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2007.10.13 00:14 |  旅行 / 宿  |  murajun  | 推薦数 : 3

紀伊半島と四国の記憶

解凍を偽装と批判されている「赤福」の本店のある伊勢に僕が列車から降り立ったのは、亀田家が恥辱の反則連発をTVの生中継で指示した年齢と同じ頃だった。清らかな心と身体の若かりし僕は、亀田家の教育方針やら亀田用語やらは全く理解出来ない清らかな異次元で育ってきた・・・

もうじき一年、想い出話ばかりで恐縮です。暇じゃない人は読まなくていいです。

 

さて、近鉄で初めて三重入りした頃は、まだ三重も医療過疎地とは言われていなかった。今では全国大学病院で医学生に最低の人気を誇る三重は素敵なところだったと記憶している。今日は、その三重の3000万円で助教授が飛んでくるらしい尾鷲や、オリックそ社に騙されて三重と最下位を競争しつつある高知を愛車で駆け巡った 僕の「青春の想い出」を無理やり読ませようかと思う。

 

輪行して近鉄宇治山田駅で下車した僕は、伊勢神宮には見向きもせずに 上の愛車を組み立て南へと急いだ。今の歳になると伊勢神宮に参拝したくなり 赤福も食べたくなるが、当時の亀田並みの体力ではサドルにまたがる方が楽しいというものだ。歳のせいで記憶も少々薄れてしまったが、伊勢志摩スカイラインなどは選ばず、確か海沿いの平坦な道を選んで、鳥羽から真珠の養殖で有名な美しい賢島へと走ったかと思う。実は志摩に着くまでを良く覚えていないのである。なにせ25年以上も前の古い話である。

志摩観光ホテルには、一度「志摩カンファランス」で教授と宿泊した事があるが、学生だった当時はほとんど民宿を利用した。賢島の近くには合歓の郷というのがあって、多分ヤマハのポプコンの最初が開かれた場所じゃなかろうか? その近くに浜島町という長閑な海辺の町があって、医学部の親友M君の実家がある。別の県の公立病院で産科勤務医をやってるので 故郷の三重にかえると5000万円程もらえるかもしれないが、強くは奨めない・・・

 

この辺りを含めて、和歌山県境近くまで海岸線のアップダウンが続く紀伊半島・・・ 良い場所なんだが、生活には不便で 今や医療過疎地なんだそうだ。リアス式海岸の五ヶ所湾の奥の民宿で紀伊半島での初夜を迎えたが、船での移動の方が楽らしい。磯の香りのする静かな春休みの一夜だった。魚料理がこのツアー中 いつも出されていた事を思い出す。賢島より西に観光客が来るのは少ないらしい。ましてや サイクリストは・・・ 

 

色んな湾と海へ迫る山・・・武田鉄矢の「贈る言葉」がちょうど流行っていた時期だった。失恋に近い状況の僕にはピッタリ?のもの悲しい歌を口ずさみながらのサイクリングだった。紀伊長島に着くまでは山と海が交互に現れるが、その先は少し単調になった。そして山間のトンネルを抜け、産科の聖地、尾鷲に僕はたどり着いた。

 

海の傍なのに高台の様な場所の民宿からは美しい海が見えたし、民宿の娘さんも美しかった。どこでお産をしたのであろうか?

尾鷲からは時間を気にして 海沿いの道じゃなく、山の中の熊野街道を選んだと思う。長い長いトンネルが繰り返し、サイクリスト泣かせの尾鷲の西・・・確かに陸の孤島である事をサイクリストとしてハッキリその時に理解した。これなら最低でも3000万円は払わねば・・・ でも助教授は無理だろう。

 

やっとの思いで熊野へ抜けて、急に海が開けたときには、尾鷲とは別世界かと感じたほどだ。険しい海と穏やかな浜の対比・・・熊野と尾鷲、実はどちらも美しい。

 

そして僕はいつの間にかサラリと和歌山に入る。そこは新宮だ。新宮高校出身のW君と京都の予備校で親友だったが、彼が南の島の医学部に行って後の消息を知らない。知ってたら、読んでたら連絡をくれ・・W君。実はお前の故郷を訪問したんだよ、俺は。でも、熊野那智大社にも寄らずに残念だった。まだまだ周りが見えず、僕は若かったんだと思う、亀田みたいに。

 

太地で鯨の雰囲気に浸り、最南端の潮岬を訪ね、ひたすら距離を稼いで南紀白浜の近所の椿の民宿に泊まった。ここの娘さんも可愛くて 翌日付き合ってくれると云われたが、僕はクラクラとする誘惑を振り払い先を急いだ・・・ということにしておく。

で、御坊まで行ったところで時間が勿体なくて、愛車とともに輪行する事にした。紀勢本線で 和歌山港か大阪南港に向った。どっちか忘れてしまったが、徳島の小松島へフェリーで渡るためだった。そのフェリーを待つ港の安食堂で亀田の親父みたいな男に絡まれそうになった。その時から大阪の南の方には恐ろしくて行った事はない。

 

亀田から逃げるようにフェリーに乗って初めての四国へと渡った。医師数が足りているらしい徳島だ。ここから僕は、オリックそ被害の高知県に再び自転車で向う事になる。ちょうど弘法大師と同じ道のりであろうか? 

 

まずは海がめで有名な日和佐の海岸・・・ここで四国での初夜を迎えた。海がめの産卵を夢に見ながら、静かな感動的な一夜だった。宍喰を越えて、トンネルを抜けて憧れの高知県に入る。三重県に比べると相当に穏やかな海岸が続きサイクリングにはいい道だと感じた。真っ直ぐな海岸を太平洋を左に眺めながらグイグイと室戸岬へと走る。東洋町もを抜け、ほぼ真南に進路を変えると切り立った半島が鋭く太平洋に突き刺さるように伸びている。そこが、サイクリストの聖地、室戸岬である。今では室戸の深層水の方が有名かもしれないが、伸びやかな「何も飾りの無い」鮮やかな岬だった。

その室戸岬を回り込んだ場所から半島の尾根を登り上がる道路があった。今は室戸広域公園として整備されているようだが、我々サイクリストが絶対に見逃す道ではない。尾根の上から振り返りざまに眺める太平洋は真っ青で春真っ盛りの風を感じて走った。麓の道路が平坦で綺麗過ぎたのであっけなかったので亀田並みの体力をもてましていたのでちょうど快感だった。

ただ、そこで妙な事が起こった。その尾根には(自衛隊の)レーダー基地や測候所があったと聞いたが、そこで撮影した写真が全部ブレまくっていたのである。他の場所では一度も無かった強烈なブレだったが、竹内まりあの歌の様に「磁気嵐」だったのではないかと僕は今でも思っている。

室戸岬を訪れてから先は、どこに泊まろうかばかりを考えながら走った。高知までは実に単調なサイクリスト泣かせの道路だったのだ。しかも、調べた民宿が軒並み休業中で、なかなか泊まれるところが見つからず、いつの間にか日没時間となり、安芸を過ぎたあたりから諦めて高知市内まで突っ走る事にした。街中だから暗くても大丈夫だったが、やっと探した安いビジネスホテルは悲しくなるほどの心寂しい雰囲気だった。まだ広末は生まれたばかりだったろう、人通りの少ないアーケード内の食堂で安い定食で明日への英気を養った。

翌朝は一応市内観光もチョットして、桂浜にも自転車で訪れて竜馬の気分を味わった。

あとは、中村を通り、四万十川を渡り、足摺岬を訪れ、宿毛へ向った。その間どこかに泊まったかもしれないが、良く覚えていない。ただ、室戸岬と足摺岬の対照的な景観に心奪われたことを覚えている。

 

しかし僕は宿毛で何故か急激にツアーの意欲を失ってしまい、フェリーで大分県の佐伯に渡った。そこからどうやって家に帰ったかを全く覚えていないのに、汽車を待つ間に駅前の薄暗い客の居ないパチンコ屋さんで 時間つぶししたのをハッキリと覚えているのは不思議だ・・・・・

 

読んでくれてどうもありがとう。

 

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