| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
| 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 |
| 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 |
| 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
| 29 | 30 | 31 |
あまり引き摺りたくない話題なので一月中に始末してしまおう・・・映画の後の「トークイベント」
短いエンドロールが終わって涙を流している中年オヤジに右隣の上品な中年オバさんは気がついたかもしれない。途中で慟哭のせいで何度か座席の背が揺れたのにも気づかれたかもしれない。左隣の中年オバさんはサッと席を立ったが、ほとんど全ての人は席を離れずにゲストの登場を待った・・・
最初にぶくぶく太ったメガネの甲高い声の毛糸の頭巾を被ったオタク風の男性が現われた。係員にしては格好が下品だ。何だこいつは? しかし、どうも司会者の様だ。誰だこいつは?
続いてお待ちかねの美しい若い評論家女性が東京から到着した・・・が、70近く?の白髪のオバさんが真っ赤なダウンベストを着こんで入ってきた。ウソだろう?と一瞬思ったが、太った男性が笑顔で紹介しているので有名な評論家なのだろう? しかし、いきなりの現実引き戻しである。まあ勝手な妄想をしていた方が悪いのであるが、興味深い映画と原作の話題が待っているのだから良しとしよう。
このオバさん、元気が取り柄の様な過激派風テイストの書評家だった。決して映画評論家ではなかったし、司会者の方も市内の私大の教育スタッフだったようで、間違いなくマニアックな書評家の様子だった。
ほんの10分ほど誰でも語れるような【サラの鍵】の原作と映画化作品の違いや共通点などが語られたが、パンフレットにも書いてある程度の内容だった。そして、二人の世界はマニアックな小説や小説家、そして時折マニアックな作品が映画化された話などへ進んで行った。もはや【サラの鍵】は忘れられた存在のようだ。
司会者は何を勘違いしたのか、芥川賞を受賞した田中氏の話題へと突き進んだ。お相手のゲストもオタク仲間なのであろう、ココが映画館で、ついさっきまで地方都市の善良な映画ファンが【サラの鍵】を観終わって、【サラの鍵】に関する話を映画と小説の立場から聞きたくて話したくて席を立たずに居残っているのも理解していないようだった。オタクとはこういう人種なのであろう、と強く感じた。
二人の世界は【サラの鍵】というより【田中慎也と共食い】の不思議な世界にどっぷりと浸りきって、聴衆は戸惑いを見せ始めた。次の上映時間までの60分間のうち45分が流れてもなお、二人の世界はオタク小説評論から脱し得ず、とうとう僕を含め数名の勇気ある映画ファンが立ちあがって抗議・・・はしなかったが、会場を出て行った。イベントの終りに拍手する気などさらさら起きなかったんである。
会場を出た人々は一様に戸惑っていた様だ・・・
『なによ アレ? 途中から着いてけなかったワ』
『せめてゲストや司会者のプロフィールくらいは書いてて欲しかったわね』
『全然予想と違った。映画ファンじゃないねアイツら・・・』
『せっかく泣くほど感動したのに、腐ったデザート食べた感じよね・・』
『オタクの勘違いってこのことよね・・』
などなど愚痴のオンパレードだったが、今もなお司会者やゲストは気が付いていないのでシャクに障る・・・
後でゲストのTwitterを読んだが、何にも感じてなかった様子だ・・・ あんなんで評論家になれるんなら僕だってなれるさ・・・と正直思う。
映画の後に正体不明の「トークイベント」は避けるべし・・・
これが今回学んだ教訓であった・・・天国から地獄とはこのことだ
僕のブログの読者に限らず、映画と小説を両方好きな人にとっては、「映画を先に観るか、それとも原作が先か・・? はたまた片方しか観ない・読まない主義なのか?」というのは永遠のテーマであろう・・・
そんな僕の気持をくすぐった宣伝文句のトークイベントに魅かれて【サラの鍵】という映画作品を観ることになった。
後で気付いたらポスターに出ている主人公の女性はクリスティー・スコット・トーマスさんだった。実は僕は彼女の大ファン・・・これまでもブログで【モンタナの風に吹かれて】と【海辺の家】について書いたこともある。だが、主人公が彼女だとは全く知りもせずスクリーンを前にした。それくらい前情報も全く無くて映画館に足を運んだのも珍しい。内心、後に続くトークイベントのゲスト女性に期待したのであろう。何事も期待し過ぎはダメだという教訓を得た一日となった・・・
≪映画が先か・・・ 原作が先か・・・≫ この命題が最初から最後まであまり上等でない頭の中をグルグル廻って少々困った妙な一日だった。もちろん、映画の存在も知らない僕は原作も読んだはずは無く、フィクションかノンフィクションかも知らずに物語に浸った。そして何度か涙が出た。つまり、期待以上にイイ映画だったのである。皆さんにもお薦めしたい。
ただ、原作に引きずられて映画の良さが消されてしまったり、あまりにも原作とかけ離れたストーリーに嫌悪感を抱いたり、陳腐な映像化に激怒したり、想像を越えた映像の世界に感嘆の声をあげたりと、映画によって、また小説によって、あるいは書評家なのか映画評論家なのかによっても観方は大きく異なることだろう。この日のゲストの豊崎さんと司会役の太った男性はモロに書評家のほうだったようで、その件は次回に書くとする・・・
小説と映画の違いとして豊崎さん達は触れなかったが、主演俳優のイメージや過去の代表作の役どころに引きずられてしまうことがある。今回は正にそれだった・・・いい意味でも悪い意味でも。

スコット・トーマスは45歳の高齢妊娠をして生むか産まないかの葛藤をしてしまう。あることに熱中してる間に夫の関係が冷えてしまい、思春期を迎えた長女との関係も微妙で、他の人に猛烈に興味を抱いて時が残酷に流れて行く。生むべきか生まざるべきか・・・この辺りがロバートレッドフォードと共演した【モンタナの風に吹かれて】と凄く被るのである。
原作と映画化の違いとしては、この【モンタナの・・】の場合には、原作ではスコット・トーマスが演じた女性はレッドフォード演じる男性の子供をモンタナで妊娠してNYで一人で生むのだが、映画では妊娠したかどうか不明のまま彼女はモンタナを離れるのである。
今回の【サラの鍵】では、スコット・トーマスはパリで妊娠して夫から離れ、NYで夫の望まない子供を一人で生むのである。ずっと最後まで、生むのか生まないのか・・・が頭から離れなかったので困った困った。
もう一点は、【サラの鍵】ではスコットトーマスがパリのアパートの本当の所有者が収容所で死んだサラという女性の家族のものだと知り、なんとかその事実をサラに知らせようと必死にパリやNYやフィレンツェなどを巡るのであるが、一体サラを探してどうしたいのか?という疑問が付きまとうのである。自分たちが受け継いだアパートをユダヤ人一家に返すつもりなのか? どこにも「返す」という言葉は出てこないのであるが、「夫に反対されても返すんだろうか? 返すさ、キット」という声が頭に響くのである。
これはやはりスコットトーマスの【海辺の家】と凄く重なってしまうのである。

こちらは映画の原作は存在しないようであるが、癌に犯され死を前にした別れた亭主と一緒に必死に建てた【海辺の家】を息子とともに、昔起こした交通事故の被害者家族を探し出してお詫びにプレゼントする結末なのだが、直接ではなく間接的な当事者に過ぎないのに不当に悲惨な環境に陥った人々に謝罪したい・・・という気持ちが、映画の中で強烈に重なるのだった。

そもそもスコットトーマスという美女は僕のストライクど真ん中の女優なのだが、夫とはどうもうまくいかない苦悩する本能で生きる女性なのであろう。フランス語も英語もパーフェクトな女優として彼女に白羽の矢がたったと思うが、このような設定・人生がはまり役なのであろう・・・実生活でも3人の子を儲けながらも離婚したそうだ。人生とは難しい・・・
そんな訳で、「原作か、映画か・・・」だけでなく、「あの映画か、この映画か・・・」などに頭の中をグチョグチョに掻き回されながらも涙を流しながら【サラの鍵】を観終わったのでした。
そして、いよいよ東京から「豊崎ナントカ」さんという若くて美しい美女?のゲストをお迎えしてのトークイベントが始まろうとしていました・・・期待に胸もアソコも膨らみます
一応続く・・・
先日は久しぶりに気持ち良い天候の日曜日だった・・・
2匹のワンコ達を40分ほど散歩させながらトリミングまで連れて行ったあと、携帯で妻をデートに誘ったが相手にしてくれなかったので、すっかり葉を落とした街路樹の並木道を一人でぶらついた。そんな時はいつもなら文庫本でもポケットに忍ばせて歩くのだが、その日は珍しく忘れてしまったので、時間つぶしに何か気の利いた本を・・・と、並木道沿いの品揃えのイイ一軒の小さな本屋に向かった・・・が、生憎とまだ開店前だった。
シャッター越しの店のガラス窓に「インド美術展」のポスターと映画のポスターが貼ってあった。時々観に行くマイナー系映画小屋の聞いたこともなかった【サラの鍵】という「ユダヤ物」の映画で東京映画祭で受賞しているとか・・・ 多分マイナー女優なのだろう・・と、ポスターの女優が誰なのか良く見なかったのだが、メジャーの【J エドガー】と悩んだ末にこの不思議なタイトルの映画を観に行くこととした。
現代のパリを舞台にしたフランス映画ということにも魅かれたし、その日の初回上映後に「トークイベント」があるというのも興味があった。聴き慣れない名ながらナントカいう東京の女性が「原作を読んでから映画を観るか、観てから読むか・・・」に関して話をするようだった。映画の後で映画の原作の話を聞くのも興味深かったし、暇つぶしにお得感があったので出かけてみた・・・ 田舎者は東京モノに弱いのである。

映画館に着くと長い行列があって、整理券が配られていた。豊崎ナントカさんとはヒョットシテ有名な評論家なのだろうか? みんな映画よりもトークイベントが目当てなのだろうか? 知らないで映画館にフラッと迷い込んだのは僕だけ? などと大きな期待に胸を膨らませながら映画の始まりをまった・・・ 多分、東京のオシャレな女性評論家がパリのエスプリでも語ってくれるのでしょう・・・・と。
しかし・・・
一応続く・・・
新年明けましておめでとうございます・・・
本日、1月23日は旧暦の元旦です。当地では新春に相応しい明るい朝を迎えましたが、首都東京では夜になり記録的な積雪になっているとか・・・
新春にあたり、昨日まで着ていました汚れた白衣もズボンも下着も全部とっかえて本日の診療に当たりました。牡蠣に当たった患者が本日の最初の患者で、縁起が良いとは言えないようですが・・・
その新年最初の驚かすニュースは「首都直下型M7クラスの地震が4年以内に発生する確率は70%・・・」と実に中途半端な予測が発表されました。これまでの「今すぐ起こってもおかしくない。恐らく今後30年以内に90%以上・・」という予測とどれ程の差なのでしょうか? 70%というのは微妙です。
ホントに4年以内に首都直下型地震が生じれば「日本はアウト」でしょう。死者数を2万人以内・・・と、超甘い想定をしていますが、どうせまた「想定外」と弁解すると想定しています。実際は10万人以上の被害が出るでしょうが、東京の人達はノンキですね・・・誰が復興を助けるんでしょう? よく高いマンションが売れるものです・・・感心します、すぐ壊れるのに。

最近の地震が多いのは、「日本列島の下に住む巨大なナマズが暴れているからだ・・・」として、その尻尾を鎮める役どころをになったのが俳優の玉木君でした。最近の日本列島にはナマズではなく、丸々太った脂ぎったドジョウが大きな顔して「早く税金クレクレ 俺が白アリだ・・・」と暴れていますが、公務員給与や公共事業などの無駄遣いを徹底的に見直しもしないで全く煮ても焼いても喰えないドジョウです。こいつは昔自分が発言した内容を覚える能力さえないらしい・・・ 総理になってドンドン太るとは驚きだ。
やはり巨顔ドジョウの「鎮めの役」は関西の橋下君にお願いせねばならないのでありましょうか?

何を隠そう、昨今の地震を何とかせねば・・・と、名作ドラマ「鹿男あをによし」のDVDを購入して全10話を昨日は一気観してしまいました。東日本大震災の後で不謹慎ですが、何度見ても面白いですね。
玉木君は実にシカ顔です。柴崎幸は実にキツネ顔ですし、今は亡き児玉氏は実にネズミ顔でした。ついでに多部チャンはサカナ顔で、綾瀬チャンはネボケ顔です。
ドラマは2007年神無月の話でしたが、日本列島の地震は想定外・・・などという訳にはいかず、是非とも早急に東京からの遷都か東京一極集中を防いで下さい。そのための大阪都構想を橋下君が言い出してるのでしょうから・・・東京壊滅のその前に卑弥呼の使いの橋下君が「鎮めの儀式」をキット行うんでしょう? 今年の初夢でした・・・
そんなトンデモナイ構想の「鹿男あをによし」を見てもファンタジーだから・・で済みますが、NHK「平清盛」は遺憾ですね・・・ 先日は誉めましたが・・・
兵庫県知事の言う「汚い」とかはどうでもいいのですが・・・
まず、清盛を生んだ吹石演じる「白拍子の生母」はドラマだけのオリジナル設定だそうですね・・・いかんでしょう? 生母は平家物語の本文では祇園女御となってる様ですし、白河法皇の女房・・・として諸説あるようですから。眼の前で殺したと法皇が清盛に告げるのも嘘でしょうし・・・
また、白河法皇の逝去は清盛12歳の時・・・ 法皇の御前で舞を演じた清盛は12歳だったことになる。その12歳の清盛を松山ケンイチ君が演じてましたが、その清盛の舞を覗き見してたのが源頼朝の父である義朝(玉木君の役)で、史実では当時7歳だったとか・・・ あの長身の玉木君が7歳・・・ スゴイですね。

まあ坂本龍馬と岩崎弥太郎の友達関係もでっち上げしたNHKですから、史実がどうあれ「日本の歴史」なんて面白おかしく演出すればいいのでしょう? しかし、これでは「歴史から学ぶ」といっても、日本人は嘘の歴史でテキトーにあしらわれているだけです。受信料もらってるんだから、もう少し大河ドラマは真実に忠実であって欲しいと思います。
以上、とりとめのない新年元旦の願い事・・・です。
昨夜11時過ぎに仕事を終えて自宅に戻り、誰もいないリビングのテレビをつけたら、僕に良く似た体型の、白髪交じりのオジサンが懐かしい歌を歌ってた・・・ なんとジュリーだった。NHKの「SONGS」
派手な衣装を着たサリー(岸辺おさみ)、タロー(森本太郎)の後ろでピー(瞳みのる)がドラムをたたき、その真ん中にジュリー(沢田研二)が立っていたが、ジュリー同様に好きだったトッポ(加橋かつみ)の姿は残念ながら見つけられなかった。幸いなことにタイガースを壊したシロー(岸辺四郎)の姿もなかったが・・・
でも、僕は我が眼を疑った。あろうことか、ジュリーの体型があまりにも僕とそっくりだったのだ・・・ 顔のたるみも何となく僕に似ていた。セクシーさの欠片もなかった。
http://blog.m3.com/BackToTheStreet/20071010/2
1959年生まれの僕は、1968年頃にはタイガースに完璧にハマっていたものだ。寝ても覚めてもタイガース。三度の飯よりタイガース。学生服はパンタロン、ませた小学2年生だった・・・
SONGSで、【モナリザの微笑】 【君だけに愛を】 【青い鳥】 など1968年のヒット曲が謳われていたが、もう40年以上の時がたつというのに、僕は完璧にそらで歌えてしまった・・・ 夜なのに大声で、「君だけに・・・」と絶唱してしまったのだ。
しかし、時の流れのなんと残酷なことだろう・・・
番組を最初から見なかったのでよく判らないが、4人はフランクに昔の話などをしていた。「かつみもいつかは一緒に・・」とジュリーが言ってたが、どうしてトッポは参加しなかったのだろう? 1971年の解散時のわだかまりも、1982年の一時再結成の際には消えてた様なのに、その後にまた何かがあったのであろうか? 【花の首飾り】こそ僕の最も好きなタイガースの楽曲なのに・・・残念でしかたがない。
ジュリーの残酷な変貌と違って、ピーの変貌は実に好感のもてる変貌だった。さっき調べたら、ここ数カ月間の限定再結成で全国ツアーを済ましたばかりだという。どうりで危なげのない演奏だったようだ。
その ピー(芸名:瞳みのる 本名:人見 豊)は現在は北京在住らしい。慶応で中国語を専攻し、慶応高校で中国語と漢文を指導したという。あの小学生の眼にも可愛かったピーが実に味わい深い上品な64歳に変貌していたのだ。これは嬉しかった。トッポは今どんな顔をしているのであろうか? 見てみたいような、見たくないような・・・複雑な心境である。
まあ、あの沢田研二が今のあの姿なのだから、昔キムタクの様だった僕が今この姿なのも納得されようというものだ。
時は残酷だ・・・ 1968年当時に戻りたい・・・ 悩みなど何もなかったあの年頃に・・・
今年のNHK大河番組は【平清盛】で、昨夜スタートしました。昨年の大河【紅】は視聴率が高かった【篤姫】の脚本家が二匹目を狙って失敗したようですが、今回は【龍馬伝】の二匹目を狙った映像美で、もう大成功が確約されたも同然という印象です。薄汚いながらも実に鮮やかな初回放映でした。松ケン君にしても小雪さんの出産が重なり、これ以上ない昂揚感の中でお暮らしのことでしょう。おめでとうございます。
昨年末は初めて宮島・弥山への日帰り登山旅行を行いましたが、もちろん清盛ゆかりの厳島神社も干潮・満潮ともに堪能しました。
焼きガキも堪能しましたが、今年は更に厳島神社は人気が出ることでしょう。その際はぜひ弥山の頂上に行ってください、ロープウエイで結構ですから・・・
さて、とにかく面白く始まりました・・・【平清盛】
結局のところ、平太こと清盛が白河法皇の御落胤であると同時に平家の棟梁・忠盛の養子であるという二重のエリート性が、清盛自身の特殊性であったのでしょう。リスクも大きいが特異なる発展にはその出自とそこからくる無言の自信とが大きく作用していることは間違いないと思う。
初回では、白河法皇と鳥羽天皇、その内宮である璋子(たまこ)との非常に複雑で異常な関係が、清盛の出生とその母の死や忠盛の養子になる理由として重要なポイントとして描かれていたが、やはりテレビではアソコが限界だったようだ。恐らくは大部分の人々には、白河法皇を巡る女たち、特に璋子との尋常ならざる性愛の暮らしが判らないハズだ。
しかし、この点は、清盛を語る上で絶対に欠かせない点であるハズで、NHKの限界を補うべく知識の補填をお薦めする次第である・・・ 渡辺淳一著【天上紅蓮】である。
ただ、ここには清盛は登場しない・・・しなかったと思う。しかし、どうしてあそこまで白河法皇が鳥羽天皇をないがしろにして、壇れい演ずる璋子を寵愛したのか?が、「見てたのか?」と言いたくなるようなエロさで描かれていて、お子様には読ませられないが、大人の皆さまには面白い清盛・参考書になりうると思う。今と違い、昔の天皇家はスゴイ世界だったのだなぁと尊敬するほどである・・・
松田聖子さまの頬っぺたがフックラし過ぎていたのが少々眼に着いたものの、それ以外はほぼ満点をおあげしたい出来であった。
今年一年の楽しみが増えた・・・
新春・・・といっても、まだ旧暦では12月15日なのですが、久々に暖かくて輝く様な明るい良き日和でしたので、今年の「三社参り」の三社目に、福岡県の太宰府天満宮に詣でてきました。
いつもは「三社参り」などしないんですけど・・・今年は、京都の北野天満宮、三重の伊勢神宮、福岡の太宰府天満宮と、超豪華版で、さぞや僕の衰えかかった頭脳も鮮やかに蘇ってくれることでしょう? 僕は今日の成人の日も当然ながら夜まで仕事ですが、時々頭も休ませないと最近劣化が激しい気がします。
車は相当に渋滞していたようですが、西鉄電車でいきました。福岡天神から天神様まで約30分で到着です。全国から日帰りも可能ですね。参道でdocomoが金ぴかの合格祈願携帯ストラップを無料で配ってましたが、これは全国docodemo配ってるんでしょうか? 天神様の印はdoconimo見えませんでしたが、子供には人気でした。
受験シーズン到来で、朝から参拝者が無茶苦茶多かったですね・・・ 天神様は最近はスポーツの神様にでも幅を拡げられたのでしょうか? ユニフォーム姿のスポーツ少年少女がもの凄くいました。受験や学業向上ではなく、スポーツ上達を祈るのでしょう・・・ 時代の流れを天神様も感じているのでしょうね。
まだ咲いてはいませんでしたが、有名な「飛び梅」を背に記念写真です。青空がきれいです。
今年初めて「おみくじ」を引きました・・・中吉でした。
大吉 >中吉 >小吉 >吉 >末吉 >凶 >大凶
上記が一応の運勢順になっているようで、いままで凶とか大凶とか引き当てたことは無いですが、受験前に大凶を引いたらショックでしょうね・・・
天神様の「おみくじ」の学問欄には、「入学試験 出来る 油断するな」・・・と、持ち上げながらも神頼みの油断はダメだよと、洗練された合格点のコメント、サスガです。ここまで学問欄で「入学試験」に絞ってコメント出来るのは天神様だけでしょうか?
しかし、本業の医業・「商売」の欄は・・・「利少なし 運気一休み 物価定まらず」・・・と、これまた昨今の医療業界の衰退や崩壊や医療費抑制傾向を見事に言い当てられた天神様は凄いと思います。一応、今年中に倒産するとは書かれていませんでしたが、経済的には厳しい日々が続きそうです。
http://blog.m3.com/BackToTheStreet/20071231/2
以前にも絵馬や「おみくじ」を境内に結び残す事を書いたことがありましたが、調べたら「自分にとって悪いのは結び残し、良いのは持ち歩け」と書かれてました。いままで持ち歩いたことばなかっただけに、運に見放された人生を僕は歩んできたのでしょうか? 昨日の中吉も2番目なので良い内容でしょうが、結んできてしまいました・・・右から5番目の場所に。「5 か 9」、僕が考案した?【合格(ゴーカク)結び】です。
さて、この太宰府・・・日本史で習いますが、天神様の菅原道真公の時代よりも相当古く、近くの観世音寺は天智天皇が斉明天皇を弔うために661年に開基され、746年に完成したようです。そこに現存する国宝の梵鐘は700年頃の作のようで、チョット国宝としては寂しげな佇まいで、あのビニールの様な持ち手のヒモは国宝らしくお願いしたいものです。
お隣の753年に鑑真が来日直後に薩摩から奈良へ向かう途上で日本初の戒壇を授けた戒壇院も761年に創建された様ですが、せめて太宰府天満宮に訪れる人の10%でも訪れて頂ければ、古き良き飛鳥・天平時代の九州・太宰府の面影が蘇るだろうに・・・と、天神様の「一人勝ち」状態を複雑な思いで眺めました。
北野天満宮と太宰府天満宮・・・この天神様さまですが、皆さんはどちらの天神様の雰囲気がお好きでしょうか?
北野天満宮の参道はスゴイ出店にせいで歩きにくいですね。本家京都にあって、古めかしさを感じる「霊的」な有難味は確かに感じます。
でも、周囲の雰囲気とか歴史的背景とか、自然環境とか様々に総合しますと、僕は太宰府天満宮の方が僕自身の感性に合うように思います。もちろん、優劣を語るようなことではありませんから天神様さま、ご寛容に・・・・
ちなみに、愛する美しい妻は「おみくじ」はひかない主義みたいです。彼女は「結婚は当たった・・」と思っているのでしょうか? 聞くのは怖いので聞いてません。「ハズレよ、あなた・・」と言われても困りますしね。
まあ、「おみくじ」はおみくじ・・・ 今年も良き一年になりますように・・・
天神様さま と 天照大神さま くれぐれもよろしくお願いします・・・
2012年の最初の本に選んだのは、有吉佐和子さんが1978年に書かれた【悪女について】だった。評判の非常に高い作品らしく、読後感もまさに「これは面白い、どうして今まで読まなかったんだろう?」というものだったが、「今まで読まなくてヨカッタなァ」とも感じる傑作だった。
ちなみに、1978年といえば、ぼくがまだ「悪女」どころか「オンナ」を知らない初心な頃だったなァ・・・、イヤッ? もう知ってたかな?
そもそも「悪女」について考えるようになったのは、ある淑女のブログ記事【悪女入門】に触発されてのものだったが、10月頃に一度は悪女に関する記事を書こう書こうと思いながらも、他の本に翻弄され、先延ばしにしてきた。
ただ、今もなお消化不良というか、「悪女の奥の深さ」にシビレているので、【悪女論】ではなく、あくまで【悪女について】について、思い浮かぶままに「悪女」を語ってみたい。新年に相応しい記事になるかどうかは保証しないし、僕本来の気品が損なわれる恐れを少なからず抱きながら・・・
さて、とりあえず他の人の書いた粗筋を新年早々パクって載せる。読みたくない人は読まないで・・・
富小路公子という有名な女実業家が突然、謎の死を遂げる。マスコミが「虚飾の女王」などと悪評を書きたてた。彼女という人物と死の真相に興味を抱いたらしき某小説家は、公子を知る人々に次々インタビューして行く。27人が語る公子は奇想天外であった。
本名は鈴木君子であったし、生まれも昭和21年ではなく昭和11年であった。自分は貰われっ子であり、さる高貴な方の落し胤らしいと言触らしていたが、母は実子だと語る。
彼女には子供が二人いるが、戸籍上の父は自分の子ではないと言う。ところが自分の子に間違いがないと語る男が、別に二人もいる。この二人とは同時期から交渉が始まり、死の直前まで続いていた。しかし二人は、公子の2度の結婚を知らない。
公子の事業資金が、どこから出ていたのかも明かされて行く。最初のインチキな結婚により、相手からせしめた慰謝料5千万円が大きい。これを元手に土地転がしをしていたらしい。彼女は苦学して税理士の資格を取っており、その知識を遺憾なく発揮したのだ。
宝石商でもあった彼女に詐欺を働かれたと歎く語り手もいれば、得な買い物をさせてもらったと喜ぶ語り手もいる。公子に宝石の知識を授けたと思われる宝石職人は、彼女には詐欺などできるはずがないと言う。
公子はビルの7階の窓から落ちて死んだ。その時着ていた赤いドレスは、10日後にハワイで3度目の結婚式を挙げるための衣裳であった。死の直前、彼女は、長い付き合いであるひとりの男に電話をかけ、2週間後に彼の赴任先のニューヨークで会う約束をしてもいる。それは結婚相手とは別の男であった
まあ、主人公「富小路公子」がどんな女性なのか、ドラマにもなっているらしいが、この手の悪女は謎のママが相応しいので、誰が演じたかは知りたくもない。
悪女・・・ 【悪女入門】の著者の鹿島茂氏に言わせると「ファムファタル」という悪女を意味する仏語は実にエロい発音らしいが、ファ とか、フェ とかいう音が脳幹をゆすり股間をくすぐるらしい。 ホントかな?
悪女という言葉も、某レンホウ議員などは単なる悪党の悪質な女性だし、悪人とも違うし、品が悪いとも違うし、身体的に何かが悪いのとも違うからヤヤコシイ。
言うなれば、悪女とは「イイオンナ」なのであって、誰にでも良い女ではなく、「イイオトコ」にとっての魅惑的な女性が「悪女」なのであろう。そして、その「イイオンナ」は性的な魅力は必須のものであって、コケトリー(媚態)が自然に醸し出される能力がないといけない。それは相手に性的な関係がありうるとほのめかし、しかもその可能性はけっして確実なものとしてはあらわれなような態度ということができ、映像で観る「高根の花」でもいけないし、可憐な「女の子」でもいけない。失礼ながら、ブスは良質の悪女にはなれないと思う。
対する男性の条件は必ずしも鹿島氏が定義するように「イイ男が身を滅ぼす」必要なないと思う。また、相手の男性は複数であることも必須かと思う。
複数の男性を夫々に翻弄し、泣かせたり・破滅させたり・死なせたり・放浪させたり・性の奴隷にさせたり・・・
もちろん、男性同士がハチアワセしたり、存在を気づかせたりしては良い悪女とはいえない。あくまでも「俺にとっての最高のオンナ」であることが必要で、溺れてもいい・・・全てを失ってもいい・・・と、一瞬たりとも思わせないと悪女の資格はない。言い方は下品であるが、「ヤレバヤルホドのめり込む」という「エロモン」を自然に備えていることが最上級の悪女なのだろうと思う。
可愛いとこがないといけないし、謎も多くないといけない。お金にミミッチクてもいけないし、ブヨブヨ・ガリガリでは難しい。
色んな人が色んな評価をして、数人の美女と魔女と淑女とが混ざりあい・匂いあい・輝きあう・・・それが最高級の悪女であって、一生に一度でも出会えればその男性の人生は確実に変貌していくものと思われる。
ただ、僕にとっての悪女と、あなたにとっての悪女は恐らく違うだろうし、今の自分自身が眼の前の悪女に気付き、相応しく立ち向かえるかどうかも時の定めに委ねるしかない・・・
その意味で、有吉佐和子の【悪女について】の富小路公子は正真正銘の悪女であって、悪い女ではなく、イイオンナなのである。決して結婚しようとしてはならないが、人生の中で関われ生き延びた者には女神でもあろう・・・
振り返って我が愛妻は・・・悪女ではなく、素晴らしく良い女性・・・ということにして、新春の【悪女論】を中途半端に終わろうと思う。
僕はまだ本物の悪女には出会ったことは無いが、出会っても気付けなかっただけかもしれない。今ならなんとなく悪女を見分けられる気もするが・・・
悪女予備軍の皆さん、読んでくれてどうもありがとう
2012年元旦は法然院境内で除夜の鐘の音を108回以上聴きながら静かに厳かに迎え、一転して若者で賑やかな北野天満宮に新年初のお願いをしてきました・・・
「僕の頭がマスマス良くなりますように・・・ 決して早くボケませんように・・・ ついでに子供の頭も少し良くなりますように・・・」
ということで、元旦午前2時過ぎにホテルへ戻り、朝7時にはホテルを出ました。近鉄改札まで30秒で到着、伊勢まで直行の近鉄特急でたった2週間前に行った奈良県桜井市の三輪山の麓を初瀬川沿いに伊勢へと向かいました。不思議なことに、三輪山と伊勢神宮は殆ど緯度が同じだということです。ついでに三輪山と比叡山も経度が一緒だそうです・・・不思議ですね。
その三輪山から登る「初日の出」を期待したのですが、ちょっと時刻的にもムリで、木津川を渡る際に山の端にかかる雲の僅かな隙間から川に映る太陽とともにカメラに収めました。幸先よい元旦でした。
お隣は綺麗な若い女性二人組で、そのシーンを逃して相当悔しそうでしたが、山の辺の道の向こうに初日の出を眺めながらの新春の旅は気持ちよく始まりました。座席番号は39、縁起も良く正に「サンキュー」です。お隣の楽しそうな会話も自然に聞こえてきて、どうやら初めてのお伊勢参りの同行者になったようでした。
帰宅して美しい愛妻から「アナタまさか右翼になるんじゃない? 街宣車に乗って叫んじゃダメよ」と念を押されました。僕は最近いろんな聖地を巡っていますが、どちらかというと歴史的・神話的興味が主で、別に凝り固まった国粋主義者とかではございません。次回は、出雲大社方面に行きたいと思います。15歳のときに一度行ったきりですが、当時知らなかった様な神話が出雲には溢れていて興味深いです。
http://www.youtube.com/watch?v=q25zC7pDpW8&feature=related
という訳で、右翼構成員では決してない証拠に、50過ぎて初めての「お伊勢参り」と相成りました。そして、もう二度と行かないかも?と考え、「元旦の伊勢神宮」にこそ行きたいと思いました。日本中から似たような考えの人が集まるので、大混雑で少々草臥れましたが、元旦には元旦だけの良さがあろうというものです。
http://www.youtube.com/watch?v=vetecFKFsy8&feature=related
明後日4日には恒例の総理大臣参拝があるでしょうが、天皇制反対議員や売国的議員を多く抱える民主党の総理はよほど禊ぎをして五十鈴川を渡って欲しいモノです。鳩山総理の時は、あの中井蛤や仙谷もニコニコ手を振って・・・「オマエラが来るとこじゃないんじゃない??」と声援?があがっていました???
伊勢市駅で降り、まずは外宮表参道へと歩みました。上の写真は外宮の御正宮前ですが、式年遷宮前の外宮は雰囲気も素晴らしいですね。写真撮影が外宮も内宮も御正宮付近では不可能ですが、なかなかに荘厳な雰囲気です。他の神宮・神社と比べるのは不謹慎でしょうが、さすが・・・です。
元旦の比較的早い時間帯で割とスッと歩け、内宮へもスイスイでした。宇治橋も、五十鈴川の禊ぎ場・お手洗い場も人は少なく、御正宮への参道もノンビリ・ゆっくりと周囲の景色を眺め・霊なる雰囲気を感じながら歩きました。
が、石の階段下まであと30mほどの所でいきなり止まりました。11時位になって・・・噂の大渋滞に巻き込まれてしまいました。しかも全然進みません、ゼンゼン。この下の写真は石段下からですが、石段まで来ると撮影禁止のようです。
石段では一段昇るのに2~3分はかかり、全部で90分位はかかったでしょう・・・ でしょう、というのは、3分の1ほど登ったところであと少なくとも60分はかかりそうだと思われ、右側の最速レーンへと諦めて進みました。確かにスイスイと進みますが、残念なことに鳥居をくぐれません。特別に横の垣板が少しはずされて、ショートカットが創られています。でないと、確かに気分不良や事故も起こるでしょうし、時間がないと無理な場合もあるでしょう。引き返すなんてムリですからね。正月の特別措置のようですが、鳥居は潜らずとも「アマテラス様ありがとう・・・」の感謝の気持ちは一緒なので、天照大御神さまも一緒にお守り下さりますよう切にお願い申し上げます。
http://www.youtube.com/watch?v=wi_xq0XcjTw&feature=related
そんな風で今回は根性が足りなかったですが、いつの日か開業医を引退したらゆっくり来てみたいと思いました。それまで日本が平和でありますように。反日感情の大きい国々が戦争を引き起こさないようお守りください・・・
http://www.youtube.com/watch?v=LFDydQk80UI&feature=related
それにしても、多くの人が長い時間をかけてお祈りしてますね・・・ 一人あたりの時間がスゴイ。あれだけ並べば確かにサッとは郷里に帰れますまい。一生に一度、お伊勢参りでは「気合の入った祈り」が行列を進めないのだと感じました。
おかげ横丁入り口前の赤福本店を覗き見し、疲れも寒さもあって、翌日からの仕事の事も考え、予定より早く名古屋経由で帰宅の途へ着きました。
たった、土日の短い年越旅行でしたが、初めてのお伊勢参りはなかなか感じるものがありました・・・ 両親は「強行軍だなぁ 大丈夫か?」と呆れ、妻子も「最近のパパはなにかにとりつかれているの? 危ないかも?」と疑っていましたが、僕に自由時間が無いことは百も承知なのでその勝手を許してくれます。ですから、できるだけ有意義に今年も毎日を過ごしていけたらと思います・・・・
でも、もう正月には二度と行かない気がしますね・・・(笑)
越年旅行記は終わります ことしもよろしくお願いします
皆さま、あけましておめでとうございます
当地では雪が舞い散る寒い年明けになりました。当院もつつがなく新年の仕事始めを本日正月2日よりスタートいたしました。
透析患者さんもお元気に、有意義に生きるために頑張っていますし、スタッフも誇りを持って正月早々それをお手伝いする仕事に張り切っています。認知症要介護者の皆様も、入居施設の外の雪を眺めながら暖かな心で時の移ろいを感じられていることでしょう。スタッフも年越し勤務、ご苦労様です。
さて、院長である私も昨年から今年にかけ、足掛け2年もの長きにわたって診療所を空け、きままな旅をしてきました。こうしてノンビリと行きたい場所に旅行に行けるのは、世の中の納税者の皆さんのおかげです。決して政治家のおかげでも経団連のおかげでも中国のおかげでもありません。しいていえば、神様・仏様・ご先祖様のおかげでしょうか・・・
ということで、大晦日の午後3時に仕事を終わらせ、旅に出ました。といっても東海地方の大都市にある妹の家ですけど・・・。そこで、両親と一緒に妹家族と年越し?の夕食をともにしました。初めて妹家族の家を訪れましたが、想像していた以上に妹が幸せに暮らしていて、それを嬉しそうにしている年老いた両親の姿を見るのは僕自身も嬉しいです。
兄弟は他人の始まり、兄・妹はそれぞれ別の道を歩むのは世の定めではあるものの、やはり遠くに暮らす妹が幸福か否かは自分自身の幸福とも無縁ではありませんから。こうして、50歳を過ぎた僕が両親とともに妹家族の家を訪れることが出来るのも幸福なことと感じます。特に、2011年は色々な不幸な出来事がありましたから、家族の絆を再確認する年となりました・・・
しかし、開業医である僕にはゼンゼン時間が無い・・・ 年越し旅行とはいえ、実質上は土曜日の夕方から日曜日の夜にかけての時間枠の中での旅であって、体力も気力も意欲も、ついでにお金も存分に発揮して、自分に使える時間を最大限有意義に使って、明日への活力にすることになります。でないと、本日から患者さんのためにバリバリ働くことなんか出来ませんから・・・ そいうことは周りのみんなが判ってくれていて、家に残してきた愛妻と可愛い子たちも、「気をつけてね・・」と送り出してくれるので有り難い。
そこで、大好きな法然院の除夜の鐘を突きに大晦日の23時を回る頃、僕は京都駅に降り立った。前夜に予約したホテルは近鉄京都駅の真上に新しく出来た非常に便利な場所で、部屋を出て5分後には確実に近鉄や新幹線に乗れるという優れモノ・・・「お気に入り」に追加した。
地下鉄烏丸線で烏丸御池の東西線乗換の際は満席の状況、東山方面は賑やかだ。平安神宮へ向かうのか?
僕は真夜中の哲学の道を永観堂の付近から北へと歩いてみた。付近に民家の灯りはあるものの、道自体は真っ暗で人通りも殆どない。時折自転車で急ぐ数人組がいるが、全部で10人程しかすれ違わなかった。東側に寺やその奥に墓地も連なる哲学に道、夜は東山の暗く大きい姿がより迫り来るようで・・・ 大晦日以外ならお薦めしない。
しかし、大晦日の23時半ころから新年を迎える頃のあの辺りは、あちらこちらの寺院の除夜の鐘が、大きく小さく・高く低く・冷たく暖かく・せわしなくユッタリと・・・ボーン・がーん・ごーん・・と様々に鳴り響く。正に京都随一の隠れスポットである。しかし、怖がりのひとや眼の悪い人は止した方がいいでしょうし、くれぐれも疏水の中に落ちない様にして欲しい。
暗い夜の哲学の道は、思索するにはもってこい?である。そうして、寒さに逆らうように急ぎ足で北へ向かえば、段々と大きくなりだした聴き慣れた鐘の音色・・・ 時折「失敗したようなよわよわしい音色」も交えながら、大文字山の真下にある法然院の鐘が紛れもないものになって行く。
23時55分に予定通り脇門から境内に到着、長い列に並んだ・・・ 鐘楼は東山の裾野を利用した小高い場所にあり、煌々と灯りが照らされ、人々の列が坂を上っている。以前と同じ景色だ。毎年同じような光景が繰り返されているのであろう、全国どこの寺社の除夜の鐘では・・・
法然院は何度か書いたが、僕が一番好きな寺院の一つだ。魅力は色々あるが、過去の記事を探して欲しい。梶田管主のお姿が鐘楼台にあった。澄んだ大きな声で、一般人が突く鐘の数をカウントされていた。
ここは列が終わるまでずっと「一人づつ」鐘を突かせてくれ、記念品までくれる。毎年、1時半は回るのではなかろうか、今年僕は50分並んだが、更に30分以上の列が続いていた。去年の大晦日は大雪の京都、グループにまとめたり整理券を配って108回で終わらせないのは法然院の優しさだと感謝している。
それは医師が一人ひとりの患者の声をずっと延々と列が終わるまで聞くべきなのに似ている。簡単に出来ることではないが、並ぶ人には並びたいだけの「気持ち」があり、容易く鎮めることのできない煩悩が宿っていることは僧侶には当然判っているので、梶田さんはニコニコしながら我々の願いに応えてくれる、寒さで足を時折スリスリしながらも・・・
ここは素晴らしい場所で、それを聴きつけた外国人も多い。梶田さんが、「フォーティーセブン」とか急に英語でカウントすると、深夜にドッと笑いさえ巻き起こる。ドイツ語科を出たインテリ坊さんの暖かさだ・・・
一応は「ひゃくやっつぅ」というカウントで、「少しお待ちください」と、鐘の下で念仏が唱えられる。僕の直後に2順目が終わり、「これから三順目です」と、まだまだ続く参列者にこたえられていた。周囲に民家が少なく、苦情も無いのであろうが、ご苦労なことであり、かつ有り難いことである。外国人にも好かれるのは当然だ。
ただ、除夜の鐘を待つ時の周囲の雑談には少々うんざりする。僕がいくらシンミリと一年を振り返ろうと沈思黙考したくとも、チャラチャラした雑談が台無しにしてくれる。まあ、それも庶民の「ありのままのすがた」ではあるのだが、静かに並んで、他の人の打つ鐘の音の美しさに耳を傾けてくれんかのう???
そうして、煩悩をますます大きくさせながら、「時は鐘なり」 じゃなかった「たいむ いず まねー」と、初詣に北野天満宮へ詣でてきた。深夜2時近かったが、若い人で一杯だった。火縄はホテルへ持ち帰れないので、あちこちの社にお参りをして、明日へ備えホテルへと戻った・・・
2年目の旅へ続く・・・