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Doctors Blog

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昨日は地域の透析関係の新型インフルエンザ対策連絡協議会に出た。弱毒性だから急速に関心が消えたのか、あるいは透析業務は過酷で参加出来ないのか、とにかく参加施設は30%ほどでしかなかった。基幹病院で欠席のところもあり、ちょっと拍子抜けした。

しかしながら、参加した施設は一様に真剣な対応を心がけているようで、施設の規模による悩みの違いはあっても、深い闇の様な先行き不安が全部の透析施設を覆っているようだ。

『今日は強毒性のことを心配しだすと収拾がつかなくなるほど問題山積してるので、弱毒性に限って話をしましょうよ・・』と、言わば逃避的な検討に終始した。ときおり、僕を含め誰かが、『いづれ強毒性なら透析は患者もスタッフも玉砕ですよ・・』と言い出しても、諦めにも似た無言の沈黙がその場を占めてしまうほど透析にとっての『新興感染症問題』は大きく根が深い。とにかく、厚労省も地域行政機関も「透析」の特殊性には理解が少ないようだ。産科と同等に問題が大きいと思うのだが・・・

 

そこで出る本音は、『今度のインフルエンザは怖くないけど、厚労省の行動計画とか、マスコミのパニックの様な報道方法とか、現実に即しない法律とか、書類の山などが怖いんだよね。下手すると、一発で透析施設が簡単につぶされる場合が出てこようね・・ あ~こわ』と云うものが中心だ。医療現場に襲いかかるのは新型インフルエンザではなく、行政と司法と報道であって、現場へ判断を任せると行政が言っても問題が生じて報道が叩くから、結局何一つ自由に効率よく動けなくなる。

 

ずいぶん厚労省も甘くなってきて、停留機関を10日間から7日間に短縮したが、せっかくなら3日程度にして明るいメッセージを持たせてほしかった。

影響力のある岡部先生は、直接医療機関に行くのも近く認めていいかも・・と云いつつ、検疫官の様な完全防護までは不要でしょう、と云っていたが、どうせなら、通常の診察のスタイルでいいかもしれません・・と云ってほしかった。

厚労省や保健所は、報告義務や書類の山を医療機関に提出させるのをやめてくれれば、ただでさえ忙しい医療スタッフの気持が楽になるのに。

誤って京都に停留させられた4人のアメリカの学生の引率の先生が『誰にも間違いがある・・』と大人のコメントを発していたが、日本のマスコミ様と クレーマー殿にも見習ってほしいものだ。

 

しかし、日本の最近の風潮は、徳島の様に国内の修学旅行を早々と全面的に中止したし、兵庫の通所介護も県内に一例出れば全面的に自粛を強く依頼すると昨日表明した。ちょっと地方ごとのズレが拡大しつつあるようだ。

厚労省の管理条件緩和も簡単に云えば「現場の判断に丸投げして任せる」と云うもののようだが、一方の安全地帯にマスコミ様がいるので、これから先も現場は責任追及を逃れて何も出来なくなりそうだ。日本人全体の問題なので批判してばかりはいられないが、日本人を襲っているのは新型インフルエンザではなく、行政と報道の責任追及・非寛容のような気がしている。

 

怖いのは、ウイルスではない・・・・行政とマスコミ様の非寛容だ。これは恐らく医療者の共通認識であろう。

 

マスコミさん 襲ってこないでください

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2009.05.13 00:39 |  開業 / 病院経営  |  murajun  | 推薦数 : 2

【 生物と無生物のあいだ 】

新型インフルエンザの話は今回は忘れて・・・ 

 

勝手な誤解で半年以上も永き「積ん読」の憂き目にあってしまった本のタイトルは【生物と無生物のあいだ】・・・有名な本だったが、著者も内容も知らぬままに購入していた可哀想な本。

 

なぜ誤解したかは推薦人にある。「京都三条ボンズカフェ」という京都発のFMラジオがあって、僕は便利なボッドキャストというPC経由の放送を時おり楽しんでいるのだが、その中の大好きな梶田真章和尚の大好きな「この本読んだ?」というコーナー・・・月に一度の法然院住職の推薦本紹介コーナーでかつて紹介されいた本だったからだろう。

 

不思議とその放送では「内容」までは聞き洩らしていたのだ。多分忙しかった時だったからだろう。ただ、哲学者の息子であり、また外語大のドイツ語科を出た文化人・超インテリ和尚に心酔している僕としては紹介された本は出来るだけ読んでみることにしている。もちろん宗教的な本も少なくない。

そんな宗教家の推薦する【生物と無生物のあいだ】という本は、てっきり「魂を扱った宗教本」だと思い込んでいた。ここ半年は、政治とか 新型インフルエンザとか 恋愛問題とかに気持ちが偏りがちで、宗教はちょっと・・・と敬遠して「積ん読」状態となっていたのである。非常に著者に対して申し訳ない。

 

著者は僕と同年齢らしい。そして、僕が京都で浪人生という身分でシコシコしていた年に、著者は花の京大生として同じ街をウロウロしていたらしい。

僕が留学先のフィラデルフィアから イソイソと マンハッタン島に遊びに出かけて行ってた頃、著者はマンハッタンのロックフェラー大学でポスドクという身分でガンガンやっていたらしい。ただ、僕と同じくらいの給与(年間25000ドル位)だったらしい。もちろん、ポスドクの給与比較は実力と無関係である。

僕がニューイングランド地方を車でドライブしながら夏休みを呑気に過ごしていた頃、著者はハーバードの研究室でメキメキ実力を伸ばしていたらしい。

僕が真似ごとの遺伝子組み換えや遺伝子導入実験をしていた頃、著者は本物の分子生物学で似て非なるものを究めようとしていたらしい。

野口英世の時代の科学から、ノックアウトマウスや ドミナントネガティブ現象の不思議さの体験など、ちょうど似たような時代の流れの中に身を委ねた著者と僕・・・ その後の到達点は相当に違うものになった。この本を遅まきながら読んでみて、著者のセンスに脱帽した。久し振りに子供達に薦めたい本に出くわした。

 

「動的な平衡がもつ、やわらかな適応力となめらかな復元力の大きさ・・・」

「生物の内部には常に不可逆的な時間の流れがあり、その流れに沿って折りたたまれ、一度折りたたんだら二度と解くことのできないものとして生物はある」

この辺りの感覚は、今の僕にはある程度なら感じれる・・・

 

結局、【生物と無生物のあいだ】という本は、非常に洗練された「20世紀における科学者達の思考と捧げられた時間の滔々たる流れの物語」だったと思う。

その意味でなら、僕にも非常に共感できる時間の想い出があって、なにか懐かしき卒業アルバムを眺め返したような気持ちがしたものだ。著者にはとても感謝している。

それにしても、科学者でありながら文章表現の巧みさに改めて脱帽している凡人似非科学者が・・・ここに居る。

 

読んでくれてどうもありがとう

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