murajun
More プロフィール

Search

Calendar

<< 2011/11 >>
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30

トップページ

Doctors Blog

新着コメント

新着トラックバック

< 前のページ
2011.11.30 21:14 |  開業 / 病院経営  |  murajun  | 推薦数 : 0

学会より ラーメン屋(2)

思い起こせば、今年6月19日の横浜市で行われた透析学会の総会でも、映画とか オペラとか 元春とか 学会に行ったのか遊びに行ったのか全く判らない?行動をしてしまうフトドキな開業医なのであるが、そうでもしないと休みもなく納税以外の楽しみもなくツマンナイ大人として過ごす事になりかねない。

したがって、今現在の僕のモットーは・・・

人の2倍食べて、人の3倍働いて、人の4倍美女を抱いて、人の5倍映画を見て、人の6倍読書して、人の7倍妄想して、人の8倍夢を語り、人の9倍納税して、・・・

人並みに勉強して、人並みに健康で、人並みに家族を愛し、人並みに旅行に憧れ、人並みに犬と戯れ、人並みに涙し、人並みに長生きし・・・

 

まあ、そんなちっぽけな希望しか持てないツマンナイ50男になり果てました。今から30年くらい前はまだまだ夢も希望も今より100倍抱いていましたが・・・

 

さて、肥前の国、佐賀市で行われた透析学会・地方会の会長・閉会挨拶を聞き、真っ直ぐに帰宅するのも折角高速飛ばして佐賀市まで来たのでもったいなく思い、昼休みの中華そば「三九」に引き続き、メタボ対策は明日から・・・と改心して、その夢に溢れた若かりし頃に何度か足を運んだ「一休軒・鍋島店」に向かった・・・

 

日曜午後の4時前くらいの時間帯だったが、狭い店内は10人程の客で予想外の忙しさにビックリしてしまった。後日ネットで調べたら、現在の佐賀市の一番人気は「いちげん」という名前の店で、その主人が修行をしたのが「一休軒・鍋島店」で、その主人が修行をしたのが「一休軒・本店」で、佐賀市の中心部にある・・・ハズであったが、残念なことに今年の8月、昭和30年以来続いた人気店も閉店してしまったという。

 

ここは前の記事の「三九」の従業員が昭和31年頃に創業者に白濁・豚骨久留米風ラーメンの技術指導をしたとことネットには書いてあったが、独自の味で人気店だった。

 

しかし、突然の閉店は二代目店主の体調不良が原因とか・・・何度も通っただけに残念に思う。車で店の前を通り、「あるべき場所にあるべき店がない」ということは非常に寂しいものである。

 

 

さて、僕が溢れんばかりの夢を抱いていた頃に、田舎町佐賀市の更に田舎の田んぼの中に「一休軒・鍋島店」は誕生した。今も佐賀市で3本の指にはいるという「本店」をしのぐ人気店の様だ・・・そうだ。開店当時に何度も行ったことがあるが、独立したのか、あるいは支店を任されたのか知らなかったが、「本店」の中でも一番真面目そうでしっかり者だった主人の夢にあふれた若かりし頃の姿が目に浮かんでくる。

 

車を走らせたら・・・佐賀の田んぼの中にも最近は家が沢山建っていて、何度も道を間違って・・・、ようやく携帯のネット機能で地図を呼び出して検索して判った。時代は変わって便利になったものだ。しかし、店の前に来たら・・・時代は何にも変わって無くて・・・相変わらずの、人気の無さそーな店構え、しかし先述のように今も変わらぬ人気を保っているようだ。何故だろう・・・

 

店内に入ると・・・ あぁ、この人だ・・・ という実に誠実そうな面構えの男性が昔のマンマで粛々とラーメンを作っていた。さすがに30年近い年月で御主人の髪は白くなり、オールバックに変えられ、いくぶん細身になられていた様だ。誰かと違って贅肉は一切なく、淡々と粛々と、ぶつ切りの豚骨が顔を出す窯を前に、「ラーメン一筋・・・」という雰囲気が強烈に漂っていた。元気そうですね、ご主人さん・・・ 

「約30年振りに食べに来ましたよ・・」と、なんども心の中で語りかけましたが、あんまりお客さんが多いので、残念ながらその想いをご主人に口に出して伝えることは出来ませんでした。多分、4時前なのでヒマそうにしてると思って出かけたのに・・・

 

相変わらず「一休軒・鍋島店」のご主人のつくるラーメンは美味しかったです。高速道路のインターに向かう途中の幹線道路沿いに何件も今風のラーメン屋さんがありましたが、「昔ながらの味」もまた格別です。特に、ご主人が開業された当時の様子を知るだけに・・・感慨深い想いでラーメンを有難く頂きました。

 

なにごとも永く続けることは非常に大変です。診療所も続けて人気を保ち、技量も保ち、健康も人間性も保って地域住民に愛され続けることは大変難しいことですが、ぜひそんな医療機関としてこの先も自分なりに頑張って続けて行きたいと思わせてくれる実に有意義な【肥前・佐賀、ラーメンの旅】だったと思います。

これで、「透析学会」参加記を終了します。

 

読んでくれえてどうもありがとう

固定リンク | コメント (0)

2011.11.30 00:39 |  開業 / 病院経営  |  murajun  | 推薦数 : 0

学会より ラーメン屋(1)

「講演会より 映画館」・・・というフトドキなタイトルの直後に「学会より ラーメン屋」なる更にフトドキなタイトルの記事を書くとは、まあ不真面目を絵に書いた様な開業医ですね、まったくもォ・・・

と言うことで、日曜日にラーメン屋に行ったついでに?学会に参加してきました。

 

天気の抜群な登山日和の貴重な日曜日だったのに、愛人が「ねぇ行かないで・・」と妖しく願うのも聞かないで、高速道路を愛車をブッ飛ばして久々に肥前へ行ってきました。もちろん、お勉強・・・「南の島人工透析学会・地方会」とかなんとかいう名前の真面目な「学会」です。

しかし、例によってお勉強もそこそこに、昼のランチョンセミナーの安弁当など見向きもせずに、一度どうしても行ってみたかったラーメン屋さんに行ってきました。

 

白濁しない澄んだ豚骨ラーメンの発祥は昭和12年に福岡県久留米市の「南京千両」という屋台だったそうです(昔に食べたことあります)が、白濁した現代九州風の豚骨ラーメンの発祥は昭和22年の同じ久留米市の屋台「三九」ということになっています(詳しくは勝手に調べて下さい)。その初代店主・杉野さんから昭和25年に店を譲られた四カ所さんという人が、昭和26年に熊本県玉名市に「三九」という中華そば屋を出店し、そこに食べに来た有名ラーメン店の創始者達から現在の熊本系豚骨ラーメンの名店群は拡がったそうです(何軒か食べたことありますが、強烈なニンニクは熊本独特ですね)。

杉野さん自身は昭和25年に北九州で「来々軒」だったかな・・を出し、そこから白濁・豚骨の味は大分方面へ拡がったそうです。そこは今も二代目がされてる様ですね(食べた事ありませんが)。

その四カ所さんは昭和31年に玉名店と久留米の屋台を畳んで、結婚を機に佐賀市の玉屋デパート裏に現在の「三九」を出店されたとか。今回、透析学会を昼休みに抜け出して初めて出かけたのがその「中華そば専門店・三九」です。

 

佐賀市へは昔から馴染みもあって「ラーメン屋さん」にも数軒行ったこともあったのですが、この「三九」という超レトロな元祖・久留米ラーメンのお店に関しては二年前にネットで知るまでは見たことも聞いたことも、当然ながら食べたこともありませんでした。これに関しては前に書きました。その頃と暖簾の色柄が替わったようですね。三九のロゴマークは健在のようですが。(このマークは重要です)

 http://blog.m3.com/BackToTheStreet/20091103/_39_Thank_you

ちなみに、2年前に記事を書いた当時も「開業医の高収入」に関する財務省とマスゴミの糞キャンペーンが盛んでした。診療報酬前の2年毎の恒例行事ですね、陰気で卑怯でアホくさいです・・・

その久留米の屋台「三九」からは、玉名店の他に同じ佐賀の「三九軒」も昭和31年に分派したようですが、久留米市内に分派した?別の「三九」という名の数店は全て現在は閉店しているとラーメン通のブログに書かれてました(一軒は行きました)。

下が現在の佐賀「三九」の中華そばですが、四カ所さんの娘さん?が黙々と働いておられました。店内は超レトロで、僕が生まれた頃の雰囲気でした。現在は歴史的価値に比べ人気はもう一つなんでしょう・・・頑張って、源流の味を残して欲しいと思います。

 

しかし、・・・全国のラーメン通も知らない「幻の三九」が実は今も続いていて、それを知る医師は全国に僕ただ一人でしょう・・・(自慢)

それは、店主の宣伝文句に書いてありましたが、昭和28年頃に、久留米の「三九」で働いていた人が、福岡県柳川市の「国道橋」のたもとに「味の三九」という名前で出店されていました。大昔の記憶ですが、柳川市の親戚を訪ねた時に何度か「味の三九」で食べた記憶が鮮明に残っています。二方向に出入り口があって馬蹄形カウンター方式の店でした。子供心に美味しかった味を忘れないのでしょう。

今は当時のご主人は他界され、恐らく奥さん?が西鉄柳川駅前に移店して「三九ラーメン」という名前と、佐賀店と同じ「三九・ロゴマーク」で続けられているようです。味はある程度変わってしまったのでしょうが、移転したとは言いながら昭和28年から連綿と続いているのは素晴らしいと思います。

 

ちなみに、現在の白濁・豚骨・久留米ラーメンの筆頭格は「大砲ラーメン」だと思いますが、その先代店主も昭和28年に久留米で開業されています。戦後復興期の昭和25年からの数年間が白濁・豚骨ラーメンの勃興期なのではないでしょうか? なんか想像すると勢いを感じてドキドキします。

今では久留米ラーメンよりも 博多ラーメンが全国区(世界進出も含め)として幅を効かせていますが、代表格の「一蘭の前身」が昭和35年、「だるまラーメン」が昭和38年、「一風堂」が昭和60年の新しい創業ですから、やはり昭和20年代から続くラーメン店は貴重な存在です。ただし、僕は博多(福岡市)のラーメンは全然美味しいとは思いません。久留米の方がずっと美味しいです、ハイ。

 

話は相当ずれましたが、佐賀市の「三九の中華そば」はレトロな味で僕は好きですね。最近の新しい創作系ラーメンは味がコッテリ独特で、妙に癖がありますが、昭和の中華そばは白濁豚骨ながらアッサリして美味しいです。

 

その「三九」の従業員が技術指導して?誕生した佐賀の超有名ラーメン屋があの「一休軒」だったそうで、次回は学会終了後に向かった「一休軒」のラーメンの話をします。

固定リンク | コメント (0)

2011.11.23 13:39 |  開業 / 病院経営  |  murajun  | 推薦数 : 0

講演会より映画館

昨日の晩は夜間透析も無く、書類整理などの雑用も終わり、久しぶりに介護認定審査会や医師会などの公務もなく、沢山囲っている愛人の全てが別の男性との用で都合悪かった?ので、例によってノコノコと愛車で講演会・勉強会へ出かけた。

出身医局の教授の司会で、ご苦労にも他に何人かの教授・准教授なども出席していたが、広い会場に聴衆は疎らで、10%程度の入りだったようだ。これでは遠来の教授は、いくら対価をもらっても可哀想である。が、何しろタイトルが悪かった。何の意味なん?と不可解なタイトル珍しさに惹きつけられた僕の様な開業医は多くは無く、勤務医も残念な参加数であった。以前と比べ、講演会や勉強会に出席する勤務医が激減しているのではなかろうか?

 

それにしても、教授になっても給与が安くて可哀想だなぁと感じる。司会を含め講演会収入が途絶したら高卒サラリーマンの生涯年収より少ないのではないか? バカバカしい日本の医学部教授職だなぁぁ・・・教授にならなくて(正確には、なれなくて)ヨカッタかもしれない。

 

その不可解・不思議な大上段に構えたタイトルは興味を引いたが、内容は?というと残念な出来だった。知ってることばっかり・・・で、早々に会場を後にした。

参加者が一人減って目だったのか、開業医よりも高給の大手製薬会社の顔馴染みの女性担当者がサッとホテル出口まで付いてきて、

「先生、遠いところ来て頂いてありがとうございます。まだ途中ですけど、何か今夜はご予定ですか?」と聞いてきた。

『うん、これから若い愛人の家に行くんだ。教授達には内緒だよ・・ 今度デートしようか?』って言うと、可愛い眼をパチクリさせて、

「えっ? 先生には若い愛人がいたんですか? 何するんですか? きゃぁ・・スゴイ」って驚くので、

『ゴメン、冗談だよ冗談。あんまり講演会がつまんないので映画に行こうと思う。開業医にはなかなか時間が無いし。一緒に行く?』と謝った。

「えッ? まだ私達は会場を出れませんし・・・それに今夜は・・・。で、何の映画ですか?」

『ウイルス感染のヤツ。コンテイジョン』

「あっ、それ知ってます。今度また、誘ってください・・」と言ってくれた。

どうせ、嘘に決まっているが、もし美人MRとの間に間違いが起こったらどうしよう?と考えると、映画の間中、映画の内容よりもドキドキしてしまった・・・

 

で、その映画館の方も凄く寂しかった。総観客数6名のみ・・・ パニック映画だったんで怖かった。

内容は期待していなかったのでショックは無かったし、レイトショー価格で安かったので、興味深く見れた様な気がする。事前に感染源を知ってはいたが、もう少し、どんな風に人への感染能力を獲得していったのか、ジワジワと迫りくる恐怖や旅の過程を描いてくれるとヨカッタのに。チョット、ストレートすぎる感じがする。街の風景のパニックを描いている場面は一応評価するが、例によって医学的・公衆衛生的にはお粗末だった。原作にはしっかりと描かれているのだろうか?

アメリカCDC長官?が、「豚インフル対策は過剰反応だった」と認めたところがアメリカらしくてスゴイ。日本はいまだに水際作戦などの不手際を自己批判すらしておらず、こんなところは、TPPの外圧で霞が関の糞役人とマスゴミ連中を蹴散らして欲しいものだ。

 

CDCの女性医師・ケイト・ウインスレットさんは「愛を読む人」などで大好きな女優だが、公衆衛生専門官として現地派遣されウイルスに倒され孤独に死んで行く姿には深く同情する。

別のCDCの女性研究者がワクチン開発後に大学病院で最後まで患者の治療にあった医師の父親の最期を励まし・感謝の意を伝えに行く姿も感動的だった。

 

とても一流映画ではなく、興行収入も少ないだろうが、「僕にとってはいい映画」だった。といって、他の人にお薦めしたい訳ではないのが不思議な感じである。医学的・化学的には色々とツッコミたくなるが、ここでは取り上げない。ただ、パンデミック時期に看護師さんのストで患者受け入れ拒否が生じていることには現実として政府はどう対応していくのか?

 

ホテルで平凡な講演会をして時間をつぶすより、映画上映でもして内容をディスカッションさせた方が100倍面白くためになるのでは?と思わずにいられなかった。

どうですか? 暴利を貪り、開業医や勤務医よりも高い高待遇を満喫しておられる製薬会社の皆さん。映画の中でもAnderson社という製薬会社の密林開発が一等最初の原因だったことを反省しながら・・・どうでしょう?

固定リンク | コメント (0)

2011.11.22 00:39 |  開業 / 病院経営  |  murajun  | 推薦数 : 1

8年振りの日本一

福岡ソフトバンクホークスが11月20日に落合・中日を4勝3敗で破って8年振りの日本一に輝いた・・・ おめでとう

 

ハテ、8年前の今頃は何をしていたろうか・・・?

当時はブログを書いておらず、日記をつける習慣も無かったが、開業以来14年間ずっと毎日付け続けている「診療日報」なるものがあって、その日の新患数・再来患者数・検診数・売上代金・通算患者数・紹介患者数・などなどを書いている。その片隅に夜遊びや秘めたる女性関係をはじめ、かなり際どいプライベートな話題も含めて暗号で色々書いていて、それが日記の代わりでもあるが、絶対に他人には見せられないもののなかなかに面白い。でも、ブログを書くようになってからの方が思い返す楽しみはずっと大きいのだが・・・

それにしても、外来患者数と外来収入は20%ちかく減っている。もう経営が苦しくなるはずだ・・・ 来年は廃業かも。

 

そこで、ホークスに関してだが・・・

8年前の2003年はホークス・パリーグ3連覇の最終年、まだダイエーで、翌年の秋に身売り騒動の後にソフトバンクの孫さんが買収した。祝勝会で大ハシャギの孫さんにとっても、7年目にして初の日本一達成で、胴上げもしてもらい感激もひとしおだろう。

 

僕の診療日記によると、11月ではなく、10月27日・月曜日に優勝を決めている。今年は3月の大震災の影響で3週間ほど遅れているようだ。見に出かけた優勝パレードも11月2日から12月11日へと5週間も遅くなり、クリスマス前の天神・明治通りは歳末商戦と重なり街は大混雑であろうし、立って眺めるには非常に寒かろう。天気がイイと良いのだが・・・

 

今年のMVPは該当者なし・・・と言っていいほどだったが、やはり小久保は自分でも認めた様に考えにくい。その小久保、8年前の優勝パレードの翌日にジャイアンツへの電撃トレードが発表された。それがホークス大混乱と長期低迷の始まり・・・だった。

 

小久保は今年の春にも骨折したが、その年は足の骨折でシーズンを完全に棒に振ってしまう。それでも人気の小久保、優勝の後の電撃移籍は署名運動まで起こった工藤の記憶が新しかっただけにホークス・ファンに球団に対しての不満と不安を呼び起こし、身売り騒動の際の困惑に繋がった。1リーグ制は阻止され、ロッテとの合併ではなくソフトバンクが買収したので結果的にはヨカッタのであるが、僕自身はその年を最後に年間指定席の購入を止め、ドームに足を運ぶことは無くなった・・・

最大の理由は過大評価の番長・松中の増長・・・ 2004年のオリンピックのドサクサで3冠王に間違ってなったために、巨額の複数年契約と奥さん連れでのTV・CM連発となり、あたかも「松中のチーム」みたいに持ち上げられた。これが僕に年間指定席の購入を止めさせる最大の理由だった。優勝しても松中引退までは球場でホークスの試合を観ることは無かろう。

そして、ホークスは、それ以降ずっとポストシーズンの争いに敗れ続けた。トップでシーズンを終了しても優勝でも無く日本知りずにもイケない。全ては松中のせいだった、と僕は断言する。絶対に疫病神・松中とチームは心中してはいけない、何度そう王監督と孫社長に念力を送ったものか? 決して通じなかったが・・・

今年は松中不調で出場機会が激減し、それゆえ優勝・日本一が達成できたと思うのである。カブレラとか、松中とか・・・もう要らないのである。

 

小久保は・・・ 松中に無いキャプテンシーが彼にはある、少々うっとうしいが。秋山後が既定路線であろうから、松中とはこれから歩む道は異なることだろう。予想を超えて良き監督になった秋山から色々学んで欲しいものだ。

その小久保・・・ 実は、優勝をきめた20日の昼過ぎに、小久保が超高級車の横に美しい?女性を乗せて住まうマンションから出てきたところで僕の超高級車とすれ違った。僕がVサインを送ったのが見えただろうか? ちょっと自信無げな小久保に応援Vサインを送ったのが良かったに違いない。MVPをもらえたのは僕のお陰、感謝してもらいたい。

小久保のマンション前はいつもワンコと散歩する場所なんで、ちょっと親近感が湧いている。ワンコもオシッコでマーキングをしてるほどだ。でも、MVPって・・・小久保は森福に譲ってあげなさい。

 

8年前の10月の阪神との日本シリーズ第1戦・・・僕は福岡ドームで観戦したのをよく覚えているのだが、あれから後に、野球界も 仕事上の展開も プライベートなことも 家族のことも 色々とあったし、なんとも月日のたつのは早いものである

 

よんでくれてどうもありがとう

固定リンク | コメント (0)

2011.11.19 16:39 |  開業 / 病院経営  |  murajun  | 推薦数 : 1

またもや骨折・・

またもや聴診器が骨折しました・・・ (前回の骨折は書きました)

下は前回記事、写真は前回骨折部位です。

http://blog.m3.com/BackToTheStreet/20090604/1 

 

あれ(2009.6)からまだ2年数カ月、購入後一年程度だったので業者を通じ メーカーの【リットマン】に、「まだ一年なのにもう壊れたぞ。不良品売りつけたんちゃうんかい?」と亀田バリのメンチをきかせ掛け合ってもらい、なんとか無料(だったかな?)で部品交換してもらったのですが、その交換後の聴診器がまた骨折してしまいました・・・ 「オイ、安物と交換したんちゃうんかい?」

 

今度の方が重症で、完璧に切り離されています。部位も少々中央寄りで、前回の様に端ではない様です。よく見ると、反体側の同部位も膨らみが大動脈解離の様に見えますので、ここは非常に耐久性が弱い金属疲労を起こしやすい部位だと思います。

【リットマン】の皆さん、どうかこの有益な情報提供に対して感謝の意をこめて新品の聴診器をこの貧相な循環器科開業医にプレゼントしてはいかがでしょう? そうすれば、今宵あなたは罪の意識から解放され安眠できると思います。

 

しかし、初回は1年で・・・、二度目は2年少々で骨折するとは・・・? いかに真面目に聴診器を僕が使用しているかの証明でしょうか? すなはち、名医=真面目医 だと自負しています。およそ年に25000回、この2年数カ月で恐らく60000回の聴診機会がありました。

6万回もゴムを被せた固い棒を穴に出し入れ飽きもせず熱心にピストン運動したんですから、相当好きなんでしょう・・・診療が。勤務医の時は一度も骨折は無く、どうして開業医になって2度も骨折したんでしょう? やはり、厚労省の原寿徳・5分役人が悪いんだと思います・・・

 

しかし、聴診器は一本4万円以上もするので、斜陽の開業医には高価な商品で、次は看護師用の安い聴診器で我慢しようかなとも思います・・・ピンク色の、どうせ大した問題症例も来ないし。

 

読んでくれてどうもありがとう

固定リンク | コメント (1)

2011.11.18 21:39 |  映画 / 音楽 / 読書  |  murajun  | 推薦数 : 1

MoneyBall

「先生、今日は口笛が出てますね・・・」と、先ほど夜間透析の回診に出向いたら、職員がニヤリとして冷やかす様に言う・・・ 彼は一体、僕が何に浮かれているのだろうと思っているのか? 僕がパツキンの愛人と過ごす熱い夜でも想像したのだろうか? 

その辺は良くは判らないが、恐らく野球好きの彼は、南の島の某金満球団が日本シリーズで順調なので僕が浮かれているとでも思ったのではないか? 確かに以前は年間指定席を購入するほど好きだったから・・

 

 

しかし、最近の僕は某金満マスゴミ球団の支配する野球界は好きになれないのであり、特に某ワタナベなる金満オーナーの支配する不健康な野球界には何の興味も無くなってしまったのである。昔は三度の飯より、三人の美女より、野球が好きだったのに・・・ 

 

その某ジャイアンツの某GMが今日付けで解任された様だ。某ワタナベ氏に飼われている軟弱読売ジャイアンツの選手・OB諸氏の日和見主義には情けなさしか覚えない。かつて【巨人軍】のファンだった僕には、【読売ジャイアンツ】の関係者が【巨人軍】という聖なる名前を使うことすら許せない想いである。

 

そんな野球好き、金満野球嫌いの僕が日本シリーズの歓声が風に乗って聞こえてきそうな日曜日の晩に、某有名風俗歓楽街に隣り合う石鹸の香りが風に乗ってやって来そうな映画館に、久住・三股で反省し疲れた足を運ぶのは自然な成り行きだったと自分では思う。

観たのは、ブラピの【 MoneyBall 】である。地元某金満チームの日本シリーズ応援をせず野球映画を楽しんだ人はさすがに多くはなかったが・・・

 

2002年のアメリカンリーグ、アスレチィックスの実話だそうで、財政難の球団がブラピ演じるGMのもとで大方の予想を完璧に覆して20連勝の偉業をなしとげるという話だ。

911テロの翌年で、何かと開業で緊張していた頃で、その海の向こうの20連勝のことは覚えていない。僕がアメリカで球場に足を運んでいた頃は某NYヤンキースは毎年最下位争いをしていたし、その後に金満球団に変身した頃から、やはり急速にメジャーリーグの興味を失ったのも確かだ。要するに、日米問わず、金満球団が他球団のスター選手を分捕る構図は大嫌いなのである。

であるからして、GMブラピの気持ちや方向性には大いに共感を持てた。そして、娘の父親としても凄く共感してしまった。

http://www.youtube.com/watch?v=pgh6HQSM1gM

12歳の娘は離婚後に他の父親と暮らしているが、ブラピは携帯電話を買い与えることを嫌い、アコースチィックギターをプレゼントする。そして、娘からのお返しのプレゼントはギター弾き語りの歌声・・・

http://www.youtube.com/watch?v=YHKDCqnH_7M&feature=related

元歌も素晴らしいが、この子役の歌声も素晴らしい・・・

お金になる仕事ではなく、やりたい事をやりたいように、ナチュラルな気持ちで、そして楽しみながら・・・

 

Let's enjoy the Show Time

 

No MoneyGame     No MoneyBall

 

読んでくれてどうもありがとう

固定リンク | コメント (0)

2011.11.17 19:14 |  開業 / 病院経営  |  murajun  | 推薦数 : 0

晩秋の三股山、反省記

今年は週末に当地では天気が悪く、また本業としての学会や研究会もあり、なかなか愛人宅・・・じゃなかった、好きな山歩きへ行けなかったが、先の日曜日に今秋初めてようやく行ってきた・・・が、少々ヤバかった。なので、個人的に反省記を残す。

*後で読者指摘あり:三股は三俣山が正式表記らしいが、沢山書いたのでソノママで・・反省です

 

いつの間にか、南の島の山でもとっくに紅葉の時期を過ぎており、今年はもう樹氷観に行くくらいしか無理かなぁ・・と諦めにも似た気持だったが、往診に同行した看護師が「今度の日曜日、久しぶりに晴れの週末みたいですよ。先生、今年はどこか登りましたか?」と教えてくれたので、患者状態が落ちついたと思われる直前の土曜日の夜になって、妻と娘に「お願いがあるんですけど・・・、明日・・・山に行っても良いですか?」と恐る恐る聞くと、予想どうり「良いわよ、気を付けて。朝早く行くんでしょ? もう静かに一人で寝たら? 今夜は迫ってこないでね・・  で、一体どこ行くの?」と素晴らしい返事が来た。どこ行くかは寝ながら考えよう・・と、まだ決めていなかった。当然ながら、妻は呆れていた・・・いつもの事だが。

でも、ホントに天気は良いのだろうか? 女心と秋の空・・・だ

 

今度の山行きを決心したのは前日・土曜日の午後になってから。天気予報では「晴れ、降水確率10%」だったが、衛星画像の雲の配置から少々不安がよぎっていたのは確かだ。どうも薄めの雲が広範囲にかかり風で流される感じの「雲行き」に思われた。しかし、来週以降の天候は予想付かず、どうも今回が最後の機会かも・・と気持ちを焦らせた。得てして天候に関する直感は当たるものである。

 

さて、どこへ行くか?

 

僕を10歳の時に初めて山登りに誘ってくれた従兄弟が、「九重で一番好きなのは三股だなぁ、三股はイイよォ」と最近話していたのを想い出した。僕は九重は、中岳・久住山・星生山・大船山など何度か登ってはいたのだが、三股山は横を素通りするだけだった。何か丸みを帯びた女性的な感じで、ヌルッとした面白みに欠ける山だと思っていたのだ。

長者原から眺める三股も、牧ノ戸ルートの途中から眺める三股も、山なみハイウエイを湯布院方面から眺める三股も、九重温泉に浸かりながら仰ぎ見る三股も、どの方向から眺めても・・・三股は三股であって、どっしりとした母親が乳房を三つ持つような優しさと雄大さを併せ持つような山と感じていた。しかし、従兄弟の話を聞くまではあまり登りたいとは思わなかった、不思議なことに・・・

まあ、どうせ紅葉も終わってるし、準備も何もしてないし、簡単そうな初めての三股にも登ってみるか? と、ベッドの中で安直な決定をした。そして、朝4時半に起床し、妻と娘の寝顔に「行って来るよ、死なないから・・」と挨拶して5時過ぎに家を出た。ワンコ達だけが時ならぬご主人の愛車の爆音に目覚めて「ワンワン」と送り出してくれた・・・

近くのコンビニで、水や食料品を買った。ついでに滑り止めがバシッと効いた軍手も買ってみた。それが後で役立つとはその時には思いもしなかった。ただ、今度は懐中電灯もセーターも忘れ、地図もネット情報も色々と忘れて出かけてしまった。まあぁイイか・・・・、三股だし?

 

湯布院ICで高速を降りる時に、正面の由布岳には厚い雲がかかっていた。その頃、夜明けを迎えたのだが、周囲には想像以上に雲が多く、不安がよぎった。由布が快晴なら、そのまま今年も由布岳の「お鉢廻り」で興奮しようかとも思っていたのだが・・・

 

長者原の駐車場に車を停め準備を済ませて三股を見遣ると、その頂きには朝日が輝いていた。爽やかな光の筋が鮮やかだった。(上写真の右ピークが本峰、左が北峰。真ん中手前が指山) 7:15 スガモリ越に向けて出発・・・ 大曲駐車場は既に満車だった様子。

 

途中で仰ぎ見る三股山・北峰に飛行機雲が突きささろうとしている。良く晴れ、山頂は気持ちよさそうだ。きっと眺めも最高だろう、早いとこ 坊がつる・法華院を見下ろしてみたい・・・ただ、由布の方から雲が流れてくる気配、不安が再びよぎった・・・

淡々と少々味気ないスガモリ越ルートで三股に向かわんとする頃、見上げる頂きには早くもガスが・・・ 星生にも天狗にも久住にも大船にも、その頂には早くもガスが・・・ 三度不安がよぎった・・ 

一般向けの天気予報を信じるか? 自分の天気図読みや直感の方を信じるのか?  愚かにも天気予報を信じてしまった。今年最初の山登りのせいか、何か調子がおかしい。

 

最初の三股のピーク・西峰に到達した時には完璧にガスで覆われた。この後、本峰・大鍋・北峰へと向かうハズが、50m先が全く見えないのである。西峰のピークは想像以上になだらかで、先行する登山者の姿も見えず、朝早いので声も聞こえず、どっちへも何本もルートがある様な気がするが、初めての山で視界不良なので、他の登山者が先行してくれるまで我慢して待つことにした。

装備がキチンとしたベテラン風の夫婦連れが来た。彼らも不安そうな雰囲気だったが、ほどなく西峰から本峰のあるハズの方向へ静かに歩きだしたので後に付いて歩いた。向こうから数名の登山者が帰ってくる。相当早く出発したのであろうが、視界が悪くて早々に退却しているのか? でも、ルートとしては正しいのであろう・・・と思っていたら、先行する夫婦連れが立ち止った。どうやら彼らもガスの中でルートに自信が無さそうで、チラチラ見ながら僕を先に行かせたがっている様子だった。もしかしたら彼らも初めてだったのか? (後で判ったが、三股は初めてだったようだ・・・ 危ない危ない)

 

そうこうしているうちに、次のピークに着いた。後続の夫婦も続いて登ってきた。その後に数組が登ってきた。どうも先行組に付いてきただけのようで、全員が初めての様子だった。

でもこのピークには何も標識が無い。周りはガスで何にも見えない。ここはどこ? 私は誰? 腕時計の高度計で調べるとほぼ本峰・頂上の標高だったが・・・、後から色々考えると、どうやらそこは四峰という名の「ピーク」だった様だ。

 

ガスが少し晴れた際に、二つのピークが見えた。正面の谷の向こうにそびえ上がる様な峰・・ピークに標識が見える。もう一つは緩やかに登っていく丘の様なピーク・・・前情報からはあれが三股山の本峰であろう・・・。と、またすぐガスに隠れた・・・

その時、謎のピークに屯していたのは三股初心者のみ約10名(4組)、皆が地図を見ながら勝手なことを言っている。携帯のGPSで立ち位置を探すもの・・・。僕は腕時計のコンパスと高度計で方位と標高をチェック・・・。本来なら、三股の山上には、本峰・北峰・南峰・西峰・四峰の5つのピークがあるハズで、谷には大鍋・小鍋の2つの噴火口跡があるハズ・・・と思っていた。

西峰は越えた・・・。多分、さっきの左のなだらかなピークは本峰のハズ。ここは標識無しなので恐らく四峰だろう。では、もう一つ見えた険しそうなのは南峰? あるいは北峰? 一体どっちよ?

僕のコンパスは谷越えのピーク方向は東方向を指していた・・・。さて、東峰ってあったかな? この時、もう少し冷静に地図とニラメッコすれば良かったのだが、完全にガスの中に閉じ込められて冷静さを欠いてしまった。この下の谷が恐らく例の大鍋で、その向こうが北峰だろう・・・きっと。南峰はガスに隠れて多分どこにも見えないのだろう。

 

その時、僕ら4組のとった行動はバラバラだった様だ・・・。

僕の次の夫婦は、「とりあえず本峰に行ってきます」とナダラカナ稜線へ歩き出した・・・賢明だろう、安全そうだし、確かに頂上(最高地点)なのだから。

次のベテラン風高齢4人組は、僕が北峰と言うのを信じたかどうか、「あれが面白そうだし、まあ底まで降りて登ろうかな。ここ降りれるよなぁ?」と言い残し、グングン降りて底に到達し、またグイグイと登りだしたところでガスの中に消えていった。

僕は「せっかくだから険しい方が楽しかろう・・・」と、しばらく待ってもガスが晴れない中で先の4人組の後を谷底に向かって降りていった。

残った4人組は僕の後に続かなかったので、恐らくは本峰へ向かったのではないかと思うが、あるいは僕の後を追って、道を間違ったのかも・・・(ってなことはなかろうけど)

 

で、僕は踏み跡のしっかりした道を先行組を追うように降りて行った。多分、標高差は200m以内のハズ、100mかもしれない。目指すべきピークが見えないままに、滑りやすい道の足元に注意しながら慎重に下った。なかなか底に届かないし、とっても滑りやすい。でも足跡は残っている、この道のハズだ・・・

すると、不思議に前だけガスが晴れ・・・ なんと遠くの、遥か下の方に・・・ 見慣れた建物が見えた・・・ 法華院温泉の建物だ。でも、なぜ見えるの???  そう、どこかで道を間違ったのだ。多分、他の誰かも・・・ そして、この道は地図にも無く、きっと益々ヤバくなるはずだ。地図にある雨ヶ池ルートも危ないと言われてたし。遭難しちゃうだろう・・・

まだ、北峰と信じて向かっているピークは見えないが、ホントにやばくならないうちに引き返そう・・・と、冷静さを取り戻して登って行くと、パッと平らな場所に着いた。どうやら、そこが・・底だった様だ。でも目指すピークも、とっかかりのルートも分からない。腕時計のコンパスと、高度計と、サイクリング旅行で培った感を頼りに・・・ 赤い目印テープを見つけた。細いが、上に向かう確かな踏み跡があり、これが登山ルートのハズだ。よかった、頂上まで行けば誰かが来るだろう。後は、誰かさんに付いて降りればいい・・・

 

しかし、そのルートは葉が茂ってる季節なら見えなくなるくらい細く、枝も両脇から張り出し、ズボンの裾や上着や枝で破けそうなくらいだった。でも、なんとか頂上に着いた様だ。今も周囲は何も見えないが、誰もいないが、標識が見える・・・ 「三股山 南峰」

あれれ、北峰と信じて登ったピークは南峰だった様だ。それとも、ガスの中で目指していたのと別のピークに登ってしまったのか? 自分の居場所は確認できたが、ちょっと不安が増した。今日は少々オカシイ・・・自分自身が。

 

不安のせいか、残した愛する妻子のことが頭を過ぎった。とりあえず、ドコモの写メで、自分自身を撮影して「迷いながら南峰へ着きました・・」と送信してみた。

 

便利なもので、山頂でも返事は素早く戻ってきた・・・ 「愛するアナタ、気をつけてね。谷底に転落しないでね。キット生きて帰ってきてね。でも・・・赤いの着てるから、もしもの時も発見は出来そうね・・」と、心配なのか平気なのか、あるいは生命保険の事を考えてニコッとしたのか判らないが、とりあえず、服装の情報を理解してもらって少々気が楽になった・・・ フランス風トリコロール、でした。ロシア風とも言えますが。それに遭難したら、GPS機能で逆探知出来そうですから・・・

 

まあしかし、南峰ピークに立ちながら遭難することはなかろうと思ったが、四峰らしきピークから見た目標が南峰だったかどうか、出来れば北峰に登りたかったのに・・・。そして、ホントなら南峰からは雄大な大船・平治と、ふもとの坊がつる湿原などなどが見渡せるハズなのに・・・。

そう考えていると、僕とは別の方向からオジサンが一人で登ってきた。躊躇せずに僕はオジサンに聞いた・・「アッチから北を目指して登って来たんですが、南と書いてあって、北峰や本峰にはどうやって行けばいいのですか?」と。 

 

そのオジサンがふり返った瞬間、ガスが一瞬だけ消えて三つのピークが浮かんだ。真ん中になだらかな本峰と思しきピーク。左には先ほどまで居た四峰と思しきピーク。そして、本峰のずっと奥の右手に初めて姿を現したホントの北峰。その荒々しい北峰の手前には大きな深い窪み・・・、これがホントの大鍋だったようで、さっきまで大鍋と信じてたのは無名鍋だったようだ。

嗚呼そうなのね? と一人合点してる間にまた全てがガスに覆われ消え去ってしまった。しかし、もう全てが頭の中にインプットされ、あとは腕時計コンパスと高度計と、ついでに温度計も駆使して進むだけ・・・と思いもしたが、そのオジサンが本峰と北峰行こうかと思いますが、一緒に行きますか?と誘うので、まさか山頂でオカマを掘られる心配もないだろうと着いていった。周囲に「オナベ」は幾つもあったが、「オカマ」は無かった。でもどうして、噴火口跡をオナベと言って、オカマとは言わないのであろうか? と、三股山の山頂で考えた・・・ よい答えは思い浮かばなかったのだが。

 

そうして回り道をしてようやく本峰(ホントの頂上)に到着した。やはりガスの中で、視界は50mくらいだった。北峰も南峰も四峰も西峰も見えず、気温8度の平らな山頂で記念撮影をした。本来なら、半月ほど前なら、下のパクッた写真の様な素晴らしい紅葉の風景が北峰と大鍋に見渡せたハズなのに、かろうじて大鍋の底が見えただけだった。

 

まだ昼前だったのでガスが晴れるのを折角来たから待つつもりだったが、30分待っても60分待っても全然ガスは晴れず、風も出てきてジッとしてると寒くなってきたので、眺望は次回の楽しみにと、なだらかな丘の様な下りのルートを降りていった。途中でふり返ると何度かガスが晴れていて、戻ろうかと考えたが、引き返してガスが出たら泣くだろう・・と感じ、下山することにした。

 

知らぬ間に西峰をショートカットして歩いていると、家族連れや友達グループなどが座って昼ご飯を食べていた。天気さえよければ気持ち良いハイキングの様な三股山なのだろう。見遣ると、別の噴火口跡の縁を歩いている人が数組見えた。地図には載ってないルートだったが、あそこなら坊がつるがよく見渡せるのだろう・・・とフラフラと、一応黄色い印が付いているルートを辿り、通常ルートをワザと外れた。そこから更に北千里ヶ浜方面へ降りる夫婦連れが見て取れたので、視界が悪ければそこから降りようと決めていた。

やはりガスで下は見えなかった・・・ 夫婦の後を降りることにした。が、そこは危険な崩落地の様な地形だった。どうやら、その夫婦は上級者ではないようで、夫が妻に「タオル一枚あったおかげで死なないで済んだと思っとけ・・」とか何とか言っていた。たかだた、100mか200mだろうが、何度か浮石に転んでしまった。緊張しまくって滑る様になんとか北千里ヶ浜まで降りてきた。二年前、運動靴の底が剥がれて歩いた道だ。精神的にも技術的にも全然進歩していない自分に反省した。

 

いつもは素通りするスガモリ越だが、その時は無事の生還を感謝して、鐘を鳴らした・・・

 

気が緩んでしまったためか、大きな石がゴロゴロ転がる場所で、フト腕時計を見た瞬間、足元がフワッと浮いた・・・ そして、顔の前に大きな石が急速に迫ってきた。あと10cmでこの美しい顔と痛そうな石が衝突しそうな所で、朝のコンビニで買った強力滑り止め軍手が威力を発揮した。まるで映画スターの様に岩を軍手が掴んでいた。

カッコいいのか、マヌケなのか・・残念ながら観客は少しだったが、マジな話をすれば、あの瞬間に僕の美しい顔が潰れ、賢い脳が壊れていても不思議ではなかった。250円の軍手で死なずに済んだ・・と再び感謝の鐘を突きに峠に戻ろうかと思ったほどだ。

 

トボトボと紅葉も完全に終わった道を下りながら見上げる三股の山頂付近は憎いほど良く晴れていた。天気予報とはこんなものだ。全ては時の運、暇人のように時を選べない僕には「次こそは晴れてね・・」と祈ることしか出来そうもない。

 

以上、長々と反省記を自分のために書きました。

 

根性で最後まで読んでくれたアナタ・・・、どうもありがとう

固定リンク | コメント (1)

2011.11.16 15:39 |  開業 / 病院経営  |  TPP  |  murajun  | 推薦数 : 1

40年ぶりの再会

先日、「かっチャン」宅を初めて訪問した・・・

会うのは僕が12歳の時以来であるから、既に40年もの時が経過している。しかし、それでも、会うや一目でかつての「かっチャン」の面影を感じ、当時一緒に過ごした日々を一気に想い出した。当時の「かっチャン」は子供の目にも小さく感じたのだが、元気で明るく笑顔の小さな「かっチャン」は今もすごく元気であった。

彼女は僕が3歳の時から約8年間、僕の家に住み込みで働いてくれていた女性だ。といっても、家事を助ける家政婦さんではない。当時まだ中学を卒業したばかりで、本来の仕事も馴れず、母から「仕事にまだ慣れていないだろうし、時間があれば時々この子供達の子守りをしててちょうだい」と言われ、幼い僕と遊び出したのが始まりだった。ずっと両親は仕事で忙しく、朝から晩まで子供と遊べる様な時間的余裕はなく、3歳の僕と生まれたばかりの妹の子守り役が出来て尚更仕事に精出していた様子だ。だからこそ、我が家は田舎にしては裕福ともとれる生活が出来ていたし、多くの納税も可能だったようだ。

 

予想はしていたが、感情豊かな「かっチャン」は会いに行った僕を前に玄関先で泣きだして、何度も何度も頭を下げて「ありがとうございます。お世話になり増した・・」を繰り返した。ただ、ホントに有難いのは僕の方で、忙しく働く両親に代わって、15歳から23歳までを僕と多くの時間を過ごしてくれてたのだから。他にも数名の住み込み女性が居た中でも最も想いで深い女性従業員である。僕の方も涙がこぼれそうになり、数秒言葉が出なかった。もう少しで二人して玄関で泣くところだった・・・

 

「かっチャン」を訪問したのは、彼女の夫が数ヶ月前にまだ若くして病死され、両親のもとに「年賀状を出さぬ旨」の葉書が届いていたので、両親の代わりに御仏前にお参りするためだった。両親は自分で行くことも出来たが、どうも僕を行かせたがっていることを非常に感じたので、仕事を終えて遅くに一人で訪ねたのである。「お前が今こうしているのは、色んな人の世話を受けて育ったからだぞ、よく覚えておけ・・」と言いたかったのだろう・・・

少し前はまだ家が少なかったその地域は、今は大都会の一部にしっかり溶け込んでいたし、頑張り屋の夫婦が必死に身を粉にして働いて得たお金で建てた質素な家があった。彼女の家を知るので、それでも僕はとっても嬉しかったし、その家を前に「頑張ったんだなあ」と40年間の月日の流れを理解した。

「かっチャン」の生まれ育った地域は南の島の山奥にヒッソリと集落が寄り添うように建つ超過疎地だったし、高校に通うには親元から離れる必要があった。かつてそのような地域の中学卒業生や若者達の就職をあっせんしてくれる世話役の人がいて、100年ほど続いた我が家の家業にとっても大切な労働力を供給してくれていた。良くいわれる集団就職というほどではないが、僅かな給与を得るために山村のまだ幼い顔をした若者たちが同時に4-5名ほど働いてくれていた。その多くは結婚すると同時に更に良い条件の就職口を探して、あるいは独立するために旅立って行ったのだが、「かっチャン」は両親の仲人で良き夫に嫁ぎ都会へ出て行った。まだ右も左も分からない頃に仕事も生活も結婚までも世話してくれたと両親に随分と感謝しているようだ。

亡くなったご主人の仏壇に手を合わせ、彼女と向き合って座ると、彼女はまず僕に自分の結婚式の写真を見せ、「これをどうしても見せたかった」と言う。そこには彼女夫婦と僕の両親の結婚式の姿が写っていた。僕は以前同じ写真を両親のアルバム内に見つけ知っていたのではあるが・・・

 

その後、30年ほど更に我が家の家業は満足できるほどに繁盛していたのだが、かつて書いた様に貿易自由化の波で業界全体が壊滅してしまった。ちょうど、TPP問題で今後起こる様なことである。安価な労働力を持つ中国に生産技術の移転をしたために逆輸入製品が超安価で関税撤廃後の日本の業界は完璧に負け二度と復活できず、我が社も整理廃業してしまった。約10年前のことだ。そんな業界と我が家の浮き沈みを良く知るだけに、一番良い時代に育てられたことに彼女は感謝しきれない様子だ。

彼女の故郷の山村は今では「嫁の来ない僻地の村」として消失していくことを待つかのような寂れ方らしい。TPP参加すれば彼女の様な境遇の若者達が沢山出てしまうのであろう。農村も山村も寂びれ、日本の地方の崩壊が待つばかりだと思う。経団連の思惑はなにも日本人の雇用創出にこだわってはいない。より安い労働力を求め、または受入れて株価などの企業価値を高め、数少ない日本人経営陣に利益が集まることこそ全てと考える人々なのだから・・・

 

ひとしきり昔の事や今の事の話をし、お暇する際に「良く頑張って幸せそうな家庭を築いたのだなぁ」と一人感じ嬉しくなったのである。

だからこそ、まだまだ若い60代で亡くなったご主人とこれからの老後の楽しい時を過ごしたかったのだろう。入院の前日まで仕事仕事で可哀そうだった・・と嘆いておられたのが印象的だった。

人には夫々の人生がある。地方には地方の、僻地には僻地の、東京には東京の、・・・  この度のTPP参加によって恩恵を一時的にせよ東京の人々は得るだろう。なかなか地方や僻地に自分の意思ではなく生まれてしまった人々の生活も少しは想像しながらTPPの議論も行って欲しかったが、政治家の生活のベースは東京であるだけに僕らの様に地方で心配する庶民の気持ちは判らないのかもしれない。

 

読んでくれてどうもありがとう

固定リンク | コメント (0)

2011.11.11 22:39 |  開業 / 病院経営  |  TPP  |  murajun  | 推薦数 : 1

笑うところですか?

もうTPPの記事は書かないと書いたばかりなのに、どうしても書きたい事があるので書くことにした・・・ あきれ果てる、どうなってるの、民主党は? またお得意の誤魔化しと喜劇ですか?

 

8時からの参加表明の記者会見をBSフジの番組で観たのだが、脂ぎった野田は額に汗して・・・

「参加に向けた協議を開始します、とオバマを始めとした関係各国に伝えます」と言った。

これは交渉参加の表明か?と記者に聞かれ、「参加に向けた協議に入る・・」と日本のグダグダした政治家が好む卑怯な玉虫色ともとれる表現であったが、その場に居合わせた記者の誰一人も「交渉参加」以外の内容とは思わないハズだ。

テレビでも、これを外国人は理解できない、絶対に交渉参加以外の理解はされないハズ・・・と解説していた。そりゃそうでしょう・・・

 

ところが・・・

慎重派(反対派)急先鋒の山田前農相と、鹿野現農相が揃って、「参加表明ではない」と言い出した。

こいつら、民主党議員の頭の中はは一体全体どうなってるんだ???

 

 鹿野農相は11日夜、農林水産省内で記者団の取材に応じ、野田首相のTPP交渉参加方針の表明について、「首相は参加表明とは言っていない。今までの情報収集から一歩進んで、協議をするということで、交渉参加を前提とするものではないと理解している」と、慎重派に配慮した表現になったとの認識を強調した。

 

 環太平洋連携協定(TPP)交渉参加に慎重な山田正彦前農林水産相は11日夜、衆院議員会館で記者会見し、交渉参加をめぐる野田佳彦首相の記者会見の内容について「ほっとした。交渉参加表明でなく、事前協議(の表明)にとどまった」と評価した。山田氏は「(首相は)党の提言をくんで踏みとどまってくれた」と語った。(時事通信)

なんじゃ? こいつら? バカにしとるんか? ホントのバカか?

 

まるで、6月の菅降ろしの時と同じで、鳩山や原口が完璧なピエロになって全国民から笑い物になって、いまだに笑われているのと全く同じ構図である。

もうバカバカしくて、バカとアンポンタンとで出来あがった民主党の顔など見たくない。折角、離党からの政界再編を期待していたのに・・・

 

ここはもう「笑うところ」でしょうか??? 

固定リンク | コメント (0)

2011.11.11 21:39 |  開業 / 病院経営  |  TPP  |  murajun  | 推薦数 : 0

野田総理は卑怯なアホだ

2011. 11. 11. 今日のこの日は生涯忘れ得ぬ日となろう・・・ 

あろうことか、アンポンタン野田総理が独裁で国家破壊をやらかすことを決めてしまった。どう見ても彼は人間ではない、ただの豚である。しかも、アホな豚である。民主主義を愚弄する脂ぎった腑抜けであり、泥にもぐった卑怯者でもあり、最低最悪を絵にかいたような鳩山とか、菅とかよりも更に強烈な害人である。

日本をぶっ壊してまで そんなにオバマに誉めてもらいたいのか? アホ・バカ・間抜けの太った豚は・・・

 

 

今日は診療もそこそこに、本日の衆参両院のTPP集中審議を7時間、全部録画して早回しで全部観てこれを書いている。

それは夜8時に幕末以来の重大案件とも言えるTPP参加を発表する総理の審議とは到底思えなかった。口先で誤魔化して、卑怯な時間稼ぎに終始して、それでも自信が無知・無能であることを露呈させてしまった。

 

また、もう一匹の脂ぎった豚である枝野の「お前が総理か? 黙っとけ・・」と言いたくなる様な仙谷直伝のふてぶてしい態度と、ションベンちびりそうな野田の情けなさと、自身の信条を口に出せない鹿野や自見などの保身の国賊振りが目に余る7時間であった。

 

佐藤ゆかりはなかなかに優秀なようだ。

福島みずほの最後の質疑もストレートで女振りを上げた。

共産党の参議院議員のナントカさんも北海道代表として心に響いた。

 

他にも殆どが優秀な議員達の追及だったが、その中で断トツの無能ぶりを発揮したのが、千葉県選出の野田ナントカとかいう太った議員だった。横にいた安住財相が優秀に見えてくるほど哀れだった・・・

 

とくに・・・ 野田のアホが曝した失態は・・・ 

野田は、周囲の官僚達からホントに肝心の点を聞いてなかったらしい。

①TPPが国内法に優越することを知らなかった


②10年間で関税全廃することを知らず、保護できる関税があると思ってた

③今からでは交渉参加は半年後。条件闘争出来ないことを知らなかった

④ISD条項を知らなかった (ここ最低最悪・・)

⑤TPPよりASEAN+6が国益であることを隠してた

TPP 佐藤ゆかり(自民)の質疑(全・中断含み)  18:45 地点の失態に注目・・・
http://www.youtube.com/watch?v=XJtWmYBNKck 

もう国賊のアホはハワイから帰ってくるな・・・アホ中のアホめ

アホに付ける薬は無い。どこの国の首相なのだ?

アホが総理をしてる国なのに、日本人はもっと怒れ・・・

 

もうしばらくTPPについては書かないだろう

固定リンク | コメント (0)