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いま12月30日夜10時過ぎ・・・ もう少し診療所で働いて、明日の大晦日に特別の事がなければ、午後3時位まで診療してから【年越し旅行】に出かけることにした。今年は故あって妻子を残していくのだが、妻が昔買ってくれた セーターと コートと 手袋と ズボンと 靴に 身を包んでいくつもりなので、きっと寒さを感じないだろう。
明日は何事もないと良いのだが、こんな時に「お久しぶり様」が飛び込んで来られると、「どして? どして救急病院に行ってくれなかったの?」と嘆き悲しみながら開業医になったことを悔やむのであるが、不吉なことを考えるのは止そう。
つい先ほど、明日の宿泊予定のホテルの予約をした。ネットでクリックした途端、キャンセル料が前夜なので80%も生じるらしい。あと2時間もしたらキャンセル料が100%だとか、急患は当院を是非避けて頂きたいと切に願う・・・
行き先は、帰って来てから書くことにする。最近は女子学生とか人妻の追っかけが韓流スター並みに凄いので、予定を明かせなくなってしまった。これだからハンサム医師は困る。どうして親はもっと不細工に僕を生んでくれなかったのだろう???
ということで、明日はもうブログを書くことも無いと思うので、これが今年最後の記事となる。
今日の透析患者さん達は1月2日にまたお会いする予定なので、「また来年・・・お元気で・・」と回診の際にお約束のご挨拶をしてきた。中には「来年まで生きてればね・・・」と元気に冗談を飛ばす患者もいたが、くれぐれも元旦に呼び出しては欲しくない。ちょっとばかし遠くへ行くつもりだから・・・
明日もまた、1月3日にお会いする透析患者さん達と、大晦日に受診してくれる奇特な患者さん達に「また来年ね・・」とご挨拶することだろう。
いま30日の夜10時半になったが、今夜のスタッフが帰りしなに、「今年一年お世話になりました。また来年もよろしくお願いします・・」といって帰った。もう一人は明日も勤務してくれるらしい。
スタッフの皆さん、今年もどうもありがとう・・・
患者さん、来年も当院を見捨てないでください・・・
読者の皆さん、来年もまた読んでください・・・ 匿名厳守よろしくね
今年の大晦日は・・・もう明後日ですが、土曜日なので、土日にブログを書かない主義の僕としては、もしかすると今回が今年最期の記事になるかもしれない。しかし、「年末の愚痴」とかいう下品なタイトルでおわるのもナンナノデ、明日もう一本書くかもしれないが、書かないかもしれない・・・
大晦日の土曜日は午後3時で終了の予定である・・・あくまで予定である。そして、6年振りとなる日曜日の元旦は休みなので、どっかに行こうかと策を練っているが、まだ大晦日のホテルの予約は出来ていない。急患でキャンセル料が発生するのが怖いので貧乏開業医は旅行の予約もままならない。でも、大晦日は神社巡りをすれば泊るホテルなど無くても何とかなるであろう・・・行き当たりばったりの人生も楽しものだ。
2日・3日は外来はせず、透析患者や要介護高齢者とご一緒に?院内で過ごすつもり・・・いや、過ごさねばならない(義務)。
今日は29日、お陰様で多くの患者さんに診療所を訪れて頂いた。今年初のインフルエンザ患者も来院され、お陰様で今になってゾクゾク・・・ブルブル・・・体調が変化しつつあるのを自覚し、大阪の浜チャンの警告も聞かずに勝手に自分でタミフルを服用した。今のところ奇行も無く?死んでもいない。いたって頭脳明晰である。しかしながら、今夜は愛人宅で過ごすのは自粛しておこう、移したら悪いから・・・ でも、ドッと汗をかくのも悪くない・・・ やっぱり今年最後で頑張ろうか? と、例の悪い妄想が出だしたのでタミフルの副作用かもしれない・・・
「2チャンネル」という場所で面白い替え歌を見つけたので、パクって御披露しよう。無許可転載でパクらないでほしい・・・
患者こんこん 全くこんこん 降ってもやんでも 姿をみせぬ
ナースは喜び お茶飲みまくり オイラは院長室でむせび泣く
電車でこんこん 会社でこんこん 風邪は流行れど うちには来ない
ヤブ医は薬を 山盛り出して 繁盛医は どんどん注射打つ
3番も傑作ですが、一般人には多くの解説が必要な専門用語満載で転載は自粛します。他にも多くの素敵な替え歌があって、殆どが自虐ネタだけに、皆様お寒い冬をお過ごしのこととご同情申し上げます。見渡せば、開業医の世界はどこも同じようで・・・冬の厳しさが身に沁みます。
ヤフーのトップニュースに「成田・関空で出国ラッシュ」というのを見つけました。このヤロウ・・・と思いました。旅行好きの僕ですが、パスポートは切れたママです。心も切れてます。頭も切れますけど・・・貯金は切れてます。
医者にも色々いて楽しくお暮らしの方も多いでしょう。「なぜそんなに働くの???」と時々聞かれます。その人には・・・「税金を沢山納めるのが大好きなので、命を削りながら納税額を増やそうと必死で頑張るんだ・・・」と、眼に涙を浮かべながら返事するようにしています。そして、後で一人になって・・・アンポンタン野田ブタ総理の画面からはみ出しそうな顔に向かって生卵を投げつけます。ブラウン管と違って、液晶は壊れやすいのでソッと投げつけます・・・ レンホウや枝野の時は力一杯投げつけます。オシッコをかけたことも何度かあります、すぐ拭きますけど。菅のバカが登場したらテレビは爆発しそうです。鳩山の時には・・・・腹案があります。
でも、消費税・所得税・控除廃止などなどキチガイ財務省官僚どもは明治維新の時よりも劣化してますね。アホというか、狡賢いのでしょう。悪党ですね、財務省の皆さんは・・・ なんて言うトンデモナイ冗談が口から出たのはタミフルの副作用かもしれませんので、税務署の皆さん、よろしくお願いします。それにしても、野田ブタ総理の顔って大きいですね・・・金正恩と並んだらどうなんでしょう? 最近は奥様もふっくらですか? 菅夫人よりイイ感じですけど・・・
今年はとうとう忘年会出席ゼロだった・・・
職場も職員数が増えた割に収入が激減したので、忘年会出費を廃止して職員達の自前忘年会をして頂いた。医師会も、同窓会も、その他のいくつかも出費を惜しんで?欠席した。ホントは時間を惜しんで愛人といちゃいちゃ・・・じゃなかった、遊びに精出していたわけだが、女性に精出してしまった訳ではない。くれぐれも誤解なきよう切にお願いする次第である・・・。ちなみに同窓会の忘年会で、僕が過労死しそうだ・・との噂がまことしやかに語られたらしい。確かに自分でも時々そう思う。開業医は頑張れば頑張るだけ命を縮めるだろう・・・勤務医と違い、逃げ場がない。それを開業して後に知る・・・
ブログ・・・もう5年以上も書いてきた。もうじき290万回の閲覧回数となった。この1年で90万回・・・クダラナイ記事を読んでもらいありがたい。いまだに一番人気は「ビートチャイルド」の昔話の様で、嬉しいやら悲しいやら。
でも、最近のm3ブログはつまらなくなった・・・自分を含めて。「論文捜査」様や「TOKIO演歌」様の過激なオリジナル記事には超エキサイトするが、「転載専門」様とか「開業楽ちん」様とかの記事を見ると、よくこんなの楽しくアップしてますね??と感じてしまう。まあ、僕の妄想も最近は・・・「またいつもの妄想ね」と思われているのであろうが・・・・
まあ、ブログとは所詮、「電子的我儘絵日記」であるからして、現代の俗世の読者に媚びずに、後世の崇高な未来人達に読み継がれるようなブログを目指したい・・・(大いなる笑い)
またまた、例の妄想が出たようだ。タミフルはやはりヤバいのだろうか? だが、医学界のために、浪速の浜ちゃんに負けるな・・・
でもねぇ、やっぱり本音は「遊んで暮らして税金なんて払いたくない。税金もらって暮らそうとまでは思わないけど・・」である。
今年は、今年も色々とあった。復興・復興と税金がつぎ込まれ、仙台では高給外車が売れまくり風俗産業も大繁盛・・・とかいう話を聞くと、なんか一段と寒くなる。ホントか嘘か知らないが、将来の東京大震災の時に日本が滅ぶのを糞みたいな政治家が守れるとは思えない。
そんなに税金を持ってかないで・・・・と、叫べどなげけど、バカに何言っても聞こえないのであろう。オイ、聞いてるか? アンポンタン野田・・・
それでは皆様、よいお年をお迎え下さい。
タミフルの妄想副作用が本日は強烈だったようで・・・ 悪しからず
二年前の冬に始まって、昨年・今年と続いたNHKドラマ【坂の上の雲】が先日完結した。噂では250億円もの巨額の製作費を投じたとも言われるが、素晴らしい作品に仕上がったのではなかろうか?
2年前から僕は小説が半分も進まず頓挫しているが、司馬さんの作品は詳しすぎて、多くの一般人にとっては「ハッキリ言ってどうでもいい」くらいに細部まで描こうとされているので、あの明治の時代の「まことに小さな極東の島国が開花期を迎えるその昂揚感」をひろく現代の日本人に教えてくれる代金としては250億円は安いものだと感じている。クダラナイ民主党予算案に比べれば、宝石とゴミくらいの大差があろうというものだ・・・
http://blog.m3.com/BackToTheStreet/20091215/1
http://blog.m3.com/BackToTheStreet/20091230/3
しかし、ドラマはドラマ・・・ 史実とも少々異なる場面があり、原作小説とも少々異なる。NHK大河の龍馬伝も史実と異なる人々の交わり・出会い・共同作業があったが、歴史ドラマとしては疑わずに信じるひとも多いだけに少々疑問もある。しかし、どうせ小説であり、どうせドラマであるから面白くためになり明日への糧になる方が好ましいとも言える。それに、史実や歴史自体も観方によっても時代によっても異なる「事実」もあるのだから・・・
この【坂の上の雲】の最期で一番胸に響いたのは、バルチック艦隊を撃破して日本に凱旋した秋山真之が妻に涙を見せるとこだった・・・「海軍を辞めようと思う。わしは坊さんになりたい。あまりにも多くの戦死者を見てきた。あまりにも多くの人を殺してきた。対馬の海には多くの日本人やロシアの兵士が沈んでいる。わしは坊さんになってその人達のために手を合わせ供養していきたんじゃ・・・」 表現は少々違おうが、そんな感じのセリフだったと記憶している。
「坊さんになりたい・・」とは僕自身時々思うことでもある。医師としての反省や限界、生命に対する畏怖の念や魂への畏敬の念、そして長い長い永劫の時の流れへの思い・・・ 坊さんになって、神官になって・・・単なる現実逃避の策かもしれないのだが。
秋山兄弟も東郷も、あの時代の誰もかれもが英国・米国・ロシア・フランス・ドイツなどの列強に留学し、祖国に戻り強烈な熱意で「まことに小さな国」を列強に挑むほどに引き上げたんは確かだ。
陸軍で203高地作戦の指揮をとった乃木も児玉も留学こそしていないが、明治10年2月の西南戦争において、西郷を旗印に立て太政官政権を打倒しようとした薩摩軍と熊本城でともに戦った連中でもある。鳥羽伏見の戦いから連綿と続く兵士としての歴史や鍛錬があった。
ある人々が目覚ましい何かを成し遂げるにあたり、いきなり何か強力な力や作戦が湧きあがってくるのではなく、地道な経験や一見無駄かと思われるような遠回りの留学の様な勉学や研究を積み重ねることが功を奏する場合も多いのである。ある民主党のアンポンタン女性閣僚が「2番じゃだめですか?」とか「科学関連基礎研究予算を削減」しようとしたのは、アンポンタン政府の典型を見る思いであった。
前にも何度も書いたが、昨今の医師研修制度や医局制度変更の最大の問題点は医師不足や医師偏在などではなく、若き医師が大いなる憧れをもち熱意を抱いて、地道で遠い回り道をしてでも日本の医学のために貢献していこうという夢を妨げ閉ざしてしまったことに他ならない。
今や若き医師の世界に「坂の上の雲」なるものが見えているのであろうか? 存在しているのであろうか? そして、ある若者が世界に飛び出していかんとする意欲に現在の医療制度は堪えられるのであろうか? チョット、いや大いに疑問である。
確かに今、英国はたそがれ、EU諸国は経済に苦しみ、米国は戦いに多くを奪われてしまっている。中国やロシアは間違った繁栄を享受し、資源大国はバカな子供の様に遺産を使い果たそうとしている。そして日本は・・・アンポンタンの過度な平等思想に脳をグチャグチャに掻き回され無力化されてしまったようだ・・・
鳩山・菅・野田と続くオメデタイまでのアンポンタン総理のお陰で、「坂から転げ落ちても立ち上がろうともしないで寝転んでアメをなめている糞みたいな国」に民主党がしてくれた。その糞の代表である悪党枝野の愛読書が「坂の上の雲」だとは聞いてあきれる。
お前、ホントに読んだのか?
あと数日で2011年も終わる。今年の暮れは大震災のせいなのか、どうしても患者さんの死のことが心の中の多くを占める。これまでにあまりなかったことだ。
開業15年近くになって、永く診療して来た患者さんを多く亡くすようになった。開業医を続ければ続けるだけ多くの親しい患者さんを喪うのはしかたないことなのかもしれないが・・・
先日の非常に寒かった日が続いた晩に地元警察署の刑事さんから電話があった。今月になって2度目だ。その前は随分と無かったのに・・・。警察からの電話、特に刑事さんからの電話は思いっきり心臓に悪い。何であろう?と訝しがりながら電話に出ると、案の定、かかりつけ患者の突然死の話だった。
独居高齢女性の自宅内での突然の死・・・ まだまだ死をスグに予感させる病態ではなかった。80歳を超えるとはいえ、正直なところ想定外だった。
街がクリスマスムードに賑わっていた頃、その女性は自宅内で一人さびしく死亡し、開業医の僕は警察の車に迎えに来てもらい検死に出かけた。とても寒い晩だった・・・
刑事さんの対応や言葉遣いはとても紳士的で丁寧だ。後部座席のドアまで開けてくれる。しかし、検死先のご自宅に到着するまで、僕からは様々な患者情報を聞き出そうとするけれども、僕がどのような状況で遺体が発見され何が死因として疑われるのか聞いても答えてくれず、上手にはぐらかされた。自分としては、基礎疾患や季節的なこと、過去の病歴などから数種類の死因を想像し考えを巡らせるのであるが、「死亡されて発見された」としか情報をくれない。恐らくはマニュアルがあるのであろう、開業医も死因に関与している犯人候補として、「犯人しか知りえない証拠」を事前に被疑者の開業医には教えないマニュアルなのであろう。
患者さんのご自宅に到着し、遺体発見の状況を教えてもらい、恐らく死後数日が経過した「外因死」としか思えない変わり果てたご遺体と対面した。顔を拝見するもつらく、思わず手を合わせ眼を閉じた・・・
死因は誰の目にも明らかだった。開業医には落ち度は無いハズ、それでも事前には情報を流せないのであろう。判らないでもない、他殺や医療事故(ミス)の線も最初から排除するわけには行かないのであろう。捜査当局にとってはあくまでも「異常死」で、僕はとりあえず被疑者なのだろう・・・ ただ、司法解剖に至るか否かは検死における医師の意見も重要の様だ。今回は司法解剖にまでは至らなかった様だ。
あの優しかった柔和な笑顔の患者さんの変わり果てた姿が眼に焼き付いたつらい検死を終え、刑事さんの車で診療所に戻った。帰りは若い刑事さんが色々と患者さんの話の相手をしてくれた・・・
独居高齢女性の自宅まで凄く遠かった。バスなどの公共交通機関はなく、もしタクシーを利用していたなら往復5千円以上はするであろう。彼女は10年前にどうしてそんな遠方から通院されるようになったのであろうか?
一人暮らしのご自宅はとてもよくかたずけられ、今すぐにでも来客を迎えられるほどだった。元教師だったということも後から知ったが、診療所に帰って古い初診時の問診表に書かれていた「@@さんの妹さん」ということで、遠距離の来院理由に僅かばかりの合点がいった。あの@@さんの妹ならあのかたずけ様は想像がつく・・・なるほど、80歳過ぎてもシャキッとされていたのも頷けた・・・ だから縁を信じ、はるばる遠方より来院されていたのだと、感謝の思いを新たにした。
それにしても12月の独居高齢者の自宅内孤独死は非常に増えているようだ。特に寒い日の入浴は問題が多い。浴槽内で死亡のケースも少なくない。特に今は原発停止のために節電要請までされており、寒い日の孤独死は医師にとっても残念で悔しくて、医師としての限界を感じる時でもある。
やはり独居高齢者の問題はどうにかしなければ。認知症グループホームの入居者は手厚い介護体制で僕にも皆さん幸せそうに見えるのである。
もともと恐らくはクリスマスなど興味も無かったであろうが、街にイルミネーションが燈るそんな季節に孤独死を迎えるなんて・・・もっと高齢者の孤独な最期の様子が政治家達に理解してもらえるならば再び良き日本に戻れる気がするのであるが・・・
やはり亡くなった患者さんとの対面は悲しいものだ。特に検死でご自宅に赴くのは非常につらい。
昨日の日曜日は久しぶりに仕事も用事も遊びの予定も無く、ゆっくりと家で過ごした。ただ、外は非常に寒かったので愛する美しい妻と映画に出かけた。しかし、各地の原発がドンドン止まり節電中なのか、外と同じく映画館の中も寒かったので妻は風邪をひいたようだ。久々に妻と一緒に2本観たが、こんな週末もあっていいだろう・・・
一本目はトム・クルーズのミッション・イン・ポッシブル(ゴースト・プロトコル)、シリーズ4作目である。少々お高いが、せっかくなので「IMAX」シアターで観賞した。
IMAX用カメラで撮影された様だが、確かにIMAX向きの作品だ。音も映像も充分に興奮させてくれる。ついでなら、ドバイやムンバイのシーンでは室温を挙げてくれれば一層臨場感も増しただろう。原発停止はつらい・・・。
このシリーズは毎回期待を裏切らないので好きだ。トムクルーズの笑顔がなんとも美しい。まるで鏡に映る自分を見るかのようだ。オープニングのシーンはブタペストの駅だったが、1990年の夏にあの駅に行ったことを想い出し懐かしくなった。クレムリンが吹っ飛ぶシーンも現実離れして素晴らしいが、何もあそこまでやらなくても・・・と思う。
2本目は、妻のリクエストで「ニュー・イヤーズ・イヴ」を鑑賞した。ずっと旅行に連れて行ってあげていないので現実逃避なのだろうか? 12月31日のニューヨークを舞台にした単純明快なラブストーリーで、タイムズスクエアの巨大ボールの落下カウントダウンも主人公の一つである。何組もの男女の様々な想いとともに大晦日が過ぎゆくのは、ホンの僅かな例なのであろうが、こんなホノボノとした映画も今年のニューイヤーズイヴには良いかもしれない。ラストでも「今年は地震や洪水もあったけど・・・」という言葉も出てきたし、大震災や津波を意識して創られてもいるのだろう。

1991年の大晦日、僕と妻はニューヨークにいた・・・のだが、タイムズスクエアは危ないんじゃないか?と敬遠して、プラザアテネの部屋のテレビで眺めながら、ベッドで新年のキスを交わしたのを覚えている。キスだけだったかどうかは覚えていないが、新婚だったので多分・・・・やっぱり覚えていない。
この若い男優さん、初めて観た気がするけど・・・なかなかに素敵だった。Zac Efron という名前らしい。明るく 爽やかで 献身的で 面白く フットワークも軽く ぜんぜん奢ってない・・・現実にいそうでいないタイプかも。まあ、シンプルでも愛の大切さを感じさせてくれる映画だった。妻も久々にニューヨークを想い出していた様だ。妻の方はあのプラザアテネの大晦日の事は鮮明に覚えているのだろうか?
モノホンのNew York に愛する妻を連れていける日がまたくるといいのだが、開業医は休みが取れないので困ったものである。勤務医のママの方がよかったかも・・・
【春日若宮おん祭】で、12月17日23時50分に【還幸の儀】を観終わった後、しばらく深夜の春日大社境内を彷徨って、真っ暗な奈良公園の中の長い長い参道を三条通りを目指して安ホテルへと戻った。
前夜は3時間程しか眠れず、土曜の午後もキッチリ診療して出かけてきただけに、深夜のご帰還は中年メタボ開業医の運動不足の身体には寒さ以上にコタエタが、翌18日は久々に約6時間も眠れて、爽やかな気分でJR奈良駅から驚きのワンマン電車で天理市へと向かった。
正直に言うと、教科書に出てくるような歴史にそれほど興味もなく、精通どころか人並み以下の知識しかないのであるが、なんとなく最近は「古代奈良」がマイブームである。京都よりも静かな奈良・・・、謎や不思議さが満載の奈良は知れば知るほど面白い。ただ当地からは距離的に行きにくいのが難点だ。僕には土曜の夕方から日曜深夜までが精一杯の自由時間だから。もちろん、天皇誕生日の今日23日も、一日中夜まで本業のお仕事中である。
無計画旅行が僕の身上であるだけに、天気はよく調べるが、いつも予習は少ししかしていかない。専ら帰宅後にネットで復習をするだけだ。だから今回の【山の辺の道】も、色々後から調べたのだが、続々と謎や不思議や嘘か真か判らないような歴史物語が判ってきて、そのあまりの多さと真偽不明の点から今日の記事では知ったかぶりは出来るだけ避けて、ボンヤリとテクテク一人で歩いた「天理市石上神宮から 桜井市三輪山(大神神社)、そして箸墓古墳までの長閑なハイキング」を書き残したい。様々な歴史的興味は各自お調べになって頂きたい、書かないので・・・ 膨大すぎて書けないのであるが。
信仰の街、天理市街地には見向きもせず、タクシーで日本最古の神社(神宮)らしい石上神宮へ向かった。乗り込んですぐ、イワノカミ神宮へ・・と言ったものだから簡単に他所者とばれてしまったようだ。実はイソノカミ神宮と読むらしい。イシノウエ神宮と間違えない様にと何度か唱えてタクシーに乗ったのに情けない。しかし、お陰でタクシーの運転手から「今から山の辺を歩くの?」と聞かれ、おおよその時間や登れないと思っていた三輪山への登山方法を教えてもらった。やったぁ、あの三輪山に登るぞ・・と、ウキウキしながら山の辺の道を歩むことになった。
石上神宮へ着くと、長鳴き鶏の出迎えを受けた。伊勢神宮より古いらしい神宮の境内には何羽もの鶏が放し飼いされていて美しい声を聞かせてくれる。いつ頃から居るのであろうか? 境内に柿本人麻呂の歌碑が2カ所あったが、その頃から居たのだろうか? まさかねェ・・
未通女等が 袖布留山の瑞垣の 久しき時ゆ 思ひき吾は(万葉集) *石上布留の社の瑞垣が長い間あるように、私はあなたを久しい間思っていた。
ということで、国宝が幾つもある物部氏縁の神宮から「山の辺の道」をスタートした。スグに普通の舗装された田舎道に出てしまったが、数分のうちに松尾芭蕉がまだ宗房と名乗っていた頃の句碑に出くわした。今は廃された内山永久寺のそこは境内の一部だった。今は畑と池だけだったが・・・
うち山や とざましらずの 花ざかり (大和巡礼) *今、内山永久寺に参拝してみると、見事なまでに満開の桜でうめつくされている。土地の人々はこの桜の花盛りをよく知っているのであろうが、外様(よその土地の人々)は知るよしもない。
・・・と、そこでイニシエの大和に想いを寄せていたら、けたたましく僕の携帯電話が鳴った。「@@の娘ですけど、40度近い熱があります。今から診てもらえますか?」とのことだった。彼女には僕が山の辺の道で芭蕉や人麻呂と旅していることなど知るよしもなかったであろう。便利なのか、不便なのか・・・昔の人は携帯電話をどう思うのであろうか?
一応、親身に相談に乗って救急病院の名を挙げ急いで受診していただいた。翌日知ったが、肺炎だったらしく、即入院で、ご家族に感謝された。治すのは別の医者なのだが・・・
鄙びた夜都伎神社にお参りし、左手に低い山並みを眺めながら歩いた。少しずつ古墳が道の両側に見えだした。
奈良盆地は古代大きな湖だったようで、その山裾の湖岸の道が山の辺の道として、幸いにも開発を免れて古墳も遺跡も細く曲がりくねったイニシエの道も残ったのではあるが、この辺りは果物畑で生計をたてる家が多いらしく、ある小振りな古墳は全体がミカン山になっていた。長閑と言えば長閑だが、祟りなどないのであろうか?
時間の関係でいくつかの環濠集落や大和神社を素通りし、真言宗の長岳寺も入山料が必要だったので遠慮した。他の人も遠慮していたので、崇神天皇陵横の蕎麦屋さんで早めの昼食をいただいた。ここで距離的には約半分だ・・・
この第10代崇神天皇は神武天皇と並び「最初の天皇」と称されているらしいが、そう言えば一番美しく整備されていた様だ。一説によると、ヒミコの後に女王となった台与が東征したのと関係があるらしい。また、その前後で皇統が途絶えてるとか・・・あんまり秘密に関わるのはよそう。
まあ、寒空に暖かいネギ蕎麦は美味しかったが、その崇神天皇陵からちょっと外れた場所に黒塚古墳があった。ここは「鹿男あをによし」で綾瀬はるかチャンが登場した場所だったので、絶対に行くぞ・・と心に決めていた。まあ、静かな場所だった。あんな風に埋まっていたのかと初めて知った。しっかりドラマ・ポスターが今も貼ってあった。綾瀬チャンのポスターがあればもっと良かったのに・・・ 係りのオジサンも超ヒマそうだった。
この辺りはホントに古墳ばっかりだ・・・ アッチも古墳、コッチも古墳、ホントは天皇陵すら誰のものか判らないらしく、判った方がいいのかどうか・・・そこが問題なのだろう。
そんなこんなで、大きな景行天皇陵の横を抜け、「纏向遺跡の範囲」に入った途端、素晴らしい景色が眼に飛び込んできた・・・遠くに鮮やかにクッキリと姿を見せたのは畝傍山と耳成山だった。天香具山はなだらか過ぎて判然としなかったが、それら大和三山は実に美しかった。樫原や明日香あたりから観る以上に感じるものが僕にはあった。古代の人にはどう映ったのだろう?
巻向の山道とよみて行く水の みなあわの如し 世の人われは(万葉集) *巻向の山辺をどうどうと音を立てて流れ行く川の水泡の様なものだ。この世のひとであるわれらは
三輪山と巻向山の間を流れる巻向川を渡る前の柿本人麻呂の歌は、最近患者を多くなくしている開業医としての今の僕の心境に近く、その想いを抱きながら川を渡って三輪山の裾をゆっくりと歩いた。
三輪山をご神体とする大神神社の摂社の一つである檜原神社は伊勢神宮へ天照大神が遷坐されるまで祀られていた「元伊勢」とも呼ばれる神社らしいが、そこから正面に見える二上山の山頂に悲劇の大津皇子の墓があるとは・・・印象的な景色だった。美しい山容である。
http://www.geocities.jp/yasuko8787/0-mokuzi.htm
この辺りは数々の謎や不思議の多い場所らしく、多くの歴史研究家がHPや著作でなぞ解きに挑戦していて実に面白い・・・少々不謹慎ではあるのだが。上記HPは元数学教師の大和研究らしい。面白い・・・
もうスグ、午後2時・・・三輪山への登山口は摂社の一つ、狭井神社と天理駅からのタクシー運転手に聞いていた。寄り道はホドホドに早く行って神の山に登ろう・・・と、目指す狭井神社到着・・・2時5分だった。沢山の人々が思い思いのリラックスした格好で下山してきている。あの小さな鳥居の先が神の領域なのだろう。
http://www.youtube.com/watch?v=uKMogbBv4dQ
後で調べたら・・・あの先はやはり一切の撮影禁止の聖地なのだそうだ。パワースポット中のパワースポットなのだろうか? しかし・・・・、非常に残念なことに登山は2時まで厳守だった。どっかで寄り道したのが拙かった・・・次回のお楽しみに取っておくこととした。
しょうがないので、「神の水」を100円で買って家にお土産に持ち帰ったが、家族からは「オカルトにハマりそうで怖い、パパ・・・ 大丈夫ですか? 元科学者じゃなかったの?」と呆れられたので自分で飲みほした。体調は・・・変わらない。
ただ、ここと大神神社の間に「薬の神様」があったので深々と頭を下げて「来年も当院が潰れませんように・・・」と祈ってきたので大丈夫だろう。診療報酬が下がらないニュースを後で知った・・・これも御利益か???
そして、とうとう三輪山をご神体とする三輪明神の中心、大神神社に参拝をした。せかっく遠方から来たので、拝殿に登って御祈祷をしてきた。神楽まで舞っていただき、有意義な時間を気持ちよく過ごせた。三輪山は登らなくても感じるだけでもいいと思う。
そして、名残惜しげにトボトボと一ノ鳥居まで下って鳥居越しに三輪山を見上げると、それはそれは美しいお姿だった・・・
せっかくここまで来たので、三輪そうめんは諦めるものの、電車の時間が心配だったのだが、ヒミコとの関連を噂される古墳時代前期最大の箸墓古墳の横を通って巻向駅へと歩いた。(ただ、僕自身は邪馬台国は九州筑後説である) 途中、奈良行きの電車が見えて不安がよぎったが、確かに駅で40分以上待つはめになった。この箸墓も相当にいわくつきの謎多き古墳らしいが、横を歩いても、この寒い季節の夕方にやってくるモノ好きとは全く出会わなかった・・・
こうして、一日かけて【山の辺の道】を歩き、無人駅のホームで寂しく電車を待ちながら、ヤマト王権の時代や飛鳥時代、そして邪馬台国の謎などを思い返した。
しかし、絶対に邪馬台国がこんな場所にあるはずが無い・・・大陸や半島からあまりにも遠すぎる。やはり、ヒミコが死す248年までのオリジナル邪馬台国は九州筑後にあって、ヒミコの死後に女王となった台与が東征して大和王権の成立に深くかかわった・・・と信じる。
そして僕は、夕暮れの巻向駅から各駅ワンマン電車に揺られ、昔の人々の【東征】を巻き戻すかのように・・・飛ぶように西に向かって、光輝く現代の街に数時間で戻ってきた・・・・
また、いつか旅したい場所だ、奈良・大和路は・・・
これで、奈良の旅の記事は終わります。読んでくれてどうもありがとう
土曜午後4時の診療時間終了と同時に診療所の電話が鳴った。永く通院して頂いている高齢女性の娘さんからだった。「急に具合が悪くなって・・・、今から診てもらえますか?」と、電話を受けた事務嬢が内容を伝えてくれた。普段ならかかりつけ患者の場合には出来るだけ受けるようにしているが、その時は「黙ってたけど今から旅に出かけるので救急病院へ行くよう伝えて・・」と断ってしまった。
普段は陽気で元気な人なので、自分で電話しないのは余ほど悪いのかと電話を切った後に思ったが、どうせ診察できないので心を鬼にして出発してしまった。数日後に本人が来院して、「あれは孫のことでした。私じゃなかったんです、ごめんなさいね」と言われ、みんなでホッとして、そして笑った・・・

そんな秘かな心配を胸に、新幹線と近鉄特急を乗り継いで夜の9時半に奈良市内三条通りの安ホテルにチェックインし、すぐさま春日大社方面へ歩いて向かった。
毎年12月15日から18日まで開催される【春日若宮おん祭】の中で、僕が最も興味を引かれて今回突如行く気になったのは、17日の行事の内容だった。幸いにも今年は土曜日の深夜だった。
17日深夜0時を過ぎた頃、春日大社の摂社である若宮神社のご神体(神様そのもの)を奈良公園内の「お旅所」に運んで、数々の神楽などの芸能を一日中捧げて、夜11時が迫る頃に若宮神社へお戻りいただくのであるが、その最期の【還幸の儀】というものに非常な興味を抱いたのである。
その「一ノ鳥居」の先にある「お旅所」に着いた時には美しい装飾が施された大きな太鼓を打ち鳴らす音と、20名ほどの笛などが延々と奏でるなかを不思議な衣装をまとった演舞者の舞が佳境を迎えていた。
我々観客ではなく、神様の方を向いての芸能奉納は12世紀より途絶えることなく続いている歴史的品格を感じた。このような様々な芸能をずっと寒空の下で一日中行うのも、そして800年以上も守り通すのも尊敬に値する。
夜10時半過ぎ、奉納芸能を堪能された?神様を若宮神社にお戻り頂く時間となった・・・【還幸の儀】であり、24時間に渡り行われた全ての行事のフィナーレである。凄かったのだが、写真や動画をお見せできないのが残念である。というのも、カメラどころか、懐中電灯も自動販売機の電気も、公園内の街灯も、とにかく全ての光るものと撮影は禁止されており、その荘厳さは現場で寒さに震えながら体験しないと判らないと思うし、僕も伝えきれない。一応、記述してみるが・・・
22時40分、観客?達は「お旅所」を出て春日大社への参道の両側に並んで神様が前をお進みになるのをお待ちした。その時点でも相当暗く、数名の人が道端の深い溝に落ちて怪我されてしまうほどだった。そんな中で驚いたのが、それまで静かだったカラス?達が一斉に奈良公園内の木立の中でガーガー鳴き出したことだった。まさに神様が動いた・・・と感じ、ゾクッとしてしまうほどだった。
そして、完全に全ての灯りが消え、神様を送る神官たちの行列の先頭で二本の大きな松明に火がともされた。その松明は参道の両側を引きずられ、チラチラと火がついた木屑を真っ暗闇の道しるべの様に足元に描くように幻想的な道を灯してくれた。その灯りの道に導かれるように神様を運ぶ20名ほどの神官たちが進むのだが、これがスゴイ・・・
暗いからだけでなく、神官たちにがっちりガードされて神様の姿は見えないのだが、神官たちの怖くなる様な唸り声のコーラスがずっと続く。それは正に「見てはならないもの、触れてはならないもの、描いてはならないもの」と感じさせるに充分な唸り・・・だったと今でもゾクゾクしてしまう。
その匿われた神様の後を200名ほどの神官や芸能関係者が歩み、その後に500人以上かと思われる観客・信者・もの好き達が続くのである。真っ暗な中、道端の溝に落ちまいと、松明の残した僅かな灯りを頼りに我々は黙々と身を寄せ合って春日大社の方向へ歩いた。だが、実際には黙々とではなく、関西弁で他の人の世間話を延々と聞かされて、折角の神聖な行列が世俗的な見世物に落ちる危うさも感じながら初めての春日大社境内へと真っ暗な参道を進んで行った。
恐らく1km以上は歩いたと思うが、若宮神社の神様が無事お戻りになられた23時40分、ポワン・・・と境内の灯りが点った。美しい朱色の春日大社を僕が生まれて初めて見た瞬間でもあった。真っ暗な中を進んでイキナリの点灯なので、幻想的な「神様の居場所」に浮かんでいるような気さえした。
全ての観客・信者・もの好き達は参拝を終え、夫々に勝手に帰宅するのであるが、僕は他の人に続くように深夜の春日大社の境内をアチコチ歩きまわった。正直なところ、真夜中の霊験あらたかな神社をうろつくのは良くないことと思う。結構怖いモノがあった・・・ 更なる寒さが身を凍らせてくれた。
足早に参道に戻って「お旅所」を抜け「一ノ鳥居」をくぐり、興福寺と猿沢の池の間の三条通りを進んだ。もう五重塔のライトアップは消えていた。途中、多くの酔っ払いや学生コンパ帰り連中と出くわしたが、奈良の住民さえ行かない深夜の儀式に遠路遥々参加する開業医も滅多にいないだろう?と我ながら少々呆れたものである。
このような画像も音声も体感温度も残せない祭が古都のど真ん中で800年以上も続いて行われてきたなんて・・・やっぱり凄い。皆さんも一生に一度はいかがか? でも雨天や雪の日はどうしたのだろうか? そして、帰宅時のために懐中電灯はお忘れなく・・・帰宅時の奈良公園内も真っ暗闇だから。なんか「鹿男」に付け回されている気がしたものだ。
奈良の旅(3) 【山の辺の道】へと続く・・・
どうも最近は、本業のあまりの忙しさと開業医としての労務関連の気苦労に一人悩み、また50歳を過ぎたあたりからの「人生の過ぎゆく速さ」に恐れを感じて、時を追うように日々を過ごしている。最近、僕と会う人は口々に「お疲れのようですね。どっか悪いんですか? 何か悩みがあるのか?」と気遣ってくれるのだが、半分は遊び疲れなのでご心配なく・・・
そんな訳で、先々週の【宮島・弥山登山の旅】に続き、先週末は奈良・大和路を一人旅した・・・もちろん、出発は当日に決めたのだが、前夜に約3時間しか眠れなかったので我ながら無謀な計画だったかもしれない。しかし、時は僕を待ってはくれないし、僕には土曜日の午後4時過ぎから月曜日の朝8時までの時間しか事実上許されていないので、「行ける時に行くぜ・・」と最近は考えるようにしている。今は携帯電話がどこでも繋がるので、フラっと出かけてから行方不明で困ることもないし・・・
奈良には中学の修学旅行以来何度か旅したことがある。ここ数年は京都よりも興味が強くなり、明日香方面に2度、奈良市内の若草山にも登り、京都と奈良の間の浄瑠璃寺へも訪れた。ただ、なかなか行けない場所もあって、今回ふとしたことから一泊で奈良へ出かけることとなった・・・代表的パワースポット、春日大社と三輪山の神性に触れ、健康を兼ねて古道「山の辺の道」を歩くことが目的である。
以前に飛鳥を何度か旅して感じたことは、この前は一体どこ?という素朴な疑問だった。また、畝傍山・耳成山・天香具山の大和三山が束になっても敵わない三輪山の神性は何故なのか? そして、箸墓古墳はホントに邪馬台国・卑弥呼と関連する遺跡なのだろうか? などの興味が湧いてきた。
飛鳥時代と言えば、古墳時代を経て6世紀の仏教文化との関連が深まり、蘇我氏や中臣鎌足、そして聖徳太子などを思い浮かべるが、奈良の始まりは修学旅行や観光客の多い高松塚古墳や石舞台などのある明日香村ではなく、やはり現在の桜井市付近である様な感じがする。特に、山自体が御神体である三輪山には一度行ってみたかった。前回の宮島・弥山もそうであったが、「神の山」と祀られるにはそれ相当の理由があると思うからだ・・・
また、中臣鎌足が死の床で藤原の姓を授かり、その藤原家が連綿と日本の中心を担い、かの猿と呼ばれた木下藤吉郎、後の羽柴秀吉、豊臣秀吉までもが関白の地位に登り詰めるために「藤原」の姓を必死で求めたことなど、その藤原氏の神社「春日大社」には行ってみたかった。
東大寺など奈良の寺院の有名所には一応何度か足を運んだことはあったが、不思議と春日大社にはこれまで行ったことは無かった。ただ、NHKの番組などで、春日大社の裏の原生林の姿とか、暗闇の中で神様を遷坐させる神儀などを観た記憶が不思議と消えずに残り、最近になって偶然にも12世紀から800年以上連綿と続く【春日大社若宮おん祭り】の存在を知った。そして、それが毎年12月17日に中心行事がおこなわれると知ったのは数日前だった。

今年は偶然にも17日は土曜日であり、春日公園内の「お旅所」から春日大社の摂社である若宮へ戻る「還幸の儀」が夜11時頃から行われると知り、これならなんとか土曜の4時まで診療を終えてからも間に合うかもしれないと天気も確かめた上で旅だったのである。当然、新幹線の切符は当日駅で購入し、奈良市内のホテルは京都駅付近を走る新幹線の車内から数時間前に予約した。年に一度の大祭だというのに、僕の様なモノズキはあまり多くは無かったようで、ホテルの当日予約は楽勝だった。ただ、凄く寒い夜だったのではあるが・・・
奈良の旅(2)【春日大社若宮おん祭り】へと続く・・・
とうに紅葉の季節が過ぎ去った後に、安芸の国・宮島の紅葉谷などへ出かけてきた・・・開業医の日帰りの旅は想像以上に楽しかった。
先週の土曜日の夕方、例によって愛妻に・・「ねぇ、明日の日曜日に居なくてもいいかな? 厳島神社にいってみようかなと思ってるけど・・」と恐る恐る訊ねたが、愛妻は快く、「いつもお仕事ご苦労様、日曜日くらいご自由にどうぞ。天気も良さそうだし」と快諾してくれた。
翌日曜日の朝、まだ暗い街から新幹線に飛び乗って広島の街に降り立った。広島は生まれて二回目、宮島は初めてだ。原爆ドームの横から川を下って海を渡る「世界遺産航路」という名前に魅かれて船を選択した。
宮島口までのJRとフェリーがめんどくさかっただけであるが・・・でも、正解だったと思う。
船の上から初めて見る宮島はカッコ良かった。今日の目的の一つは宮島の霊峰、弥山529mだったが、アレがその頂きかな?と思いつつ50分ほどで宮島に到着した。
最初は厳島神社を先にみるか、登山を先にするかしか考えていなかったが、全く初めてだったし、10時開始の500円の90分公認ガイドツアーに参加することにした・・・でも、正解だったと思う。
ただ一つの不安は、港前広場に集合したヘルメットと作業服姿の数百人の人々。ヤバそうな右翼とかではなく、普通の消防訓練にも見えなかったのだが、実に物々しい感じだった。ガイドの話では、「数ヶ月前に島の誰かが山で行方不明になって今日は一斉捜索があるんですぅ。ヘリの爆音でうるさいし、ちょっと物騒ですが、厳島神社へは来ませんから。で、どなたかツアー後に山に行かれますか? あら、行かれますゥ? 遭難しないよう気をつけて下さいねえ」との事。一気に冷や汗が・・・神様の島で・・・初めてなのに、縁起でもない。
でも、ガイドさんがいうには、「もうスグ、満潮です。皆さん幸運ですね・・」とのこと。僕は満潮が幸運なのか、干潮が幸運なのかわからないが、僕が幸運だったのは、弥山に登って降りてきて、ちょうど干潮の時刻だったことだろう。
初めてなのに、満潮と干潮の両方を見れた・・・その間、6時間。これから宮島に行く人は是非とも潮の時刻を事前に確かめて行かれることをお勧めする次第だ。

そうして公式ガイドツアーを満喫して、世界遺産・厳島神社で参拝して、既に紅葉の散った紅葉谷へ向かった。弥山登山のメインルート?「紅葉谷コース」である。ちなみに下りは「大元公園コース」を選択した。
圧倒的に「大元公園コース」が素晴らしく、不思議なことに、半数は外国人の登山者(ハイカー)だった・・・「紅葉谷コース」は日本人ばかりだったのに。
それにしても世界遺産の島の霊山・弥山(みせん)は予想外の素晴らしさだった。海抜0mから529mまでよく整備された階段の多い登山道を登れば、400mほどの高さでロープウエイからの人々と合流する。そこからの700mの距離も展望が開け、ほどよい観光になるので、宮島に行かれた際はぜひ弥山の山頂を目指して下さい。
そこには想像を超えた巨石と瀬戸内海の穏やかな風景が迎えてくれます。
http://www.earthkeeperh3.com/truth/misen.html
もしもあなたに余力があって登山が好きならば、是非とも500m離れたピーク、「駒ヶ林」を目指して欲しい。神秘の弥山より更にスゴイ巨岩で頂上は覆われている。
手前の岩が「駒ヶ林」山頂で、アッチが弥山である。そこで戦国時代に「厳島合戦」が行われたとはビックリである。軽装の僕はへろへろだったのに。

しかし、そんなへろへろ状態の中年男を「大元公園ルート」の原生林と巨岩群は魅了してくれた。花崗岩の実に素晴らしい景観であった・・その公園の紅葉は既に散っていたが。
まあ、そんな素晴らしいルートを堪能して、もう少し「干潮時刻」には間があったので国民宿舎で立ち寄り湯を利用し、汗を落とし身を清め新しいパンツをはいて、再び神聖なる厳島神社に向かった。
そこには6時間前と全く異なる景色が展開し、さすがは世界遺産、さすがは清盛・・・と、松山ケンイチに顔とスタイルで似ていると言われる僕がうなったほどである。
そして、すっかり厳島神社と弥山の虜になった僕は、一気に腹が減ってしまい、香ばしい焼き蠣と生蠣、そして広島に戻って焼きそばに満足して、再び新幹線に飛び乗った・・・
実はお好み焼きは初めてだったのでH屋本店という有名店に行ったのだが、有名店は避けるべき・・・という教訓は正しいと感じて眠りについた。
でもまあ、有意義な楽しい日曜日の開業医の旅だった・・・正解だったと思う。
今日、もう15年間も診療を続けてきた女性の妹さんの話をうかがった。自分よりも先に突然死されたとかで、悔やまれていた。その話の中で、彼女がもう一つ驚き悔やまれていた話があって、どうも一般にはあまり知られていないようなので、ご紹介しておきたい・・・
その妹さんは独居高齢者で、自宅で誰にも看取られず亡くなった。心臓病の持病があって、ペースメーカー植え込み手術をされていたから、突然死自体は年齢的にも親族はそれほど驚かれなかったらしい。もちろん悲しい話ではあるのだが。
僕ら循環器系医師だけでなく、医師や看護師は死亡後のペースメーカーは取り出して火葬すべきものということは常識と思うのだが、今回の様に自宅での突然死で病院内の死亡ではない場合には、ペースメーカーの死後処置をせず火葬するケースがあるようだ。
これまで何度も死体からペースメーカーを取り出してきたが、その理由は「火葬時の爆発を避けるため」であることも医療人の常識であろう。ただ、学生時代に教科書に書かれていたかどうかまでは記憶になく、循環器科の診療の場で学んだだけのような気もする。とすれば、日頃ペースメーカー患者に接することの少ない医師や看護師などももしかして知らないのであろうか?と不安になって、某ペースメーカー会社のHPを調べてみた。
http://www.bostonscientific.jp/templatedata/imports/HTML/PatientEducation/Pacemaker/index07.html
その中の【警告:ペースメーカーに関する重要事項】説明の項目だけでなく、全文を読んだが、死後に体外に取り出せ・・との警告文は発見できなかった。土葬が主の米国製品だからという訳でもあるまい。僕がつぶさに読んで発見できないだけなのであろうか? もし書いてあるとしても分かりづらい様だ。
まあ、そんな常識を知ったかぶりするのも循環器科医師として恥ずかしいが、実は「火葬中に爆発したらどうなるのか?」と言うことは循環器科医師のくせに今まで知らなかったのである。
やはり、スゴイ爆発が生じてしまい、『頭蓋骨がかろうじて形状を保っていたものの、大きな太い四肢の骨が木っ端微塵に砕けてしまい、足の骨がどれかわからなかった・・・』とお姉さんが先に気付けなかったことを悔やまれていた。
火葬後に遺骨を親族で拾うということは大切なことであるだけに、是非とも死亡後の取り出しを本人だけでなく家族にも知らせておかねばならないと思い知らされた。何人もペースペーカー植え込み患者を診療しているが、そう言えば家族に元気なうちに話をすることはあまりなかったと反省している。
教科書に書かれているか、書かれていないか? 最近の教科書は読んでないので知らないが・・・