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特定検診という国家による壮大な無駄が始まって以降は意図的に止めてしまったが、開業以来しばらく基本検診という名の特定検診より数段マシな公的検診を夏場の日曜日に当院でも行っていた。ただ、正月も祝祭日もなく年中透析診療をしている上に日曜日が無くなることで、ドンドン自身の命を縮めてしまっていることに気付いてからはキッパリと日曜検診を止めてしまった。僕が過労死しては従業員の生活にも支障がでるし、どうせ得た利益は納税で大半は消えていくのだから・・・
しかし、日曜以外は夜まで診療して祝祭日も土曜も盆正月もGWも仕事仕事の身の上では、他人の検診は出来ても自分の検診はなかなか出来ないのであって、何を隠そう、まともに検診を受けたことが開業以来13年余なかったのである。
もちろん、一般採血やレントゲン撮影や心電図や検尿などの通常項目の検診は自院でしていたし、血糖測定や腹部エコーや心臓エコーなどは自分自身でコッソリ施行していたのではあるが、世の多くの責任ある立場の人が毎年のように行う様な、例えば「CT」 「MRI」 「PET」 などと言うものはしたことが無かった。何を隠そう、病院受診と言うものは日曜日の緊急受診以外は開業してから一度もしたことが無かった。毎年上限の50万円以上も健康保険料は払っているが、全く利用しない超優良の被保険者と言うことになる。
さて、前置きが随分と長くなってしまったが、僕自身の記憶用に、「初PET検診の体験談」を書き残しておきたい・・・
数ヶ月前にほど近い某病院から「PET検診」の案内が届いた。毎年パンフレットは数か所の病院から届いていたのだが、そこは日曜コースを今年から始めたらしく、他に日曜日にPET検診する病院を近くで知らなかったので早々に申し込んだ。もちろん、その病院の診療レベルには日頃から信頼を置いていたので他の病院を探すまでもなかった。
人生50年を過ぎると妙に胸騒ぎもしてくるし、多くの現在過去の有名人や偉人なども50歳程で死去される話も非常に多い。60人近い従業員を抱えたいま、僕には健康に仕事を遂行する責任もあろうというもの、観念して癌にマトモに向き合ってみることにしたのである。
残念ながら今回申し込んだ日曜検診コースは基本的なもので、胃や大腸の内視鏡検査はオプションでも含まれていなかったが、まだ日曜日にそこまではやっていないとのことだった。やはり内視鏡もとなると画像診断医に加え検査する医師まで日曜日に必要になるので利益が出にくいのであろう。それでも、僕が気づいただけで、医師のほかに15人程の事務や検査技師や看護師などがいたし、あの節電とは無縁の様な快適でユッタリして機能的な建物や高機能な検査機器を設置・維持していくことは、この競争が激しくなった医療界でも容易ではないかと思う。
その某病院は大学病院より先にPETを導入した位の地域でも(というより、国内でも)有数のハイレベルな診断・治療機器を揃えた病院であって、当院からも多くの患者を紹介しているのであるが、僕自身が建物に入ったことは一度もなかった。良い機会だと、病院見学・職員教育調査など研修を兼ねて病院を訪れた・・・
どうやら僕が一番乗りか・・・、と思いつつ玄関に向かうと、出勤してきたスタッフ達に「おはようございます」と笑顔で挨拶をされてしまった。隠したくても自然に僕から発するハイソなオーラが相当な御仁と思わせたのであろうが・・・、初っ端から気持ちよく利用者を持ちあげる職員達はよく教育されている。
こうしてPET検診初体験は始まった・・・

後で感心したのであるが、PET検診センターのエリアは実によく設計・配置されていた。各部屋はユッタリと、他の人との接触も可能な限り少なく、実に贅沢な造りであって、チマチマした当院の狭さがケチくさく情けなく思われた。ただ、庭を望む景色は当院が勝っているし、受付嬢の容姿も当院が明らかに上だ。残念ながら、少々歳も上だったが・・・
受付嬢の制服も当院の方が高級そうに見えた。しかし、流石に検診施設だけあって、腹囲は皆さんキュッと引き締まっていて・・・、検診は全く退屈さとは無縁だった。
受付前が各検査の待合スペース的な役割も果たしている。そこには実に高そうな椅子やテーブルが並んでいて快適であったが、なぜか数台あったテレビが全てアナログ放送中で、ケチれるところはケチっている医療機関の実態が見え隠れしていたのは御愛嬌だ。大きな声では言えないが、当院の待合ロビーのテレビも、デイサービスのテレビも、僕の家のテレビも地デジ切り替えまで1カ月を切ったのにアナログのままで、政府の言う地デジ対応済み99%というのがどこの世界の話なのか?僕には全く信じられないのである。
その待合ロビーの唯一の欠点と言えば・・・飛行機のファーストクラスに乗った際にスッチーがするように、スタッフが毎回名前を呼んでくれることだ。実は何人か知った顔があったのだ。僕みたいに金玉、じゃなかった肝っ玉が小さい人間は癌の宣告をされた瞬間に顔に出るので近所の人に感付かれると困るのである。日曜日の高額な検診を受けようって人だから開業医も何人かいたようだ。そのうちの一人は大学の後輩だったが、20年振りに出会って、「太ったんじゃない?」と言われたものの、反論できるハズもなく、先程計測された自身の体重が重く圧し掛かってきた・・・ 近所の眼科医もいたが、他にも開業医が数名いたに違いない。会社社長とかは平日に受けるのであろうが・・・
検診の際の着替えやロッカーもリゾートホテル並みに高級だった。当院のとは価格差3倍くらいはありそうだ。おそらく、全国のPET検診施設は似たり寄ったりの豪華さで受診者獲得合戦が行われているのであろう、どの世界も大変だと感じる。
そろそろ、検診の記録だ・・・
まずは、看護師さんの血圧測定と問診・・・ 幸い腹囲測定は免除された。収縮期血圧は114で、デブの割に低い。過去のエコー検査の結果を聞かれて「自分でやった」と答えたら、厚化粧の顔でクスッと笑われた。笑顔は当院の看護師の方が良かった。
次は、腹部エコー検査だ・・・ 若くてピチピチの女性検査技師さんと暗い部屋で二人っきりになった。壁の向こうの声が聞こえたが、密室内で間違いが起こらないための工夫であろうか? そのエコー検査は僕が知る限り相当長時間かかってしまった。脂肪肝のせいで見えにくかったのであろうが、お陰で検査技師と体位を幾つも変えて身体が接していたために、下半身の某器官が勝手に変化を来たしそうになって困ってしまった。その直後には、「ハイ下着をズラします・・」といって、僕のパンツを下にさげて膀胱と前立腺を押えつけ検査された。もしかすると僕のアレの変化に気付かれたかもしれない・・・ 結果は大したことなかったようだ。どうして時間がかかったのであろう?
次は、胸部と腹部のCT検査だ・・・ とりたてて書き遺す事はない。結果もとりたてて書き残す異常はなかった。
次は、いよいよ、PET検査に必要な放射性物質の血管内注入だ・・・ 腕の血管が上品すぎて静脈内注射がしにくい僕の肘を何度も恨めしそうに眺め触りながら、「他の場所から刺してもいいですか?」と弱気な看護師さんに、「うちの看護師さん達は何なく刺しますけどねぇ・・」と意地悪したら、頑張って綺麗に刺してくれた。僕が医師だと問診表で聞いてるはずで、サゾ意地悪な開業医と思ったことだろう。僕としては教育的な発言だったのだが。でも、翼状針は当院より明らかに高級品を使用していた。放射性物質なので汚染対策なのだろうか?
で、次は、安静室でその放射性物質が全身に均等にくまなく行きわたる様に、60分間の待ち時間となった。ネットカフェを思わせる狭く暗い部屋で眠れる事は嬉しいのだが、AVビデオもエロ雑誌も厳禁で、寝てる時のイビキを聞かれて「睡眠時無呼吸症候群の診断と治療法」を追加指示されても困るので気になって眠れなかった。だから60分がなんと長かったことか・・持参した高尚な本も取り上げられたし。
60分後に起こされ、排尿を指示された・・・ この時は排尿に実に気を配った。もし、尿中に含まれる放射性物質がペニスを摘んだ手に着いたり、パンツに着いたり、ペニスをブルンと振った際に水滴があらぬ場所に着いてしまうと変な場所に癌が疑われても困るし、手に付着して水で充分に洗い落とせるかも不安だった。「指先に癌がありますよ・・」と診断されても困るし・・・ってなことはないか?!
まあ、撮影自体は20数分で終了し、再撮影の指示もなく、何となく安心した気持で、その後の結果報告・癌の宣告を待つことになった。
15年くらい前にハシゴから倒れて背中を痛めて以来、時々息も出来ないくらいの強烈な痛みを覚えていたのだが、その原因を今日こそ確認すべく、MRI検査をオプションでお願いした・・・ 結果は実に明快、これまでの疑問が解き明かされた。必ずしも良い結果ではないが、癌転移やヘルニアや脊柱管狭窄症やカリエスや梅毒やスベリ症やその他の病気ではなくて大いに安心した・・・
ただ、MRI検査は喧しい音と閉所的空間だけが問題だとおもっていたが、僕の場合には背中を中心として余計なプヨプヨの水分が沸騰していく様な、茹であがっていく様な奇妙な熱感を予想外に感じてしまった。理屈的には理解できるのだが、磁気も放射能と同じく眼で見えないものだけに、ワープやタイムスリップなどの際は、身体中がミキサーにかけられたようになるのであろうと、映画【タイムライン】やテレビドラマ【仁】などを想像しているうちに検査が終了した。あと10分ほど長引けば気が変になりそうだった・・・
結果説明・癌の宣告をしてくれる先生は顔も経歴もよく知っていたが、3台のモニターの検査結果画像を示しながら丁寧に説明いただいた。医師なのでどうしてもパッと自分で異常を探しに眼が動くのだが、開口一番、「癌がまずないことをお伝えしておきます」と言われて安心して聞けたのも良かった。僕は深刻な気持ちが明らかに表情に表れる性格なので、もし癌の宣告を受けてしまったら、どんな顔で待合室に戻り家に帰り、家族と話が出来るのであろう?
夜に妻子と検査明けの焼き肉をパクつきながらその点を話題にしてみると、「パパは絶対に秘密を隠せないタイプだし、眉間にシワを寄せ、額に手を当てて、周囲まで巻き込んで悲劇の中年医師を演じそうで・・・」と、子供ながらに父親の性格を完璧に読み切っていて、成長してるなあと感じた。嬉しいというか、悲しいとい言うか、図星だったから・・・
妻などは「癌だったらハッキリいてっちょうだい。覚悟が必要で、今後の人生設計にも関わることだから隠さないで・・」と、「ママは明日にでも生命保険に入るんでしょ?」と子供らに突っ込まれていた。どうやらこれも図星だったようで、額に汗が滲んでいた・・・
こうして僕のPET初体験は終了した・・・
目出度く癌はなかったのでホッとしたが、最後に栄養士資格を持つ受付嬢が「栄養指導いたしましょうか?」とお節介をしてくれそうになったので、丁重にお断りをして岐路に着いた。
もしも癌の宣告を受けたら、帰宅などせずにアチラコチラの妾宅を渡り歩き、繁華街でナンパしまくり、精力の限りを尽くし果ててしまおうと思っていたのだが、ホッとしてインポになって、台風の影響で風が強い街を愛犬と大人しく散歩に出かけてしまった。人生最後の日に最も身近にいてくれるのはヒョットシテ愛犬達かもしれない。
まあ、癌も無かったことだし、これからは周囲の意見も耳に入れず、たとえ嫌われてもバカにされても無能と言われ続けても菅直人と同じようにシツコク・ねちっこく、法を犯しても絶対に辞めないでいたいと思う、一定のメドがつくまでは・・・
なんとまあ期待を超えて素敵な物語でありました・・・
最終回は途中まで「ホントに終わるのォ?」ってな感じでしたが、その後の展開は実に見事でしたし、仁の初回放映があった2年前には既にこの流れでの脚本がほぼ出来ていたということでしょうから、なんともまあ美しいドラマだったですね。美しい南方先生と 美しい橘咲さんと 美しい橘未来さんの、そして忘れてはならぬ野風さんと・・・
全話の中にはやや今も理解出来ない細事が少々有りはしますが、そんな事はどうでもいい・・と、最終回に相応しく泣いてほほ笑んで、「さもありなん、我もさすれば・・」と、自分自身が明治維新前夜の江戸から永い魂の旅を終え先程ようやく現代に戻ってきた様な、そんな充実した時間を久々に感じました。
橘医院を訪問した以降の南方仁先生と医学史研究家として登場の橘未来東都大学医学部非常勤講師との会話だけでも、すっかり「パラレル・ワールド」の信者になってしまった僕は、自身の過去の出会いや別れなど、要するに人生を違った目で眺めることが出来るようになり満足しました。
それは、僕自身が医師であることも多少は関係するだろうし、偶然にもタイミングが一致した僕自身の「人間ドッグ」での体験がまた感情を増幅させてしまったのかもしれない。
次回は、「人間ドッグ」の体験を書き遺しておきたい。咲さんの「00先生への手紙」と同じように忘れ去ってしまいそうだから・・・完全に自身の記憶のためだけに。癌が出るかボケが出るか・・・そこが問題だ。
南方殿、咲様、野風さん・・・誠にありがとうでありんす。僕は皆様をお慕い申しておりました
約半年前に3月13日のコンサートチケットを先行予約で購入した際には「なぜ先行で真っ先に買ったのに2階席なんだよ?」と驚いたものだった。5000人も入る会場で2階席とは・・・ これは大阪城ホールでも同じだった。「先行販売なのに10000万人収容のホールでなんで2階のスタンド席なんだよ?」
しかし、着席してみると・・・なかなかに良い席だったのだ。
実は公演中ずっと着席している30人ばかりの中高年を中心とした集団がいたので不思議だった。僕より少し年上の集団はステージをジッと見つめて全く立ちもせず手を挙げもせず興奮を表したり騒ぎもせずに、2階席中央の前の方で独特の雰囲気を醸し出していた。僕の周りの人達の中にはその座ったままの集団を眺めてなにか言っているような様子だったけどその時は気づかなかった。後で知ったのだが、かつてのハートランドのメンバーや旧い友人達が集っていた席だったのだろう・・・ 確かに座って落ち着いて見れる良い席だった。あのスーパーダイナマイトサキソフォン奏者ダディー柴田も来ていたそうだ。
ただ、僕の前にはハゲ頭を帽子で隠したオヤジが二人・・・ 周りには、デブやハゲやメタボや白髪や下腹デップリなど多彩な顔ぶれが溢れていたのだが、福岡も大阪も東京も何も変わらなかった。しいて言えば、東京が一番普段着っぽくて、子供達が少なかったようにも思う。服装は季節のせいかもしれない・・・ 男の割合は東京が多かったかもしれないが、僕の様にスーツ姿で乗り込んだ渋い男性はほとんどいなかった。
着物姿の品の良いオバちゃんはいたけども、美女が一番多かったのは福岡だった・・・あの日は両手に花だったから
唯一の救いは・・・前の席に座ったデブでハゲのオヤジの前の席に一人トビッキリの若い女性がいたことだった。ショートヘアの20代後半の恐らく超美女は、身のこなしも軽やかにそして艶かしくセクシーに最初の音が鳴り始めた途端に立ちあがって美しいダンスを披露してくれた。ダンスパフォーマンスを仕事にしているような美しい姿だった。
彼女が最初からフルスロットルで踊るので、僕の前の暑苦しいデブハゲが横にズレてくれて、僕の2列前に彼女の美しくセクシーな肢体が現われた。その彼女の揺れる髪の上や手を挙げた脇の横に赤いギターを抱えて熱唱する佐野さんの姿が見え隠れして・・・実に良い眺めだった。ただ、残念ながら彼女の顔は最後まで見なかった。せっかくのイメージが壊れるのが怖かったかもしれない・・・
そんな訳でとっても良い席だったのだが、幸か不幸か・・・凄く揺れて怖かった。あれだけの横幅と奥行きのある2階席だからだろう、最初は地震だとホントに思ったほどだ。盛り上がるたびに震度3位の揺れが続くのである。時期が時期だけに本気で心配したが、しばらくして観客のダンスのせいだと気づいて少し安心した。ただ、ホントにあんなに揺れて崩落の危険は無いのであろうか? それが気になって気になって・・・
東京国際フォーラムの最終公演のネット上でのファンの評判は悪くないようだが、実は僕は「東京ファイナル」に期待していただけに残念な面もあった。最初の予定通り彼の誕生日だったらもっと盛り上がり、大阪の次週であったのなら最高潮にたしていただろうけど、100日間の延期で大震災の後でもあり、あの頃のパフォーマンスを超えることは出来なかったと思う。
評論家ではないが、ツアー初日の福岡でのパフォーマンスは音響でこそ東京に負けるが、内容的には実に初々しくて、80年代の佐野さんの雰囲気が良く出ていたように思う。30年来ライブを見続けていたものとして少々残念だったのは、コンサート毎のアレンジの違いやアドリブ演奏やセットリストのチェンジが少なかったことだろう。というより、完成されすぎてほとんど替えようがなかったのかもしれないが・・・ 昔は毎日クルクル替わっていたのを覚えている。3日連続で通っても新鮮だった。
大阪城ホールの3月6日の公演は佐野さんのライブ史に刻まれる名コンサートだったように思う。もう二度とあれほど完成された祝祭コンサートは無いかもしれない・・・
なんにも特別のゲストもサプライズも無かった東京のファイナルだったのだが、一つだけ感心したことがある。僕にとっては初めての経験だったが、コンサート終了間際のメンバー紹介の際に、照明やステージディレクターなどの裏方さん達の紹介をフルネームでやったことだ。15名ほどを次々にフルネームで5000人の観客に紹介していった。ちょっと感激した。僕なんか、自分ところで何年も働いてくれている50数名の職員の中でフルネームで覚えているのは半分くらいしかいないというのに・・・ 佐野さんはメンバーから「棟梁」って呼ばれているようだが、親分肌なんだと感じた。僕も職員全員のフルネームを早速覚えよう・・・
東京での佐野さんのライブは2回目なのだが、「東京だから特別に・・」ではない事をしってホッとした。札幌でも仙台でも新潟でも大阪でも広島でも福岡でも鹿児島でも佐賀でも大分でも北九州でも、どこでも全力でパフォーマンスしていると確信した。だからもうこれが東京で観るファイナルコンサートになるかもしれない・・・充分に満足したのだ。
帰り道、10歳位の女の子を連れた父親が「どうだった? 楽しかった?」と尋ねたら、その女の子が「う~ん、楽しいというより・・・嬉しかった。だって、知ってる曲たくさん歌ってくれたもん・・」って答えていた。この子は凄い・・・この父親が羨ましい・・・と感じた。
街灯が消えた暗い有楽町の街かどを歩き、ガード下の定食屋で夕食を食べ、羽田へ向かった。
思えば、充実した「学会の旅」だった。土曜の夕方から日曜の深夜までの旅と言えるかどうかわからない旅だったのだが、心の贅沢をさせてもらい、よい気分転換にもなった。
人生を楽しむことは容易ではないが、健全な心を保つには必要なことだ。自由な時間が絶対的に少ない僕の生活だが、僅かな時間と自由を上手に見つけ出しながら、これからも僕らしくありたいと願っている。僕らしく・・・
家にたどりつくとそこには、優しく美しい妻と、頑張る娘達と、可愛らしいメス犬達が僕の帰りを待っていてくれた。自由な時間をありがとう・・・
皆さん、旅のお付き合い、どうもありがとう・・・
まだ 旅のフィナーレを書くには早すぎるようだ・・・
昨日の16時過ぎに土曜日の診療を終え、18時前にクリニックを出て、19時に機上の旅人となった。21時半に横浜の映画館にフラッと駆け込み、深夜0時にホテルの部屋に入りみなとみらいの夜景をチラと見遣りながら明治初期の時代小説を読みふけり、2時にベッドに入り美しい女性の夢を見た・・・
今朝は、6時半に起きだして7時にチェックアウトし、7時半から学会場でセミナーに参加した。200分間もの短い滞在の後、逃げるように引っ張られるように桜木町から電車に乗り、12時から3時半まで心はミラノやニューヨークを彷徨った・・・
そして、上野駅のホームに停まっていた山手線の電車に飛び乗って有楽町へと向かっていた僕の頭の中には、昨日からの短い時間と、3月11日からの100日間の時の流れが交錯するように流れ、短かったのか、それとも長かったのか・・・不思議な感覚を覚えていたのである。
僕がサマースーツの胸ポケットに忍ばせていたそのチケットには3月13日 16時 開演という文字が書かれている。
当時のブログに書き残したのではあるが、3月12日と翌13日に開催されるハズだった尊敬する佐野元春のコンサートは、僕が生まれて初めて他に何の用件もないのに彼のコンサートのためだけに旅をする予定だった・・・
その日は運よく特別な用事の無い日曜日であって、地方の田舎者が参加しやすい時間帯だったし、なにより30周年記念イヤーのツアー最終日、そして彼の55歳の誕生日だったのである。僕が行かない訳にはイクマイ・・・・
もう僕は30年間も彼の音楽や活動に魅了されながら過ごしてきたのであるが、昨年の8月5日のツアー・パート1初日から、1月9日のパート3初日、そして3月6日に大阪城ホールで開催された祝祭的なファイナル第1段公演と追いかけた後の・・・どう考えても盛り上がるしかない最後の誕生日ファイナル公演への流れが、直前の大震災で中止されてしまったのだった。もちろん、やむを得ないことだった・・・
数週間の後に発表された代替公演・・・それが、6月19日の日曜日、同じ会場で同じ時刻だった。
学会の中止も相次いでいたが、幸運にも日本透析学会総会が横浜で同日に開催されると気づいた時には、嬉しくて嬉しくて・・・これほど透析医療に従事して良かったと感じたことはなかった。
3月13日のチケットをキャンセルせずに代替公演を楽しみにしていた人も、都合がつかず泣く泣くキャンセルした人も、家を流された人も、家族を失った人も、チケットを無くしてしまった人も、命を無くしてしまった人もあるいはいたのかもしれない・・・
僕の中でもこの100日間には楽しいこと辛いこと苦しいこと悔しいこと情けないこと恥ずかしいこと反省すること誇らしげなこと・・・色んな事が色んな時間が流れて行った。
佐野元春の心も揺れたに違いない・・・
ダメージもホントは大きかったに違いないのだが、彼のテレビやラジオの声からは、実に穏やかなトーンしか流れてこなかった様で、実に大人だな・・・と、感じていた。
昨日の診療を終えて24時間、16時に東京国際フォーラムに着いたが、上野からの約30分間に、僕は公演中止・大震災からの100日間と、彼のコンサートに初めて遭遇してからの30年間をずっと思い出していた・・・
そして、5000人収容の大ホールの2階席への長いエレベーターを幾つも乗り継いで昇って行った。その数分の時間に気持ちが高まっていくのを自覚する・・・
そして・・・・揺れた 席が揺れた 2階席は大きく揺れ続けた ・・・続く
同じm3ブロガー透析専門医でも、真面目に学会に3日間も参加し発表までしたらしい福島のスズキ先生とは違い、趣味と異性の世界に刹那的に生きる南の島のmurajun先生は、なんと学会会場滞在時間わずか200分間にして、急ぎ桜木町駅からJR京浜東北線快速電車に飛び乗って約45分間で花の都東京の上野駅にて迷い子になっていました・・・
なぜか鶯谷駅には少々詳しくとも上野駅にはチト疎い先生は、あと10分しか余裕のない時刻なのに、どうしたら正しい出口に行けるのか? ウロウロと田舎者の姿を晒していたのです。意を決して見知らぬ美しい女性に「東京文化会館へはどの出口でしょうか?」と聞きますと、「もう一度ホームに戻って3階に昇って下さい。私も向かうところです、ご一緒しましょう・・・」とのことで、その美しくも上品な女性に導かれるように東京文化会館にギリギリのタイミングで到着しました。
ほんの数日前にネットで購入したMET来日公演のチケットを握りしめ、その美しい女性と隣の席に座れることを願いましたが、彼女はS席に、僕は3階のB席へと別れなくてはなりませんでした。運命の悪戯でしょうか? こんなことならもう少し奮発してS席のチケットを購入しておくべきでした。
原発事故で一時は開催が危ぶまれたMETの来日公演は指揮者や主役級の変更もあってかかなり空席が目立ちました。まあ、一番の原因は高額なチケット代なのでしょうけど、東京にはこの程度(S席62000円)のチケットなど平気な人々が沢山いることを知りました。僕は妻が「父の日だし、思う存分楽しんで下さい」と自由時間をプレゼントしてくれたので思い切って横浜の学会を脱走し、正午から上野の森でオペラ鑑賞と洒落込みました・・・
僕のことを「お下劣なエロ記事ブロガー」だと勘違い?している人が多そうですが、真実の姿は高尚なる自由人・趣味に生きる人であって、時にはオペラも能も狂言も落語もミュージカルも京劇もフラメンコもタンゴも楽しむのであります。ですが、ヨサコイソーラン節的なヤンキーダンスは嫌いです、ごめんなさい。

さて、学会場から新調した高級サマースーツに身を包んだ田舎の開業医はたった一人で3階席の前から2列目に座りました。なんと隣は女性が一人・・・お顔を拝見してお声をかけるのは遠慮いたしました。同世代のようでしたが・・・
今日のオペラ演目は、ドニゼッティーの作品【ランメルモールのルチア】です。スコットランドが舞台のその内容は【ロミオとジュリエット】にかなり似ていますが、1835年頃の初演で今まで続いていますから名作なんだと思います。
何を隠そう、実は僕自身は【ランメルモールのルチア】は三度目なんです。最初は当ブログで記事にしました(スカラ座で検索を・・)が、伊太利・フィレンツェの学会に発表に行った際に、ミラノのスカラ座の素晴らしい席で観賞しています。この年、1992年のスカラ座のマリエラ・デヴィーア演じる【ルチア】は名演ということでDVDにもなっているようです。イタリア語も粗筋も判らず観たのですが度肝を抜かれた衝撃でした。
二度目は米国・フィラデルフィア留学中に、研究もそこそこにMETのシーズンチケットを購入して月に数回ニューヨークまでオペラ観賞に出かけていた時期がありました。ミュージカルよりオペラの方に傾いた一時期でしたが、そのシーズンの【ルチア】はフランコ・ゼフレッティのMET新演出による初演で、ざん新過ぎて散々な出来でした。
そのせいで今度のMET来日公演も心配していたのですが、もう20年近く経過していますから演出も改善されたと信じ南の島から遥々参加した訳です。もちろん、学会参加で旅費が経費で落ちなければ上野には行きませんでしたが・・・

しかし、今日この東京文化会館の中で、スカラ座とMETで【ルチア】を鑑賞した人が何人いるだろうか? もしかしたら・・・、僕の鼻は3階席からステージに届きそうになるほど伸びていました・・・

初体験でしたが、台詞の字幕スーパーってイイですね。三度目でしたが、最も理解しながら観賞出来、何度か涙が頬を伝いました。主役のダムラウも期待以上にヨカッタですね。幕間のロビーホールもすごく賑やかで素晴らしい公演であることが反映された感じでした。窓の外には上野公演を散歩する人々や子規記念野球場などが見え、「東京っていいなぁ・・」と田舎者の悲しさをおもいしらされた瞬間でもありました。
そんな夢の様な3時間15分はあっと言う間に過ぎ去りました。カーテンコール鳴り止まぬ中で、急いで僕は3時30分に上野駅から再びJR山手線外回りの人となりました。
そんなに急いでどこへ行く? と訝しがる向きもござんしょうが、飛行機に間に合わなくなるからではござんせん。これから「4時に有楽町で逢いましょう・・・」なんであります。誰と逢う? もちろん、最愛の人との数カ月越しの逢瀬であります・・・ 運命の3月11日の翌々日に逢うはずだった最愛の人・・・
いまから急いで行きます、まっててくださんせ・・・続く
映画の後、浅田小説を読みふけり夜が更けてウトウトするうちに淋しい一人寝の夜は明けた・・・6時30分
滅多に朝からシャワーを浴びたりはしないのだが、ホテルだともったいなくてついシャワーを浴びて7時にチェックアウト、動く歩道を急ぎ足で学会会場へ・・・
お金を払う・・、専門医出席カードを提出する・・ まあ、これで学会に来た目的の70%は達したことになる。なんたる不真面目な専門医であることよ。17日・18日も学会はあったというのに、ちょっと覗いたくらいで点数をいただこうなんて・・・トンデモナイ野郎だ、と自己評価しておくのでブログ炎上はご容赦願いたい。
残る10%は透析液清浄化のための講習会・・・出席証明書提出・・・目的の80%達成
次の10%は、緊急企画、「震災支援地域からの報告」を聞くこと。残念ながらいわき市と気仙沼市など数都市の話のみだったが、緊張感のある内容だった。ホントは前日朝の「被災地からの報告」を聞きたかったのだが、土曜の学会に開業医は出にくいので残念だった。そんな中で、恐らくm3ブログの福島県郡山市の透析開業医・スズキ先生のお姿を見てしまった。スーツ姿の写真そっくりな先生は途中で僕の近くのドアから出て行かれたようだった。オシッコだったのか?
最後の10%は、展示会場で透析支援用パソコンソフトを色々見てみることだった。4社ほどのブースをのぞいたが、1000万円ですよ・・と言われるとタマ金が縮み上ってしまって困った。1社だけ200万円でなんとかします・・と言ってくれて、ようやくタマ金が下がって生き返った。
しかし、10時30分・・・ほぼ100%の目的を達した僕は、後ろ髪を引かれる思いで学会会場を離れ、歩いて桜木町駅に向かった。
遠方から参加すると帰宅もお早くて大変ですね・・・と、美しいキャンペーンガールの甘い声が耳に残って大変だったが、11時ちょうどにJRに乗り込んだ僕の行き先は、羽田ではなく、なぜか上野駅だった。
桜木町から快速で45分・・ 上野駅到着は11時45分の予定。まあ、間に合いそうでホッとした・・・
透析学会会場は離れたが、僕の「学会旅行」は実はまだ始まったばかりだった・・・ 続く
たまたま宿泊するホテルの下に映画館があって、全く予告編も観た事の無い映画がたまたま時間が合って・・・【127時間】 いい映画でした。
僕自身が最近すごく辛く不快な事があったから余計に感じたのかもしれないが、拾った宝くじでミリオネアになった気分のする映画だった。監督は「スラムドッグ$ミリオネア」の人らしく、映像と音楽と、グイグイと頭と心臓とを刺激する良い映画だった。
どうも実話らしい・・・
アラスカの原野で死んでしまう若者を描いた【イントゥーザワイルド】や、何だか訳わかんないうちに終わってしまった森の中で迷い死ぬ?【ブレアウイッチプロジェクト】なんかと似てる様で全然違う【127時間】はさすがにアカデミー賞監督作品という気がした。
僕も時々、フラッと誰にも行き先を伝えずに車で山に出かけて車内で一夜を過ごしたり一人で山歩きを楽しんだりするが、そして昔からそんなあての無い自由な一人旅が好きなのだが、やはり怖さを感じたことも何度かあった。でもあの怖さこそが一人旅の醍醐味だと言えるのも確かなのだから困ったものだ。
でも、この映画は僕のお勧めだ。『前向きで行きぬきたい・・』と、美しい妻に早速メールを送ったくらいだ。妻からは返事のメールは来なかった。恐らく、「透析学会に行ったんじゃないの? 遊びに行ったの?」との疑いをもたれたことであろう。
その疑いは少々当たっていたのであるが・・・
まあ、盛り場や色街には見向きもせず、シンデレラの様に24時にホテルの部屋に戻るとなかなか良い部屋であった。2万円の価値は充分にある。一人で寝るのはもったいないくらいだ。
しばらく、観覧車を望む部屋で浅田次郎の時代小説を読んでから寝よう。明日は6時30分に起きよう・・・
明日は、ホントに学会へ出席予定だ・・・ 続く
羽田空港へはANAプレミアム席でベテランスッチー達の落ち着いた雰囲気の中で浅田次郎の時代小説を読みながらアッと言うまでした。アッと息をのむ程のスッチーには残念ながら出会えませんでしたが・・・
さて、羽田からはバスで横浜駅に向かいます。一番前の席から望む横浜は節電のためかいつもより暗い雰囲気でした。ひょっとすると僕の心の暗さを反映してたかもしれませんが。
このバスは横浜駅の東口まで直行ですが、どうして「みなとみらい地区」で途中下車させてくれないんでしょう? 横浜駅から電車で桜木町やみなとみらい駅まで戻るのが毎度うっとうしく感じます。
毎度といえば、毎度のことながら直前まで予定を立てにくい立場上、ホテルも当日の13時に予約しました。大きな学会期間中はずっと満室で予約出来ないものの数日前からキャンセルが出始めますので、今回はニューオータニイン横浜という桜木町駅横のホテルに泊りました。少々前にはあの辺りはポピーの花が咲き誇っていた様な記憶があります。当日価格で2万円でしたが、チェックイン後にネットで調べると1万円の価格に下がっていて、もう少し待てば曙町あたりでオネエチャンと遊べたのに・・・などとは決して思いませんでした。
21時30分の到着では流石に学会も終わってますし、綺麗な看護師さんも同行してませんし、曙町で楽しむ元気も、伊勢佐木町で酔っ払う気分でもありませんでしたので、ホテルで淋しく一人寝をしようかとも思いましたが、せっかくホテルの下に映画館があって、21時50分開始の映画がありましたので、フロントに荷物を部屋に運んでもらうよう頼んで映画館に行きました・・・ これが実に良い映画でした。
こうして「学会旅行」の夜が更けます・・・ 続く
6月17日から19日にかけて横浜で日本透析医学会総会というのがあって、透析専門医資格更新のための出席点数稼ぎに出かけました。今回の分で一応、次回更新時の必要点数は充足した様ですし、昨年に設問形式の必須課題も済んでいますから、後は更新費用を納入するだけです。だが、こいつはバカ高いですね・・・
また今回から新たな水質基準の講習会というのがあって、それの受講がなきゃ行かないハズでしたけど、最近すごく不快な事・悩ましいことがあって、気分転換を兼ねてホントに久しぶりの宿泊有りの旅になりました。
最近は学会の多くは東京でも日帰りでしたし、今年は特に大震災の影響で循環器学会も内科学会も日本医学会総会もことごとく開催が見送られましたので、ホントに久々の飛行機の旅になりました・・・ ひょっとすると、一泊旅行は一年振りくらいでしょうか?
さて、土曜日の午後の通常診療を終え、17時30分にタクシーで近くの空港へ出かけました。まだ院内では透析液を綺麗にする約800万円の機械を入れ替え作業していたのですが、院長は経費を使ってANAプレミアム席での上京です。夕食は機内食を美味しくいただきましたが、ANAスッチーの平均年齢が素晴らしい上昇気流に乗っていたようで、20歳代は不在の様でした・・・
僕は飛行機に乗るときに必ず行う「儀式」がありまして、機内で一番きれいで上品なスッチーを見つけて、「この人と一緒なら墜落して死んでも構わない・・・」と思いこむようにしています。そうすると不思議に心が穏やかになって、墜落の心配が消え去ります。逆に適当なスッチーが見当たらないと、「ここで死ぬわけにはいかない・・・」と焦りが出てきます。今回は少々焦りを感じました・・・
乗ったタクシーの運転手さんの息子さんが医学部の3年生とかで、研修や開業の事など色々聞かれました。医療の世界も10年先は全くの不透明ですから、僕の意見など参考にはならないでしょうが、頑張っていい医者になって下さい。最近では全く流行りませんが、ぜひ留学して下さい・・・と伝えましたが、留学希望の医学生は凄く減った様ですね。残念ですが研修制度の影響でしょうか?
そんな話をしてる間にド田舎の空港に到着しました。普段は別の空港を利用するのですが、この便が一番早く羽田に到着出来るので、これからは時々利用しようかなと思います。といっても、年に一度あるかないかでしょうけど・・・ でも、帰りの別の空港の別の航空会社は全員がスレンダーで高身長の20代だったような気がするなあ・・・ やっぱ、あっちが良いなあ
そんな訳で「学会旅行」が始まります・・・ 続く
もうなんと表現していいのやら、アンポンタンもあそこまで強烈に度を過ごしてウルトラアンポンタンにまでなると、もう世界中が狂ったのではないかと正直恐ろしくなる。
15日の自然エネルギー買い取り法案とやらの成立を狂った総理が宣言してしまった。興奮しまくって、「(私の顔を)本当に見たくないんですか?」と3回も連呼していたが、出席者で応援してる人々もどうかしてます。
その中に孫正義さんがいたのだが、「あと10年辞めないで・・」と、この人まで頭の中がメルトダウンしたのだろうか? 少々尊敬もしていたのではあるが、菅直人の顔を見たい人とはどうも僕は人種が違うようだ。
総理大臣に対してこんなことを言うのは正直つらいし、7日のブログでせっかく初めて無理して誉めてあげたのだが、馬鹿にはバカと面と向かって言わないとバカなんだから判らないようだ・・・
『菅直人総理よ お前の顔など見たくもない』
『菅直人総理よ お前の声など聞きたくもない』
『菅直人総理よ お前の存在など忘れてしまいたい』
『菅直人総理よ お前のピースサインなど信じたくもない』
これほどまでにアホ・バカ・間抜けなくせして、日本人の迷惑顧みずに無茶苦茶粘るなんて、原発事故よりも更に想定外である。鳩山を完全に超えた。とうていマトモな日本人とは思えない。
民主党のアホ議員達よ、少しは良識があるならばさっさと腐った自分達の代表・総理を取り除かなきゃ。それが代議士の使命であることに早く気づいて欲しい・・・