてどうもありがとう 終わり (少々フィクションが混ざってます)
世に言う連休二日目の早朝、僕は某所で愛人と暖かなベッドの中で過ごしていた。夢うつつ・・・春眠暁を覚えず、とやらで前夜の興奮を胸に安らかな眠りの真っ最中にその携帯電話は鳴ったのである。
愛人の暖かく柔らかな肌に添えた手を離し、冷たく硬い携帯電話をつかみ耳にあてた。そして先ほどの会話が始まった。
透析間に8キロ位は平気で増えてきてしばしば心不全で緊急透析を繰り返していたのだが、最近はやや安定して緊急透析はしばらく施行していなかったが、日曜日の緊急透析が頭をよぎったのは否定しない。
ただ、確かに精神障害の息子と二人ぐらいの男所帯、生活保護で収入も住まいもあるとはいえ、食生活も何もかも問題を抱えていることは容易に推測出来ていただけに、息子からインフルエンザを移された可哀想な透析患者としてやはり連休中であろうが救わねばならないのである。透析患者のインフルエンザは、患者にとっても透析施設にとっても試練でもあるので・・・重たい気分で患者宅に向かった。
といっても、愛人宅からは高速を飛ばしても1時間近い時間がかかるので、携帯電話でスタッフに応援を依頼した。
透析看護師長・・・出ない。
透析室主任看護師・・・出ない。この二人が出ないことは初めてだが仕方ない。
@@看護師・・・日曜日の緊急応援依頼は初めてだが、患者宅と比較的近いので貧乏くじを引いた様だ。
高速道路で患者宅往診に関する詳細な電話連絡を取るなんて違法であろうが、患者の生死に関する緊急車両なのだから警察には多めに見てもらいたい・・・と、もし捕まったら訴えるつもりだった。しかし、なんだなあ・・・爽やかな青空と暖かな日差しの中で、出来ればこのまま別の愛人宅にでも時化込みたくなるほど良い天気だった・・・という妄想が浮かんだ。
@@看護師に出した指示は、「診療所からカルテと点滴とタミフルと某漢方と解熱剤を持ってきて、患者宅に着いたら電話して部屋番号を教えてくれ・・」といった内容だった。
で、相当にスピード違反をしてすっ飛ばしたので、ほぼ同時に到着した様だが、@@看護師は患者と息子の状況から相当厄介な往診になると自己判断して、&&看護師を応援に頼んでいたようで、患者宅には@@と&&の二人の優秀な看護師が先着していた。日曜日に看護師二人を連れて1時間も高速飛ばして往診に行くなんて、採算度外視も甚だしい・・・経営者失格かもしれない。
しかし、この看護師二人体制の往診が皮肉にも非常に役立ったとは、事実は小説より奇なり、である。
さて、その生活保護家庭が多く住むその市営団地はまだ新しく、鉄筋2階建て、庭付き駐車場付きの日当たりのよい3LDKであった。家賃は払っていないらしく、聞いても知らなかったみたいだ。生活保護なので自動車は所有していないが、介護保険利用なのか、立派な電動カートが玄関前にあった。
その玄関ドアを開けて中に入ると、足元がベタベタするし、いたるところに何かが散らかっていて、患者の所に行くまでに色んなものをふんづけてしまったが、うーうー唸る患者の横で二人の看護師は悪戦苦闘していた。
インフルエンザ患者が二人で暮らす部屋なので窓を開けようとしたが容易に開かなかった様だ。埃とかでベタベタしていたのか、数カ月も窓を開けたことが無いようだった。布団も敷きっぱなしであろう、湿ってカビが布団と畳みの両方に・・・壁にも少しカビらしきものが見えた。布団の向こうには、洗濯しているのかどうか、衣類が山のように雑然と積まれていた。いったい何カ月分の衣類なのであろうか? その周りには幾つもの薬の袋があり、処方した主治医にさえ何が何だかわからない位だから、患者や息子に判る筈はなかろう・・・と、日頃の生活を想像すると怖くなった。
三人で抱えるように身体を引き起こして点滴をし、タミフルや解熱剤を服用させたが、その間に3LDKを見て回ったが、とても≪健康で文化的な最低限度の生活≫のレベルには程遠いものだった。
トイレも入居後一度も掃除したことが無いだろう・・・という様な汚れ様で、空になった匂い消しの芳香剤が10個くらいトイレットペーパーの芯と一緒に転がっていた。
風呂も洗濯機の周りも台所も何もかも・・・掃除とは無縁の汚れ様だった。歩けば埃が舞い、靴下の裏は真っ黒になり、看護師たちは往診に付いてきたことを後悔している様子だった。
息子に聞くと、近所に親戚も世話してくれるご近所さんもないらしい。隣の市に別の息子が居るらしいが行き来はなく、事実上、身障者の父と精神障害の息子の二人暮らしだった。
収入は手取り20万を越え、家賃も医療費も年金保険料もテレビ代も多くのものが無料か格安なため生活は充分に出来ると思うのだが、残念ながら≪健康で文化的な最低限度の暮らし≫が出来るほどではないようだ。
点滴をしてる間に看護師二人と僕で部屋の掃除をすることにした。これじゃ病気になる・・・、治るものも治らない・・・という気持ちからだったが、聞くと箒や雑巾やゴミ箱などの掃除道具を持っていないという。我々3人の常識を遥かに越える彼らの生活スタイル・生活レベルだったが、看護師の一人にポケットマネーを渡して掃除道具を買いに行かせた。
往診に来て、掃除をする羽目になるとは・・・、確かに電話で呼び出された看護師さん達は「貧乏くじを引いた」と思ったようだ。僕は・・・「人生何事も勉強勉強・・」と思うことにし、看護師さんと3人で掃除を開始した。
タイムリミットは点滴終了まで・・・ ③に続く (少々フィクションが混ざってます)
昨日の日曜日、朝から当地は雲一つなく晴れ渡り、夕方まで暖かく爽やかな一日だった。夜になって雨が降り始めたものの山登りにでも行きたい位の青空が広がっていた。前日の土曜日も同じく気持ち良い連休だった・・・世間では。
まあ僕にとっては「連休」はこの10数年縁が無く、とっくの昔に意味さえ忘れた言葉なのだが、要するに、土曜日も日曜日も続けて仕事が休み・・・ということだろう。土日以外の連休もあるのであろうが、日曜日以外に休んだことが無いだけに、「祝日ってなに?」という今日この頃である。
しかしながら、世間ではどうもずっと以前から土曜日も日曜日も続けて休みということは「当然」の様で、何も「連休」と取り立てて言うほどの事ではないのであろう? そうだった・・・そんな事さえ忘れてた。そういえば職員達はみな週休二日制で僕だけが連休を知らない変な奴なのかもしれない。
僕の土曜日は当然ながら仕事で、外来も夕方4時まで、透析は2時まで、介護は・・・日曜日も一応入居者の状況によっては年中無休ということになる。まあ「透析患者」も「介護入居者」も365日24時間ほかに任せられない責任があるという点では同じなので、税金をせっせと納めるために身を粉にして命を削って働いているのである。いまや「必死」に働くでなく、「自然に・当然のように」納税額を必死に増やそうと努力しているわけである。我ながらよく病気もせず身体が丈夫に出ていると感心する。メタボであっても丈夫が何よりである・・・
きっとそのお金は、例えば生活保護家庭で有益に使われているのであろうから気持ちよく納税をしたいと思うことにしている。そうでなくては命を削って家族を犠牲にして開業医なんてやってられないのだ。
しかし、実は生活保護家庭の実情は案外と知らないもので、外来で毎月10名ほどの患者さんを診察しているのだが、家庭生活の実情は良く知らない。テレビを見ても本を読んでもなかなか判らないものである。思えば、一度も生活保護家庭に足を踏み入れたことが無かったような気がする。いや、一・二度あったかもしれないが・・・
そして、この連休のど真ん中?である日曜日の朝早くに、僕の「24時間院長直通携帯電話」がけたたましく鳴り、週に一度の安息日の朝の平安を破ってくれた・・・患者さんからの有り難いお電話、噂していた生活保護の患者さんの携帯電話からだった。冬の暖かな布団の中にもう少し寝ていたかったのに・・・残念。
「父(患者)が苦しがっています。熱が高く、うーうー唸ってます。どうしたらいいでしょう。僕も昨日からインフルエンザで高熱が出てきついです。どうしたらいいでしょう?」
患者と二人で暮らす息子がそう電話で訴えてくる。彼も少し精神障害があり時々精神科に入院をしている。説明能力という点では不十分ながら、苦しそうな父親の姿に不安を感じている様子が手に取る様に感じられる話しぶりだ。とりあえず体温を計らせた。39度を越えていた昨夕から飲み食い出来ていない様子だった。前日に発熱を予測して渡していた解熱剤などの場所さえ判らないという。困った・・・出向くしかなさそうだ。
こうして、連休中の往診が始まった・・・ ②へ続く (少々フィクションが混ざってます)
ようやく司馬遼太郎さんの【翔ぶが如く】を読み終わった。文庫本で全10巻、およそ3500ページはあるだろうか? 同じ司馬さんの有名な【坂の上の雲】は半分も読まずに積み上がっているのだが、【翔ぶが如く】の方は実に興味深く、また面白く、ためにもなった。

あまりに長く、一息に感想を書きあげる器用さも度胸もないが、明治10年9月に西郷隆盛の死を持って終焉を迎えた西南戦争と、翌年に加賀の士族により誅された大久保の死と、官を最強の太政官制度として根付かせた立役者の川路利良の狂死を見届けてようやく現代日本の病魔の様な官僚制度の深い深い闇の様な統治機構を理解しえたような気がする。あくまでも「気がする」だけなのではあるが・・・
最近よく感じるのは、「世の中は不条理に満ちている」ということだ。特に7世紀頃から歴史に辿れる氏姓の連綿たる系譜は僕の様などこの馬の骨か判らぬような庶民には不条理に思えることも否定しえない。
天皇家・・・
藤原家・・・
源氏と平家・・・
そして、薩摩と長州・・・
ヤマト王権の成立から、飛鳥・奈良・平安・鎌倉・戦国・関ヶ原・明治維新、そして第二次大戦を経て今も続く脈々たる権力の流れ・・・ 日本という国がずっと一本の粘々した様な権力層の流れの中に続いて生きたのだなぁと感じる。
読み終わって感じるのは、「西郷隆盛」の不思議さだ。写真が残されていないので表情から人物像を読むことが出来ず、どうしても伝説の様な伝記や印象深い肖像画が正しい西郷隆盛の理解を妨げているように思うが、彼は有能だったのか虚像に過ぎなかったのか・・・正直よく判らない。恐らくは征韓論争で大久保に敗れ薩摩に帰還した後は、何らかの身体的・精神的、更に言えば統率力や判断力などにも問題を抱えていたのではないか?とすら感じてしまう本書の内容であった。
しかしながら、比較するならば大久保利通よりも西郷隆盛に親しみは感じる。ただ、どうして「あんな、あの程度の西郷」をあの時代の人々は好きになったのだろうとは訝しく感じるのではあるが・・・
まあ、これだけの長編を読んでもなお西郷隆盛に関しての謎はますます深まるばかりであった。でも、面白かった・・・
(追記)
仮に先の衆議院選挙が江戸幕府(自民党支配)の終焉であったとすれば、倒幕派の民主党はもともと思想や気質が異なった長州(菅・仙谷・枝野・野田ら)と、薩摩(小沢・鳩山・ヤワラら)が一時期タッグを組んだものの、大久保(自己をミニ高杉晋作と勘違いしている菅や大久保の様な仙谷)と(自己を西郷と勘違いして、周りも勘違いして担ぎ出そうとしている)小沢とが相容れずに袂を分かって、まもなく最終戦争(西南戦争)に突入しようとしているようだ。鳩山はさしずめ島津久光みたいな感じだろうか?
もちろん、冗談だ・・・誉めすぎて我ながら恥ずかしい。でも、小沢をことさらに奉ろうとする人々が多いことには非常に驚く。既に過去の人、かつ虚像に踊らされているだけと思われるのだが・・・
読んでくれてどうもありがとう
ブログを開始してから早くも3度目の「骨折」である・・・悲惨である
2年に1度ちは・・・ ちと多過ぎやしないかい、アン?
天下の【M3 リッットマン】さんよ、お宅の【マスターカーディオロジー】って、5万円以上もするんでしょ?
勤務医の時の10数年間には1度も骨折したことが無かったのに、開業医になって・・・ビックリでんな。
勤務医の時はそんなに診察回数多くなかったからな。大学病院の外来なんて、週に2回くらいやったし。精々週に病棟回診しても聴診回数なんて100回程度だったかなぁ?
今じゃ、週に500人の聴診を毎週毎週飽きもせず続けてますよってに・・・そりゃ折れまんがな、確かに
貧相な開業医といえども、一応は循環器専門医である故、聴診器はオンボロじゃいかんよってに、またまた万札が飛んでいくのを悲しい眼で眺める今日この頃・・・ 恨めしやァ
不良品売っちゃアキマヘンがなぁ 日本製ってないんどすか?
癒し・・・という言葉は滅多に使用しないし好きな言葉ではないが、我が家のワンコたちには確かに癒される。もし今ワンコたちが居なければ、恐らく僕はストレスで倒れているかもしれない。
そのワンコたちの写真が今年から僕の診察机のパソコンの背景写真になっている。二匹のワンコが並んで座って、つぶらな瞳で僕を真正面から見つめている。元々小さいトイプーなので実物大とそうは違わないが、長い舌をペロッと出していたり、動きさえも感じるような鮮明な写真に横目でドキドキしながら毎日患者さんを診察している。
そして数週間前からはスクリーンセイバー代わりのスライドショーの画像もそのワンコたちの写真となった。ブリーダーの所で生まれた時の写真やら両親の写真やら、我が家に初めて来た時の写真やらで、まだたった2年少々の人生(犬生)ながら、よくぞ生まれてきてくれた、よくぞ我が家に来てくれた・・・と、実に感慨深いものがある。
昔から長く通院してくていれる患者さんとの最近の会話で一番多いのはそのワンコたちの写真の話である。
『まあ可愛いですね・・・ まるでお人形さんみたい・・・』
『うちもトイプー飼ってますよ・・・ えっ 二匹いるんですか?』
とか何とか言われると、診察時間の5分位スッと過ぎてしまう。これで診察代をいただいても良いのだろうか?と心配になるほどだ。
「犬はかわいいですよね・・・ 人間よりずっと可愛いです・・・」と返すことにしているが、内心では≪うちのが一番かわいいよ≫と思う。とってもかわいい・・・ 妻より可愛い・・・
生まれて今まで、9匹のワンコと暮らしてきた。他にも、カナリアや 文鳥や ジュウシマツや ハトや 鯉や 金魚などを飼って暮らしてきたが、僕はワンコ、とりわけトイプーが大好きなのである。
診察机のPCの中のワンコたち・・・片時も離れたくないのである。
読んでくれてどうもありがとう
1976年から断続的に1982年まで続いたNHKのテレビドラマ【男たちの旅路】のDVDセット全巻を数日前に思い切って購入して、土日で一気に観た・・・といっても日曜夜に患者容体が悪く呼び出され、後3話を残してはいるのだが、その記憶を書き残しておきたい。(内容は書かないが・・・)

というのも、多感な高校生の頃に受験勉強やリアル恋愛体験などそっちのけで、勉学に邪魔なテレビや読書や映画にのめり込んでいた僕にとって、この【男たちの旅路】ほど印象に残っているドラマシリーズは確かに無かったのだが、その「感動の記憶」こそ35年たってもしっかり覚えているのに「内容の記憶」がどうもキレイに失われてしまっていたようで、実は昨日観た内容も殆ど覚えていなかった。ようやく高価なDVDセットを一括購入できる身分になれたのに、お金で買えない残酷な時の流れに、そして確実に進んでいる脳の衰退に少々悲しい想いがしている。全13話をかつて熱狂して観たハズなのに・・・
どの話も山田太一さんの脚本が素晴らしいが、「非常階段」 「冬の樹」 「シルバーシート」 「流氷」 そして、まだ見返していない「車輪の一歩」が好きな作品だ。
特に高校生の娘を扱った「冬の樹」には、同じ年頃の娘を持つ父親として大いに考えさせられたし、老人問題を扱った「シルバーシート」は老いゆく両親を想い出しどうにもやるせない気持ちにさせられる。どうして山田太一さんはこれほど誰をもうならせる脚本が書けるのか? 監督よりも脚本家が重要な作品群である・・・ いつか子供たちにも見せてあげたい。

面白いのは時代背景もそうである。ミッキー吉野率いるゴダイゴは当然としても、西条秀樹やキャンディーズも登場し、パンナムなど今はなき飛行機のマークなども懐かしい。「別離」での輸血のシーンも今は昔で興味深かった。あの頃は良かった・・・と、歳をとってきたのであろう。
自分を残せる役者ってイイな・・・ ランちゃんの相棒になった水谷豊なんて実に活き活きとしているし、森田健作や柴俊夫、清水健太郎や桃井かおりなどは当時から魅力的だったのを再認識した。やはりテレビドラマって時代を色濃く映しだしていると感じる。
最近DVDセットの「大人買い」をしているが、次は同じ山田太一さんの【ふぞろいの林檎たち】を注文しようと思うし、その次は森田健作さんの【俺は男だ】が待ってくれているようだ。アメリカ物は【宇宙家族ロビンソン】を買いたい・・・とぞ思う。
出来れば夏木陽介の【青春とは何だ】とか、竜雷太の【これが青春だ】などもDVDセットで出してくれないかな? と期待しているが・・・ ムリだろうなあ???
読んでくれてどうもありがとう
今年は診療報酬と介護報酬が4月に同時改定されます。一足先に介護報酬改定の概要が1月25日に発表されました。悲惨な状況です・・・介護の世界で必死に働かれている皆さんが可哀想なくらい悲惨な改定でした。
上がってる・・・とのマスコミ報道は嘘で塗り固められていました。診療報酬ではなかなか生じない程の強烈な誤魔化しが介護の世界では容易に起こるようです。
例えば、今まで交付金として報酬外だったものを本体に組み込んで、それが無ければ完璧にマイナスであるのに一転「アップ」と称したりしています。
診療報酬では起こらない更に恐ろしい前兆が、報酬単価(1点10円)の基本がいとも簡単に地域間調整されたことでしょう。介護で破られたこの壁は医療でも迫られてくるでしょう。今回は都会優遇の報酬となりました。利用者宅への送迎距離が1時間では済まない田舎より、20分圏内で事足りる都会が優遇される矛盾です。ガソリン代も田舎の方が概して高いモノですし、田舎では人口減で職員が集まりにくく、都会と比べても人件費も安くは無いのですが。深夜の訪問とか、暗く寂しい田舎道は危険ですらあります。都会の役人さんや学者さんは田舎に暮らしてみたらどうでしょう?
そもそも大地震で崩壊する東京の遷都を考えないなんて無策・無能・放置のアンポンタンです。
しかし・・・ サービス内容によっては、10%とか15%とか、診療報酬では到底ありえない数字で介護報酬を一方的に下げてきます。中医協の様なやり取りは無いのでしょうね、介護の世界には・・・介護業界はやられっぱなしです。つまり、介護労働者はやられっぱなしです。何度も書いてきましたが、介護労働者は可哀想な官製ワーキングプアに貶められています。
医療系の介護経営者ではあまり見かけませんが、チェーン展開する様な営利業者の経営層は、上位中間層から富裕層狙いの企業は別として、一般庶民対象の場合には強烈な過剰広告イメージ作戦で利用者を囲い込み、労働者を平均220万円にも満たない様な年収で使い捨てしている場合も少なくないでしょう。民間の介護職で超勤無しでは年収250万円以上は少なく、年収300万円以上はエリート、400万円超えは幸福者、500万円超えは神のレジェンド・・という世界です。
しかし、これも官製の介護報酬から算出した賃金相場であり、低い介護報酬のクセに強烈な人員規定などの規制規制でがんじがらめにされた介護の世界の悲しいサダメ・・・なのです。
しかし、介護労働者の皆さんには国が悪い・厚労省が悪い・財務省が悪い・民主党が悪い・・・などという本質が見えないようで、どうしても給料を払う経営者が悪い・・・となるようです。結果は、ありきたりの労働者と経営者の軋轢・せめぎ合い・不仲・サヨナラ・元気でね・・・という道筋となります。一部の悪質な経営者を除く多くの経営者は自分の利益を度外視して運営を計っているのに・・・です。
野田ブタ総理になってからは「介護」という言葉は「増税」とい言葉にかき消されていった感がありますが、アホ菅の時代には「介護で雇用アップ、景気回復の起爆剤」とかなんとか、バカなのかアホウなのか狂ってるのか判らない連呼をしてました。その結果が、介護報酬の大幅削減です。すなはち、介護労働者給与の上昇抑制・削減助長です。
もう早々と年金同様に崩壊過程を邁進する介護保険制度・・・ 官製ワーキングプア製作の政策はやめて頂きたい。
そのためにはお役所仕事の様な厳しすぎる人員規定や無駄な書類書類の規制緩和が絶対に必要で、そのうえでコストを下げ、利用料も下げ、労働賃金をあげるような高回転を目指さねばならないのに、悪循環が大好きなお役人は基本的にバカとしか思えないのである。
今日も採用面接をしたが、介護労働者の待遇は自分で言うのも変だが、非常に劣悪で可哀想なほどである。それでも頑張って働いてくれる皆さんには感謝しているが、介護の世界は医療の世界からみても何とかしてあげたい・・・そういう世界である。
読んでくれてどうもありがとう
あまり引き摺りたくない話題なので一月中に始末してしまおう・・・映画の後の「トークイベント」
短いエンドロールが終わって涙を流している中年オヤジに右隣の上品な中年オバさんは気がついたかもしれない。途中で慟哭のせいで何度か座席の背が揺れたのにも気づかれたかもしれない。左隣の中年オバさんはサッと席を立ったが、ほとんど全ての人は席を離れずにゲストの登場を待った・・・
最初にぶくぶく太ったメガネの甲高い声の毛糸の頭巾を被ったオタク風の男性が現われた。係員にしては格好が下品だ。何だこいつは? しかし、どうも司会者の様だ。誰だこいつは?
続いてお待ちかねの美しい若い評論家女性が東京から到着した・・・が、70近く?の白髪のオバさんが真っ赤なダウンベストを着こんで入ってきた。ウソだろう?と一瞬思ったが、太った男性が笑顔で紹介しているので有名な評論家なのだろう? しかし、いきなりの現実引き戻しである。まあ勝手な妄想をしていた方が悪いのであるが、興味深い映画と原作の話題が待っているのだから良しとしよう。
このオバさん、元気が取り柄の様な過激派風テイストの書評家だった。決して映画評論家ではなかったし、司会者の方も市内の私大の教育スタッフだったようで、間違いなくマニアックな書評家の様子だった。
ほんの10分ほど誰でも語れるような【サラの鍵】の原作と映画化作品の違いや共通点などが語られたが、パンフレットにも書いてある程度の内容だった。そして、二人の世界はマニアックな小説や小説家、そして時折マニアックな作品が映画化された話などへ進んで行った。もはや【サラの鍵】は忘れられた存在のようだ。
司会者は何を勘違いしたのか、芥川賞を受賞した田中氏の話題へと突き進んだ。お相手のゲストもオタク仲間なのであろう、ココが映画館で、ついさっきまで地方都市の善良な映画ファンが【サラの鍵】を観終わって、【サラの鍵】に関する話を映画と小説の立場から聞きたくて話したくて席を立たずに居残っているのも理解していないようだった。オタクとはこういう人種なのであろう、と強く感じた。
二人の世界は【サラの鍵】というより【田中慎也と共食い】の不思議な世界にどっぷりと浸りきって、聴衆は戸惑いを見せ始めた。次の上映時間までの60分間のうち45分が流れてもなお、二人の世界はオタク小説評論から脱し得ず、とうとう僕を含め数名の勇気ある映画ファンが立ちあがって抗議・・・はしなかったが、会場を出て行った。イベントの終りに拍手する気などさらさら起きなかったんである。
会場を出た人々は一様に戸惑っていた様だ・・・
『なによ アレ? 途中から着いてけなかったワ』
『せめてゲストや司会者のプロフィールくらいは書いてて欲しかったわね』
『全然予想と違った。映画ファンじゃないねアイツら・・・』
『せっかく泣くほど感動したのに、腐ったデザート食べた感じよね・・』
『オタクの勘違いってこのことよね・・』
などなど愚痴のオンパレードだったが、今もなお司会者やゲストは気が付いていないのでシャクに障る・・・
後でゲストのTwitterを読んだが、何にも感じてなかった様子だ・・・ あんなんで評論家になれるんなら僕だってなれるさ・・・と正直思う。
映画の後に正体不明の「トークイベント」は避けるべし・・・
これが今回学んだ教訓であった・・・天国から地獄とはこのことだ
僕のブログの読者に限らず、映画と小説を両方好きな人にとっては、「映画を先に観るか、それとも原作が先か・・? はたまた片方しか観ない・読まない主義なのか?」というのは永遠のテーマであろう・・・
そんな僕の気持をくすぐった宣伝文句のトークイベントに魅かれて【サラの鍵】という映画作品を観ることになった。
後で気付いたらポスターに出ている主人公の女性はクリスティー・スコット・トーマスさんだった。実は僕は彼女の大ファン・・・これまでもブログで【モンタナの風に吹かれて】と【海辺の家】について書いたこともある。だが、主人公が彼女だとは全く知りもせずスクリーンを前にした。それくらい前情報も全く無くて映画館に足を運んだのも珍しい。内心、後に続くトークイベントのゲスト女性に期待したのであろう。何事も期待し過ぎはダメだという教訓を得た一日となった・・・
≪映画が先か・・・ 原作が先か・・・≫ この命題が最初から最後まであまり上等でない頭の中をグルグル廻って少々困った妙な一日だった。もちろん、映画の存在も知らない僕は原作も読んだはずは無く、フィクションかノンフィクションかも知らずに物語に浸った。そして何度か涙が出た。つまり、期待以上にイイ映画だったのである。皆さんにもお薦めしたい。
ただ、原作に引きずられて映画の良さが消されてしまったり、あまりにも原作とかけ離れたストーリーに嫌悪感を抱いたり、陳腐な映像化に激怒したり、想像を越えた映像の世界に感嘆の声をあげたりと、映画によって、また小説によって、あるいは書評家なのか映画評論家なのかによっても観方は大きく異なることだろう。この日のゲストの豊崎さんと司会役の太った男性はモロに書評家のほうだったようで、その件は次回に書くとする・・・
小説と映画の違いとして豊崎さん達は触れなかったが、主演俳優のイメージや過去の代表作の役どころに引きずられてしまうことがある。今回は正にそれだった・・・いい意味でも悪い意味でも。

スコット・トーマスは45歳の高齢妊娠をして生むか産まないかの葛藤をしてしまう。あることに熱中してる間に夫の関係が冷えてしまい、思春期を迎えた長女との関係も微妙で、他の人に猛烈に興味を抱いて時が残酷に流れて行く。生むべきか生まざるべきか・・・この辺りがロバートレッドフォードと共演した【モンタナの風に吹かれて】と凄く被るのである。
原作と映画化の違いとしては、この【モンタナの・・】の場合には、原作ではスコット・トーマスが演じた女性はレッドフォード演じる男性の子供をモンタナで妊娠してNYで一人で生むのだが、映画では妊娠したかどうか不明のまま彼女はモンタナを離れるのである。
今回の【サラの鍵】では、スコット・トーマスはパリで妊娠して夫から離れ、NYで夫の望まない子供を一人で生むのである。ずっと最後まで、生むのか生まないのか・・・が頭から離れなかったので困った困った。
もう一点は、【サラの鍵】ではスコットトーマスがパリのアパートの本当の所有者が収容所で死んだサラという女性の家族のものだと知り、なんとかその事実をサラに知らせようと必死にパリやNYやフィレンツェなどを巡るのであるが、一体サラを探してどうしたいのか?という疑問が付きまとうのである。自分たちが受け継いだアパートをユダヤ人一家に返すつもりなのか? どこにも「返す」という言葉は出てこないのであるが、「夫に反対されても返すんだろうか? 返すさ、キット」という声が頭に響くのである。
これはやはりスコットトーマスの【海辺の家】と凄く重なってしまうのである。

こちらは映画の原作は存在しないようであるが、癌に犯され死を前にした別れた亭主と一緒に必死に建てた【海辺の家】を息子とともに、昔起こした交通事故の被害者家族を探し出してお詫びにプレゼントする結末なのだが、直接ではなく間接的な当事者に過ぎないのに不当に悲惨な環境に陥った人々に謝罪したい・・・という気持ちが、映画の中で強烈に重なるのだった。

そもそもスコットトーマスという美女は僕のストライクど真ん中の女優なのだが、夫とはどうもうまくいかない苦悩する本能で生きる女性なのであろう。フランス語も英語もパーフェクトな女優として彼女に白羽の矢がたったと思うが、このような設定・人生がはまり役なのであろう・・・実生活でも3人の子を儲けながらも離婚したそうだ。人生とは難しい・・・
そんな訳で、「原作か、映画か・・・」だけでなく、「あの映画か、この映画か・・・」などに頭の中をグチョグチョに掻き回されながらも涙を流しながら【サラの鍵】を観終わったのでした。
そして、いよいよ東京から「豊崎ナントカ」さんという若くて美しい美女?のゲストをお迎えしてのトークイベントが始まろうとしていました・・・期待に胸もアソコも膨らみます
一応続く・・・