murajun
More プロフィール

Search

Calendar

<< 2008/12 >>
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

トップページ

Doctors Blog

新着コメント

新着トラックバック

< Dogwood & Alden Park... | メイン | 口裂け竹中、恥知らず >
2008.04.19 01:39 |  研究  |  murajun  | 推薦数 : 1

遠き落日②

昨日書いたAlden Park Apartment の完成が1928年だったが、その年に野口英世はアフリカのガーナ、アクラ(accra)で、研究していた黄熱病に罹患して死去した。昭和3年5月のことである。

 

この写真には1925年と記されている。既に彼の「過ち」が度々指摘されだしたころで、穏やかそうな表情だが悩みも少なくなかっただろう。

野口には蛇毒血清の研究や、梅毒スピロヘータの培養や脳内での検出などの偉大な業績があるが、後半の大きな仕事であった黄熱病の研究は、彼が共同研究者を持たずに一人で研究を重ねてきた性格が災いしたようだ。

 

黄熱病が光学顕微鏡で観察できない原因物質(ウイルス)で感染することは1901年にリードが発表していたようだが、野口は知らなかったのか、さらには稲田が発見していたワイル病(出血性黄疸レプトスピラ)の原因のスピロヘータを黄熱病の原因と誤認していたようだ。稲田は野口から確認を求められたが、既に偉大過ぎた野口に対して『これはワイル病と同じです・・』という言葉を発することが出来なかったようだ。

 

上が梅毒で、下がワイル病のスピロヘータであるが・・・得意分野が仇になったのか?

ワイル病と黄熱病は原因が全く違うにもかかわらず臨床像が酷似していて、野口が間違ったのも無理はない。いや、間違ったのは血清採取した人だったのだが、野口の精力的な仕事が間違いを訂正するスピードを上回っていたためだと思う。

 

当時の野口は現代の我々が想像出来ないほどの医学研究界の巨人だったようだ。上はエクアドルへ乗り込んだ時、下はガーナのアクラへ最後の研究の旅に赴いた時の写真だ。まさに人類のために戦う研究者の姿であろう。現代の留学生とは全く異質なプロフェッショナルの雰囲気が漂っている。

 

世界中が野口を招聘したがり、野口もまた伝染病あるところは何処へでも赴いて精力的に研究した。だからこそ、間違いが訂正されにくかった悲劇が生まれたようだ。

1914年、15年、20年に野口はノーベル賞候補になっているが、受賞出来なかったことが良かったのか悪かったのか・・・ 少なくとも、現代のノーベル賞受賞者よりも遥かに濃密な研究人生を送ってきたようだ。

 

先日も書いたように、「遠き落日」は時間を置いての再読なのだが、医学部の学生の頃には分からなかったことが色々と感じられるようになった。伝記なのか小説なのか・・・伝記小説としては「まるで見てきたかのような想像逞しい記述の連続」に僕は喝采を送りたい。野口の人生に喝采を、渡辺の筆力に喝采を・・・

 

53歳という年齢は、それほど僕にとって遠いものではなくなってしまったが、人生の意味とは何か・・・まだまだ良く分からない。医者になって良かったのか? 他の人生を選択すべきだったのか? どのような人生の最期を僕は迎えるのであろうか?

アクラで死去する直前に野口は自らの黄熱病の研究の「失敗」を自覚していた模様であるが、それでもなお前に進もうと必死だったようだ。それと共に、早くNYに戻りたがっていた様子だ。

 

ウイルスが電子顕微鏡で観察できるようになったのは、野口の死後30年近く経過してからだが、野口の「失敗」が果した役割は決して小さくはないと思う。梅毒研究の偉大さが「スピロヘータ」を野口の頭から離さなかったのであろう。皮肉なものである。

医学生、研究者を目指す若者達に「遠き落日」を是非お奨めしたい。

 

読んでくれてどうもありがとう

固定リンク | コメント (0)

コメント

コメントはまだありません。

コメントを書く

ニックネーム*
メールアドレス*
URL
内容*
※「利用規約」をお読みのうえ、適切な投稿をお願いします。