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先程、我が家の【精霊流し】を行ってきた。普段は都会に住んでいる小学生・中学生の娘達も僕の実家に帰ってきて、お盆15日夜恒例の【精霊流し】を行った。僕が生まれるず~っと前から多分、この場所に我が家が建った明治初期から100年以上続くお盆の行事だと思う。大学生の一時期と留学中と研修期間中を除いて僕も欠かさず参加しており、ある意味で我が家では正月以上に大切な行事かもしれない。
各地に伝わる長崎などの様な派手さは全然無い。90cm四方のゴザ一枚と3本の細竹で拵えた自家製の【精霊船】だ。お盆の期間中仏壇にお供えした供物を船の中に仕込み、沈没しないようにバランスよく家族力を合わせて造るのである。製作の主役は当主たる父がずっと務めてきたが、最近は僕に造れ・・と今後の事を考えて練習させているようだ。それで今夜は僕が造り、娘と妻が供物の仕込みをした。父と母は若い製作者の指導監修役だった。
『自分達が死んだら出来るだけでいいわよ、昔とは違うから・・ これはアレで、こっちもね・・』と何とも寂しげなことを言うが、確かに時代が変わり始めている。田舎でも文化の伝承が上手く行かなくなってきているのではないか? 僕の実家は三方を堀(クリーク)に囲まれていて、今のところ【精霊流し】には全く規制が無いが、妻の実家もそうらしいが、都会などでは「流さずに焼却処分」する地区もあるやに聞く。
今夜僕が造って流した船は自然材料ばかりで沈没しても朽ち果てるだろうが、人口が多い都会では確かに問題だろう。何となく上手く出来たが、いつの日か父母の為にこうして精霊船を造る日が来る事を考えると中々複雑な思いである。
人は皆いつか死ぬ。毎週の様に人の死に接しながら暮らしている僕ら医師も、家族の死を永遠に先延ばしにする事は出来ない。「しょうがない」と思っているが、生きることの意味をつい考えてしまう。いつの日か自分も確実に死ぬし、娘達がこのような【精霊流し】を子孫に伝承し続けてくれるのかを考えると、時代の変化のスピードがあまりにも速すぎるのではなかろうか?と感じてしまう。
最近の僕は、避けられぬ「人の死」をどう理解し受け止めていけばよいかに関して、まだ迷いが多すぎると思う。法然の教えの様に『あるがままに・・』生きよう、受け止めよう・・と思うも、避け得ない予期せぬ「医療事故」や「不当な中傷」や「作為的犯罪行為」などで順調な人生の歯車が一挙に変化しかねないハイリスクな現代社会では、本当に『あるがままに・・』という精神で「心の平穏」が得られるのであろうか?とどうしても迷いが生じてしまう。
今では当然の様に振舞ってはくれているが、お盆の【精霊流し】の行事を通じて、娘や妻はどのような事を感じてくれたのであろう? 今宵の父は孫達に【明治初期から続いた家業の歴史を6月末に休止した事】を語っていた。誰に言われるとも無く娘達は正座をして父の眼を見据えて、時折頷きながらじっと聞き入ってくれていた。真面目な孫達の態度に父は気を良くして今宵は色々な事を話し聞かせていた。そして、それから先は僕の役割だろう・・・・・
今宵は「西風」が少し吹いていた。堀の水は西へとユックリ流れていたものの、僕の造った【精霊船】は少し進んだが風に押し戻されて中々流れ下っては行かなかった。上の娘が鐘を鳴らし、下の娘が木魚を叩いて「お見送り」をしてくれたが、【精霊船】に乗ったご先祖様達はまだまだ西方浄土には還りたくなかったのであろう・・・
【来年もまた来て下さいね~】と皆で提灯の灯りが燈る小さな船に声をかけた。
だが僕は、これからもず~っと両親が元気でいてくれる事を願っていた・・・・・
読んでくれてどうもありがとう。
下記の記事は12日に書きました。
小泉前総理は行かれましたので、訂正します。すみません。でも、どうして安倍の手を引いていかないんでしょう? このまま安倍を連れて行かないと、中国から【ヤッパリ小泉は本物の変人だったんだ】といわれそうです。でも、小泉って愛想ないですね。
高市さん、残留希望なんでしょうね。安倍に【私へのTVの反応を観察して、夕方コッソリ言ってください】とでも電話したら?
小池と塩崎・・・手を繋いで「靖国で手打ち」ってのはどうですか? しそうもないですね。まるで餓鬼の喧嘩ですね。終戦の日に防衛大臣が何やってるんでしょ? 一月で西川官房長の性格まで見抜くはずは無いのでいいくるめられたんでしょ?補佐官時代に。それとも検察にしょっ引かれそうなので警察に擦り寄りでしょうか?
さて、安倍ちゃん・・・ホントに行かないんでしょうか?ママがダメって言ったんですか?
【以下、12日の記事】
今年は全閣僚の皆様、何を怖がってか 15日恒例の靖国参拝を回避されるそうです。いつもあんなに強がりばかりヌカス国務大臣様たちがどうして回避しちゃうんでしょうか?
特に、小池防衛大臣、麻生外務大臣、塩崎官房長官、安倍総理大臣、堂々と行ったらいいじゃありませんか?
安倍さん、昭恵夫人とシッカリと手を繋いで襟を正して参拝して下さいよ。コソコソ隠れてシコシコのそのそ反省のフリしてないで、堂々と信念に基づいて行動してください。でないと、折角の昨年の15日に小泉前総理がポケットから小銭を取り出して、チャリンと賽銭箱に入れた価値がなくなっちゃいますよ。継続は大切です。今年行けば、【総理大臣の15日の靖国参拝は恒例】になります。非常に大切です、15日以外は今年は価値ありません。
小泉前総理も、こそこそ隠れて小池大臣を遠隔操作してないで、堂々と今年も15日に靖国参拝してください。去年いったんだから今年は簡単です、どうせ現職ではないんですから。総理になる前もずっと行ってたんでしょ? 嘘だったんですか? ただのポーズだったんですか? もう尊崇の念とやらは消えたんですか? 飯島秘書が止めとけと指示したんですか? それとも警備が減って怖くなったんですか? 貴殿こそ今年も行かなきゃ。口もマメラナイほど怯えきった現職総理を昭恵夫人に成り代わって手を引いて参拝しに行かなきゃ・・・絶対だめでしょう。
ま、どうせ二人とも15日に行く根性なさそうですね。
こいつらそんな程度だったのか? 小泉、安倍・・・しっかりしてくれ。【小泉構造改革】は嘘ばっかりだから即刻止めて欲しいが、去年折角始めた【靖国15日参拝】と【霞ヶ関官僚制度構造改革】・・これだけは絶対に止めるな。
【官僚制度をぶっ潰せ・・】 【特別会計予算を国民の手に取り戻せ・・】 これだけ道筋つけたら支持率回復するよ。嫌いだけど教えてあげる。精々がんばりなさい。
あと数日よ~く考えて、靖国参拝に行ってくれ・・・
読んでくれてどうもありがとう。
【芙蓉】(ふよう)とは富士山の古名のようですが、いかにも和風の感じがします。茹だる様な真夏に元気良く咲き出して秋まで永く美しい花を咲かせていますが、枯れた後の秋の「枯芙蓉」も古くからワビサビの趣が尊ばれているようです。
僕の診療所の玄関近くにも、開院以来この時期になると【芙蓉】が毎年沢山の美しい華を咲かせます。女性の【美しい顔立ち】の事を芙蓉に例えるようですが、確かにふくよかで柔らかく癒し系のお顔を連想します。中学の頃好きだった@@チャンのようです。誰が植えてくれたのか知りませんが、僕は芙蓉の花を見て、『暑さに負けないように頑張ろう・・』と毎年考えます。
朝は白く、夕方に紅く変色する酔芙蓉という種類があるそうですが、うちのは「普通の芙蓉」でしょう。他に水芙蓉・王芙蓉・草芙蓉・姫芙蓉、アメリカ芙蓉という種類もあるそうです。

何となくお盆に似合う華ですね。蓮の華より庶民的、ひまわりの様に主張が強くないのがいい。なんと「ハイビスカス」属らしいですね、「葵」科というのが救われます。
女性も花も・・・美しいのがいい。
真夏に咲き出す芙蓉の花、当院の景気浮揚の守り女神になってはくれませんでしょうか?
読んでくれてどうもありがとう。
今日は「外来診療」はお休みです。
考えてみると、国民の祝日以外で外来を閉めるのは、1月2日と8月15日と12月31日くらいでしょうか? 1月3日も閉める年もありますが、年末年始もGWも盆も【4連休以上】は避けるようにしていますし、大抵はどこかで当番医を担当します。もっとも、「透析」のお陰で日曜日以外の僕の休みは一日もないんですが・・・
さて、そういうわけで今日もお仕事です。公的病院は通常勤務かもしれません、ご苦労様ですね、有り難い事です。民間診療所の僕は、お蔭様で今日は一時間遅れの「社長出勤」でしたが、到着時には既に2本の電話がかかってきていました。
一本は@@病院の先生、紹介していた患者さんが昨夜入院中にお亡くなりになったようで、ご丁寧に死亡退院のご報告を頂きました。ご苦労様でした、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。
もう一本は朝の8時にかかってきたようです。透析準備の為に7時30分頃には数名の職員は出勤していますが、「診察希望」のお電話でした。通常の日でも当院の外来は9時スタートですから院長を呼び出さない限り診察は出来ません。ましてや本日は盆休で、院長は「墓参り」や「靖国神社」にでも出かけてるかもしれません。
聞き慣れない患者名だったこともありますが、職員は『本日は休診です。院長も院内におりません。症状がはっきりあるなら、この時間だと救急指定病院を受診されてください・・』と奨めたようです。当院の半径10km以内には救急指定病院が少なくとも4~5箇所あり、医療過疎地域ではありません。それでも患者さんは、『以前ここで診察受けたから、ここで是非診て欲しい・・』と希望されました。しかし、外来休診の日には「社長出勤」しがちで恐らく爆睡中の院長をたたき起こしてまで・・?と感じたのでしょう、職員は『出来れば救急病院へお願いしたいのですが、それが無理ならば9時過ぎにまたお電話いただけますか?』と話した様です。
さて、「以前からの掛かりつけ」患者なら(勝手に断って院長に怒られるかも)・・と【患者カルテ】を探したスタッフが眼にしたものとは・・・・・・・ 確かに6年前に「一度だけ」感冒で診察歴がありました。その時も休日だったようで、すぐ近所の@@先生が不整脈と高血圧を定期管理されていたようです。今、79歳でしょうか? 当院を信頼してのお電話でしょうが、あるいは「休日に便利な医院」とでも思われたのでしょうか?
恐らく、高血圧か不整脈での胸部違和感だったのでしょう。「胸痛」ではなかったそうです。多分、本当の「掛かりつけ医」が盆休みだったので・・透析をやってる当院ならOKだろう?と考えられたのでしょう。
賢いといえば賢いですが、当院だって休診なんです。確かに救急病院に行くより当院の方が近くもありますし、6年前からの「掛かりつけ医」なのでしょう、患者さんの中では・・ これでは、携帯電話番号公表したら生き地獄かもしれません。でも僕は天国や極楽浄土へ行きたいです。
既にお昼前になりましたが、再度のお電話は来ません。症状は軽かったようですから我慢して様子をみられたか救急病院を受診されたかと思います。多分、僕の事を「なんと言う医者だ~?」と感じてあるかもしれません。申し訳ありませんでした。顔は勿論、名前すら忘れていました。
院内に僕が居たら多分診察したのでしょうが、患者さんは一つ認識が間違っていたようです。当院の某院長は【朝がメッポウ弱い】のです。休診日のモーニングコール、ちょっと辛い朝となってしまいました。
もっとも、うら若き乙女のモーニングコールなら(セクハラ危機が迫ろうと)飛んできたかもしれません・・・ 来るはずないですが。
読んでくれてどうもありがとう。
今日も仕事だったし明日も仕事なのであるが、お盆なので何となく気分はユッタリしている。昼間に【ユダヤ人迫害の映画】について書いたら、何故か無性に【淀川長治】さんの声が聴きたくなった・・・
淀川さんは1909年神戸生まれ、1998年に89歳で亡くなった。永く日本を代表した映画評論家だったが、その独特な語り口調から【サヨナラおじさん】として親しまれた淀川さんの全盛期は恐らく70年代後半までだったと思う。それは「良き映画」の歴史とも符号しよう。
彼が70歳の1979年に京都の【宵々山コンサート】にゲスト出演されたライブ話を収録したLPレコード、暑い夏の夜に久しぶりに聴いてみた。その【宵々山コンサート】に関しては7月中旬にブログ記事を書いたので、もし良かったら読んでみて欲しい。
僕の部屋のレコードプレーヤーは既に「全自動」の機能は期限切れとなり、「ほぼ手動」という悲しい有り様である。貴重な針も少し曲がってきているし、女性の皮膚の様にデリケートなレコードには危ない傷も目立ち始めている。沢山あるLPレコードとレーザーディスクを今後どうしたものか?と思案しているがいい方法が浮かばない。
さて、僕の淀川さんは何度聴いても期待を裏切らない。TV解説や対談と違って(それ以上に)実にコミカルに活き活きと6000人の観客を楽しませようと全開モード爆発である。秘かに努力されてるのか天然なのか?あのテンポの良さと多弁さは他の映画評論家には絶対にマネ出来ない。大規模なライブ音源がどれほど残されているか知らないが、天下の淀川さんも興奮しまくりの名調子である。
ちょうどジョン・ウエインが死去した直後だったので彼にまつわるエピソードが20%ほどを占めていたが、淀川さんも同世代だったようだ。
1966年以来、【日曜洋画劇場】の解説を32年間も勤められたようだ。85年位までは個人がビデオやDVDで映画を自由に楽しむことなど夢の話であり、TVでの映画放送を誰もが楽しみにしていたものである。淀川さんは映画評論家とか解説者というより、【映画好きのオジサンが映画の話をしたくてしたくて黙ってるのが辛い・・】といった感じの「映画と俳優の良き紹介者」という役割を担われていた。そして、ある意味では俳優以上に映画小僧にとってのスターだった。
チャップリンをこよなく愛し、死の前日まで独特の語り口でファンを魅了し続けた淀川さん、特に『怖いですねえ、恐ろしいですねえ。』や番組末尾の『それでは次週をご期待ください。さよなら、さよなら、さよなら・・・』は名台詞として語り草とされている。
独身を貫いたのは、「血筋を絶やさぬためだけに政略結婚させられた母が可哀相で仕方がなく、母に辛い思いをさせた淀川家に復讐するため、結婚せずに子供をつくらないことで血筋を絶やした」という痛切な告白をしているが、「子どものころから男が好きだった。」とホモセクシュアルであったことも公にしている。
1998年11月に死去するが、最後の収録は病院からのスタジオ入りだった。死去する数年前から「日曜洋画劇場」では視聴率が容易に取れる近来のアクション映画がプログラムの中心になっており、淀川が繰り返し語っていた「良い映画」をテレビで解説する機会はめっきり減っていた。さぞ残念であった事だろう。
日本映画の解説は全く行わなかったようだが、戸田家の兄妹・父ありき・東京物語などの小津安二郎、浪華悲歌・祇園の姉妹などの溝口健二などの作品を好み、黒澤明や木下恵介とは親友だった。若い監督としては大林宣彦の名を挙げている。
僕のLPレコードの中で淀川さんは3つの事を繰り返し言っていた。【苦労よ来い・・】、【嫌いな人に会った事はない・・】、【他人なんていない・・】 実に明るく若者達に語っていた。
そして僕の古いLPレコード・・・ 飛んでしまって 【サヨナラ サヨナラ サヨナラ・・・】と、何度も何度もず~っと繰り返していた・・・
読んでくれてどうもありがとう。