| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | |
| 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 |
| 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 |
| 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 |
| 28 | 29 | 30 | 31 |
僕は他で「顔出しブログ」を最近始めたが、そこで初めてコメントを貰った。北海道の人から秋を報せる内容で、それゆえ僕は古い「北の大地」の記憶を呼び起こしていた。夏の想い出は夏にこそ書こうと思いつつ、その夏はいつのまにか過ぎ去った。一周年を前に忘れぬように書き残しておきたい。
僕は医学部に入学した年の夏休みに北海道に出かけた。目的は3つあった・・・
一つ目は、北大で開かれた「民医連」とやらの医学生セミナー。当時は何のセミナーか訳判らずに参加したが、憧れの恵迪寮やポプラ並木など北大見物ばかりで内容はよく覚えていない。参加していた髪の長い真っ白な肌の札幌医大の女子学生と話したことだけ覚えている。北見市から来ていた女性だが、二週間後の旅行の帰りに千歳空港へのバスで偶然再会して隣り合わせたのはラッキーだった。今頃どうしてるのだろう?
二つ目は、次年度の馬術部の夏合宿を北海道の静内方面の牧場で出来ないかを視察する事・・・・
三つ目が、そのついでに北海道を輪行してサイクリングすること・・・だった。
出発の前日に、アルバイトしたお金で買った自転車が届けられた。IWAI SPORTS という中野浩一も通った有名なサイクルショップにセミオーダーしていたシャンパン色の写真の愛車だ。今も診療所内に大事にしまっているが、消耗品が整備不良で 直ぐには乗れそうもない。でも、25年以上も前の大切な愛車である。コイツとは色々旅をして回った・・・
まず、千歳に飛んで国鉄で札幌へ。安宿に泊まり数日間のセミナー出席。最後の夜に汽車の時間を待つために大通り公園で涼んでいたら、若いサラリーマン二人に何故か声を掛けられた。輪行袋を下げていたのが興味を引いたのだろう。『北海道をぐるっと回って無事に札幌に戻ってきたら@@へ必ず電話しろよ・・美味い物喰いに連れてくぞ・・』
僕はそのまま稚内行きの宗谷本線の夜汽車に乗り込んで北へ向った。途中の音威子府村あたりで夏の早い朝があけたが、座席から見る両側の白樺林が実に美しく後ろへ流れていった。ぼんやり昨夜のサラリーマンの言葉を反芻したが悪人顔には見えなかった。ただ、これからの期待の方が大きくスッカリ忘れてしまった。

稚内港には朝早く着いたが、北端の駅舎内の風景と駅長さんの顔が何故か思い浮かぶ。礼文島へのフェリーは南の島の学生には最果ての雰囲気をもたらすに充分だった。勿論、夏の礼文島は素晴らしく、いつまでも居たくなる長閑な島だった。冬に訪れたらどんななのだろう・・・北海道を巡る間中、どこへ行ってもそんな想いが付いてまわった。誰も居ないスコトン岬から西海岸を自転車を担いで歩いたりしたが、トドが来そうで人恋しくも感じたものだ。
名残惜しくも礼文を離れ、いよいよ「北の大地」を愛車で走り出した。何故か宗谷岬へは向わず、猿払村から最初の目的地の浜頓別町へ。クッチャロ湖畔の宿で最初の夜を過ごした。YHだったかと思うが、今は閉鎖されたとか・・・。静かな湖と静かな宿を後に先を急ぐ・・・今日は長丁場だ。予定ではサロマ湖東岸の宿まで230km程だった。
しかし、オホーツク海を左に眺めながら 何も遮るものの無い海岸線の道をひたすら走った。どこまで行っても風は前から吹いてくる。アップダウンは少ないものの単調な道の「向かい風」は僕の体力を着実に奪って行った。枝幸を越え、ず~っと東へ東へ、雄武を越え紋別を過ぎて湧別へ。風の為に時速20kmをキープするのがヤットだった。次第に陽が傾き始め、サロマ湖西岸に着くころには日没を迎えてしまった。ただ、夏の夕焼けは凄いくらいに美しかったのを良く覚えている。
周囲に家も街灯も無く、車も殆ど通らない。しかも夏の夕方でも寒く感じてしまう天候で、汗が体温を奪うのも感じてしまう。日没が疲れきった僕の気持ちをプッツンさせた。あと10kmも無いだろう、多分30分とかからないはずだが、既に220kmほどの向かい風を走破していた両足と臀部は明らかに悲鳴をあげていた。ちょっとだけ休憩しよう・・・僕は愛車を道路脇に倒し、横になると睡魔がおそった。自動車なんて10分に一台も通らない道路だった。寒さの中、睡魔が襲い、あと30分が・・・我慢できない。
何台目かの自動車が通り過ぎたかと思ったら30mほど先で停車した。男性が二人・・・何やら話していたかと思ったら一人を残して車は行ってしまった。僕は会話が聞こえた。『おい、男が倒れてたぞ、多分事故だろう・・・直ぐ警察を呼んで来い』
困った事になったと僕は否定したかったが、身体が疲れて自由にならない。残った男性が恐る恐る近づいて来るので、やっとの思いで僕は座ってみせた。『い、生きてたか? だ、大丈夫か?』と驚いた様子だった。まもなく、パトカーを引き連れて車が戻ってきたが、『疲れているかもしれないが、こんな姿で道端に寝転んでると車にはねられたかと勘違いされますよ。で、どこまで行くの?』と聞かれた。
『サロマ湖の「船長の家」という民宿です』 『そうか、もう走れないだろ? 乗せてくから・・』と、結局最後の10kmを送ってもらった。民宿では到着が遅くて心配されていたが、既に食事は冷えて風呂もぬるかったのを覚えている。

翌朝は、サロマ湖で「ホタテ釣り」をした後にイザ出発。若かったのだろう、スッカリ体力は回復していた。今日の目的地は弟子屈の民宿。横綱の故郷だったが、誰だったか? 網走から美幌峠を越えて屈斜路湖から弟子屈へ一旦降りて民宿に。宿の看板娘さんは綺麗だったな~。
翌日は霧もかからぬ摩周湖へ登り 一気に川湯へ下って斜里から知床半島のウトロへ。ウトロで海釣りをしたり未舗装の道を知床五湖方面へ自転車を巡らせ ゆっくりと丸一日遊び、翌朝に船で岬を回って東海岸の羅臼町へ渡った。峠を越える方法もあるが、知床岬の平坦な突端は印象深い岬だった。北海道の数ある岬のうち、僕の基準では最も美しいのではあるまいか?
羅臼に渡った日は非常に寒かった。真夏なのに最低気温は4度。霧が出て セーター着てても寒さで震えるほどだった。今日の目的地は、尾岱沼の先の春別付近の「牧場の宿」という民宿だったが、野付半島に寄り道してトドワラ・ナナワラ見物をした。確かに国後島がまじかに良く見えた。民宿の場所を聞いて「郵便局の隣ですよ・・・」と宿の人が教えてくれたが、隣まで2kmもあったので発見が困難で、ダマサレタと感じたほどだった。

後編は、また後ほど書こう。今日はここまで・・・
読んでくれてどうもありがとう。