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学校と違い入寮式や退寮式といったものはないし、わずか一年にも満たない期間の共同生活なのではあるが、僕にとってかけがえのない セピア色の一年、それが京都駿台指定「東山南寮」での生活だった。
東北・東京・信州・北陸・中部・近畿・四国・中国・九州・五島列島など全国各地から 志望大学に落ちた悔しさをバネに リベンジしようと京都東山に集いし同期の仲間は約40人くらいだったろうか? 個人情報保護法とやらで同窓生名簿も出来ず、連絡不可能な仲間の方が圧倒的である。
その東山南寮が取り壊されると知って急遽集まった我々5人は、なんと30年ぶりとなる再会を懐かしさと嬉しさと淋しさが混在した気分で夫々過ごしたことと思う。上の写真は夢多き痩せた予備校生、次は悩み多きメタボな中年たち・・・ やっと連絡は取れても仕事が多忙で参加出来ない人も少なくなかったが、それもまた良し。東山南寮の歴代同窓生は500人以上いると思うし、医師も200人以上はいそうだから、過ごした時期は違っても一緒に参加した気分で眺めて欲しい。
僕は土曜午後の診療を16時で終えて京都に向かうはずが、終盤に患者が続いて少々遅くなり、南の島から慌てて新幹線に飛び乗り ようやく21時過ぎに寮の近くの かつて「京都パークホテル」と呼ばれたホテルに到着した。そこからは、かつて散歩コースだった京都国立博物館が見えるが、既に東京などから到着していた友人達が笑顔で迎えてくれた。
この辺りは平安時代には後白河法皇の居住する地で、清盛建立の三十三間堂に隣接し、後に秀吉が好んだ地域でもあり、寮の近くは東山の雰囲気をよく今に残している。
赤レンガ建築が一際美しい我らが東山南寮は、かつては村井兄弟商会の日本最古・最大のタバコ工場だった。
この由来を記した碑は僕らが寮を離れた翌年に建立してあるので、同窓生の中には建物の由来を正確には知らなかった者も少なくなかったようだ。
僕らが過ごしていた時には「関西テーラー」という衣服関連の問屋さんが一階で営業してあり、併せて寮のオーナーでもあった。
6月の京都新聞の報道を読んで 取り壊しに間に合うか心配だったが、やはり間に合わなかったようだ。中年男性がゾロゾロとカメラを手に解体現場に行くと、怪しげな団体関係者が「取り壊し反対運動をしにきた」と誤解されたのであろう、現場監督や近所の住人がジロジロと警戒の眼差しを向けてきた。そして少し言葉を交わした・・・
我々が「昔ここに住んでいた」というと住人だと勘違いした様で、まさか予備校寮の住人だとは普通は想像しないだろう。今度の京都行きも家族や知人には「変な趣味」に思われたかもしれない。
四方を厚いシートに覆われ、中の様子は残念ながら伺いしれなかったが、友人が3月に たまたま撮影した「寮の入口付近の写真」があった。自転車を置いて左の鉄の階段を上り、昼なお暗き寮へ安っぽいガラスドアを通って毎日を過ごしたが、僕ら自身には予備校生に付きものの暗さなど微塵もなかった・・・としておこう。階段の上の物干しテラスから眺めた東山連峰の姿が眼を閉じると今も見えてくる。
まるで廃墟の様な錆つき具合であるが、「当時のまま」に見えてしまうとことがなんとも物悲しい。考えてみれば当時でも建築後70年くらいたっていたのだから・・・
その今はシートで覆われて見えない入口へ毎日歩いた東側の狭い道とレンガ塀は その日も何とか残っていたが、もうすぐ全てが無くなってしまうようだ。
そのレンガ塀の小道を出て毎日?通った銭湯「松の湯」は今も営業を続けていた。時間が許せば入ろうかと思ったが、昔を思い出して「女湯を覗いて人生を終わらせる」わけにもいかず、またの機会に取っておくことにした。そして、銭湯から寮に帰る道すがら眺めた寮の屋根越しの東山連峰の姿・・・とっても好きな眺めだった。
もう、二度と「老人ホーム」に替わるこの場所には来ないかもしれない。税務署しかないので尚更だ。ただ、なんとなく京都の実家が取り壊されるような気分で、感傷的になりながら30年ぶりの友人たちともホテルの玄関で再会を誓いながら別れた・・・
PS) どなたか、「内部の写真」をお持ちであれば ぜひ頂きたいのですが・・・ よろしくお願いします。
読んでくれてどうもありがとう
日曜日の「半日回峰行」を無事に終え、世俗に復し 病に患う人々や 世の不条理に対峙しつつ、我が下半身は主の意に反し ガチガチに硬くなり、僅かな接触に際しても過剰なるほどに敏感になっている・・・
まるで、「半日」ではなく本当に「千日回峰行」を終えたような昨日今日の冴えない体調であり、我ながら実に情けない。しかし、皮靴に パソコンを詰めた手提げ黒カバンに スラックス・・・およそ、延暦寺詣で・山歩きの姿ではなく、品の良いエリートサラリーマンの姿そのものであったから、信心深き周囲の人々はさぞ驚いたことであろう。
さて、比叡山山頂で快適なロープウエイに別れを告げ、草臥れた中年医師はあえて 金をケチり 有料シャトルバス乗り場へは向かわず、道標に引き込まれるように先日の雨に少し泥濘の残る小道へと皮靴に包まれた足を踏み入れた。
目指す根本中堂の存在する東塔エリアまで約2キロ、たった30分程しかないという。幸いなことに見渡す限り下り道の様だ。泥濘を上手に避けながら 滑らぬように 転ばぬように、かといって下ばかり見て鳥や木々や遠くの風景を見のがさぬように、更には野猿や美女に襲われぬように注意深く歩を進めた。
心地よい風が頬の汗を乾かし、時おり洛北の風景や北山の景色が木立の合い間から観えるのだが、あいにく霞んだ比叡山だった。それでも小鳥の声は周囲から美しく聞こえる・・・
そして下りばかりだったゆえ大した苦労もせず 程なく東塔エリアと西塔エリアの分岐点となる山王院に辿り着いた。もう少し千日回峰行の(あじゃり)僧の気分を味わいたかったので意外に短い行程に少々驚いてしまった。
と言っても、最澄の御廟の存在する西塔エリアへ先に行ってしまうと 東塔エリアに戻るには一時間以上余計に歩くことになり、少なくともその半分は上り道だと計算が働き、僕は躊躇なく西塔行きは躊躇することにした。次回のお楽しみに残しておこう・・・(本当は既に足がパンパンだったからだが)
さて、比叡山を30年前からことあるたびに眺め、宗派違えど機会があれば是非一度は登りたいと思っていたが、今思えば大きな勘違いをしていたようだ。
北東鬼門を守る意味で比叡山延暦寺は京都の寺と思っていたが、実は滋賀の寺の様だ。ただしくは琵琶湖と不可分の関係の寺院なのではないか?
法然・栄西・親らん・日蓮・道元などなど名だたる宗祖が京都側へ山を降りている?が、全てではなく、別れた三井寺など琵琶湖側へ下りることも普通だったのであろう。信長の比叡山焼き討ちは京都側ではなく琵琶湖側からの攻めだったのではなかろうか? 降りるとしたら登るのはどう登ったのか?
史実は何も知らないが、全国の秀才たちが延暦寺を目指す時には、難波から船で淀川・宇治川・瀬田川へと遡り 琵琶湖に達し、そこから現在の坂本ケーブルの様に山道を延暦寺を眼に捕えながら目指すルートが1000年前には普通だったのではなかろうかと素人ながら感じた。京都側からだとしたら なんとなく似合わない気がする。
まあ、そんな勝手な想像・妄想はこのへんにしておく。しかしながら、初めて訪れた根本中堂・・・素晴らしい雰囲気だった。
あたりには紫陽花が美しく、家族や通院して頂いている皆様のことを思いつつ鐘を突かせて戴いて、根本中堂で「病気快癒」祈願のお守りを買ってきた。さぞ、霊験あらたかであろう・・・
根本中堂の内部は撮影禁止・・・さもありなん、小心者は規則を守る。しかし、探せば案外と写真はあるもので、どこかの誰かが撮影していた内部の写真を下に2枚のせておく。

ただ、この方も「堂内」に関しては撮影の勇気がなかったようだ。確かに、堂内部の雰囲気は凄く、とうてい写真で表現できるものではなく さすれば罰が当たるだろう。やはり静かにお参りし 心を空にして頭を垂れるのが良かろうと思う・・・
こうして僕の東山36峰(のうち2峰)を駆け巡る「半日回峰行」は終わった・・・ 旅は楽しい、友は大切、自由は貴重、健康が一番
読んでくれてどうもありがとう
懐かしい予備校寮の同窓会の一夜が明け、ホテルの窓から外を見やると、思いのほか爽やかな梅雨の中休みの朝だった。なんだか得をした気分・・・
30年ぶりの友人たちと実に久しぶりに口にしたアルコール・・・昨夜21時過ぎに京都に着いてから26時過ぎまで・・・気だるい身体を鞭打って、僕はコッソリ温めていた「半日回峰行」を一人で強行した。
国立博物館の向かいのホテルから京都女子大へ向かう坂道(通称:女坂)を不審者の様な出で立ちで黙々と登って行く一人の中年医師。その向かう先は女子大の寮・・・ではなくて、豊臣秀吉が眠る阿弥陀ヶ峰の頂、199m。
豊国廟は予備校時代から僕のお気にいりの場所である。この辺りは古くより鳥辺野と呼ばれ葬送の場所であり、僕の愛犬タローの墓を勝手に30年前に建立した場所でもある。
それゆえ、京都へ来るたびに登頂して参ろうとするが、段々と足腰と心肺機能が付いて行かなくなってきている。いうなれば、僕の運動負荷試験ともいえる「半日回峰行」であり、今回は50歳を目前にして東山連峰の南端(阿弥陀ヶ峰)から北端(大比叡)までの回峰行を計画した・・・
さて、清水寺の舞台から正面に姿良く拝される頂上へは50円を支払って真っ直ぐに立ち上がる階段をヘエコラ息を切らして登ることになる。体力に自信がない方は、出来るだけ他の人と遭遇しなような時刻を選んだ方がいいが、一人倒れてもカラスの餌になるので注意が必要だ。上の階段を上りきると下の御門が正面に見える。
そこをくぐって見上げると更に階段が貴方を喜んで迎えてくれる。いよいよ秀吉の魂と近づく厳かな雰囲気が辺りを覆う・・・
このあたりで夏場は熱中症で倒れかねないのであるが、救急車を呼んでも多分5分では来てくれないだろうから運悪く死ぬかもしれないのでご注意を。
そんな悲壮な覚悟で7月の炎天下に無理して登っても、199mの頂上からの眺望は無きに等しいので事前の情報収集と覚悟が必要である。ただ、観光客が滅多に来ない場所なので少々自己満足が出来る位であろうか・・・
しかし、困ったことに夏は蚊が多く、膝が笑って太ももが泣いても、慌てて転げ落ちぬようにしてほしい。ここが貴方の葬送の場にならぬようユックリと降りて来てください。麓にたどり着く頃には下着はビショビショに濡れ、真夏に無茶して登ったことを後悔しているかもしれません。
さて、次は比叡山延暦寺を目指します。でも本物の回峰行の様に歩いて行くと日が暮れて故郷へ今日中に帰りつかないので公共交通機関で向かいましょう。七条京阪から北へ出町柳へ向かいますが、鴨川沿いの景色を眺められない京阪電車は詰まりません。
それに比べれば、叡山鉄道は一両編成で趣深く貴方を比叡山のふもとへと誘ってくれます。
終点の駅も、その傍の高野川も趣深く、子供達が沢山泳いでいました。なんだか懐かしい風景です。30年前に戻ったような気分が昨夜より持続しています。
そこから日本一の標高差を誇る大正時代建設のケーブルカーで美しい女性の運転手さんに案内されつつ初めての比叡山に向かいます。駅には紫陽花が美しく花を咲かせていました。でも、山頂のシャトルバスもそうですが、少々運行本数が少ないですね。
近くの瑠璃光院にも以前から行きたかったのですが、本日は先を急ぐ行者ゆえ、ケーブルカーとロープウエイの間の三回百円の「かわらけ投げ」も(したかったけど)せず、時間も無かったので先を急ぎました。
そしていよいよ、ギュウギュウ詰めのロープウエイで大比叡の山頂に到着です。梅雨の晴れ間、野鳥の鳴き声は爽やかでしたが、洛北の景色は少々霞んでいて残念でした。
それにしても、比叡山延暦寺開創以来どれだけの僧や行者がこの山を歩き回ったことでしょう。たった15分で頂上に着いてしまって、大変申し訳ない気持ちになりました。
次回は、「半日回峰行」の後編を謹んでお送りします。
読んでくれてどうもありがとう