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父にはまだ何とか『運』が残されていたようだ。80歳を過ぎ、まだまだ元気で頑固親父の典型みたいな生活をしているが、最近は少々気弱になっていたようだ。
3月のインド旅行も心なしか疲れが出ていたし、デイサービスの畑仕事で何となく立ちくらみや胸部違和感を感じていたようだ。色んな役員会などの参加も減らし始めているようだ。病気に関しては、高血圧や高脂血症などの内服薬は僕が手抜き診療しながらテキトーに処方しているが、父親を診察管理していく事は変な雰囲気で簡単ではない。
ブログにも書いたが、5月に12歳年上の兄(叔父)が心筋梗塞で入院した。28歳も年上の長兄が死去した朝だったので余計に心配が膨らんだようだ。さっそく『自分も心臓と頭を検査したい』といいだした。かつてTIAらしき症状があり、抗血小板療法を行っていたので狭心症の症状が目立たなかったようであるが、なんと冠動脈には石灰化所見が広範囲にみられていた。
今では心臓CTという便利な器械があるので、気軽な気持ちで知り合いの病院にお願いした。心配していた頭の方は問題なく、病変は心臓だけだったが「予想以上の石灰化」のために全く評価が出来ず、運動負荷RIでの陽性所見があり今日あらためてCAGに踏み切ったのだった。
正直なところ、重症の3枝病変を覚悟していたし、PCIの間中、大学時代のの同級生がCABGのスタンバイをしてくれていた。術者の医師にはかねてより信頼を寄せていたものの、自分も循環器が専門なので何人ものPCIやCABGの名医の顔が浮かんできて(これでいいのかな?と)悩ましい時間を過ごした。直接の親しい先輩にも名医の誉れ高き医師が何人もいるし、果して誰に頼むべきか?
某大学で循環器科の教授をしている義弟とも相談して、最初の紹介医にそのまま任せ切ることとした。出身医局では無いが、理事長もPCIの先駆者として高名で親しくして頂いていたので躊躇も一瞬であった。躊躇と言っても技術的不安ではなく、出身医局の教授にたいする義理立てが頭に少しだけ浮かんだからである。近所ではあるが今回は・・・
僕が専門だからかもしれないが、余りにも多くのPCIの名手が周りにいるのも「贅沢な悩み」である。医師不足かもしれないが、居る所には名医がいるものだ。医学の進歩は有り難いし、父もそう感じている事だろう。
父は入院直前にある会社の株を購入した。僕が奨めたA社の株だったが、「入院中に値上がりを始めそうだ」という僕の予測を見事に外しながら購入直後からは【連日の値下がり】である。今日のPCI中に強烈に値下がりをしていたので、「もしかしたら父の運が消えて、PCIも不成功かな?」と観念したほどだった。株価が強烈に下がりきった時にかかって来た病院からの電話に出るときはドキドキだったが、『意外と良くて1枝病変でしたから、ロタボレーターも不要でPCIきちんと成功できました』との主治医の言葉にどんなにホッとした事だろう。
そのため、午後は底値に達して値上がり反撃を開始するかと大いに期待したが、株はやはり株。相変わらずかってに値下がりを続けた。しかし、命が助かっただけヨシトスル・・・
僕も夕方の診療が終わって病院に駆けつけて術者から説明を聞いたが、専門医の僕がみても正に「キワドイ所見」であった。危機一髪といえるシビアな病変だ。賭けのつもりで買った株は勝手にドンドン下がるが、やはり兄達が警告してくれて心筋梗塞を未然に防げたと思われる。兄弟のお陰で助けてもらえたし、僕がこれまで専門にしてきたことも相当に役に立ったと思われる。
普通の患者さんにも我々は何一つ隔てなく診療を行うのは当然であるが、肉親がピンチに陥ったときは逆にオロオロしがちになる。あっさりと信頼できる医師に任せるべきだと改めて思った。
父はまだまだボケもないし、身体も実年齢より相当若い雰囲気である。入院前に賭けのつもりで買った株が値下がりしても今日は「新しい生を貰った」かのようにとても嬉しそうであった。
父はまだまだ運を持っているようだ。きっと何時かは購入したA社の株も値上がりを始めてくれるに違いない・・・と思いながら、父は今頃病院のベッドで長かった一日を思い返していることであろう。
読んでくれてどうもありがとう。
高齢になると人生にも色んなことが降りかかる。病気に侵された人生の最晩年を表現するのに『終末期』ではなくて『有終の時』という言葉もあるようだが、僕らの年齢だと普通ならまだ感じにくい「心の有り様」を医療の現場では垣間見てしまうこともある。
認知症も無く最期まで明晰な感情・頭脳を保つ事・・・人生の最後にどんな事を振り返り思い起こしながら過ごしていくのであろうか?こうやって「思い出の感傷ブログ」を書く年寄りも今後は増えていくのかもしれない。
これは数週間ほど前の出来事であるが、当院に東北某県から患者さんが一週間だけお越しになった。奥さんの里帰りについてこられた臨時透析の患者さんだ。優しそうな表情のその方の奥さんは、この近所に実家があり、少し年齢が開いたおねえさんの家に滞在されていた。「おねえさん」の方も僕が10年来診ている優しい患者さんで、重症不整脈を持ちながら今は何とか安定されておられるが、決して強い身体ではない。「おねえさん」のお話だと、妹さんは根治不可能な肺癌に冒されているという。告知もされ余命幾ばくもないという運命のようだった。
妹さんは、ご両親の墓参りを兼ねてお姉さんに会いに来たのだという。『お姉さん、元気だった?』と再会するなり涙を流されたのだという。もう二度と会えないかもしれないという気持ちが皆さんにはあったようだ。
お姉さんも安心して旅行が出来る身体ではない。妹さん夫婦は既に東北へ戻られたが、これが最期の里帰りになることを覚悟しての旅行だったという。透析があるので一日おきに病院にお越しいただいたが、故郷の近郊を旅する形で姉家族との有意義な時間を楽しまれたようだ。透析が必要なご主人も、奥さんの最期の旅行にハルバルと付き合われたのだったが、つかれの表情も見せずに院内では常に優しそうな笑顔を見せられていた。
結婚や仕事で故郷を遠くは離れて人間は暮らすことが少なくない。ことに女性の場合には、高齢の姉妹同士が遠くに離れて暮らすことは別々の人生を歩んでいる事を示しているともいえる。亡くなっても両親や姉妹と同じ墓に入る事は稀であろう。かつて苦労を共にした姉の姿を久しぶりに見たかった妹さんの気持ちは痛いほど良く分かる。ご両親の墓参りにも姉妹そろっていかれたのであろう。それぞれが将来に強い不安を抱えている現状で、どんな思いで一週間を同じ屋根の下で過ごされたのだろうか?
医師として高齢者の気持ちを察することが常にできるわけではないが、それぞれの人生の有終の時を大切にケアして差し上げたいと思う。介護の現場もそんな「有終の時」を迎えている高齢者が相手であるが、もっと多くの会話の時間を出来うるならばユックリと持てればいいのに・・と感じる事がある。そんなのは「坊主の世界」なのかもしれないが、時間を共有して患者さんに対面する事が出来る環境があれば、医師も患者も患者家族も幸せで有意義な「有終の時」を飾れるのに・・と感じる。
旅行などで臨時透析の患者さんに接する事が年間に数回は毎年あるが、出来るだけ話を聞かせていただく様に心がけながら過ごしている。あの夫婦には今後どのような「有終の時」が待ち構えているのであろう。どうか有意義な時間を過ごして欲しいものである。
読んでくれてどうもありがとう。