murajun
More プロフィール

Search

Calendar

<< 2007/07 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

トップページ

Doctors Blog

新着コメント

新着トラックバック

2007.07.03 17:01 |  趣味  |  murajun  | 推薦数 : 1

BEAT CHILD ②

ちょうど今年の夏で20年になる。1987年8月22日の夜、日本の野外ロックフェスティバルの草分け的な存在が、九州で行われた伝説の【ビートチャイルド】 だった。

このコンサートに関しては意外に資料が少ない。完成されたビデオ映像もどうやらなさそうだ。出演者リストを見てもらうと判るように、20年前のほぼ「オールスター全員集合」にちかい豪華な顔ぶれだった。数名の方がブログ等に書かれているが、年齢や職業さらには住まいなどで色んな見方があって面白い。あの凄まじい一夜を共に明かした我々には共通した想い出とともに、夫々の切ない思いがあろう。僕も素直に、「僕の」想い出を書き残したい・・・・

 

僕は当時、大分の病院に勤めていて、音楽好きな看護婦さん達と四人で南阿蘇の野外イベント施設(アスペクタ)へ行った。阿蘇外輪山の北向き傾斜を利用した自然のままの施設で、雨にはメッポウ弱いハズ・・・主宰者も判ってたはずだが豪雨・雷雨までは想定してなかったのか?

「アスペクタ」に近づくと、全国各地から集まってくる観客の自動車やバスで道路が大混雑し、6時の開始時間を過ぎてもなかなか会場へは近づけない。遥か彼方、多分5km手前くらいから「絨毯みたいに見える群集」のいる会場から湿った暖かい風に乗って聞こえてくるビートのきいた音楽や黄色い歓声が僕らに響いてくる。しかし、大渋滞は全く解消せず、車は停止したままで会場にはなかなか近づけない。結局、僕らは開始後 2時間くらいしてやっと会場に到着したが、駐車場からもどれだけ歩いたか・・・とにかく場所が凄かった。着いた時には・・・サッサと帰りたかったほどだ。

 

夏の夕方、まだ明るい時から降り出した夕立はそのうち本降りとなり、いつの間にか嵐の様相を呈してきた。何度も何度も中断し、主宰者からの注意を呼びかけるメガホンで、音楽を楽しむどころではなかったが、スター達はその雨を楽しむかのような派手な演奏を繰り広げてくれていた。ハウンドドッグ・久保田敏伸・尾崎豊なんかは雨の中をニコニコ走り回っていたな・・・。ビデオの模様がなつかしくなる。

そのうち止むかなあ・・・と思っても、逆に雨は嵐のようにひどくなるばかり・・。このままじゃ大変だ、朝まで身体もコンサートも持つのかなあ?と思っても、お目当ての佐野さんは最後らしい・・・だから絶対に帰れない。

 

主宰者がステージ上から繰り返し叫ぶ・・・『医師や看護師のかた、救護室でお手伝いしてください・・・』 

渡りに船というわけではないが、雷雨を避けるように泥沼を滑りながら僕は救護室に向った。笑うかもしれないが、僕の医者になったときの夢は、【佐野元春のツアードクターになること】だった。楽屋裏では佐野さんには会わなかったけれど、生涯でたった一度だけ夢を実現した気分だったな。

 

楽屋横の救護室は想像以上に大変だった。毛布に包まってガタガタ震える人々で足の踏み場も無かった。ステージで見た尾崎豊もバスタオルで頭をゴシゴシやりながら寝てる人の間を歩き回る。非常に「ハイ」だったようだ。あの日、本当に死にそうだった皆には悪いけど「ラッキー」だった。

救護がひと段落して仲間が待つ場所に戻ると3人はヒドイ有り様。みんな看護婦だったし、ガタガタ震える3人を連れて救護室に戻り皆で再び手伝った。朝が近づくにつれて次第に雨も小降りになって新たな病人も減ってきた。多分、弱って参った人は早めにくたばったか帰途についただろうと思う。

係りの人が 『後はいいですよ、ありがとう。これ(お土産)どうぞ・・。良かったらココからどうぞ観て下さい、佐野さんが好きなんでしょ? ありがとう・・』と言って、僕らをステージ直下のスペースに案内してくれた。

 

外は既に明るくなり、雲も減り霧の中を日の光すら差し込もうとしていた。僕らはステージ直下から 5万人以上の観客がずぶ濡れで立ちすくむ観客席を眺める事になった。

グッタリして放心してうな垂れてた人々が急に明るく元気を取り戻している。ザワザワと、ステージ上に誰かが登場したようだ。僕らは観客の笑顔と歓声を真正面から受け止める事ができた。振り返らなくてもステージ上にいる人が誰だか僕にはハッキリと判っていた。このチューニングの音とリズム。聞き間違うはずは無い・・・ 最後のアーチストは、僕のお待ちかね・・・【佐野元春】だった。

 

僕は、ステージ上の佐野さんと、佐野さんを見つめるずぶ濡れの観客達を何度も何度も交互に眺めていた。豪雨の中を一晩中奮闘したスタッフの一人になったような気分だった。【特別の場所に特別の時間】 佐野さんの傍で大観衆に向って佐野さんと同じ歌を歌う感動・・・ 僕らの顔は雨と涙でグシャグシャだった。

【 あの光の向こうに 突き抜けたい 夜の向こうに 突き抜けたい 】

 

あの場に居た誰もが感じた事だが、佐野さんの登場と共に【嵐が去り夜明けがやってきた】不思議な爽やかな感じがしたものだ。アメリカ帰りの彼が歌う歌は、それはもう爽やかに僕らにストレートに入ってきた。会場に残った多くの若者達の心が一つになる瞬間・・・誰もが一生忘れないと思う。僕は、上の写真で彼が身につけていた革のダウンベストが心底欲しくてたまらなかった。

アレから20年、世界中の色んな場所で色んな体験をしてきたが、あの朝の感動を越えるものには未だ出会わない。

 

コンサートの終わり・・・会場を後にする若者達の表情は様々だった。グッタリしながらも一様に満足の表情が浮かんでいたようだ。

しかし、帰りの運転は居眠りで・・・正直危なかった。居眠り防止の為に、眼一杯の音量でカーステレオを鳴らしながら僕らは大分へと帰っていった。

 

『ある人のブログ記事を見つけた。2年ほど前の記事のようだが、よくかけているので無断で(失礼、ゴメン)拝借させて頂く。以下、コピペ・・』 

ブルーハーツの終わり頃からポツポツ降り出した雨は、夜が更けるとともに本格的になってきた。風も強まり、気温も急激に下がって、TシャツにGパンの僕らは寒くてがたがた震えだしていた。汗をふき取るはずだったタオルは、頭の上でびしょ濡れになり、ブーツの中に雨水が入って足元は重たくなり、Gパンは水を吸い込んで身体にぴったりと巻きつく・・・それでも何とか踏みとどまり、ボウイ、スライダース、そしてラストの元春のステージを待っていたのだ。

・・真夏なのに極寒、僕らの肉体は悲鳴を上げ始めていた。まず一人脱落。「もうアカン・・・、救護室行ってくる」、続いてもう一人「俺も・・・」。僕とYは、「せっかくここまで来たんだから、最後まで見てえよなあ・・・」と震えながら言っていたのだが、スライダースを待っていたところに、ハウンドドッグが出てきてギブアップ、ステージ裏の救護テントへと向かった。

救護テントも大混雑。具合の悪そうな人々が溢れていてまるで野戦病院状態。僕らは毛布をもらい、ストーブのそばで冷え切った身体を温めた。時刻は真夜中過ぎ、帰りたくても、駐車場まではバスで小一時間かかる。一度温まってしまうともう、土砂降りの客席には戻れない・・・。僕らは、その後ず~っと、ステージ裏で音だけを聴いていたのだった。その間、救急車は何度も往復を繰り返していた。僕らと同じように山と自然を甘く見た奴は結構たくさんいたらしい。

・・・夜明けとともに、一番の連絡バスが出るというので、バス乗り場へ向かった。死人の行列のような静かな行進、僕らは疲れ果てた身体で満員のバスに乗り込んだ。その時、ステージにはちょうどラストの佐野元春が登場していた。尾根を行くバスの窓から遥か遠く見えたステージの後ろに、真っ赤な朝日が現れて、それはそれは美しい風景だったのだが、皮肉なことに、これを見ることができたのは最後まで客席にいられなかった敗北者たちだったのだ・・・・

 

色んな思いがみんなの心に残っただろう。20年後の色んな声をあらためて聞いてみたい。あの夜一緒に居た人たち・・・コメントして欲しいな。

佐野さん、DVD作ってください。お願いします・・・

 

読んでくれてどうもありがとう。

固定リンク | コメント (31)

2007.07.03 00:14 |  趣味  |  murajun  | 推薦数 : 2

BEAT CHILD ①

豪雨だった数日前、僕に突然一通のメールが届いた。見知らぬアドレスで、『ビートチャイルドの件』とあった。あの日と同じ豪雨の中で、何かを感じて僕はドキリとした。そう言えば、2年ほど前に某巨大掲示板のマイナーなスレッドに僕は連絡先のメルアドを残してきていた。それを見たんだろうと思うが・・・もうスッカリ忘れかけていた。

 

【ビートチャイルドのビデオをお持ちの方、是非お譲りください。下記アドレスにご連絡を・・・】と書いてみたら、親切な熊本の女性がTV放送された【ビートチャイルド・コンサート マザーズ事務所所属バージョン】のビデオテープを譲ってくれた。僕はHDDに録画して時折楽しんでいる。

 

 

 

それから2年後、再びのメール。明けてみると・・・『ビデオを入手されましたか? 伝説のビートチャイルドの映像を是非観たいんです。譲ってください。』という内容だった。

まだあの掲示板が残っていたとは・・・ 彼はコンサートの行われた年にはまだ小学生だったという。「ボウイ」のファンらしく、残念ながら「ボウイ」は映っていなかったが、僕は喜んで贈る事にした。ダビングしながら先程108分間(コンサートは12時間)の映像を観てみたが、演奏の映像よりも嵐の中の観衆の映像の方が遥かに素晴らしい。自分の姿がもしも映っていたら・・・一生の宝だと思う。後で書くが、とにかく凄まじい野外コンサートだった。出演者は、上のポスターに書かれてるので読んでみて・・・・

http://blog.m3.com/BackToTheStreet/20090715/BEAT_CHILD__1

(これは、新しく書いた記事:2009.7.15) 

この素晴らしいコンサートを覚えている人は恐らく現在 42~55歳くらいではなかろうか? 「DVD化を是非して売り出して欲しい」と佐野元春さんの公式サイトに以前メール出したけど読んでくれただろうか? 絶対に参加した7万人(多分20万枚)には売れるので、著作権など難しい問題も多いだろうけど、佐野さんを中心にDVDを出して欲しいものだ。

 

その掲示板に寄せられていた「41歳の名無しさん」の文章を載せておきたい。

半分凍った肉まんをかじりながら、雨に殴られ風に突き飛ばされ、
ただひたすら朝が来るのをふるえて待っていたあの夜
嵐が来た時、誰一人どこにも逃げられなかったあの夜

あれは、
ミュージシャンも、スタッフも、地元の人も、バスの運転者さんも、
そして俺も含めた観衆全員が成し遂げた、
あの時あの場所でしかできなかった、
最大で、最悪で、でも最高の、奇跡のロックイベントだった

朝を迎えて、
ずぶ濡れで泥だらけの55000人の少年少女たちが
難民のように山道を降りていった

みんなその時は、
泣きそうな顔だったり、
やけに空騒ぎしてたり、
後悔だらけの顔だったりした。
みんなあれに全てのエネルギーを費やしたんだ

あれは絶対に、ただのロックイベントじゃなかった

俺の心の中で、あの日からずっと、
あのポスターののっぺら人形が熱いビートで激しく踊り続けている

41
歳の今でも
そしてきっと、ずっとこれからも

 

僕にとっては、【最も記憶に残るコンサート】だった。日本の「ウッドストック」にはなれなかったけど、最初で最後の【雨中最高の伝説の野外コンサート】だったと思う。

次回は、その時の想い出でも書いてみたい。

観に行った人、いたらコメントくださいね。

 

読んでくれてどうもありがとう。

固定リンク | コメント (83)