| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
| 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
| 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
| 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
| 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
飲酒の話題が盛んです。いちおう記憶を書き留めておきます。別に良いこととは全く思ってません。悪いことでしょう。『最低の人間だ』と、閣僚にもマスコミにも批判されるでしょうが・・・
もう時効かどうか・・・20年以上が経過しましたので、たぶん時効と思いますので告白します。
少しだけ顔を赤くして急患診療(の応援)に駆け付けたのは何度もありますが、生涯でただ一度だけ、顔を真っ赤にして診療をしたことがあります。CCUの非番の時でした。
今のCCUと違い、当時のCCUではAMI(急性心筋梗塞)が急患として搬入されると、心カテより「絶対安静とスワンガンツカテによる徹夜の血行動態管理」が主流でした。まだ、PTCAというものが日本で始まったばかりの時期です。
これが結構手間取ります。初期検査と治療方針を決定し安定させ検討用にデータなどをまとめカルテ記載すると 一人のAMI当たり恐らく3時間程度はかかったでしょう。そんな時代の話です・・・
その夜は比較的静かで、夕方には当直(夜間担当)医を2名残し帰宅しました。もしAMIが一人搬入されても多分呼ばれません。滅多に二人のAMIが一晩に搬入されることはありませんが、たとえ二人でも当直での対応で恐らく済むことが多いです、同時搬入じゃなければ・・ もし同時でも応援は一人呼び出し程度で対応出来ます。要するに、その夜僕が呼ばれる可能性は限りなくゼロだったのです。
あまり酒を飲まない僕ですが、その夜は事情で沢山飲みました。でも走るくらいはできました。そしたらポケベルの呼び出し・・・携帯電話が普及する前のお話です。
どうやらAMIが同時に二人搬入されるようです、しかも超重症との事前連絡です。ここで一応『ヒマなら来い・・』という話でしたが、30分もしないうちに『三人目もきそうだからスグ来い』という内容に変わりました。CCUの近くに住んでましたが、酔った?まま走って行きました。
僕の到着と一台目の救急車が同時、応援のつもりが二台目の到着で応援ではなくなり、三台目の到着予想をしながらのドタバタ対応になりました。心臓の鼓動が速まります・・・顔も頭もパンパンします。自分で興奮してるのがわかります。そして、三台目のAMIが到着しました。これも重症です、既にCCU入院の患者数を入れると限界に達していますが、重症です・・
やっと奇跡的に三人のAMIに対応を済ませようとしたのは、既に午前三時くらいでしたでしょうか。そこへ、四台目のAMIです・・・ベッドは足りません。医者も足りません。僕らはみんな死にそうです。でも、深夜にAMI対応可能な病院は近くにありません。「断る」・・・なんて考えは当時のCCUには皆無でしたので、他の科の急患ベッドを借りて対応することになりました。深夜4時・・・今夜4人目のAMIが到着し、僕らは総出で3人目までの徹夜管理と併行して、最も重症だった4人目に対応しました。しかし、既に僕らが壊れかかっていました。
飲酒してない人でも倒れそうでしたが、飲酒していた僕は・・・何度も何度も吐きながら・・・秘かに泣きながら・・・懸命に対応しました。家族が入ってこれない救命センター内だから出来たことでしょう。
夜が明けた時、奇跡的に4人のAMIの患者は生きていました。そして無事に退院していきました。スタッフ3人に研修医4人・・・緊急カテの無い時代のAMI管理はとっても手がかかっていましたので、この人数で対応出来たのは奇跡的だったと思います。
その後、僕はほとんど酒を飲まなくなりました。休みの日でも、非番の時でも・・・いつでも急患対応出来るように酒の楽しみは封印しました。今でもチビリとしか飲みません。
だから、急患で呼ばれると、飲酒運転はしません。でも、スピード違反はします。患者のもとへすっ飛ばしますが、どう見ても暴走族並です。いつか逮捕されそうです・・・
飲酒した時は一切の診療をしなくて良い医療現場が到来してくれることを願います。
なお、当時の僕の月給は・・・27,350円でした。(桁はあってます)
読んでくれてどうもありがとう
コメント
コメントはまだありません。
コメントを書く