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旭川は今日、いよいよ氷点下らしいですね。札幌は4度とか・・・ 僕の北海道の記憶(後編)は、その4度の朝から始まります。
道東、別海町・・・白鳥が飛来する風連湖の近くに広がる湿原の近くに「牧場の宿」とか言う名前の民宿がありまして、僕は、ウトロからの船を降りた羅臼から 約100kmほど走って「隣の家」が見えないくらい孤立した宿に泊まりました。まだ8月前半でしたが、着るつもりもなかったセーターを霧が水滴となって濡らし、吐く息も白くなって まるで晩秋の雰囲気でした。宿に客は僕一人・・・確かに人気がありそうな民宿ではなかったですが、歓迎はしてくれました。
『うそじゃねーべさ、郵便局の隣だべさ 2kmほどあっけど・・』とかなんとか笑われちゃいました。朝起きると 窓は結露でビショビショ・・・ 外の気温はホントに4度でした。南の島で生れた僕には寒すぎでした。今日の目的地は とりあえず納沙布岬を見て・・・あとは決めてません。
全く平坦な道路を根室へ向い、駅から15km離れた納沙布岬を目指します。どこで時間をくったのか、疲れが出てきてペースが落ちたのか、遠くに平坦な歯舞諸島をチラッと眺めて再び根室駅に戻った時には既に4時過ぎで、何となく暗くなりだしてました。この後どこまで走ろうか? 大雑把には襟裳岬の方へ向いたいのですが、根室と釧路の間に適当なYHや民宿が見当たらず、時間的にも日没が近く悩んでしまいました。
地図を眺めても、霧多布や厚岸は魅力的ながらも その先はしばらく平坦そうで、やむなく輪行して時間を稼ぐ事にしました。その夜は確か釧路?まで国鉄に乗ることにして、根室駅前で列車を待ちました。何やら珍しく美味しそうな蟹・・・花咲ガニの屋台が出てまして、足がもげて値を下げたのを大量に買い込んで車窓の人となり、生まれて初めて「花咲がに」を堪能しました。こんな美味い蟹があるのか?と想いました。暗闇の先には厚岸湾が広がっているはずでしたが、残念ながら暗くて見えませんでした。
釧路?の宿は決めてませんでしたし、翌日も早朝の汽車で多分 帯広経由して 広尾?辺りで汽車を降りたのではないでしょうか? 実はこの辺の記憶が薄れています。よく覚えていませんが、釧路市内の「オールナイト映画館」で朝5時まで寝たのはハッキリ覚えています。日活の「ロマンポルノ映画」で、交合や局部を隠す花瓶などの「小道具」が目障りでしたが、一晩中「悩ましい喘ぎ声」をものともせず眠りました。
でも僕の記憶にハッキリあるのは、広尾の南を襟裳岬に向けて必死に黄金道路を走っていた所からです。この記憶喪失はどうしたんでしょう? エロ映画で興奮し過ぎて全く眠れずに、汽車の中で爆睡したのが記憶喪失の真実かもしれません。
襟裳岬は深い霧でした。悲しい響きの霧笛が繰り返し聞こえてきて、岩が次第に海に消えて行き、実にいい雰囲気の岬でしたね。森進一の「えりも岬」と山本コータローの「岬めぐり」を僕はず~っと歌いながら走っていましたね。バイク野郎が多い場所でしたが、民宿で泊まり合わせても自転車野郎を彼らは内心羨ましがっていたようです。当然僕らは鼻高々でした・・・
その晩は様似の民宿に泊まった記憶がありますが、次の日の静内・新冠への想いで早く夜が明けてほしかったですね。
静内の牧場は素敵でしたが、やはり競馬馬の世界・・・ 乗馬や馬術とは違っていて、大学馬術部の夏合宿をお願いする感じではありませんでした。ちょうど、乗馬の日高ケンタッキーファームが出来たばかりの頃でしたが、僕は個人的に「競走馬の牧場」でのアルバイトをしてみたかったんですね。でも、諦めました・・・
しばらく色んな牧場を巡り、シンザンの厩舎にも行って、名残惜しくも 新冠から再び汽車で輪行して札幌へと向いました。
『札幌に無事戻ったら電話してくれ・・・』と全くの見ず知らずの二人のサラリーマンから10日前に大通り公園で電話番号を渡されていたのを僕は覚えていました。まだまだ、安全な時代だったのでしょう、僕は警戒感も多くは抱かず 安いビジネスホテルから思い切って電話しました。既に夜7時を過ぎていたのですが・・・
彼は30歳前後・・・電話は家庭の団欒の時に繋がったようです。『やあ、戻ってきたか・・ 約束ドウリ美味いもの食わせるよ。出てこいよ・・』といって本当に誘ってくれました。もう一人は連絡が取れず、僕と二人でススキノで落ち合いました。彼は夕食を済ましてましたが、僕に美味い物を喰わせてくれただけじゃなく、ススキノの行きつけの飲み屋にも連れてってくれ、僕をママに「自転車野郎だ」と紹介してくれました。今じゃ考えられないだろう・・・ 良い時代だったですね。携帯電話が無かったので有り得た話ではなかろうか?と思います。
北海道に大満足して空港バスで千歳に向ったのですが、市内の次のバス停で知った女性が乗り込んできました。札幌医大の女子学生で、北見の実家へ戻るという。北大のセミナーで秘かに好きになった女性だったので運命を感じました。でも携帯電話が無い時代・・・それっきりだったのが残念です。元気で医者をやってますか?
それが僕の「北海道の記憶」・・・ 既に30年近くになり、少し忘れてしまってるようです。でも、院内の自転車を眺めてると「前途洋洋」だった医学部の学生時代が懐かしく思い出されます。あの頃は元気でした。僕は思いっきり生きてきたんだろうか?と反省しています・・・・
読んでくれてどうもありがとう。