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2007.10.17 01:14 |  仕事 / 職場  |  murajun  | 推薦数 : 1

旅立ちの記憶 1985年5月

二回目の今日は1985年5月の記憶である・・・

 

医師国家試験が終わった四月の初め、僕は旅行会社に行って初めての海外パッケージ旅行を探した。まだ卒業旅行とやらが流行していたわけではなく、とにかく試験が終わって・・という感じだったが、いざ暇になると 5月中旬の合否発表まで国内に居ては落ち着かない気がしてきたのである。

既にどれも締め切りで 選ぶ程ではなかったが、僕は最初で最後のパッケージ旅行のスタートを ギリシャに決めた。言うまでも無く、ヒポクラテスの故郷・・・まだ医師でもない宙ぶらりんの身ではあるが、これからの人生を医師として生きていくうえでギリシャへの旅は相応しいと感じた。実はこれがはじめての外国であった。

 

ギリシャでは、「ヒポクラテスの誓い」の銅版レプリカを購入した。この写真はそれとは違うが、似たようなものだ。引越しばかりしているうちに所在不明になってしまったが、そのうち探し出そう。

ギリシャからイタリア、オランダ、ベルギーと周り、念願のユーレイル特急でパリの北駅に入った。

 

その時までに親しくなったKさん、オペラ座のステップで旅行の最後の晩に二人で語り合った事を覚えているだろうか? 隣のル・グランの部屋に戻って・・・僕は旅行の間の事を思い返していたけど、どうしても眠れない一夜だったことを 貴方に後日伝えただろうか?

 

 

旅行から帰国した二日後が合否発表の日だった。合格率は高く、まさか落ちるとは考えなかったが、合格した翌日に「医局」へと出向く手はずになっていた。

僕は某国立大学を卒業したが、循環器科で有名だった某私立大学の第@内科に入局を決めていた。卒業直前まで産婦人科志望だったが、帝王切開手術の見学中に「ヒンケツ」という名の迷走神経反射を起してしまって・・・諦めてしまったのである。当時は産科医不足ではなかったので引き止められはしなかった。そして、佐野元春の「HEART BEAT」という曲に引きずられるように僕は志望を循環器科へ変更してしまった。実に安易な人生設計である。

 

幸いにも国家試験は合格した。そして、翌朝・・・古い建物の薄暗い医局とやらに新入医局員11名が勢ぞろいした。他大学からは僕とY君の二人で、何となく余所者の肩身の狭さを一瞬感じたが、良き仲間に恵まれたと直ぐに判った。国立から私立へ入局したので物好きだと思われたようだった・・・

 

医局長のS先生は、20年以上もたった今でも公私共に親しくさせていただいているが、僕の大学まで(僕みたいな優秀な学生を)スカウト?に来ていただいて凄く感謝している。S医局長の紹介で皆揃って当時の教授に初めて顔を合わせたが、噂とは違って良い雰囲気の権威を感じて安心したことを覚えている。

医局棟から病棟への長い道のりを 新品の白衣に身を包み 医局の同級生たちと一緒に歩みながら、僕は過去を振り返りつつ今日から始まる医師としての新たな生活に胸躍らせていた。そして、それは確かに素晴らしい医師人生の始まりだった・・・と 今のところ感じている。

教授の恩師の前教授に大学時代に出会い、なんとなく自然な流れで入局が決まったような錯覚さえしたくらい居心地の良い医局生活だった。

たった 27,350円という安い月給を除いては、僕はその医局が大好きだった。「白い巨塔」という「虚像」などクソ喰らえ・・・である。実際の医局生活には、実に温かな息遣いや指導や友情が確かに存在した。今の研修医たちは医局の本当の良さも知らず、悪い面だけを喧伝されて可哀想だと・・・僕は思う。

こうして、僕は医師として旅立った・・・ その医局生活で出合った全ての人々に僕は深く感謝している。

 

読んでくれてどうもありがとう。

 

(19日へ向けて 勝手にカウントダウン)

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