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『Back to the street ふろむ診療所』murajun先生
Q.1ブログをはじめたきっかけは?
知人であるm3公式ブロガーM教授のブログを拝見して、僕も何か書いてみたいと感じたので始めてみました。実際にやってみると、活字になって写真がついて綺麗な出来栄えに自己満足してしまい、はまり込んでしまいました。
診察室の中で空想・回想・夢想にふけり、オールドファッションな趣味の世界を再構築したいとの願望を持ち続けています。
Q.2ブログに費やす時間は1日当たり平均何分程度ですか?
決してヒマじゃないんですが、時間を作って残したい想いを記しています。おおよそ60分(30分~90分)でしょうか。時には連続して2~3記事を書きますから夜の街になかなか遊びに行けません。m3では最も多作・駄作ブロガーの一人でしょう。夜間や休日透析の待機時間のよき「暇つぶし」になっています。単身赴任の「夜のお友達」でもあります。タダなので最も安上がりの趣味になりました。お陰様でストレス発散、呆け防止、自殺防止にも役立ってます。
Q.3最も頻繁に取り上げるテーマは?
趣味の話でしょうか。読書、映画、スポーツ、旅行、恋愛などの話題が多いです。でも全部、古いノスタルジックな話ばかりですね。医療の話や家族の話もそれなりに書いています。出来るだけ他の人と話題がダブらないように気をつけています。匿名をいい事に、勝手に少々ウソや誇張が混ざっていますので、完全に信用しないで下さい。真面目に反論されても困る場合があります。下ネタやセクハラ発言もお許し下さい。
Q.4これまでに一番反響が高かった記事は?
反響はほとんどないですね。推薦マークが多かったのは、子供がタクシー運転手に「@@@」と言った話「驚く運転手さん」で、m3歴代4位の推薦数でした。あと、湯布院旅行の話など「家族ネタ」で推薦が多かったです。医療ネタの多いm3ブログでは珍しい存在のようです。
あと、BEAT CHILD の記事に「映像を欲しい」という希望が何通も寄せられました。青春を共有した人々と言葉を交わすのは嬉しいものです。
Q.5周囲のドクターに、ブログを書いていることを公表していますか?
始めてすぐに迂闊にも年賀状にアドレスを載せましたが、幸いな事に皆に無視されたようで、誰からも連絡ありません。闇に忘れ去られたようです。(さきほど、「オレ様」Y教授から連絡貰いましたが、他の人にはバラシテ欲しくないです。特にN大のM教授には秘密にしてますからよろしく)
その後は完全に秘密です。ただ、数名の美しい女性には教えました。
僕が佐野元春であることが世間にバレたら困ります。
Q.6ドクターズ・ブログ内の他のドクターのブログを読んでいますか?
いくつかのブログを愛読しています。そしてアクセス数や推薦マークの多さに嫉妬しています。
Q.7ブログをはじめて、本業(医療)に何か影響がありましたか?
本業の医療には特に影響は出ていないと思います。が、日記代わりに診療のことも書き残してます。どちらかと言うと、ネタ探し作業自体が診療の役に立っています。
Q.8ブログを通じて広がった交友関係がありますか?
匿名をモットーにしてますので、リアルにお会いしたりするような交友関係は生まれていません。昔の懐かしい人にコメントもらった時は嬉しかったですね。あと、僕のパソコンには相手のアドレスが出ませんが、どうしてでしょうか?
以前は男性読者しかコメントくれませんでしたが、最近は(多分美人の)女性が増えたので張り切ってます。
Q.9これからもブログを続けていきたいと思いますか?
ハイ。ただ、職員達や関係者にバレたら別の場所へ引っ越してしまうでしょうが。基本的には、大きくなった時期の子供達や未亡人になった妻に読まれることを意識して書いています。いつ死んでも良いように、遺書代わりでもあります。突然やめることも想定して、カラープリントで紙に残しています。m3には「本に出来るサービス」を始めて欲しいですね。
Q.10今後ブログで取り上げてみたいことは?
恐らく今までの路線をそのまま継続していくだけでしょうが、興味ある話題があれば何でも取上げます。今後、もしも素晴らしい愛人に恵まれたら、幸福な「愛人との生活」を書いていきたいと思います。それまで体力が持つかは心配ですが・・・
〔簡単プロフィール〕
・診療科:内科・循環器科・透析科
・開業医or勤務医?:40代後半 開業医
・ブログ歴:1年半
・趣味、好きなもの 等:読書・映画・女性・元春
もう直ぐ開業後10年になります。
思い返すことも色々ありますが、我々医師の生活の特徴の一つに「お別れ」というのがあるでしょう。多くの人々の「在りし日の姿」が浮かんできます。
循環器内科医でしたから、勤務医時代にも沢山の患者の死に立ち会いました。ただ数年ごとに転勤をしましたから、今とは全く違った「お別れ」でした。開業してからは直接患者の死の瞬間に立ち会う機会は稀になりましたが、勤務医時代よりも「お別れ」を深く意識するようになりました。
開業しますと勤務医時代よりも深く長く患者さんと付き合います。専門外来でないので多面的な苦悩と向き合います。日常生活の悩みや喜びを打ち明けられることも多く、時には家族にも話さない秘密も共有します。
そして患者の死は田舎の医者には身近なものです。誰某の死の情報は比較的簡単に伝わってきます。遺された家族の受診や挨拶ごとも少なくありません。
数ヶ月ならイザ知らず、数年以上も診てきた患者が死を迎えると親戚が死んだ時の様な気持ちになりがちです。想像された死、予期せぬ死、突然死・・・色々な患者の死があり、その報せに接する度に反省もし、懐かしさも思い浮かんできます。どんなに悩まされた患者でも「いい人だったのにな~」と言う気持ちになるのが不思議です。
今日、開業後に死去された患者さんを数えてみました。確実に判明しているだけで200人ほど・・・ 恐らくは知らぬままに死去されて通院停止状態の方が同じくらいはおられるのではないでしょうか? 不思議なことに、ほとんど全ての方々の生前の声や表情をキチンと思い出せます。もちろん、死因や主病もほとんど記憶してます。
患者さんの生活と病と死とを連続してみてきますと、世の中の人々の様々な人生が身近なものとなります。裕福な人も貧困に喘ぐ人も、幸福な人も不幸な人も、男性も女性も、家族の多い人も孤独な人も、明るい人も暗い人も、古い考えの人も新しい考えの人も、忙しい人も暇な人も、理系の人も文型の人も、威張る人も控えめな人も、お金に執着する人も無頓着な人も、趣味に生きる人も仕事に専念する人も、自分のタメに生きる人も他人のために生きる人も・・・・実に様々な「人生」と出会いました。
生きている人々よりも、死を見とどけた人の方が記憶に残るのは当然のことでしょうが、同時に「人生」についての様々なことを教えられました。
「医師は社会常識に欠ける」と、まるで専門馬鹿のように批判をする人々が少なからずおられますが、それは必ずしも当ってないと思います。人々の生活と病と死とに深く関わっていくには色々な要素が必要なことを、医者を長くやればやるほど、死をたくさん見つめれば見つめるほど理解するようになりました。
僕はまだまだ医者になって25年ほどしかなりませんが、「人の死」から学ぶことの大切さは分かるようになりました。
「生活の全てを助ける」ことなど出来ませんが、死を前にした人々の不安や苦悩を少しでもやわらげられるように、そして生きる希望を少しでも忘れないでもらえるようにこれからも努力していきたいと思います。
僕のブログは最近古めかしい話、異国の夢のような話、ノスタルジックな話題が多く、若い医師の皆さんには関心がないかもしれませんが、悩める人々と過ごしていくには我々も多くの人生を「擬似体験」しておく必要があろうかと感じています。
そのために、暇な時間は小説を読んだり、映画を観たり、年寄りと雑談したり、異性とデートを重ねたり・・・ 出来るだけ時間を有効に過ごしていくことが大切だろうと感じています。若い医師や看護師の皆さん、日々の患者さんとの時間を大切にしていきましょう。
読んでくれてどうもありがとう
書くまいかと思ったが、森本卓郎さん提唱の【年収300万円の2流医師】という言葉が妙に悲しく胸に響くので、今宵は思い出話程度に書き残すことにした。
その前に・・・ 「サンデー毎日」の最新号に、元社保庁長官で財団法人「@容師*容師@験#修セ*ター」理事長の事が載っている。頭脳明晰、経験豊富、余人を持って変えがたき有能なはずの厚労省OBは、79歳になる現在も立派に財団法人で獅子奮迅の活躍をされながら働かれている。これまでに、10団体を超える公益法人を「天下りで渡り歩いた」などという世間の不適切な批判を可哀想にも浴びてしまっているようだ。国会では「3億円もの退職金」を指摘されようが、気にされず現在の重要なお仕事をやり遂げてもらいたい。現在の年収が1500万円だろうが、それは理事長の人格や能力が立派だから適切に評価されたものであって、誰からも『不当に高すぎる』などと批判を浴びるような内容ではないと思われる。
その証拠に理事長は週刊誌の取材に対し、『年収1500万円が高いとか低いとか言われる筋合いは全く無い。そんな失礼な事を言われたのは初めてです。心外です』といわれている。確かに他人の収入を云々するのは失礼な話だ。理事長は杖をついてまで80歳近くまで世のため人のために真剣に働かれる稀有な御仁であり、尊敬こそすれ失礼な批判をすべき対象では決してない。なんという失礼な週刊誌の取材であろう・・・
まあ、そんな厚労省OBの羨ましい話なんてどうでもよい。今宵は「年収300万円の医師」の話だ。
前にも書いたが、僕は国立大を卒業後、直ちに私立大学で研修を始めた。年収32万円なり。3年目には国立病院へ派遣され、年収150万円に急上昇。4年目から5年目には私立病院(に年中泊り込み)で念願の年収600万円にまで到達した。300万円の2倍だぞ、すごいだろ~。
6年目に私立大学に戻った際は無給医で、バイトで生計をたて損ない、逃げだすように 7年目からの3年間はアメリカの大学で幸せに暮した。勿論、留学中の微々たる給与では満足な生活など不可能で、多くの親の仕送りが必要だったが、1ドル70円台という超円高な時期でなんとか死なずに済んだ。
10年目で帰国し、私立大学の有給助手になったが、年収はバイト無しでは500万円には到達せず、結局のところ、16年目で新規開業するまでの通算平均給与は年収300万円程度だったようだ。退職金は最後に50万円くらい貰ったが、平均給与への影響はほとんど無いのがやるせない。
僕などは森永卓郎氏が言うところの年収300万円の医師を15年間も続けた2流医師の代表であろうが、そのままずっと家族を抱えて年収300万円で医師として暮らすことは出来なかっただろう。親の援助があって可能だった300万円医師としての15年間。それ以上、年収300万円を続けるには精神的に耐えられなかった・・・・
その後、2流の大学医師から 3流の開業医に転落人生を歩んでいるが、採用した看護師の年収を300万円以下に抑えたことなど全く無い。
僕が実際に 300万円で嬉々として寝食を忘れて昼夜を問わず15年間も医療や研究生活をしてきたことで、『医者なんて、年収300万円でも喜んで働くさ~』などと、クダラナイ・当らない・情けない・3ナイ経済評論家に言われる筋合いは無いように思う。
300万円で定年まで労基法も無視で働くために子供の頃から必死で勉強するか? そりゃ大した勉強もせずに無試験で大学に入れれば2流医師にでもなるかもしれないが、そんな野郎は2流どころか3流の医師の仕事もできんだろう。
それから、「開業医だから2流医師」などという馬鹿な評論家には即刻退場願いたい。最近はどうだか知らないが、開業医も開業前は大病院の部長クラスだったり大学の講師以上だったりするもんだし、その昔は1流と崇められていた医師も少なくない。
僕は15年間の300万円医師時代に培った技能と馬力で、今は厚労省OBクラスの生活を一度はしてみたいと自分なりに頑張っている。80歳まで1500万円も給与所得を得られるかどうか、なかなか杖をつきながら開業医もできんだろうが、せめて人生の通算平均年収を1000万円程度まで持っていかないと・・・少々憐れかな?と思う今日この頃です・・・
読んでくれてどうもありがとう
つい数日前にNASAの無人火星探査機「フェニックス」が火星に着陸し、火星表面の探査を開始したニュースが流れた。快挙には違いないが、僕の知らない凄い事実が1970年にあったようだ。
僕の好きな番組の一つにNHK教育の水曜19時から【地球ドラマチック】というのがある。NHKが番組を海外から高値で買い付けて放送しているだけだが、営利主義の民放各社には出来ぬ仕事ゆえ時間が許せば時々拝見している。まさか「フェニックス」火星到着に合わせたとは思えないが、昨夜の放送はフランス製作の「ソ連月面探査ロボット ルノホート計画」というものだった。
今では1969年のアポロ11号の月面着陸が捏造だ~と、アポロ計画自体をキューブリック監督のスタジオ製作映画と主張する若者が増えたらしいが、当時をリアルタイムで知る僕としては、以前【人類月に立つ】という記事で書いたようにアポロ計画は信用している。
もっとも、僕もピラミッドは先史時代の作品だと信じているが・・・
アポロ計画は信用しているが、ソ連の「ルノホート計画」のことは恥ずかしながら昨夜番組を観るまでは全く知らなかった。m3読者の多くも知らないのではなかろうか?
今、日本はロボット技術先進国とかなんとかいいながら、あいも変わらずホンダのアシモ君に頼っているが、1970年11月にソ連が「ルノホート1号」を月面に送り、遠隔操作で11ヶ月間に渡り11kmもの月面探査を行ったとは非常に凄いことだと思う。
確かに1969年のアポロ11号には一年の遅れをとったが、本来はアポロより半年前に到達予定だったようだ。しかし、月の石が話題になった日本の万博終了後でもあり、世界や日本で話題には全くならなかった。これはフルシチョフが隠したせいだというが、2年後には改良した「ルノホーク2号」を月面に送り込んでいる。こちらは4ヶ月で実に35kmもの月面探査を行い、凄い量の情報を地球に送ってきている。
地球からの遠隔操作といっても、手動の操縦桿を操作するのに30秒のタイムラグがあり、操縦者は静止画を元に先を予測して慎重に操作したようだ。
摂氏160度(昼)~マイナス130度(夜)の世界、内部の温度確保の目的で放射性物質が利用され、電力確保目的で太陽電池が搭載された。アシモ君も真っ青の数々の最先端技術がソ連の戦車開発者達によって極秘裏に注ぎ込まれアメリカとの宇宙開発競争が繰り広げられていたようだ。ソ連の技術者達はヘマをやらかして強制収用所送りになることを恐れていたというから必死さが伝わってくる。
ルノホート計画が世界に長い間隠されていた真の理由は分からないが、皮肉なことにソ連崩壊とともに、アレクサンダー・ケマルジャンらの科学的偉業が西側に伝わった。実際にはフランスが協力していたようで、今回の番組がフランス製作なのはそんな事情のようだ。
番組では冷戦終結後に、ケマルジャンがアメリカで火星探査機の試作品をアメリカ人技術者と共同研究してる姿も映されたが、今回のフェニックスとは違った雰囲気のようだった。
確かに1970年にあれほどの技術を注ぎ込んで月面探査を行えたというのは「捏造か?」などと疑いたくもなる凄い極秘事項だったと思うが、そう考えると人類は本当に進歩してるのか?疑いたくもなるもんだ。
日本をロボット技術先進国などと本当に呼んでもいいのだろうか?
読んでくれてどうもありがとう
『スタッフの皆さん、ご心配をかけました。あなた方の院長はすっかり元気を取り戻しました・・・』 といっても、誰も当ブログの存在を知らないのでここで言っても無駄であるが、僕はみんなの気持ちに素直に感謝している。
心配ばかりしてないで、調子が悪ければ病院には行くべきである。行って色々調べて、白黒つけて、悪ければ悪いで早く治したり、治らないと悟れば将来の事を残される人々のタメに考えるべきである・・・少なくとも多くの人々の生活を預かる経営者ならば。
開業医は医者であり、経営者であり、一家の柱であり、患者でもある。自分がどんなに辛くても患者が次々に押し寄せ、どうしても自分の健康は後回しになる。なかなか普通の時間に受診が出来ず、自己診断でだんだん悪い方へと考えが向う。勿論、僕は田舎に隠れたテレビに呼ばれない行列も出来ない秘かな名医なので自己診断は良く当るのだが、最後の一抹の不安だけはぬぐいきれない。今回もしかたなく時間外受診の悪い例を作ってしまったが、日曜の夜に担当してくれた若いドクターには感謝している。
もうすぐ開業10年、これほどスタッフに心配をかけたことは過去に無かった。一度も休診をした事は無い僕が、この数日間は全く笑顔を見せれず、冷たく新患を断った。これだけでも僕が相当に苦しんでるのがスタッフには分かったであろう。一度だけだが、体調が悪い・・と口にしたときのスタッフの心配そうな顔が忘れられない。
最初の頃からスタッフの数は3倍近くになったが、最初からのスタッフも10名ほど残っている。彼ら、彼女らも大病はせず頑張ってくれているが、さすがに院長が危ない・・という雰囲気に困惑したようだった。院長は元気で病気とは無縁・・というのが当院では当然になっているが、そんなことは無論ありえない話だ。院長も人間であり、当然ながら患者になりうるのであり、患者ももう直ぐ医者が患者になりうることに気付くことと思う。
この10年を機に少々身体を大事にしようと思い直した。少しくらい医者が医療費を使ってみてもバチは当るまい。たまには外来休診も許してもらおう。夜間や休日の診療も少し断ることも許してもらおう。
しかし、今日の僕が随分と元に戻ってきたことをスタッフ達は素直に喜んでくれていた。
『先生、どうしちゃったんですか? ここ数日間は悲壮な顔でしたよ。私達皆これから生活をどうしたら良いかと真剣に悩んでました。もう大丈夫そうで良かったです』
「そうかい? 僕は腰を痛めて男としての人生が終わったと思ってシクシク泣いてたんだ。もう男も辞め時だ」
『なにまた深刻な顔してセクハラ発言するんですか? 私達は先生がインポでもどうでも良いんです。病院を続けてくれれば、先生が男を辞めても人間辞めずに生きててくれれば良いんです』
「あらそう? 僕にとっちゃインポは一大事なんだがね~。まあ、そんな冗談は良いけど、もう大丈夫だよ。昨日彼女のところでバッチリ回復を試したから自信回復だ~」
『まだ馬鹿な事を言ってるんですか? そんだけ冗談言えれば安心ですね。いつか奥さんに言いつけますよ。でも今日は笑顔が沢山出ていて安心しましたよ』
そうやって元気を回復した院長を皆が次々に祝福してくれた、実にありがたい。
でも、M院長が本当はどうやって元気を回復する秘儀を行ったかは企業秘密なので教えてあげません。
<M式秘伝回春壮健法>という名前なんだが・・・患者さんには応用できない。
読んでくれてどうもありがとう
しばらくゲーテの話をしていたら、中学や高校の頃を思い出した。そして、文豪ゲーテを思うとき、どうしても『日本の文豪は誰?』と、人並みの想像をしてしまう。
恐らくは、多くの人が言うように森鴎外であろう。ゲーテと同じく生涯高級官僚であったし、恋が得意で、古風な文語体を駆使し、外国文化を自然に会得し、好奇心旺盛・・・
ただ、正反対のような人生を歩んだ夏目漱石を好む日本人は多く、文豪という評価も当然ながら妥当であろう。私小説を書かず不幸な幼少期を過ごした漱石とゲーテの共通点は、小説の他は絵の才能くらいか?
先日、中学一年生の娘に『何か面白い本を教えて・・』とせがまれ、漱石はどうだ?と言ったら・・・黙り込んでしまった。男ならイザ知らず、今どきの女子中学生に漱石は好まれないのかもしれない。というより、漱石を学校でどのくらいとりあげるのであろうか?
かつては、野口英世の前の千円札の顔だった漱石も忘れられていく運命なのであろうか?
「鹿男あをによし」を好む娘であるから、モチーフになった「坊ちゃん」なんて同じ世界なのだろうと思うが、100年も経つ漱石はゲーテの様に今読んでも我々に普遍の感動を与えてくれるような気がする。そういう意味では、鴎外より漱石が僕にとっては馴染みやすい。
今日僕の古い本棚を覗いていて、漱石の本を探してみた。出てきた出てきた・・・なんと全部で10冊。発行日を見てみると殆どの本を中学2年から高校2年までに読んでいたようだ。ゲーテに嵌まっていた頃と殆ど同じか1~2年後かも・・・
出てきた本は・・・坑夫・虞美人草・彼岸過迄・行人・硝子戸の中・草枕・道草・門・それから・二百十日 野分・・・
なんと、有名なのがことごとく無い・・・なぜ?
坊ちゃん・我輩は猫である・こころ・三四郎・・・この辺が不思議と揃って消失している。理由は不明だが、ひょっとして読んでないかも?
まあ、他の本の状況からして全部読んだ筈であるが、引越し先に持っていってしまい、かえって無くした可能性もあるかもしれない・・・?
まあ、そんなことはこの際良いだろう。
今日書きたかったことは漱石の年齢だ・・・彼は49歳で「明暗」を連載中に死去した。38歳の時に「我輩は猫である」で遅い作家デビューを果した漱石、苦難のロンドン留学は33歳の頃だった。その前は、松山や熊本などを地方を巡った。
ここ数週間久しぶりに体調を壊していた僕は、実は日曜日の夜に良く患者さんを紹介する病院の救急外来を受診した。鋭い背部痛と長引く微熱、脊椎や胸腹部のCTなどを優しい物腰のまだ若いドクターに撮ってもらった。
CTに少しばかり僕の眼にも明らかな「気になる所見」が見つかって、『俺も来年には死ぬかも?』って一晩大いに悩んだが、翌日にベテラン専門医に所見を再読映してもらい、なんとか一安心できた。
笑い話のようだが、医者が病気になると恐い怖い。どんどん死の恐怖が迫り来る。一晩中、家内と子供らの将来を嘆き、翌日は「象の背中」を見直して泣いてしまう憐れな医者・・・医者も患者も同じ人間、敵対する一部の患者心理が僕には悲しくなる。
そんな感じもあって、49歳での文豪の死去が僕に漱石をより身近なものにさせてくれたようだ。僕の開業も38歳、僕の留学も33歳の頃・・・49歳で死んだら漱石とほとんど同じだった。
偉大なる文豪、漱石が死去した49歳まで僕もあと僅か・・・僕自身、短時間であったが今回は「死」を明らかに意識したし、いつ死んでも悔いなき人生を過ごして生きたいと強く思った。
50歳になるまでに、今回行方不明の作品も含めて、漱石を再度読み返して・・・彼の49年間の人生を僕の49年間と重ねて振り返ってみたい。
そんな事をしたり、古い写真を整理しだすと本当に死ぬからやめてちょうだい・・・と先日家内に言われたのではあるが・・・
読んでくれてどうもありがとう
いつまでも書き続けたいとの誘惑に負けず、今回をゲーテシリーズの最後としよう・・・
今年はゲーテが【ファウスト】の「第一部」を出版してからちょうど200年になるそうだ。ファウスト伝承は古くからあり、第一部はゲーテで無くとも書ける人はいたかもしれないが、死の直前まで80年の人生を賭して書き上げた第二部はゲーテ以外には絶対にかけなかっただろうといわれる。
今回読み直してみて確かにそう思う。そして、ゲーテの【ファウスト】が人類の宝の様に言われるのも何となく理解できた気がする。
最後のライムライトを観ないとチャップリンが理解できないように、最後のファウストを読まないとゲーテも理解出来ないように思う。天才達を「理解する」・・・とは不遜な言葉で恥ずかしいのだが。
引越しを繰り返しても僕の書棚に残ったたった一冊のゲーテ本・・・ 【ゲーテ全集 第2巻 ファウスト 人文書院版 大山定一決定訳 全12巻】 実に活字ポイントが小さく、紙も焼けてしまっていたが、昔を懐かしく思い出した。
その最後のページには懐かしい僕の字で「昭和51年 春」と書き込んであった。ちょうど文系進学を目指していた高校生の頃だった。他の11巻がどこに行ったのか忘れた・・・もしかすると全巻は購入しなかったかもしれない。あの頃の僕はゲーテが大好きだった。ただ、「ファウスト」には苦しんだのも覚えている。
胸はこがれ 思いはつのる。
あのやすらぎは もう けっして もどってこない。
そのひとの見えぬところは すべて墓。
世はおしなべて にがく くるしい。
うつろなこころ つきぬあこがれ。
何しろ当時の高校生・・・女性との性行為の経験どころか知識すら乏しく、とにかく純粋無垢・・・ファウストとグレートヒェンやヘレナとの関係も絶対に理解できるわけが無い。オマケにギリシャ神話もキリスト教も知らず、ファウストと悪魔メフィストとの二人三脚がどんな雰囲気かも分からない。若返るファウスト・・・「老い」に対する理解も全く不充分な高校生だった。
「老い」は礼儀をわきまえた来訪者、二度も三度もノックする、
だが誰も「おはいり」とは言わないので
扉のそとに立ちん坊はご免というわけ、自分で取っ手を回してはいってくる、
その足取りがあんまり早いので そこでこうなる、
「老いは礼儀知らずの無作法者」と。
ところが「ファウスト」・・・人造人間「ホムンクルス」なんて現代の幹細胞分化の姿。貨幣や干拓事業・・・何もかもが凄すぎる。30年以上の時を経て、僕は再びゲーテの虜になった。
今回、僕自身が歳をとり、女性を幾ばくか知り、医学を少しだけ知り、人生を僅かばかり知ったことが【ファウスト】を理解しやすくなった理由だとも思うが、やはり一番は池内紀さん著、山本容子さん画による新訳【ファウスト】の読みやすさだったことは間違いなかろう。とにかく散文体で読みやすい。そして、絵が作品の理解をとっても助けてくれた。
その上で書棚の古い大山定一訳ファウストを読み返すと・・・実はこちらも素晴らしく活き活きとした翻訳だった。だから高校生の僕がファウストに苦労したのは訳のせいではなく、単に僕の人生経験の少なさゆえだったのだ。
同じくゲーテが最晩年に書き上げた【詩と真実】などは青春期のゲーテ像であって僕の様な恋に恋する高校生にもすんなり受け止めやすかったが、さすがに【ファウスト】は中年以降に読むのが良いかもしれない。
詩人はだまりこくっているのを好まない、
みんなに自分を見せたがる、
賞賛も非難も覚悟のまえ。
真正面からの懺悔には二の足踏むが、
ミューズの静かな森でなら
ときどきこっそりそれをやる。
わたしの迷い わたしの励み
悩みやたのしみの数々も
ここでは花束に編みこまれた花々だ、
老いの日も 若い日も
徳も 不徳も
歌としなれば めでたいすがただ。
このようにゲーテの作品を振り返ることはゲーテの人生を振り返ることに等しく、我々読者が何歳になろうと、その時に相応しいゲーテ作品が見つかる・・と言う点で、ゲーテほど幅広く、末永く愛好される作家は世界中に僅かしかいないのであろう。
あれだけ自分の人生を露わに出来る作家なんて未来永劫でてこないだろう。人生の全てが文学作品・・・それが「ゲーテ」だったと思う。
最後に、ゲーテの作品を読めば読むほど、「女性」という性に導かれて僕も生きている気がしてくるから人生とは何とも不思議である・・・
病に苦しんで後、しばしの間「ケーテとの再会」を楽しめて本当に良かった。久しぶりの病にも少々感謝の意を述べたい・・・
楽しい生活したいなら
過ぎた事にくよくよせぬこと、
めったなことに腹立てるな。
いつも現在をたのしみ味わい
ことには人を憎まぬこと。
そして未来は神にまかしておけ。
読んでくれてどうもありがとう
なかなか【Goethe との再会】が進まない、というか終わらない。あと1~2回だと思うし、推薦マークが付かない期待されてない記事でもあるが、「恋の話」を続けてるので「浮気心」が頭をもたげてきて進まないのであろう・・・ それで、またもや浮気してしまおう。
今回は浮気といいながらも、「清らかな恋」の話・・・
いい時代になったものだ。昔の名作の著作権が切れて500円のDVDが手に入る。借金大魔王の開業医には昔の恋人に会うかのごとき幸せである。海外の名作も日本の小津安二郎のシリーズなども・・・安くて申し訳ないほどだ。
で、今日はチャップリンの「街の灯」の話・・・

チャップリンの映画の中でも恐らくは最高傑作だろうと僕は思う。勿論、「ライムライト」が好きと言う人もいれば、「黄金狂時代」が最初の長編だから偉大だ・・と評価する人もいよう。でも、それはそれでいい。なぜ今日「City Lights」の話を書いてるかというと、昨日の新聞に「街の灯」の広告が載っていたから・・・しかも、フルオーケストラ生演奏付きの上映会が4000円だったかな? とても面白い企画だと感じた。
御覧になった方はご存知の様に、無声映画にこだわったチャップリンは「街の灯」でもそれを踏襲したが、時代の流れで「効果音」に関しては増やしている。それをフルオーケストラ伴奏にするとチャップリン映画がどう変わるのか、少々興味を覚えている。
http://www.youtube.com/watch?v=kpeiPbjDlDs
いい時代といえば、「動画」をリンクして紹介できるのも少し前まで不可能な技だったし、今の子供達はインターネットの恩恵も弊害も同時に被っていて、いったい幸せなのか不幸なのか・・・
「盲目の美女」とチャップリンの恋物語・・・ラストシーンの彼の笑顔と視力を回復しえた花売りの娘の表情は言葉など全く要らない素晴らしい世界だった。そこにフルオーケストラが演奏をどのようにつけるのか? 出来ればあまり盛り上げすぎないで、控えめな演奏でお願いしたい気もする・・・
チャップリンとMr.ビーンは似て非なるもの・・・ やはり天才チャップリンは素晴らしい。子供達もきっと感激するであろうと信じたいが、ひょっとして興味を示さなかったらショックだろうな~・・・と要らぬ心配をしてしまい、僕はなかなかチャップリンを中学生の子供達に紹介出来ないでいる。
読んでくれてどうもありがとう
今宵は【Goethe との再会】をお休みして、休診してエーゲ海のギリシャへきています(ウソです)。
ま、例によって【世界の車窓から DVD編 第13巻 ギリシャ編】を観て妄想に耽っただけです。どうせ休みなんてず~っと取れませんから・・・
ギリシャといえば、「ギリシャの恋」です。これは本当です。
かつて医学部学生でもない、といって医者でもない・・という曖昧な時期に、Mさんはまだ流行していなかった「卒業旅行」とやらに行ってきました。その頃は「南回り」という路線があって、Mさんの飛行機はタイやアラブ首長国連邦での給油をした後にギリシャのアテネ空港に到着したわけです。つまり、生まれてはじめての外国体験がギリシャだったのです。
そしてそれはMさんの最初で最後の団体旅行だったのです。覚えてます、「日本旅行」のパック旅行、若者はMさんと関東の女性の二人だけでした。そして、MさんはそのKさんとギリシャの地でたちまち恋に落ちたわけです。
ゲーテもビックリのMさんの恋です。ロマンチックですね・・・「エーゲ海に捧ぐ」の様な愛する二人・・・といっても古すぎる話です。
ギリシャといえば、海・・・ですが、実は山も凄いですね。3000m近いオリンポス山系は暖かなギリシャですが、夏でも冠雪して美しい風景です。エーゲ海からの眺めはキリマンジャロにも負けません。
デルフィ神殿も山の中ですし、天空のメテオナ修道院も山の様な岩の上に13もの修道院が建てられています。
ギリシャの北側にはアルバニアやマケドニア、ブルガリアなどの山国が迫り、実は山と海の両方が美しい国なんですね。バルカン半島南端の西側世界の飛び地・・・当時のギリシャは不思議な位置関係の国でした。
美しいといえば、この歓喜の表情の白い水着の女性はKさんです。ピンクの水着の股間が妙にふっくらしている厭らしそうな男性は恥ずかしながらMさんです。アドリア海編に続き匿名ブロガーMさんのモロ出し写真です。
そして、これはKさんが水着もつけずに泳ぐ姿・・・きれいでしょ?
でも、Mさんのお土産第一号はヒポクラテスの誓のレリーフ・・・30cm程で銅製でしたが、今は行方不明です。
話は戻りますが、と言っても最後まで今日は「列車」が登場しませんでしたが、ギリシャってアテネに人口の66%が集中してしまっているそうです。色んな美しい島があるのに、人間は景色を喰っては生きていけないんでしょうね・・
エーゲ海で恋に落ちたKさんとMさんは、オリンピック航空に乗ってギリシャを後にしましたが、このマークと五輪マークって微妙に違うんですよね。飛行機は六輪で色もモザイクです・・・意味までは知りませんが・・・
そんなMさん、奥さんに隠れて秘かにKさんとの「ギリシャの恋」を思い出しているそうです・・・
読んでくれてどうもありがとう
ゲーテは、自己の成長と形成ということを主眼として、人間としての諸可能性の実現に努力して成果をあげた大樹のような人だと手塚富雄氏は評している。
「詩と真実」の中でゲーテは詩作に関して、『自分に喜びや悲しみを与えたり、関心を起こさせたりするものを、詩という象形に変えて、それによって一方では、外界の事物についての自分の観念を整理し、他方では自分の内心の安静を得る』手段と捉えていたようだ。まるで、現代の僕らが「ブログ」を書く時の感覚そのままではないだろうか?
すくなくとも僕は、当ブログを自分自身の「詩と真実」の様な位置づけで書き残しているのではないかと感じ始めている。
さて、今回はゲーテの恋の話である。
ゲーテは恋愛においても天才だったかもしれない。彼は恋愛によって自己を摩滅させず、その代わりに、自己を鍛え形成していった。
ライプチヒのアネッテ、ゼーゼンハイムのフリーデリーケ、ヴェツラーのロッテ、フランクフルトのリリー、ワイマールのシュタイン夫人などなど、夫々を告白の形で作品に登場させている・・・
そんな恋の相手の中で、とりわけ中学生の僕を虜にしたのは、ゼーゼンハイムの牧師の娘、フリーデリーケと、フランクフルトの銀行家の娘、リリーなのである。
フランス国境の都市、シュトラスブルグの北の村、【ゼーゼンハイム】という名はいまだに心に刻まれ忘れもしない。詩集を読んでも「ゼーゼンハイム」という地名は登場しない。シューベルトの「野ばら」などで有名な恋物語であるが、21歳のゲーテにとって彼女は初めての本当の恋の相手だったのではないだろうか? 都会の優秀な金持ちの自由奔放な男子留学生が地元の純朴な田舎娘に参ってしまう話。研修医が地方の病院で地元の美しい娘と恋に落ちるような感じかもしれない。次の街の病院への転勤命令が出て研修医がどうしたか・・・ 悲しい恋として彼の心に刻まれたようだ。
僕にも覚えが無いとは言わないが、そんな別れはず~っと後の人生にまで響くものだ・・・ 生涯をかけて書き残した「ファウスト」にグレートヒェンの名前で登場させたというのも分からぬでは無い・・・
この手紙といっしょに小さな鎖をおとどけします。
それは身のこなしがしなやかで
いく百ものかわいい環で
あなたの頸にまつわろうとこがれています。
このお馬鹿さんの願いをかなえてやってください。
しごく無邪気な願いで あつかましいものではありません。
昼は小さな飾りですし
夜ははずして投げ出しておいていいのです。
けれど誰かがもっと重い
もっとかたくなに結ぼうとする鎖をあなたにおくっても、
リゼッテよ わたしはそれを気にしますまい、
あなたがちょっとの思慮をしてくださるならば。
純朴なフリーデリーケと対照的な恋がリリー(エリーザベト)とのものだった。ブルジョアの娘、リリーに寄せる思いは純粋なるも、ゲーテの自由な家風との違いはやはり結婚への障壁になり自分から婚約指輪を返したという。結婚すれば容易に冨が手にいるということを望まない若者の心理、僕にも良くわかる。
そんな意味で、牧師の娘も銀行家の娘もゲーテと結ばれることは無かった。これは仮定の話だが、もし二人の恋の順番が逆だったら・・・フリーデリーケを妻にしたのではなかろうか? 僕はそんな気がしてならない。
心よ 心よ、どうしたのだ、
なぜそう激しくみなぎるのだ。
まったく見知らぬ新しい生。
これがかつてのわたしだろうか。
わたしが愛していたすべて、
わたしを悲しませていたすべて、
わたしの勤勉 わたしの平和・・・
なにもかも去ってしまった、
ああ どうしてこうなったのだ。
あの花と匂うすがた、
愛らしいおもかげ、
ひたと見るやさしい眸、
それがわたしをがんじがらめにしたのだろうか。
あのひとから飛び去ろうとする、
自分を叱って逃げようとする、
だがその瞬間わたしの翼は
あのひとのところへ戻るのだ。
断ち切ることのできない
この魔法の糸で
かわいい暴君の少女は
有無をいわさずわたしを縛る、
その魔法の輪のなかで
わたしはこのひとの言うなりになって生きてゆかねばならない。
ああ なんという大きい変化だ、
愛よ 愛よ、その手を放せ。
想い出の詩は多すぎて紹介しきれないが、中学生の僕が片思いの@@ちゃんを見つめながら毎夜思っていた際の気持ちはこんな感じだろうか・・・
りりーよ、そなたを思っていなければ
わたしはどんなに歓喜してこの眺望に見入ったことでしょう。
けれどりりーよ、そなたを思っていなければ
わたしが幸福に思う景色などあったでしょうか。
ゲーテは、74歳でボヘミアの保養地マリエンバートで19歳のウルリーケに求婚したという。孫のいる身でお盛んな・・・やはり恋多きゲーテは人生を最後まで楽しんだのだろう。
僕も一度はゲーテを「人生の師」と仰いだ中学生だったのだから、最後の最後まで永遠に女性なるものの魅力に惑わされて生きていきたい・・・
読んでくれてどうもありがとう