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生活保護費は今や3兆3千億円にも上るという。207万世帯だったか、207万人だったか・・・いずれにせよスゴイ数字である。消費税アップしても恐らく焼け石に水である。「ヤケになった医師に水をくれ・・」となりそうな危険すらある。
まあ、医者と看護師だから連休中の往診であろうが文句は言わない。愛人との安らかな眠りを邪魔されようが、愛犬との散歩を邪魔されようが、病める患者のためなら文句は言わない、ましてやインフルエンザで苦しんでる患者の味方であり続けたいというのが医療者の(教育された)本能である。
しかし、人間として、市民として、納税者としてみれば話は別だ・・・
生活保護関連費や年金などで親子は手取り22万円の収入があり、家賃は無料、医療費は無料、NHKも無料・・・その他様々な恩恵があるという。納税も年金も何もない。これは額面給与が40万円以上の生活水準ではないか? 市営団地も新しく立派な3LDK、職員の誰よりもいい暮らしが出来る環境にあると言える。しかし、その生活の実態は悲惨だった・・・
掃除道具、例えば帚さえない暮らしはなぜ生じてしまうのか? 健康で文化的な最低限度の生活はなぜ親子にもたらされないのか? 市営団地は市の財産、僕らの高額な税金が生みだしたものであるはずだ。しかし、市の生活保護担当者は親子の暮らしの実態を知らないし、知ろうともしていないかのようだ・・・
毎月一回は親子を訪問するという市の担当者は室内に入らず玄関先で訪問を済ますという。この家の玄関付近だけは物が無いだけに比較的マトモなエリアである。それほど汚れも酷くは無い。しかし、一歩室内へ足を踏み入れると・・・足の踏み場もない凄さなのだ。しかし担当者はこれを観ていない。観ようともしていない。お金(生活保護費)を渡して、生きてるか死んでるかを気にしてるだけの様だ。これでいいのであろうか? いいはずが無い・・・
僕と二人の看護師は親子に掃除道具をプレゼントし、約1時間半の間、3LDKの室内掃除に精を出した。トイレも風呂もどうしてここまで汚せるのか?というほどだったが、市の担当者は知らないだろう。
掃除の後はそれなりにキレイになったが、はたして何日ほど維持されるのであろうか? 今日透析に来た際はスッカリ元気になって感染隔離エリアに収容する必要は無さそうなくらいだったが、コンコンと「週に一度位は部屋の掃除をしなさい・・・それが健康維持にも大切だから。今のママじゃ薬がどこにあるかも判らないでしょ? いい? 掃除してよ・・」と説教してみたが、残念ながら無理かもしれない。精神と身体に障害を持つ彼ら親子のあれが限界かもしれない、悔しいことだが・・・
そんな障害を持つ人々には少々プライベートが無くなっても、老人ホームの様な、あるいはグループホームの様なお世話役がいる集団生活の場の提供がやはり相応しいのではないか? 現金給付ではなく、健康で文化的な生活が送れるようお世話するという現物給付がより相応しいのではなかろうか? こんどの往診を通じてそう強く感じた・・・
掃除で一汗かいて、そうして爽やかな美しい青空を眺めながら日曜の昼前の高速道路を愛人の元に戻るべく愛車をすっ飛ばして帰った。あの親子には無い様な充分なお金と財産が僕にはあるものの、あの親子にはあり余る自由な時間が僕には全く無い様なものだ。所得と財産には累進性の極めて高い税金がかかるが、365日24時間自由な時間には一切の税金はかからない。僕の様に自分自身で自由な時間を捨て去ってしまった生活をいったい「幸せ」と呼べるのであろうか?
せめてもの反抗として自由な時間を取り戻すために、その夜は映画のハシゴに出かけ、24時キッカリのシンデレラ帰宅となった。そして翌朝から再び納税生活のため頑張って働いている。
まあ僕には健康で強靭な精神とメタボな肉体と偏った判断力と僅かながらの自由なお金があるので一先ず良しとしよう・・・自由な時間はハッピーリタイアメントの後にとっておこう。それまで健康でいたいものだ・・・
往診に出向いてヨカッタと思う・・・ でも二度とゴメンだ・・・
呼んでくれてどうもありがとう 終わり (少々フィクションが混ざってます)
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