murajun
More プロフィール

Search

Calendar

<< 2008/05 >>
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

トップページ

Doctors Blog

新着コメント

新着トラックバック

2008.05.29 23:55 |  開業 / 病院経営  |  murajun  | 推薦数 : 9

年収 300万円の医師

書くまいかと思ったが、森本卓郎さん提唱の【年収300万円の2流医師】という言葉が妙に悲しく胸に響くので、今宵は思い出話程度に書き残すことにした。

その前に・・・  「サンデー毎日」の最新号に、元社保庁長官で財団法人「@容師*容師@験#修セ*ター」理事長の事が載っている。頭脳明晰、経験豊富、余人を持って変えがたき有能なはずの厚労省OBは、79歳になる現在も立派に財団法人で獅子奮迅の活躍をされながら働かれている。これまでに、10団体を超える公益法人を「天下りで渡り歩いた」などという世間の不適切な批判を可哀想にも浴びてしまっているようだ。国会では「3億円もの退職金」を指摘されようが、気にされず現在の重要なお仕事をやり遂げてもらいたい。現在の年収が1500万円だろうが、それは理事長の人格や能力が立派だから適切に評価されたものであって、誰からも『不当に高すぎる』などと批判を浴びるような内容ではないと思われる。

その証拠に理事長は週刊誌の取材に対し、『年収1500万円が高いとか低いとか言われる筋合いは全く無い。そんな失礼な事を言われたのは初めてです。心外です』といわれている。確かに他人の収入を云々するのは失礼な話だ。理事長は杖をついてまで80歳近くまで世のため人のために真剣に働かれる稀有な御仁であり、尊敬こそすれ失礼な批判をすべき対象では決してない。なんという失礼な週刊誌の取材であろう・・・

 

まあ、そんな厚労省OBの羨ましい話なんてどうでもよい。今宵は「年収300万円の医師」の話だ。

 

前にも書いたが、僕は国立大を卒業後、直ちに私立大学で研修を始めた。年収32万円なり。3年目には国立病院へ派遣され、年収150万円に急上昇。4年目から5年目には私立病院(に年中泊り込み)で念願の年収600万円にまで到達した。300万円の2倍だぞ、すごいだろ~。

6年目に私立大学に戻った際は無給医で、バイトで生計をたて損ない、逃げだすように 7年目からの3年間はアメリカの大学で幸せに暮した。勿論、留学中の微々たる給与では満足な生活など不可能で、多くの親の仕送りが必要だったが、1ドル70円台という超円高な時期でなんとか死なずに済んだ。

10年目で帰国し、私立大学の有給助手になったが、年収はバイト無しでは500万円には到達せず、結局のところ、16年目で新規開業するまでの通算平均給与は年収300万円程度だったようだ。退職金は最後に50万円くらい貰ったが、平均給与への影響はほとんど無いのがやるせない。

 

僕などは森永卓郎氏が言うところの年収300万円の医師を15年間も続けた2流医師の代表であろうが、そのままずっと家族を抱えて年収300万円で医師として暮らすことは出来なかっただろう。親の援助があって可能だった300万円医師としての15年間。それ以上、年収300万円を続けるには精神的に耐えられなかった・・・・

 

その後、2流の大学医師から 3流の開業医に転落人生を歩んでいるが、採用した看護師の年収を300万円以下に抑えたことなど全く無い。

僕が実際に 300万円で嬉々として寝食を忘れて昼夜を問わず15年間も医療や研究生活をしてきたことで、『医者なんて、年収300万円でも喜んで働くさ~』などと、クダラナイ・当らない・情けない・3ナイ経済評論家に言われる筋合いは無いように思う。

 

300万円で定年まで労基法も無視で働くために子供の頃から必死で勉強するか? そりゃ大した勉強もせずに無試験で大学に入れれば2流医師にでもなるかもしれないが、そんな野郎は2流どころか3流の医師の仕事もできんだろう。

それから、「開業医だから2流医師」などという馬鹿な評論家には即刻退場願いたい。最近はどうだか知らないが、開業医も開業前は大病院の部長クラスだったり大学の講師以上だったりするもんだし、その昔は1流と崇められていた医師も少なくない。

 

僕は15年間の300万円医師時代に培った技能と馬力で、今は厚労省OBクラスの生活を一度はしてみたいと自分なりに頑張っている。80歳まで1500万円も給与所得を得られるかどうか、なかなか杖をつきながら開業医もできんだろうが、せめて人生の通算平均年収を1000万円程度まで持っていかないと・・・少々憐れかな?と思う今日この頃です・・・

 

読んでくれてどうもありがとう

固定リンク | コメント (3)

2008.05.29 00:33 |  研究  |  murajun  | 推薦数 : 0

ルノホート計画

つい数日前にNASAの無人火星探査機「フェニックス」が火星に着陸し、火星表面の探査を開始したニュースが流れた。快挙には違いないが、僕の知らない凄い事実が1970年にあったようだ。

 

僕の好きな番組の一つにNHK教育の水曜19時から【地球ドラマチック】というのがある。NHKが番組を海外から高値で買い付けて放送しているだけだが、営利主義の民放各社には出来ぬ仕事ゆえ時間が許せば時々拝見している。まさか「フェニックス」火星到着に合わせたとは思えないが、昨夜の放送はフランス製作の「ソ連月面探査ロボット ルノホート計画」というものだった。 

 

今では1969年のアポロ11号の月面着陸が捏造だ~と、アポロ計画自体をキューブリック監督のスタジオ製作映画と主張する若者が増えたらしいが、当時をリアルタイムで知る僕としては、以前【人類月に立つ】という記事で書いたようにアポロ計画は信用している。

もっとも、僕もピラミッドは先史時代の作品だと信じているが・・・

アポロ計画は信用しているが、ソ連の「ルノホート計画」のことは恥ずかしながら昨夜番組を観るまでは全く知らなかった。m3読者の多くも知らないのではなかろうか?

 

今、日本はロボット技術先進国とかなんとかいいながら、あいも変わらずホンダのアシモ君に頼っているが、1970年11月にソ連が「ルノホート1号」を月面に送り、遠隔操作で11ヶ月間に渡り11kmもの月面探査を行ったとは非常に凄いことだと思う。

確かに1969年のアポロ11号には一年の遅れをとったが、本来はアポロより半年前に到達予定だったようだ。しかし、月の石が話題になった日本の万博終了後でもあり、世界や日本で話題には全くならなかった。これはフルシチョフが隠したせいだというが、2年後には改良した「ルノホーク2号」を月面に送り込んでいる。こちらは4ヶ月で実に35kmもの月面探査を行い、凄い量の情報を地球に送ってきている。

 

地球からの遠隔操作といっても、手動の操縦桿を操作するのに30秒のタイムラグがあり、操縦者は静止画を元に先を予測して慎重に操作したようだ。

摂氏160度(昼)~マイナス130度(夜)の世界、内部の温度確保の目的で放射性物質が利用され、電力確保目的で太陽電池が搭載された。アシモ君も真っ青の数々の最先端技術がソ連の戦車開発者達によって極秘裏に注ぎ込まれアメリカとの宇宙開発競争が繰り広げられていたようだ。ソ連の技術者達はヘマをやらかして強制収用所送りになることを恐れていたというから必死さが伝わってくる。

 

ルノホート計画が世界に長い間隠されていた真の理由は分からないが、皮肉なことにソ連崩壊とともに、アレクサンダー・ケマルジャンらの科学的偉業が西側に伝わった。実際にはフランスが協力していたようで、今回の番組がフランス製作なのはそんな事情のようだ。

番組では冷戦終結後に、ケマルジャンがアメリカで火星探査機の試作品をアメリカ人技術者と共同研究してる姿も映されたが、今回のフェニックスとは違った雰囲気のようだった。

 

確かに1970年にあれほどの技術を注ぎ込んで月面探査を行えたというのは「捏造か?」などと疑いたくもなる凄い極秘事項だったと思うが、そう考えると人類は本当に進歩してるのか?疑いたくもなるもんだ。

日本をロボット技術先進国などと本当に呼んでもいいのだろうか?

 

読んでくれてどうもありがとう

固定リンク | コメント (1)