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尊敬する佐野元春さんの20年前のアルバム「カフェボヘミア」の中に、地味ですが【ボリビア 野生的で冴えてる・・】という曲があります。

その歌詞の中に、『ボリビアから来た小さな天使・・・ 黒いウールに抱かれて 誰よりも強く踊っている・・・ その静かな瞳に映るのは何?・・・』といったフレーズがありました。

その「小さな天使」が、文字通り「天使」を指すのか あるいは「コカイン」を暗示しているのか僕にはわかりませんが、確かに ボリビア ~ ペルー の辺りは「Cocaine」の大産地でもあります。勿論、平和的な「世界の車窓から DVD編」にはコカインの話は一切登場しませんが・・・ このオバチャンが持ってるのはコカの葉です。山間部で栽培していて「ヤバイお金」が人々を惑わしているかもしれませんね・・・

今回の【世界の車窓から DVD編】は、「ペルー と ボリビア」が紹介されていました。そして、そんな元春の歌を懐かしく思い出しながら眺めていました。地形的に興味深い両国ですね。アンデス山脈の富士山山頂の標高にボリビアのラパスも ペルーのクスコもあります。下はクスコ・・・です(ちょっと あらぬことを想像してしまいます)
ちなみに「クスコ」とは産婦人科の神聖なる医療器具ではなく、少し頭側の「へそ」の意味らしいです。距離は近かったですが・・・ 下はボリビアの地図ですが、川は北へ流れ、南東側には川のない「パンタナール」が拡がり、雨期には洪水みたいになるようです。いずれにしても、過酷な土地のようでもあります。
ボリビアやペルーの選手達は北京五輪で活躍してメダルを獲得したんでしょうか? 映像を観ていますと、メダルなんてなくても活き活きといきていけるよね・・って気がしてきます。インドなんかもそうですね・・・

聖なる山が見守る首都は富士山より高いところにあるようですね。「平和」を意味するボリビアの首都ラパスには不思議なことに「鉄道」が走っていないようです。10年ほど前に廃止されたそうで、廃墟になった立派な駅舎が残っているようです。鉄道が走らない「首都」は世界中にどれくらいあるのでしょうか?

ボリビアの高地には世界最大のマン湖、じゃなかった援交、じゃなかった「塩湖」があるようです(失礼しました)。アンデスも昔は海だったんですね。その「ウユニ塩湖」に向うための鉄道は駅のない首都ラパスから70kmほど離れた街が始発という不思議さ・暢気さです。

勿論、有名な湖は「チチカカ湖」ですね。ペルーに跨る大きな高原の湖は富士山より高い場所にありますね。トトラで作られた人工の浮島、チチカカ湖は琵琶湖の12倍もあるそうです。

チチカカ湖畔の町「プーノ」からクスコへと向う高原の観光列車は何と外国人専用・・・ 最後尾には展望車もあり、車内ではフォルクローレ演奏のサービスまであります。

どうもペルーの列車には国民用と外人用の区別があるようですね、不思議です。治安や生活水準の問題からでしょうか? 途中の最高高度は4319m、有名な「ラ・ラヤ駅」です。

直ぐ傍には5420mの美しい山が聳えています。恐らく若くないオバチャンがアルパカを従えて土産を売っています。素敵な笑顔です。
線路上の青空市が興味深いフリアカ駅?・・・アジアにも似たような線路上の市場が確かありました。人々が考えることは似ていますよね。でも、これもまた観光の楽しみでしょう。

クスコからは人気ナンバーワンの世界遺産「マチュピチュ」へ観光列車が走っています。この赤いシャツが少し前の僕の姿です。今では見る影もありませんが・・・

外国人専用列車とか、豪華特別列車とか、バックパッカー用とか色々に分かれています。天井がガラスの「ビスタカー」も人気のようですね。意外にもペルーの列車は全席指定が多いようです。

車内ではなんとコカ茶がサービスされています。ボーっとしてる間に天空都市「マチュピチュ」に着きますが、驚いたことに・・・天空都市と言いながら、クスコより標高は低いようです。眼の錯覚、「秘境」の刷り込み現象なんでしょうね。
「マチュピチュ」に行ったことのある幸せな日本人は多いですよね。両親は少し以前に行きましたが、僕は当分のあいだ恐らく南米までの旅行は無理でしょうね。妄想・夢想・幻想・思い込み・・・・ 『死ぬ前に一度は行ってみたい・・・』
読んでくれてどうもありがとう
最近、中国最西端の新彊ウイグル自治区の都市・カシュガルで生じた「分離独立派」の中国警察官襲撃テロ事件は、北京オリンピック直前の中国政府には大きな脅威であるに違いない。先に生じた2台の連続バス爆破事件も同じイスラム系の独立派が犯行声明を出しているし、広すぎる中国では事実上未然に防止できる手段は無いと思われる。
北京から遠く離れた上海でも駅の商店街を早々に閉鎖封印してしまったし、度を超えたかに見える過敏な反応に中国政府の恐怖感を感じてしまう。
http://blog.m3.com/BackToTheStreet/20080506/2
この辺りの事情は、これまで数度、春江氏の『上海クライシス』という著書を紹介しつつ記事にしてきたので良かったら読んでほしい。ある意味では予想通りの独立運動が生じているのである。
そもそも新彊というのは新領土という意味で、その昔はチュルク人が住まう地域を指しており、その東側を東トルキスタン共和国と称する人々の故郷である。
そこには広大な砂漠や天を突く天山山脈などの大自然があり、シルクロードの古のロマンを受け継いだ街々が連なっている。中華民国、漢民族とは異なる文化的風土があると僕には思われる。
最大の都市、ウルムチは漢民族が大挙して移住してきて、今ではウイグル系住民の数を凌駕してきており、チペットとほぼ同様の政治的・民族的構図である。ただ、ウイグルの方が宗教的にイスラム教であるために独立運動はチベットより過激になるようである。
人びとは、カザフ族・ウイグル族・ロシア族・トンシャン族などと非常に他民族で構成されているが、いずれも人懐っこい笑顔が特徴的である。美人が生まれる土地柄のようである。死ぬ前に一度は暮らしてみたい・・・寒くなければだが。

どうですか? どの女性も特徴があって個性的で非常に魅力的でしょう?
いつの日か、政治的な抑圧も解けて女性達が心置きなく伸びやかにダンスに興じることが出来る時代が来ると良いですね。
オリンピックが終わってメディアの関心が薄れても、平和な独立活動が妨害されないように願いたいと感じます。
でも、こんな内容のブログ・・・中国では間違いなく削除対象でしょうね。
読んでくれてどうもありがとう
今回のGW期間中、僕は(厚労省に言わせると)たいそう暇な開業医だそうなので長い休みを頂いて、中欧へ旅に行ってきました(ウソですけど・・)。憧れのチェコ&スロバキアです。
かつて1990年に中欧・東欧を旅したとき、チェコには何度もふられました。その想いが強かったのでしょう、今日は「幻のチェコスロバキア」を書きたいと思います。今では「チェコスロバキア」という国はなくなりました。1993年に分かれてしまったのですね。なん度か、当時の記事を書きました。
http://blog.m3.com/BackToTheStreet/20061215/1
今回の旅の友は、【世界の車窓から DVD版 チェコ&スロバキア編】です。
まだ、ドイツが東西に分かれていた頃、僕は東ベルリンからチェコに列車で向おうと、東ドイツ内にあるチェコ大使館へ行きました。ビザを貰いたかったのですが、どう掛け合っても賄賂を渡そうとしても何故か一週間以上かかるとの事、泣く泣く諦めました。
その後、ルーマニアから空路、ハンガリーから鉄路で向おうとも考えましたが混乱状況のなか諦めました。
数年前に春江一也さんの名著【プラハの春】に出会い、心の中では何度もチェコに行っていますが、実際に行くのは今回が初めてでした。
プラハは何もかもが美しいですね。プラハ中央駅の構内も移し意芸術作品のようです。
世界遺産の街、チェスキー・クルムロフ付近を源流とするモルダウ川は北へ流れ、ドイツではエルベの流れとなるのですね。
ピルスナービールの発祥の地であるチェコの西半分はボヘミア地方と呼ばれ、自由なるボヘミアン少女の姿には強さや悲しさなど不思議な感覚を覚えます。
モルダウにかかる橋は有名なカレル橋だけではなく、街全体が様々に歴史を物語ります。
1968年に起きた悲しいチェコの歴史、「プラハの春」・・・春江さんの小説に涙を堪えることは出来ませんでした。
また、チェコの偉大な音楽家、ドボルザークとスメタナ・・・ 毎年、スメタナの命日5月12日からスメタナ劇場で「プラハの春」と銘打った音楽祭が行われるようです。とても行ってみたい音楽祭ですね。
いかめしい顔をした偉大な音楽家ドボルザークが生涯鉄道マニアだったり、スメタナ号という名の国際特急がプラハとウイーンとを結んでいたり・・・鉄道とクラシカル音楽の流れ・・何か繋ぐものがあるのでしょうか?
そのボヘミア地方の西の果て、ドイツ国境に近い場所には古く有名な温泉地が点在します。
その中で、ドイツ語名「マリエンバッド」・・・有名な映画「昨日マリエンバッドで」と同じようです。
TVでも何度も紹介されていますが、驚いたことに、佐野元春がNYで作った音楽に、『昨日マリエンバッドで、君とパントマイム、パントマイム』というフレーズがあったのを先程思い出しました。マイナーな映画を佐野さんが当時観た事があったとは驚きです・・・
そして、その14世紀に発見された温泉地には70歳になった詩人ゲーテが訪れて、19歳の娘に恋をしたとか・・・いつまでも熱い恋をしていたいものですね。
さて、チェコスロバキアに対して、なぜスロバキアと分裂したのか?とか、スロバキアってどんな国?っていう疑問が僕にはありました。今回スロバキアに旅をしてみて、なかなかに興味深い風景だと感じました。特に感激したのが、北部の山脈の雄大さ・・・ 八ヶ岳どころではないような雄大な眺めです。一見の価値が大いにありますね。

いつの日か、本当にチェコ&スロバキアを鉄道で旅したいものですね。
読んでくれてどうもありがとう
先日の日曜日に日本内科学会に行ったことは書きましたが、内科や循環器の専門医資格更新のためとドライに割り切って、出席費・交通費・その他を10万円近くも使って行きました。
地方の人間には「出席に要する費用」が凄く高いですね・・・宿泊代をケチり、飛行機代をケチって日帰り、しかも始発出発・最終帰宅という特割最安値のチケットを握り締め、何年振りか忘れてしまうほど久しぶりに「花の東京」へと向ったわけです。
そのケチった分をどうしたかと言うと、中学受験が済んだばかりの娘を連れて(遊びに)行ったわけです。春休みも何処絵も連れて行けなかった開業医のせめてもの罪滅ぼし。大きな声で言えませんが、点数取りをしたら会場をバイバイする予定で、日曜日の日帰り旅行をしたわけです。
ヒドイ・・・かもしれません。学会の冒涜でしょう。しかし、昔ある都市で、内科学会に行っても会場に入れずに、ロビーのTVモニターで講演を聴いた経験がある僕としては、細分化された循環器学会等の方が遥かに魅力的です。
さて、有楽町の東京国際フォーラムで受付をして、(一応、しばらく?過ごし)、かねて予定していた場所に向いました。
それは、皇居前で毎週日曜日に行われる【パレスサイクリング】・・・その昔サイクリストであった僕としては、花の東京のしかも皇居前で、なんと最新鋭の自転車を、あろうことか無料でレンタルしてくれるなどという夢のような話を無視するわけには行きませんでした。東京は素晴らしいですね・・・

ところが、自転車を全然見かけません・・・???です。前日にインターネットで確認していますが、13日は中止にはなっていなかったはず。確かに雨天中止と書いてありましたが、雨はあがって降っていません。交番に尋ねると・・・・『朝の開始時刻に雨だったので、今日は中止です』との答えです。

案外簡単な中止決定です。花の東京都民にしてみれば、また来週・・で良いでしょうが、僕は田舎から10万円払って出てきてます。雨が降ってれば諦められますが、降ってないのに中止とは・・・トホホです。
残念だったな~ これがメインの目的?だったのに。近くの学会会場に戻ろうか・・・とは一切考えませんでしたが、恨めしげに二重橋を自転車好きの娘と眺めました。
悔しさを胸に、次は「お台場で犬の散歩」にチャレンジ・・・を計画していました。犬のレンタルが出来るようで、一時間だけでも「花の東京都民」の気分でワンチャンとお台場を散歩することにしました。誤解ないように繰り返しますが、お台場が目的ではなく、「お台場で犬を散歩させる父娘のホノボノとした親子愛を確かめること」が目的でした・・・
途中の「ゆりかもめ」には西欧・アジア入り乱れての外人だらけで、日本語があまり聞こえてきませんでした。凄いですね、新型インフルエンザの銀座通りになりそうな東京ですね。パンデミックが現実味を帯びてしまう東京メトロポリスです。
しかし・・・不吉な予感は繰り返すもの。犬のレンタルも、『今は地面が濡れていますので、乾くまで無理です』という理由で実現しませんでした。雨は降っていないのに、またしても雨に泣く娘と僕・・・せっかく東京に数年振りに来たのに・・残念です。
田舎の親子は途方にくれました。どうしたものでしょう? 雨でもないのに雨に泣く田舎者・・・そうだ、【キッザニア】に行こう・・と室内アミューズメントに計画変更です。いつも満員でチケットが取れないのですが、一応用意して内科学会に出かけましたので確信犯というところでしょう。藤田敏郎会長、ごめんなさい。
お台場から豊洲へは「ゆりかもめ」が直行です。その昔は海だったところに高層ビルがニョキニョキ、このあたりのマンションも僕には手が出ないのでしょう、きっと。でも、日本人の10%が東京都民らしいですが、人間が多いですね。凄いです。
キッザニアに着いたら先頭が全然見えないほどの長い列でした。こんなに一極集中して大丈夫なんでしょうか? 大地震で東京は都市機能が崩壊しそうですよね。そうなったら日本中が迷惑しますから、少しリスクを分散して都市計画を立てたらドウでしょうか?
問題は帰りです。最終便に乗るためには長居は出来ません。結局2~3個の職場体験しか出来ません。娘が選んだのは「病院」でした。去年行った時も「病院」、今年も病院・・・芸がないというか一途だというか・・医療崩壊を知らない穢れ泣き少女の希望が・・少々可哀想な父親でした。
でも、良く後で聞いてみますと、中学になった娘にとって、既に殆どのキッザニアのプログラムが幼稚に感じられたようなのです。病院でも今回は「胃切除手術」の執刀医をさせてもらったようですが、ママゴトみたいで期待を裏切られたようでした。むしろ昨年体験した「腹腔鏡操作」の方がリアルで良かったようです。アレだけ長く待たされて執刀医以外の役立ったら・・・僕だってゾッとします。

子供に言わせたら、「中学生というより、10歳くらいまでかな・・」という感想でした。当院で毎年中学生に実施している職場体験「病院コース」の方が遥かにリアルです。タダですが、本物の施設で本物の患者を相手に本物の医師と看護師が指導してますから・・・ 予約受付中です。
ま、帰宅して姉や母親に色々と慰められていましたが、それだけ成長したということでしょう。その意味では良かったとみんな思っています。
こうして、僕と娘の【雨に祟られた幻の東京旅行】が終わりました。学会をサボった罰なんでしょう・・・
羽田に向う車窓の眺めはきれいでしたが、「ちょっと東京は豪華すぎじゃないかな?」という感想を抱きました。「地方」という言葉は好きじゃないですが、国内の格差・・・凄すぎですね。大地震や新型インフルエンザで東京と日本がドミノ的に崩壊しないことを切に祈ります。
読んでくれてどうもありがとう
今日は、【世界の車窓から DVD編】の「オランダ・ベルギー・ルクセンブルグ」巻の後半を見た。
僕はベルギーのアントワープに関しては、バスで郊外のレストランに立ち寄り朝食をとったことしか覚えていないが、今回のDVDを見て、少なからず後悔とショックを覚えた。
アントワープ中央駅は重要文化財の建造物らしい。
写真ではお見せできないが、構内の装飾は古風であると同時にモダンであり、特にエスカレーターの素晴らしさには心が騒いだほどだ。
日本にはどうして素晴らしい駅が残されていないのか? はたまた、最初から建造されなかったのであろうか? 東京駅の外観は素敵だが、内部の保存状態は良いとはいえそうもないし、門司港駅にはノスタルジックな雰囲気が残りこそすれ魅力としては海外の駅舎に遠く及ばない・・・
オランダもベルギーも鉄道の密度は高いようである。ベルギーには駅の改札も無いようだが、ブリュッセル駅にもそう言えば無かった。
僕は「エトワール・ドュ・ノール」と名のTEEでブリュッセルからパリ北駅へ入ったことがあるが、同名の映画のポスターもナカナカの味を出している。

かつてのTEEも1980年代後半に姿を消して、今ではTGV改装型の超特急がパリとブリュッセルとを結んでいるが、各TEEごとに味わいがあったのに、廃止されて画一的になり残念だ。

話は随分戻りつつ高~く飛ぶが・・・ オランダのバラ
Holland Rose とは、我が師、佐野元春様のペンネームであり、聖子ちゃんにも曲を提供していたのを思い出した・・・
読んでくれてどうもありがとう
僕のブログを前から読んできた人には、『な~んだ、予想は簡単だな』って思われているに違いない。最近読み始めてきた人には、『なんだ?このオヤジは?歳いくつ?』って疑問視されているに違いない。
僕の愛妻に開演前に送ったメールの返事は・・・『始めからそのつもりで出かけたんでしょ? 寝台列車とか鹿男とかはカモフラージュでしょ? ま、楽しんでらっしゃい・・・』と、なかなか深い洞察力を感じましたが、今頃子供たちを巻き込んでの反撃作戦を練っていることでしょう・・・
一応僕は再度・・・『いや、本当に偶然って凄いね・・日頃の行いがいいのかな?』ってメールをしておきましたが、帰宅した後で、家内が僕に・・・『子供が、大阪で日曜日にコンサートがあるってパパが言ってたわよ・・ 計画的でしょ?』と言われてしまいました。
白状しますと、Yオークションで良席ゲットして寝台ゲットしての「たった5日間の周到な計画」でした・・・ゴメンナサイ。
【大阪フェスティバルホール 2008.3.9 PM5:00~】
グッドタイムス&バッドタイムス アイム・イン・ブルー マンハッタンブリッジにたたずんで シュガータイム ハートビート ・・・・・
君が気高い孤独なら レイナ 恋しいわが家 ワイルドハーツ ロックンロール・ナイト 約束の橋 サムデイ アンジェリーナ ・・・・・
ハッピーマン ソーヤング 悲しきレイディオ 彼女はデリケート ・・・・・
【~PM8:12 観客をバックに「記念ビデオ撮影」で終了】
とかくファンであればあるほど、毎回のコンサートの内容や出来栄えにコメントがつくものだが、二年ぶりとなった僕にとっては相当に満足のいくものだった。なんて素晴らしい52歳だと思う・・・
佐野さんも随分と白髪が増えたね。ステージの大半を上記の「コヨーテ」スタイルで通した佐野さんだが、80年代前半の曲が半分程度あったので、僕にはアンコールの時のサングラスなし、帽子なし、白髪ふさふさの雰囲気の方が自然でよかったな。僕も白髪が多くなってきたけど染めるつもりもないし、佐野さんみたいな感じで開業医をやろうかな・・・
今回のコンサートでは、最後近くで佐野さんが突然泣いてしまった。26年間で僕は多分コンサートを沢山見た方だと思うけど、佐野さんがステージで話しながら泣いたのは初めて見た。やはり、「大阪フェスティバルホールの最期」が影響したのか? それとも1980年にデビューしてコンサート活動を開始して以来の数々の想いが去来したのだろうか?
僕は1982年4月に某ホールの最前列で佐野さんのコンサートに初めて参加したが、いつも泣いたりしないのに、今回は不思議と佐野さんより先に涙が流れてしまった・・・お互い、涙もろくなったね、佐野さん。
さて、今日のタイトルの【大人の仕事】・・・コンサートの中での佐野さんの言葉から拝借したものだ。
『僕は、23歳から音楽活動してきて、少々若すぎるね~って今も言われるけど、充分に大人になったと思う。そして、よく【大人の仕事】って何だろう?って考えるんだ・・。僕は、子供たちに希望を与えることだ・・・と思う』って佐野さんは言った。
そして、僕が好きな「希望」を歌うのかなと思ったけど・・想像は当たらないものだ。でも、最後にかけて怒涛の様に大好きな歌を一緒にシャウト出来た。次はいつに・・・?
僕は街に帰ったら、明日から【大人の仕事】をしようと気持ちを切り替えて新大阪駅に向った。タクシーの運転手さんも大人の仕事をしてくれて、猛スピードで到着し、僕は8:29の新幹線に飛び乗った。既にホームに止まっていたが・・・8:12分に終演して、良く間に合ったものだと思う。
座席に坐ると・・・愛する家族に到着予定時間をメールして昨日から読みかけの本を取り出した。海堂さんの【医学のたまご】という本。一見子供向けのようだが、大学病院勤務や研究職の経験がある人々には相当に面白い本だ。詳しくは書かないが、この内容も【大人の仕事】を扱っており、著作自体も先生の【大人の仕事】であると思う。
今回の短い目まぐるしい旅の間に読み終えてしまったが、帰って直ぐに子供たちに『読んでごらん・・』と言って渡したら、中学生が医学部に行く本だと聞いて興味津々だった様だ。
幸いにも、子供も家内も怒らずに僕を迎えてくれた。
でも、『今度は私たちの番よね~ みんなで何処にいこうかな? お金も当然出してくれるわよね、パパ?』と反撃を食らってしまった・・・
久々に楽しい25時間の「僕の旅」は、こうして終わった・・・
ちょうど今の時間、本当に最後の夜行寝台特急が全国各地の駅を多くのファンに見送られながら走り出そうとしていることと思う。
【鹿男】も来週が最終回だ・・・
難波と大和と明日香の関係を先程コメントして頂き感謝している。遠くに居ると、飛鳥時代の人々が明日香~大和~奈良~京都という流れで行き来していると思ってしまう(僕だけ?)のだが、今回の旅を通じて感じたことは、大和や明日香は難波との関係がより深かったということだ。渡来人も西国(九州)人も難波から大和方面に入ったハズである。
明日香は一日で巡るには奥が深いようだ・・・ 【鹿男】に興味津々の下の娘でも連れていつかまた来よう・・・そのときは日帰りになるかもしれないが・・・
だからという訳ではないが、帰りは京都へは向わずに近鉄特急で大阪阿倍野駅に向うことにした。こうして予定通り、2時26分の急行に特急券をケチって飛び乗ったが、夜行列車で疲れたのか、寄る年波には勝てないのか、夜のメーンイベントに備えてか、スヤスヤと眠りこけてしまい、起きたら直ぐに到着してしまった。
名前だけは聞いたことがあったが、阿倍野が大阪のどの辺にあるのか僕は知らなかったが、多分南の方だと思う。3時過ぎまで昼も食べずに我慢していたのは大阪で「お好み焼き」を食べようか・・と思っていたのだが、名だたる名店を探し回る体力が無くて、駅ビルである近鉄デパートの「さゆり」か「ゆかり」か・・そんな名前のチェーン店?に入って、僕は見栄を張って折角だから一番高い1600円のを注文した。
背が高く、声も高い、ちょっと美しいお姉さんがハキハキと焼いてくれたので美味しかった。あおのりとマヨネーズとカツオ節をタップリかけて、昨夜以来の海堂さんの「医学のたまご」を読みながら・・・満腹して満足して、4時20分頃に店を出た。
阿倍野の大通りは、NYCのブロンクスみたいな雰囲気が新鮮だった。
昨夜22時過ぎに夜行寝台特急に飛び乗った僕は、京都から明日香を巡り、大阪にやって来た。廃止目前の列車のチケットを購入したのが木曜日の夜。そして、その同じ木曜日の昼に・・・僕は内緒で別のものを手にしていた。
僕は今、それを手にシッカリ持って「約束の地」である中ノ島に向っていた・・・
4時50分、僕は座席に坐って大きく深呼吸して愛する家内にゴメンなさいをしながらメールを送った・・・
『偶然って凄いね。明日香から大阪に来たら、ちょうど佐野元春のコンサートをやってたよ。五時からしばらくは連絡できそうも無いよ・・アシカラズ。君には感謝している・・本当に偶然って凄いね』
直前にネットで購入して僕が坐る席は、ドウ考えても「最高」の席だった・・・
大阪フェスティバルホールの前から3列目、ほぼ中央右よりの通路側・・・立っても坐っても遮るもののない場所だった。
そして5時・・・ついに、映画が始まる様に、お洒落にコンサートが始まった。
キーボードを坐って演奏しながら登場した佐野元春のほぼ正面に僕が坐っていた。「Good Time & Bad Time」から「I'm in Blue」、「マンハッタンブリッジに佇んで・・」と続くナンバー・・・
何となくお互いこの年になると感じるものがあるね、佐野さん。
僕は・・・家族をだまして?まで旅に出たことを決して後悔はしていない。
26年前に初めて佐野元春のコンサートに行って以来、20回程度は彼のコンサートに行った僕だが、遠くの街に出かけたのは実は初めてだった。その理由は、コンサートで何度も佐野元春が言っていたように・・・「大阪フェスティバルホール」が今秋に建て直しされ、お別れ公演になりそうだったからだ。見納め・・・歌い納め・・・感慨深い・・・
なかなか良いホールなのに名残惜しい・・・
あかつき号廃止や【鹿男】ロケ、フェスティバルホール 建て直しなどが無ければ大阪のコンサートには多分行かなかった。しかも、早めの5時開演でなければ帰宅が仕事に間に合わなかったので絶対に行けなかった。僕の暮らす街のコンサートは平日の夜の仕事中で不可能だったので諦めていたのだが・・・やはり、偶然ではなくて必然の「約束の地」だったと感じている。
次回は・・・コンサートの想い出を・・
佐野さん、3月13日、52歳の誕生日おめでとう・・・
まだまだ若いねえ~ 俺も頑張るよ~
読んでくれてどうもありがとう
長閑な明日香村に吹く爽やかな風にしなやかな髪が靡くファッション雑誌のモデルの様なカッコいい中年医師・・・の旅はまだまだ続きます。

すっかり美しくなった石舞台を後に、僕は地図もなくしてママチャリを漕ぎました。目的地は・・・??? 一応、酒船石と亀型石造物は押さえたいし・・時間が許せば、飛鳥坐神社から飛鳥寺へ行きたいところです。タイムリミットは、飛鳥駅の2時40分発の特急でしょうが、まだまだ2時間近くあります。
酒船石は・・・そこへ登る竹林の雰囲気が良かったですね。ちょっと場違いな巨石遺跡でしたが、あと数個あれば更に良かったですね。
それより、丘の下の亀型石造物遺跡が素晴らしかったです。これは期待してましたが、調査後に半分以上が埋め戻されており、拡がりが感じにくく少々残念でした。でも、手が込んでて素敵でした。
この辺りまで来ますと平地となってママチャリもスイスイです・・・一日1,000円はちょっと高いですね。でもお陰で最も遠い目的地の飛鳥坐神社までやってきました。「あすかにいます神社」と呼ぶのが雰囲気良いですね。
お賽銭をチャリンと入れて、幸福が来るらしい力石を左手で持ち上げて、飛鳥寺へ・・・渡来人の建設した最古もお寺。飛鳥大仏も良かったのですが、鐘を突けたのが幸せでした。さすが名鐘です・・・身体が震えます。夜になって更に僕の身体が激しく震えるのですが・・・まだ秘密です。
この付近には、「大伴夫人の墓」とか、「藤原の鎌足の生誕地」とか、「蘇我入鹿の首塚」とか、「天武・持統天皇陵」とか色々有名人の名前が出てきますが、僕は認知症が始まった昔明晰だった頭脳を復活させるべく、「聖徳太子生誕の地」に建つ橘寺で線香を買い、コミカルな亀石とか鬼の雪隠・まな板などの巨石遺跡を巡って猿石経由して飛鳥駅に昼食も忘れて戻ります。
ここで上の娘からメールで緊急指令が来ました。「生八橋を買ってきて・・」 どうやら僕が京都へ戻って帰ると思っているみたいです。家族全員に僕は行く先や目的を隠して旅に出ていますので、「実は京都へは戻らない・・」と返事しますと・・・慌てた家内が「まさか別の女と違うところへ遊びに行ったのか?」と聞いてきたとか来ないとか・・・ 携帯電話はちょっと「不便」ですね。
さて、【鹿男】のなかで藤原先生は櫻井市の箸墓古墳が卑弥呼の墓だといっていましたし、小冶田教頭も明日香地方に邪馬台国が有ったことを証明しようとしているようですが、僕は今も「九州説」を信じています。
シャーマン卑弥呼の墓が巨大な前方後円墳だとはおかしな話ですし、今回の旅で明日香を訪れた感想では「大和説」はピント来ませんでした。
一番違和感を感じたのは・・・風景です。
藤原先生の言うように桜井市と天理市の間に卑弥呼の墓があるとして、その後に何故に奥まった山間の明日香村に蘇我氏や聖徳太子や渡来人達が生まれ、そして遥々集ったのか?
大化の改新後に藤原京は樫原市の平野部へ再び戻ることになるが、あの辺りの感じでは、櫻井市の邪馬台国は後には奈良市の方へ向うのが地政学的に自然だと思う。
しかし、渡来人や中国大陸の使者は恐らくは難波(大阪)の浜から上陸してきたと思う。丹後からはありえない・・・
とすると、大阪阿部野橋から近鉄特急が樫原市~飛鳥~吉野へと直行する意味が良く判る。京都や奈良から飛鳥への直行便は無く、大阪から飛鳥への直行便があるのである。
これは現代の県単位の感覚では不思議なことだが、古代の渡来人が難波から飛鳥へ向ったのが自然なのである。大阪と奈良の境の山脈がちょうど途切れる場所なのである。
この場合、明日香より先に桜井へ渡来人が向うことは無いと思う。だから、明日香~樫原~奈良~京都へと流れるのが自然であるので、明日香以前は大和以外であるほかはない。
では、どこか・・・?
僕は、福岡県の山門(やまと)郡瀬高町付近が有力ではないかと思う。少なくとも佐賀・福岡・大分あたりだと思う。
今回の旅で、この点を非常に感じて「murajun 説」を発表した・・・
読んでくれてどうもありがとう
先程のNHKニュースで悲しい報せ・・・
先日乗った寝台特急「あかつき号」の「プレート」が盗まれてしまったそうだ。下の写真のものだが、心無いマニアの仕業であろう。同じ鉄道ファンの一人として悲しい限りである。
14日のラストランに向けて、プレートが無いブルートレインを走らせて嬉しいのであろうか? 返して欲しい・・・
さて、前置きが長くなったが、朝8時前に京都駅に降り立ったメタボ中年医師。大好きな京都を散策するでもなく、なんと一気に奈良へ向うこととなった。理由は・・・【鹿男アホでよし】
なにしろ、覚えている限りのドラマの中での最高峰と信じて疑わない【鹿男あをによし】に取り付かれたというか、【鹿の治療番】として印を付けられた僕は、「未知との遭遇でデビルスタワーに呼び寄せられる主人公」よろしく、ここしばらく奈良や明日香に心が彷徨っていたことを感じている。
近鉄奈良線に乗り込んだはいいが、あまりにも天気が良くて、奈良の春日大社や若草山で鹿せんべいを食べて「鹿男」を演じてみるのも一興ではあったが、ちょうど番組が明日香の三角縁神獣鏡を描いていた直後だったので、明日香・飛鳥へ向うことにして、車内で車掌さんに切符を交換してもらった。初めてでは無いが、久しぶりの明日香・・・心の奥の藤原先生と一緒に、レンタサイクルで早春の明日香村を走り回ろう・・・
案外近い明日香、駅前のレンタサイクルでママチャリを借りる元サイクリストのメタボ中年。帰りの時刻表をチェックして・・・イザ、イザ、出発だ~ まだ公表できないし、家族にもまだまだ隠していた理由のために二時過ぎには飛鳥駅に戻って来たいのだが・・・案外坂道が多そうだ。それにしても、リュックを背負ったハイキングスタイルの団塊軍団がウジョウジョいるもんだ。
で、まずは敬意を表して高松塚古墳へ・・・いきなりの坂道に早速息が上がる。う~ん、いい運動だが、先がかなり心配。三十年以上前に中学の修学旅行で明日香村に来た時は「石舞台」しかなかったような・・・それ以外は畝傍山に登ったことしか記憶に無い。あの時は、色々と今の様には無かった様な・・・ただ、興味が薄かっただけだろうか? けど、高松塚の石室は想像よりかなり狭かったな~
問題は、この後のコース取りである。普通の人は橘寺や亀石のある明日香村役場方面から最奥の「石舞台」を目指すのではないか? しかし、僕の最大のお目当ては・・・山間の長閑な景色だったので盆地の南縁をかすめて祝戸地区の脇を降りていく難コースを選択した。元サイクリストもママチャリでは登れずに恥ずかしながら押して登ったが、幸いなことに観光客が通らない道なので、地元の人の「好奇な目」に晒されるだけで済んだ。
お陰で写真の様な長閑な明日香村の風景を心に刻むことが出来、最高のコース取りに自己満足をしたのだった・・・
さて、そこから坂をぐんぐん下ると、石舞台を前にして奇妙な巨石に出くわす羽目になる・・・「マラ石」だ。
マラ・・とは、1メートルは有ろうかと言う巨大な「アレ」であり、先端には尿道口のスジまでリアルに彫られていて、見ているこっちが恥ずかしいが、中年医師への神の御加護を期待して、さすり・こすり・ナデナデして願いを込めて来た。ご利益はいかがなものか?
そして、石舞台。ここは就学旅行の時と全く違って完全に観光地化されていて、霊を感じる空間とは程遠く、時の流れや文化財保存のあり方などに複雑な心境になり、少しばかり訪問したことを後悔もした。そして・・・大事な地図をなくしてしまった。
・・・・しまった~、これからは標識と感が頼りの一人旅である。どうなることやら・・・
僕は、家族に逐一メールで居所を報告し、新鮮な感想を述べつつ、2時までの予定でノンビリと明日香の初春を楽しむことにした・・・ 今は紅白の梅が綺麗だったが、櫻の蕾も大きく膨らんでいた。月末からの観光客は凄そうだ。
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ブルートレイン「寝台特急あかつき号」に乗り込んだ僕の眼に飛び込んできた世界・・・カーテンで仕切られた三段寝台。とっても懐かしく、子供の頃の記憶が一気に甦ってきた。かつて両親と一緒に乗り込んだ「あかつき号」・・・1970年の大阪万博にも寝台で行った記憶がある。
しかし、僕の購入した「最後のチケット」はB寝台個室のものだった。個室といっても安いビジネスホテルよりも更に安いが、僕はかつて個室利用は経験が無く、実は非常に興味深かった。
個室車両は三段寝台と異なり、センターに廊下があって両側に個室へのドアが並んでいるが、その狭い廊下は中年医師が他人と擦れ違うことが出来ないくらい狭かった。
僕の個室は上段で、大きな窓が天井にまでロールしている。下段はホームと対面するが、上段だと窓のカーテンを開けて星空や車窓の灯りの流れをずっと感じることも出来てとっても幸せな気持ちになれるが、メタボ体型には狭いカプセルホテルの個室のようだ。
テレビもパソコンもシャワーも無い・・・もうじき廃止される消え行く運命の車両だから仕方ないが、終点の京都まで10時間近くも閉じ込められるような感覚にもなるため、鉄道ファンじゃないと現代の若者には少々無理かもしれない・・・と思いきや、そんなオタク若者で列車は満席だった。移動するための客より、最後の記念で乗り込む客の多いこと・・・ 長く停車する駅のホームに降り立ち写真を繰り返し撮っているようでご苦労なことだ。
個室の作りは実に良く出来ている。シーツなどの寝具を整えて・・・・僕は妻と子供にメールで連絡をした。『実は今、寝台車の中からだ。満席の列車で僕は感無量だ。本当は君達にも乗せてあげたかったが、勝手に旅に出てゴメン・・』
妻からは、『そうだったの? 満席で なんだか私も嬉しいわ。楽しんできてください』
上の子からは、『夜行寝台はどんどん廃止されて悲しいよね・・』
下の子からは、『わ~ん、私も乗りたかった~』
とメールが来た。
震度3程度の揺れが続くので、予想以上になかなか寝付けずに、僕は夜通し、『今は広島あたりだよ・・・もう岡山だ・・・ようやく神戸を過ぎた・・・』などと真夜中に何度も夜更かしの妻とメールのやり取りをしたが、妻も一緒に夜行に乗っている気がしてくれただろうか?
朝、8時少し前に列車は朝の京都に静かに到着した。何だか少し変な感じ・・・降り立った客はなかなか改札へ向おうとしない。三脚やカメラやビデオを抱えた沢山の人々が列車を撮影している。特に先頭の電気機関車周辺には沢山の人だかり・・・あと数日で消える「あかつき号」、今日は最後の日曜日になった。
僕もそんな立ち去りがたいセンチメンタルな乗客の一人だった。もう二度と乗ることのない「あかつき号」・・・比較的新しい型の車両に僕は乗ったようだった。数両はちょっと古く、何となく可哀想な草臥れ方をしていて、引退やむなし・・・の想いが過ぎった。
今日は・・・まだちゃんとした予定は立てないままに京都へ着いてしまった。車内では海堂先生の「医学のたまご」という本に少々夢中になっていた。その影響で、旅の間中、僕は家族とメールだけで会話してしまった。何となく、旅先からのメールも楽しい・・・
さて、これからどうしよう?
京都は僕にとって大切な街ではあるが・・・今回の僕は【鹿男アホでよし】の旅の途中だったから、自然に足が近鉄奈良線の方へ向いていたのである。
イザ 奈良へ・・・
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