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日本たばこ専売公社(JT)は、企業の論理だけで行動しはったらあきまへんえ。うちらえろう迷惑しとりおすのんや。いい加減、禁煙にしておくれへんと、医療費かて大変な事になりおすえ・・・と祇園の女将が言ったかどうか分かりませんが、タバコは段々減らさないとダメですね。
タミフル被害は浜六郎さんの妄想のようで、実態は高熱による異常行動のようですし、調べれば調べるほどタミフル服用しなくても飛び降り10代は発見されるようですが、タバコの害はほぼ真っ黒でしょう。タミフル処方禁止をするよりもタバコを完全に禁止した方が遥かによろしい。
今日の報道で、JTが「厚生労働省が現在策定作業中のがん対策基本計画に、喫煙率引き下げの数値目標を盛り込むことに反対する意見書を同省など関係省庁に提出した」とある。「数値目標を設定することは個人の嗜好の問題」であり「国家権力が介入して個々人の判断を特定の方向に向くように強制しようとすることにほかならない」としているらしいが、馬鹿かおまいら? 「個人の嗜好」に抑制をかけられないなら、オヤジ狩り嗜好もアナル嗜好も万引き嗜好も麻薬嗜好も盗聴盗撮嗜好も幼女レイプ嗜好も猟奇殺人嗜好も人肉喰嗜好も・・・国家権力は黙ってみてるんかい?とにかく、タバコもあきまへん。
ところで、皆さんの病院や診療所に喫煙者はいますか?当院の職員には現在喫煙者はゼロです。一名だけ半年前まで建物の外でコッソリすっていましたが、ただ今はニコチンパッチ成功で禁煙しましたし、患者さんも灰皿は開院以来院内にはないので誰も少なくとも院内では吸いません。喫煙する際には、駐車場の車の中ですわれているようです。誰にも文句は言われません。
職員採用の際には必ず喫煙者か否かを確かめます。くさい臭いがしますので通常誤魔化しは不可能です。喫煙者と判明した場合には自動的に不採用とします。少し厳しい採用基準でしょうが、個人経営の運命共同体で、しかも診療所ですから当然許されるかと思います。
男癖・女癖・酒癖の悪い人も判明すれば当然採用しません。ただし、こちらの方は簡単には判断できません。今のところ、この手のスキャンダルは生じていないようです。院長自身は例外規定で守られているとかいないとか・・・
容姿・ファッションセンス・髪の毛の色・BMI値・腹囲なども、当院独自の隠された選考基準がありますが、メタボ基準のように公表してはいません。
これらは全て、院長の「偏った嗜好」の問題ですが、あくまでも来院される患者さんに不快感を与えないようにするための最低基準と考えています。
読んでくれてどうもありがとう。
勤務医と開業医の苦労のしかたの違いの一つに、「職員との関係」というのがある。経営に関しても、嫌でも勤務医以上に考えざるを得ない。患者さんの健康を守りながらも、職員とその家族の生活を支える使命が院長にはあるし、自分自身も借金の個人補償をしている以上、個人破産の危険性をひと時も忘れて生活する事は出来ない。
そういうときに生じてしまう問題の一つに、「患者と職員の揉め事や不仲」がある。医師と患者の不仲は勤務医でもしばしば起こり、医療事故がからんだ時には不幸にも訴訟沙汰にもなったりもする。しかし、多くの病院では勤務医自身が「職員と患者の揉め事」に直接影響を受けることは少ない。勤務医を抱えるほどの病院では、職員(看護師)の配置転換は普通の事だし、移動のない個人診療所ほどには関係が永く続く事は少ない。
医療事故の際に、勤務医のミス?を院長がかばうかかばわないか・・・これが、現代の勤務医疲労の大きな要素の一つであろうが、不当な批判から看護師や医師や事務職員を守ることは院長の大切な責務であろうと思う。
少し以前のことになるが、当院でこういうことがあった。
永らく透析を続けている患者さんが、幹部職員と不仲になった。時折、その事に関連して僕に直接クレームがきたり、スタッフに過剰な要求が繰り返されるようになった。その幹部職員は、他の患者ほぼ全てに人気があるので僕には全く「理由」が分からず、両者に言い分・事情を聞くと、看護師は「とても許せないヒドイことを何度も言われたんです。」としか僕に言わない。患者のほうは、「あの人は自分を避けて近づかない。挨拶もしない。失礼だ」としか言わない。まるで、ジダンとランボルギーニの揉め事、じゃなくてフェラーリの侮辱、じゃなくて、マセラッティーへの頭突きみたいな「真相は薮の中」であった。
こんな不仲があっても透析室は「チーム医療」であり、同時に5~6人の看護師は最低いるので、例え避けても特定の患者には何にも実害はないのであるが、「あの職員は自分には挨拶をしない。とても失礼だ・・」という頑固なクレームと共に、他の人なら絶対に要求をしないことまで繰り返し要求することが増えてきた。何度も職員に対する苦情を院長に直談判されて、そのたびに多少は経営的なこともあって患者をなだめてきたのであるが、該当する看護師は他の職員の鑑みたいな人であったので、「何を言われたのか」までは聞き出せなかったものの、全体の雰囲気が悪化しだしたので困り果てていた。両者の家がそれ程遠くないので「家庭の問題」なのかもしれないが、院長が深く問いただす事で職員の辞職に傾く恐れもなくななかった。彼女達も我慢しつつギリギリの線で耐えていることも多いのである。
そういう状態が2年以上続いて、別の無理な要求が出された時に、とうとう我慢強い僕も嫌になってしまった。「そんなにココが嫌なら、ほかの病院に移ってください。透析施設は近所に沢山あります。引き止めませんのでどうぞ・・職員に対しての不当な要求にはこれ以上応えられません」と大きな声で言ってしまった。
ワガママな患者に悩まされた事は多く、そのうち患者は勝手に転院していくものだが、開業して初めて透析患者さんに「他へ行ってくれ」と言った。他の患者や他の職員や移動先の病院関係者がどう感じるか等を不安視も多少するが、その時の僕に一番大切だったことは、『職員達を不当なプレッシャーや生活不安から守る。そのためには患者数減少で経営に少し障るのはしょうがない。』という思いであった。
結局その患者さんは程なく近くの病院に移られ、そのあと現在までどう過ごされているのかは僕は知らない。いろいろ悪口を言われる事は覚悟している。当院に来る前に3箇所を平均2.5年で移動されていたので、5年以上続いたことは僕らも良くやった方かもしれない。
外来患者の場合は完全にフリーアクセスが保たれているので、お互いに不仲になると察して自然に来院されなくなる。危険な香りのするケースでは、自然とそんな顔になるものだ。それに比べ、透析患者は週に15時間ほど一緒に過ごすので患者によっては「家族並みに無理が通る」と勘違いしてしまうケースも出てくる。身体障害者なので職員側は親身に献身的に接しようとしても、逆に「燃え尽き症候群」に簡単に陥ってしまうことも稀ではない。
そんな時、『患者をとるか 職員をとるか』というのは経営者としての開業医にとって苦慮するところである。
両者に事情聴取して患者に理があると判断すれば、職員辞職の危険性があっても他の職員への影響もあり指導徹底すべきであるし、職員に理があると判断すれば、患者さんに転院を奨めてでも職員の燃え尽きを防ぎ、健全な職場環境を守る必要があると思っている。チャンとした姿勢を貫けば、経済的なことはなんとかなるものである。
昨今の医療事故の報道を見るとき、経営者である院長があまりにも大切な職員を守らなさ過ぎるのではないかと感じる。もっと冷静に勤務医などの職員を大事にしていかないと、看護師や勤務医の疲弊は食い止められないと感じる。
読んでくれてどうもありがとう。
昨日の長崎に引き続き、今日は娘も雲仙での爽やかな朝を迎えていることであろう。パパは君の修学旅行が楽しく思い出深いものになることを祈っている。雲仙はかつて温泉とかいて「うんぜん」と呼ばれていたそうだ。701年に僧・行基が開山して以来、修験道の山岳信仰の「高来峰」と称されていたそうだ。日本初の国立公園でもある。
僕の修学旅行は35年程前のことになるが、雲仙の仁多峠までバスで行き、観光乗馬の「花子号」の馬糞に注意しながらロープウエイ乗り場の脇をかすめ、6年生全員84名で島原半島最高峰である普賢岳山頂を目指した。地獄や風穴・氷穴などを巡り、全員無事に1359mの頂上に到達した。今でも古いアルバムの色褪せた白黒写真には、白いトレパンと長袖シャツ、紅白の運動帽子に身を固めた僕らの若かりし姿が写っており、どこの公家の高貴なお坊ちゃんかと見まがうほどである。頂上の巨大な岩と途中の風穴などははっきりと今でも覚えている。周囲を海に囲まれた山からの眺めは遥か彼方まで遠望できるので飛行機にでも乗った気分がしたものである。
その雲仙普賢岳では、1792年に起こった「島原大変肥後迷惑」以来の火山活動が1990年11月からみられていたが、91年6月3日には死者43人を出す大火砕流が発生した。僕は91年1月に留学したので、CNNなどで概要をしった。当時はインターネットは普及しておらず、国際電話も高額であまり詳しくは知る事は出来なかったが、6月下旬に一時帰国して結婚式を控えていたので、なにかと不安な日々を過ごしていたが、やはりアメリカからみる雲仙は遥か遠い世界の出来事に感じられた。しかし、雲仙普賢岳は僕にとって想い出の多い山であり、溶岩ドームの形成や登山禁止措置など、案じる事は少なくなかった。後で想像以上の大噴火である事を知った。
昨日の記事で僕と関西弁の可愛い後輩のプラトニックな長崎物語を書いたが、彼女とはその時だったか別の時だったか、とにかく二人だけで普賢岳に登ったことがある。仁多峠から女性同伴で雲仙に登る際は、通常ロープウエイで少し低い妙見岳に登るのが普通だろう。ましてや、突然のドライブで登山の準備もしていないパンプス姿の場合、幾ら標高差が少なくても普賢岳へは危険な無謀な登山と考えるのが常識だ。しかし、若い二人だと無理もしたがる。当時、完全プラトニック交際中の僕らは、体力も好奇心も有り余っていたので、真夜中にアパートを飛び出して出発し、徹夜でドライブしたあと翌朝に無謀な登山を敢行した。
仁田峠から山頂へは、迷わなければ2時間とはかからない。ただし、森林の中をずっと進むので途中で誰にも会わないと不安がよぎる。しかし、僕の記憶は10年近く前のもので、記憶を辿りながらの怪しげな登山であり、風穴や氷穴を確認しながら、ジーパンにパンプスの彼女の手を引きながら山頂を目指した。滑りやすい脱げ易いパンプスの彼女が、悪い男に騙されて必死に登っていく姿を見て非常に愛おしく感じられたものだ。その日は快晴、遠く阿蘇や九重、天草や佐賀まで綺麗に見えたのを覚えている。山頂の風は爽やかだった。薄いブラウスの下で大きく波打つ彼女の胸を見て、「無理をさせちゃったな・・」と少し反省したが、額の汗をぬぐいつつ彼女は、「まさかこんな素敵な景色を見させてくれるとは思っていなかった。今までこんな想定外の山登りをしたのは初めてだわ・・」と素直に喜んでくれた。
暫らく二人だけで山頂の風と景色を楽しんで下山したが、その後のことは残念ながら覚えていない。今では入山禁止も解除されたが、火山活動で形成された1482mの平成新山が、普賢岳からの360度の展望を妨げている事であろう。新たな観光名所になったかもしれないが、僕らの想い出の場所が失われてしまったようで、少し寂しい気がする。近くの病院に勤務している後輩は今でもあの日の登山の事を覚えているだろうか?デジカメもなにもなかった時代、記憶は僕らの胸の中だけにある。
そろそろ、ミヤマキリシマの美しい季節になったことだろう。娘も美しい景色を眼に焼き付けてきて欲しい。
読んでくれてどうもありがとう。