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今日、6日は三連休の後ということもあって非常に忙しく辛かった。117人の患者さんを診察したのでグッタリだ。病気になりそうだ・・・
さて、誰も期待はしていないだろうが、お約束のGW旅行記を印象深いうちに(自分のために)書き遺しておきたい。
さてさて、GWの真っただ中、5日は木曜日で透析は午後1時半には危険な手技も終了するし、土曜と違って午後の外来もないし、デイサービスも年に数度の定休日でもあって僕にとっては真に貴重な時間である。こんな日は愛人と延々と汗水たらして楽しみたいところ・・・と妄想こそすれ相手が実在せず、かつ天候が一気に好転して来たので、後かたずけと戸締りを職員にまかせて愛車をすっ飛ばすことにした・・・
さてさてさて、どこに行くか・・・??? 天気予報や地図や渋滞情報や新幹線時刻表(と料金表)をにらめっこしながら出した結論は・・・
ということで、僕はフェリーに乗り込んでしまいました。女子高バレー部のマイクロバスの中から熱い視線を感じましたがナンパする訳にもいかず、クールな中年を気どってデッキでカモメならぬ鳩ポッポと楽しく過ごしました。
目的地は若かりし日の想い出の地・・・プラトニックな関係の二人がプラトニックなママで車内で一夜を明かした場所でした・・・
http://blog.m3.com/BackToTheStreet/20070426/2
かつてパンプスの彼女と一緒に手をつないで登った山の隣には平成新山と呼ばれる溶岩ドームがあって、かつての登山道は封鎖されて今はいくことが出来ない。下は妙見岳から国見岳に向かう途中からみた景色であるが、奥の茶色のピークが1990年噴火の新山で、手前中央の緑のピークが懐かしの山頂である。Kちゃん、元気ですか???
しょうがないので(時間もないので)ロープウエイで隣の妙見岳に登った。混雑を予想していたが、不況のせいか雲仙は山も温泉もガラガラで少々淋しさを感じつつ過ごした。お陰で野鳥の声が美しく聞こえたのではあるが・・・ でも、雨の後で黄砂も消えて美しい有明海や長崎方面、天草諸島などがクッキリと見え気持ちの良い夕方であった。
5時を少し回った頃に帰りのロープウエイの最終便が気になって安全第一で国見も普賢も諦めて下山することにした。展望台で無く山に向かったのは僕だけだったので運航時間の事を忘れそうになっていた。沢山の職員もいることだし、淋しい山中で勝手に死ぬわけにもいかない。ちなみに、話題の?諫早湾を閉め切ったギロチン堤防も妙見山頂からよく見えた。どうして人間はこんな大それた無用の長物を作りたがるのであろうか?
山頂の神社で引いた「おみくじ」は末吉。浮気はするな・・とあった。自分の学問には自信を持て・・ともあった。心を正しくしなさい・・との貴重な助言に思わず賽銭を弾んだ。
あんまり疲れなかったが程良く汗をかいたので、雲仙の地獄の傍のホテルで温泉に入った。どうも地獄とは縁が切れないらしい。それにしても温泉で飲む懐かしの「コーヒー牛乳」は最高である。つい買って飲んでしまう・・・
さてさてさて、どのように帰ろうか?
まずは公共工事の無駄を実際にこの目で見るために山頂から眺めた諫早湾干拓のギロチン堤防を眺めに行った・・・と思ったら堤防の上を走行できるとのことでついついブッ飛ばしてしまった。
巨大な堤防が真っ直ぐ伸びて・・・先の方に見える水門を開けるの開けないの、そもそもなぜ造ってしまったの?と、どう考えても無駄だと感じた。開けたところで効果は少々であろう。近道と思えばありがたかったが・・・ と悩むうちに腹が減ったことに気付いた。
長崎と佐賀の県境にある竹崎は「蟹御殿」という名のホテルまである。せっかくだから、というか元々これが目的だったのだが、7時半頃に日が暮れた竹崎に着いた・・・
ところが、「この辺は田舎なのでもうオーダーストップです」と玄関先で軽くあしらわれた・・・実に悲しい、死ぬかと思った。そこで別の有名どころへ電話して聞いたら8時までOKとのこと、GW中だというのに・・・
蟹と雑炊と・・・メスの卵が眼に痛いほど輝いていた。心の贅沢、8000円分を 一心不乱、バッチい病原菌もなんのその、手づかみでムシャクシャ・バリバリ・・・ありったけの精力を傾けて蟹と闘った。愛人ともこうはハッスルしないのに。
帰り道は、満足と 動きたくないのと 手が臭いのとを悩みながら アウトバーンの様な田舎の立派な道を佐野のCDを大音響で流しながらすっ飛ばして帰宅した。随分と新しい道が出来ていて・・・税金が高いのが良く理解出来た、賛成はしないが。
ということで、僕のGW旅行も無事に終了した。別に休みではなかったが、健康な体があって9時間もあれば立派に楽しめることを再確認した良き旅だった。GW中も混んでないのは喜ぶべきか悲しむべきか、少々複雑な心境ではあったが・・・
一番大切なことは矢張り「自由な時間」なのであろう。僕につかの間の自由をくれた家族と職員に心から感謝したい。
ここ数年、【鹿男あをによし】の頃から綾瀬はるか命・・・かと見まがうがごとき一途な奈良ファンになっているMurajun先生。復活の日々の途上にて【大和路の旅】という本を読んだ模様だ。理解できたか否かは定かではないが、何かを感じて表現したく、悶々として寝苦しい夜を過ごしているそうな・・・
そのM先生のご意見を聞いてみることにした。ちなみにM先生は邪馬台国九州説、細かくいえば、(旧)山門郡瀬高町を中心とした非大和説の急先鋒の一人である。
しかしながら、卑弥呼墳墓説が声高にささやかれる箸墓古墳周辺の山の辺地区から三輪山を仰ぎ見る当りの地政学的有利性に関しては異を唱えるつもりはさらさらない。おそらく、飛鳥以前の関西文明の中心であった事は間違いない。
がしかし、大和が出雲や九州北部と比して優越的文明であったかどうかにはいささか疑問である。
では、なぜに桜井・飛鳥なのであろうか? この本にも一切のべられていないM医師の考えはこうだ・・・
1)生駒山以西の難波(大阪)は大和川の河口のポイントであったであろうが、厳しい古代の自然環境においては定住地として都を形成するに価せず。
2)河川交通は騎馬民族ではなかった古代倭において中心的な役割を担っていたので大和川から飛鳥川を遡るルートは渡来人との交流において非常に大切であった。
3)古代は治水技術が低く、山の辺の三輪山近郊が西にっ広がる沼地の季節性水害を避ける意味で定住に適していた。
4)時代が下り治水技術の発展(輸入)とともに盆地を形成する飛鳥地区が清らかな水の都としてその地位を高め、渡来人を含む有力な人々が都の機能を託すように最初の都市計画が行われた。
5)人口の増加とともに飛鳥エリアでは手狭になり、藤原京から平城京へと広いエリアを求め移動(遷都)せざるを得なかった。
6)人口増加は疫病の増加と連動し、その対策に治水が更に重要性をましたが、平城京への河川交通機能は人口の割に低く、更に大きな淀川系の河川交通が決め手となって平安京が選定された。
7)桜井・飛鳥・藤原京・平城京・平安京・・・いずれも台風の影響が比較的少ない地域でもあった。
それに比し、九州山門説は台風の影響が非常に大きく、継続して大きな都を古代に維持して行くのは困難だったかもしれず、その点がややM先生の自信を妨げている要因でもある。
今も平安京の名残をはっきりと残す京都に比べ、奈良は1300年の時を経て全くの別物となっているようで、余計にミステリアスでM先生の軽いオツムを引き寄せてやまない。
西の京の薬師寺や唐招提寺が平城京の比較的真ん中にあったなんて・・・ 平城京って実に広い立派な古都だった事に今更ながら感じ入っている・・・
読んでくれてどうもありがとう
旅・・・
それは若かりし日々においては 特に意識せずに身を任せていた自然な時間だった。
伴侶や子供が出来てからは 自分勝手が影を潜めて誰かに合わせる様な出来事になったが、それはそれで楽しいものだった。
勤務医時代には 不自由ながらも自由な時間を利用して海外も含め旅はまだ身近なものだった。
特に3年余のアメリカ時代には 毎日が旅、それもプライスレスな人生の旅だった・・・ 幸せな時間はあっという間に過ぎ去った。
開業医になると 自由なようで極めて不自由な時間をどう工夫して心の旅を楽しむ事が出来るか、まるで挑戦の様な日々に心が挫けそうになる。
そしてコッソリと匿名でブログに書き記す小さな平凡な旅の記録・・・それは果たして旅と言えるほどの豊かな時間が流れただろうかと、先日の26時間の旅を思い出している。今の僕には精一杯の26時間の旅・・・ 僕以上にタイトな時間の中で仕事に明け暮れる人々も多いと思うが、少しは共感していただけるのか? しかり飛ばされるのか?
さて、今回は旅の記事の最終章である・・・ たった26時間が冗長な記事5本にもなってしまった。
桜満開の4月の京都に向け土曜の夜8時の最終便に飛び乗った僕は例によって帰りの予定なんか立ててはいなかった。とりあえず旅立つ・・・ 案の定、帰りの新幹線は夕方の便は満席に次ぐ満席、自由席の通路に立ち尽くす程の元気が中年医師の足腰にはもはや残されていなかった。
さりとて数時間もジッと駅で待つ元気もなく、時間を楽しくしてくれる女性も伴っておらず、酔っ払いの予想外の深夜コールで相当に寝不足だったので、追加料金を払ってグリーン車でユッタリと座って一刻も早い便で帰ることにした。そうしないと翌日は寝不足で事故死や誤診をしそうだったから・・・
一部で話題になっていた車内誌には例の明細書発行義務を求めた勝村某氏の顔写真が載っていた。一応敬意を表して読んでみたが、あまりの勝手な主張のためか車酔いなのか気分が悪くなって吐きそうになり、高い金を払ってグリーン車に乗った事を後悔した。掲載を依頼した?JRの見識を疑った。でも、一つだけ良かったのは、勝村某氏の顔を覚えたことだろうか・・・ 一応、持ち帰って今後の参考にしたい。いずれリスクマネージメントを含め何らかの役に立つ事もあろう。
吐き気を堪えつつ読み終わり、グリーン車の座席を堪能し眠りについていた頃、僕の携帯電話が震えた。起きてデッキに移動中に電話は一旦切れたが、ナンバー表示は朝4時に僕を起こした例の酔っ払いからのものだった。またまた安眠妨害だ。
二度目の電話が震え、グリーン車のデッキに急いで移動し出てみると、『今朝は済みませんでしたね・・ 病院に行って点滴受けました・・』と素直に謝る患者、感心はしたが僕が今どこで何をしてるのか、全然判らないで電話してきたようだ。それも当然なのだが・・・ でも電話だけなので診療代はいただけない。
まだ話が終わらないうちに携帯電話が突然切れた・・・トンネルだった。
JRは僕ら開業医が厚労省の命令で365日24時間電話に出て地域医療に貢献出来るように トンネルの中でも携帯電話が絶対に途切れない様にして欲しい。もちろん、JALも ANAも 機内でも携帯電話が利用出来るようにしてくれなきゃ地域医療に貢献できないので困るのだが。
座席に戻って、衝動的に隣席の車内誌を手にとって例のページを破って捨てた・・・ 開業医と勤務医の待遇の差を批判してあったので、旅は残念なことに後味が極めて悪かった。開業医が勤務医より楽だという固定観念に毒された人間が大事な委員をしている事に無性に腹が立って、悲しかった。
僕はあんなつまんない大人にはなりたくない
大文字山の上でも携帯電話がつながるか・・・開業医にとって携帯電話は命の次に大切なものとなった今、アンテナ3本たってはいないものの、オジサンの@@@よりも立派に立っていて・・・ 地域貢献中の開業医にも安心のお手軽登山である。
対して、昨秋の久住登山では携帯電話がつながらず、地域貢献加算を算定すれば一生行けなくなるところだった・・・ ただし、先述のごとく 算定しなくても電話は容赦なくかかってくるのだった。
さて、桜を観る事が不可能なくらい大混雑してる哲学の道を法然院橋で渡り・・・ 手作り「桜アイスクリーム」を美味しくいただいた。誰も買ってなくて可哀そうな自転車のお姉さん、僕が買うとその後は次から次に行列まで出来て・・・ 桜の様な僕に感謝して欲しいくらいだ。そして、本物の桜には見向きもせず、桜アイスを食べながら近くの蕎麦屋に向かい次の予定を立てた。実は既に決まっていたのだが・・・
京都の南、奈良との境にほど近い浄瑠璃寺・・・ 昨年から興味があったが、梶田さんの法話にも出てきたここの今は唯一となった国宝「九体阿弥陀仏」と 対面する三重塔の「薬師仏」とを観てみたかった。僕の様なクズでも下品下生(げぼんげしょう)で往生出来そうな藤原時代の流行の九体の阿弥陀仏・・・
非常に残念至極なことに、素晴らしかったであろう三重塔は修復期間にあり全面が幌で覆われてしまっていた。対面配置の妙が・・・日頃の行いが悪かったのであろう、極楽浄土へはやはり行けそうもないのだろう。
そのため、滞在時間が短くなり、次にどうするか・・・?
里山の古道を歩いて古き磨崖仏を愛でつつ岩船寺方面に散策するか・・・?
いや、せっかくだから気色悪い「せんと君」の待つ奈良1300年遷都祭りに湧く奈良の若草山へ本日2峰目登頂を目指す事にした。先程は京都からJR奈良線で木津駅経由で浄瑠璃寺へ来たが、「タイムいずマネー」の僕はタクシーで一路込み合う若草山へ・・・ 3200円ナリ
この眺め・・・ドラマ「鹿男あをによし」で綾瀬はるかチャンがオッパイ揺らしながら登って眺めたあこがれの風景がそこに合った。桜満開の中に遠望する東大寺の甍・・・帚木蓬生さんの「国銅」という小説をご覧あれ
しかしながら、パソコン入りの重たい鞄を下げて登った300m越えの若草山・・・ちょっとキツカッタ。朝の大文字山と同じくらいだろうが、幼稚園児もスイスイ登る若草山・・・ゼイゼイヘーヘー言って登るスラックスと黒鞄の上品な中年男性・・・ それが僕です。
はるか左手には一昨年行った明日香の三山が霞の中に遠望され、空にはずっとヒバリが元気よく囀っていて、心地好い若草山登山だった。
しかし、下山してもタクシーも乗合バスも見当たらず・・・重たい足を引きずり重たいパソコン入りの鞄を下げてテクテクと近鉄奈良駅まで歩く羽目になった。シカの糞を踏まなかったことは奇跡だが、「鹿せんべい、そんなにうまいか?」と鹿に訊いたが返事はなかった。
駅で名物「大仏シュー」を食べようかどうか迷ったが、大仏の様な姿に成るのを恐れ諦めて京都行の近鉄特急に乗り込んだ・・・・ 続き(最終回)はまた
開業医は タフで クールで そしてヒューマンタッチ
数年越し、実際には30年前に片想いの彼女と鴨川の畔から「大文字送り火」を眺めた時からずっと・・・あそこに登ってみたかった。実際に登る事を意識したのは森見登美彦さんの「恋文」という小説を読んでからだろうか? 案外かんたんに登れるんだな・・と強く意識するようになった。
ここ一年の間に3度ほど京都に行ったが、比叡山には登ったものの、残念ながら天候に恵まれずに大文字山は縁が無かった。とはいうもののブログ検索などで登山というか散策のイメージはつかんでいて、天気が素晴らしいと判った瞬間に僕は仕舞い込んでいた「トレッキングシューズ」を履いて最終の新幹線に飛び乗ったのだった。
そこで予想以上の絶景を堪能したのは朝9時・・・始発で来たら絶対に不可能な時間だった。土曜の夜(日曜の未明)は・・・酔っ払いの診療依頼の電話で散々だったが、早朝登山が可能になったのでヨシとしよう。
さて、次の目的地に向かって「大文字の左払い」づたいに下山を開始・・・しかし、あまり標識もない場所で、地元の人に何人も「法然院への下山道」を尋ねたが、なかなかうまく伝わらない。ある60前後のおばちゃんが、『そこを下りて行って・・・行けば判るわよ。でも判りにくいから・・・慣れてないなら あまりお勧めしないわ。』と判り易く教えてくれた。慣れてないけど行きたいので聞いたんだけど・・・
結局は、おばちゃんの言葉を信じられずイキナリ迷ってしまい、出くわした70前後の叔父さんから、『そこを行って右へ曲がれば道なりだけど・・・木が切られてて判りにくいから曲がり口まで一緒に行ってあげるよ』と、実に親切なオジサンのお陰で多額の借金を残して山中で死なずに済んだようだ。こんな重たいパソコン入りの鞄を下げてスラックスで・・・ 死んだら借金苦で入山自殺した哀れな開業医と報道された事だろう。そして僕は「墓地」に向かった・・・
僕のブログを検索すれば「法然院」の記事が10以上はあると思うが、昨年の同時期も法然院を訪ねていた・・・裏山からではなかったが。でも、山から下りて行くと数年前に除夜の鐘をつかせてもらった鐘楼の脇を通り趣深い墓地へと直接入る事になる。谷崎潤一郎夫妻の墓地には桜が美しく咲いていた。広い山裾の墓地に咲く花木はここだけ・・・ 僕の夢はここに眠ること・・・ ささやかな夢・・・
この法然院の隠れた楽しみは大文字山(善気山)に降る雨を集め湧きでる泉からの善気水で沸かした「ほうじ茶」を戴くこと・・・ でも今まで何度訪問しても汲み上げる場面を見たことはなかった。しかし、今度はスーツ姿の若者が大きなヤカンを持って実際に泉の水を柄杓で汲み上げる場面に遭遇して・・・嬉しかった。本当だったんだ・・・
そうして美味しい善気水のお茶を飲んで、最も好きな風景・・吉田山遠景・・を眺めて 椿の花を愛でて・・・ それが僕の法然院を訪れる際の儀式の様なもの・・・ 梶田真章貫主の法話を静かに受け止めるための儀式・・・
そういえば、昨年はホルモーを探して吉田山に登ったのだった・・・

これで何度目だろうか? 毎回似たような話ではあるが、聞く度に新たな発見があり理解が深まる。仏教者とは言い難い僕にとって、宗教を理解することは「患者と言う人間・人格」を理解し寄り添うための必要なもの・・・ 法然の浄土宗に限らず、様々な宗教を知り理解することは医療の役に立つと思っている。今度も一時間以上の熱い法話を聴き終えた後は、すがすがしい気持ちで法然院の境内を後にした。
裏山から境内に入り表から出て、桜で賑わう哲学の道へ下りて行った・・・ まだ12時だった 続きはまた
読んでくれてどうもありがとう
前回の記事「朝の4時、電話がなった・・」を作り話と思う人がいるかもしれないが、実は実話で・・・京都のホテルに僕は宿泊してた。
桜の季節の京都のホテル・・・さぞ早くから予定を立てていて開業医は楽でいいやと誤解してるマスコミや株屋や足立政務官や中医協教員がいるかもしれないが、昨年の7月以来となった宿泊旅行にも患者の電話が付いてくるので「命の洗濯」はなかなかできない。
そう言えば3年前のブログにも書いたが、同じ春の京都で東山の阿弥陀が峰の頂上にいた際にも患者からの携帯電話をもらったのだった。昨年の7月の東京のホテルでも同様に患者からの電話で予定が狂うし、5年前の東京のホテルでも、8年前の九州の温泉宿でも・・・年に2~3度しか宿泊旅行はしないのだが、そのうち半分は患者からの携帯電話で泣かされる。まあ、泣かされると言ってる間は開業医失格なのだろうが・・・
さて、4月4日4時という不吉な時刻に酔っ払い患者の電話で叩き起こされた僕は眠れなくなって愚痴をブログに吐き出して、少しだけ寝た。
前日の3日土曜は夕方18時まで診療して、ネットで京都の天気が良くなる事を確認して新幹線に飛び乗った。飛び乗る直前に、ネットでホテルが空いてないか確認して19時30分、幸運にも京都のホテルを当日予約出来たのだった。
旅であろうが学会であろうが直前の出発決定は毎度のことで、それが開業医の辛いところ。予定が立たないのが開業医・・・ 地域貢献加算を算定してしまえば、旅立つ事すら不可能になる。一生患者の電話番だ・・・当然、僕は算定しなかったので、京都の春を楽しみにいけるのだった・・・
ちょうど去年もこの時期に京都に行った。昨年は22時過ぎに京都駅についてからホテルを探したので今年は大いに進歩したようだ。携帯電話を8月に新しくしたことで色々と便利になった。
さて、寝不足のままホテルを後にした。起きた時は気分不良であったが、チェックアウトの際の女性スタッフが非常に美しい女性だったので、未明の不愉快な電話の事はスッカリ忘れてしまった・・・今日は朝からついている・・・良い日になりそうだ (笑)
朝早かったので鴨川の畔も誰も歩いていなかった。しかし、想像以上の好天気で温かい。東山連峰は比叡山から阿弥陀が峰まで美しくみえる。大文字山もクッキリと・・・ そして僕は呼び寄せられるように大文字山に向かった。
早朝の哲学の道はまだ人もまばらで桜見物も良かったが、銀閣寺前を北に抜け、八神社鳥居前を東へと向かう。銀閣寺裏側の美しい杉木立が気持ちよかった。小鳥の鳴き声が爽やかだ。

既に上から下りてくる地元の人々も沢山おられたし、老人やダックフンドも下りてきてたので楽勝と思いつつ登ったが結構大変な石段などもあり、リフトに乗って登りたいと思ったほどだ。みんな歩きの格好なのに、スラックス姿でノートパソコン入りの重たい手提げかばんで登る僕は異様だったかもしれない。まあ、30分ほどで登れるのではあるが・・・
しかし、大文字の火床から眺める京都の町並みはまさに絶景・・・快晴で、ウグイスの鳴き声が美しく、初めてだったが素晴らしい、ぜひ皆さんにも京都観光の隠れポイントとしてお勧めしたい。銀閣寺まで来たなら是非に・・・


下から見上げる大文字も素晴らしいが、上から見下ろす京の街は更に素晴らしい。御所や吉田山など所々にある緑の塊が遠い昔の風景を想像させてくれる。そこから僕は家に置き去りにした家族に動画メールを送ったが、「へ~、山に登ってるの?」と呆れられてしまった。
命の洗濯の旅、続きはまた・・・
開業医は タフで クールで そしてヒューマンタッチ・・・
もったいぶりましたが、いよいよ紅葉狩り登山のご紹介です。あまりに美しい・・・と例のワンコも感激していましたが、そのワンコとともに沓掛山の山頂から眺めた朝7時頃の久住です。
左に三俣山・・・ここの山頂付近の大鍋・小鍋の紅葉は素晴らしいとか、天気が良ければ行くつもりでしたが、雨ヶ池への急な下りが雨天で危険らしく諦めました。
左下の紅葉の尾根を右の方へなだらかに下りながら進みます。途中からの紅葉は素晴らしいですね。右上が星生山で、後からご紹介しますが、多分今週が最高の紅葉の時期だったでしょう。この牧ノ戸峠コースは初めてでしたが、楽で紅葉狩りには最高ですね。
さて、その星生山の南側斜面の紅葉です。どうですか? 実際に眺めると鮮やか過ぎて感激でした。大きな写真で紹介したいのですが、ブログでは無理ですね。
扇ヶ鼻という1698mの山を右に見ながら左方面に回り込み、南千里ヶ浜を左に1762mの星生山を眺めつつ天気を心配して先に進みます。当面の目標は下の写真で右の三角錐、1787mの久住山です。この時は晴れてはいませんがキレイに全体が見えています。時間が許せば、そして天候が許せば帰りに星生山や扇ヶ鼻に登るつもりです。
その南千里ヶ浜からの星生山の久住山寄りの岩場(上の写真の左の稜線)がゴツゴツして心ひかれます。どうも6年程前まで北側の硫黄山の有毒ガスの影響で入山禁止だったとか・・・ 後で紹介しますが素晴らしい山です、天気が良ければですけど。
そして、初めてまじかに見た星生山に惹かれつつ岩場を越えて避難小屋へ到達、久住山を仰ぎます。そして4週間前に靴が壊れて断念した北千里ヶ浜方面を眺めます。その先には三俣山、そして左には噴煙上げる硫黄山がみえます。天気さえ良ければずっと遠方まで見えるでしょう。由布岳の山頂もかろうじて見えますが、急に東北の中岳方向から雲が湧き上がり勢いよく流れていきます。方向から察すると台風の影響で、今後の天候はやはり崩れる一方のようです。あっと言う間に久住山の山頂も雲で覆われました。まだ朝8時ですが、早く出て正解?でした。
霧の中、先を行く人の姿が全然見えません。20人ほどは先を行ってるはずですが、中岳など別の山に向かったのでしょうか? 天候のことがありますから、久住山を目指して目印を見失わないように黙々と先を急ぎます。こうも視界が悪いと時計の「標高表示」だけが頼りです。あと100m、あと70m、あと30m・・・などと見えぬ頂上を想像しながら登ります。果たして正確かどうか・・・気圧が下がれば誤差も生じるでしょう。
と、8時40分、登り始めて130分でついに雲の中の久住山頂上です。標識は1787m・・・時計の標高表示も同じく1787mを指しています。見えますか? 感激するほど実に正確です。ちなみに温度は摂氏6度、さすがに風速計はありませんが恐らく風速15m程だったでしょう。体感温度は予想以上に寒く、山頂でノンビリ朝ごはんを食べる余裕はありませんでした。
そんな雲の合間に時折展望が開けます。他の登山者も「さあ、今だ・・」と雲の合間に証拠写真を撮影していました。僕も山頂から家族に写メールをしました。僕はどうしても星生山の姿が気になります。まだ9時前です、これからどうしましょう? 直ぐに引き返せば10時30分には駐車場に着きます。いくら雨が予想されるにせよ、これだと淋しいですね。雨もまだ持ちそうですからもう少し巡りたいです。
考えられるルートとしては、久住別れまで下りて、久住最高峰である1790mの中岳を空池・御池を巡る様に登るコースが(晴れていれば)一番でしょう。しかし、中岳方面から雲がやってきます。霧が深くなれば少々慣れてないと迷いそうで心配です。さすがに、35年目の記憶を頼りに一人で雨が降りそうな霧の中を歩くのは開業医としては避けるべきでしょう・・・ と考え、一旦歩き始めましたが数百メートル進んで(雨がぱらつきだしたので)泣く泣く引き返しました。
天候が良くて紅葉の時期なら、久住別れから北千里が浜へ下りて、スガモリ越えから三俣山に登り、大鍋・小鍋の紅葉ポイントを堪能し、雨ヶ池方面に下りるコースが「ゴールデンコース」と紹介されていました。時間が許せば法華院温泉で一泊して大船山の山頂の御池周辺の紅葉ポイントを愛で三俣山と対面すると素晴らしかったでしょう。ただ、天候が全てですけど。
朝9時過ぎに予想より相当早く雨が落ちだしました。風も吹いています。「残念だな~」と避難小屋の横を星生山の岩場を眺めつつ歩いていたら、険しい岩場をグングン登る人が見えました。登る標識が見つからず通り過ぎようとしましたが、ある夫婦が少し戻った場所から登り始めました・・・ 時間はあるし、雨も強まらないので僕も付いていくことにしました。そしたら夫婦は直ぐ立ち止まってしまい、僕が前になりました。しかし、その後から5名ほどが続きます。ということで先頭になって知らない道を登っていきました。登るにつれて雨と風が少し強くなり、数名の人が立ち止まって雨具を着け出しています・・・
しかし、僕は雨具なんか持ってません。登りきったところで逆方向から来た人たちとすれ違いましたが、その人たちも雨具を着けています。そこから見た星生山の岩場は少々険しく感じられましたし、進むのを躊躇しましたが、やってくる人が岩場に見えたので進んでみることにしました。硫黄山側の展望も良くみえる岩場の尾根・・・雨で滑りやすくて困りましたが、前回の「由布岳お鉢廻り」より気分的にはかなり楽でした。距離も高低差も難易度も3倍程違います。でも雨で岩場が滑りやすく、出来るだけ楽な岩場の「う回路」を探しましたけど。
降り続く雨を恨めしく思いつつ岩場を越えなだらかな尾根を進んで1762mの頂上に至り、10時26分に証拠写真を撮りました。せっかくの頂上からの眺めでしたが、雨のためか皆さん長居はせずに直ぐに移動され、僕もそそくさに下りることにしました。しかし、まだまだ帰るには早すぎるし・・・ どうしましょう? 沢山今から入山してきている人々がいますし・・・
一応帰るしか手はなさそうだし、星生山を下りて行ったのですが、浮石がゴロゴロあって、雨にぬれたメガネの影響で足元が怪しげで、一度転んでメガネを落としてしまいました。幸い簡単に見つかり割れてもいませんでしたが、岩に当って割れてたら運転して帰れなくなり困るところでした。しかし、雨の時はコンタクトに限りますね。
そして、牧ノ戸に向かいながら前方の「扇が鼻」の山頂に向かう登山者の姿が目に入り、「そういえば山頂往復40分程度」と聞いていたので急に行きたくなりましたが、足元の土の具合がグチャグチャになりだしていたので、少しのぼったところで早めに引き返しました。
そして、最初の写真の場所にも雲がかかり、紅葉にワビサビの要素が加わり美しさも更に際立っていました。晴れても降っても美しい紅葉の景色でした・・・まるで「水も滴る良い男」である僕の様に美しい姿のようでした。
しかし、雨中の登山はいくら楽なコースとはいえ足元が汚らしくなりますね。次回は足元を(お金をかけずに)どうするか? 次回のテーマです・・・
そして、12時ちょうど・・・登山開始から5時間30分で「雨中の紅葉狩りサンデーハイキング」も無事終了しました。雨にぬれて汗もかいてシャツもパンツもビショビショでしたから温泉に入って下着もズボンンも全て着替えました。13時30分、温泉を出て帰宅開始です。しかし、予定より相当早く下山しちゃいましたから時間をもてあまし、かなり長い映画で居眠りが心配でしたが、観たかった「沈まぬ太陽」を観に行きました・・・ 幸い居眠りはしませんでした。
さて、三度目の山歩きの記事にお付き合いしていただきありがとうございました。次はもっと課題に対して工夫をせねばと感じました・・・ 「また近く山に行くのか?」と言う非難めいた声がどこからか聞こえてきます。
読んでくれてどうもありがとう
前編の次は後編のつもりでしたが、昨日山を早く下りてきて観た映画(沈まぬ太陽)に途中休憩がありましたのでマネして中編をはさみます・・・
さて、山行きも三度目、服や道具や宿泊費などにかけられるお金の余裕は借金まみれの開業医にはありませんが、安価(無料)の工夫を少しずつしながら安全な登山を心がけるようにしました。個人的な忘備録として書いておきます。
①携帯に慣れる(1)・・・ これは夏に携帯を替え、初めてカメラ付き携帯を使用しだしたのが実に大きい変化でした。メール使用して出発や登頂の時刻が記録されますし、写真をメールで送れば家族も安心でしょうし記録もデジカメより感想文付きでいいです。もっとも、浮気中に山の写真をアリバイとして送る・・・とか考えたこともありません。
②携帯に慣れる(2)・・・ 携帯にはGPS機能があり、電波の届く範囲なら遭難して意識が無くても捜索は簡単なようです。もちろん、浮気現場の捜索も一応可能ですが。
③携帯に慣れる(3)・・・ カメラ機能でバーコードリーダーが使用でき、天気サイトや気象庁や天文台サイトや時にはアダルトサイトを利用できるようになりました。日の出・日没時刻が分かるだけでも便利です。遭難しても星の名前が分かるようです。山から下りてどこの温泉が立ち寄り湯をやってるか探すのにも重宝します。
④MRさんからもらった手回し発電機・・・ ラジオ・警報機・電灯などがついてるやつですが、登山道から転落したりクマに遭遇してもアラームがけたたましく通報してくれますし、暗闇も安心です。
⑤手袋・・・ 前夜にコンビニで189円なりの滑り止め付き軍手を買いました。今までは素手でしたが、結構岩場で岩や木々にしがみつくことがあり必要のようです。今回は頂上は摂氏6度位で寒くて助かりました。ちなみに862円の手袋は高くて買えませんでした。
⑥地図・・・ 五万分の一縮尺の地図、他の人の登山サイトからダウンロードして印刷して持ち込みました。昔から地図を読むのは得意でしたから今回は楽しく登山が出来ました。ちなみに候補のルートの体験ブログにも写真や説明文が豊富で印刷して持ち込みました。
⑦ナップサック・・・ 初回は普通の手提げ、二度目は25年前のナップサック、今度は3年前のナップサックでした。自転車に乗る時様に購入しましたが、背中にパッドが入り快適でした。前のと違って防水加工でしたから背中が痛まず助かりました。
⑧時計・・・ しばらく使用していなかった時計を出してきました。これは大成功でした。気圧計・標高測定・方位コンパス・温度計が付いています。後編で説明しますが、雲の中の登山において山頂までの雰囲気が分かる標高測定は最高の安心感でした。バロメーターの変化も天候予測に役立ちました。
これは7年ほど前に妻が(この日のためにと?)プレゼントしてくれた時計ですが、遭難しても生き残れそうです・・・? 1337mは牧ノ戸峠のそばの標高です。
では、次こそは いよいよ後編、紅葉狩り登山の記事です。
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台湾方面に向かったと思ってた台風が沖縄方面へ・・・ でも、24日午後に「ヤフー天気」で調べると25日(日)の阿蘇地方の昼間の天気は「終日曇り」、九重地方の天候は「日中はほぼ晴れ」・・・とのことで、「何となく天気図や雲の配置とは違うなあ~」と思いつつ、色々調べると久住の紅葉は今を置いて他にない・・・と判断され、家族を放り出して久住へ繰り出すことになりました。
http://blog.m3.com/BackToTheStreet/20091012/2
最近の僕はどう考えても変です。 「クレヨンしんちゃん」の作家に影響されたのか、この20年以上も登山とは縁が無かったくせに、4週間前に久住へ突然スニーカーで出かけてボロボロになりながら帰ってきて以来、二週ごとに今回で三度目の山行きです。まるで、「性の喜び」に初めて目覚めた若者(サル)の様な心境です・・・???
さて、今回は色々と攻略本や雑誌「山と渓谷」などを買って勉強してから出かけました。でも、ルートがなかなか決まらず、天気次第と思いとにかく早朝に出発です。
土曜の診療を16時に終え、残務整理を18時までして天気予報をチェックして、19時に妻に「明日山に行きたいけどいいか?」と聞いて、コンビニに食糧などを仕入れに出かけ、23時まで予定を考えて、珍しく24時前に寝ました・・・ そして、25日は4時起床です。
4時半には出発しましたが、5時と6時の車内ラジオで聞いた天気予報が昨日とは全然違って、台風の進路や速度が変わったのか、「朝から晴れとはならず曇って昼過ぎから雨が降り出すだろう・・・」とのことです。
これは困りました、初心者に雨は大敵です。何しろ他の中高年登山客とは違って靴こそ買いましたが服装は買ってません。一応風を通さない生地の上着はもってますが、ズボンは普通の奴です。ちなみに、多分僕が一番貧相な出で立ちです。
となると、13時位までには帰還する必要がありますので、当初考えていた「長者原=雨ヶ池=坊がつる=大船山」の往復ルートでは速くても7時間かかるので14時過ぎる可能性もあり、紅葉の美しい大船山と三俣山を諦め、「牧ノ戸峠ルート」で星生山の紅葉を見に行くことにしました。ここは久住山頂まで往復4時間と最短距離でもあり、初心者でも楽勝のコースと言われてますから昼過ぎには帰還できると考えました。しかし、実はこの「牧ノ戸峠ルート」は初めての体験です。
当初の予定の長者原駐車場を6時過ぎに通過しましたが、4週間前の半分くらいしか車が停まっていません。紅葉の時期なのにやはり天候の関係でしょう。空は晴れ間もある程度見えます。でも、天気予報を信じて通り過ごし牧ノ戸峠駐車場に向かいました。途中で多くの登山客が路上駐車して準備体操をしていたので駐車場が満車か?と心配しましたが、数台分だけ開いていました。そして、6時30分・・・遭難に供え、2日分の水と食料を背負って出発しました。
4週間前は6時45分発、2週間前は7時15分発、段々と早くなってきています・・・ハマった兆候でしょう。いきなりヘーヘーゼーゼー喘ぎながら100m少々登ると2週間前に登った由布岳が「美しい乳房」を雲の上に突き出していました・・・

あの頂上の「お鉢廻り」を2週間前にしていたとは・・・また、樹氷の頃に行ってしまいそうです。凍死しなければいいのですが・・・
そう思いつつ最初のピーク「沓掛山」の頂上で・・・ 2週間前に会った「わんこ」と再会しました。ビックリですが、僕の思考回路や趣味や行動パターンや登山能力が「わんこ」と同程度だという事実を冷静に受け止めることにしました。
紅葉は思いのほか良さそうでしたが、続き(紅葉狩り登山)はまた後編で書きます。
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名峰富士山の山頂にも「お鉢廻り」があるそうですが、下山中に聞いた経験者の声では、名峰由布岳山頂の「お鉢廻り」は富士とは比較にならないスリリングなコースのようです。「お鉢廻り」の最中の休憩中に聞いた他の登山者の声では、体力的とか難易度としては凄くはないけど、転がり落ちそうな一流のスリルが味わえるコースだそうです。
行く前に知っていたら「お鉢廻り」には行かなかったかもしれませんが、幸か不幸か行った後で知りました。しかし、恐らく昨日は年間で最もコンディションが良かった一日でしょうから、無事にこうして先ほど本日三度目の透析室の回診を終えてブログを書くことが出来ます。あとは院内で22時過ぎまで仕事するだけです・・・
ゆっくり歩いて決して階段昇降時の姿はスタッフや患者には見せませんので、恐らく誰も僕が昨日危ない目にあったことは知らないでしょう・・・、ということで今回は本日3記事目、「お鉢廻り」をどう読者に伝えるのかを苦心しましょう。
さて、「お鉢」というのは、富士山と同じく由布岳が火山であって噴火口の跡がすり鉢状になっているから名付けられているのでしょう。しかし、富士山とは全然似てません・・・ギザギザです。上の地図の赤い線、上の丸い輪が「お鉢廻り」コースで、西峰から東峰まで40分と書いてはありますが、調べてみると多くの経験者が60分はかかっているようです。僕はかなり途中で休憩を挟みましたが、80分位かかったと思います。
忘れないうちに書いておきますが、この「お鉢廻り」・・・もし数か所ある難所で「鉢合わせ」したら離合するのは危険だと思います。昨日の感想では、西峰から東峰の方向が登りに難所が多く楽しめそうで、出来れば一方通行が良いんじゃないんでしょうか? 数名すれ違いましたが、90%はその方向だったようです。逆方向から来た若い女性、下りの難所の連続に泣きそうな顔をしていました。
さて、行くと決めたのは良いんですが、何となくルートを迷いそうで・・・あの北は大崩落の場所ですし。西峰山頂で他の上手そうな登山客の動向を観察しました。大体、早朝から登ってくる一人の人は上手そうにみえます(僕は別ですが)。
まず若い4人組が確実に行きそうです。こいつらの後に続こう・・・と思っていたら、別の一人の男性が先に黙って行きました。そして、もう一人の男性もスルッと行きました。4人組も支度完了して続きます。そして、僕も自然体で・・・落ち着いた表情で後を追います。何となく良い感じです。
最初は朝露に濡れた場所でスリップしないかだけを注意して追いついて進んでいましたが、最も下ったあたりで周囲を眺めているすきに少し置いていかれそうになりました。実際、ここから先は岩場の難所が連続します。何となくルートはわかるんですが、前にいる人に続くのが最も確実です。尾根状ですから両側はかなり落ちています。
イザ登り始めたら、やっぱり難しい。足をかける場所がなかなかなくて、かなり思い切って上げたり、膝をかけてよじ登る工夫が時々必要になります。また、背中のナップサックも岩に当って邪魔に感じる場面もあります。
その時までズボンのポケットに、「財布、カード類、カギ類、デジカメ、携帯電話」などを入れながらでも(犬でも登るくらいですから)西峰登山は容易でしたが、ここから先はポケットの中身が邪魔です。仕方なく立ち止まって全部をナップサックに仕舞い込み、写真は休憩のときだけ取り出して撮影しました。従って、一番の難所は全く写真を撮ることが出来ず残念でした。
とにかく初心者である僕にとっては過去最難関のコースでした。確かに難しいというより両側に転がり落ちそうで怖い感じでした。そうしてるうちに、先に行った人々の姿が見えなくなり、声しか聞こえなくなりました。でも、ちょっとそのあたりは立ち止まりたくない場所でもあり、這いつくばる様にしながら周囲を良く眺めもせずに緊張しながら乗り越えていきました。
そして、ようやくちょっと休める場所に来てデジカメを取り出して先ほど通過した場所を撮影しました。二枚上の写真の岩の上に人が2名這いつくばって越えているのが分かりますか? 上の写真では青い上着の人が歩いています。「ナイフエッジ」と呼ばれる有名な場所みたいです。でも、その頃には先を行く人の声も聞こえなくなりました。
そうして、一心不乱に「剣が峰」と呼ばれるピークで休憩することにしました。疲れてたのは当然ですが、そのすぐ先の岩場が大きすぎてルートが分からず、念のため後続者を待って先に行かせる作戦をとりました。あの先が東峰です。で、気を抜かない程度にノンビリして、先ほどまでいた西峰のゴツゴツした姿を眼に焼きつけました。
で、そこへようやく後続者の4人組がワーワー言いながらやってきました。どうやら一人の女性が、「だまされた。楽なコースと言ったじゃない。これスリルあり過ぎ。ウソツキ・・」とリーダーの男性を責めています。分かります、その気持ち・・・ しかし、そう責められた男性陣は女性に気を使って小休止をとることになりました。一旦先に行こうとしつつ止めたのは、目の前の大きな岩場を僕と同じく心配したのかもしれません。何となく、僕が先に行かないと行けなそうな雰囲気になりかかったときに・・・救世主現る、でした。
単独行の男性が小休止中の僕と4人組の間を縫って先に岩場に取り付きました。そして彼(頭に青いタオル、白い上着)が岩をどう越えるかを見定めてから、まず4人組が、そして僕が予定の行動(小休止)だとばかり続きました。
実際、そこを越えれば後はそれほどではありませんでしたが、こうして登った東峰の頂上には老若男女、子供たちがはしゃく姿がありました。既に12時近くになっていましたが、多くがそこで昼食を楽しそうに取っていました。携帯ガスでカップ麺を食する人が凄く多くなったことを感じました。眼下にはすっかり雲が晴れた湯布院の街がきれいに見えています。
僕は28年振りのその眺めよりも、以前は考えもしなかった「お鉢廻り」で辿った岩場を瞼に刻んで痛くなりだした足を引きずってゆっくりゆっくり下山して行きました。まだ、数名(赤い点)がナイフエッジに取り付いています。僕もまたここへ戻ってくるのでしょうか?
余りにも遅い下山で、車に戻ったのは14時15分でした。7時間も山中を巡っていたことになります。でも、楽しい日曜日でした・・・
読んでくれてどうもありがとう