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雇用実態・社会保障に関しては、悲しいかな我々医師は「最下層の労働者」である。マスコミは無視している、厚労省も無視している、患者団体も多分・・・
医療従事者としては、看護師や検査技師や常勤事務職で厚生年金・共済年金をかけずに週40時間以上働かせているマトモな(病院)事業所は今も昔もありえない。勿論、零細な当院だって週28時間以上の労働者には全員 厚生年金をかけている。
ところが・・・若い医師の場合には、本来「事業所が掛けるべき年金」は、何故かシバシバ「消える」のである。
このたび、マスゾエ厚生大臣様から年金特別便を頂戴した。有り難くも僻地の我が家にも「年金特別便」は届いた。
開けてビックリ・・・【18ヶ月間の空白期間】があった。
医師になって4年目から6年目にかけての18ヶ月間が空白。12ヶ月間は大都市の「国家公務員共済@@病院」勤務、6ヶ月間は別の大都市の600床規模の「@@@総合病院」勤務だった。両方とも隣接した医員官舎もあり、30歳前後のバリバリ医師が昼夜を問わずバリバリ・ガンガン働くには素敵な病院だった。週平均 80時間勤務で、当然ながら共済年金・厚生年金が付く筈の病院だろう?
その前の3年半は嘆かわしくも「国民年金」だった。国立病院で昼夜を問わず働いたが国民年金を安月給(掃除のオバサンより安い)から出した。私立大の研修医時代は月27350円の僅かな月給から国民年金を納入した。このあたりは記録に残っているが「恥ずかしい記録」である。なんで国民年金なの? どう考えても生活保護世帯以下の悲惨な医師の生活であった。当然、マスコミは知らんフリ・・・
空白期間のスタート時期は、国家公務員共済病院勤務開始日・・・ ようやく国民年金を止めて 輝く共済年金に涙を流して換わった時だろう 『これで俺も30歳にしてやっと一人前の労働者として認められた・・やったよ母ちゃん』 といった心境だったに違いない。
ちなみに、その後の 3年余の留学期間中も超真面目に「国民年金」を納めている。収入無くても、日本に居なくても「国民年金」を納めている可哀相な医師・・・生活保護世帯以下の再現。
どこに消えたんだ??? オレの年金記録は? 週80時間も働いてたんだぞ・・・バカもん、返せ~~オレの消えた年金を~
ま~相手が国家公務員共済としても、これらの病院が若い真面目な医師をコッソリ騙して年金を不当にかけていなかった可能性も完全に排除は出来ないが、研修医時代も留学時代も国民年金を真面目に納入してきたのに・・・大病院や国家公務員共済病院での年金記録が抜けてるなんて・・・
20年近く前の給与明細なんて持ってるはずも無いし・・・ 年金の話題なんて当時は無かったし・・・
社保庁もだが、本体の厚労省は更に許し難い。皆さんの場合はどうですか? 消えてませんか?
読んでくれてどうもありがとう
まさか「泣かされるような映画」だとは知らなかった。タイトルに騙されて・・・迂闊にも何度も泣かされて・・・そして僕は映画を作った同世代のショーン・ペン達に感謝している。実に久々の爽やかで暖かく静かな震えるような感動だった。そして、いつだったか忘れるくらい久しぶりに迷わず映画館で「パンフレット」を購入した。

【Into the wild】というのは訳本も出ており、日本でも以前から評判だったらしい。1990年から1992年夏にかけての物語。死んだ青年の遺した手記や日記・メモなどを元に詳細な取材で青年の旅の軌跡をまとめた本のタイトルで、昨年アメリカで公開され、ようやく日本でも遅れて最近公開されたそうだ。

1992年夏に「事件」が全米で盛んに報道されたようだが、ちょうど留学中だったが 僕は昼夜研究に熱中してた?ので全く知らなかった。アトランタの名門エモリー大学を優秀な成績で卒業後、仲の悪い両親の期待を裏切るようにハーバードのロースクールへの進学をせずに貯金を全額慈善団体へ寄付し、免許証も クレジットカードも ソーシャルセキュリティーカードまでも破棄して 名前を変え黙って放浪の旅に出る。親しい妹にも居場所を告げぬ「最終目的地」は・・・アラスカ、北へ

僕は一直線にアラスカへ・・と思っていたら、彼はカリフォルニアやサウスダコタなど雄大なアメリカ中西部をまずはヒッチハイクで巡る。実は・・・これが素晴らしい。さすがにアメリカ、日本の放浪の旅はこうは行かない。放浪の旅の途中で出会う人々は社会の優等生ではないが人間味溢れた自然と調和しながら暮す人々。多分実際に居そうな雰囲気・・・ここがアメリカ、僕の好きなアメリカ。

ヒッピーカップルも素敵だったし、グランドキャニオンの急流下りで出合った北欧からのカップルも・・・

でも、放浪者の集う場所で出合ったジョニーミッチェルの様な16才の娘の涙や、82歳の孤独な皮職人の老人の涙には非常に参った。リアルな涙・・・僕は、理解できる。本当の別れの辛さ・・夢に旅立つ者の輝きと 残される者の涙。美しい娘の素晴らしい唄も綺麗な身体も、老人の心からの願いも青年の「アラスカへの夢」には勝てなかった。

自由を求め自分の可能性を探す若者と 子供達や若者達とどう向き合えばよいか戸惑う大人たち。映画館は満席に近かったが、不思議と40代以上の観客がほとんどだった。主人公は確かに若者の映画ではあるが、かつての自由への夢を思い起こさせてくれる映画でもあり、親としての苦悩にも共感させられる映画でもある。

どうやら、カナダを巡り アラスカへは春に入り 100日ほど過ごして 夏に彼は餓死してしまったようだ。一度は帰ろうとしたが雪解けの急流に渡河出来ず、飢餓で野の毒草を誤って食べてしまう。死の直前まで彼は幸福だったようだが、最後に本の行間に記した「言葉」にはボロボロと涙がこぼれた・・・『幸福が現実となるのは それを誰かと分かち合った時だ』
それにしても、青春の一時期にはどうして若者達は旅に出たがるのだろう。旅先で僕も何度か孤独のまま死にそうな経験をしたが、それでも帰ってくるとまた一人で旅に出たくなったものだ。それが本能なのか趣味なのか自分では分からなかった、あの頃。結婚して子供が出来て、職員を雇い開業してしまうと無茶するのは無理なのだが・・・簡単に諦めたくもない。僕の「無念の魂」はブログの中で世界中を彷徨い歩く・・・
『一度は自分を試すこと 一度は太古の人間の様な環境に身を置くこと 自分の頭と手しか頼れない 過酷な状況に一人で立ち向かうこと』 僕は、本当に久しぶりで原作を原著で読むことにして早速注文した。かつての自分の旅とはスケールこそ違え、心の深い奥を久しぶりに思い出させてくれた映画【イントゥ・ザ・ワイルド】に僕はとっても感謝している。きっとDVDも買うだろうと思う。
読んでくれてどうもありがとう