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2009.06.09 17:14 |  開業 / 病院経営  |  murajun  | 推薦数 : 1

どこ行くの?

道端の案内地図をぼんやり眺めていると、横から 『どこ行くの?』という誰かの声がした。もう一度 『どこ行くの?』と問われたところで声の方を見やると 柔和な顔をした小柄な男性が僕の顔を眺めており、どうやら僕に問うたようだった。

霞が関で不審な行動をした直後だったので、早々に尾行され職務質問をされたと感じたのだが、どうみても警官には見えない。どうやら近所の親切なオジサンだったようだ。

 

そこは北鎌倉駅に近い場所だったし、僕は向かおうとしていた紫陽花の名所「明月院」への道のりも知っていたので、『そこはもう少し先だよ・・』と教えてくれる男性の答えももちろん知っていた。でも、僕がいかにも鎌倉に不案内な観光客に見えたに違いない。きっと疲れて情けない姿だったのだろう。

そこでついでながら男性に問うてみた・・・ 『原節子さんのご自宅をご存じですか?』 

 

僕は地図に描かれているはずもない彼女の住まいを捜しているのだった。

先日ブログに書いたが、【晩春】や【麦秋】の舞台となった北鎌倉駅とその周辺の散策をどうしてもしてみたくなり、横浜の透析学会の帰りに僅かな時間を見つけて、全く生まれて初めての鎌倉に立ち寄ったのだった。ただ、本気で探しだしたい・・・とは全然思っていなかった。静かな暮らしを壊す気にはなれない。紫陽花の季節でなければ恐らく出かけなかったであろう。

 

『原節子の家かぁ? 知らんなぁ、平山郁夫の家なら知ってるけど・・』と男性は答えてニコリと微笑みを残して元気に先に進んでいった。取り残された僕は両手にパソコンや学会誌の入った重たい荷物を下げ、少しラフなジャケットに地味なスラックス、黒い皮靴というオシャレな鎌倉に来た梅雨前の観光客にしては異様に見えたことだろう。実際、中のシャツは陽気で汗ビッショリとなっていた。

 

ちなみに、右から2番目の小津安二郎も 深川生まれながら晩年を鎌倉で過ごし、60歳で他界、この鎌倉に墓もあるという。左から2番目の原節子とは相思相愛だったという話もあるし引退の理由とも伝え聞くが、彼女は現在88歳、(鎌倉の)どこでどう過ごされているのであろうか?  独身だったろうから、観光客に知られないように秘かに暮らされているだろうし、一緒だった姉夫婦の没後は もしかすると医療機関や介護施設にお暮らしかもしれない。

 

 

あまり大きな声では言えないし誉めたことでは全然ないが、告白すると・・・東京で13時まで循環器関係の講演会に出た僕は、飛び切り急いで横浜に移動、透析学会専門医受付終了の14時にギリギリ滑り込んだ。この研修単位登録のための点数取得が出来なければ今回の上京の目的は無意味に近く、暑い日だったがギリギリセーフの冷汗でビッショリだった。

 

 

(秘密ですが)形ばかり学会に参加して、今まで全く行ったことのない鎌倉を男一人で訪れた・・・ しかし、その日の鎌倉市内はヒドイ込みようで、地元の人やタクシー運転手によるとどうやら「観光客のピーク」だったらしい。どこもかしこも大渋滞だった・・・あんなに東京都心はヒッソリだったのに。

 

実は南の島の田舎者にとって鎌倉は遠い場所。東京横浜には行っても、鎌倉や箱根は 京都や奈良に比べると全くなじみがない。どうやら関東や信濃における鎌倉文化と、平家色の濃い西国とは少々縁遠い物の様だ。ただ、西国と言っても源氏がルーツの薩摩などは鎌倉に親しみを感じるのであろうが・・・

鎌倉時代、頼朝と義経以外の源氏や北条の歴史には少々疎いのは西日本の人の特徴ではなかろうか? 関東武士と聞いてもどうも僕にはピンとこない。

 

そこで、まずは礼儀として源氏の鶴岡八幡宮を訪れた。ちょうど結婚式がとり行われていたが、その右で【晩春】の杉村春子が「ガマ口」を縁起良く拾ったのだった。僕も下を見ながら歩いたが、金目のものは何にも落ちてなかった。

そして奥の階段・・・年寄りには辛いだろう。花嫁も辛いだろうから階段下で式をあげ御本尊を仰ぎ見上げるのであろうか。登った僕も今は足が痛くて仕方ない。

 

時間が無くて先を急ぐが、急ぎ過ぎて昼食がまだだったので遅い昼食を傍の蕎麦屋で頂いた。おいしかったし、おしゃれだったが、道路にひしめく自動車の群れとハイキング姿の中高年観光客の多さにはビックリだった。

食べながら悩んだ・・・わかってはいたが 全然時間がない。

 

紫陽花の名所へ行って、原さんの眺めた海もみてみたい・・・当初の第一候補は長谷駅の近くの「成就院」だったのだが、この街中の大混雑を見ると無理そうで、羽田の最終便に遅れては明日の診療に困るので「次回のお楽しみ・・」ということで、不審な中年男はブラブラと八幡宮から北鎌倉までユックリ歩くだけにした。

 

そこで・・・・・先ほどのおじさんに声をかけられたのだった。どうせなら原節子風の上品な美女に声をかけられ秘かな裏道を案内して欲しかったのだが、妄想は実現しないから妄想なのであると僕は鎌倉で悟ったのだった。

 

オシャレな店を眺め風流な道を辿り、紫陽花の名所「明月院」にたどり着いた。

 

途中には味わい深い民家が沢山あって、山がすごく近く、京都の東山や北山の風情とはまた異なる魅力を感じながらの散歩だった。お忍び旅行なら更に楽しかったであろう・・・

 

「明月院」の紫陽花は実にシンプル、淡色ブルーの単色の紫陽花群・・・手入れは行き届いているが決して特別な紫陽花の風景ではない。やっぱり「成就院」に行くべきだったかな?と思いながら坂道を登っていった。

 

ちょうど梅雨入り前の ほど良き頃あい、紫陽花と同じ数くらいの人の頭を眺めていると、何やら「やぐら」と称す山をくりぬいたお墓が目の前に現れた。僕は思わず腰をかがめ写真に収めて案内文に眼をやった・・・

 

『これはね、執権の「やぐら」というの、こんなの鎌倉には数千はあるよ。当時は10万都市鎌倉市内に墓地は作れなかったからね。周囲の山すそには沢山あるよ・・・』とまたもや誰かの説明が聞こえた。

どこかで聞いた声・・・なんと、先ほどのオジサンが僕に説明している声だった。驚きながら顔を見ると にこにこして次から次に「鎌倉幕府と鎌倉文化」の説明が延々と続いた。学校の日本史のレベルではない・・・あまり興味もなかったが。

 

帰りの飛行機の時間が迫っていた僕にとって、いつ終わるともないオジサンの案内は少々驚異だったが、『よくご存じなんですね』と更に火を着けてしまった。オジサンは、『検定を受けてるからね』とにこやかに歴史講座をやめようとしない。聞いたこともない武将の名前や寺院の名前が次々と登場するが僕の頭には残らない。

 

結局、何度も来ているオジサンと 紫陽花寺を目当ての初めての僕の興味は少々(かなり)食い違っていたが、まあ いいか・・・と僕も腹をくくって、話をしたくてたまらなさそうなオジサンと付き合うことにした。で、歴史の話は長々と聞いて知識は深まったが、肝心の「明月院の紫陽花」はあまり見れなかった様だ。後でパンフレットを見ると、メインの通路も通らず、他にも色々と見どころがあったようだ。

 

さて、とにかくオジサンの案内に促されるように、後ろ髪をひかれながら「明月院」を後にした(したくなかったが・・)。僕の予定では後30分ほどは余裕がありそうだった。僕は北鎌倉駅方面に向かうためオジサンと分かれ道で挨拶をしようとしたら、「同じ方向にいくから・・」と再び線路際の道を二人で話しながら歩いた。

 

とうとう北鎌倉駅前に差し掛かり、僕は別れ際に名刺を差し出した。オジサンは 『お医者さんかね? そうかね? むこうに渡らないと切符買えないから、じゃあね・・』と、一人スタスタと別の踏切を渡り、僕はようやく一人に戻った。

あと時間は30分ほど余裕があった。眼の前には・・・円覚寺

 

後で知ったが(その時は知らなかったが)、そこには小津安二郎の墓があるそうだ。小津ファンとしては何たる不覚・・・ 地図も持たない行き当たりばったりの旅はこれだから困る。あのオジサンも歴史は詳しいが、残念ながら小津ファンではなかったようだ。

 

しかし、せっかくの鎌倉・・・駅が近い安心感も手伝って、閉門間際の円覚寺を訪ねた。多くの寺院がひしめくように存在する鎌倉は、京都や奈良とは全く違った趣があって、地形を上手く取り込んでいる。あれだけ多かった観光客も寺院というより街を楽しんでいたのであろうか? 大きな寺であったが静かな境内であった。

 

「国宝 大鐘」という表示に案内され階段を登りはじめたが、途中で足がガタつきはじめ 少々後悔しながら登った。鐘自体は1300年頃と比較的新しく、京都と比べ特段の印象はなかったが、その場所から横須賀線の線路越し(といっても、線路は見えないが)に望む周辺の小高い山々に僕は「鎌倉」を感じることが出来た。

 

下を歩くときに感じた蒸し暑さはそこには無く、爽やかな風が渡っていた。ウグイスの声も聴こえた。多くの人々がこの場所からボンヤリと眺めたことだろう。特別なものは何も見えないが、なんとなく僕のお気に入りの場所になったようだ。

そうして、僕は念願の「北鎌倉駅のホーム」に立った・・・横には原節子が・・(妄想)。

 

帰って来て今も足がガタつき痛い。あの程度で・・・と、歳とったことを凄く感じる。今回は東京ー横浜ー鎌倉ー羽田と少々大変な行程だったが、あの浜辺は次回にとっておこう。それとも、見ない方が映画の雰囲気を壊さずに済むのだろうか?

 

読んでくれてどうもありがとう

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