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『胸騒ぎの腰つき』とは桑田圭祐率いるサザンオールスターズのデビュー曲【勝手にシンドバッド】の中の印象的なフレーズだが、最初は『胸騒ぎ残しつつ・・』と勝手に勘違いしていた。
ファーストシングルの発売は1978年6月なので、僕にとっては京都の浪人時代にカレッジフォークにハマりかかっていた頃だったし、フザケタ歌唱表現が少々浪人生の耳触りでもありして、『胸騒ぎ』の後の言葉がなんであろうと「勝手にしてろ・・」という感じだったが、さすがに大学に合格した時期に出た【いとしのエリー】こそは新生活に突入し勉強から恋愛へのステップを踏み出したばかりの僕には衝撃的な曲で、一気にサザンオールスターズの曲は生活の中に無くてはならぬものとなった、2年後に佐野元春が登場するまでは・・・
大学一年の時に自転車で北海道を周遊したのだが、礼文島を走った後に宗谷岬へフェリーで戻る最中に船で流れていた【勝手にシンドバッド】の曲は今も耳から離れない。僕の大学一年次はサザンこそが青春の歌だったかと思われる。
佐野と桑田・・・どちらも1956年生まれの54歳で、しかも2月と3月と近く、立教大学と青山学院というのも似ている。デビュー後30年たっても色あせない稀代のアーチストだと思うが、「エロとセックスと浜辺の桑田」と「反抗と孤高とストリートの佐野」とはやはり大きな違いがあるのであろう。
僕は恐らく20回以上は佐野のコンサートに足を運んでいるが、桑田のコンサートには実は過去一度も行ったことがなかった。カラオケでは今でも佐野より桑田の楽曲を選曲するのに・・・である。
しかしながら、10日ほど前に新聞広告で桑田のコンサート情報が載った時、僕は不思議な「胸騒ぎ」を覚えて初めてコンサートのチケットを購入しようとしたのである。忘れない様に携帯で写真を撮っていたほどだ。
『もう2度と桑田のコンサートには行けないかもしれない、いま行かねば・・』という不思議で不吉な胸騒ぎだった・・・
そして、まさに予約期間の最中に桑田の「食道がん」報道が流れ、上のコンサートも流れてしまった。僕の胸騒ぎが的中したのかどうか、出来ることならば一日も早く「復活コンサート」の広告を目にしたいものだ。そしてその時こそ、僕は初めて桑田のコンサートに参加したいと願っている、家族を連れて・・・
桑田さん、早く良くなってまた素敵な歌を聴かせて下さい・・・どうもありがとう
ブログが何かも知らずに始めてから飽きもせずに書き続けて丁度これが【1500記事目】となる。なかには全部読んだモノズキもおられるかもしれないが、僕の家族の誰一人、スタッフの誰一人、このブログの存在も知らず記事を読んだこともない。
しかしながら、こうして色々な内容の1500もの記事を書いて来ると、いつの日にか家族にも読んでもらいたいが、恥ずかしいので僕が死んでからにして欲しい・・・ (下のリンクは1000号記念記事)
http://blog.m3.com/BackToTheStreet/20081018/3
さて、1500号記念記事のタイトルを何にしようか少々悩んだが、最近BS放送などで【ブルース・リー】の映画や特集番組などがよく流れていて、今年は生誕70年・没後37年だとか・・・
あれから既に37年が過ぎ去っていたとは、時が経つのは速いものである。
これまでの記事で何度か【僕の神様】という言葉を使ってきた・・・
帚木蓬生 王貞治 ヨハン・クライフ エディー・メルクス 佐野元春 ブルース・リー
他にも数名の名前を神様として挙げたかもしれないが、ブルース・リーが最も旧く、今この世にいない「本物の神様」なのである・・・
今から37年前、1973年12月封切りの【燃えよ ドラゴン】を友人達と映画館で観終わった時に、坊主頭の中学生はとんでもない衝撃を受けたものだ。14歳、恋に恋するお年頃で、僕の女神様である「Tチャン」にその当時は純愛していたのに、そんなことはどうでもよくなる位の人生感が大きく変わってしまう「映画スター」との出会いだった。
いつもと違って少し遠くの大きな街に映画を観に行っての帰り、数時間前と街の景色がスッカリ変わっていて、僕は普通の言葉が話せずに「ァチョゥ」とか「アタッ」とかしか甲高い奇声しか出なくなっていて、少しつま先立って・少し斜めに歩きながら・ズボンを指で摘むように引き上げ・腰を沈める様に屈めて・僅かに首を傾げ・悲しそうな眼をして・時折軽やかに蝶の様に飛び跳ねて・・・電車駅まで歩いて戻った当時の景色が眼に浮かぶ。
いまでこそ デブでブヨブヨで、歩くと豊かな皮下脂肪が優雅に波打つ中年医師だが、当時は逆立ちで10m・自転車手放し運転3kmも出来る位の軽やかなヤセた美少年だった・・・家の中では畳が擦り切れるまで飛び蹴りや回し蹴りの練習を繰り返したものだ。
しかし、やはり【燃えよ ドラゴン】封切り時に彼が既に死んでいた事を知った時の驚き・・・信じたくなかった。
僕自身は、映画初主演の【ドラゴン危機一髪】の時のブルースリーの表情が初々しくてよいと思う。【グリーンホーネット】は少々幼すぎる。中国語も心地好く感じるし笑顔がまたいい。
共演女優なら断然「ノラ・ミャオ」でしょう・・・

もし生きているなら現在70歳とか・・・
32歳で肉体美の絶頂期に彗星のごとく現れ本物のスターになった「ブルース・リー」は、実に奇跡の様な人であった・・・といつまでも思うことだろう。
1500号記念記事は僕の神様「ブルース・リー」に捧げます
【六条御息所 源氏がたり】 で生まれて初めて林真理子の作品に触れた。それまでは彼女の天性の容姿で申し訳ないことに毛嫌いしていたようだが、女性達が自分には責任が少ない容貌だけで作品の内容まで評価されてしまうのも可哀そうだとこの歳になってようやく思う様になり、早々に林真理子の2作品目を手にし、彼女は一瞬にしてコロッと僕にとっての高評価の注目作家に変わってしまった。
さて、その【下流の宴】という新聞連載もされて作品は僕ら医者にとっては何やら耳に痛いことばかりが書かれていて、読み進むうちに耐えがたい屈辱を感じる医家諸氏もあるかもしれないので・・・その点は心して読んでくだされ。
ただ、受験本を多く書いている和田秀樹氏が監修した様な本だけに医学部受験関連の内容は的確で面白く、悩める医学部受験生を抱える保護者や受験生本人にはためになる本でもあろう。しかし、受験生を持つ医家全般の悩みや苦しさ・自己嫌悪・階層意識・自虐感覚などなどが実によく表現されていて・・・『あんた何者よ?』と聞きたくなる様な耳の痛い本でもある。
この様に数日間で一気に林被告、じゃなかった林真理子ファンになったものの、実のところ次も利用するか否かは決めていない。やはり僕にはどうしても林さんの容姿が気にかかるのである・・・
1499記事目、読んでくれてどうもありがとう
ここ数年、【鹿男あをによし】の頃から綾瀬はるか命・・・かと見まがうがごとき一途な奈良ファンになっているMurajun先生。復活の日々の途上にて【大和路の旅】という本を読んだ模様だ。理解できたか否かは定かではないが、何かを感じて表現したく、悶々として寝苦しい夜を過ごしているそうな・・・
そのM先生のご意見を聞いてみることにした。ちなみにM先生は邪馬台国九州説、細かくいえば、(旧)山門郡瀬高町を中心とした非大和説の急先鋒の一人である。
しかしながら、卑弥呼墳墓説が声高にささやかれる箸墓古墳周辺の山の辺地区から三輪山を仰ぎ見る当りの地政学的有利性に関しては異を唱えるつもりはさらさらない。おそらく、飛鳥以前の関西文明の中心であった事は間違いない。
がしかし、大和が出雲や九州北部と比して優越的文明であったかどうかにはいささか疑問である。
では、なぜに桜井・飛鳥なのであろうか? この本にも一切のべられていないM医師の考えはこうだ・・・
1)生駒山以西の難波(大阪)は大和川の河口のポイントであったであろうが、厳しい古代の自然環境においては定住地として都を形成するに価せず。
2)河川交通は騎馬民族ではなかった古代倭において中心的な役割を担っていたので大和川から飛鳥川を遡るルートは渡来人との交流において非常に大切であった。
3)古代は治水技術が低く、山の辺の三輪山近郊が西にっ広がる沼地の季節性水害を避ける意味で定住に適していた。
4)時代が下り治水技術の発展(輸入)とともに盆地を形成する飛鳥地区が清らかな水の都としてその地位を高め、渡来人を含む有力な人々が都の機能を託すように最初の都市計画が行われた。
5)人口の増加とともに飛鳥エリアでは手狭になり、藤原京から平城京へと広いエリアを求め移動(遷都)せざるを得なかった。
6)人口増加は疫病の増加と連動し、その対策に治水が更に重要性をましたが、平城京への河川交通機能は人口の割に低く、更に大きな淀川系の河川交通が決め手となって平安京が選定された。
7)桜井・飛鳥・藤原京・平城京・平安京・・・いずれも台風の影響が比較的少ない地域でもあった。
それに比し、九州山門説は台風の影響が非常に大きく、継続して大きな都を古代に維持して行くのは困難だったかもしれず、その点がややM先生の自信を妨げている要因でもある。
今も平安京の名残をはっきりと残す京都に比べ、奈良は1300年の時を経て全くの別物となっているようで、余計にミステリアスでM先生の軽いオツムを引き寄せてやまない。
西の京の薬師寺や唐招提寺が平城京の比較的真ん中にあったなんて・・・ 平城京って実に広い立派な古都だった事に今更ながら感じ入っている・・・
読んでくれてどうもありがとう
今朝未明に愛する妻の事を想いながら眠りについた・・・
朝、汗ビッショリで眼が覚めた・・・
悪夢を見たわけでも 六条御息所の怨霊が取り付いた訳でも 愛妻が夢に登場した訳でもなく、ただただ朝っぱらから暑かった・・・
庭が美しく整備された当院の欅の幹の根元に今年最初の蝉の抜け殻を発見した。とうとう本格的な夏だ・・・熱中症の患者が来なけりゃいいが・・・と思いつつ午前の診療を開始した。
こんなに暑いのにどうして患者さんは受診するのだろう・・・? 家で静かに寝てればいいのに・・・? どこか悪いのだろうか・・・??? と、思っているうちに35人終了、午前11時50分。さて、12時になったら透析室の回診だ・・・ と考えていると何やら変なザワツキが・・・
立て続けに2名の患者さん、どちらも吐き気とフラツキを訴えてのご来店、じゃなかった緊急受診。当院の受け付けは11時40分までなので正直言って「招かれざる客」、じゃなかった患者様です。
う~ン、メンドクセーなあ・・・といっても、熱中症には最適の時間帯でした。
一人目・・・軽症です。
二人目・・・昨年も同じ大暑に熱中症で点滴2本して軽快してます。今度も軽いでしょう・・・まあ、チョロいもんだ・・・
こういう過信や軽率が命取り・・・まさに患者の命も取り、開業医の命も取りかねません、ハイ。
で、重症(というか、中等症)でした・・・
吐き気が続き、手足だけでなく肩や胸の筋肉も痙攣をしています。意識こそありますが、典型的な熱中症です。しかし、35度の低体温・・・
もし、もう少し早く来ていてば助かったのに・・・、じゃなくって忙しくて基幹病院に救急搬送したのに、幸か不幸か午前の外来が終了して昼休みに突入しようとする直前の来院で、透析患者を犠牲にすれば2時間半ほどの治療時間が確保できるという最悪の、じゃなかった最適の時間帯だったのだ。
しかし、輸液をしてもしても痙攣が顔面にまで及んでしまい、カリウム値が6.5まで上昇していたので焦りました。このまま透析しようかとも少し思いましたがブラッド・アクセスが面倒だし、透析の無い最寄りの基幹病院に送ると「何やってんだ」と怒られそうだし・・・家族とも連絡が取れずに少々焦りました。
結局はGI療法を併用し、輸液が1500mlほどでカリウム値が5.2まで下がって、ヘマトが下がり、ナトリウムも上がってきて、手足の指も柔らかくなってきて、オシッコも少し出て・・・
輸液2000mlとGI療法でカリウム値が4.2まで下がり、オシッコも二回目が出て痙攣は完全に止まって・・・ 幸いなことに家族にも連絡が取れ・・・
で、昼休みが終了して午後の患者が押し寄せてきました。
さすがに軽症ではなくって、イザとなれば救急車を呼ぶか透析しようかと思いましたが、昼休みだったので・・・頑張っちゃいました。お陰で透析患者は無視されちゃいました。
治療法が適切かどうか自身はないのですが、田舎の開業医ですから搬送するか否か・・・迷うところです。
でも、暑い中、ホッとしました・・・顔は火照って大変でしたが・・・
こうして、【大暑の昼休みの対処】は展開しました・・・スタッフの皆様、ご苦労さまでした。
読んでくれてどうもありがとう
今日は水無月12日、大暑です・・・全国的に猛暑日が続きますね。皆様、活動は夜にしましょうね・・・もともと哺乳類は夜行性らしいですから。
ということで、久々に「源氏物語」の話題・・・
さる方に、光源氏が几帳の御張台にたゆたう女性の元へ忍び込む時、もし赤不浄の場合には光はどうふるまったのか?との疑問を投げかけられ、「そういえばそうだなあ?」と疑問は熱帯夜をますます寝苦しくさせます・・・
【六条御息所 源氏がたり】・・・光源氏が見向きもしない林真理子の作品ですが、はっきり言って作家とは異なり魅力的な仕上がりです。2巻・3巻と続くそうですが待てません、素晴らしい源氏物語です。場面が、特に寝所の場面がまるで見てきたかのようなエロい描写で、こんなことは女性作家ならではでしょう・・・ しかし、瀬戸内晴海とは全然違います。
ただ、これのみで「源氏物語」を読んだつもりになっては決してなりませんし、他の現代語訳の作品も価値がありますので、既に通読して更なる魅力に怨霊のように取り付かれたいあなたにはお勧めです。
余談ですが・・・・表紙の女性・・・実に美しいです。
しかしながら、光源氏・・・・憎たらしい野郎です。強烈な嫉妬心がメラメラと湧きあがって僕も怨霊となって取り付きたいほどです。
読んでくれてどうもありがとう
『生きてますよ・・・じぇったいに』
今回のキムヨンヒの推定1億円軽井沢旅行・・・一体なんだったのか?
今夜は東京上区をヘリで遊覧飛行した後に都内ホテルで家族会と面会をし宿泊をしているが、それなら最初から東京のホテルに連泊すれば安上がりだったのに・・・。あるいは、こんな巨額の費用をかけて超法規的にテロリストを入国させるくらいなら、政府専用機で家族会と報道陣を韓国に送り込んでやれば更に安上がりだったのに・・・。
結局は軽井沢の鳩山別荘のセキュリティー改善のための改装費や機密費投入が主な目的だった様子だが、事業仕分けすべきですな、蓮呆ちゃんは・・・
軽井沢から調布空港まで温家宝使用の高級外車の車列で移動したようだが、まさに国賓ですね・・・韓流映画スターの様でもありますね。ヨン様が『お元気ですか? 生きてますよ、わたしわ・・ あなた美しい・・』とか言うのと似てましたね、家族会は喜んだことでしょう。テキトーに『生きてましゅよ、じぇったいに・・』と言われて・・・
しかし、よく23年以上前に一度会ったきりの人の有り様を覚えていますね。僕はとっくに忘れてます、一度きりだと。あの爆破事件の事すら忘れかかっているのに。賢い姫だから当然ですけど・・・
あの「愛人ホステス連れ込み犯」ながら例外的に辞任もせず開き直った公安の中井がアホなんでしょうが、落選して例外的に法務大臣を辞任しなかった千葉もキ・チガイなんでしょうが、あれだけ悪代官ズラをした山田農水大臣が『例外は一切認めない』と言っていたのに韓国相手だと簡単に例外を認めてしまうんですからね、おかしな民主党ですね・・・
例外を認めるのは、「キャミソール荒井」とか「モナ・ラブホ細野」とか、「巨額子供手当ポッポ」とか、「裏金不動産王」とか色々例外オンパレードの民主党ですからしかたないですね・・・
例外なく殺された宮崎の種牛は一体どういう理屈だったのでしょうか? 民主党にかかると「愛国無罪」なもんで自分に甘く他人にきびしい勝手な案ばかりで息苦しくなりそうです。
新型感染症(インフルエンザ)の際の例外規定もなくされて、感染したら鳩山も小沢も菅も千葉も仙石も山田も赤松もヨボヨボ参議院会長も・・・例外なく殺処分する気なんでしょうか?
多分、例外なんでしょうけど・・・
読んでくれてどうもありがとう
先程のNHKニュースで環境省が来年5月以降、知床五湖への規制を強め、有料化とともに事前にガイドを予約した人のみ一日300人までとすると決定した・・・と報道していた。
僕は小池大臣も小沢大臣も・・・環境ビジネスで喰ってるやつらが貧困ビジネスで喰ってるNPO同様に無茶苦茶嫌いなので、世界遺産「知床五湖」の入山規制に敏感に反応してしまった。
とはいっても確かに観光バスで大挙して押しかける観光客にはウンザリでもあるので何らかの規制が必要だが、「事前の予約が必要」という点が一番気に食わない。
僕のブログを読んでる人にはわかるだろうが、僕の旅は予定がない・・・勃たない、じゃなかった、立たないのである。いつも当日か前日の突然の出発しか許されない仕事なのである。
http://blog.m3.com/BackToTheStreet/20071011/1
さて、ヨットマンの前はホースマンだったのだが、その前はサイクリストだった僕の知床旅情は・・・また女性に興味が出る前で、鼻の下がようやく伸び始めた19歳の夏のことだった。
詳しくは前の記事を読んでほしいが、僕は北海道周遊を自転車で行った。ウトロから知床五湖への道は舗装されておらず、サイクリスト泣かせだったが、滝を眺めオホーツクを眺めしながらクマに怯えエッチラオッツラ知床五湖を目指してペダルをこいだ。愛唱歌は「知床旅情」・・・本当に熊を避けるべく大声で歌いながら走ったがすれ違う車もなく、31年前の夏は知床はまさに秘境だった。
知床五湖に到着しても観光客の姿はほとんどなく、真夏のシーズンでも寂しげな場所だった。一応、遊歩道は整備されていたと記憶するが美しい空と山並みが今も眼に浮かぶ。
緩やかなアップダウンの続く未舗装の海沿いの道を帰るのは楽じゃなく、ウトロの村の灯りがまじかに迫った時は感無量だった。
今宵のニュース映像を観て、知床が知床でなくなったようで一抹の寂しさを感じている。
知床の岬にハマナスの咲く頃・・・
想い出しておくれ 俺達の事を・・・
飲んで騒いで 丘に登れば・・・
しかし、いつの日か羅臼岳には登ってみたいものである・・・
読んでくれてどうもありがとう
【老婆の休日】・・・というと多くのフェミニストや常識人達に御叱りを受けるであろうが、老婆こと母君が笑顔でイタリアから先程帰ってきた。「ローマの休日」のヘップバーンは1929年生まれだが、少しだけ若い我が母君も既に後期高齢者であり、桂文珍の名作「老婆の休日」の方が似合う年齢となっている。
母の目的はただ一つ・・・ナポリにほど近いカプリ島にある「青の洞窟」に入ることだった。実は昨年11月にもカプリ島まで行きながら荒天に阻まれ洞窟の前で断念していたのだが、7月がベストシーズンと聞いて再チャレンジしたのである。前回は父も一緒だったが、その熱意が父には理解不能の様で父は留守番になったが、相当暑くて強行軍のツアーで、ヘップバーンより早く生まれた父には過酷だったかもしれない。
ただ、思いのほか母の感動の言葉は静かだった。満足感と達成感はあるのだろうが、己の年齢を感じて「次の旅」が思い描きにくいのかもしれない。あと何年くらい旅を楽しめるのであろう? 今しか行けない・・・ これが母の口癖になって久しい。
考えてみれば母も色々と旅をしている。イタリアも三度目だったし、北アメリカ・南アメリカ・アフリカ・ヨーロッパ・アジアなどなど15回くらいは出かけている。今までは全て父と一緒だったし、このブログにもトルコ旅行・エジプト旅行・ギリシャ旅行・インド旅行などを紹介して来たと思うが、今度が初めての父を残しての旅行となった。
写真撮影が好きな父が同行していないので撮影した写真の枚数が少なく旅の土産もないのだが、やはり無事に笑顔で帰ってきてくれただけで嬉しいものである。
さて、母と父はこれから先どれくらい旅が出来るのであろうか?
自分自身が旅が出来ない立場ゆえ、年老いた母が旅を楽しんでくれるのが何よりうれしい今日この頃である。
おそらく、明日からまた老婆は次の旅の行く先を考え出すに違いない。健康が何よりである、言葉はいらない・・・
読んでくれてどうもありがとう
ブログを書きだして4度目の「海の日」・・・毎度のことながら休日当番医でした。
今日も暑くて、全国的に水の事故や熱中症が多かったですね。当院にも3名ほど軽い熱中症の方が来院されました。あと、若者の高熱が多かったです。北陸でインフルエンザ流行中とのことでしたから1名だけ簡易キット使用しましたが陰性でした。でも、遊んで発熱の患者さん・・・少々弱いですね、若いくせに・・・元気ださんかい???
さて、今年もヨット部OB会に誘っていただき昨日の日曜日に参加して久々に海を満喫してきました。夜の宴会も26時まで参加して飲み過ぎてしまい当番医も居眠り状態でしたので、誤診が心配です。
過去のブログ記事を読み返しますと、
昨年は不参加・・・当番医。
一昨年は参加・・・子供と一緒。
その前の年は不参加・・・嵐のため。
その前の年は参加・・・子供と一緒。
その前の年は不参加・・・当番医。
その前の年は不参加・・・当番医。
その前の年は参加・・・嵐の中、子供と初参加。
といった参加状況の様ですが、50歳にもなるOBとしては素晴らしい参加率の様です・・・というか、他のOBの参加率が極めて低い様です。医者は転勤が多いので開業してないと段々と連絡先が判らなくなるし、開業すると遠方には行けなくなるので仕方なさそうです。その意味では僕は大層恵まれた環境で、当番医に当たらない限りは年に一度は出かけています。
ただ、一昨年に@@@を激しくし過ぎて腰を痛めた時は二度とヨットに乗れないと覚悟しましたが、昨日は全く無問題でした。@@@も何度でも可能です・・・???
50歳にもなりますと、現役部員のほぼ全員が25歳以下で僕が現役時代には生まれてなかった訳でして、中には僕より若い父親だったりして、少々ショックでもありますが、@@湾と海上より眺める**松原や$$山の風景は30年前と全くそのままで美しく、気持ちは一気に学生時代に戻れる事が何よりの至福の時です。
日曜日はそれまでの梅雨空が嘘の様に去って青空が広がり、風も安定し波もほどよく、卒業して最も素晴らしいヨット日和だったようです。スキッパーとしてラダーを握り、90分ほど30歳も若い女子部員と470級を楽しみました。久しぶりにスピンネーカーがきれいに張れて「何となく嬉しい・・」と感じてしまいました。
時間が許せば3時間でも5時間でも乗り続けていたかったのですが、少し思い残すことがないと二度と来れなくなりそうで・・・またの楽しみに取っておきましょう。
夜の宴会・・・後輩にカッコつけてしまい相当な出費となりました。二次会では先日一人で練習した加山雄三を熱唱するつもりでしたが、残念ながらカラオケ屋さんには行きませんでした。せっかく海の名曲を練習していたのに・・・残念です???
誘ってくれてどうもありがとう