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2007.10.16 16:14 |  海外留学  |  murajun  | 推薦数 : 2

旅立ちの記憶 1991年1月

今日から三回に渡って(個人的な目的で)僕の「旅立ちの記憶」を書き残しておきたい。いずれも、大きく「場所」も「立場」も「環境」も変わり、将来への不安を抱きつつ 自分で選んだ「旅立ち」だったし、僕の人生における大きな転機だった。勿論、そこに至るには数年間の助走期間があるのではあるが、思い切って足を強くけりださないとボールは前に飛ばないのである・・・・

過去に遡ることにして、まず最初は1991年の1月の話から・・・

僕は正月明けの成田空港から ワシントンDCに向けて一人飛び立った。「留学」と言うにはあまりにも準備不足な無謀な冒険だったかもしれない。1年間の留学許可ビザ、多分2年間にはなろうと思っていたが 結果的には3年を過ぎた。途中で大学も研究内容も変わったし、結婚して子供まで生まれた。

不安はあまりにも多かった。医師になって6年目で 臨床を離れる不安、研究内容や成果への不安、英語や生活への不安、経済的な不安、健康への不安・・・正直なところ、不安で不安で 準備や考える事が苦痛に思えたこともあった。でも、「留学する事」そのものが医者になって以来の僕の夢だったので、最後は「エイヤ!」っと飛び立った気がする。

先輩が引いてくれたレールでもなかったし、自らの研究成果で獲得したステップアップや箔付けのための留学でもなく、云わば新規開拓に近い先の不透明な「留学」だった。我が医局からの留学はそれまで「引継ぎ留学」が多かっただけに、当時の主任教授も内心気にしてくれていたようだ。優しい眼差しの中に「ほんとに君は大丈夫なのかね?」という表情が読み取れた。

 

さらに僕は、直前に婚約した女性を日本に残して旅立った。生活を整えて いずれ留学先で二人で暮らすことになるだろう。もしも研究が上手く行かず精神的に落ち込めば、結婚生活自体も不幸なスタートとなるかもしれない・・・・それは避けたいことだった。

 

そんな事などをツラツラ考えながら、ANA便はワシントンのダレス空港に到着した。海外には何度も行ってはいたものの、アメリカには実は初めてだった。他の大学から数ヶ月前に同じ大学の別の研究室に留学していたT先生と手紙のやり取りをしていたが、今と違ってPCもメールも携帯電話も無くて、FAXと手紙でのやり取りは大変ではあった。

 

ダレス空港は雪だった。モバイル・ラウンジという運搬車両に早速カルチャーショックを受けて 僕は初めてアメリカの地を踏んだ。フィラデルフィアまでの飛行機は DCのナショナル空港からのシャトル便だったが、そこへのバス移動にまず戸惑った。沢山の手荷物を両手に持って、なまった英語に困惑しつつ やっとの思いでナショナル空港へ移動したが、予定の便は何故か欠航だった。いきなりのトラブルで、二時間後に迎えに来てもらう予定のT先生のラボに電話する必要が出来てしまった。

 

初めての公衆電話、しかも長距離・・・ 25セント硬貨が沢山必要らしいが 到着したばかりで小銭もなく、売店で両替を頼んでも小さな日本人には少ししかしてくれない。次は何時の便が出て、僕がのれるか乗れないかも判らず、電話も数回かける羽目になってしまった。あの時ほどアメリカの公衆電話を恨んだことは無い。今でも公衆電話は苦手だ。

やっと2時間遅れで飛び立った時には 時差ぼけと疲れで、動き出して飛び上がるまでのアッという間に眠ってしまったほどだった。起きた時には既にフィラに到着しており プロペラがゆっくりになりだしていた。

 

フィラの空港にはニコニコと笑う T先生がアメリカ人を連れて待っていてくれた。初対面のT先生は 二時間も予定が遅れたのに、笑顔で歓迎してくれた。その後もT先生は笑顔を絶やさなかった優しい人だった。

 

T先生家族は僕のアパートが決まるまで部屋に居候させてくれたが、初対面ながら二週間ほどもお世話になって深く感謝している。

 

到着の翌日には僕の所属するラボや大学案内をしてくれたが、買い物先や床屋や電車駅や銀行などなど・・まるで自分の医局の後輩の様に世話してくれて、時差ぼけでグッタリしつつもあり難く感じていた。

 

アメリカの大学のラボなどは最初の歓迎自体は日本よりも温かいような気がする。ただし、英語は通じないと悟ってしまった。

 

こうして僕はアメリカに旅立った・・・ その後の 3年数ヶ月間の全ての出来事に 僕は深く感謝している。

 

読んでくれてどうもありがとう。

 

(10月19日のラストに向けて 勝手にカウントダウン)

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コメント

コメント一覧

自分の初めての留学を思い出しながら読ませて頂きました。公衆電話が悩ましい、迎えに来てくれた日本人医師(初対面)の優しさは共通点。マイアミでしたので着くなりどっと汗の出る暑さでした。英語は日本人医師なら誰でも苦労しますしが、最初のセットアップの苦労は今となっては貴重な財産です。
written by Tai-chan / 2007.10.16 18:45
murajun先生
私もアメリカに最初に来た時のことを、思い出しました。ブログのほうは、10月19日でやめられるんですか? とても残念です。
子供さんたちの礼儀のよさで、タクシーの運転手が驚いた記事はとても印象的でした。では、お体に気をつけて、開業医を続けてください。私もそのうち、自分のアメリカに来たときのことを書きたいと、思います。開業とブログの両立が、私にとっても、だんだん難しくなってきました。

@@便乗コメント失礼します  by murajun@@
ありがとうございます。19日の記事で書こうと思いますが、止めませんよ。今の様な書き方を止めて 新趣向で再開予定です。
written by DAICHAN / 2007.10.17 07:10
私も自分の留学時代を重ねて思い出しました。
20ドルのガスコンロを買うにも、3000ドルの中古車を買うにも散々迷って止めたフィラデルフィアの日々を懐かしく思い出します。日本人会なんてのもありました。

@@便乗コメント失礼します by murajun@@
フィラデルフィア仲間ですね・・・ 今頃、素敵なじきですよね
written by 開業3年目 / 2008.03.29 08:38

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