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2011.01.28 21:08 |  開業 / 病院経営  |  murajun  | 推薦数 : 0

よき大人になる・・・ということ

26日水曜日にNHKの番組【SONGS】を観た。おりしも当日は彼の最新アルバム【月と専制君主】が発売された日でもある。数年前にNHKで【SONGS】が放送開始された時の初回ゲストも佐野さんで、その日も彼の【COYOTE】というアルバムが発売された日だったと記憶しているのだが、最近の僕の記憶力は危うげなので違ってるかもしれない。ただ、マスメディアに関してはNHKを軸に成長をしてきた佐野さん・・・、NHK側も大切に思っているのであろう、良き番組内容であった。

ただしかし、地デジ対応テレビが僕の自宅にも診療所にも(貧乏なので)無いので、アナログ録画にも上下に例のテロップが無遠慮にテロを仕掛けてきて困ったものだ。本当に全国の地デジ化率が90%もあるのか? 本当か? 皆さん余裕有るのね? 

そんな皮肉は今日はホドホドにして・・・

 

今回の【月と専制君主】は、セルフカバーアルバムにして実に味わい深いテイストのサウンドが「一人のよき大人」に成熟した佐野さんという才能豊かな人間を通して再表現されていて、初期の曲を外し比較的マイナーな曲が多いものの僕みたいな30年来のファンの気持ちまでをも今一度惹きつけてやまない仕上がりになっている。初回限定のDVDに納められたスタジオ録音の風景は「よき大人の良き音楽」がどうして形になっていくのかが理解できて、毎度のことながら実に嬉しいのである。

 

かつては、『つまんない大人になりたくない・・』と 【ガラスのジェネレーション】でシャウトしていた佐野さんも3月には55歳を迎える。今でも『つまんない大人になりたくない・・』と いい歳をしながら自分自身の醜い姿と心を情けなく「どうにかしたい・・・」と 思い悩んでいる僕には、佐野さんこそは「理想的な良き大人」に思われて、かつての憧れの存在はますます色彩鮮やかに膨らんでいくのさ・・・

 

その佐野さんの「プライベート」は実に厚いベールに覆われ僕は何にも知らないのだが、高校生の時の集合写真を同級生という方のブログから無断で拝借し無断で掲載している。顔は判別出来ないので真偽の程は不明だが、興味深い・・・ ちなみに、右の写真は別の卒業アルバムに掲載されているM君の顔写真であるが、写真のフィルムケースを眼に当てて満足げな笑みをたたえている「のどかな田舎の高校生」の恥かしい姿である・・・

 

左写真、どうも前列真ん中が高校時代の佐野さんらしい。立教高校で音楽とバイクに明け暮れ、時々家出する様な感性豊かな高校時代だったとか聞く。舞台女優の後、音楽喫茶をする母親に東京神田で育てられて・・・ どう考えても僕とは真逆の都会的な高校生、当時もし出会っていても接点すら無かっただろう。僕は文化祭でツマラぬ「同人文集」を有料販売していたクチだった・・・

高校生の佐野さん、笑ってる様にも見える・・・ 一人だけ膝に手を置かず、前でクロスさせる独特なポーズ。細身の短い丈のズボンの脚先には白い靴下と黒い靴・・・ そして膝を開かず座るスタイルまで現在に続く「静かな時間の佐野さん」の風景にそっくりだと思う。感性の豊かさを感じる写真である・・・M君とは大違いだ。

 

僕はなかなか「良き大人」になれず、悩んでいる・・・

彼は悩みながら「良き大人」になって、もう迷わないのかもしれない・・・

 

このデビュー30周年の丸1年間、僕なりに佐野さんの表現活動を追い、少しばかり彼と僕自身の昔を思い出しているのだが、今もなお僕は日々「どうしたらいいのか わからない わからないのさ・・・」と口ずさみながら生きている・・・

多分、このまま僕は「良き大人」にはなれないだろう・・・

でも、今の自分に合わせて暮らして行きたい・・とも思う。

佐野さんが「良き大人の良き手本」の様な気が・・・今はしている。

 

読んでくれてどうもありがとう

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2011.01.25 20:39 |  開業 / 病院経営  |  新型インフルエンザ  |  murajun  | 推薦数 : 1

現場なう

現場なう・・・

今シーズンのインフルエンザが当院で最初に確認されたのは1月3日。それから約3週間、流行は加速度を増している。小児は全く来院されないが、今年は特徴的だ・・・【恐らくワクチンが効いていない】

本日来院のA型陽性患者10名のうち、ワクチン接種者は5名・・・今日に限った話ではない。特に痛いのは、当院の介護部門のスタッフおよびその家族が次々に罹患していること。夫々接点はなく、外部で感染して家に持ち込んでいる様子。幸い家族内感染や職場への感染持ち込みは回避されているが、全員がワクチン接種後だっただけに悲しい想いで勤務体制のやり繰りに追われている。感染も避けなきゃいけないが、人員配置が不足してもいけない。他から応援部隊を持ってくるのも容易ではない。今夜も夜勤予定者がインフルエンザ罹患し、休みの人に急遽夜勤をお願いした。

 

もう昔話の様だが、「強毒性インフルエンザがパンデミックになったらどうするの?」なんていう恐怖の行動計画なるものが叫ばれていた・・・覚えてる? あれ、今の厚労省はなんにも言いませんがどうなっちゃったんでしょうか? 巨額のワクチンを無駄にして反省し過ぎでワクチン行政の根幹をポッキリ折り曲げちゃったのでしょうか? 何か言いなさいよ、流行ってるんだから・・・ 

一昨年に流行した新型株が変異して今年の現場では恐らく無効になっているというのに、近い将来の強毒性パンデミックの際には変異を続ける新型株にどうワクチン対策を取るのであろうか?

ユニバーサルワクチンの開発? ワクチン製造スピードアップ? 抗ウイルス剤の多様化? これでOK牧場? それなら医者はいらないね・・・

 

まあ、しかし、僕の診断能力の向上には我ながら驚いている。当院は貧相なので各種検査は必要時に限り抑制的にしかしないのだが、インフルエンザ簡易キットもホドホドに使用している。主な目的は80%怪しいと思われる患者を100%確実に診断すること。つまりは、陽性反応が出そうだと相当程度疑った時のみに一応は(少しの例外はあるが)限っている。毎日、5~10例程度のペースが続いている。

とうとう今日は陽性率が10割になってしまった・・・検査を行った10例中10例がA型陽性。今年に入っての大まかな陽性率は85%程度かと思われる。これは・・・素晴らしい数字だと思う。なにしろ、38度未満の発熱患者が3割以上混ざっているから。今日も10例中3例は37.5度未満だった。今シーズンは貧相なオツムの勘が冴えている・・・

 

まあ、強毒性インフルエンザ流行時の現場の悲痛な悩みは昨年まで繰り返し繰り返しブログに書いてきた(ので興味があれば左のカテゴリーで探して読んでほしい)が厚労省からは全然問い合わせが来ない・・・匿名だからしょうがないか?

 

しかし、全国津々浦々の小さな貧相な医療現場・介護現場は仕事に穴をあけられないので戦いぬくのは大変なのである。国がもう少しまともな政策を打ち出さないと無理なのである。安心して感染症と戦えないのである・・・

 

子供手当とかいう糞予算をなんとかして欲しい・・・

公務員制度改革はどうなったん?

生活保護の無茶苦茶ブリはそろそろナントカしなきゃ・・・

 

現場を大切に・・・ 現場なう・・・でした。

 

滝川クリステルさん、お大事に・・・

 

読んでくれてどうもありがとう

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2011.01.24 22:14 |  開業 / 病院経営  |  新型インフルエンザ  |  murajun  | 推薦数 : 3

申し訳ない

愛しのクリステルちゃんがインフルエンザに罹患され昨日のTV出演をキャンセルされたとか・・・

先日の当院への現場取材【現場から報告します】の際に余りにも接近して取材を僕が受けたものだから感染させてしまったようだ。まことに申し訳なく感じている。

 

かくなる上はお詫びのしるしに丁寧に診察して加療して差し上げたいと願うのですが、花の都の東京はあまりにも遠く、新年早々の妄想の世界にたゆたふことといたしましょう・・・

クリステルちゃん、僕が悪かった、申し訳ない。どうかお大事に・・・

 

【追記】 先日も報告したのだが、今シーズンのワクチンはあまり効いてないようだ。例年に比べ「接種後の感染者」が比較にならぬほど今年は格段に多いのである。多分、新型の変異が進んだと思われる。

 

読んでくれてどうもありがとう

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2011.01.21 22:39 |  開業 / 病院経営  |  murajun  | 推薦数 : 3

15年ぶりのラーメン屋

横のスライドドアから薄暗い車内に乗り込んだ僕に「センセイ、ジュースは何が良いですか?」と青いガウンに身を包んだ救急隊員が訊ねてくれた。出身医局のある大学病院の高度救急救命センターの玄関前に停められた救急車の車内、僕も救急隊員も緊張感から解放され、先程までしていたマスクもお互い外していた。彼はまだ30歳を少し越えたくらいのキリリとした好青年だった。

「え? ジュース? いいの?」と僕は先程搬送した患者の事を考えていたので答えに戸惑った。「じゃあ、コーヒーで。砂糖の少ないのを」

「少し入ってていいんですか? それとも無しがいいですか?」と僕の体型を気遣ってくれたようで、「そうね、ブラックで」と強がったが、実は夜10時なのに夕食は食べていなかった。ヒマになったらかなり空腹を自覚した。

 

隊員たちが戻ってくるのには少し時間がかかった。ささやかな一服で次の出動までの緊張をほぐしているのであろう。そうこうしている間に先程搬送した高齢の「かかりつけ患者」の事がどうしても頭から離れない。普段の救急搬送なら心筋梗塞でも脳梗塞でも大概は救命センター内で何がどう進行して行くか、患者がどうなっていくのかは想像がつくので、「ヨロシクお願いします」と担当チームに良い置いてサバサバと救急車に自院まで送り届けてもらうためサッサと病院を後にする。でも昨日は全く違った。何か気になって気になって、僕は救急車を降りて救命センターに戻ることにした。

搬入してドアを出るまで普通は15分くらいで帰るが、今回は45分ほど滞在した。センターのチーフが盛んに首をひねっていた。僕も不思議だった。明らかに脳血管疾患なのだが、一旦閉めた診療所に夜間に家族に連れてこられた男性は普通に話をして上肢の麻痺や左右差もなく自分でも「どうもない」と話をした・・・右足の脱力を除いては。その脱力も自宅を出る際より相当軽くなり、ほぼ普段どうりに戻ったので家族とともに帰宅しようとした際に右手の明らかな脱力が生じていた・・・右の片麻痺だろう、やや言葉も不明瞭になりつつあった。

こうなると緊急治療が必要である。発症時刻がやや不明瞭ながら3時間以内に運び込めるかもしれない。少し離れてはいるが当院に紹介して来た大学病院の救命センターに搬送することにした。

そして到着時、男性の右手はかなり動くようになって意識レベルも普段どうりになっていた。取り囲んだ10名近いスタッフの指揮をとるチーフドクターが首をひねる。僕も首をひねる、喜んでいいものか? それとも・・・

到着から30分以上して症状が安定してきた様子だったので、患者に「じゃあ頑張って・・・良くしてもらって・・」といい、沢山の医師たちに「ヨロシクお願いします。僕の携帯番号は@@ですから」と後を託して随分と引き留めた救急隊と救急車に戻った。

 

救急車から出て患者待合室に行くと、救急車で同乗してきていた夫人と息子が待っていた。まだ何も説明が無かったようで、僕が「今は手が動いています」と告げると、退院後の事を色々聞いて来る。「まだ予断を許さない状況と思いますから・・」と言葉を濁すと、息子の方は「そうそう、こういうのは安心出来ない」と母親に言った・・・結局はその悪い予想が的中した。僕の胸騒ぎが的中した・・・

 

 

結局、想像以上の重篤な病態で、初期症状があまりにも軽かったために皆が首をひねっていた様だ。僕が処置室を出た後は急速に全身状態が悪化し、1時間後には意識が無くなってしまったようだ。

「全力でやれるだけの事をやります・・・」と説明するスタッフドクターの真摯な話を家族と一緒に聞いて、僕はつらそうな家族に礼を言われて今度こそ帰ることにした。

 

既に夜11時、白衣の上にコートを羽織ってはいたが、寒い夜道を少し歩いてみた。案外とタクシーが走っていない。時おり後ろを振り返りながらテクテクと夜道を歩いた。帰り着くまでのタクシー代もってたかなあ?と心配だったが、1万円もあれば足りるだろう。今夜の出来事は授業料と思うことにした。患者に色々と病気の事を学ばせてもらった・・・

 

タクシーが来た・・・ 手を挙げた・・・ チラッと見て通り過ぎた・・・

なぜだ? 白衣の上にコートを着た不審者に見えたのか? 遠距離の良い客なのにふざけている・・・

もう一台、同じように乗車拒否をされた・・・ 冬の夜の暗い夜道で寂しくなった。どうしてタクシーにも乗れないの?

 

そのうち、前方の坂の上に「赤ちょうちん」が灯っているのが見えた。急に空腹感が襲ってきた。23時、夕食はまだだった。もう一台タクシーに素道りされたら自殺するかもしれないので、その店に腹ごしらえをしようと暖簾をくぐって入り込んだ・・・

 

白衣を着たままの僕を30代の夫婦は暖かな目で迎えてくれた。奥にはワイワイガヤガヤ、酔って議論をしている若者たちやサラリーマンが昔の様に焼き鳥食べながら過ごしていた。

この店に入るのは15年振りだと思う・・・

研究室の頃、チームの後輩たちと10時頃に出かけて満腹しては研究室に戻って深夜2時3時まで研究をしていたあの頃の事が懐かしく蘇った。ラーメンの味も当時そのままだった、オヤジは代替わりをしていたが。息子とその奥さんだろうか? 白衣にコートを羽織った中年医師が夜中の11時過ぎにラーメンを一人で食べに入ってくるのを全然不思議には思ってないようで、とっても暖かな気分になった・・・

 

15年振りの@@屋のラーメンは相変わらず美味しかったが、次のタクシーにも何故かすっぽかされ、その次のタクシーにようやく乗り込んだ。2割増しのタクシー代は7000円ほど・・・、でも思い出深い夜になったようだ。

後はあの患者さんが回復してくれればいいのだが・・・

いつも来院のたびに「ここにくると気持ちが元気になります」と言ってくれていたのに・・・

 

読んでくれてどうもありがとう

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2011.01.20 18:39 |  開業 / 病院経営  |  新型インフルエンザ  |  murajun  | 推薦数 : 2

現場より報告します

南の島の貧相なM診療所からですが・・・

 

今年のインフルエンザ流行に関しまして既にM診療所が臨戦態勢に突入した件を書きましたが、例年と少々印象が違っています。海外で「変異したのでは?」という情報が出始めているようですし、恐らくは国内でも様々な現場や学者が僕と似たような印象をおもちかと推測しますが、あまりテレビ報道はされて無い様な・・・

 

今年のワクチン、あまり効いてない気がします。簡易キットを使用するようになって以降のM診療所の10年近い経験から、これほど「ワクチン接種後の陽性患者」が来院されたのは初めての経験だそうです。M診療所の関係者だけでも4名がワクチンをしたにも関わらず発症しA型陽性でした。

年が明けて、M診療所ではA型陽性患者が30名程でしょうか? その中でワクチン接種後の人が9名ほどおられました。例年なら、陽性患者30名中のワクチン接種済み患者はせいぜい1~2名でしたから、明らかに異常事態と思います。一昨年の新型騒動の時には無傷に近かった50代以上の人が、30名中の12名ほどを占めているのも異様です。

 

恐らく、A型の中で「新型」と呼ばれたあの豚型が年を越え少々変異を起こして二度目の流行期に突入しているものとM医師は非科学的に推測しています。なんとなく大規模な流行が予測されるとM医師は心配していると私クリステルの取材に対し話してくれました。

 

以上、わたくし クリステルが M診療所で生じている異常事態を報告させていただきました・・・マジで。

M先生、どうかお大事に・・・

 

本日、全職員に対してM先生は「異常事態警報」を発令しました・・・

 

読んでくれてどうもありがとう

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2011.01.20 01:14 |  開業 / 病院経営  |  murajun  | 推薦数 : 4

診察室の油絵

今年に入って診察室の絵画を一新した。

昨年までは、淡いグリーンを基調とした石版画で、ベルギーのブリュージュの運河と家屋と樹木の風景画を診察ベッド脇の壁にかけていた。同じ画家の果物を盛る鉢の静物画や帽子を被った女性像など数点の淡い色調の石版画も待合ロビー内に飾っている。どれも開業以来のお気に入りで、診療の疲れを癒してくれる。かように、院内の絵画や版画は患者向けというより僕自身のためにあり、よって僕自身の好みに大きく左右される。

診療所一階の患者さんに見える場所には14点の作品が、二階には16点の作品を飾っている。もちろん、高価なものはないが、二階の大半はパリの風景シリーズ物の石版画である。ベニスとニューヨークの風景のリトグラフもお気に入りである。あと、患者さんには見えない院長室内には更に2点の作品がある。一枚はフィラデルフィアの「ボートハウスロー」の横長の大きな風景写真なのではあるが。

 

その診察室の版画をロビーに移動して、新しい作品を家から抱えて持ち込んで、正月にコッソリと飾った。そして、もう一枚の作品を飾り、診察室内に今年からは2作品を飾ることとした。案外うっとうしくはなかったのでホッとした。

一点は花々を布生地に染める様に描いた作品、もう一点は白い花弁の花を大胆に描いた油絵である。前者は下の娘が小学4年生の時の作品で、後者は上の娘が小学6年生の時の作品である。どちらもチャンと額装されていて、子供らしいと言えば子供らしいが、見ようによっては大胆で力強く色彩も鮮やかでありつつシンプルでもある。妙に大人びた雰囲気も漂っていて、家に眠らせておくにはモッタイナイと診察室に飾った。

 

一枚は、患者さんを診察台に横たえて腹部などを診察する際に僕の目の前にくるが、当然ながら横たわろうと振り向いた患者にも良く見える。もう一枚の方は、患者の肩越しに診察椅子から良く見える。背中に聴診器をあてながら油絵を眺めるのが心地好い。診察を終えた患者さんが出て行こうとするとドアの横だけに否応なく目に飛び込んでしまう。

普段から芸術に感心がある患者さんの場合には必ず『この油絵はどなたの作品ですか?』と聞いて来る。

「それは娘が小学6年の時の作品です・・」と答えるが、時々は『まるでゴッホの作品みたいで良いですね・・』と誉めてくれるのが診療の楽しみとなっている。全くの親バカである。もう一枚の油絵が院長室内にある。これは下の娘の小学4年の作品だけに誰が見ても子供の作品で流石にロビーには飾れない。

 

しかし、親バカでも「ゴッホ」は誉めすぎで気恥ずかしくなる・・・

今、「ゴッホ展」なるものが近くで開催されているようだ。行く暇があるのか無いのか?

そう言えば、1990年だったか、僕はひとり旅をしていた時に予定外でアムステルダムに行った。そこで世界的に有名な「ゴッホ美術館」に行ったことがある。美しい花が描かれた高価なスカーフを彼女へのプレゼントに土産とした・・・が、何故か振られてしまった悲しい想い出だ。

その時、僕は時間の節約のつもりでタクシーに乗り込んだ。そして「ゴッホ・ミュージアム」へ行ってくれと綺麗な発音で告げた。しかし、全然通じなかった。「あんたらオランダ人のクセして有名なゴッホを知らんのか?」と僕はむきになって「ゴッホ」を連発したが、どうもオランダでは僕の「ゴッホ」の発音が通じなかった様だ。これも悲しい想い出だ。

診察室の娘の絵を眺めていると毎日の診療の疲れが消えていく。ほとんどの患者さんは何も言わずに出て行くのだが・・・

 

読んでくれてどうもありがとう

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2011.01.18 00:14 |  開業 / 病院経営  |  murajun  | 推薦数 : 3

寒かった

今朝は6時に起き、透析患者の月に一度のレントゲン撮影を通常の外来患者より先にこなすため僕もいつもより1時間程早めに診療所に向かった。しかし、寒いこと寒いこと・・・なんと車外気温の表示はマイナス5.5度、開業して恐らく初めてだ。

初めてだったのは診療所の裏に拡がっている大きな水路が完全に氷で覆われていたこと。子供の頃に見た光景であるが、当地では凄く久しぶりではなかろうか? 僕は寒さにメッポウ弱いのである・・・ とても日本海側や東北・北海道などには住めそうにない。こんな大雪でも休まず透析施設に行く患者やスタッフには尊敬の念さえ抱いてしまう。住むなら常夏の南の島で水着姿のオネエチャン達に囲まれて余生を過ごしたい・・・

 

アメリカ東海岸のフィラデルフィアに留学中に何度か大雪やマイナス摂氏10度以下を経験したことはあったが、スキー場のマイナス10度は楽しくても生活の場でのマイナス5度は僕には厳しすぎる。あまりにも育ちが良すぎて、ひ弱に成長してしまったのであろう? 

 

まあ、育ちが良いかどうかは秘密にしておくとして、昨日は妻と 「君は無茶苦茶暑い夏と、無茶苦茶寒い冬はどっちが良い? 地球温暖化と、寒冷化はどっちが良い? どっちか選びなさい・・」と言って環境問題を暑く議論した・・・妻は僕の精神がイカレタと感じて不安だったそうだ。

 

僕の持論は散々ブログに書いてきたが、「地球温暖化」説はインチキ商法で、何者かが環境利権で儲けようと騒いでいるだけ・・と言うものだが、「不都合な真実」かどうかは別にして、地球の温度変化を人間ごときがコントロール出来るとは全然思わない。何をやっても宇宙の摂理には叶うはずもなく、そんな無駄なことをする金と暇があれば、どんな気候変動にも対応できるように、地球人口を10億人程度に早急に減らして、今ある国境の厳重なバリケードを撤去し、一人ひとりのサバイバル力・人間力を訓練と教育によって可能な限り高め、たとへ温暖化や寒冷化が生じても最適居住環境の地域に移動しつつ人類と文明を温存して行く地球規模の政策を取るべし・・・と言うものだが、残念ながら誰もまともに相手してくれないようだ。が、人類滅亡を遅くするには「移動の自由」をもつことが不可欠であるのだ・・・

 

まあ、そんな高尚な人類文明論を唱える必要など眼の前の患者の命さえ救えばいいと思われてる医師には無いのであろうが、人類全体の命は誰が守り救うのか?

 

まあまあ、新年早々そんなに熱くなるのも大人げないが、要するに僕は寒いのが凄くニガテなのであって、温暖化の方が氷河期到来より何百倍も嬉しいのである。もし氷河期到来時に石油や原子力など熱源が枯渇していたらと思うと、鳥肌が立ってしまう。でも今日くらい寒い程度でも僕の鳥肌は簡単に立ってしまう。皮肉なことにアソコは簡単にはたたなくなってきたようだが・・・

 

読んでくれてどうもありがとう

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2011.01.14 20:39 |  開業 / 病院経営  |  新型インフルエンザ  |  murajun  | 推薦数 : 0

臨戦態勢に突入

麗しの美女へM先生の臨戦態勢は整いました・・・???

ってなことを恥ずかしげもなく発言していると、特筆すべき美女であるワイフから大目玉を食らいそうで、かような不規則発言は今年は少々控えるがよろしい・・・という天の声が聞こえてきた。

 

さて、M先生の臨戦態勢はなにも美女に対ししてだけではなく、かのに憎っくき仙谷国賊・・じゃなかった、インフルエンザに対しても整えられるべきものであるからにして、たまには医師という本職に伊達直人から戻りてハッスルし始めた次第である・・・なんていう疲れる言葉使いはもうやめた。

 

さてさて、大晦日に始まった当地でのインフルエンザ・・・もう大流行の雰囲気です。先日からは県の透析関係の一斉メール連絡で各地で生じている透析室内の集団感染を知りました。大規模施設は看護師や他のスタッフに余裕があって、医師も看護師も感染すれば出勤停止が可能でしょうけど、当方の様な貧相な開業医だと、僕や看護師が感染してお休みすれば万事休す、子供も妻も多額の借金に苦しむことになるであろう・・・ と言う趣旨のブログ記事は過去に何度も書いてきたので面白くないし自分がみじめになるのでもう書かない・・・けど判って欲しいのも確か。

 

で、本日とうとう当院はインフルエンザ大流行突入に対応して臨戦態勢に突入をいたしました・・・

まず、受付嬢達は、メガネ風の簡易ゴーグルを着用し始め、マスクを常時するように致しました。美女揃いなので顔を隠すと僕の楽しみが減り、彼女ら目当ての若い男性患者が減るのですが、そんな若い男性患者の持ち込むインフルエンザが最も嫌われるお客様でもあります。でも、院長目当ての若い美女が最近増え過ぎて少々困っています・・・

 

次に、診療所と介護施設の全職員、60名近くに数カプセルずつ備蓄していたタミフルを予防様に配布しました。すでに家族が感染しているスタッフがいますので、自己を守って欠勤を避け、全力で患者(特に透析患者と慢性疾患の患者、そして要介護高齢者)を守り抜くための手段です。

体調不良で勤務を休めるほど今の医療現場は甘くない。自分の副作用など心配していたら患者さんを守れない。自分が休めば他のスタッフを苦しめるので、とにかく気合で根性で念力でインフルエンザと戦いぬく、そういう信念をM先生の全てのスタッフが共有し始めました。もう13年一緒の人も、まだ数カ月しか一緒で無い人も・・・

 

透析室も発熱者や家族患者がいる場合の時間差入室、タミフル予防投与、ビニールテント内隔離透析などを開始しています。

 

しかしながら、それとは逆に時間外診療で明らかなインフルエンザの患者さんは診療制限を始めています。夜間は透析スタッフのみのギリギリ体制ですので、インフルエンザと透析を同時に同一のスタッフが対応することは院内感染の危険性を一気に高めてしまうためです。申し訳ないですが、透析室への感染リスクは回避すべき大きな課題です。もちろん、透析スタッフが対応しなくてもいい時間帯の時間外は今まで通りキチンと対応しています。ただ、院長の僕自身の感染リスクには眼をつぶって、気合と根性と念力とでなんとかならないかと涙目で診療しているんですが・・・ 

 

と言うことで、M先生にまとわりつく美しくも妖艶な妙齢の女性の皆さん・・・ M先生の身体中にはインフルエンザウイルスが数億個もまとわりついていますから、熱い口づけなどは当面ご遠慮願います・・・ 

 

(新しい読者の皆さん、僕のインフル記事は左の新型インフルエンザ・カテゴリーに沢山ありますのでよろしかったら・・・) 

読んでくれてどうもありがとう

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2011.01.12 22:14 |  開業 / 病院経営  |  murajun  | 推薦数 : 2

初の降格人事

診療所を開設して13年、介護を併設しだして7年、現在は各施設に管理者や看護師長や部門長などを7名ほど配してる格好だが、今年になって初めての降格人事を行った。実につらかった・・・

 

新規に開業をするとどうしても管理者や部門長が若くなる。看護師長や介護施設の管理者も定年まで20年から30年近くある。つまり、経営者の僕自身が40前に開業した場合、30代半ばのスタッフに管理者や責任者をお願いすることになる。前の職場や親戚・知人などから縁故採用する場合には上手くいかない際などに支障も大きく、どうしても人物理解が不十分なままにスタートすることになり、こちら側の見込み違いや本人側の勘違いが生じてしまうと組織全体に不協和音が生じて発展などおぼつかない。

かといって、他所から評価の高い人をヘッドハントすることも経済的に無理があり、必ずしも当方に適合するかどうかもやってみないと判らないものだ。つまり、どの方法を取るにせよ「運任せ・・・」 ということになるかもしれない。

 

実は以前も一度あるトップを代えようとした事があった。ただ、その時はスタッフ同士が妙案を出してくれ、結果的には「雨降って地固まる」になり、幸いにも現在に至っている。ギリギリの瀬戸際で踏ん張ったスタッフ達も僕自身も相当多くを学んだ気がする。そしてみんなが成長できた。

 

新しく始めた施設は、この学んだことを活かし、既に当方で長く勤務歴のある人の中から管理者を選んでいるので、新規開設にありがちな苦労をせずに軌道に乗せることが出来た。

ところが、ある部門の責任者がどうも責任者に相応しくないとの声が数年来続いていたのに、僕自身は他のスタッフの変革を求める声に慎重過ぎていたかもしれない。

トップを代えることは、その人のプライドを傷つけ、当然ながら管理者手当など経済的にも賃下げと同義でもある。質素な生活をしているであろうご家族の顔も思い浮かぶ。しかし・・・代えるべき時が来たと、この年末年始に悩んで悩んで、そして決断した・・・

 

降格人事の決断は非常につらいが、他になかなか相談できず、経営者の孤独を痛感した。他部門の責任者達は一様に代えられるかもしれない責任者のその後や心情を考えたようだ。それもそうだろう・・・ 今回の初めての降格人事が実現すれば、明日は我が身と言うこともありうる話となる。ベテラン職員や各部門の責任者の間に緊張が走った・・・ 相談はしてみたが、逆に迷いが生じてしまった。

 

だが、このまま定年までその責任者をトップにすえるとすると、まだ20年近くある。下手すると、院長の僕より長くいることにも??? 

しかし、総理大臣が一年ごとに代わり、大統領も4年から8年で変わると言うのに、問題を抱えたままで責任者が20年以上もトップを続けていいものか???

 

クリスマスの頃から半月ほど悩みに悩んだ末、僕は職員達から話を聞いた上で、最後は一人で決め、一人で伝え、相手のつらそうな・悔しそうな顔を網膜に焼き付けた。

多くの企業や歴史の長い企業や医療機関では見慣れた光景かもしれない。医局人事でかつて僻地の病院に飛ばされ悔しい気持ちで赴任して行った医師たちも似たような心境だったかもしれない。

 

しかし、これも全ては医療や介護を受けに来られる人々のためである。組織を改革してより良き医療介護サービスを提供できるようにするために、時には降格人事にも取り組まなければならないと感じた。

これから降格された職員の行動や姿にしばらくは胸が痛むことになるかもしれない。誰だってつらいはず。かと言って、今の時代に転職でより良きポジションを見つけるのも容易ではないと思われる。

経営者とはつらいもの・・・

医者のクセして、人の心を傷つけた・・・

しかし、患者のため利用者のため、そして他の職員のためでもある・・・

 

13年もやってて「初めての降格人事」と言うこと自体が不思議なのかもしれないが、ただ今までスタッフに恵まれていただけなのかもしれない。

心の中で、その職員に心の中で謝り続けている・・・

 

どうも ごめんなさい・・・

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2011.01.10 22:14 |  開業 / 病院経営  |  murajun  | 推薦数 : 1

どうもありがとう

僕のブログは『読んでくれてどうもありがとう』で終わることにしている、もう4年以上・・・1500記事以上にもなる。

だが、彼はステージ上で何度も何度もあの特有の声で はにかんだように「どうもありがとう」と繰り返してきた、もう30年以上・・・ 今まで30回近いコンサートに足を運んだ僕は何度聴いたことだろう、それを思い返している。

 

昨夜は彼のデビュー30周年記念シリーズのパート3とも言えるコンサートに出かけてきた。可愛いクミコさんと一緒に・・・初デート(のつもり)。3月には30年突入記念行事が続き、8月にパート1のスポークンワーズ・ツアー、11月にはライブハウス・ツアー、そして今回の1月にはコンサート会場・ツアー、3月13日の誕生日には東京でファイナルを迎える。1980年3月21日のデビューから31年を迎えようとするその日のコンサートチケットを記念に一枚購入した。行けるかどうか・・・日曜日なので少しだけ希望を持ち続けたい。

 

今回のコンサートの演奏曲のセットリストは今までにない独特なものだった・・・

最新のオリジナルアルバムである「コヨーテ」からは一曲も無く、前の「The SUN」からも一曲にとどまった。そして極めて特徴的なのは1983年から84年にかけてNYで過ごしレコーディングした「Visitors」から全24曲中に4曲も選ばれたことだろう。渡米前の衝撃的なデビューを飾った頃の初期4アルバムからは合計8曲、いかにNY時代の想いが彼のその後に25年以上も影響を与え続けているかがよく判る。帰国直後のツアーでの選曲で無いだけに彼を改めて理解しなおした気がする。

セットリストは僕の好みとは微妙にズレてもいたが、30年間の楽曲の中からたったの24曲を選んだのだから、色んな想いがそこには込められていたのだろう・・・

君を探している(1981) ハッピーマン(1982) ガラスのジェネレーション(1981) トゥナイト(1984) カムシャイニング(1984) コンプリケーションシェイクダウン(1984) 99ブルース(1986) 欲望(1993) ナポレオンフィッシュと泳ぐ日(1989) ジュジュ(1989) 月と専制君主(1986) レインガール(1993) ヤングブラッズ(1985) 観覧車の夜(2004) ロックンロールナイト(1982) 約束の橋(1989) レインボーインマイソウル(1992) ヤングフォーエバー(1997) ニューエイジ(1984) 新しい航海(1989) サムデイ(1982) 悲しきレイディオ(1981) ソーヤング(1983) アンジェリーナ(1980) 以上、全24曲

ちなみに、FM福岡がこのコンサートのために演奏して欲しい曲のリクエスト集計した際の人気上位24曲とはわずか6曲しか一致していない。この結果は彼に事前に知らされて参考にされたと言うのに・・・当然と言えば当然なのだが。

 

大学を卒業して一旦社会人になった後に1980年3月にデビューしての30年間、セールスとか知名度とかは同時代のサザンの桑田さんとかと大きく異なるものの、とっても羨ましくなる様なクリエイティブな音楽人生を歩まれてきたと思う。

デビューから一年もしない1981年4月に坂本龍一さんと同時にNHKサウンドストリートでDJ活動を開始したのもその一つだし、僕が毎週月曜日の夜にカセットテープでエアチェックを始めたのも81年だった。もう既にアンジェリーナ、ガラスのジェネレーションの2枚の7インチシングルを発表していたが、DJ開始後にナイトライフとサムデイ、ダウンタウンボーイ、そして彼女はデリケートといった僕にとってのクラシックを発表して初の全国ホールコンサートツアーを開始した82年、4月6日の事は今も忘れない・・・

半分以上も空席だったが、僕は最前列のスピーカーの前でステージ上を走りまわる彼を「何か特別なもの・・」との想いで心に刻み込んでしまった。そしてもうすぐ29年がたつ・・・

 

初めて参加したクミコさんは雰囲気に驚いたことだろう・・・

何歌ってるのか全く歌詞が聞き取れなかったに違いない・・・

だが、一言 「カッコいいわ・・」とつぶやいた・・・

「僕は白髪を彼みたいに染めないでいるんだ・・・」というと、久美子さんは、「じゃあ、もっとあんなに長く伸ばさなきゃね・・」って言ってくれた。そんな時の僕の口調は佐野風になる・・・

 

まあ、彼が言うように「歳は関係ない・・」のだから・・・

それにしても、完成度が高くなった・・・と29年見続けた僕が感じた素晴らしい30年間の凝縮された時間だった。

僕と同じように30年近くファンであり続けている人々が寒さをものともせずコンサート会場に集う・・・その感覚が僕は好きだ。多分、みんな夫々の想いを胸に足を運ぶのだろうから・・・

 

いつも僕は大抵一人で参加するのだが、今回はクミコさんとご一緒出来て暖かな冬の夜のコンサートを楽しめた・・・ 人生にはこんな日もあっていい・・・

 

佐野さん、30年間 どうもありがとう

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