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日本に帰国する途中で少しだけですが【チュニジア共和国】に立ち寄りました。先日のモロッコと同じく北アフリカの国ですが、首都チュニスから程近い海辺の街 「シティ・ブ・サイド」の風に吹かれていますと、『地中海沿岸の国』としての印象がはるかに大きく感じられます。

 

ギリシャと見紛うばかりに街全体が白い壁と青い扉や窓で統一され、自然と爽やかな気持ちになってしまいます。馬鹿げた息苦しい日本の社会にウンザリしたらフラリと訪れてみたらいかがでしょう?

 

暖かな地中海気候で、国土の南半分は「サハラ砂漠」が占めていますが、世界中の観光客にも人気の「イスラム国家」です。

 

しかしながら、この国の独立は非常に遅く、なんと1956年のことでした。宗主国フランスから独立後も、王政廃止後に大統領制の社会主義化し、ようやく現在の自由主義路線に辿り着いたのが1970年のようです。勿論、この国の数奇な運命は古くからず~っと続いています。

下の地図のピンクが【ローマ】、グレーが【カルタゴ】の領土ですね・・・

 

現在のシリア付近で誕生した【フェニキア人】が、交易拠点として紀元前814年頃に「フェニキア人の村」の意味の【カルタゴ】を建国し地中海貿易で繁栄しましたが、新興勢力のローマと3度にわたる【ポエニ戦争】を戦ったのち紀元前146年に滅亡しています。

  

この時のカルタゴの総大将が有名な「ハンニバル」であり、象の大群と共にスペインからフランス南部、冬のアルプス越えでイタリアへ攻め込んだことはあまりにも有名です。義経の奇襲なんて比較になりません。

数日前に書きましたが、今年の「ツールドフランス」のアルプス越えのルートと近いのでしょう。凄いですね。

 

ローマ支配下では優良な属州としてローマ化が進みキリスト教も伝来し北部を中心に多くのローマ遺跡も残っています。

 

7世紀にはイスラム教のもとに糾合したアラブ人が侵入し、北アフリカ土着の遊牧民族ベルベル人を支配し、イスラム世界に入りました。

 

やはりイスラム文化が中心的な香りのようで、国中いたるところに芸術的な風景をみることが出来ます。特に旧市街のメディナにはアラブが溢れています。

ここのお店、僕にはちょっと・・・評価できません。(行ってませんから)

その後、1878年のベルリン会議でフランスの宗主権が列国に認められると、フランスによる侵攻が行われ、事実上の統治はフランス人総監が行い、さらに政府および地方自治の要職もフランス人が占めました。

 

あのサルコジ大統領が美しき夫人を連れて真っ先に訪問していましたね。

 

ああそうそう、本当は【世界の車窓から DVD編】による妄想旅行ですから、鉄道の旅を少々書かないといけません・・・

 

美しいオリーブ畑がひろがるんですよね・・・ アーモンド畑も・・・ Extra Virgin Oil ・・・美味しそうですね。

 

 

でもこの国の鉄道の旅で最も魅力的だったのは、何と言っても中西部の「メトラウイ」を出発し往復90分の【レザー ルージュ】という観光列車ですね。

 

この峡谷の中を走る列車には一度は乗ってみたいものですね。「インディージョーンズ」の場面みたいですね・・・

 

読んでくれてどうもありがとう

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2008.07.25 00:41 |  開業 / 病院経営  |  世界の車窓から  |  murajun  | 推薦数 : 1

Morocco 便り

暑苦しい、息苦しい医療崩壊の日本でお暮らしの皆さん、お元気ですか? 僕は爽やかな「フランス・アルプス」から、レジスタンスの都、「カサブランカ」に今日は来ています。カサブランカといえばジュリー(沢田研二)・・、ジュリーといえばザ・タイガース・・、タイガースといえば大阪じゃなくて京都・・ てなことは冗談です。【世界の車窓から DVD】を鑑賞しての妄想の旅です・・

 

日の沈むところ「マグレブ」におけるレジスタンス活動の対象は勿論、日の出ずる亡国の荒牢省でありますが、ここモロッコ最大の都市は1912年以降にフランスの影響で急成長したモロッコらしからぬ街です・・・ でも、当時のイングリッド・バーグマンは美しかったですね。彼女が精神科医になった映画は知っていますか? 彼女なら狂った僕もカウンセリングに通い詰めたいと思います・・・

 

そんなボギー風の哀しみを胸の奥に抱えても絶対に生き抜いて不死鳥のごとく再びやり直す・・・フィラデルフィアのロッキー・バルボアの魂をどこかで読んでくれているであろうtakaちゃん先生に今宵は捧げます。

実は貴方が他のブログ記事にコメントを残したのは僅か数名だったようですね。その中に僕がいたことを初めて知り嬉しく思いました。ただ以前、貴方の記事に対して『ホントの話ですか?』って安易なコメントを書いて傷つけたようで反省しています。

 

僕は、いつもウソというか冗談っぽく記事を書いて憂さ晴らしをしています。もちろん、騙されたフリをしてくれる読者に甘えて書いているフランスとかモロッコとかウソですし、僕が賢くてハンサムで名医で盛業中だなんて全部ウソです。でも人生は気楽に行きましょう・・・ 僕も最近、健康のため診療時間を減らしましたよ、これは本当です。

ブログで気分転換、妄想も夢想も憂さ晴らしも精神衛生には大いに結構でしょう。ただ、ちょっぴりユーモアのスパイスをお忘れなく・・

例えば、先日のtakeちゃん先生の「あ屁あ屁」記事を大きな声を出して読んでみましょう。僕はスタッフに笑い声が聞こえてしまって大変でした。院長が壊れた・・と噂になりました。

 

ま、先に進みましょう。モロッコでの休みは長くは取れません。

【世界の車窓から】ではイスラム圏は初めてでしたが、車掌さんが例の白いイスラム服を着ていたのには驚きました。

 

古都マラケシュ~聖地カサブランカ~首都ラバト~古都メクネス~帽子フェズで有名な7世紀の素晴らしい城壁に囲まれたメディナを抱くフェズ・・・北モロッコの雪景色には驚きました。 

 

列車の旅は北モロッコだけでしたが、旧市街「メディナ」の雰囲気は素敵ですよね。実際にはゴチャゴチャして暮しにくいんでしょうけど、セコセコした日本人には理解出来ない暮らしがあるんでしょうね。

 

水売りのオジサン、ペットボトルなんてダメですよね。水売りが正解ですよ、鴨下さん。

 

でも、時がユッタリと流れていて所得水準や医療水準とは逆に豊かな感じがします。日本の暮らしはどこかおかしい・・・

 

 

さて、北モロッコの旧市街「メディナ」も素敵ですが、モロッコといえば『カスバの女』にも出会いたい、な~んちゃって。若い人達は知らないでしょうが、『カスバの女』って日本だけの歌のようです。勿論、「カスバ」はモロッコにある要塞・砦って意味ですけど・・・

 

マラケシュの東に「オート・アトラス山脈」が走っており、その南側にはオアシスに「カスバ」という要塞都市が連なる【カスバ街道】なる全長250kmの地域があります。

 

何となく、カサブランカさえなければ南モロッコの風景こそ【Morocco】だと僕は思うんですが、アトラス山脈には雪も積もるんですよね。ここはアフリカなんですが・・・

 

「カスバ」って響き、いい感じですよね。眼のキリリと輝く裸足の美女が鮮やかな布で顔を隠しながら現れそうで・・・ でも、実は泥レンガの砦遺跡なんですよね・・・

 

しかし、かの有名なベルベル人の故郷ですから、勇者と美女の産地です。

 

モロッコというと何となく砂漠の駱駝を思い浮かべる方が多いでしょうが、実は僕のイメージでは「ベルベル勇者の騎馬」の方が強く刷り込まれています。これも馬術部時代の影響でしょう。

 

ローマとアラブの融合にフランスの香りの北モロッコ・・・

ベルベル人が砂漠とオアシスを馬で駆け回るカスバの南モロッコ・・・

 

どっちも素敵なモロッコであります。

 

これを書いていて、南モロッコの名物「クスクス」料理を思い出しました。留学時代にユダヤ人の上司が家庭に招いてくれた時、窓辺にハニュカ(蝋燭)、テーブルに奥さんの手料理の「クスクス」という奇妙な組み合わせを思い出します。

 

クスクスがイスラム料理と思い込んでましたが、「クスクス」はアラブ料理というよりベルベル料理なんですね。14年前の謎が解けて、今夜はグッスリ眠れそうです。

 

どなた様も気分転換には睡眠が一番・・・ 明日の朝は鬱陶しい日本へ一旦帰国して、日曜日には再び成田空港へ向う予定です。

 

読んでくれてどうもありがとう

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