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去る3月17日に、57歳で逝去された古い恩人の「K・T」さんに感謝の気持を込めて、僕の想い出を書き残しておきたいと思います。今日が告別式、診療の都合で通夜も葬儀も出席は叶いませんでした。
本来は、実名を挙げて感謝したいのですが、匿名ブログの悲しさ・・・お名前や業績を詳しくはお書きすることなく失礼させて頂きます。なお、故人をご存知の方も非常に多いでしょうから、分かっていただける方には理解して頂けると思っております。また、故人やご家族・関係者の皆様に失礼がありました際には、僕の非礼をお許し下さい。
このお写真は数年前のものかと察します。新聞等の報道によると、8年前に肝臓疾患を患い、手術で一旦は克服されたようですが、空手で鍛えた屈強な身体にとっても、病は強敵だったようです。
僕がKさんと出合ったのは、Kさんが得意の英語・ブランス語・空手などを指導する個人塾を故郷に開かれた直後でした。1980年ですから、28年前で、僕が佐野元春さんに出会うより早く、まだ30歳程の情熱の塊の様なKさんの魅力に完璧に魅かれてしまいました。僕は医学部に入学したてで、当時は医学部生としてただ一人、Kさんの家に入り浸りの状況でした。
Kさんは1983年に、暖めていた教育的理念を形にすべく組織を発展的に解消・改称し、語学と武道を基本に世界的視野を持つ人間形成を主眼とした会を設立され、国内外で多くの表彰を受ける活動を継続されてきておられます。今では全国に12箇所の仲間の会があると新聞報道で知りました。
僕は1980年から83年頃にかけて、夜や休日などにお宅に出かけては、兄貴の様なKさんと夜な夜な「世界の話」とか「人生の話」とか「恋愛の話」とかを、Kさんが大好きだった酒を酌み交わしながら夜更けまで語り明かしていました。
Kさんには素敵な奥さんがおられましたが、魅力的なKさんの周りには非常に魅力的な様々な人々が世界中から集われ、その地で萌芽しつつある小さな文明を一緒に育てていた気がします。唯一の医学部生の僕をKさんは非常に可愛がってくれました。僕もKさんとKさんの仲間達の中で自分が成長していることを感じていました。
恐らくはKさんもご存知だったと思いますが、僕はそんな仲間達と胸が痛くなるような恋をしていました。狭い医学部の学外での淡い人生の喜び・・・日本人も英語圏の人もフランス人も気持ちは一つでした。あの頃のことは鮮明に覚えています。僕の今までの人生に影響は計り知れません。
僕が医師になった後で、教授に対し直ぐにでも留学したいと強く願ったのもKさんの影響が大きかったと思います。
臨床実習で多忙になって以降はKさんの会には殆ど行く時間が無くなり、また他の趣味や仲間が生活の中心になって行きました。でも、僕は今までず~っとKさんに対しての感謝の気持を持ち続けています。こんな感情になる人は僕の人生にまだ数人しか居ないのも確かです。
Kさんには本当に感謝しており、時おり新聞などで記事を見つけると、『頑張ってるんだな~ 今も気持ちが若いな~』と感心していたものです。そろそろ僕もそれなりの歳になり、Kさんと再会して当時のことなどを語り合いたいと願っていた矢先の訃報を新聞で見て、暗澹たる気持ちになりました。
まだ逝くには若すぎます。専門領域は違いますが、恩師や身近な人々を病で早くに失うと僕は辛く悔しい気持ちになってしまいます。
KさんのHPで見つけた「最後の公表されたエッセー」の中の文章を引用させて頂きます。
こんな人・・・滅多に居なかったのに本当に惜しいことをしました。まだまだ多くの立派な人々を世に送り出して欲しかった。
僕は、昨日から涙が不意に流れてしまいます。
Kさんには心から感謝しています。ありがとうございました。
読んでくれてどうもありがとう
先日、僕のいた医局の教授の定年退官記念祝賀会に出席した。不思議と心地好い時間を過ごすことが出来た。そこで感じたことを少々書き残しておきたい・・・
最初に書いておくが、以前も何度も書いたように、僕は医局制度が好きである。実に幸せな医局生活を送ることが出来た。五年前に始まった新臨床研修制度は医療崩壊の元凶だと僕は思うし、今後の(研究者壊滅の)医学会崩壊への最大の間違いだと悲しくて仕方が無い。今から20年後には、良質な「教授」や「研究者」の在庫は底をつきそうだ・・・
僕は国立を出て直ぐに、それほど遠くない私大の医局に入局した。結構な大所帯の循環器・腎臓を主とする医局だった。今回退官された教授は入局時には助教授だった先生で、厳しくて恐~い熱血漢の指導者だった。退官時には分院の院長で、主任教授は別におられる・・・という位で状況説明は充分だろう。

さて、何が心地好かったかと言うと・・・何か高校や大学の同窓会の様だったからだ。しかも、実に濃い繋がりの同窓会。25歳~75歳の200人程度が集まったが、ほとんどの人と顔見知りで、どんな人か医師か直ぐに思い出せて会話が弾む。苦労も一緒、喜びも一緒、かつて抱いた夢も一緒・・・先輩から引き継いだ魂と技を次の世代に・・ 親の様な先輩達、何時までも尊敬の対象・・・
先代の教授・・・何時までもお元気で、かつての弟子達への心配りを忘れない。冗談が飛び交い、笑顔が交差する。
どうして医局制度を壊すのか? 医局の良いところを知らない人が偏見に満ちて壊してしまっているのではないか? 診療報酬を壊す原課長を見ていると、浅はかな考えで壊されてしまったと感じてしまう。
新臨床研修制度で研修先を選び、キャリアを積上げていく新しい医師達・・・研修後はどうするんでしょうか?
一生を分かち合えるような同僚や先輩後輩にどう巡り合っていくんでしょうか? 留学のチャンスをどう掴んでいくんでしょうか? 基礎研究の機会を求めたりはしないんでしょうか?
アメリカの模倣の様な安易な制度設計ですが、アカデミックな世界を離れてしまうと残念ながらアメリカでも大学には戻れないでしょう。
第二の医療崩壊と言われる医学界崩壊が直ぐそこまで来ているそうだ。僕が留学した時期に比べ、例えば生化学領域での研究者の数は33%にまで減少しているそうだ。恐らくほとんどの基礎医学領域の研究者は新臨床研修制度の開始後に半減していると思われ、産科や外科の減少率より悲惨だと思う。
もはや日本は学問で世界と戦うことを完全に諦めてしまったかのようだ。文系が支配するということは悲しいことだと思う。日本は二流国家へゴロゴロと転がっていっているようだ。
話を戻して、この教授に以前言われた言葉が耳を離れない。
『お前が留学するのか? 一体、何をどう研究するつもりか? 甘くは無いぞ、がんばれよ』
う~ん、確かに甘くなくて・・・今はシガナイ開業医に成り果てた。
先生も退官後も臨床の現場でご活躍下さいね・・・
読んでくれてどうもありがとう