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もうスグ開業して満13年の日を迎える。今年と違い暑い初夏の雰囲気のする玄関前を埋め尽くさんばかりの祝いの花が飾られたのを去年のことの様に思いだす。心配より期待が多く心を占めていたが、今では予想を超える心配や気苦労の方がこの小さな胸に溢れている。さすがに13年の月日は若さを奪い去っていくものだ。
今日は校医をしている中学の検診に昼休みに出かけた。自分の子供より若い12-13歳の子供達を次々に診ていると、もう一度この位の思春期に戻ってあのドキドキする多感な日々を生きなおしてみたいとも思う。
今日はまた、農繁期でGW連休の4週後と言うこともあって非常に外来患者数が少なく、突然に自由な時間が出来た。そこで急に思いついて、この13年間の透析患者のリストを改めて作り直しジックリと眺めてみた・・・
入院施設もない、導入も行わない田舎の小さな透析施設なので13年間の透析患者数は僅か120人程しかいなかった。うち、半数程度しか現在は当院での透析を行っていない。
残り半数程のうち・・・、
約1割は認知症などの要介護状態で自宅生活が不可能になり、長期入院を余儀なくされている。
随分前になるが、2名が病気を苦に自殺をされていた。
最近では、2名が夫婦間生体腎移植の恩恵で透析生活から解放されてた。
また約1割は、自宅近くに新たな透析施設が出来たり転居になったりで転院され、その後は不明である。
残念なことに約1割は、当院の方針や雰囲気と馴染めず、何か他に良いモノを探すかのように突如転院され、その後はやはり不明である。
そして残る約6割強の人々は既に死去されていた・・
この間、40名近い透析患者の死亡と向き合ってきたことになる。もちろん、そのほとんどは紹介先の病院で治療困難な癌や脳卒中後の衰弱等により死亡されているのだが、なかには自宅で突然死を迎えられた患者さんも約1割はおられる。家族からの電話で深夜に患者宅に駆け付け死亡を確認するときは辛いものだ。
透析患者さんの高齢化に伴い、40名近い死者の死亡時年齢は平均80歳を超えている。腎不全という病気の程度・合併症の程度の割には透析患者さんも長生き出来るようになってきた。病気が見つかっても治療困難な場合も少なくないのに・・・
死亡時までの当院への通院期間は数カ月から長い人では10年以上にもおよぶのだが、皆さんと週3回、毎回5時間近くも院内でともに過ごすので実の家族よりも気持ちが近くなるものである。だから、この13年間に逝った40名近い人々の顔も声も家族の様子も、人によっては家の様子も仕事の様子も、趣味も好みも性格までも・・・鮮やかに思い出されるのである。
長く繰り返す透析の時間を通じて、患者さんの苦しみや辛さは我々医療者にはしばしば「学ぶ教材・教師」の役割ともなるが、今日1日ずっと患者リスト作りを行う上で、「あ~、どうしてあの時にあんな言葉を使ったのだろう?」とか、「どうして別の方法を取らなかったのだろう?」とか、「あの場面ではあの患者の苦しみを判ってあげられなかったかも?」とか、「あの時に・・・」という自問自答が何度も何度も蘇るのである。
外来患者も数えてこそいないが、恐らく100人以上の死亡と関わってきたように思う。勤務医時代よりも少ないかもしれないが、一人ひとりの人生とより長く付き合ったうえでの死別という点ではむしろ濃い経験だとも思える。
循環器科・透析医療といった高リスク・高齢者医療や介護関係の仕事を主にやっていると、「どう最期を迎えてもらうのか?」とか、「よりよい人生の最期をどうお手伝いするのか?」とか、「死とどう向き合ってもらい、それをどう支えるのか?」とか、「死を意識させない様にすべきか、死を受容しうるよう導くのか?」と云う様な、医者か坊主か判んないような自分自身の立ち居振る舞いに自分が驚く様な場合も少なくない。
沢山の死者に学んだことは、これからの「死と向き合う場面」で役に立つのか、あるいは良くない囚われとなるのか・・・、それを生かすも殺すも医師の医師としての仕事の一部と思いはするが、13歳の中学生の頃には全く想像すらしていなかった自分自身の現在の様子に、時の流れをあらためて感じた5月31日であった・・・
読んでくれてどうもありがとう
久々に海堂尊さんの新刊の紹介をします。当ブログにも沢山の記事を書いてきましたが、どうやら【 イノセントゲリラの祝祭 】以来、2年半もの時が流れてしまったようです。
その頃から海堂尊さんはテレビや映画で作品が映像化されていくことが多くなり、原作と脚色された映像作品のギャップに実は戸惑うことがしばしばとなり、少々海堂尊さんから離れていました。途中3冊ほど読んでも感想を書いてませんし、3冊ほどは積読状態で部屋の片隅にゴロんとしています。海堂さんがAi推進にまい進されればされる程、作品の帰結が見えてしまうので、ワクワク感が減ってしまったことも一因でしょう。
兎にも角にも、今回は新型インフルエンザ騒動、厚労省村木局長逮捕事件、大阪地検特捜部問題、道州制や地域主権問題などが出てきますから材料としては面白いです。
海堂さんがモデルの医師彦根はイノセントゲリラで大活躍でしたが益々海堂先生の代弁者になったようです。
ただ・・・・材料が良い割に面白くない、というか残念な仕上がりだ。
橋下大阪府知事が浪速モンスターなんでしょうが、実物の方が良いんじゃないかと感じる。
カジノの泡銭を医療と介護に・・という知事の主張はアホかと思う。カジノ抜きの改革を目指しなはれ。
道州制が愚策であることは僕が繰り返し主張してきたことだが、考えたつもりの「日本三分割論」はミニ官僚組織を作るだけで情けない中途半端な策だ。やはり日本の癌、首都東京を弱体化すべしという海堂・橋下両氏の主張を実現するには3分割論ではなく首都移転を組み合わせないと絶対に駄目である。手っ取り早く3か所で回しても反対が少なくていいかも・・・
また、最後の橋下と大阪地検特捜副部長のやり取りはいただけませんな。次作への展開上しかたないのかもしれないが、前振りの割には情けない決断・選択でした。まあ、次作でのどんでん返しに期待しましょう。
しかし、新型インフルエンザ騒動の厚労省のドタバタ無策ぶりへの皮肉は弱すぎです。海堂さん、もしかして有名になって霞が関が恐くなったんじゃありませんか? あの時の「現場」ではもっと激しい厚労省への怒りが渦巻いてたのに忘れたんですか? それとも気づかなかったのですか? もっと無茶苦茶に皮肉を連発して下さい、現場の僕らのために・・・
まあ、材料はいいんですが・・・
海堂さん、しょうしょう書き急いでいませんか? 最近、作品の質が落ちてませんか?
読んでくれてどうもありがとう
最近、色んな病院から様々に案内パンフレットが送られてきたり、地域連携室なる部門の職員が手ぶらで(時には菓子折り下げて)訪ねてきたりすることが非常に増えた。更に、地域連携・病身連携推進会議などで積極的に「医師同士が顔の見えるコミュニケーション」を図ろうとしている機会も増え続けている。公立系の病院だと会費まで出させて出欠の案内をしてくるからえげつなさまで感じてしまう。呼んどいて失礼な・・・
このような場合の基本理念は「患者さんを沢山当病院に紹介して下さい。我々は頑張ります。地域の皆さんのため、地域の医療のため、そして地域の開業医の皆さんのために」ということである。まあ、最後の一句は明確に発言されない場合もあるが、隠された言葉もある・・・「当病院は赤字になりそうです、ヨロシク」
なかには堂々と「赤字なのでヨロシク」と宣言するツワモノもいるが、そんな病院の理事長・トップ・経営陣は実は医師ではないことが少なくない。営利企業から横滑りというか乗り込んできた様な文系事務屋の経営陣に頭ごなしに黒字化を強要されて巷に宣伝に行かされる優秀なお医者様も可哀そうである。看護師達や事務屋達が地域に頭を下げて回ってる姿など見たことも聞いたこともないが・・・
そもそも医療費を増やしてどうするの? と、僕なんかは思う。
患者さんが少ないから何が悪いの? 地域の医療費負担が少なくてエエジャナイカ? と、僕なんかは思う。
そもそも 患者を創り過ぎ・・・
そもそも 検査をやり過ぎ・・・
そもそも サービスし過ぎ・・・
そもそも 病院が多過ぎ・・・
そもそも 医者が多過ぎ・・・
ナンテ言うと、「お前の所は黒字だろ?」と突っ込まれるだろうが、当然ながら黒字である。検査は少ないけど、サービスはしないけど、新患数も少ないけど、ありがたい事に少々黒字である。いい医療をヒマなく個人の生活を犠牲にして健康を害するほど頑張れば当然ながら黒字じゃないと生きる意味すらないから・・・
「赤字なので患者さんをたくさん紹介して下さい」とか優秀な医者が事務屋の経営陣に命令されて懇親会に出てくると、その病院の理事長の面に小便かけてやりたくなる。
「医療は金儲けのためにやるんじゃないぞ、赤字が嫌なら病院閉めろ。他に病院なんか周りに沢山あるんだから」とかなんとか一発かましてやりたくなる。
まあ、当地の様に医療過剰地域で超過当競争の場合にしか当てはまらない過激な文句であろうが、とにもかくにも優秀な真面目な医師達が、患者獲得・赤字解消のために地域に宣伝して回らされている姿を見聞きすると・・・・何のための医療なんだと疑問がふつふつと沸いて来る。
地域の医療費なんて少なければ少ないほど、病院も少なければ少ないほどいいのに・・・と、感じる今日この頃である。
読んでくれてどうもありがとう
前回の記事で開業13年にして初めて古いカルテを廃棄したことを書いた。平成14年12月31日以降に受診歴が無い患者カルテ約1500冊を思い切って処分したのだ。法的には平成18年5月以降に受診歴がなければ廃棄処分できるハズだが、それもまた後ろ髪を引かれる思いでもあって躊躇していた。まあ、8年半も残しとけば問題なかろう・・・との思いだった。
その翌日、早くも「想定外」の事態が生じた・・・
正確に言えば、「想定した通り」の事態だったのだが、その翌日・・・と言うのが「想定外」だった。
平成14年12月6日に受診歴のあった患者さんが長い時を経て受診された。
想定した通り・・・
その患者さんは、26歳のうら若き女性で、当時は高校生であったが今では結婚して名字も変わり住所も変わり勤務先も保険も変わり化粧したので顔まで変わっていた。要するに、全くの初診患者と同じで、当時書いていただいた患者情報や問診票や何もかもが全く新しく作成しなくてはいけないような患者さんだった。
これまでは、そのような場合でも同じカルテを継続して使用し、表紙を書き変えて二枚重ねにして使用していた。そして問診票は古いまま・・・で、病歴や副作用情報なども古いままだった。
当院の初診時の問診票には「来院された動機・理由」を選ぶ項目がある。曰く、1)家族がかかっているから・・・ 2)専門科だから・・・ 3)近所だから・・・ 4)他の医療機関の紹介で・・・ 5)院長が素敵だから・・・ 6)院長が賢そうだから・・・ という選択肢が並んでいるのに丸を付けて頂くのだ。
実際、若い女性の多くは5)か6)を選択されるのだが、今日の8年半ぶりの患者さんは・・・3)を選ばれていた。
あぁそうですか? と心の中で呟いたが、5)や6)を想定していただけにビックリした。それでも選択して頂けるので素直に嬉しいと思う。
読んでくれてどうもありがとう
光陰矢のごとし、まもなく開院後13周年を迎える。開院当時30代だった好青年も今では草臥れた50代に成り果てた。あの頃は周囲の50代の医師がみんな時代遅れに見えていたことを告白するが、若い医師の方々には今の僕も同様に時代遅れに見えることだろう。自分自身で感じるところがあるので間違いではなかろう・・・
さて、事務の皆さんがカルテ棚が満杯で困っていると言ってきた。というか、カルテ棚とその周りの古い書物やガラクタを整理してスペースを空けようと頑張っていた。当然ながら院長私物をも「センセイ、ここらの汚らしい?ガラクタ?どうにかなりませんか? 院長室に運んでくれませんか?」と怖い眼で訴えてきたので僕自身が率先してカルテ整理を行うことにした。
「センセイ、頑張りますね・・・どうしたんですか? はあ、もしかしたら何か大事な?如何わしいモノが出てきて私達に見つかるとヤバいんでしょ? もしかしてヘソクリですか?それともエロ系統ですか?」
そんな風に院長もからかわれるくらいの関係になった、13年もたったから・・・
まあ別にその場所には何もヤバそうなものは隠してないのでどうでもよかったが、間違っても院長室の中は勝手に整理整頓しないで頂きたい、ヨロシク。
カルテ等の資料は「最終受診後5年経過しなければ廃棄できない」きまりだと思うが、最終受診日が平成14年12月31日までのカルテに限定して廃棄することにした。ホントなら最終受診日が平成18年5月以前のものであればよいのだろうが、つい先日に最終受診日が平成15年6月の人が当時の診断書を欲しいと言って来院されたこともあって今回は余裕を持たせることにした。そんな想定外も想定することにすると一切廃棄できないのではあるが・・・
以前に最終受診日が平成17年12月までの前後で分けたことがあったので、今回はその前のカルテを約3000冊ほど見なおした。結果的にその半分程は廃棄方針となったが、そんな昔のカルテ整理は初心を思い出す事が出来てとても面白かった。
感冒などでたった一度の患者も多く、再診に至らなかったことを喜ぶべきか悲しむべきか判断しようもない。一発完治の名医かもしれないが、一発ダメ烙印の藪医者かもしれない。
名前を見ても顔が思い浮かばない人が半分、残り半分は様々な顔の表情や声や付き添いの家族の姿が思い浮かぶ。さすがに処方内容までは思い出せないが、病名・病態は結構覚えていた。既に確実に死去された人もいたし、子供達は立派な大人になっていることだろう。
初診から5年以上たって二度目の受診となった例などは少々嬉しい。最近は10年越しの再受診も時々あって、時の流れを感じる。なかには10kg以上も体重が増えて見る影もない人や、葬儀場で名前を見かける場合もある。
開業当時とは診療方法や薬剤の種類、今は行わなくなった検査方法や手書きの紹介状や返事など・・・
気負いや自信やチャレンジの精神が見え隠れする昔のカルテを眺めていると、大学の時から研修のとき、独立の時へ至る過程が蘇ってくる。強気な時も弱気な時も・・・
そして、時代に遅れ始めているかもしれない自分自身がこの先どのように医師生活を送るのか・・・10年後、20年後の自分の姿は全然想像がつかない。登るときよりくだるときの方が難しいものだ、人生は・・・
電子カルテだとこうはいくまい・・・
読み返す事もなかろう・・・
そうしているうちに、子供達の将来を思い浮かべた・・・
医師としての人生はこれからの子供達にとって価値あるものであり続けるのだろうか?
まあ、僕自身が親とは異なる人生を歩んできたのだから、子供らには子供らの人生が拡がっているのだろうが・・・
読んでくれてどうもありがとう
アンポンタンの能力不足無自覚総理の呆れるような素晴らしい言動など批判する気力も湧かなくなった今日この頃、福島や浜岡原発から離れた南の島の津波に強い高台に住む僕は、愛する美しい妻と久しく忘れていた散歩なるものを週末毎に楽しんでいる・・・
新婚時代をアメリカ東海岸の留学先で過ごした僕ら夫婦は夕方や週末をよく二人で散歩して過ごしていた。3年余の留学生活を終え帰国した頃には子供が生まれていて猛烈な忙しさの大学生活だったために散歩とは無縁の生活になって久しい。
今では子供達が高校生になり、週末の楽しみが「犬との生活」となった中年オヤジにとって、思いがけず「妻との散歩」が復活するなど、犬に感謝の日々でもある。
妻はトラウマがあるのか犬が恐く、我が家に最初の犬がやってくるまでは「私は絶対に世話しない、近寄らせないで・・」と拒絶の姿勢だった。犬が来てからも、エサを買いに行くことはしても犬を抱っこしたり散歩したりエサをあげたりは一切出来なかった。犬が家族の一員となって半年くらいしてようやく犬に興味が湧いて来たようで、恐る恐る触ったり抱っこしたりエサをあげたり出来るようになった。友人たちからは、「エッ? いつから犬が好きになったの? 信じられない・・」と驚かれるくらいに怖がりだったのに、子供が二匹目を欲しがった時には拒絶はせず受容できるくらいに「成長」した。
二匹目は生まれて10ヶ月でも1kg程の相当小柄なトイプーであるが、その愛くるしい姿にいつの間にかマイッテしまったようで、最近では亭主の存在など目に入らないようだ。
その妻が遂に目覚めてしまったようだ・・・
震災の頃までは家族で散歩に行っても付き添うだけでリードを決して持とうとはしなかったのに、最近は週末の夕食が終ると「あなた今夜は散歩に行くのォ?」と聞いて来る有り様だ。さすがに2匹を一人で散歩させることはまだ出来ない様だが、僕と二人で子供らを家に残して散歩へ出かけるのが楽しみの様である。変われば変わるものである・・・
夫婦で散歩など留学時代を除けば初めてのことだ。他人から見ればラブラブ仲良し夫婦に見えるかもしれない。恥ずかしいという感じは特にはない。
妻と近所の超高級住宅地に建つ豪邸の建つ界隈を仲良く散歩する。車もあまり走っていない静かな通りを歩きながら、「こんな家、いつか住みたいね」とか、「ここ、こんな家いつ建ったの? 感じいいわね」とか、「中庭に犬を遊ばせるスペースが欲しいと子供達が言ってたわよ」とか・・・、時おりすれ違うお散歩中の人達から「あら、小さくて可愛いわね、赤ちゃん?」とか声をかけられるのも慣れてきたようで、先に歩く妻が楽しそうな足取りなのが妙に嬉しく思えるから不思議だ。
今では犬を飼ってヨカッタと思えるまでになった・・・ようだ。と言っても、他所の犬には興味が湧かないどころか依然怖い様子で、犬同士がすれ違いざまに足元に近付くとハラハラしている感じが良く判る。でもそれもまた妻の可愛らしいところだ。
夜の生活・・・今では犬との散歩が全てとなった感があるが、それもまた良いものであり、楽しかった彼の地での新婚生活が想い起こされる。
読んでくれてどうもありがとう
レンホウ・・・とかいう アホ・バカ・マヌケなパフォーマーに命じられて始動した訳ではないが、当院でも3か所の施設で節電対策チームを立ち上げた。毎月の電気料金は計60万円程度であろうか? 多い時期は月80万円近くになる。東電が儲かり御用学者や族議員が群がるハズである。
節電の理由は簡単、もしも計画停電とかされたら透析施設はボロボロにされるから。花の都の23区の貴族の様な停電免除とかは期待できない田舎土着民なので、率先して【節電の ご理解を】という張り紙を院内アチコチに張っている。
お陰で、節電と経費削減のどっちが主眼か誤魔化せるので院長自ら堂々と院内アチコチの無駄と断じた電気を消して回り出したのでスタッフの意識も変わり始めると期待している。ただ、「センセイは絶対パソコンでエッチなサイト見てるわよね・・・ イヤよね・・」というコソコソ話が聞こえて悲しくはなるがしばらく耳を塞ごう。
しかし、もう何度か30度近い日があって、透析患者さん達は「センセイ暑いです、いつからクーラー入るんですか?」とか怖い眼をして質問して来られるが、そんな時は眼をそらしてジッと耐えることにしている。一応、「体重増加幅が少なくなっていいじゃん?」と、真偽のほどは判らぬ誤魔化しで逃げ回っている。
介護スタッフからは、「年寄が熱中症になったら困るでしょ? 私達はいいけど・・」と、年寄を人質にした様な苦情が早くも舞い込んできている。そんな院長の深層心理を見通した様な蔭口は僕の心を簡単に凹ませてくれる。
外来患者さん達は、診察室に入って僕の前の椅子に座って、急にわざとらしくハンカチで顔を仰いだり、頼みもしないのに衣服の前を開けようとしている。ただ若い女性は頼んでも胸は見せてくれないが、後期高齢者は気前よくシャツでパタパタ胸か胴かわからぬようになった場所を煽いでおられるようだ。
「センセイ、汗ビッショリですまんね・・」というのが最近の患者さんの診察時の言葉だが、僕は内心で、「すまんね、経費節約につきあわして・・・」と、丁寧に頭を下げている。
まあ、僕も同年代の看護師達も、「センセイ、少しはダイエット効果が有りますかね?」と節電を楽しむつもりにしている。
ただ、自分自身はクーラーも数年あまり使わなくなったし節電は容易だが、医療をサービス業と勘違いした患者様方が増えているので【節電の ご協力を】という張り紙がどこまで効果があるかはよく判らない。
ちなみに、僕は患者様とは言わず患者さんと言うが、うるさいマスコミは読者とか視聴者とかリスナーとか言うけど決して読者様・視聴者様・リスナー様とかは言わないようである。別に様付けは不要だと思いはするが・・・
まあ、そんな訳で今年の夏は、というか早くも梅雨時には、暑さと苦情に耐える冷や汗とで僕は常に汗ビッショリの「水も滴るいい男」となるんでありんしょう。
汗ビッショリ・ダラダラ中年男はうら若き女性に嫌われるので避けたいのだが、最近は女性の方からホイホイと避けられて幸運が1m以内には決して近づかないので少々汗臭かろうが、ハードボイルドな「汗だくダイエット法の本」とやらを秋には出版できるよう、使用前・使用後の全身裸体写真を撮ろうと計画している。問題は誰に(どの職員に)撮影をお願いするか? であるが、ダイエット本がベストセラーになる前にセクハラで新聞紙上を賑わしかねない危険性もあるので深く悩んでブログ記事をなかなか更新出来ない今日この頃である。
こうして匿名ブログを数年も書き続けていても、また登場する二人の俳優が大好きだとしても、そしてNYCの街並や 「大人の出会い」や ワンコや 本屋や コーヒーが大好きだとしても、不思議と今まで一度も観たことが無かった映画をとうとう観てしまった。
それにしても Meg Ryan は超キュートで 可愛くて ついでに胸まで大きい、まるで今を時めく Haruka Ayase の様だ。
しかしながら、1998年製作の映画なのになぜ観てなかったのであろうか? それは同じ年に開業した直後で、恐らく超ヒマ?多忙?なのに借金を沢山こしらえて、呑気に映画どころではなかったからに違いない。でなければ、同じ二人の【 Sleepless in Seattle 】が大好きで、その他にも沢山の主演作を観てきたのに説明がつかない。
もうあの頃は携帯電話は普及していたハズなのに、不思議と映画の中ではダイレクト・コネクトの携帯電話は登場しない。そこがまた良いのであろうが、AOLのダイアルアップ式のインターネットの時代があの雑音的な音とともに蘇ってきた。たった10数年の違いなのに動画を始めインターネットの黎明期が懐かしい。
懐かしいと言えば、彼女の住むアパートメントも実にNYCらしくて素敵だ。ヨーロッパとも違うし、日本のアパートやマンションはどうも好きになれない。出来ることならば、もう一度あんな街で自由な時間を過ごしてみたい。

幸か不幸か、僕にも毎日毎日たくさんのメールが飛び込んでくる。多い日には30通くらいくるが、ほとんどは読みもしない医学関連の情報メールや エロサイト・出会い系サイトへの誘いや ペニス増大やインポ治療薬や媚薬などのコマーシャルだと思う。サイトは開かないのであくまでも想像だが、エロサイトを訪問するたびに迷惑メールが増え続けてしまう。困ったものである。
しかし、時おり嬉しいメールも飛び込んでくる。ブログのコメントも嬉しいものだ。ただ正直なところ、見知らぬ男性からよりも見知らぬ女性からの方が100倍は嬉しい・・・成りスマシはご勘弁を。
この映画を観てて、大病院との競争に負けて閉院せざるをえなくなる未来の僕の診療所の姿がだぶって、少々悲しくもあった。今ではAmazon などで本を購入することがほとんどの僕が何をいわんや・・ではあるのだが。
匿名ブログをやっていて思うのは、匿名だからこその本音炸裂とか 感傷吐露とか 浮気妄想とかが比較的自由にできて、心が軽くなったり 時間的にも空間的にも遠くへ飛べたり 変身願望が果たせたりと個人的には生きていく上で役に立っている。実名でのFacebook では味わえない匿名の良さを捨てることは出来ない。
この映画のオリジナルは「手紙での文通」の時代だったようだが、この先に「Facebook」でのドキドキする様な恋心などはあり得るのだろうか? Facebook に縁がない僕には想像さえ出来ないのだが・・・
あの・・・世の素敵な女性の皆さま、M@il をお待ちしておりますのでヨロシク
むかし好きだった片想いの女性達が僕の正体をしらずにコメントくれて、恋に発展して『お会いしたいですわ・・』とかなんとか・・・ありえないでしょうけどね。
怖い怖い原発のメルトダウンが起こってから早2ヶ月・・・ようやく騙し切れない東電と民主党のアンポンタン達が「1号機の圧力容器に穴があいてました。メルトダウンでした・・」と認めました。ケツの毛を毟られた御用学者達や金玉握られた弱虫マスコミのアンポンタン達も連れだってションベンしたように今頃になって言っています。全く世間の人々が2か月前に知っていた事を・・・フザケンナ、です。
さて、今夜はそんなアホ菅率いる民主党政府の無能さを一瞬でも忘れたいと久々に映画館に行ってきました。
仕事が順調に終わって急いで向かった映画館、19時を少し回った時に到着しました。既に10分近く前に始まっていましたが、とっかかりの所は知っていましたので残り80%でも時間貧乏な僕には平気でした。
さてさて、始まった後なので通路側の指定席を購入して、職員に電話を一本入れてから真っ暗な館内に入りました。
そしたらなんと・・・
封切り直後の映画なのに・・・ガラガラの様で、僕の席はスグに見つかって座りました。患者さんからの電話に対応すべく携帯はマナーモードです。珍しく、ホップコーンもダイエットコークも買わずに席に直行して静かに観賞です。でも、何だか変な感じです。
映画は【アンノウン】・・・「身元不明者」という意味でしょうか。ベルリン市内を舞台にした「サスペンス映画」です。銃殺あり、ナイフ刺殺あり、ビル爆殺あり、首折り殺害あり、要するにありとあらゆる暗殺・殺人の流儀がちりばめられたスリリングで結構良く出来た「怖い映画」です。
冬のベルリンが舞台ですが、1990年の夏、まだ「ベルリンの壁が崩壊直後で、東西ベルリンに分かれていた頃」に訪れたベルリンの旅を昨日の事の様に思い出しました。
(よろしければ、左のブログ内検索欄でベルリンの語句を検索してください)

残念ながら統一後のベルリンには行ったことがありませんが、1990年夏のベルリンは興味深い大都市でした。
まあ、そんなことはどうでもいいですが・・・
映画を観ていて非常に妙な肌寒い感覚が漂います。さてはインフルエンザに感染したか? あるいは大学の時に苦労したドイツ語が今もなおチンプンカンプンなのが心を揺さぶるのか・・・とにかく背筋が寒くなる怖い感覚が離れません。
どんどん映画の中で人が死にますが、それが原因ではないようです。どうやら・・・・
回りを見渡すと・・・お客さんがほとんどいないようです。こわごわ後ろを振り返って見ますと・・・ゼロ、そう完璧に僕一人でした。暗殺者が大活躍する映画を、映画館のど真ん中でたった一人で観て・・・・ブルブルブルン、屁が・・じゃなくて、携帯電話が震えました。
ドキッとしましたが、患者さんからの携帯電話は地の果てまで便所の中まで追いかけてきます。まるで暗殺者の様な執念です。
僕は急いで階段を転げそうになりながらかけ下り外に出て、患者さんの「明日は何時から開いてますか?」というありがたい問い合わせに返答をして急いで席に戻りました。
良く考えると、他に一人のお客さんも居ないので客席で通話しても良さそうでしたが、まあ良いでしょう。階段で転んで骨折した訳でもありません。少々大切なシーンを見逃しただけです。お陰さまで、怖さから現実に引き戻されて小便チビラナクて助かった程です。
しかし、映画館ってお客さんゼロでも上映するんですね。確かに僕の様に開演後にかけ込む客もいますからね・・・
田舎は不況ですね。震災による自粛なのでしょうか? 潰れますよね、このシネコン・・・「この野郎、死ねコン畜生」ではありません、「ガンバレ田舎の映画館」であります。でもそう考えるとゾクゾクと寒気がしそうです。復興のために増税なんかしたら全国的に終わりかねませんね・・・
久々に「非常に怖い映画」を鑑賞しました。
実はとってもストライクゾーンの面白い映画でしたのでお薦めしたいですけどね。
読んでくれてどうもありがとう
今日、6日は三連休の後ということもあって非常に忙しく辛かった。117人の患者さんを診察したのでグッタリだ。病気になりそうだ・・・
さて、誰も期待はしていないだろうが、お約束のGW旅行記を印象深いうちに(自分のために)書き遺しておきたい。
さてさて、GWの真っただ中、5日は木曜日で透析は午後1時半には危険な手技も終了するし、土曜と違って午後の外来もないし、デイサービスも年に数度の定休日でもあって僕にとっては真に貴重な時間である。こんな日は愛人と延々と汗水たらして楽しみたいところ・・・と妄想こそすれ相手が実在せず、かつ天候が一気に好転して来たので、後かたずけと戸締りを職員にまかせて愛車をすっ飛ばすことにした・・・
さてさてさて、どこに行くか・・・??? 天気予報や地図や渋滞情報や新幹線時刻表(と料金表)をにらめっこしながら出した結論は・・・
ということで、僕はフェリーに乗り込んでしまいました。女子高バレー部のマイクロバスの中から熱い視線を感じましたがナンパする訳にもいかず、クールな中年を気どってデッキでカモメならぬ鳩ポッポと楽しく過ごしました。
目的地は若かりし日の想い出の地・・・プラトニックな関係の二人がプラトニックなママで車内で一夜を明かした場所でした・・・
http://blog.m3.com/BackToTheStreet/20070426/2
かつてパンプスの彼女と一緒に手をつないで登った山の隣には平成新山と呼ばれる溶岩ドームがあって、かつての登山道は封鎖されて今はいくことが出来ない。下は妙見岳から国見岳に向かう途中からみた景色であるが、奥の茶色のピークが1990年噴火の新山で、手前中央の緑のピークが懐かしの山頂である。Kちゃん、元気ですか???
しょうがないので(時間もないので)ロープウエイで隣の妙見岳に登った。混雑を予想していたが、不況のせいか雲仙は山も温泉もガラガラで少々淋しさを感じつつ過ごした。お陰で野鳥の声が美しく聞こえたのではあるが・・・ でも、雨の後で黄砂も消えて美しい有明海や長崎方面、天草諸島などがクッキリと見え気持ちの良い夕方であった。
5時を少し回った頃に帰りのロープウエイの最終便が気になって安全第一で国見も普賢も諦めて下山することにした。展望台で無く山に向かったのは僕だけだったので運航時間の事を忘れそうになっていた。沢山の職員もいることだし、淋しい山中で勝手に死ぬわけにもいかない。ちなみに、話題の?諫早湾を閉め切ったギロチン堤防も妙見山頂からよく見えた。どうして人間はこんな大それた無用の長物を作りたがるのであろうか?
山頂の神社で引いた「おみくじ」は末吉。浮気はするな・・とあった。自分の学問には自信を持て・・ともあった。心を正しくしなさい・・との貴重な助言に思わず賽銭を弾んだ。
あんまり疲れなかったが程良く汗をかいたので、雲仙の地獄の傍のホテルで温泉に入った。どうも地獄とは縁が切れないらしい。それにしても温泉で飲む懐かしの「コーヒー牛乳」は最高である。つい買って飲んでしまう・・・
さてさてさて、どのように帰ろうか?
まずは公共工事の無駄を実際にこの目で見るために山頂から眺めた諫早湾干拓のギロチン堤防を眺めに行った・・・と思ったら堤防の上を走行できるとのことでついついブッ飛ばしてしまった。
巨大な堤防が真っ直ぐ伸びて・・・先の方に見える水門を開けるの開けないの、そもそもなぜ造ってしまったの?と、どう考えても無駄だと感じた。開けたところで効果は少々であろう。近道と思えばありがたかったが・・・ と悩むうちに腹が減ったことに気付いた。
長崎と佐賀の県境にある竹崎は「蟹御殿」という名のホテルまである。せっかくだから、というか元々これが目的だったのだが、7時半頃に日が暮れた竹崎に着いた・・・
ところが、「この辺は田舎なのでもうオーダーストップです」と玄関先で軽くあしらわれた・・・実に悲しい、死ぬかと思った。そこで別の有名どころへ電話して聞いたら8時までOKとのこと、GW中だというのに・・・
蟹と雑炊と・・・メスの卵が眼に痛いほど輝いていた。心の贅沢、8000円分を 一心不乱、バッチい病原菌もなんのその、手づかみでムシャクシャ・バリバリ・・・ありったけの精力を傾けて蟹と闘った。愛人ともこうはハッスルしないのに。
帰り道は、満足と 動きたくないのと 手が臭いのとを悩みながら アウトバーンの様な田舎の立派な道を佐野のCDを大音響で流しながらすっ飛ばして帰宅した。随分と新しい道が出来ていて・・・税金が高いのが良く理解出来た、賛成はしないが。
ということで、僕のGW旅行も無事に終了した。別に休みではなかったが、健康な体があって9時間もあれば立派に楽しめることを再確認した良き旅だった。GW中も混んでないのは喜ぶべきか悲しむべきか、少々複雑な心境ではあったが・・・
一番大切なことは矢張り「自由な時間」なのであろう。僕につかの間の自由をくれた家族と職員に心から感謝したい。